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美辞麗句か罵詈罵倒か

平成22年01月15日

同じ記事でも、事実を変えずに内容について、主観を交えると書き方により全く逆の報道になる。

例  朝日の記事
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「必要な指示した」 ヘリ事故当夜に酒宴の岐阜知事

 岐阜県の古田肇知事は15日午前、岐阜市内の知事公舎前で報道陣の取材に応じた。事故当夜の酒宴への参加について、「泥酔はしていない。必要な指示を断続的にし、一通り終わったので、(懇親会に)少し顔を出そうと思った。手抜かりや打つべき手を打たなかったということはなかった」と繰り返した。

 公舎前ではこの日早朝から、約20人の報道陣が待機。古田知事は午前10時すぎに姿を見せた。「酒は飲んだのか」という問いに対し、「(酒に)口はつけたかも知れない。泥酔はしていない。必要があれば、すぐ県庁に行ける状態だった」と答えた。

 さらに、「(事故)対応を犠牲にして(酒宴に)行っていない。決して会への出席を優先させたわけではない」と述べた。

 酒宴が公務だったかという質問には、「プライベートではない。女性職員のもの申す会なので、そういう声を聞くのも、最小限の(時間の)中で必要だと思う」と答えた。

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この記事の内容を変えずに、私が書いてみると

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 岐阜県の古田肇知事は15日午前、岐阜市内の知事公舎前で報道陣の取材に応じ、事情を説明した。当日は事故の発生の報を受け直ちに、適切な処置を採るよう関係者に指示し、またいつでも報告をするようにも指示した。しかし混雑する現場に自分が出かけることで煩雑さが増し、対策に遅れが出ることを懸念して出かけることは遠慮したとのこと。
 
 一方、女性職員達が日頃県行政などにつき様々な提案があるので知事にも出席願いたいと以前から要請があり、知事は時間を調整して出席する旨を以前から約束をしていた。
 
 続けて知事は次のような事を口にした。
 
 「日頃から女性職員の方々にはご苦労をおかけしており、いつかこのような機会を持って直接ご意見を伺いたいと思っており、出席したが、むろん、その間も常に事故のことは頭から離れず、報告には注意していた。
 
 当日の会合では和気藹々と様々な貴重な意見が集まり、出席者の心を解すためにも少しのアルコール類が出て、私もほんの少し口にしたが、皆さんが心おきなく発言されるためにも私だけが全く口にしないわけには行かなかった」
 
 やはり、日頃から行動の人と言われる県知事であり、また口べたな面もあって説明不足になったようだが、知事の心は常に県政に注がれていると思われる。
 
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もう一つの書き方

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 岐阜県の古田肇知事は15日午前、岐阜市内の知事公舎前で報道陣の取材に応じた。事故当夜の酒宴への参加について、「泥酔はしていない。必要な指示を断続的にし、一通り終わったので、(懇親会に)少し顔を出そうと思った。手抜かりや打つべき手を打たなかったということはなかった」と繰り返した。
 
 しかし、県の最高責任者である県知事の言葉としては余りに無責任ではないか。例え泥酔はしていなくとも、事故の犠牲者や家族、そして救助に全力で当たっている関係者達は、知事が大勢の女性達と酒宴に酔いしれていたのだ。

 知事は「酒は飲んだのか」という問いに対し、「(酒に)口はつけたかも知れない。泥酔はしていない。必要があれば、すぐ県庁に行ける状態だった」とまるで人ごとのように答えた。

 さらに、「(事故)対応を犠牲にして(酒宴に)行っていない。決して会への出席を優先させたわけではない」と述べたが、実際に事故対応を人任せにして酒宴に出かけた人の言葉とも思えない。

 酒宴が公務だったかという質問には、「プライベートではない。女性職員のもの申す会なので、そういう声を聞くのも、最小限の(時間の)中で必要だと思う」と答えた。
 
 確かに物はいいようである。
 
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日本にはいくつものメディアがあり、同じ事を改訂ながら表現が真反対になっている例は幾つもある。そして、どちらを読むか、どちらに共感するかでどちらに影響を受けるかが違い、そして行動も影響を受ける。

今、マスコミが民主をたたいている、小沢問題を叩いていると民主支持者は言うが、総選挙の頃、マスコミがどれだけ自民政権をたたいたかは知らないのだろうか。

今マスコミは自民のことなど書かない。なぜなら商品としてのネタにならないからだ。しかし、現実に自民は存在し、自民の体質も変わったわけではない。それは民主も同じであり、変わったのはマスコミの姿勢なのだ。

だが、報道頻度は変わり表現は変わっても言っている内容は変わらない。

そして、その内容を見ないで表現しか見ない人はそれに大きく影響される。日頃からろくに本も読まず、文章の読解力が無く、文章の本質を理解することの出来ない人たちは、そのようなマスコミの表現にどうにでも左右される。

上記の私の書いた二つの記事は、知事が事故対応の現場に残らず、別の会合に出かけて酒を飲んだ、との事実に対し、主観で様々な色づけをした物だ。この主観を取り払い、事実だけを読みとり、自分の判断力で判断すべきなのだ。その判断の元は、日頃の知事の言動や姿勢がある。つまり、自分で判断基準を持っていない限り、事実の認識以上はすべきではない。

言葉で人をだます人間は大勢居る。事実を普段から自分で判断する能力を持っていない人々は簡単にだまされる。

民度、先進国などの記事でも書いたが、途上国はなぜ途上国なのか、でもこの問題には触れた。民度が低い、あるいは個人的に判断基準を持っていない人はだまされるのだ。そして、腐敗政権、危険な政権を選び出す。

3日前にカリブ海の小国ハイチが大地震に見舞われ、おそらく数万人から10万人もの犠牲者が出て復旧が進まず二次災害の犠牲者も増えるし、そして大規模な虐殺が進行中だとのことだ。

天災は誰にもどうしようもないが、その犠牲の大小は人災と言える。ハイチはかつてデュバリエ親子による徹底した独裁により最貧国となり、インフラは脆弱の一語に尽きる状態になっていた。しかし、初代のデュバリエが大統領に立候補したときは国民は熱狂して迎えた。つまり、彼の美辞麗句にだまされたわけだ。

今もジンバブエなどが同じ事になっているし、ベネズエラやペルーなどもそれにちかい、庶民の味方を訴える人間はそれが票を集める一番効率のよい方法だと知っているのだ。

日本でも同じ事が起きている。実現するはずのないマニフェストで票を集めた民主党がいま政権維持だけを目的に恐るべき売国行為を行っている。すなわち、選挙の折民主党は民団の全面的支援を受け、民団からの多くの人間達がビラ貼り、事務所運営などを手弁当で行い集票活動をした。その見返りが、永住者地方参政権だった。今、民主がそれを法案提出しようとしている。しかし、これはマニフェストから外した内容の筈だ。

おそらく法案は参院でも通るだろう。公明が悲願としている法案だからだ。

民主がマニフェストで何を言っていたか、その内容を読み解く能力のない人が、腐敗した自民を追い落とすために民主に入れた。民主は、別に積極的に選任されたのではなく、腐敗した自民を懲罰するために、消去法で選任されたに過ぎない。

美辞麗句の本当の意味を読み解く能力のない人に、何を説明しても仕方がない。理解する能力がない。ばらまきをすれば日本が豊かになると言われ、それを単純に信じた人が、実際には日本が競争力を失い、経済が崩壊しかねないこと、友愛という全く具体性を欠いた言葉を信じた人は、実際には国を滅ぼされかねないことを理解出来ない。

冒頭の、主観で書いた記事がどんな真実を伝えているのか理解出来ない人には、つける薬がない。そもそも、そのような人たちは自分に理解力がないことも理解していないからだ。

ところで次の記事

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『日本には謎の鳥がいる。その正体はよく分からない。

 中国から見れば、その鳥は「カモ」に見える。
 アメリカから見れば、その鳥は「チキン」に見える。
 日本国内では、その鳥は「サギ」だと思われている。
 でも鳥自身は、自分のことを「ハト」だと言い張っている。


 個人的な意見だが、私はあの鳥は日本の「ガン」だと思う。
                          (出典:2ちゃんねる ニュー速+)』

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どう思うかは日頃の情報収集力、理解力によるだろう

ところで、民主党のホームページには小沢問題など完全にスルー。確かにサギだろうな。

印象操作

平成22年01月10日


マスコミの偏向報道について何度も書いているが、人間は感情の動物であり、感情移入してしまったものを信ずる傾向がある。それを利用してマスコミがそれに接する者に対し印象操作を行う事がある。

一つの例として最近始まったNHKの「龍馬伝」第一回に、土佐の上士、下士の激しい身分差別を表現するのに、幼い頃の龍馬が上士の若者を誤って突き飛ばしてしまったとき、その上士の家に引き連れてゆかれ玄関前で手打ちになりかけた描写がある。

また武市道場で共に学んでいた下士の門人が、上士に切り捨てられ、それが只の犬死にとなり、斬った張本人はおとがめ無しとの場面があった。

確かにドラマだから事実とは違う、脚色だ、と言ってしまえばその通りだろうが、大河ドラマ歴史ドラマというのであれば史実を全く無視して良いというものでは無かろう。

当時、確かに士農工商の身分制度があり、切り捨てごめん制度もあったが、その実情は

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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E6%8D%A8%E5%BE%A1%E5%85%8D

概要 [編集]
近世において武士が町人・百姓らから耐え難い無礼を受けた時は、斬殺しても処罰されない。これは当時の江戸幕府の法律である『公事方御定書』71条追加条によって明記されている[1]。

無礼な行為によって武士の名誉が傷つけられる事を制止するための正当防衛的な行為と認識されていた。西洋では近代以前には決闘による名誉回復があった。これに対して日本の切捨御免には支配階層である武士の名誉と威厳を守る事によって武士を頂点とした当時の社会秩序が防衛されると考えられ、こうした観点より切捨御免が認められていたと考えられている。

あくまでも正当防衛の一環であると認識されているため、結果的に相手が死ぬことはあってもとどめを刺さないのが通例である。また無礼な行為とそれに対する切捨御免は連続している必要があり、以前行われた無礼を蒸し返しての切捨御免は処罰の対象となった。

切捨後 [編集]
斬った後は速やかに役所に届出を行うこと
どのような事情があったにせよ、人一人切った責任の重みゆえ、二十日以上に及ぶ自宅謹慎を申し付けられること
斬った刀は、詮議に使う証拠品として検分のため一時押収されること
無礼な行為とそれに対する正当性を立証する証人も必要とされる
など、適用の条件は厳格であった。

証人がいないなど、切捨御免として認定されない場合、その武士は処分を受け、最悪、武士としたまま名誉の死を遂げる切腹も申し付けられず斬首刑を受け、お家断絶の可能性もあった。そのため本人謹慎中は家人及び郎党など家来・仲間が証人を血眼になって探すが、見つかりそうにない場合、体面を保つために評定の沙汰(裁判)を待たずして自ら切腹する者が絶えなかった。無礼討のために刀を抜いたが、相手に逃亡された場合なども武士の不名誉とされ処罰の対象であった。

また、上意討ち・無礼打ちに理不尽を感じた者は、両者にどのような身分差があれど(たとえ上司であっても)、脇差でならたとえ殺すことになっても刃向かうことも許された。むしろ討たれる者が士分の場合、何も抵抗せずにただ無礼打ちされた場合は、国家鎮護守・外敵制征圧(軍事警察力)を担う兵(つわもの)である武家としての「不心得者である」として、生き延びた場合でもお家の士分の剥奪、家財屋敷の没収など厳しい処分が待っていたため、無礼打ちする方・受ける方双方命懸けで臨まねばならなかった。そのため上司が上意討ちをする場合、まず討つ相手に脇差を持たせてけしかけ、刃向かわせてから即座に斬る、という場合もあった。

ただしこのような騎士道的な態度が裏目に出ることもある。尾張藩家臣、朋飼佐平治は路上で町人と突き当たった。佐平治が咎めたのにもかかわらず、町人は無視してそのまま立ち去ろうとした。佐平治は無腰の町人を手打ちにするのを不本意と考え、自らの脇差を相手に渡して果たし合いの形式をとろうとしたが、町人はその脇差を持ったまま遁走し、「余れ佐平治をふみたり(打ち負かす)」と触れ回った。悪評を立てられた佐平治は已む無く出奔を余儀なくされ、武士の一分を立てるために町人の家を突き止め女子供に至るまで殺害するに至った[2]。

また、他領の領民に対する危害行為は、たとえ正当防衛である切捨御免の結果であったとしても、その領民が属する封建領主への敵対的行為とされる恐れがあった。つまり幕府直轄地である江戸で町民に危害を加えた場合は、徳川幕府への反逆行為とみなされる恐れがあった。このため諸藩は江戸在勤者に対し、直接切捨御免には言及していないものの『町民とトラブルを起こさずにくれぐれも自重すべき』旨の訓令をたびたび発した記録が残っている。このため簡単には斬れない事情を知っていた町民の中には、粋を衒ったり、度胸試しのために故意に武士を挑発する言動をする者もいたという。もっとも町人から侮辱を受けたまま何もせずにいたところを朋輩に見られた場合、今度は「臆病者」との謗りを受け、これまた「士道不覚悟」で罰せられることになる。従って武士は街中でこのような恥辱を受ける事を避けるために、供を付けず一人歩きするようなことは避ける必要があった[3]。特に芝居小屋のような、町人と密接な接触が想定される場に足を踏み入れることは、極力慎むことが求められた(もっとも、江戸中期以降にはこのような芝居小屋・銭湯などの大抵の公共施設では刀を預ける刀架所が下足所の横に設けられた)。

以上のように切捨御免は武士の特権としては認められてはいたものの、気ままに実行出来るようなものではなく、正当なものと認定されなかった場合のリスクも高かった為、実際に切捨御免を行い、認められた事案はそれほど多くはない。

主従関係と無礼討 [編集]
主人が不都合をしでかした家来を斬る場合も無礼討(上意討ち)という。この場合の家来には武士のみならず中間や下男下女などの武士以外の奉公人も含まれた(理論的には日雇いの奉公人も対象となった)。主従関係に基づく無礼討ちでは主人が有する家臣への処罰権の行使と考えられたため上述のような厳格な規定は適用されず、殺害自体の刑事責任も問われなかった。但し家来に対する管理能力に問題があるとみなされ「家中不取締」として御役御免や閉門といった処分をうけることもあった。また正当防衛ではなく処罰であるためとどめも行われた。

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つまり無礼打ちといえども斬る方は命に関わる所業であり、現実に幼い子供が無礼を働いたからなどと言って切り捨てたり自分の門前で手打ちになどしたらその家は断絶され本人は処刑される。

また下士を切り捨ておとがめ無しなどあり得ない。さらに、岩崎弥太郎がいやしくも武士でありながらその父がまるでごろつきやくざのように描かれているのも、あれでは史実とは違う。武士はくわねど高楊枝であり、農工商の上に立つものとして常に厳しく律することを義務づけられていたから、武士が内職をすることはあってもあのような商売などしては居ない。

つまり、NHKは当時の日本が如何に野蛮国であったかの印象操作をしているわけだ。多寡がドラマだと言っての言い逃れは通用しないのではないのか。三文テレビの三文芝居だと自ら認めるならいざ知らず、ドラマの後で何とか紀行などと、さも尤もらしく史跡をたどって見せていかにもドラマが史実に基づいているかのように宣伝しているのだ。ドラマ自体の内容に史実とはまるで違う描写があって構わないとは言えないだろう。

NHKはジャパンデビューという番組で訴訟されている。台湾で取材をしながら、発言した人たちの意見をまるで反対の意見であるかのように編集して報道したから、当の台湾人から激しい怒りを買っている。

この顛末はやはりWikiに詳しい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB_%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA_%E3%80%8CJAPAN%E3%83%87%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%80%8D


たとえばこれはNHKに限らないが、時代劇で良く三行半が取り上げられ、昔は女性には何の権利もなかったかのような描写があり、それを本当に信じている人が大勢居る。しかし、三行半は一方的に亭主が書いて成り立つ物ではなかった。

これもWikiだが

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%A1%8C%E5%8D%8A

詳しく説明してあり、女房の方から亭主に突きつけられた三行半も発見されている。

なお、まとまっているのでWikiを出しているが、Wikiには一次資料が明記されているので裏がとれる意味で役に立つ。逆に裏がとれない場合はWikiは信頼出来ない。無礼打ちや三行半、身分制度などは他にも様々な資料があり、Wikiの記述は信頼出来る。

印象操作と言えばお隣の人気ドラマ、「チャングムの誓い」なども、作者自身はほぼ創作であると書いている。しかし、韓国では自国の歴史を正確に伝えていないので、あのドラマで描かれている昔の韓国をそのまま事実として受け入れてしまい、当時から韓国が文明国であって日本の倭寇は野蛮人との印象を持ってしまっている。

これもドラマだから、と言ってしまえばそれまでだが、本来の知識を持っていない人間には真実のイメージとして染みついてしまう。これは日本でも同じ事だ。

以上、マスコミの報道という事ではないが、印象操作という意味では考える必要がある。

インフォメーションとインテリジェンス

日本語では、インフォメーションもインテリジェンスも情報と訳してしまうようだし、むしろインテリジェンスは知性という意味の方が日本では良く知られているようだ。

インフォメーションとは発信者が発するデータそのものを言い、その質は関係がない。どんなに嘘を垂れ流してもインフォメーションだ。一方、多くのインフォメーションの中から、自分で資料を集め検証し、整合的に組み立てた結果をインテリジェンスという。インテリジェンスが知性と言われる所以はそんなことだろう。

アメリカの中央情報局はCentral Intelligence Agencyであって、Central Information Agencyではない。ところで、マスメディアの質が最近とみに落ちているとはネット社会に於いて改めて言われることだ。もちろん、ネット上の情報がどれだけ信憑性が高いかは問題にならない。おそらく垂れ流されている90%以上は嘘だろう。しかし、ネット上の情報が勝れているのは双方向であり、たとえば私のブログでもいい加減な根拠のないことを書き散らせば当然批判が集まるはずだし、(いまはまだそこまで知名度がないが)それに対してまともに答えられなければ、ブログの記事を訂正するしかない。少なくとも、自分が書くことはそれなりに調べ根拠を以て検証しているが、そこは神ならぬ身、それでも間違いや思いこみはあるだろう。だから、正当な批判や反論は大歓迎だし、例え意見が違ってもそのようにコメントをくれる人たちには感謝する。

しかし、他のブログによっては、一切コメントを受け付けない、あるいは管理人の承認制になっていても、意に染まないコメントは排除する場所がある。そのような場所で、ブログ主がどのように高尚な記事を書いていても、おそらくどこからか引き写しただけなのだろうと解釈する。

その意味でレガシーメディア、つまりネットに対して従来のメディアである、新聞テレビ雑誌などは、双方向ではなく、一方的に記事を垂れ流しているだけであり、反論を受け付けない。

ネット上の記事の大半はでたらめであろうが、双方向であり、また自分で検証した上で質問反論が出来ることが大きく違う。その意味で、レガシーメディアがかなり偏っていることを知る次第だ。

たとえば、かつて選挙前、メディアはそろって麻生総理を罵倒した。いわく漢字を読めない、カップ麺の値段を知らない、ホテルのバーで呑む云々。中川氏のもうろう会見も執拗に攻撃した。

しかし、そのころ、鳩山氏は日本人の平均年所得が1000万だとと思っていて、それでもかなり低いと考えていた。菅氏は、55歳で50万の月給になる仕事がないことを知った、と言っている。が、それはマスコミは全く触れない。

いま、民主教徒達はマスコミが民主や鳩山氏や小沢氏を攻撃していると言うが、かつての自民に比べて何が攻撃なのだろうか。鳩山氏の脱税修正申告、故人献金、小沢氏の西松建設がらみはマスコミのでっち上げというのだろうか。

マスコミは事実を最小限伝えているが、その伝え方にどのような意図があるか、冷静に考えてみればよいのだ。

一つの例だが、NHKがジャパンレビューという番組の中で、台湾の人たちの発言を全く脚色して放送し、台湾の人たちから抗議をうけ、集団訴訟に発展している。

毎日新聞はその外信版で日本の女性をさんざんに侮辱しその記事を10年近く垂れ流し、ネットの上でそれが明らかになってからやっと謝罪らしいものをしたが、現実には責任者が社長になっている。

たしかに、中国のメディアと違い日本は報道が自由だ。と言うことは伝えない自由もある。おもしろおかしく売れればなんぼの記事を書きそれについての省略や誇大表現は好きなままにしている。

歴史ドラマなどで史実とは違う描写をしても、それは作り物のドラマだからで済まない場合がある。現実に、報道が厳しく管制されている中国では検証が出来ないために、一方的な政府の発表を鵜呑みにしている面があるし、またそのように教育されている。韓国にも同じ事が言えるが、検証出来る環境にいない人間、または知性を欠いた人間は、インフォメーションをインテリジェンスにする能力がない。そこに強烈な思いこみが生ずる結果になる。

歴史ドラマの例で言えば、今NHKでやっている、坂の上の雲は司馬遼太郎の原作にない日本兵の略奪の場面が出てきて批判されている。確かに、ドラマだから脚色しました、と言えば済むかも知れないが、それを事実として感じてしまう、判断するのではなく、信じてしまう人間が確かにいるのだ。

タレントの遙洋子氏はかつてテレビで南京虐殺は真実かという討論の場面で、証拠がたくさんあるから真実だと思うと発言していて、見ていた私は絶句した。証拠は検証されない限り意味はない。インフォメーションも検証しない限り意味はない。そして、中国は、韓国もだし、戦争中の日本も、そして世界中の国々がかつては証拠やインフォメーションをでっち上げていた。遥氏には検証をする能力も知性もないのだが、それでも評論家を自認しているようだ。

しかし、彼女だけではない。情報が全て正しい、そして、自分が信じたいと思う情報が正しいとする人は本当に沢山居る。

改めて、インフォメーションとインテリジェンスの区別をする必要があるが、それらを区別する日本語がない。普通インテリジェンスは知力とか理解力としか辞書には出ていない。

日本では従来両者を区別する意識がなかったのだろうか。

ところで、当然ながらインフォメーションをインテリジェンスにするためには基本的な読解力、つまり元記事を読んでそれを正しく理解する能力が必要不可欠であるが、この能力が失われて来つつあるのではないかと懸念される。文章を読み解く力が近年弱まってきているとは各所で指摘されているのだ。原因としてあげられるのは、熟年層が第一に本を読まなくなった、活字離れをしている事だ。どこかで読んだのだが、今の高校生は殆どが、月に一冊の本も読まないとか。数字はともかく若年層の本離れは確かに進んでいる。

ただし、ネットや形態で文字に接している機会は増えているから、一概に活字離れが進んでいるとは言いきれないのだろうが、メールやブログ、ツィッターの細切れ文章ばかりに接していれば、長文の読みこなし、理解力にはかなり支障を生じているだろう。

ブログにも私が良く参照している場所や新聞配信や、各種論文などはかなり長文であり、それらを読んでいれば長文読解力も衰えないとは思うが、ただ、気になるのは一つのコメントに対し、かなり多くのレスが感情的、決めつけ、思いこみ、理解をする気がないのに罵倒、といったものが多いのは仕方がないだろう。少数だが、まともに論争の出来そうな人もいる。

ただし、論争とは単に言い負かすことが目的ではないし、建設的な批判反論も当然あるわけで、下手な提灯同調コメントよりはよほど有益だ。反論批判が有ればそれだけ当方の論旨に意味があると言うことだ。最初から論ずるに足りない論旨で有れば、無視されるだけのことだから。

ここではたまたま民主党支持者があつまるサイトを取り上げたが、ここでも例外ではなく、大半のレスは感情的、決めつけ、結論有りき、罵倒だ。しかし、もちろん建設的な批判も反論も、そして同意もある。なにより最初から反民主である私の投稿も受け付けてくれる管理会社の編集部にも敬意を表する。というより、最初から反論は斥けるアグネス・チャン氏等のサイトが異常なのであり、広く意見を集め自由に討論させてこそ、サイトは発展する。アグネス氏のサイトがたんなるミーハークラブで終わっているのは無理もないことなのだ。熱狂的な”おっかのうえ、ひなげしんのはぁなが~”ファンだけが集まればよろしい。

マスコミの嘘を考える

平成22年01月06日

連日民主の馬鹿さ加減を書いていて、私も嫌気がさすが、そんな民主が今に至るまで過半数の支持を集めているのは、ひとえに新聞テレビなどのレガシーメディアが真実を伝えないからだ。前総理のたかが漢字の読み間違い、ホテルで呑んだ、カップラーメンの値段を知らないなどをあれだけ激しく罵倒し揶揄したマスコミが、なぜ鳩山氏がファッションショーに出たり、飲み屋でくだを巻いたり、ママから9億円のお小遣いをもらっていて、僕ちゃん知らなかったもんね、恵まれた家庭の坊ちゃんだから管理出来ないんだもんね、と言っているのを何とも批判しないのか。

小沢氏が韓国で、外国人参政権を来年は実現すると公言したことを、ネットでは伝えているが実際の新聞では伝えていない。高齢者はネットを見ないで新聞を見ているのであれば、小沢氏の売国発言は知らないで終わる。

結局、これだけ国を裏切る民主党に未だ過半数の支持が集まっているのは、マスコミにだまされたということだろう。

最近ネットで話題になっている画像がある。週間赤非の中吊り広告だが、そこの見出しを載せる。




三ヶ月後


週刊赤非 2009年9月18日号 見出し

 国民の暮らしがこんなに変わる! 民主党政権1年後のニッポン
 
■政権交代の経済効果は2兆円超で日経平均株価1万3千円突破!
■大企業の下請け「いじめ」が激減し、所得は底上げ
■公共事業のムダ撲滅で仕事のないゼネコンは海外へ脱出

三ヵ月後

週刊赤非 2009年12月18日号 見出し

 景気 株価 雇用 給与 為替 物価・・・どうなる? 民主党不況で大失業時代へ
 
■製造業派遣禁止、「コンクリートから人へ」政策で雇用は不安定化
■暫定税率廃止、高速道路無料化でデフレが深刻に
■参院選と米中間選挙で株価は波乱模様
■子ども手当も"焼け石に水"のマイナス成長・・・・・
■榊原英資 国の借金を恐れず大金をバラまけ いまこそ日銀はデフレファイターになれ!

私も子供の頃は新聞に書いてあることは本当のことだと思っていた。誰かと喧嘩をしても新聞に書いてあったから本当だと言うのが最終的な決着を付けた。しかし、少し大人になってから、一つのことを扱っても新聞社により真反対の報道をしている事実を知り、またA社が伝えてもB社が伝えていない報道があることも知り、新聞からは本当のことは分からないのだと理解した。つまりインフォメーションだけでは事実は分からず、自分で積極的に調べ裏を取る、すなわちインテリジェンスでなければ事実には近づけないことを知った。インテリジェンスとは、日本語では知性と訳されるのが主になっているが、確かに事実をきちんと知る能力がインテリジェンスなのだと納得したわけだ。

インテリジェンスで言えば国を売り続ける民主を、支持した国民が多いから民主が政権を取ったのだが、それを誘導したマスコミも又国を売っていると言っていい。単純に考えて、母親から9億円ももらっていながら、それに気が付いていなかったと主張する鳩山氏の言葉が本当に信じられるのだろうか。もし、それが本当なら、それほど管理能力のない人間が総理大臣になっている危険性を、民主支持者は考えないのだろうか。

メディアは、鳩山氏の言葉をそのまま伝えているだけで、批判も罵倒もしていない。ほんの数ヶ月前、文字を読み間違えただけで前総理に浴びせた罵声は何だったのだろう。このようなマスメディアの言葉を信じてマスメディアが正確に民主の政策や行動を伝えていると思えるのだろうか。その結果が、大量の民主支持であり、民主の政権奪取だった。

ちなみに、マスメディアの選挙前予想では民主が大量得票するとさんざん伝えられ、それが自民離れに拍車をかけたのは紛れもない事実であり、また実際民主は自民の3倍の議席を得た。しかし、得票率では、自民と民主の差は9%に届いていない。これは、小選挙区制の、すなわち勝者の総取りがもたらした結果であり、正しい民意を伝えていないともいえるが、しかし、精度として決まっていることだからそれに対し苦情を言っても仕方がない。しかし、選挙前に、マスコミがそろって前総理を口汚く罵り、政策を批判し、実際に効果を上げている政策については完全に黙殺した。ちなみに、自民の経済刺激策、例えばエコポイント制などは確かに消費を押し上げ、GDPを持ち上げている。

逆に、前述の赤非のように、民主政権で日本は大きく経済が伸びるとブチ上げ、多くの日本人がそれにだまされ民主に票を入れた。マスコミは、自民と民主に公平だったろうか。それに気が付けば、マスコミが真実を伝えないことも理解出来るはずなのだが。

未だに民主が本当にすばらしいと信じているなら、そんなことを信ずるなと言うことは出来まい。だが、マスコミにだまされて民主を信じたのなら、今からでも本当に民主は日本の国益を守っているのかどうか、考え直した方がよい。

とはいえ、二階問題を解決出来ない自民に希望を託せと言ってもそれは無理だろう。自民の腐敗は事実であり、それに嫌気がさして自民離れが起きたのも疑いもない事実なのだから。わたしも自民は信じられない。しかし、民主は明らかき危険な政党であり、だからこそ民主は排除しなければならないと思っている。どうしても二者選択を迫られるなら、自民しかないか、と言うのはそのためだ。願わくは、民主と自民からまともな議員達が大量に離れて第三の保守政党が出来、民主から政権を奪回することを望む次第だ。

最近、日本に於ける対韓国意識が過去で最高に向上したと報道されている。日本人の63%が韓国に好感を持っているそうだ。そもそもこの統計自体がかなりいい加減であることは前にも書いたが、お隣同士、仲良くすることはよいことではないか、と言う人も多いだろう。しかし、この好感度アップが、情報操作による物であれば、後に百年の悔いを残す。

韓国が実際に日本に対して何をしているか、中国が何をしているかの事実をマスメディアは伝えていない。マスメディアの情報操作は日本国内の選挙だけではない。