平和教育の危うさ 再掲

下記はこのブログを開設して2番目に挙げた2009/12/22付けのエントリーである。しかし、かつてサ-バーの不具合の時、初期のエントリーを消してしまった。そこで、昨日の「実際の中国の脅威」に対し、補足の意味で再掲する

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平和教育の危うさ

普通の人間であれば、誰でも戦争はまっぴらだという。だから、戦争は如何に悲惨であるかを子供達に教え込む。おそらく世界中でそのような教育をしているだろう。だが、その方法に於いて、おそらく日本は世界でも希有な教え方をしていると思える。

1)日本では、戦争は悲惨だから二度と戦争をしない決心をしなければならない、と教える。

2)ほとんどの外国では、自分たちがこのような目に遭わないためには、自分たちに戦争をしかける可能性のある国に対し、十分な軍事力を持って、相手にそのような気を起こさせないようにするべきだ、と教える。

3)さらに、自分たちが世界を征服してしまえば、戦争はなくなる、と教える国もある。

このように見てみると、日本の平和教育が如何に危ういものであるか、理解出来るのではないだろうか。犯罪は悲惨な結果を生むから止めようと言うなら、犯罪者が心を改めれば犯罪はなくなる。しかし、戦争は自分がしないと決心しても、相手が同じ決心をしない限り戦争は無くならない。したがって、日本の、戦争は悲惨だから二度と戦争をするのは止めようと言う教育では、戦争は無くならない。

核武装の項でも書いたが、日本だけが非核の誓いを立てても世界から核は無くならない。それどころか、日本に核攻撃をしても日本からは核による反撃はないと宣言していることになるが、現実に核による先制攻撃を公言している国、そして日本に対し多数の核ミサイルの照準を合わせている国がある以上、日本は絶対に核を作りませんと公言することで日本の安全はますのだろうか。

非戦の誓いも同じなのだ。日本は絶対に戦争をしません、と宣言すれば、日本を攻撃しても反撃はないと考えるのは当然だろう。いや、防衛戦争ならする、との反論も有ろうが、日本の場合まともな防衛も出来ない。例えば敵が日本に対して明らかな戦争準備をしていても、現実にミサイルが飛んできてからそれを打ち落としたり、また敵のミサイル基地を攻撃する能力がないのでは、近代戦では防衛力にならない。小規模な戦闘であれば直接日本に攻めてくるかも知れないが、大規模戦ではかならず海上封鎖、そしてミサイル攻撃が主となる。

その双方に対し、反撃能力がないのがいまの自衛隊の能力と言っていい。迎撃ミサイルで無数に飛んでくるミサイルを全て迎撃するなど不可能であり、また現実に船舶被害が出ない限り反撃出来ないのでは海上封鎖に対抗することは出来ない。攻撃を受けてから反撃するだけの専守防衛、すなわち攻撃力を伴わない防衛力は理論上存在しない。

ミサイル基地をミサイル発射以前に破壊し、また相手の艦船を探知し破壊する能力がなければ無理なのだ。今の自衛隊に出来るのは敵国の嫌がらせに対して止めてくれ、と言うだけのことだ。

防衛とは攻撃能力を持って初めて意味を持つ。攻撃は最大の防御というのは伊達ではない。

今の自衛隊の規模は世界でも有数だし、技術的にもトップクラスだ。武器の性能も悪くはない。しかし、法律上の足かせ故に、それを活かす戦略をもてない。そのような日本が防衛以外の戦争をしないと宣言することが如何に危険であるか、現実離れをしているか理解出来ないだろうか。

戦争は、自分の決心だけでは無くならない。非核も自分たちだけの決心では、他国に核攻撃のチャンスを自ら与えているようなものだ。

現実に、日本の自衛隊が防衛力さえ持っていないのは単に法律の問題であり、技術的にも能力的にも法律が変われば瞬時に効果的な防衛力を持てる。実際、ICBMを持っているのはアメリカ、ロシア、中国のみだが日本も技術的にはすでに持っていると見なされている。

すなわち、ICBMとは数千キロから1万キロ以上の射程距離があり、一度大気圏外に出てから目標点近くで再突入し、その際の大気との摩擦熱から弾頭を守り、確実に目標点を叩く技術が必要だ。

次に、ICBMは発射準備に時間がかかるようでは先制攻撃でつぶされるので、すぐに発射出来なければならない。すると、現在では固体燃料ロケットが標準となる。一部液体ロケットによるICBMもあるが、液体燃料を長い間ロケットに入れておくと腐食などで保たないので通常は発射間際に燃料を注入する。これでは発射準備に時間がかかりすぎる。もっとも、改良されて液体燃料をミサイルの側に常に置いて、短時間で注入する技術も開発され、この点はあまり問題にはならなくなったとされている。

しかし、なぜICBMが液体燃料だったのかというと、固体燃料では大型化しにくく、また制御が出来ないと言う問題があったからで、これらが解決されるなら、いつでも発射出来る固体燃料ロケットが優れている。

日本の場合、世界最大の固体燃料ロケットがあり、衛星打ち上げに使っているので制御も十分精密に出来る。また大気圏に再突入する技術も確立している。第一、衛星打ち上げが出来るロケットとは事実上無限の射程距離を持っていることになる。これが、事実上日本はICBMを持っていると見なされている理由だ。

核弾頭も、日本にはすでに一千発以上の弾頭を作るだけのプルトニウムがあり、濃縮も出来る。また核弾頭開発には実験が必要不可欠と言うが、インド、パキスタンなど、従来核開発をしたとしょうされるそれらの国々は一回目の試験で成功している。つまり、事実上、核実験はいらないのだ。

インドパキスタンイラン北朝鮮が核弾頭を開発出来るなら、日本には全く技術的困難はないと言って良い。

だから、日本は核兵器を最長6ヶ月、最短、1ヶ月ほどでもてるとも言われ、日本は潜在核保有国と見なされている。一部には、日本がすでに核兵器を持っていながら、それを公式に認めていないだけだという意見さえ有る。

結局、日本には技術的能力的に戦争遂行能力があり、一度日本が決心すれば瞬時に日本は強大な軍事力を持つ状態にあるから、日本のような専守防衛がそのまま受け取られていないだけのことだ。仮に、日本が本当の小国並みに戦力、技術力が無くて最大限の力を発しても他国からの攻撃を阻止出来ないなら、日本の専守防衛はそのまま受け取られるだろうが、それがどれほどの危険かは少し考えてみればよい。日本は、一度支配しその技術資産をもし手つかずで手に入れられるなら、これほど攻撃目標になりやすい国はない。

その日本が本当に、何があろうと戦争をしないと決心をするなら、それは日本人全てが座して死を待つ決心をし、そして自衛隊を解体して初めて本当になる。現実には、日本人の圧倒的多数が自衛隊を認めている。

そもそも、自分たちが戦争をしないと決心すれば戦争が無くなるなどと教える国は日本以外無いだろう。世界の大半は、強力な軍事力を有することで相手に戦争をしかけさせないことで戦争を防ぐべきだと教えている国が大半であり、さらに、世界を全て自分たちと同じ価値観にするまで戦争を続けるべきと考える一部のテロリストもいる。

いま、そのようなテロリストは少数かも知れないが、確実に存在し、無差別に攻撃をし、そしれそれが大国の軍事態勢を揺るがす有益な手段となっているのだ。そして、現実には、もし自分たちと価値観の違う、あるいは逆らう国を世界から一掃してしまえば、永久に戦争はなくなると考えるのは、或意味非常に合理的と言える。まして、支配した人間達を圧倒的な恐怖、無知、宗教の戒律などで縛り付けてしまえば恒久的な世界平和が訪れる。

イスラム原理主義の過激派だけではなく、中華思想を捨てきれない中国、マニフェスト・デスティニーの名の下に世界中で戦争を繰り広げるアメリカもまた同様の思想を持っているといえる。すなわち、強大な武力こそ平和をもたらすと言うのが世界の常識なのだ。日本の理想は理想。しかし、口では同調しても行動を日本と共にする国はない。

また、日本人が勘違いをしているのは、戦争でも民間人を殺すのは悪だと考えていることだ。戦争自体が悪なのであり、戦争になれば相手国の民間人を多数殺害することは相手国の厭戦気分を引き出し、戦争を遂行させる産業力の基礎を破壊する事につながるので、積極的に一般人を殺戮する作戦もあるのだ。それが、アメリカによる原爆であり大空襲だ。アメリカはあれは戦争を早く終わらせるための正当な作戦であったと未だに主張している。

戦争が悪なのであり、それをさしおいて民間人は殺してはならないとの理屈は基本的に成り立たない。たとえ日本が戦争にあたりそのような作戦を採ろうが、相手は必要となればためらいなくその戦法を取る。戦争は悲惨でありするべきではない。その意見に反論する人間は居ない。

だが、どうすれば戦争が無くなるのかは、日本だけが、自分たちが戦争をしなければよいと教育している。日本以外では、戦争を相手に起こさせないだけの力を持つ必要があると教える。

世界の歴史をみて、どちらがまともで整合的か言うまでもないだろう。

先日の原爆記念日、非核を主張する被爆者がテレビで、どうすれば世界から核が無くなるでしょうか、という子供の質問に対し、世界中の国が核を捨てる、開発しない、もたないと決心をすれば核が無くなる、と答えていた。これでは単なる願望であり、実際の答えにならない。今の日本の被爆者が二度とこんな目に遭いたくない会わせたくないと主張する気持ちは理解するが、世界中が持たないと決心すれば核はなくなる、などと言っているレベルなら、世界から核は絶対に無くならないし、むしろ核は増えるし、そして日本が核攻撃の対象になる危険性も増す。

平和教育は必要だ。戦争の悲惨さを教えるのも大切だ。だが、どうすれば戦争が無くなるのかについても具体的に、たんなる脳内お花畑の妄想願望ではなく現実的な方法も教育しなければ、危険が却って増すことも考え、主張してゆかなくてはならないのではないか。

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コメント

私もチョッと書こうかな、

> たかおじさん様、

「平和教育の危うさ」、御説の通りと思います。で、お書きになられてから3年経っておりますので、更に深めてまとめられたら如何でしょうか。

小生なりに簡単に述べますと、

先ず、適正な平和教育は必要であり、日本でL鳩山氏や日教組が叫んでいる平和教育が誤ったものである事を明確に認知させるべきと考えます。つまり、「誤った平和教育がもたらす危うさ」です。

で、真の平和教育とは何か? その定義を明確にすべきでしょう。

小生なりに考えれば、それは 「平和を求め維持する姿勢と方法を学ぶもの」とでも言いましょうか、必ず現実を直視した方法論が入るべきと考えます。
そして、平和を求める姿勢が相互に尊重されて、初めて平和と言うものが維持されると云う事、及びその姿勢は行動によって示されると云う事を強調すべきと考えます。

これらを具体的に展開しますと、他国を軍事力にて威嚇しない(侵略戦争否定)、自国を軍事力から守る能力を明示する(防衛力の顕示)がその姿勢し示す行動であると。

これらの行動が無く、他国に尊重されなくなった時が平和が維持できなくなると明確に教えるべきなのです。 自国の安全保障体制をキチンと整備しない姿勢は、相手国の野心や冒険主義を刺激します。 例えば戸締りをキチン行う姿勢が無い事は、泥棒を招いたり、造り出してしまう事だと教えるべきなのです。

従って、無能な防衛大臣を任命する事それ自体が、日本の平和を求める姿勢が尊重されなくなる元であり、安全保障の低下を招くとまで認識させる必要があります。 この、相手国に尊重される、つまり「国際社会における平和がどの様なものかキチッと認識しているとの姿勢」が最も重要なファクターと教えるべきなのです。

以上、お粗末さまでした。

私もチョッと書こうかな、

>2012-04-20 10:44 | ムフフ様、

>「平和教育の危うさ」、御説の通りと思います。で、お書きになられてから3年経っておりますので、更に深めてまとめられたら如何でしょうか。

確かに補足は必要ですね。基本は何年経っても変わらないはずですが、状況としては明確に中国がその対象になることをもっと明確にすべきと。

>先ず、適正な平和教育は必要であり、日本でL鳩山氏や日教組が叫んでいる平和教育が誤ったものである事を明確に認知させるべきと考えます。つまり、「誤った平和教育がもたらす危うさ」です。
>
>で、真の平和教育とは何か? その定義を明確にすべきでしょう。

おそらく、これが全く理解されていないのでしょうね。とにかく戦争をしない、何があっても戦争をしない、だから武器を捨ててしまえば戦争をしないで済むというあり得ない理論が平和教育に用いられてきたのでしょう。

一つにはガンジーの無抵抗主義の抵抗が日本では理想的な姿勢として一時期執拗に喧伝された時期がありました。しかし当時のインドは、抵抗しようにも全く抵抗出来る状態ではなかったし、またイギリスもインド絶滅計画を持っていたわけではありません。

>小生なりに考えれば、それは 「平和を求め維持する姿勢と方法を学ぶもの」とでも言いましょうか、必ず現実を直視した方法論が入るべきと考えます。
>そして、平和を求める姿勢が相互に尊重されて、初めて平和と言うものが維持されると云う事、及びその姿勢は行動によって示されると云う事を強調すべきと考えます。

そうですね。日本では、何か異常なことがこじれると戦争になり、何もなければ平和が保てるのだから、その異常事態を普段から抑えておけばよいと考えますが、それは日本のような社会で成り立つこと。世界の一般常識では、何か特別な努力をしない限り戦争になるのが当然なのであり、平和は努力の結果であるとの根本的な認識の違いがあります。

>これらを具体的に展開しますと、他国を軍事力にて威嚇しない(侵略戦争否定)、自国を軍事力から守る能力を明示する(防衛力の顕示)がその姿勢し示す行動であると。

そうですね。侵略戦争否定は大切ですが、他国も同じ価値観を持っていると考えること自体が破滅的です。

>これらの行動が無く、他国に尊重されなくなった時が平和が維持できなくなると明確に教えるべきなのです。 自国の安全保障体制をキチンと整備しない姿勢は、相手国の野心や冒険主義を刺激します。 例えば戸締りをキチン行う姿勢が無い事は、泥棒を招いたり、造り出してしまう事だと教えるべきなのです。

はい、普通の国では、置き引きにあっても自分できちんと管理していないからだと説教されます。警察では一応犯人は探すけれど期待するな、アホ、余計な仕事持ち込みやがって、というような顔をされます。経験者は語る。

でも落とした財布、戻ってきましたがね、ホテルに電話があったんです。金だけ抜き取られていましたが、中に必要な物がたくさん入っていたのでそれだけでも助かりました。

>従って、無能な防衛大臣を任命する事それ自体が、日本の平和を求める姿勢が尊重されなくなる元であり、安全保障の低下を招くとまで認識させる必要があります。

民主党には無理でしょう。無能な人間しか居ません。あの枝野大臣の無能振りなど、ボロを出さない能力以外は悲惨ですよ。田中大臣の無能振りを見抜けないであんな人事をする連中ですから。さすがにキジルシ鳩には参っているようです。

余談ですが、ベトナムに行って、例の平和の海論を展開し、相手の外務大臣に、オタクも尖閣で中国と揉めてるんでしょ、余りそう言うこと言っちゃいけないよ、坊や、とたしなめられたとのこと。ベトナムは南沙諸島で中国と一触即発ですから。あれを観た後は、田中大臣など、あれよりゃ増しだと思えて仕方がありません。

さて、閑話休題

 >この、相手国に尊重される、つまり「国際社会における平和がどの様なものかキチッと認識しているとの姿勢」が最も重要なファクターと教えるべきなのです。

悪いことに、日本人は自分たちの平和を求める姿勢は世界に認められ、世界はいずれ日本とおなじ道を採ると信じています。長崎市長などその典型でしょうね。

>以上、お粗末さまでした。

ほんとです。今の平和論を聞く度に疲れが噴出してきます。

行為教育

私達が子供から思春期を過ごした頃には、先生は野良犬や猫であったのですが、その後に学校で性に関する教育をすべきとの事で所謂「性教育」が叫ばれ出しました。
ところが、何を勘違いしたか、その実は私の表現で云えば「性行為教育」で、どうすれば赤ん坊が出来て、何処から産まれるとかを人形で説明すると云う馬鹿丸出しのものでした。
そんな事は近代教育が普及する以前から、いや放射線の存在する中で生物が発生して以来、連綿と続けられて来た事で、種の継承こそは全ての生物の基本命題故に当然です。
本来あるべき性教育とは、性差を正しく認識させる事であり、実際に腹の中で命を育み、時によっては命懸けで産み、免疫物質を添加した液体食糧まで備える女性と、風や虫などによってテキトーにあちこちに飛んで行く定めの花粉たる男性とを、その本質に由来する心理や行動特性の差として相互に理解を深めて、円滑な社会運営に資するものでなければなりません。
性行為については教育などせずとも本能に組み込まれており、民間の副教材も古来より時代に即した形態で提供され、何も改めて堅苦しく学校ですべきものではありません。

さて、この性教育と性行為教育の違いと誤った実践は、そのまま平和教育と平和行為教育に当て嵌められます。
男女差に該当するものは、性善文化か性悪文化か、イデオロギー、宗教観から地勢他の違いなどであり、これを理解せねば、いくら平和行為を叫んでも独りよがりとなって、円満な社会運営に資する事にはなりません。
平和行為もまた、性行為と同じく相手構わずしろと言われても出来ない相手がいるのです。

行為教育

>2012-04-20 13:08 | あづまもぐら様

あ、性教育と平和教育ですか。確かにあい通じる物がありますね。つまり、相手のあること、一方的な思いこみで相手がそのように行動すると決め付ける危険性です。

去年、連続強姦罪で捕まった男が供述した言葉に、子供の頃から父親や親戚の男達と一緒に女性を襲っていて、女性は力尽くで強姦されると内心喜ぶものだと思っていたと言うのです。

実際、どんな女性も最後は抵抗をしなくなるので喜んでいるのだと思っていたとのこと。

これがこの男に為された性教育だったわけです。

ご指摘の人形まで使ってのエロ教育を性教育と思いこんでいた馬鹿共もさることながら、自分が平和を願えば相手もそう思うはずだと教え込む平和教育も似たような物でしょう。

女性は力尽くで犯されても最後は喜ぶと思っていたという男もしたがって、自分が悪いことをしたとは思っていず、あくまで捕まったのは女性から金を奪ったからだと考えていて、強盗は罪だが強姦は問題ではないと信じていたのと、同じ事が平和教育における中国やロシアにも言えます。ある意味アメリカにも言えるでしょう。

中国も別に戦争をしたいわけではなく、平和を望んでいます。ただし、その平和とは、世界の全てが中国の要求を受け容れ、逆らわなくなれば戦争など無くなるので、平和になるではないかと言うものですね。

このような相手と、互いの相違点は話し合いで解決しよう等と考えても全く無駄です。彼等は自分たちの考える平和のためには、不満を言う者逆らう者を徹底的に排除する事が必要だと考えており、そのためにはプロパガンダ、ハニトラ、声闘、謀略などありとあらゆる手段を排除しません。また大きな戦争を避けるためには、粛正、弾圧、ジェノサイドも否定しません。

その意味で、中国は古代から平和を目指していたのはよく分かります。しかし、このような者達と共存は出来ません。排除はしなくとも従わせなくとも、常に対峙しなければならず、その背景は理論やりそうではなくて力です。そうすれば、彼等の平和ではなく私達の望む平和が得られます。

日本人が思っている、何もなければ平和ではなく、何もなければ戦争というのが世界の常識です。ロシアもアメリカも、他の国全てがそうです。近代ほとんど戦争をしていない永世中立国家のスイスが、あのサイズにして強大な軍事国家であることもそのためです。

平和は努力をし、血を流して獲得するものとの教育が日本では全く為されません。

日本の風土がそうさせるとは思いません。かつて日本は清、ロシア、アメリカ、西欧の侵略を避けるために最大の努力をし干渉をはねつけました。

戦後今のようになったのは明らかにアメリカの政策でしょう。が、戦後はアメリカが強大な力を持っていたからそれでも良かったのでしょうが、今は状況が違います。

アメリカも身勝手ですが、そんなことを言っても仕方が無く、自らを守らない者は守る価値がないと今更言うな、と言っても仕方がありません。

とにかく、平和を得るためには力がいる、これにつきます。むしろ中国の方がこの点では極めてまともです。

>平和行為もまた、性行為と同じく相手構わずしろと言われても出来ない相手がいるのです。

確かにその通りですね。蜘蛛やカマキリは性行為の最中に雄を食いますし。

No title

危険なのは

原理原則がなく、場の雰囲気で
主張も理念も教育もコロコロ変わり
全体にくっついてゆく習性のある

この国の人達ですよ。

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