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南京虐殺は完全な捏造

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例の河村発言が未だに尾を引いている。中国では、南京虐殺は日本政府も認めた事実であり、また日本内部からも批判が上がっていると伝えている。中国としては、下手に騒ぎを大きくしたくなく、河村発言を指示するのは日本でも特殊な一部の極右のみだと言うことにして、日本政府は認めているのだから、余り騒ぐなと国民に言っているのだろう。

たとえば「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて―元兵士102人の証言」を書いた松岡環氏のことを採り上げているが、彼女は別に日本の代表ではないし、本の内容には極めて偏った記述が多い。たとえば、証言が正しければ、11才の兵士がいたことになる。

証言者が全て匿名であり、その内容をどのように検証できるのか。一方、南京虐殺は無かった証言している何人かの元兵士の処へは匿名でもないのに一切証言を求める依頼はなかったとされる。

しかし同様の記事を書く新聞があった。琉球新報なのでさもありなんと思うが、

赤文字は引用


琉球新報記事

南京虐殺否定発言 歴史の歪曲許されない

 この発言を、南京大虐殺記念館館長が「でたらめな話」と強く批判。姉妹都市提携を結んでいる南京市は、名古屋市との交流を当面中止した。
 
 つまり南京市の著地が恰も正しいかのような書き出しだ。なにしろ、でたらめな話と批判した虐殺記念館の館長の言葉をその理由としているのだから。

 日本政府は南京大虐殺の事実を認めている。さらに、2010年の日中歴史共同研究報告書で虐殺の「事実」は確認済みだ。
 
 これについては後述するが、南京虐殺など一切認めていない。

 しかし、犠牲者数の違いを持ち出して、南京大虐殺そのものを否定するようなやり方は無理がある。それに歴史認識や事実を正すのは、研究者の仕事であり、学問の世界に政治が介入してはならない。
 
 犠牲者の数がどうでも良いなら、他の内容が信じられるのか。100人の殺戮なら可能だったろうが、10万人の殺戮は不可能なのだ。それでも30万人という数に矛盾があるのを採り上げるのが間違いなのか。

 ことしは日中国交正常化40周年。日中共同研究で示された共通認識を踏まえ、両国の信頼をいかに深め、どのような未来志向の付き合いをしていくのか。その方向性を示す役割こそ、政治の使命ではないか。
 
 強盗の言いなりになることが正しいつきあいではない。正しいつきあい方とは、国益をきちんと確保しながら、必要に応じて譲歩し合うことだが、琉球新報は何を以て未来志向の国家関係だというのか。
 
 
この記事にある2010年 日中共同研究報告書について少し書いてみたい。

この共同研究の序文には、日中の二千年余に及ぶ交流の歴史から説き起こし近年のごくわずかに時間を覗いて両国関係は親密であった。一衣帯水の両国関係の改善を目的として共同研究を行った旨がある。

しかし、この共同研究が報告された時期から様々な異論が発せられた。問題は、まず中国側が自分たちの主張を絶対に曲げないこと、それにより、日本が結果として譲歩させられた面が多いと観られることがある。

中国側が絶対に自分たちの主張を曲げないのはそれが国家政策であり、学者の使命は国家の主張を裏付けることだけにあり、真実を明らかにすることではない。仮に日本側の主張を受け容れることになれば、国内で社会的地位を失い、弾圧の対象になりかねないからである。

故に、思想言論の自由のない中国との論争は成り立たないのだ。

たとえば、日本側は日本兵による非道があったと言っているが、現実にそれが立証されたわけではなく、極限状態の戦場ではそのようなことがあり得るという以上の具体的な指摘がない。

具体的と言えば、ここに記されている南京虐殺事件の全てに対し、具体的な指摘が無く、さらに証拠とされるものがほぼ何かの書籍による傍証でしかない。書籍は度のようにでも書けるし、アイリス・チャンの「The Rape of Nanjing」の様に全ての写真が捏造であると指摘されながらそれに対する具体的な反論がないケースがほとんどだ。

むろん、当時の記録が一次資料になるのだろうが、後述するように当時の一次資料には全くと言っていいほどの南京虐殺事件に関する記述がない。

さらにこれも後述するように、20万ー25万とされる当時の南京において、30万名が虐殺されたという矛盾についても全く答えていない。日本側で数万という数字ならあり得たという説に対しても、実際にそれが物理的に可能であるかどうかは状況を考えてみれば極めて不自然であり、精々あっても数百名であり、その多くは便衣兵や犯罪者の処刑であったと考えられる。戦場においては、逮捕即処刑は当たり前だった。

そして、戦闘に巻き込まれた、巻き添えで死んだ南京市民も居たかもしれない。それに本当の日本兵の犯罪があったとしても、組織ぐるみの虐殺とは言えないだろう。

下記は、日中共同研究報告の南京虐殺事件に関する抜粋だが、

「4)南京攻略と南京虐殺事件

参謀本部では河辺虎四郎作戦課長に加え多田参謀次長らが、さらなる作戦地域の拡大に反対していた。部内では制令線を撤廃し、南京攻略に向かうか否か激論となった。結局、中支那方面軍の再三の要求が作戦部の方針を南京攻略に向けさせた20。

11月15日、第10軍は「独断追撃」の敢行を決定し、南京進撃を開始した。松井中支那方面軍司令官もこれに同調し、軍中央を突き上げた。参謀本部では多田参謀次長や河辺作戦課長が、進行中のトラウトマン工作を念頭に、南京攻略以前に和平交渉による政治的解決を意図していたが、進撃を制止することは困難であり、12月1日、中支那方面軍に南京攻略命令が下った。12月10日、日本軍は南京総攻撃を開始し、最初の部隊は12日から城壁を突破して城内に進入した。翌13日、南京を占領した。

この間、中国政府高官は次々に南京を離れ、住民の多くも戦禍を逃れ市内に設置された南京国際安全区(「難民区」)に避難し、また、日本軍に利用されないために多くの建物が中国軍によって焼き払われた21。

国民政府は11月中旬の国防最高会議において重慶への遷都を決定したが、首都南京からの撤退には蒋介石が難色を示し、一定期間は固守する方針を定めた。首都衛戍司令官に任命された唐生智は、当初は南京の死守方針であり、松井司令官の開城投降勧告を拒否したが、12月11日、蒋介石から撤退の指示を受けると、12日に各所の防衛指揮官に包囲突破による撤退を命じた22。しかし、計画通り撤退できた部隊はわずかで、揚子江によって退路が塞がれ、中国軍は混乱状態となり、多数の敗残兵が便衣に着替えて「難民区」に逃れた23。
中支那方面軍は、上海戦以来の不軍紀行為の頻発から、南京陥落後における城内進入部隊を想定19 井本熊男『作戦日誌で綴る支那事変』芙蓉書房、1984 年、161-79 頁。

20 南京戦史編集委員会編『南京戦史』(増補改訂版)偕行社、1993 年、17-20 頁。
21 孫宅巍主編『南京大屠殺』北京出版社、1997 年、72-73、83 頁。笠原十九司『南京事件』岩波書店、

1997 年、120 頁。米国メディアの報道(南京事件調査研究会編訳『南京事件資料集1 アメリカ関係資

料編』青木書店、1992 年、387-388、390、394、431-432、473-475 頁など)。
22 唐生智「南京防衛の経過」(南京戦史編集委員会編『南京戦史資料集Ⅰ』(増補改訂版)偕行社、1993年)623-26 頁。蒋介石の南京死守作戦の強行は、ソ連の軍事的介入を期待していたため、とする指摘

もある(笠原十九司「国民政府軍の構造と作戦」中央大学人文科学研究所編『民国後期中国国民党政権の研究』中央大学出版部、2005 年、281-82 頁。前掲、楊「1937、中国軍対日抗戦の第1 年」116-18頁。前掲、楊『我尋真実的蒋介石』240-41 頁)。

23 唐司令官は、陣地の死守を命じ揚子江の無断の渡河を厳禁し、違反者は武力で制圧したため、同士討ちが始まり、多くの兵士が徒死するにいたった(前掲、孫宅巍主編『南京大屠殺』70-71、76、78 頁。

臼井勝美『新版 日中戦争』中央公論社、2000 年、83-85 頁)。7して、「軍紀風紀を特に厳粛にし」という厳格な規制策(「南京攻略要領」)を通達していた。しかし、日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺行為の犠牲者数は、極東国際軍事裁判における判決では20 万人以上(松井司令官に対する判決文では10 万人以上)、1947 年の南京戦犯裁判軍事法廷では30 万人以上とされ、中国の見解は後者の判決に依拠している。一方、日本側の研究では20 万人を上限として、4 万人、2 万人など様々な推計がなされている24。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している25。
日本軍による暴行は、外国のメディアによって報道されるとともに、南京国際安全区委員会の日本大使館に対する抗議を通して外務省にもたらされ26、さらに陸軍中央部にも伝えられていた。その結果、38 年1 月4 日には、閑院宮参謀総長名で、松井司令官宛に「軍紀・風紀ノ振作ニ関シテ切ニ要望ス」との異例の要望が発せられたのであった27。

虐殺などが生起した原因について、宣戦布告がなされず「事変」にとどまっていたため、日本側に、俘虜(捕虜)の取扱いに関する指針や占領後の住民保護を含む軍政計画が欠けており、また軍紀を取り締まる憲兵の数が少なかった点、食糧や物資補給を無視して南京攻略を敢行した結果、略奪行為が生起し、それが軍紀弛緩をもたらし不法行為を誘発した点などが指摘されている28。戦後、極東国際軍事裁判で松井司令官が、南京戦犯軍事法廷で谷寿夫第6 師団長が、それぞれ責任を問われ、死刑に処せられた。一方、犠牲が拡大した副次的要因としては、中国軍の南京防衛作戦の誤りと、それにともなう指揮統制の放棄・民衆保護対策の欠如があった29。南京国際安全区委員長のジョン・ラーベは、唐司令官は「無分別にも、兵士はおろか一般市民も犠牲にするのではないか」と懸念し、中国国民の生命を省みない国民政府・軍首脳の無責任さを批判していた30。

さて、首都南京の占領は「勝利者」意識を日本の朝野に広め、事変の収拾方策や和平条件に大き24 秦郁彦『南京事件』中央公論社、2007 年増補版、317-19 頁。」

さらにこの報告書の結びでは、日本が中国で行った非道を認めることが日中友好の基本であるとの言葉がある。

「また、日中全面戦争は、双方の軍人だけではなく、とくに中国の非戦闘員に多くの犠牲を強いることになった。非戦闘員の犠牲の多さや日本軍による様々な「非違行為」は、戦後の日中両国民のなかに、新しい関係構築を妨げる深い傷跡を遺すことになった。国交回復を実現した72 年の日中共同声明において、中国政府が「戦争賠償の請求を放棄する宣言」を明記したにもかかわらず、細菌ガス使用問題、戦場における慰安婦問題、日本軍の遺棄兵器問題、中国人労務者の強制連行や強制労働問題など、日本軍による戦争犯罪を問い、戦後補償を求める運動が世代を超えて展開され、日本政府を相手とした裁判が今日まで続いていることは、そのことを物語っている。」

確かに日本軍は中国で戦争を行い、そのために大きな被害を受けた中国人はたくさんいるだろう。それも理不尽な被害と思い、日本を憎む中国人がいることも承知している。が、個人の恨みはその通りとして、国家間の戦争はもともとそう言うものなのだ。

なぜ中国は戦争でもないのに(アヘン戦争は正式には戦争とも言えない一方的なイギリスの武力侵攻)で自国を分割し、蹂躙し、踏みにじった欧米に対し日本に対するような恨みを持ち続けないのだろう。

ポーランドが未だにドイツに対し同じようなことしているだろうか。むろん、個々のポーランド人にはドイツを憎む人間が大勢いるだろうが、ポーランドとしてドイツに対し、中国の対日憎悪政策など採ってはいない。

ユーゴスラビアの内戦では、セルビア人、クロアチア人が憎悪の限りを尽くして戦ったが、今では表面上は和解している。

個人の恨みは仕方がない。が、国家間はそのように和解をして協調するのが国際社会なのだ。中国や韓国がいかに異常か分かるのではないか。南京事件が中国の、対日憎悪政策の道具になっている事実をふまえて、また上記の内容を読んでみて、この共同研究がいかに欺瞞に満ちているか、中国側にいかに宣伝材料として日本も正式に中国の主張を認めていると吹聴されているか理解できるだろう。

今回の河村発言は、日本にはそれに同調しない人間が多数居ることを知らしめた意味で有効だったと思う。

いかに民主政権が売国政権か分かるろう。藤村長官は、上記の共同研究報告書を本当に読んだのか。おそらく読んではいないのではないか。この中の記述がなぜ南京虐殺を認めたことになるのか、説明できないのではないか。


2008年 史実を世界に発信する会より、当時来日した胡錦濤中国国家主席に対し公開質問状が出ているが、当然無視されている。胡錦濤氏がこれを目にしたかどうかは分からないが、中国側に読めなかったわけがない。

次に質問状の内容を一部抜粋して紹介する。

何故胡錦濤主席は南京虐殺についての公開質問状に答えられないのか

一、故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。

つまり、毛沢東は、敵は殲滅すべき、要するに全滅させなければ後顧の憂いになると考え、実際にそのような戦法をとっている。日本軍が敵軍、即ち国民東軍を殲滅させないのは、共産党軍にとっては不満の理由にはなりこそすれ、決して毛沢東としてはためらう理由のない戦法だったのだ。その毛沢東が、生前一度も日本軍による大虐殺を口にしていない。もし虐殺が事実で、それを語るとすれば、本来なら日本軍の戦法をたたえる筈ではないのか。

二、 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?

むろん、当時そんなでたらめを言っても、すぐに嘘がばれるからだ。また、当時はまだ南京虐殺の捏造ができあがっていなかったとも言える。

三、南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?

Documents of the Nanking Safety Zoneはそれこそ当時の記録として中立の一次資料であろう。各国報道陣などの目があった中でそれだけの大虐殺が全くこの資料に含まれず、それどころか、南京虐殺のあと、南京の人口が増えている。これは一次資料の否定しがたい記述であり、何故人口が増えたのか。国民東軍の略奪から、日本軍のいる南京に逃げ込み、日本軍に保護してもらうためだった。虐殺があって、南京の人口がゼロになったところへ、新たに殺されるために25万人もの中国人が集まってきたのか。

四、さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?

日本軍の資料なら、この殺人26件も捏造だと言えるかも知れないが、Documents of the Nanking Safety Zoneという中立の資料に書いてある以上、これ以上の正確な資料はないのではないか。


五、南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。

これについては、何度も触れているが、多数の写真が他の雑誌などからの転載したものを加工して使っていたことが、オリジナルの写真や雑誌と共に挙げられ、アイリス・チャンは反論できずに、ノーコメントを貫いたまま自殺した。本当は事実を白状しそうになり、中国の工作員に殺されたとの見方がもっぱらだ。車の中での拳銃自殺など、どう考えても不自然ではないのか。


なお、最後に『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著
第十章 (アメリカ、極東、そして未来)より

の下記の一部抜粋を載せておく

 南京 虐殺に関する声明文
 南京虐殺の真相を広くアメリカ人に知ってもらわんがため、外国人の生命財産に危害を加えられた三月二十四日に南京に在住していた我々アメリカ人は、署名のうえ、ここに声明文を記す。
 この残 虐行為は、上官の承認の下、制服着用の兵士によって行われた。南京在住の我々アメリカ人全員がこの目で見たのであるから断言できる。彼らは、外国人の私邸、領事館、学校、病院、会社の事務所を略奪しただけではない。家にも学校にも火を放った。外国人と見ると老若男女構わず撃った。誤射ではない。殺 意を持って撃った人 殺しである。ある若いアメリカ人娘などは二発も銃弾を撃ち込まれ重傷を負った。アメリカ女と見ると強 姦する。その他、外国人女に、言葉にできないほどの侮 辱行為を加えた。こうした事件の多くをこの目で目撃したのである。その他のさまざまなことが、疑いの全くない事実。北 ばつ軍の兵士や中国人の友達の証言によれば、南京入場に際して命令ではないにしろ、「略 奪、外国人殺 害許可証」の類のものを持って南京に入場したようである。外国人の家に押し入る。金庫を開けさせる。着ているものまで剥ぎ取る。女は犯す。すべて計画通りだったことは部隊の行動からして明らかである。我々の中には、「隠れても見つけ出して殺してやる」と言われた者もいる。中国兵だけではなく、匿ってくれた中国人までもがそう言ったのである。ところがこの虐 殺がピタリと止んだ。米英の軍艦の艦砲射撃が始まったからである。とたんにあちこちでラッパの合図があり、組織的破 壊行動が止んだ。これで兵士の暴 虐、破 壊活動は上が命令した組織的行動だったことが証明された。以上は嘘偽りのない事実なのである。
 
 「この南京虐殺を画策したのは誰か。外国人と中国人双方の意見であるが、首謀者はロシアきょう 産党指導者の指導を受けたこく 民党政府内部に潜む共産主義活動家である。これらは外国人だけでなく、中国人にとっても敵である。根絶やしにしないと中国の統一どころではない。我々は中国の国家目標に心底共鳴してきたし、これまで危険に晒されてはきたが、今後とも気持ちは変わらない。故に、現在、こく 民党政府の政策に強い影響を与える陣営を抑えねば、中国のみならず世界の行く末は安心できないものがある」


     署名者
法学博士、メソジスト派伝道師、南京大学長 A・J・ボウエン
名誉神学博士、南京長老会伝道師      P・F・プライス
     同               ドナルド・W・リチャードソン
フレンド派伝道師             W・R・ウイリアム
     同               C・A・マッティ
南部長老派伝道師             ジョン・H・ライズナー
     同               J・C・トムソン
     同               C・スタンレー・スミス
     同               ハリー・クレモンズ・ジュニア
     同               G・W・ロース
南京大学出納局長             L・J・オウエン
ディサイプル教会伝道師          エドウィン・マーク
名誉神学博士、アメリカン監督教会伝道師  L・B・リッジリー
アメリカン監督教会伝道師         W・P・ロバーツ
     同               J・G・マギー
     同               C・L・ピケンズ
     同               N・D・ギフォード・ジュニア
     
 


これ以外にも大勢の宣教師が、「確かに今までは武器の使用には常に反対してきたが、今回ばかりは艦砲射撃のおかげで命拾いした」と述べている。

この声明文が真実を語っているのか何かを画策しているのかは分からないが、署名者の中には例のマギーもいる。

上記に引用されているURLの記事を読む場合は下記の「続きを読む」をクリックしてください。但し、内容確認以外なら、敢えて読む必要はありません
以下は参照用の資料ですので、確認をされる以外はあえて読む必要はありません。

南京虐殺否定発言 歴史の歪曲許されない

2012年2月24日

 河村たかし名古屋市長の「南京大虐殺」否定発言が、波紋を広げている。

 河村市長は、市役所を表敬訪問した中国共産党南京市委員会の訪日代表団に、旧日本軍の「南京大虐殺」について「通常の戦闘行為はあったが、南京事件はなかったのではないか」と発言した。

 この発言を、南京大虐殺記念館館長が「でたらめな話」と強く批判。姉妹都市提携を結んでいる南京市は、名古屋市との交流を当面中止した。

 日本政府は南京大虐殺の事実を認めている。さらに、2010年の日中歴史共同研究報告書で虐殺の「事実」は確認済みだ。

 日本側は「日本軍による集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と指摘。中国側は「多数の捕虜や住民を集団虐殺し、略奪を繰り広げた。重大な国際法違反」と記述した。

 河村市長の言う「戦闘行為」などではないことは明白だ。

 その後、河村市長は「30万人の一般市民を虐殺したと語り継がれている。(歴史認識を)正すのが私の社会的、政治的使命だ」と述べている。

 犠牲者の数について、共同研究報告書で日中に認識の隔たりがあることは事実だ。

 中国は「30万人以上」とし、日本側は「20万人を上限として4万人、2万人などの推計がある」と指摘している。今後の研究の成果が待たれるところだ。

 しかし、犠牲者数の違いを持ち出して、南京大虐殺そのものを否定するようなやり方は無理がある。それに歴史認識や事実を正すのは、研究者の仕事であり、学問の世界に政治が介入してはならない。

 これまで歴史認識の違いが日中両国民の感情を刺激し、しばしば政治問題に発展した。こうした歴史認識の溝を埋めるために、日本の呼び掛けで実現したのが日中歴史共同研究だ。この経緯と研究成果を軽んじてはならない。

 共同研究報告書は「(日中戦争で)被害を受けた中国民衆にとって、日本による侵略の記憶は深刻」との共通見解をまとめている。

 ことしは日中国交正常化40周年。日中共同研究で示された共通認識を踏まえ、両国の信頼をいかに深め、どのような未来志向の付き合いをしていくのか。その方向性を示す役割こそ、政治の使命ではないか。


何故胡錦濤主席は南京虐殺についての公開質問状に答えられないのか

The Asianists’ ASIA誌に掲載された論文の日本語原稿

何故胡錦濤主席は南京虐殺についての公開質問状に答えられないのか

茂木弘道

「史実を世界に発信する会」事務局長


1937年12月13日、日本軍は中華民国の首都南京を陥落させた。日本軍が南京占領に際して暴虐を行為を行い、30万人の軍民を虐殺した、という非難が戦後になって東京裁判、南京地方検察局などにより行われ、中国政府は現在もその主張を頑強に保持している。一昨年南京事件70周年事業として「南京大屠殺記念館」の改修工事を行い、旧来のものを3倍に拡大した記念館において、この30万人説を大々的にデモンストレーションしているのである。

しかしながら、これは全くの虚構であることが今や明らかとなってきている。そもそも、中国国民党政府は国際連盟において日本の侵略非難の決議案を出そうとしたことはあるが、南京虐殺を非難する正式の声明を出したこともなければ、いわんや南京虐殺非難決議案を出したこともないのである。そればかりではない。国民党国際宣伝部は、南京戦を挟む約1年間に漢口(南京から避難した)において、外国人記者を主たる対象とした記者会見を300回も開いているのであるが、ここでただの一度も南京で「市民殺害があった」だとか「捕虜の不法殺害が行われた」だとか言う発表を行っていないのである。世紀の大虐殺が首都で行われているのをそこからそう遠くはない漢口で全く知らなかった、知っていたが発表しなかった、などという事は考えられないことである。記者会見は、当然のことながら日本軍の悪行を誇大に宣伝して欧米の同情を集めることが目的なのだから、どうみてもおかしい。


こんな荒唐無稽なことを今でもなお情報独占完全統制の共産党中国は主張し続けている。しかし、今やその破綻が決定的になってきた。

2007年4月に温家宝首相が、2008年5月には胡錦濤主席が、日本を訪問した。有識者で組織された「南京事件の真実を検証する会」(会長:加瀬英明)は、温家宝、胡錦濤に対して南京事件についての公開質問状を訪問時に提出した。胡錦濤に出したものが次ページ以下に掲載されているものである。質問項目は5点であるが、いずれも些細な問題ではなく、基本的な重要問題である。これに対して、胡錦濤主席からは(温家宝首相も同じ)何らの回答も寄せられていない。無視ということであろうが、こちらは丁重な手紙を送っているのに対して、極めて無礼なことである。しかし、答えられないというのが本当のと

ころであろう。巨大なニセ展示物は作れても、肝心の史実については、これを説明する能力がないのだ。それは、公開質問状を読めばおのずから明らかなことと思うが、以下それぞれの項目について若干の説明をくわえることとしたい。



1、 毛択東は生涯一度も「南京虐殺」を言わなかった


「マオ」(ユン・チアン、ジョン・ハリディ著、日本語版-講談社)は、「毛沢東が長い人生で一度も言わなかったことがある―南京大虐殺だ」と非難している。事実、毛沢東は南京戦について『持久戦論』の中で、「日本軍は包囲は多いが殲滅が少ない」という適切な批判をしているが、虐殺などというありもしないことは言わなかった。それだけである。南京虐殺を主張するあるアメリカの学者に、胡錦濤に代わってこれに答えられるか聞いたところ、「毛沢東は国民党関係の兵士市民がたくさん死ぬことを望んでいたからだ」と答えた。当時は既に国共合作が成立していて、周恩来は宣伝の副責任者を務めていた、と指摘したところ、今度は「毛沢東はcruelだからだ」という「珍回答」をする有様であった。周恩来も南京虐殺などという事は言っていないのである。胡錦濤が答えようがないのはよくわかる。



胡錦濤国家主席閣下への公開質問状
このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。

さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。

一、 故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?

二、 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?

三、 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?

四、 さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?

五、 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。

以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。

平成20年5月5日


南京事件の真実を検証する会委員一同



(会長)加瀬英明 (事務局長)藤岡信勝 (監事)冨沢繁信 茂木弘道

(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 すぎやまこういち 

高池勝彦 高山正之 西村幸祐 花岡信昭 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘

                                     





2、300回の記者会見で一度も南京虐殺を言わなかった



 東中野修道亜細亜大教授は、2005年に台北の国民党党史館において国民党国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』を発見した。教授は、この一級資料を基に『南京事件―国民党極秘文書から読み解く』と言う本を書いた。(英訳版:Top-secret Chinese Nationalist Documents Reveal the Truth about Nanking Incident: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/27_S4.pdf)



この極秘文書に国際宣伝処が漢口において1937年12月1日から38年10月24日までの11ヶ月間に300回の記者会見を外国人記者などを招いて行なったことが詳しく書かれている。ところが、既に述べたようにここでただの一度も南京虐殺の発表を行っていないという事実である。中国国民党=中国政府は自分の口からは当時一度も南京虐殺などということを言ってもいないし、従って南京虐殺非難を行っていないという事実である。この事実を突きつけられた胡錦濤がその理由を答えられないのは当然だろう。



われわれが、南京虐殺など存在しなかったということを根拠を示して説明しても、それにまともに反論するのではなく、「お前は Holocaust denierだ!」というレッテルで非難する人が多い。しかし、事実が示しているのは Holocaust denierは、毛沢東と当時の中国国民党であるということである。『マオ』の著者と同じように、毛沢東をこそ非難しなければならなくなるのでが、しかし南京虐殺など存在しなかったのだから、その非難も見当はずれとなるのである。



3、 南京の人口は占領後減少しないばかりか1ヵ月後に増加した



 Documents for the Nanking Safety Zone という、南京安全区国際委員会の活動記録をまとめた本がある。上海のKelly & Walsh 社から1939年に出版された本であるが、この監修者は国民政府国際問題研究所となっている。南京市民は唐生智防衛司令官の命令により全員安全区に避難していたが、この市民の面倒を見ていたのが、アメリカ人、ドイツ人など15名が組織した国際委員会である。したがって、当時の南京市民の状況を誰よりも把握できる立場にあったのが国際委員会である。



この文書によると、南京の人口は陥落する直前に20万であったのが、12月17日、18日、21日、27日に20万と記録されていて、12月中に顕著な人口減、30万は愚か、万単位の人口減など全くなかったことが分かる。しかも、1月14日には25万と人口増加が記録されているのである。南京市民の面倒を市政府に代わって見ていた委員会の記録なので、限りなく実態に近い数字と見ることができる。この記録だけで30万虐殺説は100%否定されることになる。



4、 殺害記録は26件のみ、うち目撃は1件のみ



 Documents of the Nanking Safety Zone には、市民から訴えられた日本軍の非行が詳細に記録されている。そこに殺害は26件記録されている。しかし、目撃のあったものは内1件だけである。しかも、逃げ出した兵士が撃たれたもので、合法的な殺害と注記されている。すなわち、目撃された違法殺害はセロというのが、この文書が示すところである。国際委員会は市民の訴えを事実を確認することなしにそのまま記録したので、正確性には欠ける。25件についても死体の確認があるのは3件のみ。従って、残り22件は単なる風聞の可能性もある。



なお、南京の面積はマンハッタンより狭く、安全区はセントラルパークほどの広さである。ここに20万人が集中していた。殺害などが40万の目から見逃される可能性はほとんどないのである。上記の殺害記録と、3、で述べた人口減が全く記録されていないこととは、よく符合している。胡錦濤が30万虐殺を説明できないことは当然のことなのである。



5.虐殺を証明する写真はただの一枚もない



 アイリス・チャンのThe Rape of Nanking をはじめとする南京大虐殺を主張する本や、「南京大屠殺記念館」には、虐殺の証拠写真と称するものが大量に掲載されている。しかしながら、今ではこのうちただの一枚として、南京の虐殺を証明する写真がないことが科学的に証明されている。これは、『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野修道他共著、草思社、東京、2005年)(英文版:Analyzing the Photographic Evidence of the Nanking Massacre:http://www.sdh-fact.com/CL02_1/26_S4.pdf に詳しく述べられている。ほとんどの写真は、国民党宣伝部が製作した戦争プロパガンダ本である『日寇暴行実録』『外人目撃中の日軍暴行』に掲載された、捏造写真、偽キャプションのものである。よく掲載される日本刀で首を切ろうとしている写真は、周りの人物の影の方向が一つでないことから合成写真であることが明らかである。更に言えば、こんな写真は日本軍自身か、日本軍の許可を受けたものでなければ撮ることはできないが、そんなことを日本軍が行う理由もなければ、又日本でこんな写真は見つかっていなし。要するに偽造の宣伝写真であるということである。詳しくは上記の本を読んでいただきたい。また、その概要はわれわれのサイトの There Is Not a Single “Real Photograph” Documenting the Nanking Incident: http://www.sdh-fact.com/CL02_1/42_S4.pdf に解説されている。



なお、公開質問状では、もしこのほかに南京虐殺を証明する写真があると言うなら、是非提出してほしい、科学的な検討にかけたい、といっているが、当然のことながらこれ以上ニセ写真を出してその正体が明かされるようなことを胡錦濤がするはずがない。



このように、基本的なところで、南京大虐殺なる事件が成り立ち得ないことを、この公開質問状は証明している。幾ら、ニセ写真だとか、もっともらしい証言だとかをでっち上げてみても、それらは、Documents of the Nanking Safety Zone という、当時の一次資料と矛盾してしまわざるを得ない。大量虐殺が起り、しかも人口が減らないで増える、などという事はありえない奇跡である。プロパガンダの世界でのみ起りうることである。。




当ブログエントリー 「南京虐殺はあったのか」
平成22年01月10日

最初に公平をきするため、南京虐殺があったと主張するサイトを紹介する。

ここに挙げるサイトがおそらく中国では見られるかどうかは知らないが、日本では自由に見られるので、そのために挙げる。

南京事件があったとする根拠は様々有り、たとえば

http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/

南京事件資料集 に詳しいしそれなりの根拠、すなわち資料も豊富にまとめられているし、リンク先充実している。

次に、南京虐殺事件はなかったとする根拠をまとめる。

まず最初に、南京では日本軍による中国人殺戮はなかったのか・・・これは証明する客観的な資料がないが、推察としてあったろうと思われる。戦争中であり、いわば極限状態であったので偶発的な事件はあったかも知れないという程度の話であり、現実には南京ではすでに国民党軍は逃走した後であり、全面的な戦闘はなかった。残った便衣兵の処分、またそれに巻き込まれた一般人、さらに日本軍軍規を守らなかった一部の日本人犯罪があったかも知れない。知れないと言う程度であり、戦争という極限状態なのだからあり得たろうと言う程度。また、日本には中国に対する強い不信感があったのも事実であり、たとえば通州事件などは日本では多く語られていないが、あれは現実に資料も記録もあり事実である。あれこそまさに虐殺であり、国民党を日本軍が憎んでいたのは事実だ。

通州事件で検索すると無数に出てくる

http://search.yahoo.co.jp/search?fr=slv1-tbtop&p=%c4%cc%bd%a3%bb%f6%b7%ef

Wikiでも見られるが、詳しくは

http://www.history.gr.jp/~showa/tushu.html

などで詳細に書いてあるし、写真も多く出てくる。

後で南京での虐殺が日本軍のせいだとされた多くの殺戮の手段が典型的な通州で行われた中国人のやり方であることは無視出来ないだろう。

以下、日本軍による南京虐殺事件はなかった根拠。

1)大規模な一般市民の虐殺をしなければならない具体的な理由がない。見せしめ、報復という論もあるようだが、多くの外国メディアの目があり、また見せしめ、報復であるなら日本軍が自発的に宣伝する必要があるだろう。結果としては日本軍の残虐さが国際的に知られるだけのことであり、報復、見せしめは意味がない。また日本軍による積極的な宣伝など無かった。

30万もの人間を殺し、その後始末をすることがどれだけ大変なことか実感として持ってみればよい。たとえば最近のケースではインドネシア沖地震による津波、フロリダのハリケーン被害などで多数の死者が出た。平時であったのにその遺体の処理には膨大な人手がかかりしかも各国の支援がありながら数万の遺体の処理さえ実に長期間かかった。

戦争でそのような事を日本軍がする必要があるのか。とうぜん、市民の死にものぐるいの抵抗が想定されるはずなのに、そうしなければならない理由がない。また、20万いた市民の全てが殺され、仮に10万を外から連れてきて殺したとしてもなぜ市民達は黙って殺されたのか。そのような物理的に不可能な奇跡を日本軍が何故行わなければならないかの動機がない。そして、当時の南京駐在日本軍にそれを実行しうるだけの銃器、能力はあり得なかった。

2)30万の虐殺があったとは、中国の抗日記念館に現実に掲げられている数字であり、中国はそれを事実だとしているわけだが、1)の物理的に不可能な事がどうして日本軍に出来たのか説明が一切無い。

3)南京虐殺とは言うが、現実には日本軍が進軍していった進路全域の殺戮だとの説もあるようだ。だが、そうすれば住民の妨害や敵意をどう処理してゆくのか。また住民は日本軍に殺されることを承知で来るのを待っていたのか。

4)30万は大げさだとしてもたとえ3万でも3千でも3百でも虐殺だという論があるが、それ自体既に無意味だ。30万とは中国が出した正式な数字だ。調査の結果次第に増えたのだという。その数字がたとえ300でもと言って通用するなら、南京で中国人犯罪を犯して処刑されても日本軍の虐殺だとなる。数字が一つの根拠であるはずであり、その根拠が嘘なら全て嘘だと言うべきだろう。

5)同じく、中国側が主張する資料が嘘だとのもう一つの例。

http://jp.youtube.com/watch?v=__ZKNCWWnR4&feature=related

にもあるが、アイリス・チャンのレイプオブナンキンがアメリカで50万部売れ近年南京事件が世界で意識されるようになった。しかし、アイリス・チャンは中国語も日本語もしゃべれず、また中国へも日本にも取材に来てはいない。

また本に掲載された写真のことごとくが偽物だと証明されている。東中野氏の仕事が有名であり上記の動画に示されている。

A) 中国人の婦女子が日本軍に連行され、集団暴行され慰安婦として配属された、という写真は、現実には農作業に出る中国人を日本軍が護衛しているという写真だった。中国人達は白い歯を出して笑っていたが、アイリス・チャンはその白い歯を塗りつぶし、元々の写真説明を書き換えて本に使った。これは物的証拠で証明されている。

B) 日本兵が中国人の所から鶏を略奪してきた図、と言うのがあるが、南京以前に日本兵が中国人から金を出して鳥を買ってきたと説明付きの写真がアサヒグラフに載っている。その説明を書き換え、アイリス・チャンが使ったことが、実物のオリジナル写真で証明されている。

C) 有名な写真で、戦場の焼け野原に中国人の赤ん坊が放置されて泣いている物がある。しかし、これは赤ん坊の父親がそこに置きカメラマンが撮ったという前後の写真が残っている。

D) 南京陥落は冬だが、多くの写真に出てくる人間は夏服だ。

このように全ての使用写真が嘘であることが根拠を以て証明されている。それらの写真が嘘だから虐殺がなかったとは言えないというなら、なにが証拠になるのか。それらの写真が嘘であるなら、主張そのものが嘘だというのが常識だ。

ちなみにデーブ・スペクターが虐殺は事実だが証明する写真がなかったので、造ったんじゃないの、と言い、同席した金美麗さんがあきれていた。デーブ・スペクターが唯のお笑いタレントでそのつもりで言ったとすれば、彼がジャーナリストの肩書きを持っているのは噴飯物だ。

南京事件当時、金で雇われた外国人ジャーナリストがどんな物だったを連想させる。

アイリス・チャンはその後、何を勘違いしたかアメリカに渡った中国人移民が如何に差別されたかを本に書き、その内容があまりにでたらめなので反感を買い、精神的に追いつめられて自殺したことになっている。だが、自宅ではなく車の中で、拳銃自殺をするなどいかにも不自然であり、精神的に追いつめられたチャンが真実を語ることを恐れた者達に口封じをされたという噂が絶えない。むしろこれが真相であろうと思われる。

6)下記の画像に要領よくまとめられている。

http://jp.youtube.com/watch?v=MzcKup-C45A&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=itgblzMKFvY&feature=related

南京事件以後中国は南京に海外メディアを集め300回にわたる会見を持った。そのなかで、さんざん日本軍の事を非難したが、肝心の大量虐殺に就いて一切言及がなかった。それはそうだろう、南京の現場でそのようなうそを言えば直ぐにばれる。

もし虐殺が本当であればその場でこそ記者達を現場に案内して訴えるだろう。

この会見は日本が一切関与出来ない記録にあるのであり、日本側の捏造などあり得ない。

7)中国が根拠の一つとしている東京裁判の判決だが、

裁判での判決が常に事実だとは限らない。現実に裁判で無実の人間が有罪判決を下されるなど日本でさえある。法治国家である中国ではそれは日常茶飯事であり、中国人はもちろん良く知っているはずだ。

東京裁判自体がまったく法的公平を欠いたリンチであり、その直後からあの裁判は不当だったと検事国からの言葉が相次いでいる。当時の国際秩序をアメリカの思うとおりにするため、最初から判決が決まっていた裁判プレイでしかない。

なお、パール判事が日本は無罪だと主張したが、彼は別に日本を擁護したのではない。日本自体の戦争は非道な物だったとの認識を持っていた。が、あの裁判は不当でありあの場で日本を裁くのは不当だと訴えたのだ。あの裁判では、日本は無罪となるべきだと主張したのであり、よく言われるように日本びいきだったのではない。

だが、集まった判事に国際法の専門家はパール判事しかいなく、中には中国のように自国でさえ判事の資格を持っていない者が居た。

日本側の証拠は全て採用されず、弁護も採用されず、一方的に検事側の証拠のみが採用された。

このような裁判でいかなる結果が出ようと、判決は真実とは無関係であり、それしかよりどころのない中国側の主張には一切根拠がないと言うことになる。

そしてその東京裁判の検事側の証人としてジョン・マギーが証言しているが、おもしろい証言がある。

A) ジョン・マギーが直接目撃した日本軍による中国人の処刑を見たのはたった一件だった。あれだけの大量虐殺があった現場で、虐殺を告発しているマギーの目に触れずに30万もの人間を殺せるものか。これもまた物理的に不可能なマジックではないのか。

B) ある日マギーは3人の日本兵が一人の中国人を殺そうとしている現場に行き当たったそうだ。そこで、マギーは止めろと怒鳴り、その3人の日本兵の襟首を掴んで外に押し出したら、その兵隊達は逃げていったそうだ。

一人の丸腰の神父に3人の武装した日本兵が襟首を捕まれ押し出され逃げ出す光景が想像出来るだろうか。これだけ弱い日本軍がどうして30万もの中国人の抵抗を押さえ殺すことが出来たのか。なぜ、アメリカを相手に4年近くも戦争が出来たのか。

このような馬鹿な証言があの裁判では採用されている。あの裁判での判決など、全く真実とは無関係の物であり、南京事件の証拠などにはならない。

8)戦後繰り返して日本政府が戦争でアジアに迷惑をかけたと謝罪したが、あの時代居丈高にあれは嘘だと言うことが日本の国益にかなわないと判断したからだ。時間が経てば真実は自ずと分かるというのは日本の文化であり、事実そうなりつつある。

また、アジアに迷惑をかけたと言っていても現実に南京虐殺を日本政府が認め謝罪しているわけではない。

9)近年南京事件が出てきたのは日本の赤非新聞の記者、本多勝一の「中国への旅」がきっかけであることは良く知られており、中共に日本叩きのカードに使えると教えたのは社会党の田邊誠が知恵を付けたのだ。したがって、それ以前は、中国は南京事件のことをあまり問題にしていなかった。

ちなみに、Wikiによる田邊の記事によれば

「浜田幸一によると田邊が1980年代に南京市を訪れた際に南京大虐殺紀念館を建設するよう求めたという。浜田はこの要請や総評から南京市への3000万円の寄付によって同紀念館が建設されたと語っている[2]。」

とのことだ。

10)宣伝戦は外交の一環であり、それ自体は当然と考えて良い。とくに戦時に於いては宣伝戦は非常に大きな力を発揮し、当時国民党がアメリカに働きかけるために様々な宣伝戦を行ったのはある意味当然だと言っていい。それに対し、日本があまりに無策だったという事実も認めなければなるまいが、宣伝戦はその後共産党に受け継がれ、クリントンなどはまんまとそれに乗って、後の緊張を作り出した。

南京虐殺もその宣伝の一環であり、自らの人民にも宣伝のために日本を敵にしなければならない中共の手段として使われている。彼らのプロパガンダの一環として、最近の南京映画の一連がある。

中国、ドイツ合作映画で南京事件を告発した「ジョン・ラーベ」という作品があり、香川照之が出演している。ジョン・ラーベとは南京虐殺事件を告発したドイツ人ジャーナリストと言うことになっているが、彼の証言自体が裏のとれていないものが大半であり、また彼自身が南京では日本軍が居ることで平和が保たれているとの報道さえしている。

香川照之が「ジョン・ラーベ」に出演した理由として、脚本を読んだ結果、日本が本当にひどいことをしたことを知ったから、と言っている。これはどう考えてもおかしい。脚本に書いてあれば真実なのか。香川は、自分で南京事件についてどれだけ調べ、どのような根拠に基づきその脚本が真実であると確信したのか。第一、脚本を読んで初めて日本がひどいことをしたと思ったと言うのだから、それ以前に南京事件のことを知らなかったと言うことだ。

香川も所詮芸能人であり、金をもらって芝居をする人間だ。それは彼らの商売なのだから、高額のギャラを提示されたから映画に出た、と言うのであれば全く問題はない。しかし脚本を読んで云々と言うから問題なのだ。

もし彼が責任を持って発言したのであれば、脚本を読んで知った等と言うはずがない。つまり、何も知らなかったと白状をしているのと同じであり、単なる役者馬鹿なのではなく、売国奴なのだ。本当に自分で調べ、日本が南京虐殺をやったと確信したのならそう主張すればよい。その結果、自分は映画に出たというなら、それはそれで尊敬に値する。

いま、中国は日本に微笑外交で接近しようとしている。中国の報道にも以前のような反日丸出しの報道は影を潜め、日本に学ぼう式の報道が増えている。しかし、日本人が知らないところで、何本もの南京虐殺映画を作り全世界で配信している。日本の俳優を高額のギャラで釣り出演させ、上記のような発言をさせている。

すでに明らかになっているが、中国は強い報道統制を行っており中国サイドの人間がアクセス出来るのは中共がでっち上げた捏造情報でしかない。そのような場合、資料にアクセス出来ない中国サイドと論争をするなど無意味である。

ただし、冒頭に挙げたような、様々な証言や書籍、外信など後付でどうにでもなる根拠は時間の無駄だ。

イ 20万しかいなかった南京でどうして30万の人間が殺せたのか。
ロ もし30万でなくとも虐殺だというなら、中国が公式に示している数字自体が嘘なのに他の主張が何故真実と言えるのか。
ハ 当時現場にいたジョン・マギーが処刑を一件しか見ていないのはどうしてか。
ニ 当時300回行われた中国側の会見でなぜ虐殺に言及がないのか
ホ アイリス・チャンが使用した写真が物的証拠を以て全て偽物と判明しているのに、あの本の記述はなぜ真実と言えるのか。

とりあえず、上記のイ~ホ位が理論的に説明出来たら、次へ進めるだろう。

通州事件は様々な物証があるが、現実に中国人が残虐であり同じ処刑でも綾遅刑や串刺しなど一気に殺さず苦しめること目的としている。この中国のやり方を示す資料としてはたとえば、「酷刑」王永寛著 徳間書店などがある。中国人が食材として人肉料理を日常的に食べていたこと、軍隊が糧秣を持たずそのかわり住人を捉えて食べていたこと(文革の折にも大勢の人間が食べられていた。これは人肉宴会などでググると出てくる)、人間の皮を剥いだり、寸刻みに切り刻んで殺したり、串刺しにしたり腹を割いたりなどありとあらゆる残虐を人間にくわえている。

通州の虐殺手段はまさに中国のやり方だ。そして、南京で日本人がやったとされるいくつかは正に中国人の発想としか思えない手口だ。

もともと、国民党を初め中国の軍隊は焦土作戦と称し、敵に利用させないために自分たちが撤退する後を徹底的に破壊する事を頻繁にする。有名なのは黄河決壊作戦だろう

Wikiによれば

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B2%B3%E6%B1%BA%E5%A3%8A%E4%BA%8B%E4%BB%B6

国民党軍が撤退するために事前に住民に知らせること無しに黄河を決壊させその流域を水浸しにし、住民を数十万人殺した事件だ。住民に知らせなかったのは、その作戦が日本軍に伝えられることを恐れたからだ。

作戦のために自国民を数十万殺しても歯牙にもかけない中国人が、自分たちのメンタリティででっち上げたのが、南京虐殺事件なのだ。


なお、最後に『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著
第十章 (アメリカ、極東、そして未来)より

の下記の一部抜粋を載せておく

 南京 虐殺に関する声明文
 南京虐殺の真相を広くアメリカ人に知ってもらわんがため、外国人の生命財産に危害を加えられた三月二十四日に南京に在住していた我々アメリカ人は、署名のうえ、ここに声明文を記す。
 この残 虐行為は、上官の承認の下、制服着用の兵士によって行われた。南京在住の我々アメリカ人全員がこの目で見たのであるから断言できる。彼らは、外国人の私邸、領事館、学校、病院、会社の事務所を略奪しただけではない。家にも学校にも火を放った。外国人と見ると老若男女構わず撃った。誤射ではない。殺 意を持って撃った人 殺しである。ある若いアメリカ人娘などは二発も銃弾を撃ち込まれ重傷を負った。アメリカ女と見ると強 姦する。その他、外国人女に、言葉にできないほどの侮 辱行為を加えた。こうした事件の多くをこの目で目撃したのである。その他のさまざまなことが、疑いの全くない事実。北 ばつ軍の兵士や中国人の友達の証言によれば、南京入場に際して命令ではないにしろ、「略 奪、外国人殺 害許可証」の類のものを持って南京に入場したようである。外国人の家に押し入る。金庫を開けさせる。着ているものまで剥ぎ取る。女は犯す。すべて計画通りだったことは部隊の行動からして明らかである。我々の中には、「隠れても見つけ出して殺してやる」と言われた者もいる。中国兵だけではなく、匿ってくれた中国人までもがそう言ったのである。ところがこの虐 殺がピタリと止んだ。米英の軍艦の艦砲射撃が始まったからである。とたんにあちこちでラッパの合図があり、組織的破 壊行動が止んだ。これで兵士の暴 虐、破 壊活動は上が命令した組織的行動だったことが証明された。以上は嘘偽りのない事実なのである。
 「この南京虐殺を画策したのは誰か。外国人と中国人双方の意見であるが、首謀者はロシアきょう 産党指導者の指導を受けたこく 民党政府内部に潜むきょう 産主義活動家である。これらは外国人だけでなく、中国人にとっても敵である。根絶やしにしないと中国の統一どころではない。我々は中国の国家目標に心底共鳴してきたし、これまで危険に晒されてはきたが、今後とも気持ちは変わらない。故に、現在、こく 民党政府の政策に強い影響を与える陣営を抑えねば、中国のみならず世界の行く末は安心できないものがある」

     署名者
法学博士、メソジスト派伝道師、南京大学長 A・J・ボウエン
名誉神学博士、南京長老会伝道師      P・F・プライス
     同               ドナルド・W・リチャードソン
フレンド派伝道師             W・R・ウイリアム
     同               C・A・マッティ
南部長老派伝道師             ジョン・H・ライズナー
     同               J・C・トムソン
     同               C・スタンレー・スミス
     同               ハリー・クレモンズ・ジュニア
     同               G・W・ロース
南京大学出納局長             L・J・オウエン
ディサイプル教会伝道師          エドウィン・マーク
名誉神学博士、アメリカン監督教会伝道師  L・B・リッジリー
アメリカン監督教会伝道師         W・P・ロバーツ
     同               J・G・マギー
     同               C・L・ピケンズ
     同               N・D・ギフォード・ジュニア
 これ以外にも大勢の宣教師が、「確かに今までは武器の使用には常に反対してきたが、今回ばかりは艦砲射撃のおかげで命拾いした」と述べている。

この声明文が真実を語っているのか何かを画策しているのかは分からないが、署名者の中には例のマギーもいる。

 「」内の部分では南京虐殺の首謀者、実行者は国民党内部とある。また、この時点で彼ら署名者達がが決して中立ではなく、国民党に取り込まれていたことも分かる。
 
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コメント

現代の中国から1930年代の中国を覗くと!

河村名古屋市長の勇気ある発言に敬意を表する者です。
「南京大虐殺」は中国及び中共のプロパガンダです。
現代に生きる私たちは、現代中国で今起こっている「現実」から、中国の大ウソを見聞することが出来ます。
ここに、中国のデマコギーやプロパガンダの見抜く大きなヒントがあります。
例えば「毒ギョーザ事件」です。
当初、中国は「ギョーザに毒を仕込んだのは日本だ!」と、日本のせいにしました。
ところが、後になって「私が毒を入れました」と自白した中国の現場作業者が現れました。
例えば、尖閣諸島沖で発生した「中国漁船が日本の巡視船にぶつけた」事件です。
当初中国当局は、「中日本の巡視船が国漁船にぶつけた」と発表しました。
ところが、一色正春氏がYoutubeに「衝突の実況動画」を投稿し、全世界の人々が真実を知ることになりました。
これらの事だって、一歩間違えれば世界中の人々が「日本が悪い」と思ったかも知れなかったのです。
1930年当時にはYoutubeは無かったので、シナ・中国のプロパガンダはそれなりに成功したのです。
直近では、中国で”高速鉄道脱線事故”がありました。
何と脱線・落下した車両を「土に埋める」という暴挙に出ました。
中国当局は「これまでの中国の対応と同じです」と、土埋めを正当化しました。
(世界中の非難を浴びて、後で掘り起こしたらしい・・・)
こんな中国ですよ!!
今でさえこんなデタラメな状況なのに、国民党軍と共産党軍とがゲリラ戦を繰り返していた1930年代の中国が、まともだったワケがありません。
もっとメチャクチャな状況であったと考えるのが自然です。
私たちは、現代の中国から”日中戦争”と言われる当時を見据える眼力が正に必要な時なのです。

現代の中国から1930年代の中国を覗くと!

>2012-02-25 20:52 | 日本男児様


>当初、中国は「ギョーザに毒を仕込んだのは日本だ!」と、日本のせいにしました。
>ところが、後になって「私が毒を入れました」と自白した中国の現場作業者が現れました。
>

>1930年当時にはYoutubeは無かったので、シナ・中国のプロパガンダはそれなりに成功したのです。

youtubeが無くとも、当時と今では写真技術も格段の差がありすし、写真の加工を見抜く技術も進んでいます。当時の中国は写真さえ出せばそれで証拠になると思ったのでしょうが、当時から中国が写真を加工するのはよく知られていました。

>直近では、中国で”高速鉄道脱線事故”がありました。
>
>こんな中国ですよ!!

中国は何から何まで嘘で固めた国であり、息をするように嘘を付きます。

>
>もっとメチャクチャな状況であったと考えるのが自然です。

当時でも今でも中国が言うから嘘、と決め付けて間違いはないですね。中国人が1+1は2と言っても、嘘かもしれないと疑う必要があります。韓国人が1+1はニダと言ったらそれは嘘です。

>私たちは、現代の中国から”日中戦争”と言われる当時を見据える眼力が正に必要な時なのです。

でも民主のあの官房長官にも大村知事にもそんな眼力はかけらもないようです。

No title

 南京事件等を勉強のためリンク巡りでたどり着いたのですが、少しコメントを。

 ラルフ・タウンゼントの本は読んでいないのですが、そこからの引用に「この声明文が真実を語っているのか何かを画策しているのかは分からないが」とありますけども、この声明文はかなり穿った見方で、ある意味真実を突いてるかもしれないですし、また貴重な情報を含んだ発言のようです。
 というのも、この声明の南京事件は、
http://holywar1941.web.fc2.com/kindai-santou.html
このリンク先記事に簡潔にまとめられている、昭和2年(南京大虐殺の10年前)に起きた数ある暴虐事件の一つの事だと思われますから、この声明自体は昭和12年の南京大虐殺とは関係ないのですが、面白い事が読み取れます。
 挙げていきますと、欧米人も中国の暴虐ぶりを体験し非難している点。それでも親中態度は改められない点。すでにこの時点で、欧米人と中国人の認識に共産主義者浸透の懸念があり、後々日中関係も操る共産党活動の傍証になる点。10年後にもいたマギー牧師が、親中的な声明に署名し、中立な立場の人間といえるのかどうかという点。そのマギー牧師の見たという日本軍の蛮行は、本当に昭和12年に見たのか、それともその10年前の事件など数々ある暴虐事件の記憶がゴッチャになっている可能性、乃至は意図的にゴッチャにしている可能性wがあるという点などです。
 この短い文からだけでも色々読み取れますし、マギー牧師がそれほど前からいるとは知らなかったので、私には彼の証言の信憑性が一段と怪しくなりました。

 それにしても、変態的自虐史観派やそれに洗脳されてる人の言い分はおかしな事が多いですね。
 勝手に虐殺の数や範囲を変えながら「歴史の検証は証拠によって変わるのは当然。否定派は歴史を捏造してる」とか、日記などを別の資料と突合せもせず「これだけ証拠があるんだよ」と息巻くのは、とても理解に苦しみます。しかも証拠の読み方などは牽強付会な事が多いですし。
 今回南京事件等を久しぶりに勉強し直しているのも、ブログ記事で「東日本大震災の犠牲者数が南京事件の犠牲者数とほぼ同じ(2万人説でしょうね)なのは事件を起こした罰だ(法華経を引用してたから仏罰か?)」とか、「歴史事実を捻じ曲げる否定論者だけでなく、否定論の存在を許容するような連中も人権侵害に加担するのと同じだから、法的に(ドイツのように)禁止すべき」というような馬鹿げた発言を見たからです。
 そこまで言うなら何かより具体的な証拠が出てきているのかと思って勉強し直しているのですが、「法的に禁止」などと言論封殺まがいの事を言えるほど別段状況は変わってないので、変態趣味の人達の暴言には心底精神が病んでるのではと疑ってしまいます。
 南京事件や慰安婦の件そのものだけでなく、マクアーサーの「日本は自衛のために戦争した」という発言の「security」は「自衛」でなく「国内治安維持のため」が正しいとの(どっちでも同じなのに)全く本質と関係がない難癖やら、パル判事の無罪論を「侵略戦争は犯罪でないとの彼の判断は、その厳密な法実証主義の立場から導き出されたものだが」と言いながら、それを書いたのは反欧親日の思想を持っていてまるで偏見を元にしていたとパル判事自身まで貶めるのだから呆れ果てるばかりです。坊主憎けりゃ云々なのかも知れないが、変態趣味史観の信奉者は私の理解を超えています。

 そうした中で河村発言が飛び出したのですが、真実を広めるためにも氏には毅然とした態度を貫いてもらいたいですね。私個人としてもこの発言で記事が増えそうなので勉強しがいがありそうです(笑)。

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>2012-03-04 17:16 | 真実一路様

>南京事件等を勉強のためリンク巡りでたどり着いたのですが、少しコメントを。

良くいらっしゃいました。歓迎いたします。

ラルフ・タウンゼントのこの本は私も読み、去年の一月このブログのエントリー「南京虐殺はあったのか」で紹介しております。

>このリンク先記事に簡潔にまとめられている、昭和2年(南京大虐殺の10年前)に起きた数ある暴虐事件の一つの事だと思われますから、この声明自体は昭和12年の南京大虐殺とは関係ないのですが、面白い事が読み取れます。

そうですね。このサイトは有名で、私も参考にしましたし、DLして保存しております。

>それでも親中態度は改められない点。すでにこの時点で、欧米人と中国人の認識に共産主義者浸透の懸念があり、後々日中関係も操る共産党活動の傍証になる点。

それは、日本が欧米にとって危険な存在であり、なんとしてもつぶしたかったからですね。ヴィルヘルム二世のヴィルヘルム2世が黄禍論(最も初めはアジア人全般であり、単なる人種差別意識)に始まり、清には到底勝てないと思っていた日本が日清戦争に勝ち、初めて白人国家で軍事大国であるロシアに勝つなどしたため、今まで白人には絶対服従すると見られていたアジア人が欧米人に反抗するようになったことが彼らにとっては大変だったので、とにかく欧米人には逆らわない中国人を使って日本をたたきつぶすつもりで居たからです。

> この短い文からだけでも色々読み取れますし、マギー牧師がそれほど前からいるとは知らなかったので、私には彼の証言の信憑性が一段と怪しくなりました。

マギー神父だけではないのですが、当時南京にいて南京安全地区委員会を作っていたのは全てキリスト教宣教師であり、彼らは常に自国の政府の命令で動いていました。西欧諸国がアジアアフリカを植民地する際は、真っ先に送り込んだのがキリスト教宣教師であり、彼らが日本潰しの先頭に立っていたのは事実です。確かアーサー・ウォルドロンの「平和はいかに失われたか」だったか、平和を真っ先に破戒したのは宣教師だと強く非難していたと思います。

また、アメリカ人には、パールパックの「大地」が、無知な中国人として印象を持たせていたようですが、彼女は外見は西欧人でも、中国で育ち、哀れな中国人を宣教師の目から見ていたのであり、中身はほとんど完全な中国人でした。 アメリカ人にとって、哀れな中国人が暴力的な日本軍に蹂躙されているというイメージが形成されていたのが、アメリカによる日中戦争への介入に至った一因と考えています。

> 勝手に虐殺の数や範囲を変えながら「歴史の検証は証拠によって変わるのは当然。否定派は歴史を捏造してる」とか、日記などを別の資料と突合せもせず「これだけ証拠があるんだよ」と息巻くのは、とても理解に苦しみます。しかも証拠の読み方などは牽強付会な事が多いですし。

結局、嘘を百科居着けば本当になると言うことであり、どんなインチキ証拠でも、全てを検証など出来ません。次第に、これだけ証拠があるから本当ではないかと思いこむわけですね。それと、特亜の特徴として、水掛け論に持ち込み、全ては特亜の言うとおりではないにしても少しはあったと思わせるのが常です。

>馬鹿げた発言を見たからです。

まあ、馬鹿は何処にでも居ますが。

>変態趣味の人達の暴言には心底精神が病んでるのではと疑ってしまいます。

いや、本当に病んでいるのです。絶対に自分の考えを修正することが出来ません。

>坊主憎けりゃ云々なのかも知れないが、変態趣味史観の信奉者は私の理解を超えています。

ゴキブリが何故ゴミを食って生きてゆけるのかは、人間から見れば理解を超えていますが、同じことですね。自分とは無関係の生物だと思うしかないです。論争など意味はありません。

> そうした中で河村発言が飛び出したのですが、真実を広めるためにも氏には毅然とした態度を貫いてもらいたいですね。私個人としてもこの発言で記事が増えそうなので勉強しがいがありそうです(笑)。

そうです。が、大村知事や藤村官房長官、そして橋下大阪市長も発言を撤回すべきだと言っています。国自体が相当病んでいます。

これからもおいで下さい。

No title

 はじめまして、こんにちは。長文になりますが失礼いたします。南京まで出兵した兵隊さんで無事日本に帰ってこられた方々も現在は大変ご高齢になっておられ、当時のことについては今なお口を閉ざされている方も多いと思われます。様々な想いがおありなのでしょう。あの時のことは何も語らずに人生を終えようとお考えになられている方は多数おられると思います。

 南京事件は大屠殺という惨い表現で現代に伝えられています。もしわたしが南京攻略戦に加わった兵士で、それが自身の目で見、耳で伝え聞いた事実と反する内容だとしたら、どうでしょう。わたしは自身のためというより、同じ部隊で戦った仲間や彼の地に散った戦友の名誉のため、そしてそのご遺族のためにも、口を開いていたのでは、と思います。●●部隊戦友会として声明を出すかもしれません。濡れ衣であるのなら、当時戦った多くの兵士が、あの事実は自分たちの知る限りはなかったと自身と仲間の誇りをかけて主張すべき内容だとおもいます。例えば元京都第16師団福知山歩兵第20連隊の森王大隊長は平成4年、「南京大虐殺」はなかったという公演記録を出されています。南京総攻撃に参加され12月13日の完全占領から1ヶ月余駐留したご自身の体験を話され、戦後でてきた数々の偽証を論破され、南京大屠殺はなかったと語られています。

 一方、重たい口を開かれる方もおられます。「世に言われる南京事件は、なかったと言えばウソになる。ひもで手を数珠つなぎにされた民間人が川に連れて行かれ、銃剣で突かれ落とされた。惨い光景だった。広場にはつながれたグループが多数座らされており、明け方に静かに河辺に連れてゆかれ、帰ってこなかった。」このような内容だったと記憶しています。この元兵士の方は、ご自宅の居室で、涙を滲ませながら語られていました。ご自身がその作戦に参加されたわけではありません。南京総攻撃に参加し入城後における目撃談です。ご家族を含め、今まで誰にも話してこなかったことだと、静かに語られていました。それはそうだろうと思います。自身の沽券だけでなく、当時の関係者の、今のプライベートな生活にも影響を与えかねない内容だからです。語るべきか、黙っているべきか。過酷な戦禍をくぐってこられたご本人にしか判断できないことだと思います。戦争で戦うことは兵隊個人にとっては苦しく辛い現実の連続です。正しいと感じられない想い出は、その後を生きてゆく本人に毎日のしかかる苦しい記憶です。しかし、生きてゆく為には、辛い整合性をとってゆかなければならないでしょう。この方が語られた事象は南京の下関地区における出来事なのですが、中国側から見たら屠殺と言えますし、侵攻側の日本から見たら敗残兵士と見分けがつかないから、あるいはゲリラ的活動の恐れがある兵士が含まれていると思えるから殺害は仕方がないことだったと言えるのかもしれません。

 1937年12月18日付のニューヨークタイムズ紙にF・ティルマン・ダーディン記者が、同12月15日付シカゴ・デイリーニュース紙にA・Tスティール記者が、この時の出来事を12月15日に米国戦艦オアフ号で南京を離れる際船上から目撃し、報道しています。シカゴ・デイリーニュース紙のスティール記者は、南京から上海に至る船上で米国本土への即日打電という報道の速効性を発揮しています。

 この下関地区のことは従軍画家の住谷さんも1958年の東郷という雑誌の12月号で回想されています。乗り組み艦の安宅から海軍の中尉とともに捕虜の様子を見に行った晩のことを発言されていて、そもそもその中尉は捕虜を使っての軍刀の試し斬りのために出かけたのだが、陸軍の兵士が5人づつ縛られた捕虜を後ろから銃剣で突き刺しているのを見て、とても後ろから斬ることなどはできないと言い安宅に引き返したそうです。住谷さんが懐中電灯でその光景を照らしていると電灯に返り血を浴びると陸軍兵から注意を受けたという記憶の断片が、その夜の凄惨さを浮き上がらせてきます。

 このように民間人の服装をした兵士、あるいは純粋な民間人を何月何日に何人殺害したかの記録など、日本側に残っているはずなどありません。また、もし日本に帰ってこられた兵士の日記の中に、日付と共に数字的な記録(正確なものではなくあくまで自分の見た印象程度かもしれませんが)が残っていたとしても、近年のうち世に出る事は稀なことでしょう。自宅の引き出しの奥に仕舞われたままの手帳や紙片があるかもしれません。そのような兵士の記録が遺品のなかから偶然に見つかったとしても、公になる日は、すこし先のことになるのではないでしょうか。ただ、わたしはこれから幾らかの記録はポツポツと出てくるような気がしています。わたしが、あの場で、そのような現実を目の当たりにしていたのならば、おそらくは日記などの記録に残していたのではないかと思えるからです。人というものは命にかかわる過酷な状況下ほど、残すべき自身の証として見聞などを記録したくなる習性があるように思えます。そうゆう生の視点の断片が現代のわたしたちには必要なのだと思います。それがあの時代のあの時の日本兵と現代のわたしたちを結びつける大切な鍵になるのではと思います。

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>2012-03-17 07:53 | 他所じい様

>はじめまして、こんにちは。

こんにちは。

目撃談や回想録は従来も出てきており、それが30万は嘘にしても数万程度はあったに違いない、との根拠になっているようです。

>濡れ衣であるのなら、当時戦った多くの兵士が、あの事実は自分たちの知る限りはなかったと自身と仲間の誇りをかけて主張すべき内容だとおもいます。例えば元京都第16師団福知山歩兵第20連隊の森王大隊長は平成4年、「南京大虐殺」はなかったという公演記録を出されています。南京総攻撃に参加され12月13日の完全占領から1ヶ月余駐留したご自身の体験を話され、戦後でてきた数々の偽証を論破され、南京大屠殺はなかったと語られています。

> 一方、重たい口を開かれる方もおられます

>それはそうだろうと思います。自身の沽券だけでなく、当時の関係者の、今のプライベートな生活にも影響を与えかねない内容だからです。語るべきか、黙っているべきか。過酷な戦禍をくぐってこられたご本人にしか判断できないことだと思います。

戦場でしたし、極限状態の中、殺人が今の日本からすれば非常に多かったとは言えるのでしょうし、偶発、事故、犯罪、処刑など日本軍兵士による者もあったかと思います。それは私も否定しませんが、それは喩え1000人であろうと虐殺ではありません。

虐殺とは、見せしめや報復のために無関係の人間を軍が組織だって行った行為を言いますその場合は、殺されたのが100人でも虐殺でしょうね。その定義に従えば、日本軍が南京で虐殺をしたという根拠は見つかっておりません。

殺害の目撃も、極めて少数です。東京裁判で南京虐殺を告発したジョン・マギー牧師が目撃したのは、日本軍歩哨の警告を無視した中国人の射殺一件だけであり、これは当然戦場では正当行為でしょう。

日本軍の降伏後、南京で国民党政府が300回にも及ぶ海外特派員のための会見で、口を極めて日本軍の罪を言い立てながら、虐殺への言及はなかったとのことは私も書いておりますが、これが矢張り一番信憑性のある、無かった根拠の一つであろうと考えられます。また当時、大勢の外国特派員が居たのに、本国での新聞に虐殺の記事がなかった(後述される目撃談は、誰かが誰かを殺したとい目撃のみです)ことも、それを裏付けます。

>あるいはゲリラ的活動の恐れがある兵士が含まれていると思えるから殺害は仕方がないことだったと言えるのかもしれません。

> 1937年12月18日付のニューヨークタイムズ紙にF・ティルマン・ダーディン記者が、同12月15日付シカゴ・デイリーニュース紙にA・Tスティール記者が、この時の出来事を12月15日に米国戦艦オアフ号で南京を離れる際船上から目撃し、報道しています。シカゴ・デイリーニュース紙のスティール記者は、南京から上海に至る船上で米国本土への即日打電という報道の速効性を発揮しています。
>
> この下関地区のことは従軍画家の住谷さんも1958年の東郷という雑誌の12月号で回想されています。乗り組み艦の安宅から海軍の中尉とともに捕虜の様子を見に行った晩のことを発言されていて、そもそもその中尉は捕虜を使っての軍刀の試し斬りのために出かけたのだが、・・・

これらの目撃談は何時出てきたのか明かではありませんが、喩え目撃が事実であっても、即ち虐殺が存在したことにはなりません。誰が誰をどのように殺していたかが無いからです。

私が子供の頃、家で飼っていた母猫が、子猫を運ぼうと首の付け根をくわえようとしていたのを、私は母猫が子猫を食べようとしているのだと思いこみ、母猫を追い払ったことがあります。猫が子供の首の付け根をくわえて運ぶ習性を知らなければ当然、母猫の残虐性を誰かに語っていたかも知れません。

目撃が極めて信憑性に乏しいことは、最近理解されてきたようで、人間は容易に偽の記憶を持つことが分かってきています。つまり、聞いたことを自分の目撃と信じ込むことが非常に多いそうですし、自分の体験だと勘違いしていることはほとんどの人間に当てはまるそうです。

これは嘘という認識はありません。人間の記憶とはそう言うものだからです。したがって、目撃談よりも当時の記録が一番信憑性があるのであり、その、組織だった虐殺と認定出来る記録が中国側にも世界各国にも無いのです。それらの記録が出てきたのは、時間が経ってからであり、チェンバレンなどが言い出したことですが、彼が国民党の宣伝員であった事実からも全く採り上げるに値しないでしょう。

目撃談、体験談が信頼出来ない例として、韓国の従軍慰安婦問題がありますが、なぜ80年代後半になるまでその目撃談も体験談も出てこなかったのか、20万名もの自国の女性を強制連行されながら、なぜ韓国では暴動も反乱も起きなかったのか、韓国人は自国の女性を守らなかったのか、に就いては韓国は未だに一言も説明していません。

売春婦だった当人達も、誘導されて証言が次第に変わってきていることが記録されていますが、おそらく当人達もそう思いこんでいるのでしょう。日本でも誘導による自白が裁判で話題になるのはいつものことです。

> このように民間人の服装をした兵士、あるいは純粋な民間人を何月何日に何人殺害したかの記録など、日本側に残っているはずなどありません。

いえ、虐殺ではなく正当な処分であればむしろ残っているはずです。兵士個人の犯罪や処分についても残っています。むしろ、組織だった虐殺ならあとで隠すかも知れませんが、それこそ隠しきれるものではありません。軍の行動記録は、一カ所二カ所でまとめられるのではなく多くの作戦が相互に絡んで記録されており、当時の記録を全て矛盾無く一部だけ改竄、或いは消去するなど不可能なのです。

中国の歴史改竄や朝鮮の歴史改竄を見ればよく分かります。一つの事実を隠すために多くの嘘を書き加えなければならず、それは事実上不可能だからです。

結局、日本軍の記録に組織だって行われた虐殺に記録がないのは、そのようなことがなかったからとしか言えません。

>ただ、わたしはこれから幾らかの記録はポツポツと出てくるような気がしています。わたしが、あの場で、そのような現実を目の当たりにしていたのならば、おそらくは日記などの記録に残していたのではないかと思えるからです。

出てくるかも知れませんね。今までも出てきて、最初は数千だった虐殺が、現在は30万であり、今は40万だと言い出しているようです。今世紀の終わりには一億になっているでしょう。

>人というものは命にかかわる過酷な状況下ほど、残すべき自身の証として見聞などを記録したくなる習性があるように思えます。

それは分かりません。忘れたいことを記録しないのも事実であり、人間は苦痛の記憶を無くするように出来ています。そうしないと、精神が保たないからです。

>そうゆう生の視点の断片が現代のわたしたちには必要なのだと思います。それがあの時代のあの時の日本兵と現代のわたしたちを結びつける大切な鍵になるのではと思います

事実であれば、記録は大切ですね。しかし、いずれにせよ、戦争は悲惨でありだからこそ、この67年というもの、限定戦争以外無いのです。ただ、この近年の限定戦争でも、中国兵や韓国兵による集団虐殺は多々あり、しかもほぼ同時に告発されています。あとになってぼつぼつ出てくる記録で告発されているのではありません。

通信技術の進歩では説明出来ません。南京にも多くの記者の目があったのだし、それを日本軍が妨げることは不可能でしたから。

まあ、あなたが虐殺の存在を信ずるのか信じないのかは分かりません。が、曖昧だから有ったかも知れないというのが一番危険ですね。人数の問題ではなく、有ったか無かったかであり、有ったという人間が多いから、多少はあったに違いないとすれば、それこそ中国のプロパガンダの目的達成ですよ。

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