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死刑制度

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光市母子殺人事件の犯人、大月(旧姓福田)の死刑が確定した。事実関係に疑いがないことから、再審の可能性もなく、いずれ刑は執行されるだろう。

最初に私の立場をあきらかにしておくが、死刑存続論者だ。よく、人権屋は国家による殺人との言葉を使うが、殺人とは、厳密には悪意を以て人を殺した場合に当てはめる言葉だろうと、私は思っている。人を殺せば、殺人罪に問われるが、それが過失であっても過失致死罪に問われる。一般論としては、故意、過失を問わず人を殺すことを殺人と言うが、故意であっても正当防衛、緊急避難においては殺人罪は適用されない。また人を殺す行為が罪にならない例として戦争行為よる殺人、国家による死刑、および一部の国では安楽死がそれに当たる。

ただし、言うまでもないが、これは日本のような法治国家に就いていっているのであり、中国のように死刑を思想弾圧、政敵粛正のために使う、政府自体が犯罪集団である場合は、まさしく死刑は政府による犯罪であり、殺人である。このような国では主権は国民にないので、国家による行為と認める訳にはいかず、政府の犯罪とすべきだ。

人権屋の言う国家による殺人は犯罪ではなく、その是非はともかく国民が合意の元に制定した法律によって認められている行為であり、行為者は国民全体である。およそ、国家の行為とは、主権者たる国民の行為であり、国家による殺人は起こりえない。死刑はあくまで刑罰であり、殺人だから廃止すべきと言う単純論では片づかない。

今回の死刑判決確定を受け、被害者遺族の本村氏は次のように語った。

赤文字は引用

光市母子殺害:遺族の本村さん「悩み続けた13年間」

 少年に立ち直りのチャンスを与えるべきか、命で償ってもらうべきか。ずっと考え続けてきた。この日は「日本では死刑制度がある以上、18歳でも死刑が科される。被害者の数にとらわれず、被告を見極め、悩んで下した判決だったと受け止めたい」と語った。

 判決は、元少年が差し戻し控訴審で一転、殺意を否認したことを「不合理な弁解」と指摘した。本村さんは「反省の情があれば死刑は下らなかった。残念だ。罪をかみしめ、それを乗り越えて受け入れてほしい」と複雑な思いをのぞかせた。

 
 かなり感情を抑えた発言であり、かつては自分で犯人を殺したいと言っていたのとは大きく変わった。それだけ、心の平安を得たのだとすれば幸いだが、しかし、犯人に極刑が下ったことを素直に喜んでいるという発言が別に伝えられている。その言葉を責めるなど到底出来ない。彼が今まで13年間味わってきた苦しみや絶望、そして今後も生きている間決して解消されない悲しみを、安直に国家による殺人に荷担したかのような見方をしているとしか思えない人権屋の発言が下記だ。

光市母子殺害:「少年の更生を否定」…弁護団が声明

 声明では「元少年は逮捕以来13年間、社会から遮断された中で被害者の無念と遺族の憤りを真摯(しんし)に受け止め、反省の日々を送っている。しかし裁判所は被告の姿勢に目を向けようとせず、更生可能性を否定した」と指摘。「元少年は(父親からの)虐待で成長が阻害され、実質的には18歳未満の少年だった。未成熟な少年に死刑を科すことはできない」と改めて訴えた。
 
 かつてこの少年の弁護団が、犯人を死刑にすれば気が済むのか、と言ったと伝えられているが、では、この犯人を生かし続ければ被害者が救われるのかと問い返すだけだ。
 
 死刑廃止論を個人が持つのはかまわない。それについては今後も論争が必要だろうが、今死刑制度があり、それを適用せざるを得ない犯人に対し、未熟だった、未成年だったという理由は何にもならない。未熟な人間の犯罪はそれ故に軽減すべきだというのであれば、そもそも彼らも平等な人権を認められ権利を認められている以上、責任も平等であるべきで、未熟だから死刑にしてはならないと言うのでは法の下に人は平等であるとの根本精神に反する。
 
 なお、ここで言う権利とは人間としての人権を言うのであり、法的な成人と異なる責任範囲を言うのではない。
 
 今回の事件は一つのケースだが、昔から日本では死刑廃止論が絶えなかった。が、実際は日本人の大半が死刑存続を容認しており、Wiki 「死刑存廃問題」に依れば、
 
 「死刑制度に関してこのような意見がありますが、あなたはどちらの意見に賛成ですか」(2004年12月内閣府実施「基本的法制度に関する世論調査」から引用)
 
(ア)どんな場合でも死刑は廃止すべきである‐6.0%
(イ)場合によっては死刑もやむを得ない‐81.4%
(ウ)わからない・一概に言えない‐12.5%

とのことであり、要するに日本人の大半は、死刑存続を容認か、否定もしないが肯定もしないと言うことらしい。

 死刑に限らないが、刑罰の目的として
 
 教育  犯罪者を拘束し、教育を施し、普通に社会復帰させる
 見せしめ 今後犯罪を犯そうと考えている者に対する抑止
 復讐  罪を償わせ、苦痛を与えることで被害者にかわり復讐する
 
 があるが、死刑の場合は、本来教育は意味がない。日本の場合は死刑判決から6ヶ月以内に執行することになっているが実際は形骸化され、実際には早くて数年、長いケースでは、数十年も執行されず、死刑囚が獄死してしまうことが多い。
 
 本来6ヶ月で執行とあるのは、単なる事務手続きの時間であり、その間に教育を施して安心立命の心境にさせることではあるまい。要するに死刑は、見せしめと復讐が事実上の理由となる。
 
 元々死刑廃止論が出てきたのはやはり西欧のそれもキリスト教的価値観からだが、これが欺瞞も甚だしい。中世暗黒時代、キリスト教会が神の名の下にどれだけ多くの人間を拷問死させて来たか。そもそも、キリスト自身が死刑に処せれたではないか。キリスト教の偽善、欺瞞は最近も書いたが、少なくとも日本はキリスト教国ではないし、彼らの批判など全く無視してかまわない。
 
 だいたいが、国家の方針に宗教が干渉すること自体が間違っている。自身の神への忠誠から離婚を認めなかったり中絶を認めないことでどれだけの人々が不幸に泣いているか、キリスト教は責任を取らない。ただ、本人に、神を信じろと言うだけだが、離婚や中絶を認めないのはキリスト教会ではないか。
 
 ついまた脱線してしまった。
 
 死刑廃止論の理由としてはいくつもあるが、私が見聞きした物を列挙してみる。
 
 1)人間の命は何より尊く、何人といえども奪うことはならない。
 2)死刑にしても、犠牲者は生き返らない。
 3)復讐は何も生み出さない
 4)欧米では死刑廃止がほとんどだ
 5)残酷だ
 6)犯人にも人権がある
 7)心から反省させずに死なせても罪の償いにならない
 8)終身刑にすればよい
 9)誤審の場合は取り返しがつかない
 
 
 これらについては、私は全て成り立たず、敢えて言うなら9)が問題になるかとは思う。
 
 1)人間の命は何より尊いなら、それを理不尽に奪った犯人が償える物は命しかないのではないか。とうぜんここで挙げる例は残虐な確信的殺人にに就いているのであって、過失やとっさの犯行はまた別だ。死刑の対象になる犯人の場合は、必ず理不尽な目的で何の過失もない被害者を、一方的な理由で殺したケースであり、それに対し犯人の命と犠牲者の命をどのように天秤にかけるのか。本来、複数の人間を殺したなら複数回命で償うべきではないのか。それが不可能だから一回の死刑で償わせるのだ。
 
 また殺人事件に限らないが、特に殺人の場合、被害者は殺された人間だけではない。今回の事件でも、遺族は夫や両親など、その後の人生を大きく狂わされ、重大な苦痛を与えれている。また加害者の側にも大きな犠牲を強いており、大月の弟は家出をしたまま行方不明であり、大月をかつて虐待していたという父親は社会的にほぼ葬られている。自業自得ではあろうが、大月の弟は真の犠牲者ではないのか。
 
 このケース以外でも、大黒柱を失った被害者遺族は、生活が成り立たず一家離散するケースも多々ある。加害者の家族も大きな負担を背負わされ、やはり無事では済まない。なぜ、犯人だけが、それらの現実から切り離され、国民の税金で生きながらえる資格があるのだろうか。確かに人の命は何より尊い。だから、その命を理不尽に身勝手に奪った人間はせめてその命を差し出し償うべきではないのか。
 
 2)死刑にしても、犠牲者は生き返らない。
 
 確かにその通りだ。では、犯人を生かしておけば犠牲者は生き返るのか。むろんそれもあり得ない。しかし、犠牲者は殺された被害者だけではない。多くの人間が一人の行為によって大きな犠牲を強いられる。彼らの心を慰撫するためにも、犯人は命を差し出すべきだろう。これは、
 
 3)復讐は何も生み出さない
 
 という理由にも重なるが、これを単なる復讐とするのは間違っている。犠牲者の家族など、他の被害者達の心の切換になる。それは大きな死刑制度の理由になるのではないのか。どんな被害を受けても相手を許せと言うのはキリスト教の教えかも知れないが、それが大変な欺瞞であり偽善であることはキリスト教会がよく示している。つまり、人間の心はそのように出来てはおらず、敢えてそのように言う人間を私は信ずることが出来ない。
 
 かつて多くのキリスト教徒が異端の審判を受け、阿鼻叫喚のうちに殺された。それこそ、彼らの拷問器具、処刑方法はキリスト教会が悪魔を処刑するために考え出した知恵の結晶だ。殺されたキリスト教徒達は、自分を処刑するキリスト教の司祭達を許したろうか。
 
 通常の人間の心は、ましてキリスト教徒でもない普通の人間は、自分の大切な人間を無惨に殺した者が死刑になって、心が癒されるのが当然ではないのか。それを非人間的だと責める人権屋が、自分の家族を同じように殺されてそれでも犯人の助命を願うなら、信じよう。
 
 4)欧米では死刑廃止がほとんどだ
 
 では、日本から出て、欧米で暮らして欲しい。欧米がそうだから日本もそうすべきだという愚か者が多すぎる。日本は欧米ではない。とうぜん、欧米と同じ価値観で社会が成り立っているわけではない。これは全く論外の理屈だ。欧米が先進的で、日本が遅れているなら、日本は欧米並みに殺人事件を今の10倍にもしなければならないだろう。
 
 5)残酷だ
 
 戯言であり、犯人がやったような方法で命を絶つのではない。一番苦痛の少ない方法で処刑するのであり、これが残酷なら考え方によっては、終身刑の方がよほど残酷だろう。その終身刑を残酷だと感じない囚人にとって、死刑が残酷であるはずがない。
 
 6)犯人にも人権がある
 
 人を殺した時点で自ら人権を捨てたとすべきであり、ほぼ一生を拘束されて生き続けることは、人権を奪われていることに他ならない。人間の生存権のみが保証されながら、自由はほとんどが許されないのだ。このような状態であることを自らの責任で招いた人間に人権を確保する理由はない。
 
 7)心から反省させずに死なせても罪の償いにならない
 
 そもそも、心から反省すれば罪の償いになるのか。どうせ、殺人を犯してから捕まるまでに反省するなら、自首をするだろう。捕まってからもじたばたせずに自ら犯行を全て自白するだろう。そして送検され、裁かれ、刑が執行されるまでに犯行から数年は時間がある。その間に反省できない人間が、どうして反省すると言えるのか。
 
 また、かつて殺人を犯し、無期懲役になったり未成年であって死刑を免れながら、その後仮出所してすぐに次の殺人を犯したケースが非常に多い。つまり、このような犯罪を犯す人間は再犯率が非常に高く、それは社会にとっても極めて危険なのだ。
 
 だからこそ、
 
 8)終身刑にすればよい
 
 ということも言われるのだが、終身刑にすれば解決するのだろうか。このような人間は最初から人間としての権利を自ら捨てている。だから、社会でまともに生きることが出来ず、犯罪を繰り返し、殺人を犯す。初犯で殺人を犯した場合、大量殺人ででもない限り、死刑を免れるケースが多いが、ほとんどの死刑囚は何らかの凶悪事件を生涯に何度も繰り返している。つまり、まともに社会で生きることが出来ないし、その意思もないのだ。
 
 万が一、本人が心から悔い反省したとして、それが償いになるのか。殺された人間の命は戻らず、遺族の心は解放されず、社会的な不安は解消されない。本人が悔い改めたとしても、それが本当でも、それは当人だけのこと。当人が勝手に満足していればよいだろう。
 
 このような人間の生存を、生涯国民の税金で支えることが本当に公正なのだろうか。
 
 終身刑が必要だとの意見は分かる。なにしろ、有期刑の最長は日本では30年であり、通常はその満期をつとめずに出所するケースが多い。10年から20年で出た場合でも20代で刑務所に入れば、40代で社会に出る。が、当然、社会になじめず、より凶悪な犯罪に手を染める。そのような人間が死刑囚には本当に多い。
 
 無期懲役の場合は、刑期が定まらない刑であって、理屈では数年で出てくることがある。上記の、殺人を犯し無期懲役になりながら出所し、犯罪を繰り返したケースはこれであり、現在は、無期懲役が事実上終身刑化しており、かつてのように数年で出てくることはほとんど無いとのことだ。
 
 それなら、終身刑を設ければよい。しかし、その代わりに死刑を廃止する理由はない。死刑は、法的手順に則り、速やかに執行すべきだろう。かつて法務大臣の中には、自分が死刑反対の立場であるからとの理由で死刑執行命令書に判を押さない者が居たが、これは言語道断であり、個人の心情で立場を私したことに他ならない。特に民主党になってからその傾向が強い。一方、鳩山邦夫法務大臣の頃、10名の執行を行い、殺人鬼などと書き立てられたが、そのように言う輩が、個人の心情で法律を曲げても良いと言っているのだと自分で気がついているだろうか。今日本では死刑確定状態で執行されない者が、130名ほど居るそうであり、理屈では全て死刑にしても何ら問題ではない。法とはそのようなものだ。今、現実に死刑判決から半年以内の死刑執行が義務づけられているのだから、それを粛々と実行すればよい。
 
 さて、最後の、 
 
 9)誤審の場合は取り返しがつかない
 
 に就いては、確かに問題がある。現実に、死刑判決を受けながら再審の結果無罪が確定したケースが何件もあり、特に戦後一時期は今から考えれば全くの警察検察のでっち上げでしかなかったと思える事件が無数にある。また拷問により自白を強要し、送検したケースも報告されている。
 
 紅林麻雄などは、捜査の神様として名刑事の名をはせたが、実際は容疑者に対して拷問をし、自白を強要していたことが判明している。しかし、その事実が判明してからも、当人は一切刑事罰を受けることなく、一生を過ごしている。

 今後もおそらく誤審は避けられないだろう。えん罪もあるかも知れない。確かに疑わしきは被告の利益とする方針で裁判が行われれば良いのだが、その裁判自体にかなり誤審がある。結局、人間のやることに間違いは避けられないのだ。
 
 それならば、仮に誤審や警察、検察の捏造が明らかになった場合、その関係者を厳重に刑事罰に書する必要があるのではないか。誤審の場合は、検察の立件が間違っており、警察の捜査が間違っていたからと言う理由もあるだろうが、それを見抜けないのは裁判官として能力がないのであり、当然責任を取るべきだろうし、故意に証拠の捏造や拷問などで自白を強要した警官、検察官はそれこそ逮捕し刑事罰を与えるべきだろう。万が一そのためにえん罪で長期刑になったり死刑になったことが判明したら、その原因を作った当人達もそれ相応の、罰が明確にされるべきだ。むろん、そのために今でも「特別公務員暴行陵虐罪」があるが、立証が難しい。なにしろ、それを捜査し立証するのが同じ公務員なのだ。したがて、過去にその罪で刑に服したケースはほとんど無い。
 
 まして、誤審も、誤捜査も野放しなのだ。民間人が過ちで犯罪を犯した場合その重大性によって罪に問われ、罰金刑で済めばまだしも、場合によっては実刑を受ける。刑事罰とは別に民事で負ければそれこそ大変な負担を負わなくてはならないが、裁判官の誤審、検察、警察の誤捜査、捏造については、本人達ではなく国や自治体が被告となり仮に責任が認められれば国が保証金を払う。
 
 桶川ストーカー殺人のケースなどを見ればよく分かる。被害者遺族に保証金を払ったのは自治体であり、警察関連の人間達は、懲戒、減給で済まされている。
 
 話を戻すが、このように検察警察裁判所に対する罰則を厳重にする、また近年の科学捜査の進歩での誤捜査、誤審がないように努め、それでも間違いは避けられ無いながら、今では死刑が執行されてしまうと、名誉回復の機会さえ失われる。
 
 せめて、当人の名誉回復、遺族に対する保証を最大限とするしかない。それでも疑わしきは被告の利益を本当に貫くならそれだけでもえん罪は減ると思うが、それを理由に死刑を廃止すべきではない。

 欧米では、死刑復活を望む声が次第に大きくなっていると聞く。ノルウェーなどでも今では66%が死刑復活を望んでいるとのことだ。
 
 キリスト教的偽善による死刑廃止は、人間の精神を蝕むと言っていい。それは人間の本来の心を殺さなければ、犯人を許すなど無理だからだ。そして、犯人を許さなければならないとはキリスト教の神の教えだろうが、本来、その理由など無い。過去の暴力に明け暮れた時代は、神はそのように人間に命じなければならなかったのだろうが、現代ではそのために神による復讐の代わり法治国家では法があるのだ。


上記に引用されているURLの記事を読む場合は下記の「続きを読む」をクリックしてください。但し、内容確認以外なら、敢えて読む必要はありません
以下は参照用の資料ですので、確認をされる以外はあえて読む必要はありません。

光市母子殺害:遺族の本村さん「悩み続けた13年間」


 司法の最終結論は「極刑」だった。山口県光市で99年に起きた母子殺害事件に対する20日の差し戻し上告審判決。死刑と無期懲役で揺れ続け、「犯罪被害者の権利とはなにか」という問題も浮き彫りにした事件は発生から約13年、5度目の判決で終結した。布に包んだ2人の遺影を抱え、目を閉じて判決を聞いた遺族の本村洋さん(35)は「悩み続けた13年間だった。遺族としては満足だが、決して喜びの感情はない。厳粛な気持ちで受け止めたい」と語った。【安部拓輝、和田武士】

 ◇「厳粛な気持ちで受け止めたい」
 「本件上告を棄却する」。午後3時、最高裁第1小法廷に金築誠志裁判長の声が響いた。本村さんは裁判官4人に深く一礼し、隣にいた妻弥生さん(当時23歳)の母親に「長い間、お疲れ様でした」と言葉をかけた。

 その後、東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見。「13年間、この事件に関心を持ってくださったことに感謝しています」。報道陣を前に、本村さんはそう切り出した。

 少年に立ち直りのチャンスを与えるべきか、命で償ってもらうべきか。ずっと考え続けてきた。この日は「日本では死刑制度がある以上、18歳でも死刑が科される。被害者の数にとらわれず、被告を見極め、悩んで下した判決だったと受け止めたい」と語った。

 判決は、元少年が差し戻し控訴審で一転、殺意を否認したことを「不合理な弁解」と指摘した。本村さんは「反省の情があれば死刑は下らなかった。残念だ。罪をかみしめ、それを乗り越えて受け入れてほしい」と複雑な思いをのぞかせた。

 一連の裁判は優先的な傍聴権や被告への意見陳述権など犯罪被害者遺族の権利向上にも結びついた。一方で、感情をあらわにした言動により「死刑の推進者」というイメージで語られることに戸惑いもあったという。

 この日の会見では「時間は最良の相談相手。冷静に事件を見つめられるようになった」と振り返った。亡くなった妻と長女に元少年も加え「3人の命を無駄にしないよう、死刑のような判決が出る事件がない社会を実現するにはどうすべきか、考えるきっかけになれば」と訴えた。

 感情を抑えた静かな口調で約1時間。終了に際し、本村さんは09年に入籍し、2人で墓参していることを明かした。「弱い私を支えてくれる素晴らしい人と出会えた。前を向いて笑って生きていくことも大切だと思っています」。新たな家族との歩みに感謝の思いもみせた。

毎日新聞 2012年2月20日 21時22分(最終更新 2月20日 21時52分)


光市母子殺害:「少年の更生を否定」…弁護団が声明

 元少年の弁護団は記者会見などは開かず、声明を発表し「3対1」で死刑を支持した最高裁判決を批判した。

 声明では「元少年は逮捕以来13年間、社会から遮断された中で被害者の無念と遺族の憤りを真摯(しんし)に受け止め、反省の日々を送っている。しかし裁判所は被告の姿勢に目を向けようとせず、更生可能性を否定した」と指摘。「元少年は(父親からの)虐待で成長が阻害され、実質的には18歳未満の少年だった。未成熟な少年に死刑を科すことはできない」と改めて訴えた。

 第1次上告審段階から新たに選任された弁護団で臨んだ差し戻し審で、元少年は殺意否認に転じた。弥生さん殺害は「甘えたい気持ちで抱きついたら抵抗され、右手で体を押さえていたら動かなくなった」、夕夏ちゃん殺害も「首にひもを巻き付けたことの記憶がない」などといずれも否認し、傷害致死罪にとどまると主張した。

 弥生さんへの強姦は「復活の儀式」で、夕夏ちゃんの遺体を押し入れに入れたのは「ドラえもんが何とかしてくれるという思いから」と説明した。

 これに遺族の態度は一層硬化し、差し戻し控訴審判決も「虚偽の弁解をし、死刑回避の事情も見いだせなくなった」と厳しい評価を加えた。弁護団は今年1月の弁論で「いま一度、真実は何かが審理されなければならない」と訴え、再度の差し戻しを求めていた。

毎日新聞 2012年2月20日 21時23分(最終更新 2月20日 21時51分)
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コメント

No title

>再審の可能性もなく、いずれ刑は執行されるだろう。
私自身は法務大臣である以上個人の主義、信条で執行しないのは法務大臣としての適正を欠いているとしか思えません。
本村氏も一時は過激な発言がありましたが最愛の妻と娘を殺害された以上当然のことと思います。
理解できないのが弁護士の方々でドラえもん云々や生き返らせようとして暴行したなどの論法を振りかざした人権派弁護士、彼はまた死んだ人間を犯したのだから強姦罪は成立しないとのたまりました。死刑反対論者であるにも関わらず、麻原の上申書を提出せずに死刑に追いやり、このたびのケースでは世間の反感を買うような理論を振りかざして心象を悪くし死刑に導くのであれば本当は死刑推進派ではないかと思うこのごろです。
彼にとっては被害者の人権より加害者の人権の方が重要なのだと痛感したものです。弁護士という職業上あくまでも裁かれる側の立場ということは理解していますが報酬さえもらえば白を黒と言い繕う姿勢にたかおじさん様の云う米国の病巣を見る思いがしてなりません。相手を言いくるめてしまえば勝ちであり、勝利は正義だと詭弁を弄して真実から目を背けさせるこれではたまりません。

No title

>2012-02-21 21:58 | ダジャ様

>私自身は法務大臣である以上個人の主義、信条で執行しないのは法務大臣としての適正を欠いているとしか思えません。

そうですね。死刑は法務大臣が命令しなければ執行されず、これは法務大臣に科せられた重要な任務です。むろん、彼らが個人的に死刑反対でもかまいませんが、自分の職務を遂行しないつもりなら、法務大臣の任命を受けるべきではありません。

>本村氏も一時は過激な発言がありましたが最愛の妻と娘を殺害された以上当然のことと思います。

人間として当然でしょうね。大月のふざけた言い分を信じろと言う連中が、遺族の感情を非難することなど有ってはならないはず。

>死刑推進派ではないかと思うこのごろです。

結果がどうであれ、自分はやるべきことをやったと言いたいだけじゃないんですか。もし、最初から死刑回避の可能性があると思えば、もうすこし裁判官の心証を悪くさせないように被告にあらかじめ教えるべきでしょう。

>彼にとっては被害者の人権より加害者の人権の方が重要なのだと痛感したものです。弁護士という職業上あくまでも裁かれる側の立場ということは理解していますが報酬さえもらえば白を黒と言い繕う姿勢にたかおじさん様の云う米国の病巣を見る思いがしてなりません。相手を言いくるめてしまえば勝ちであり、勝利は正義だと詭弁を弄して真実から目を背けさせるこれではたまりません。

しかし、それが弁護士の仕事であり、どんな嘘でも突き通して無罪を勝ち取れば弁護士としては腕が良く、依頼も多くなるわけです。実際に日本でも凶悪事件の容疑者を弁護し無罪を勝ち取り、莫大な国家保証金を得てその金を使い果たした犯人がまた凶悪事件を起こしたことがあり、弁護人は大避難を受けましたが、当然ながら弁護士としての責任を果たしたのであり、当然罪に問われることはありません。しかし、状況から、彼は最初の犯人が容疑者であったと確信しながら弁護をし無罪を勝ち取った節があります。まあ、分かりませんが。

正義とか、真実などは弁護士には余り関係がないようです。アメリカの弁護士も全部がそうではないでしょうが、アメリカ自体が狂っているのは事実ですね。日本も弁護士はかなり常人の感覚とは違うようです。会社努め時代、仕事で弁護士に接したことがありますが、余り付き合いたいと思う人は居ませんでしたね。

終身刑にせよ

終身重労働とか、恩赦対象外とか、仮釈放無しとか定めるべきでしょう。
収監する目的には、「隔離」もあるからです。

死刑反対との信条から手続きを進めぬ法相は、それを善行とでも思っているのでしょうね。
死刑囚の話として、「毎朝看守の足音が近づいて来て、自分の房の前を通り過ぎると、今日は執行がないのだと安堵する。」と云うのがあります。
被害者の家族や関係者ばかりでなく、受刑者をも苦痛を与えていて、決して人道的ではない事を気がついていません。簡単な話、自己満足でしかないのです。
真の人権を考えれば、死刑囚とて半年以内に処刑の恐れから解放される権利があるとは思えないのでしょうか。

尚、死刑とは別の事ですが、我が国では経済犯に対しての刑が軽すぎます。

終身刑にせよ

>2012-02-22 01:34 | あづまもぐら様

>終身重労働とか、恩赦対象外とか、仮釈放無しとか定めるべきでしょう。
>収監する目的には、「隔離」もあるからです。

確かに隔離もあります。書き忘れました。ただし、唯の懲役では非常に負担が大きいのです。刑務所を管理する費用、一人一人の衣食住、病気なれば治療などのコストは、娑婆で暮らしている人たちと余り変わらず、娑婆の人たちは税金を払ったり生産活動に従事していますが、刑務所の中の人間達は全く生産とは関係がありません。

よく刑務所で家具を作って売ったり、或いは単純作業などをして労賃を稼いだりしていますが、あれは全くの赤字であり、焼け石に水だそうです。まあ、幸か不幸か入ったことがないので、詳しくは分かりませんが、小さな罪を何度も重ねて生涯を刑務所で過ごす人間はほとんどが社会に適応できず、望んで刑務所にはいるそうです。彼らにとって刑務所の方が娑婆よりも楽なのだとか。

そうなると、終身役というのはある意味彼らにとって理想の環境かも知れません。衣食住が保証され、病気になれば治療してもらえます。何か割り切れませんね。昔なら北海道の開拓におくったり炭坑の穴の中で命のコストを考えずに働かされたのですが。

といって、社会に解き放つとほとんどまた罪を犯しますし、時にそれが重大な被害をもたらします。

中国人などは、日本の刑務所が天国だそうで、刑務所にはいることは何とも思わないのが居るとか。自国で苦しい生活をするよりは楽だとのこと。

ようするに、待遇が良すぎるのです。彼らの人権は極めて狭められ、衣食住も通常の人間並みというのは間違っています。娑婆で餓死する人が居るんですよ。
>
>死刑反対との信条から手続きを進めぬ法相は、それを善行とでも思っているのでしょうね。

ええ、あれは馬鹿ですから。

>死刑囚の話として、「毎朝看守の足音が近づいて来て、自分の房の前を通り過ぎると、今日は執行がないのだと安堵する。」と云うのがあります。

それは聞いたことがあります。予告無く執行されるとか。

>被害者の家族や関係者ばかりでなく、受刑者をも苦痛を与えていて、決して人道的ではない事を気がついていません。簡単な話、自己満足でしかないのです。

たしかに、自分が死刑廃止論者であるのはかまいませんが、職務とは関係がないはず。公私混同をする馬鹿者と言うことだし任命する方も馬鹿なんでしょう。

>真の人権を考えれば、死刑囚とて半年以内に処刑の恐れから解放される権利があるとは思えないのでしょうか。

中国のように、判決後1時間で処刑なんてのも良いかも。北朝鮮など、処刑してから判決がくっつけられるとも言います。

>尚、死刑とは別の事ですが、我が国では経済犯に対しての刑が軽すぎます。

先進国はおしなべてそうですね。犯罪はほとんどが元の取れない行為だそうです。強盗や泥棒で特をすることは絶対ないそうですが、一つ詐欺や横領は元が取れるんだそうで、上手くやれば海外逃亡で左うちわだとか、立件できなければ大手を振って贅沢できるとか。

むかし、「白昼の死角」という小説を読んで、そう思いましたね。

ううむ、心が動くなぁ。とはいえ、到底私には無理です。女房一人だませない。

No title

死刑制度に反対していたが、自分の家族が被害者になって死刑存続に
変わったという弁護士がいましたね。
日本を犯罪天国にしたい確信的な輩ではなかったようですが、
想像力の欠如という批判は免れませんね。

No title

>2012-02-22 13:05 | 花岡 鉄様

>死刑制度に反対していたが、自分の家族が被害者になって死刑存続に
>変わったという弁護士がいましたね。

確かにいたような記憶がありますが、具体的な内容は思い出せません。

>日本を犯罪天国にしたい確信的な輩ではなかったようですが、
>想像力の欠如という批判は免れませんね。

菊池寛の小説に「若林裁判長」というのがあり、普段は犯人にも人間性があり更生するはずだからと情判決を繰り返し、名裁判長と評判されていた若林裁判長が、自分の家を強盗に襲われ、直接の被害はなかったものの奥さんがそれで病気になり、子供達もおかしくなり、そして自分自身の恐怖を以て、今まで自分が犯罪者を唯想像の上だけでとらえていたことに気がつき、犯罪の実態を見つめることで、次の裁判では厳しい判決を下したと言う話です。

まあ、これは小説ですので自分のさじ加減で人の運命をもてあそんだ愚かな裁判長の話として読めばいいのですが、実際にそのような人間が法曹界にいるのは事実です。

まさに、机上の空論で人権論を繰り広げ、そこには犯罪に対する認識がありません。今回の事件の弁護団は、被告が更生して社会との和解を出来るように努めたとのことですが、彼が社会と和解できるものではないし、無期であっても社会と接する可能性は極めて低く、和解自体彼と弁護団の自己満足だけです。

社会全体、被害者、遺族、あらゆる犠牲者への認識が欠けているのが、このような三百代言達ですね。

No title

>実際に日本でも凶悪事件の容疑者を弁護し無罪を勝ち取り
確か馬橋周辺で若い女性を襲った小野悦男事件のことと思いますがその後の猟奇的な殺人事件で逮捕起訴されましたが一事不再理の壁の前に立ちふさがれたと記憶しております。
そのときの人権派弁護士の遠藤氏も途中から小野悦男の犯罪を認識していたというような記事を何かで読んだ記憶があります。
犯人と分かっていながら無罪を勝ち取り、一般社会に解き放ち凶悪犯罪を繰り返す人権派とはいったい何者なのかと考えさせられた事件でした。
さらに犯人と分かりながら無罪を勝ち取りさらに猟奇殺人を犯すのでは(これは弁護士の手腕といわざるを得ませんが)私的には共犯者、もしくは教唆犯でもおかしくは無いと思った次第です。

No title

>2012-02-22 21:24 | ダジャ様


>確か馬橋周辺で若い女性を襲った小野悦男事件のことと思いますがその後の猟奇的な殺人事件で逮捕起訴されましたが一事不再理の壁の前に立ちふさがれたと記憶しております。

そうでしたね。あれは最悪の事件だったでしょう。

>そのときの人権派弁護士の遠藤氏も途中から小野悦男の犯罪を認識していたというような記事を何かで読んだ記憶があります。

実際の処、それは本人しか分かりませんが、野崎研二弁護士だったと思います。途中から斧が犯人であることを確信したが、えん罪を主張し続けあとになってそれを本に書いています。無実と無罪は違う、と言っていますが、要するに罪を犯しても裁判で立証されなければ無罪だと言うことです。これが三百代言の所以です。

未だに正義派弁護士として知られているそうですが、一方、途中でこいつが犯人だと法廷で宣言しその場で弁護人を止めたケースもあります。弁護士としての職務を放棄したと話題になりました。

>犯人と分かっていながら無罪を勝ち取り、一般社会に解き放ち凶悪犯罪を繰り返す人権派とはいったい何者なのかと考えさせられた事件でした。

おそらく、このようなケースは無数にあるのでしょうね。疑わしきは被告の利益が原則です。

>さらに犯人と分かりながら無罪を勝ち取りさらに猟奇殺人を犯すのでは(これは弁護士の手腕といわざるを得ませんが)私的には共犯者、もしくは教唆犯でもおかしくは無いと思った次第です。

全くです。自分でそのようなことをしながらそれを本に書いて、えん罪にした裁判官や他の弁護士を非難するような人間が、事実を公表した勇気ある弁護士と言われています。

No title

たかおじさん様
私の記憶違いで申し訳ございませんでした。確かに野崎研二弁護士でした。
弁護士の仕事は被告人を無罪にすることではなく被告人(依頼人)の権利を守ることと思っていましたが両刃の剣でもあるわけですね。
また私の記憶違いでご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。

No title

>2012-02-23 01:19 | ダジャ 様

>私の記憶違いで申し訳ございませんでした。確かに野崎研二弁護士でした。

いえ、私も確認しなければならず、記憶していたわけではありません。貴重な資料を頂きありがとうございました。

>弁護士の仕事は被告人を無罪にすることではなく被告人(依頼人)の権利を守ることと思っていましたが両刃の剣でもあるわけですね。

確かにそうですが、野崎氏の場合はそれにより凶悪犯を野に放ち、さらに犠牲者を出したわけで、弁護士の職務とは言うべきではないと思います。責任を感じるなら、廃業すべきではないでしょうか。

>また私の記憶違いでご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。

いえいえ、全く迷惑など有りません。具体例を頂き感謝しております。

また今後ともよろしくお願いいたします。

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