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宗教について

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 このところ、キリスト教に対し日頃思っている批判めいたことを書いたのに対し、幾つかのコメントを頂いた。特に私が参加しているSNSではキリスト教徒だという方らから、日本の保守系としてキリスト教徒が嫌いなのか、とのコメントを頂き、つくづく宗教を扱うのは難しいと思った。
 
 私は宗教に対しては批判的な面があるし、それはキリスト教に限らずイスラム教、仏教にもある。が、それらを信ずる人々に対しては一切批判などしたことはないし、するつもりもない。信教は個人の問題であり、私がとやかく言うことではないからだ。
 
 私は、これと言った宗教を持ってはいないが、日本人として生まれ当然のこととして仏教と神道の雰囲気の中で育っているから、これらの宗教に大きく影響されているとは思う。たとえば私は輪廻転生を信じているが、あくまで私個人の問題であり、輪廻転生を証明しろと言う問いに対しては、何故?と言うだけだ。私は、自分が輪廻転生を信じている理由など考えたこともない。まして、人に輪廻転生を信じなさいと言ったこともない。
 
 同様、キリスト教徒が、宇宙は神が造りたもうたと信じていようと、韓国人が宇宙は韓国人が造ったと信じていようと一切かまわないと思っている。それぞれ内なる心の世界のことなのだ。いや、私が彼らは何を信じているのだろうと想像する必要など無いのだ。
 
 ただし、それを言動とし他者に影響を与えるとなると問題が生じてくる。私が宗教に批判的なのはそのためであって、特にキリスト教が世界の情勢に大きく関わっている以上、どうしても無視は出来ない。個人の問題ではないのだ。
 
 実は、私のキリスト教との出会いは決して悪い物ではない。幼い頃は、私の田舎ではクリスマスに大規模に何か特別なことをするという習慣がなかった。ただし、クリスマス自体は知られていて、小規模なパーティーなどはあったしプレゼントを貰う楽しみもあった。サンタクロースのおじいさんに、スケートを下さいと手紙を書き、返事にスケートは危なくて怪我をするから、代わりにこれを上げますと、筆箱やノートが枕元に置かれていたのを覚えている。当然ながらサンタクロースのおじいさんが日本語の読み書きが出来るのかという疑問もなく、おじいさんからの返事の筆跡が母と同じであることも気がつかなかった。
 
 そのころ、近所の教会に行くとおやつをもらえるというのが子供達の口コミで広がり、多分何回か行った。確かに歌や遊技を教えて貰い、おやつを貰って、教会とはそう言うところなのだと理解していたと思う。キリスト教の概念など全く理解するはずもなかったが、キリスト教国の子供達はそうやって体の中にキリスト教を染みこませてゆくのだろう。
 
 むろん、国毎に文化があり、キリスト教文化では子供達の身体にキリスト教を染みこませてゆくのは当然だろう。私も自分の体の中に、仏教や神道が染みこんでいるのを感じる。
 
 次に私がキリスト教を概念として実感したのは、ユーゴーのレミゼラブルを読んだときだ。子供向けのダイジェスト版はそれまでに読んでいたが、全訳の世界文学全集 新潮社版の大冊で、その冒頭はミリエル司教の人となりが長々と書かれており、そして、ジャンバルジャンが彼の教会を訪れるところから物語が始まっている。それを読みながらミリエル司教の無限の愛にそれこそ感涙に噎んだものだ。
 
 おそらくキリスト教の精神とはこのような物だろうと今でも思っている。かつて世界各地に使命感に燃えたキリスト教宣教師達が派遣され、未開の地域に神の教えを説くという崇高な使命感に命の危険も省みなかったのだろう。
 
 しかし現実に、彼らの愛の心とは別に、キリスト教の布教が次の欧米による植民地支配の先駆けになった事実は変わらない。中南米のインカ、アステカ、マヤ文明を滅ぼしたのも、キリスト教の神の支配をあまねく及ぼす使命感の故だったのかもしれないし、実際の当時の当地の文明では、人身御供が一般的であったり、世界の終末が避けられない物としての閉塞感があったから、違う価値観をもたらすこと自体は間違いではなかったかもしれないが、ただ、当地の文明を根こそぎ破壊し財宝を奪い取る手段としてキリスト教が用いられたとなると、違う価値観をもたらす等と言うことではないだろう。
 
 崇高な宣教師の使命感とは別に、確かに植民地支配をした方はキリスト教をその手段として使ったのだ。
 
 いや、植民地支配だけではない。古くから民衆の不満を神の支配、御心だと押さえ込んできたのは為政者達でありそのためにキリスト教を用い保護し、そしてキリスト教会も権力に阿り民衆を支配した歴史も事実だ。先頃のイタリアの国民投票の直前、ローマ法王が露骨な介入をし、そしてイタリアで脱原発が採択されたのは記憶に新しい。
 
 そして、アメリカはキリスト教原理主義国家であり、キリスト教の支持がなければ政権をとることも維持も出来ず、アメリカ通貨には、In God We Trustと書かれており、大統領は演説の締めくくりを、God bless you, God bless the United States of Americaとする。
 
 インテリジェント・デザインが教育の主流となる地域があり、宇宙は神が造ったと信ずるアメリカ人が半数に及ぶ。
 
 先に書いたように、人類や宇宙を神が造ったと信じようが韓国人が造ったと信じようがそれは個人の問題だが、それを教育の中に取り入れるとなれば話は別だ。そのように体の中にキリスト教を染みこまされた子供達がいずれアメリカを動かすようになる。というより、今アメリカを動かしている人々はそのようにして育った人々なのだ。
 
 その人達が、キリスト教を染みこまされた思考で世界を観ていないと信ずる方が無理だろう。
 
 良く引きあいに出されるのが、マニフェスト・デスティニーだ。つまりアメリカの価値観を至上の物としそれを規準に敵味方を決め付け、従わない相手を攻撃するというやり方であり戦争には至らないとしても日本はずいぶん標的になっている。
 
 WW2以降のアメリカの戦争で、キリスト教国と戦った例があったかなどは単なる偶然でそうなったと思える物でもない。
 
 どうしても、アメリカの行動が、かつての十字軍に重なって仕方がないのだ。アメリカは言論思想の自由な国と言うことになっている。しかし、その自由はえてして金の力、権力に左右される。典型がロビー活動だろうし、金持ちが雇う弁護士のやり方だろう。
 
 そして、アメリカにもむろん社会主義者も入れ共産党もKKKもいる。法的に保証されているが、それでもアメリカがアメリカ至上主義国家でありその根幹にキリスト教があるのは否めない。
 
 キリスト教が世界に大きな影響を与えたから自然にキリスト教批判になる。神が、黒人の身体に魂を入れて造りたもうた筈がない、とフランスの思想家、モンテスキューは「法の精神」の中こう言っている。
 
 「 《とても賢い神様が、このような真っ黒い肉体に魂、とくによい魂を吹き込んだとは考えられない。(略)黒人が人間だと考えることは不可能である。彼らを人間だと考えれば、我々がキリスト教徒でないことを認めざるを得なくなる》(同、第十五編第五章)。」

1/28 追記

上記のモンテスキューの表現を裏付ける原文がネット上にあったので載せる。確認されたい方はオンライン翻訳などにかけることをお奨めする。上記の文章は意訳されているが、赤文字の部分が、それに該当するようだ。

原文

CHAPITRE V.
DE L’ESCLAVAGE DES NEGRES.

Si j’avois a soutenir le droit que nous avons eu de rendre les negres esclaves, voici ce que je dirois :

Les peuples d’Europe ayant extermine ceux de l’Amerique, ils ont du mettre en esclavage ceux de l’Afrique, pour s’en servir a defricher tant de terres.

Le sucre seroit trop cher, si l’on ne faisoit travailler la plante qui le produit par des esclaves.

Ceux dont il s’agit sont noirs depuis les pieds jusqu’a la tete ; et ils ont le nez si ecrase qu’il est presque impossible de les plaindre.

On ne peut se mettre dans l’idee que Dieu, qui est un etre tres sage(13), ait mis une ame, surtout une ame bonne, dans un corps tout noir.

Il est si naturel de penser que c’est la couleur qui constitue l’essence de l’humanite, que les peuples d’Asie, qui font des eunuques, privent toujours les noirs du rapport qu’ils ont avec nous d’une facon plus marquee.

On peut juger de la couleur de la peau par celle des cheveux, qui, chez les Egyptiens, les meilleurs philosophes du monde, etoient d’une si grande consequence, qu’ils faisoient mourir tous les hommes roux qui leur tomboient entre les mains.

Une preuve que les negres n’ont pas le sens commun, c’est qu’ils font plus de cas d’un collier de verre que de l’or, qui, chez des nations policees, est d’une si grande consequence.

Il est impossible que nous supposions que ces gens-la soient des hommes ; parce que, si nous les supposions des hommes, on commenceroit a croire que nous ne sommes pas nous-memes chretiens.


De petits esprits exagerent trop l’injustice que l’on fait aux Africains. Car, si elle etoit telle qu’ils le disent, ne seroit-il pas venu dans la tete des princes d’Europe, qui font entre eux tant de conventions inutiles, d’en faire une generale en faveur de la misericorde et de la pitie(14) ?  

 これが、ヨーロッパのアフリカ蹂躙、奴隷使役の理由なのだ。特にアメリカは、イスラムのテロを非難し、日本の真珠湾を卑劣だといい、ナチスを人類の敵だと糾弾する。自らの奴隷文化の歴史に対する同じような非難があるだろうか。自省があるだろうか。聞いたことがない。
 
 キリスト教の本来の姿がもしこれであれば、冒頭に私が言った、キリスト教の愛の精神はまやかしであり、またキリスト教が西欧の為政者の道具になっているのであればやはりキリスト教の責任だろう。糾弾されて当然ではないのか。
 
 たまたま、日本仏教は過去はともかく、現在はそのような状態にはない。が、それでも一般人を引き込むためか、多くの仏教者がキリスト教者同様、中核派主催の脱原発運動や、反戦運動に荷担している。やはり堕落だとしか思えず、私も以前糾弾したことがある。
 
 ただ、繰り返すが信教は個人の問題であり、いかなるキリスト教徒も仏教徒も韓流フアンも非難する理由など無い。ただ、その内部の信仰を行動に表し、悪影響を他に及ぼすならば、そこで非難される。
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コメント

日本にキリスト教は浸透しない

徳川家光の頃、キリスト宣教師達が日本人女性を攫って、外国に売り飛ばした。これを止めるよう幕府が宣教師に命令したが無視した為、キリスト教を排除した。厚顔無恥な宣教師達は幕府に弾圧されたと殉教者づらした。
広島に原爆投下したアメリカ兵士は「アーメン」と言って広島の無辜の民を地獄に突き落とした。
長崎の原爆マリア(長崎に原爆が落とされた教会にあったマリア像。原爆投下後、何故か両目に赤黒い涙を流している跡ができた。)を無きものにしたのもキリスト宣教師です。
キリスト教の連中が日本人に酷い事をした事実があるのに、知らぬ存ぜず、ととぼけて、日本人遅れてるーと上から目線で見るキリスト教。
現在も日本における児童ポルノ法案成立(単純所持も禁止)を目指そうと背後で動いているのも日本キリスト教。
そんなキリスト教が日本に好かれる訳がない。

日本にキリスト教は浸透しない

>2012-01-29 11:23 | イッケ様

>徳川家光の頃、キリスト宣教師達が日本人女性を攫って、外国に売り飛ばした。これを止めるよう幕府が宣教師に命令したが無視した為、キリスト教を排除した。厚顔無恥な宣教師達は幕府に弾圧されたと殉教者づらした。

マラノス・・・改宗ユダヤ人ですな。彼らのこの行為に対し、宣教師達は禁止するよう本国に求めており、宣教師が日本人奴隷売買を推進していたわけではない。

奴隷売買はキリスト教の病根であり、高橋是清もアメリカで奴隷にされた。

>そんなキリスト教が日本に好かれる訳がない。

信仰とは好き嫌いの問題じゃないので。結論として、日本の風土にあわないから広まらないというだけでしょ。

不思議です

宗教に何を求めてるの?
宗教の意味とは?
信仰しないとやってらんないワケ?
極端な話、無くても生きてけんだけど、どう?

No title

>2012-12-10 11:40 | 無心様

>不思議です
宗教に何を求めてるの?
宗教の意味とは?

そりゃ人それぞれですね。あまり意味のある質問とは思えませんが。どうせ、宗教は無駄だから止めろと言っても、信じ込んでいる人は止めませんよ。

>信仰しないとやってらんないワケ?
>極端な話、無くても生きてけんだけど、どう?

信じ込んでいる人は、宗教がなければ生きてゆけないようですよ。

信じない人には分からないんでしょうね。私は無宗教だけれど、宗教心は有ると思いますよ。でも自分がそうだから人もそうであるはずなどとは考えないし、説得しようとも思いませんね。

ただ、原理主義で実害が発生するなら、それに対する手段は講じなくてはならないでしょう。それがない限り、誰が、鰯の頭を信仰していても別に気になりませんが。

無心さん

私はこう考えます。
人々が宗教に求めるものは、絶対基準です。
勿論、宗教なしでも生きられます。ヒト以外の生き物は宗教無しで生きています。但し、本能が絶対基準となっています。
ヒトの場合、理性が割り込んで来ますから、本能と理性の硲で葛藤する事となります。
理性は個々に異なりますから、社会生活を営む上で一定の基準が必要となります。その基準は、その社会の知的文化水準を反映した道徳心やモラルと云えます。知的文化水準が高ければ、道徳観やモラルも高くなり事足りますが、低い場合は宗教や法により統制する必要があります。
要するに、知的文化水準が高ければ宗教は無用となります。
知的文化水準が低く、宗教心もなければ最悪となります。支那がよい例です。
また、宗教心があっても、宗教自体が歪められていれば宗教が意味をなしません。
本来、宇宙は相対的に出来ています。ですから中心はありません。限られた範囲に限定すれば、例えば、太陽系では太陽が中心と定められます。様々な生き物がそれぞれの本能で生きていく事と同じです。
しかし、太陽系から銀河系へと、更に全宇宙へと拡張すると、いったい俺はどこにいるのかと定まりません。
本来相対的な関係なのだと理解出来れば問題はないのですが、理解出来なければ不安でしょうがない。そこで或る一点を定めて位置を特定する事となります。球の表面にも中心はありませんね。ですから経線と緯線を引いている訳です。
これと同じ事を「心」に就いてしているのが宗教ではないでしょうか。知的文化水準が高ければ、線を引かずともいろいろなものとの相対的位置関係を計る事で己れを知る事が出来るのであり、如何なる線(宗教)にもたがう事がないのです。
先の震災での日本人の行動が、世界中のあらゆる宗教の地域から驚きと共に高く評価された事は、記憶に新しい所です。
その後、トルコで震災が起きた時、日本人を見習って行動せねばと実践したトルコの被災者も立派でした。
一方で、本能の赴くままに未だ嘘をつきまくる知的文化水準地域もありますね。救いようがありません。

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