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改めて文化人、知識人とは

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改めて文化人、知識人とは

最近、左翼が何故はびこるのか、なぜ日本国を毀損するのかを話題にしたとき、なぜ多くの文化人、知識人、俳優、ミュージシャン、宗教家、作家などが彼らに同調して脱原発などを口にするのかを考えたことがあった。

今回はそれを、当ブログに寄せていただいたコメントでのやりとり、また、私が参加しているsnsでのコメントのやりとり、さらに、私がよく訪問している他のブログへのコメントをまとめてみた。

きっかけは、当ブログのエントリー「脱原発を言う人の脳みそ」や、「踊る阿呆と踊らせ屋」で紹介した福島瑞穂氏の、脱原発をめざす女たちの会、が企画した福島へのバスツアー呼びかけ人に、非常に多くの文化人・・・・作家などが名を連ねているからだ。また、同様の、とめよう戦争への道! 百万人署名運動、の賛同者にも非常に多くの同様の人々が連名している。

しかし、これらのエントリーでも書いたが、脱原発と反戦は全く結びつかないし、憲法9条改正も結びつかない。また核拡散防止も結びつかないし核武装も結びつかない。なぜ、これらが同じ場所で語られるのかが分からないわけだ。

私は核武装論者であり、原発推進論者だが、両者は全く別物と考えており、核武装をするために原発が必要だ等と言ったことはない。たまたま私は核武装論者であって原発推進論者であるだけだ。一方は反対だが片方は賛成だという人が居て当然だと思うのだが、上記の様な団体に名を連ねる人々はそれらが切り離されていない。常にセットになっているのだ。

何故だろう。

むろん、反戦を主張するのはよい。私も戦争は無い方が良いと思っている。が、戦争を避けるためには単に反戦を叫ぶだけでは何の意味もないしまた日本が反戦を主張しても相手が日本を攻撃する気になれば戦争になる。

反戦を叫び、平和教育をするだけでは戦争は防げない。相手にも戦争を仕掛けさせない方策を採らない限り、戦争は日本一国の意思だけで始まったり始まらなかったりするわけではないので、日本一国の平和主義では意味がない。

国防とは、最悪の事態を想定して組み立てなければならない。日本のような国の場合、他国から大軍を持って攻め込まれ支配されることはまず考えられず、結局は今の時代ミサイルが最も大きな脅威になる。それも相手が核ミサイルを使うとすればほとんど対抗手段がない。

また、大規模全面戦争にならずに、小規模な戦争が長続きした場合、相手が広大な大陸国であれば日本には具体的な防御方法が存在しない。相手のミサイルは狭い日本に集中して飛んでくるが、日本は相手国の何十倍ものミサイルを発射しなければならないし、また少ない人数の陸自を派遣して占領するなども到底出来るわけではない。すなわち、消耗戦に持ち込まれた場合、相手は十分に退避しながらもちこたえられるが相手の何十倍もの攻撃力を持たなければ拮抗できない日本には、その消耗戦に堪えることは出来ない。

つまり日本が行う戦争とは、全面戦争しかないのであり、(ほんの小競り合いで済むならむろんそれでよいが、最悪の事態を想定しなければならないので)そうすると、大規模な攻撃力が必要になる。そうしなければ現実の防衛力にはならないと言うことだ。今の日本が辛うじて防衛できているのは、背後にアメリカの強大な軍事力があるからだと十分に認識する必要がある。

しかし繰り返しになるが、本当に最悪を考えた場合アメリカに核ミサイルが飛んでゆく事態になり、アメリカに数十万、数百万の犠牲が出るとなると、アメリカがその危険まで犯して日本を守るとは考えない方がよい。立場が逆であれば、当然日本の消滅を覚悟して他国を助けはしないだろう。

そのような最悪の攻撃に対抗する為には、一番効果的なのは一気に先制攻撃を仕掛け相手の報復能力を完全に奪ってしまうことなのだが、むろん、日本がその選択をするとは思えないし、するべきではない。

が、日本がその選択をしないとして、相手がしないとの保証があるだろうか。無い。世界的な孤立や非難を浴びようと、その時点で国の存亡がかかるとなれば、相手国にその選択をとる誘惑が有ると考えるべきだろう。それが最悪の事態の想定だ。

では、相手にその選択をさせないための手段は何か。日本が壊滅したあとでも相手を壊滅させるだけの破壊力の保持しかない。具体的には原子力潜水艦による大規模な核ミサイルによる報復が、最も効果的な抑止力になるというのはそのためだ。

他国にしてみても、仮に先制攻撃で日本を壊滅させても、世界の何処の海にいるか分からない潜水艦から大量の大型核ミサイルが飛んでくるとなれば、到底それは割に合わないと考えるだろう。それでも狂気に走るならそれはどのような手段を執っても、共産党が言うような話し合いでも鳩の友愛でも防げる物ではない。

100%戦争を抑止する方法はない。戦争は暴発で始まることもあり得るし、相手国が不安定になればその可能性はある。しかし、少なくとも完全な報復能力が有ればその危険性は非常に下がる。

日本による相互確証破壊(MAD)とはこのような物でしかない。島国と大陸国は本来戦争が成立しない。だが、海洋国家である日本が最新テクノロジーを駆使すれば相互確証破壊(MAD)が成り立つし、そしてそれが唯一の方法なのだ。

核武装にはいろいろな制約があるが、それは一つ一つ克服してゆかなければならないだろうし、最初から選択肢に入れないのは間違っている。

戦争を避けたかったら一番抑止力になる方法をとるべきではないのか。

さて、枕が長くなったが、なぜここでこのようなことを繰り返すかと言えば、先の文化人、知識人達が戦争反対、9条堅持、脱原発を言いながら、それこそ暴力装置自衛隊反対や防衛省格上げ反対、防衛大綱見直し反対を一言も言わないからだ。

不思議ではないか。

反戦、9条改正反対を叫ぶ人々が、戦争をするための(むろん、戦争を防ぐためなのだが)自衛隊や、防衛省への格上げ、そしてアメリカと連携しての中国封じ込め政策に切り替えたことには一言も触れていない。

民主党がインド洋における自衛隊の他国軍に対する給油活動さえ止めたのに、ソマリア派遣は反対しない。

反戦や9条を言うなら、原発問題よりも自衛隊や防衛省、防衛大綱こそが彼らの最も反対すべき項目ではないのか。

その矛盾を考えたとき、私が得た結論は、上記の文化人、知識人、芸術家、宗教家などなどはそれぞれ職業なのであり、芸人が大衆受けする芸を売って収入を得ているように彼らも自分たちの知識を売って収入を得ているのだ。

したがって、大衆が求める知識を売るのは当然でありそれが今は反戦、脱原発、9条なのだ。彼ら知識人風芸人達は、出版不況と言われる昨今、テレビに呼んでもらい露出し、そして大衆受けする芸、すなわち彼らなりの知識を売ることが生活安定につながる。事実を主張することで大衆にそっぽを向かれテレビ局に呼んでもらえなくなると生活に響くのだ。本も売れなくなるし、講演にも呼んでもらえなくなる。投げ銭を投げてもらえなくなればあがったりなのだ。真実を言うなど、まったく百害有って一利無しであり、家族も養わなければならないしローンもたくさん残っている。売れる芸を磨いてテレビ局に呼んで貰って、本を売って営業に言って投げ銭をたくさん投げて貰う。

そのための脱原発であり、反戦であり、9条なのだと考えれば全て納得できる。自衛隊反対などは、現実に今の国民ほとんどが防人自衛隊を容認し、防衛省格上げを何とも思わず、防衛大綱見直しに異議を唱えていない以上、それらに反対するなどするわけがない。まして、かつてあれだけ攻撃したアメリカに対する攻撃なども今は大衆受けしないし下手をすれば反発を食らうので、かつての反米姿勢はなかったことにしている。

大衆が今浮き足立っているのは脱原発、反戦、9条。商売のためにはそれに乗り遅れるわけに行かない。それが、上記の呼びかけ人、賛同者に名を連ねている文化人、知識人、芸術家、宗教家、俳優、ミュージシャンと自称している芸人達なのだと考えれば極めて納得が行く。俳優、ミュージシャンなどは日頃から馬鹿だと思われている節があるから、インテリだというイメージ作りにも役立つのかもしれない。宗教離れで台所が苦しくなった宗教家が、反戦、脱原発、9条堅持に乗っても宗教とは関係なく、自分たちもちゃんと主張していますと言うアピールも寄付金お布施の増加に役立つだろう。

以前、評論家とは評論を売って生活をしている人たちなので真実などどうでも良く、人が興味を惹かれるユニークな評論をすることで商品販売、つまり評論という商品の販売、を図る人々だと書いた。だから、円高で日本が破綻すると日本中が騒げば、その本がたちまち本屋に山積みになり、石油が高騰すれば日本は明日滅びると書いて本を売りテレビで吠え、自民の人気が無くなったと見るや、自民は日本を滅ぼすという評論が売れる。民主が支持率を下げれば、民主が日本を駄目にすると、講演会で吠える。その時その時一番大衆が聞きたい評論を言って売るのが評論家という商売なのであって、彼らが自ら信ずるところをバラしてしまうはずがない。

今の知識人や文化人にはその手が大半だと言うことになる。

一方、確かに真実を主張する専門家は今の脱原発の風潮の中でもいることはいるが、ほとんど無視され、さらに本も売れず攻撃され生活さえ脅かされるとなれば、口を閉ざすのもこれまたやむをえまい。彼らにも生活があり、家族がいて、ローンが残っているのだ。

思い出すことがある。かつて、藤村何某が日本中で古代の遺物を掘り出し、最終的には日本列島に70万年前から人間が住んでいたとの主張をし、そしてマスコミがそれをもてはやし、日本の各地に古代人村が出来て、数十万年前の遺跡が復元された。

その時は、何人かの専門家が、それはあり得ないと異議を唱えた。アフリカで発生した人類がアフリカを出たのが20万年前とされているのに、日本に70万年前に人間がいたはずが無く、また近年の隣接地域とのDNA分析などから、日本に人間が住み着いたのは精々2,3万年前だと主張していたが全くと言っていいほど黙殺されていた。

その後、藤村何某の捏造が発覚し、日本の考古学会は根本から理論の再構築を余儀なくされ、また何故そのような捏造に浮かされたかが散々言われ、日本考古学会は世界の笑い物になり、多くの重鎮達が謝罪をしていた。

その時になって、実は自分もおかしいと思っていたと言い出した専門家の多かったこと。日本中の専門家が実は俺は藤村が嘘を言っていると思っていた、と呆れるほど多く聞いた。

いやしくも考古学を学んだ人間なら藤村何某がおかしいと思うはずではないのか。私は全くの素人だが、アフリカから20万年前に人類が出てきて、3万年前くらいに前に北アジアでアジア人が誕生したと聞いていたので、70万年前はあり得ないと思っていた。ただし、私は専門家ではないので、公に異議を唱える立場でもなかったし、今それを言っても後出しジャンケンだろう。

1/27追記

上記の件に就き、70万年前に日本列島に人類がいた可能性はある、との指摘を受けたので、追記する。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

北京原人は元々はアフリカで200万年前に発生した、原人類とは違う系統の人類であり、100万年前にはジャワ島に到達し、その後北京原人となったとされている。石器や炉のあとが発見されているが、北京近郊以降の発見はない。

時間的にはその後日本列島に至った可能性は否定できないが、日本で藤村何某が本当に彼らの遺物を発見したのではなく当人が捏造を認めている以上、日本でその時期に人間(むろん、現人類の祖先ではない)が住んでいた可能性は極めて低いと思われる。

改めて、北京原人が日本にいた化石などの証拠が見つかれば話は変わるのだが。ついでだが、かつては明石原人が20万年前の日本人の祖先であるとの主張があったが、資料が全て戦災により失われ今では縄文人以降の新しい人類であるとの説が有力のようだ。20万年前なら、現人類の可能性はほとんど無い。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

ただ、当時正論を言う専門家が黙殺され、あとになって無数の専門家が正論を言い出す姿を思い出すと、今の脱原発騒ぎもそれに重なる。

脱原発は信念で主張するなら良い。が、なぜ反戦、9条に関連づけられるのかが一切説明されていないし、上記の知識人風芸人達は全くなにも言わない。

マスコミは売れる記事を作って売る。だから、今は脱原発の記事が売れるから売るし、そして原発推進を主張する知識人や芸人を扱っては記事が売れなくなる。

フジテレビ批判をした役者が女房に離婚させられたが、本当はその女房が不倫をしていたなどとの報道もある。不倫がどうであれ離婚がどうであれ、それは当人同士の問題であり、何もフジテレビ批判とは関係がないはずだが、折しも盛んになっていたフジテレビ批判と絡める当たり、知識人風芸人のやり方と同じではないかと思った。

とはいえ、世界ではもっと酷い状況になっているのだが。真実を言うと金にならないから弁護士が嘘だと分かっていても陪審員の前で空涙を流し嘘の説得をする。そして勝訴するのが優秀な弁護士なのであって、真実を暴くのが優秀な弁護士なのではない。アメリカの話だが、それが普通の国があり、そして世界の覇権を握っているのだ。

そんなことを思うと、日本の知識人風芸人達の商売に一々文句も付けていられないのかもしれない。

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コメント

誰が名付けた

文化人、知識人とは誰が名付けたものなのでしょう。
極めて曖昧な表現ですね。「何に関する」文化や知識なのかは指定されていません。
すると評論家の方がマシですね。必ず○○とか××が着きます。しかし、それも「自称」であり、別に認定や検定がある訳でなく、公的資格には為り得ません。
中華人民「共和」国、朝鮮「民主主義」人民共和国、消滅した中にもドイツ「民主」共和国、他…これらの国名も全て自称であり、実態と符合しようがしまいがお構いありません。
評論家以上にシビアなものには、弁護士や医師があり、国家資格としては呼称こそ同じでも専門が分かれ、医師に至っては専門も明示される場合が普通です。
生命に関わる度合いが大きい程、明示される訳です。
逆にどーでもよい者程いい加減な訳です。
最近の困った風潮は、このいい加減な輩が、他人の生活や生命に関わる事柄に就いて「無責任」に発言する事です。
資格が剥奪される心配もありませんからタチが悪い。
あぁ、大学教授というのもありましたね。高校以下の先生の様な教員免許は不要で、国家資格でもないが専門はあり、自称は出来ませんから、評論家と弁護士の間でしょう。
私は文化人とも知識人とも評論家とも称したくないし、呼ばれたくもなく、ただのプータローです。

誰が名付けた

>2012-01-27 21:50 | あづまもぐら様

>文化人、知識人とは誰が名付けたものなのでしょう。
>極めて曖昧な表現ですね。「何に関する」文化や知識なのかは指定されていません。
>すると評論家の方がマシですね。必ず○○とか××が着きます。しかし、それも「自称」であり、別に認定や検定がある訳でなく、公的資格には為り得ません。

そうですね。誰が名付けたんでしょう。Wikiなどで見ても極めて曖昧であり要するにテレビに出て何か尤もらしいことを言う人が文化人や知識人になったのであり、言い換えれば何の責任もなく好き放題のことを言う人と定義できそうです。だから、責任も持たずに好きなことを言って、それで収入になるお笑い芸人と何ら変わるところはないと思えるわけです。最近はお笑い芸人も知識人を名乗った方がギャラが上がると見たか、インテリ芸人や知識派芸人が増えてきました。誰とは言いませんが、太田lightなどその典型かもしれません。

>中華人民「共和」国、朝鮮「民主主義」人民共和国、消滅した中にもドイツ「民主」共和国、他…これらの国名も全て自称であり、実態と符合しようがしまいがお構いありません。

まったくです。その点、「日本」は実に明快で余計な物が着いていないので実によろしいです。

>最近の困った風潮は、このいい加減な輩が、他人の生活や生命に関わる事柄に就いて「無責任」に発言する事です。

その発言を聞いた方が、芸人の新しい芸だと理解しないのが悪いですね。あとから、あれは違うじゃないか、と言われても、あのときはそう思ったんだモン、ボク、と言えば済むだけですから。それで牢屋に入った知識人風芸人は皆無です。

>あぁ、大学教授というのもありましたね。
高校以下の先生の様な教員免許は不要で、国家資格でもないが専門はあり、自称は出来ませんから、評論家と弁護士の間でしょう。

なるほど。ただ、大学教授も本当にピンキリですから。

>私は文化人とも知識人とも評論家とも称したくないし、呼ばれたくもなく、ただのプータローです。

あはは、私は唯のたかおじさんです。

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