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アメリカの正義


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昨日のエントリー「戦争の本質を知ろう」でも書いたが、アメリカの戦争が正義の戦争などと言うことはあり得ず、むろん、どの戦争も戦争の当事国にとっての正義の戦争なのだが、今、世界で唯一のスーパーパワーとして圧倒的な軍事力を持っているアメリカには不吉な陰が常につきまとう。

アメリカは世界の警察官を任じ、確かにアメリカとアメリカの同盟国にとってはアメリカの存在は頼もしいが、アメリカの正義とはとりもなおさずアメリカの価値観にとっての正義であって、他国の価値観がアメリカの正義に反しない限り、アメリカは同盟国を守ってくれる。

世界の警官とは、アメリカとアメリカの同盟国に対して罪を犯す者に対する警官なのであって、アメリカが冒す犯罪や、アメリカの同盟国が犯す犯罪は、アメリカにとって損失でない限り当然取締の対象にならない。

そのアメリカだが、世界に冠たる訴訟国家であり、世界の弁護士の半分がアメリカ人であることでも分かるように、全ての争い事は訴訟で片を付けるのがフェアだと思っている。そうでない限り、暴力に泣かされる人間が続出するというわけだ。

そのアメリカの司法制度に就き、おもしろい記事があった。まだ連載の途中だが、内容は昔から指摘されているアメリカの司法の恐ろしさに就いて書かれている。

赤文字は引用

恐ろしいアメリカの司法?

 有名ロースクール教授の大御所弁護士が講義で、堂々と「アメリカにおける裁判の目的は、ただ一つ、紛争の終了にある。裁判は真実を解明する場ではなく、紛争を終わらせるための手続に過ぎないから、外観だけを問題にすれば足りる。それが真実に反していても、それはもはや裁判制度のあずかり知るところではない。」と説明したのだそうだ。
 
 これは驚くには当たらない。アメリカのビジネススクールやロースクールに限らず、大学や高校でもディベート能力に重きを置いた教育が為される。ディベートとは論争であり、体よく言えば相手を説得する能力なのだが、アメリカの場合、このロースクールの教授が言うように、真実が重要なのではなく、相手を説得することが重要なのだ。ディベートとは、相手を説き伏せることであり、真実を追究することではない。

 「アメリカの弁護士にとっては、依頼者の利益が全てだ。それが社会にとって有害かどうかは問題ではない。」と答えたのだそうだ。
 
 したがって、アメリカの弁護士は法的に追求されなければ、どのような嘘でも平気だ。なにしろ、自分で嘘だと思っていることでもよどみなく、最も真実らしく、時には空涙を流す演技力を持って陪審員達を説得することが弁護士の技術であり、そしてアメリカの庶民は民度が低いために、演技に騙され感情に訴えられるとたわいもなく巧妙な嘘つき弁護士に騙される。
 
 これは法廷ではないが、先のトヨタ叩きで公聴会に於けるあのやり方が、そのまま法廷のやり方であると考えればよいだろう。アメリカの自動車産業に泣きつかれ、ロビー活動を受けて政治家達が存在感をアピールする絶好の機会として、トヨタが犠牲になったのだ。あの発端になったプリウスの事故が、全くのでっち上げであったことが判明したが、あの公聴会でトヨタを糾弾した運輸長官も、証言した女も全くおとがめ無しだ。
 
 かつて東芝がソ連に潜水艦を加工する設備を輸出したとして、現地の駐在員が逮捕され後ろ手錠で引き立てられる姿が連日テレビに流れ、大規模な裁判が行われた。大勢の反東芝議員達が、東芝製品をたたき壊すパフォーマンスを行った。
 
 が、同時期アメリカ製コンピューターがソ連で使われていることは全く不問にされた。それも重大な協定違反だったはずなのだ。
 
 これがアメリカのやり方だ。勝つためには国家ぐるみでえん罪を作り、嘘を平気で付き、難癖を付けて攻撃する。確かにイラクは問題があったろうが、アメリカがイラクを攻撃したのは政府に対する国民の不満逸らしだった。
 
 実際に、アメリカにはえん罪がかなり多いことが問題になっているし、中には死刑になってからえん罪だったことが判明したケースも多々ある。またアメリカには刑期に制限がないので、複数の罪で告発された場合などは全ての刑期が加算されて、数百年の懲役刑などが嫁される。数十年服役した後に、証人が証言を翻したり、昔には不可能だった鑑定方法で証拠が見つかったりして何人もの服役囚がえん罪と認定され、釈放されたりしている。その場合の補償も、日本では考えられないほど低いし、司法が罪に問われることも、その人物を告発した者も罪に問われることはない。
 
 有能な弁護士とは、勝てる弁護士であり、勝つための手段は問われない。有名なところでは、かつてフットボールのスター選手、O.J.シンプソンが妻殺しの容疑で逮捕され裁判にかけられたとき、大勢の有力な弁護団を結成して臨み、最終的に無罪を勝ち取った。これについては人種差別もんだいや、金に飽かせた有名人の弁護団などがマスコミをにぎわせた。真実は本人しか分からないことだが、いずれにせよ、容疑が濃く極めて不利な立場から無罪を勝ち取ったのは彼の大金を費やした、”優秀な”弁護団の力にあったのは言うまでもない。
 
 彼は刑事裁判では無罪になったが、民事裁判では殺人犯と認定され、高額な賠償金を支払わされ、結局破産同様になった。その後、別の犯罪でこれは有罪となり、服役している。
 
 アメリカの弁護士でよくいわれるのが、アンビュランスチェイサーと言われる連中で、町で救急車を見かけるとその後を追い、被害者に持ちかけ、加害者から莫大な保証金を取るのを専門とする弁護士の存在だ。
 
 他にも医療裁判で医者から膨大な金を取ることを患者に持ちかけ、その分け前を取ることを専門にしている医療裁判の専門家もいるし、離婚裁判で金持ちの配偶者から慰謝料をむしり取る専門家もいる。またある製品の欠陥を採り上げ、被害者を捜し出し集団訴訟に持ち込んでメーカーを追い込むこともある。どうせ被告が勝っても、原告には金がなく倍賞も取れるわけではないので、金を持っている被告がほとんど取引に応ずるケースが大半だ。
 
 アメリカで皆保険制度が成り立たないのは、そのようにして医療訴訟で負けるととんでもない賠償金を取られるので医療費が莫大になり、国家での保険が不可能だからだ。また、アメリカで製造業が衰退し、基本材料などを日本などから買わなくてはならなくなったのもメーカーが製造責任訴訟で莫大な金を取られるからだ。訴えられたメーカーが勝ってもどこからも金を取ることが出来ないのだ。
 
 アメリカの司法は完全に病んでおり、まともに機能していない。アメリカの司法は常に金を持っている者の味方であり、弁護士はその金持ちをカモにしている。ここにある正義とは、弁護士や司法官にとっての正義であって、金のない者、或いは金を持っていても戦う術のない者にとっての正義ではない。

 日本の弁護士の使命は、いうまでもなく「社会正義の実現」であり、「依頼者の正当な利益」の保護とされている。
 
 そうであることを望みたいが、日本には加害者の人権を被害者のそれより優先する弁護士が問題になっている。ただ、日本は他国に比べ訴訟社会ではないし、一生弁護士や裁判には無関係で過ごす人間の方が多いのではないか。それもまた、民度が高く、妥協することを知っているからだ。だが、刑事裁判ではむろん、話は違うが。
 
 ここまで話を持ってきたのは、アメリカが世界の警官として振る舞うその根本の価値観が歪んでいると言うことだ。アメリカ自身がその被害者なのだ。アメリカではかつてのような正直が美徳ではなくなった。力のある者が勝つのだ。そして、その価値観を世界に広げているのがアメリカであり、それにマニフェストデステニー、要するにアメリカの価値観こそ全てに勝るとの思いこみが、世界の警官を動かしていることを、真に理解すべきではないだろうか。
 
 
上記に引用されているURLの記事を読む場合は下記の「続きを読む」をクリックしてください。但し、内容確認以外なら、敢えて読む必要はありません
以下は参照用の資料ですので、確認をされる以外はあえて読む必要はありません。

恐ろしいアメリカの司法?
2011年12月07日 19:07
坂野真一

 鈴木仁志弁護士の「外から見た日本司法の先進性~市民の視点から見たアメリカ司法の実像」という論考を読んだ。

 マクドナルドコーヒー火傷事件(ある女性が自動車を運転中にマクドナルドで買ったコーヒーを股間にこぼしてしまい女性器に火傷を負ったので生殖能力を失ったと主張して損害賠償を請求した事件。陪審はマクドナルドのコーヒーが他店のものより若干熱く、その苦情があったにもかかわらず改善を怠っていたとして、原告の女性に対し、マクドナルドは約4億円の損害賠償を支払うように命じた事件)が、現実にあり得るアメリカの司法は相当病んでいるのではないかと感じてはいたが、この論考を読むと、アメリカの司法が如何に恐ろしい司法であるのかがよく分かる。

 有名ロースクール教授の大御所弁護士が講義で、堂々と「アメリカにおける裁判の目的は、ただ一つ、紛争の終了にある。裁判は真実を解明する場ではなく、紛争を終わらせるための手続に過ぎないから、外観だけを問題にすれば足りる。それが真実に反していても、それはもはや裁判制度のあずかり知るところではない。」と説明したのだそうだ。
 つまり、上記教授の教えが正しいのであれば、アメリカの裁判では、真実であるかどうか別にして、外観が整っていれば、どれだけ不公正であってもその外観にしたがって判断して紛争を終わらせてしまって良い、ということになる。

 疑問に思った鈴木弁護士が、「裁判制度の目的から、真実主義を除去してしまった場合に、公正さや人権保障の観点から問題はないのか、外観が全てということになると、事後的な外観作出すなわち、偽造・証拠捏造を誘発しないのか」と質問したところ、上記教授は、

 「アメリカの弁護士にとっては、依頼者の利益が全てだ。それが社会にとって有害かどうかは問題ではない。」と答えたのだそうだ。

 日本の弁護士の使命は、いうまでもなく「社会正義の実現」であり、「依頼者の正当な利益」の保護とされている。

 しかし上記教授の講義を敷衍するならば、アメリカの弁護士にとっては、「真実であろうが虚偽であろうが、また正当であろうが不当であろうが、依頼者の利益だけ実現すればいいことになり、そのことが社会にとってどれだけマイナスになろうと関知しない」というのが基本的スタンスだということになる。
 そのように、アメリカの司法が真実発見・社会正義の実現という使命を放棄しているのであれば、その結果、依頼者の不当な利益を守ることも弁護士の職務として是認しているのであるならば、アメリカの弁護士が裁判で巧妙に嘘をついて有利な判決を得ようとすることが常態化していても無理はない。

 ちなみに、鈴木弁護士がアメリカで読んだ世論調査の文献によれば、アメリカの市民は
「裁判になっても正しい方が勝つとは限らない」
「巧妙に嘘をつくのがうまい、フィーの高い弁護士を雇える金持ちが裁判に勝つことになるのであって、裁判制度は庶民に不利に働いている」
との印象を持っているそうだ。

 そもそも、近代立憲主義が司法に求めた役割は、「どのような当事者であっても【理】を巡って対等に争える場であること、そしてそのことによって政治の持つ【非情】さや、【歪み】を正すことの期待」(佐藤幸治「憲法第3版」p292参照)であった。

 つまり、どんなにお金持ちであろうが、貧乏であろうが、裁判所では対等に理をつくして戦い、理に適っている方を公平公正に裁判所に判断して勝たせてもらうことを保障することだったのだ。

 しかし、少なくとも鈴木弁護士の論考を読む限り、アメリカの司法・裁判制度の下では、上記の意味での司法は、もはや機能していない。
 巧妙に嘘をついて有利な判決を得る可能性の高い弁護士に、高いお金を出して依頼できる金持ちが、裁判という最後の救済の場面でも相当有利な立場に立っている可能性が否定できないのだ。

 アメリカのように実体的真実を放棄する制度を国民が望んでいるかといえば決してそうではない。しかし、法制度と法曹は、実体的真実を追及することを実現できなくなっている。

 それは何故か。

 鈴木弁護士は更に分析を進めている。

 裁判を、お金儲けの道具と考える人を除けば、本当は誰だって、裁判で争いになる以上、真実にしたがって判断してもらいたいと思うだろう。少なくとも日本の裁判所は、可能な限り真実の発見に努めているように私は思う。
 しかしアメリカの裁判所では、真実が重要なのではなく、外観が整っているかが重要とされている、というのがアメリカの大御所弁護士(兼ロースクール教授)の説明である。

 では、何故アメリカの裁判は、真実であるかどうか別にして、外観が整っていれば、どれだけ不公正であってもその外観にしたがって判断して紛争を終わらせてしまって良いことになっているのか。

 鈴木弁護士による分析は以下のとおりである。

(1)アメリカの裁判所では事件数が余りにも多く、裁判所の処理能力を大幅に超えてしまっていること。
大量の事件が裁判所に持ち込まれる理由は、

?アメリカが犯罪大国であること(銃を所持する権利の保障・好戦的性格?)、

?文化の多様性(人種のるつぼであり社会の共通認識の形成、異文化間での合意形成が困難であり、法律?裁判による解決しか基準が見出せない)、

?孤独感・帰属意識の希薄化

などから、犯罪や紛争が恒常的に多発し、ドライな訴訟的解決に委ねられていること。

(2)陪審制で真実主義を貫くことは無理があること。

?陪審員の多くは高齢者や主婦である場合が多く(忙しいビジネスマンが2週間近く裁判所に拘束されることは事実上不可能)、専門家でも困難である事実認定が、ぶっつけ本番で素人によりなされること。

?そのため、弁護士としては勝訴するために、いかに素人である陪審員を丸め込むかという点に力点を置く傾向が強くなる。悪い言い方をすれば、アメリカの弁護士は依頼者の利益が全てなのだから、素人を上手く騙す演技力、相手方に対する執拗な人格攻撃によって、誤審的勝訴を勝ち取ることも弁護士の職務とも言いうる状況にあること(現実に多くの法廷弁護士が俳優学校に通っているとのこと)。

?多くの市民が陪審制に疑問を持ちながらも、民主的手続であることから裁判官に裁かれるよりマシという国家不信の伝統的意識が強いこと。

(3)上記の理由などから、手続的に正義を守ること(適正手続)の実現が精一杯であり、到底、実体的正義(真実の発見)まで手が回らない、インスタント司法とならざるを得ない状況にある。

以上が、私なりに理解した鈴木弁護士の分析だ。

鈴木弁護士がアメリカにおいて、多くの市民の方や弁護士などから聞き取られた中で実感されたことであり、相当の説得力があるように私には思える。

次に、鈴木弁護士は、アメリカの弁護士の状況をみながら、あるべき法曹界への姿について論じている。

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