スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

右往左往


最初にクリックしていただけるとありがたいです。

人気ブログランキングへ


プロフィールに書いてあるとおり、私は保守系であり、しかし右翼ではない。しかし、ネット上ではブサヨ、ネトウヨなど、右でも左でも余り印象が良くない言葉で一派人から下にされているような気がする。

そもそも、保守とは守り保つことだが、要するに変化をしないことを重んずる立場であり、右翼であり、ついでに言えば愛国者であり、一方頑固で分からず屋で頭が古いというイメージもあるような言い方をされる。

それに対して、革新とは改革し新たにすることを重んずる立場であり、左翼であり、反国家であり、ついでに言えば幼稚、ヒステリックであり理解力のない付和雷同浮薄軽重曲学阿世のようなニュアンスで語られる傾向があるようだ。

これは大体の感覚であって極めて曖昧であることは承知の上の分類なのだが、日本に於いては、さらに右翼といえば暴力、利権、汚職が付け加えれているような気がしてならない。一方、左翼とは国家破壊、親中親韓、売国奴という意味も付け加えられているようだ。あくまで、曖昧なニュアンスなので、異論はあろうかと思う。

元々、右翼、左翼とは、フランス革命後の議会で、保守派が議場の右に席を取り、革新派が左側に席を取ったことが語源であって、保守と革新以外の意味はなかった。それが次第に様々な意味が付け加えられ、マイナスイメージは対立する側から持たれている物だ。

私は保守系ではあるが、むろん当然ながら常に改革はされてゆかなければならないと思っている。江戸時代、明治時代の政治が今の時代通用するはずが無く、そして、10年も経てば世界情勢は変わるだろうし日本の社会も変わるだろうし、さらに、人々の価値観も生活様式も変わる。同じ政治を続けてゆくなど不可能であって、それでもなお現在から変わってはならないと言うのであれば、それは保守と言うより愚かなだ。

したがって、改革は常に必要だが、改革の後に前より良くなっているのでなければならないだろう。前より良くなる見通しがないなら、現状を保つしかない。保守とはそのくらいの意味だと思っている。

しかし、必要もなしに、そしてその後をどうするのかの代案もなく、さらになぜそうするのかの説明もせずに、とにかく現状に反対をし、何が何でも変えなければならないと主張するのでは革新と言うより単なる馬鹿なのだとしか言いようがない。

ところで、日本には新左翼なるカテゴリーがあるそうで、これは革新ではなく破壊を旨とする主張をする連中だ。これこそが真の保守や革新にとっての敵ではないのか。新左翼にもいろいろあるのかもしれないが、今日本で定義されている新左翼は、まさに上記のようにただ日本を貶め破壊することが目的であって、何故そうするのか、破壊した後どうするのかが全く示されない。むろん、何故そうするのかははっきりしているが、それは後述する。

人間は様々な価値観を持っており、どのような価値観を持とうと思想を持とうと発言しようと、日本のような国では自由であり、それは先進国共通の認識である、個人の思想言論の自由で保障されている権利だから、新左翼と言われる連中がどのような思想を持とうが発言をしようがそれも自由だろう。しかし、彼らの破壊思想がありとあらゆる手段を使って、つまり嘘やプロパガンダをつかって、時には暴力をちらつかせ、買収をして既得権に絡めるなどをして信奉者を増やし、最終的に政治を左右してしまうことが大問題なのだ。これは現実に、かつての旧社会党の極左と分類される者達が、保守中道を擬態し、政権を盗ってしまった民主党のような例がある。

前総理は、北朝鮮と太いつながりのある団体との密接な関係が取りざたされ、中国の南京虐殺記念館に献花をした反国家の売国奴だ。民主党の現職議員でありながら、韓国で日本大使館に向かい、従軍慰安婦デモに参加した者もいる。子分を160名も引き連れて北京詣でをし、次期中国主席と目される人物を天皇陛下に謁見させた国賊もいる。

彼らの目的は、日本を損ない、破損すること以外に何かあるのだろうか。むろん、日本は南京で無辜の市民を30万人虐殺した、罪のない朝鮮の女性を暴力で20万人も強制連行し、野獣のような日本兵の性奴隷にした、という特亜の言い分をそのまま信ずる人間が居るのもある程度仕方がないだろう。人間全て理性的であり、知的だとは限らない。しかし、彼らがその判断力で日本を左右するとなったら、これは大変なことではないのか。

まず、日本という国が彼らの生活を保障している事実はどう考えているのだろうか。世界には様々な価値観があり正義がある。それぞれの国民は、結局は自分の価値観が育てられた国、民族のなかで保護されている現実を無視し、自らの国家や民族を貶めることに何の意味もないだろう。もし、どうしてもそうしたければ、国を捨てるしかない。

むろん、日本の全てが正しい、天国だなどと思う人間は居ないだろうが、だからこそ、日本の欠点や問題点も可能な限り見つめ改善する必要は当然あるし、自分が属する国だからこそそうするのが日本人としてのつとめだと私は思う。それは日本を否定するのではなく、日本をよりよくするための努力なのだろうと思うのだが、なぜ新左翼と言われる連中は、他国の正義で日本を裁こうとするのだろう。

従軍慰安婦も南京虐殺も、それらの国の正義だというならそれを正すには戦争で勝つしかない。あとは、日本の正義ではねつける以外にないのだ。むろん、様々な物証や状況証拠、時代背景、国際情勢様々な要素を取り入れてそれらを判断し、もし日本自体が過ちだと認めるならそれは別だが、そのような作業はいちどもされていない。

特亜にとって、正義とはあくまで自分たちの主張を通すことであり、日本の主張を認めることは正義に反するのだ。なぜ、日本の新左翼は彼らの正義を日本の正義よりも優先するのか。

これは特亜だけの問題ではない。アメリカは原爆投下で30万人の市民を殺戮したことを、アメリカの正義のためだと正当化している。ロシアは、日ソ不可侵条約を破ったことを、当時の日本がファシズムに荷担したからだと正当化している。これらが、理論的に成り立たないことをアメリカやロシアに言ってみても通るわけではない。通すなら、彼らと戦争をして勝つ以外にない。

そのための戦争をするわけには行かないのだから、あとは自国の正義を守る以外無いはずなのだが、なぜ新左翼は他国の正義を日本の正義に優先するのか。つまりは、日本という国を否定し、損なう以外の目的が見えないのだ。

彼らに共通しているのは、主流から外れ屈折していることだろう。それなりに努力をしても主流に入れない、或いは入るつもりもない人間はいくらでもいるが、彼らは権力を握り損ねたのだ。だから、自分たちが権力を握るためには既成の権力を排除しなければならず、最高の権力である国家を排除することが唯一の目的となってしまったとしか思えない。

結局、正義の定義は、国家或いは民族毎で決まっているのであり、正義の反語は別の正義と言われる所以だ。戦争が正義と正義のぶつかり合いであり、国家、民族の成り立ちは結局は国家間、民族間に基づいた正義をどのように持っているの違いが戦争の原因になっている。アイデンティティーのぶつかり合いと言っても良い。

今、韓国や中国からは膨大な数の国民が海外移住を目指している。自国を捨てるような国民が国家民族観に基づいた正義など持っているはずがない。そのような国民を作り上げる国家の正義が、なぜ日本の正義に優先するのか、新左翼と言われる似非保守中道の連中に訊いてみたい。日本を否定して、ではどうすれば良いのか。

最終的に彼らは権力を握ることしか目的にはない。それがよく見えたのは民主政権だ。そもそも彼らは右から左まで極端に主義思想の違う連中が、他の政党からはじき出されて集まっただけの野合の衆だ。だから、党の綱領など作れようもないし、党の政策も作ることなど不可能だから、あとは有名タレントや評論家などを一本釣りでつり上げ、彼らの知名度を頼み、それに出来もしないばらまき政策で国民を騙して政権を盗った。盗った後、彼らには統一した主義主張などあるはずもないので、何一つまともな政策が実行できていない。彼らの目的は権力の座に着くことであり、権力をどう使うかは念頭になかったのだ。

彼らが必死になって解散を防ごうとするのは、二度と権力の座に返れないことが分かっているからであり、ただそのためだけに党を存続させることを国家の存続よりも優先している。

現実に民主政権になってから、所属議員の不祥事は後を絶たず、しかも会議にもろくに出席しない。たまりかねて平野国対委員長がもっときちんと会合に出てくれと言う始末だ。なにしろ、国賓であるブータン国王歓迎晩餐会よりも同僚議員のパーティの方が大切だと言い放って欠席した一川防衛大臣、彼はかつて素人でも防衛大事がつとまるシビリアンコントロールと言って顰蹙を買った人物だ、この晩餐会の控え室で携帯電話を使った蓮舫氏、彼女は覚醒剤取締法違反で逮捕された人物との親密関係で追いつめられている、や他にもこの晩餐会を欠席した4名、恐喝容疑で取り調べを受けた者、放言失言で続けざまに辞任を強いられた大臣達、最後の最後まで権力にしがみつき力づくで追い落とされた前総理、誰も聞く耳持たなくなったと嘆いたそのまたさらに前任の鳩頭。

民主党政権とはこのような、一般社会でも通用しないような低レベルの連中が吹き貯まった存在だ。

新左翼であろうと、特亜の主張をそのまま用いて日本を貶めようと、特亜に日本を貶める手段を持ち込もうと、それは精神的に異常な連中のことだと言えれば済むが、挙げ句の果てに政権まで盗らせてしまったのは全ての日本人の責任だ。

騙されたのだから仕方がないというのは通用しない。騙されるのは愚かだからだ。二度と繰り返してはならない過ちだろう。
スポンサーサイト

コメント

No title

正義と正義のぶつかり合いという点で言えば、広島の原爆死没者慰霊碑の文言は削除しないといけませんね。あの文言があれば、悪いことをすれば再度原爆を落とされても仕方ないということになります。悪いことかどうかは相手が判断するわけですしね。あの碑文は安全を脅かすような危険なものになっているように思います。

No title

>2011-11-25 13:26 | 花岡 鉄様

>正義と正義のぶつかり合いという点で言えば、広島の原爆死没者慰霊碑の文言は削除しないといけませんね。

確かに、あの碑文は作成当初から問題視されてましたね。過ちは繰り返しません、という言葉で、誰が過ちを犯したのか、過ちとは何かが極めて曖昧であり、作成者は、人類全体の戦争行為を示しているとのことですが、違和感があります。

あれは原爆被災者の慰霊碑であり、明らかに原爆でなくなった人たちに対する言葉の筈。したがって、原爆を落としたのはアメリカであり、二度と原爆を落とすような過ちをアメリカが犯さないとはっきり分かる文面にしなければならないと言うことです。

ただし、あの碑が作られたとき、日本がアメリカに対してそのようなことを言えるような状態ではなかったのと、また現在でもアメリカは決して原爆投下の非を認めず、あれにより無数の日本人も救われたと主張しています。まさに、アメリカの正義です。

>あの文言があれば、悪いことをすれば再度原爆を落とされても仕方ないということになります。

したがって、あの碑文がどう改められようと、アメリカが自らの正義に反すると思えば戦争を仕掛け、一方的に攻撃し、必要と判断すれば彼らの正義のためにまた原爆を使うでしょうね。

だから、あの碑文を変えても実際には何の役にも立たず、アメリカの罪を糾弾したところで損得計算をすれば、あのままでもやむをえない、戦争に負けると言うことはそう言うことだとも言えます。戦争に負け無条件降伏をしたのは相手の正義に屈したと言うことですから。

だから、日本の正義を通すためには力が要りますし、本当に特亜に真の歴史を認めさせるためには、戦争をして勝つしかありません。そのための戦争をするのはあり得ないのであれば、特亜の正義を日本の正義で正面から否定し続けるしかないわけです。

>悪いことかどうかは相手が判断するわけですしね。あの碑文は安全を脅かすような危険なものになっているように思います。

まあ、腹立たしいものはありますが、現実にはあれが安全を脅かしているとは思いません。むしろ、あの碑文を変えることで危険が増大する可能性はありますね。

力のない者は、そして戦争に負けた者には発言権がないのが本来の世界のルールですから。

また力を持つことは、相手の暴走を抑えるのに最も効果的な手段ですから、その意味でも日本はもっと実質的な力を持つべきですね。碑文を変えるのはその後です。

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。