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新聞は死ぬのか

平成22年01月23日

 今、日本の新聞社は軒並み業績が悪化し、テレビ局などとの連結決算でも大幅赤字が積み上がっているようだ。毎日新聞などは全国紙であることを諦めたようで、その存続さえ危うくなっている。尤も、毎日新聞はかつて外信のWAIWAIで、十年に渡って日本をおとしめ日本女性を侮辱し続けていたことが判明し、大問題になったのだが、その責任者は今社長に出世している。このような新聞社が長らえるようでは社会正義に反する。
 
 反国家新聞である朝日も凋落が著しく、解体あるいは消滅は時間の問題であろう。
 
 日本ばかりではない。これは世界的な傾向であり、アメリカでもすでに五十社に及ぶ地方紙がつぶれ、大手とされているNYTなども半数のスタッフを解雇している。是に対し、メディアは危機感を覚え、必死に公正な取材が出来なくなり権力をチェックする機能が無くなる、と訴えている。
 
 これほどまでに新聞が凋落したのは言うまでもなくインターネットの普及による。
 
 昔は、新聞に書いてあることは全部真実だとの意識がどうもあったようだ。また事実新聞の方にも社会の木鐸としての意識があったのだろうと思える。事実を書いているか、この点については、今も昔も、一応大手の新聞とされるところでは、意図的に嘘を書く事はないと思ってよい。ただし、毎日新聞はその禁を犯したので一切の信頼を失い、真っ先に凋落の一途をたどっているのだが。
 
 むろん、人間のやることだから、意図的な嘘はないとしても誤報はしばしばある。特に通信社から記事を買って転載している場合などは、その元記事が誤報であれば、当然誤報を載せることになる。外国記事などには多い。また、日本語もろくに読めない記者を日本においている外国新聞社や、そもそも日本についての知識など持っていない外国紙などはかなり誤報を流すようだ。
 
 しかし、これら誤報が故意に情報を捏造したとは言いきれず(中国などでは明らかにそのようなことがあるが)ただ、それが誤報であったと判明したときにメディアがどのような態度を見せるかが重要であろう。間違いは人間であれば避けられない。しかし、間違いだと判明したときの態度で通常の信頼度が判断出来る。
 
 そこで、思い出されるのがオームによる松本サリン事件であり、当時第一通報者のK氏があたかも真犯人であるかのような報道が飛び交った。しかし、半年後あれがK氏とは無関係でありオームによる犯罪であることが判明したわけだが、その後もマスコミによるK氏への謝罪はなかった。読者や語法に対する謝罪のみであり、K氏への謝罪は皆無であったとのこと。さらに、週刊誌のSは最後までその謝罪もしていないと、K氏は言っているとのこと。
 
 誤報を認め被害者に謝罪をする姿勢がマスコミにないのであれば、マスコミ自体の信憑性は多いに疑わしい。
 
 そもそも商業マスコミにとって、ニュースは商品であり、消費者が見聞きしたい報道を、見聞きしたいように脚色して送り出す。脚色とは、主観をあたかも事実のように付け加えたり、ある部分を伝えずある部分を針小棒大に伝えることを言う。嘘ではないにしろ、きわめて偏った印象を与える。そのような記事が消費者に受け入れられるのであれば、むろん、発信する方はそうする。
 
 これが時に国の運命を変える。かつて日本が戦争に突入したとき一部の新聞が国民を煽り立て、政府がそれに抗しきれなくなった面がある。その民意にあおられ、軍人が政府を乗っ取ったのが先の戦争ではなかったのか。むろん、それだけが戦争の原因ではないが、もし当時マスコミがあおらなければ事態は変わっていたかも知れない。
 
 昨今のマスコミ報道を見ていると状態は決して改善していない、それどころか悪化しているような感さえある。報道は事実のみを漏らさず伝えればよい。判断は受けた人間がする。それに徹すればよいのではないのか。
 
 さて、インターネットによる情報と新聞による情報の違いは、一つ、市場原理に従っているかいないか、一方向か双方向か、情報源に近いか遠いかなどだろう。
 
 商業原理に従っているかとは無論情報が商品なのかと言うことだ。金を取って情報を流すのだから当然であり、買ってもらえる記事を選び、買ってもらえるように加工して出荷する。ネットではその度合いがすくない。むろん、ネット新聞や閲覧が有料のサイトなら別だが、大多数の記事は商品ではない。したがっていらざる加工はされていないと見て良い。
 
 ただし、主観が大きくはいるので大半のネット情報は信頼出来ないし、多くは事実さえ捏造している。したがって、むろんそれを念頭に置いて接する必要がある。つまり、インフォーメーションではなく、インテリジェンスとして利用するわけだ。
 
 新聞が一方向であるのに対し、ネットの多くが双方向である事も大きい。仮に事実と違う情報が流されてもそれに対する反論、批判、別根拠なのが提示されるので、全く一方的な捏造記事が流されることもない。たとえば、2ちゃんねるはありとあらゆる書き込みが事実上規制無しに寄せられ、おそらく99.99パーセントは信用出来ないが、それに対すコメントが集中する内に次第に真実が見えてくる場合がある。ネットの情報で何より大きいのは、情報源が非常に大きく、非常に多数の人間が関わっているので、情報が真実に集約されてゆく機会が多い。これは既製メディアとは大きく違う点だ。
 
 情報源に近いかどうかだが、これは既製メディアが専門の取材者(記者)による取材であるのと、情報源の内部からの発信である可能性が高いネットの違いを言っている。
 
 記者は事件が起きてから取材し報道するのだが、各々の記者が内部事情に通じているわけではないから如何に取材が早くても近くても限度がある。実際に記者の知識不足が事実をねじ曲げている例は多々ある。再度松本サリン事件に戻るが、当初犯人とされたK氏が農薬を作ろうとしてサリンを作ってしまったという報道が根強く流れていた。しかし、専門家は、そのようなことはあり得ないと言っていたのだが、報道の陰に隠れて、あたかも、誰もがサリンを作れるような報道が続いていた。これがまたK氏の犯人説を裏付けていたのだ。
 
 もし、記者に科学知識があり、農薬を混ぜ合わせる事でサリンを作れるような物ではないと知っていたら、あのような報道が溢れることはなかったはずだ。
 
 ネットの特徴として、ある会社の不祥事がニュースになる場合、その会社内の人間が情報を発する場合がある。政党についての情報も、各議員の個人ブログなどからの情報が、その個人についての最も確実な情報と言えよう。もちろん、その発言が真実かどうかではなく、その人物がそのように発言したことを事実として伝えているという意味だ。それは、他の情報とつきあわせることで、その人物の言葉自体の真義を判断する材料にもなる。
 
 もし、それがなければ、本人がそう言った事実さえ曖昧になるのだ。
 
 これらを考えると、結果としてネット情報が真実を伝えていると思えるし、また広範囲に伝えられていると言える。
 
 新聞社は報道機関としてより取材機関として残るしかないだろう。報道機関の大きな収入源は新聞購読料や視聴料のほかに広告料がある。しかし、今ではネットによる広告が規制メディアの広告料をしのいでいる。それはそうだろう。ネットを使えば一個人でも全世界に向けて広告を打てるのだ。このようなことは既製メディアでは想像もつかなかったことだ。
 
 結論として紙媒体の新聞は今後いらない。ただし、情報収集の専門家として残ることは可能だろうが、それにかかる費用を果たして得られるかどうかは別だ。いずれにせよ、ネット情報がきちんと機能すれば権力の監視役がいなくなるとの冒頭の懸念はなくなるのではないか。
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