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いつの間に仏教が

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宗教を批判するのはかなり難しい。宗教とは文字通り信仰でありいわば理論を越えた物、つまりは最も純粋な人間の心の問題だと考えるからだ。実際、絶望の淵から信仰によって救われたという人は居るし、またどんなに疑問を持っても最終的には信ずることが宗教だと言われれば、本当は疑問など持っていないのにも拘わらず神を信じてしまうのも事実だろう。遠藤周作の名作「沈黙」などを読むと、信仰という物の力は最終的に人間を完全に支配してしまうのだとつくづく思う。信仰が深くなれば、理性もまたその信仰を根本としてしか働かなくなるからだろう。ヨーロッパがキリスト教離れをしているとの報道があるが、それに反して世界でのイスラム教徒の数が増えているなどと聞くと、結局貧しさや生きにくさから逃れるために、人間は宗教にすがるのだと思う。

かつての日本も宗教を政治に利用してきた。そもそも政(まつりごと)とは、宗教による政治を言う。人間の魂の救済とは別に、宗教が発生時から政治と極めて強く結びつき、相互に利用してきたことは明かであり、現代でもいくつかの国では宗教がそのまま政治となっている。

また、ロシアなどは、かつて激しく弾圧したロシア正教を、今では積極的に政治に利用し、莫大な支援を与えている。このような状況を見ると、宗教を単に個人の魂の救済などとは見るべきではないのかも知れない。実際にキリスト教はかつて植民地経営の先駆けとして派遣され、植民地の住民に白人支配を受け容れる下地を作ってきた。それは彼らがなんと弁明しようと事実であり、それを恐れた日本が鎖国をしてさらに厳しいキリスト教弾圧をしたことが、後の時代に価値観の違いを理由にしたアメリカによる対日排除政策、さらに対日戦争に至るまでになっている。

現在もアメリカは宗教国家であり、キリスト教が政治に対して強大な影響力を持っているのは否定できない事実だろう。だから、大統領は演説の終わりに、God bress Americaと言うのが決まり文句になっているし、アメリカのコインにはIn God we trustと刻印されている。

つい先頃もローマ法王が明確にイタリアの国策に干渉し、脱原発を押しつけた。そもそも原発政策に宗教が介入すべきではないだろう。バチカンはかつてナチスの前身であるドイツ中央党を支援し、ユダヤ人迫害の名目を与えた。今はその歴史に口をつぐんでいるが、バチカンの歴史で、非キリスト教徒からすれば評価できる物など一つもない。

さて、宗教が政治と切り離せない実態は仏教も同じであり、日本も例外ではなかったが今では少なくとも法的にはいかなる宗教も国家との関わりを持ってはならないことになっている。いわゆる政教分離であり、単なる慣習化した宗教行事でさえ、国家や地方自治体が主催したり支援したりすることはない。

が、どうも最近日本の仏教がまたおかしくなっているのではないかと気がかりだ。むろん、仏教信者でも僧侶でも個人としての思想をどのように持とうと自由であり、これも国家が介入すべきではないから、僧侶個人の政治的活動をとやかく言う理由もないし、そのつもりもない。

しかし、次のような記事を読むとかなり違和感を感ずる。

赤文字は引用

もんじゅの名、許されるのか 永平寺の僧が原発シンポ


 曹洞宗大本山永平寺(福井県永平寺町)で修行僧を指導する僧らからなる寺内組織「禅を学ぶ会」が11月2日、「いのちを慈しむ~原発を選ばないという生き方」と題したシンポジウムを開く。生まれ来る命にも思いを寄せた釈迦(しゃか)の言葉を引き、放射性廃棄物という「負の遺産」を子孫に残していいのか問いかける。
 
 これは宗教者として逸脱しているのではないか。僧侶個人として脱原発であろうと推進であろうとかまわないとは思うが、このような組織で国家の政策に関する問題を論ずるのはどうだろうか。たとえば、いかにもこじつけに聞こえるが
 
 「文殊菩薩の智慧(ちえ)は仏教の智慧であり、科学知識とは違う。許される名前ではなかった」と、同会の西田正法事務局長は話す。仏教者として菩薩と世間におわびしたい思いから、シンポジウムを企画した。
 
 文殊菩薩は確かに仏教の概念だが、これは今では広く日本文化の根幹になる共通概念と言ってもいいだろう。なにしろ、日本人の価値観には仏教を源とした物が多くあり、すでに宗教観と言うより日本人の文化そのものと言っても良いはずだ。原子炉に文殊と名を付けることがその価値観からでた物であって、別に宗教的な意味合いがあるわけでもないだろうし、仏教界の許可が要るものでもあるまい。僧侶として気に入らないと言うのであればそれは気に入らないと言ってもかまわないが、組織として脱原発という政策に絡めて言うようなことではないだろう。
 
 そもそも他の脱原発論者とおなじく、脱原発の理論的検証が全く為されていない。子孫に対する負の遺産と決め付ける根拠を示しもせず、ただ、原発は危ない、子孫に負の資産などと言うこと自体極めて無責任だ。それを宗教家の名で行うことこそ、人間の無条件の感情に訴えるプロパガンダとどこが違うのだろう。白人支配を受け容れさせるために宣教師が布教したのと同じではないのか。
 
 敬虔な仏教徒にとって、僧侶の言葉は自身の思考よりも優先させる場合がある。その責任を彼らは取るのか。
 
 同じような懸念が次のような記事によってもある。
 
 日中の僧侶80人が読経・法要、南京で72年前の「犠牲者」追悼

 江蘇省南京市の南京大屠殺同胞紀念館(虐殺同胞記念館)で13日、日中の僧侶80人が平和法要を行い、旧日本軍に虐殺されたとされる犠牲者を追悼した。12月13日は72年前の1937年に、中国の首都だった南京市が陥落した日。
 
 南京虐殺が中国による捏造であることはすでに明らかになっており、国際的にも事実に基づいて検証すべきだとの声が大きくなっているのに、中国は聞く耳持たず、年々増加する犠牲者30万人を以て、日本を糾弾している。
 
 中国は他者の言葉に耳を傾けないし、また他者の言葉に同意することが面子に関わるとのメンタリティーしかないが、そのメンタリティに同調してわざわざ中国まででかけ、南京虐殺事件の犠牲者に追悼する日本の僧侶とはどのような売国奴なか。
 
 知っての通り、中国には宗教の自由など無く、全ての仏教寺院や僧侶は共産党の管理下にある。これはキリスト教なども同じであり、バチカンからさえ中国のキリスト教は認められていない。
 
 それにも拘わらず、中国仏教界、すなわち中共宣伝部隊は積極的に他国の仏教界と交流をし、思想的に食い込んでいる。台湾の仏教界はすでに完全に乗っ取られたとの報道もあるくらいだ。日本でも、時折寺に高価な中国美術品などが飾ってある場合があるが、このような寺院は、中国仏教界からの工作を受けているケースが多い。次回寺に出かける機械があったら、本堂やホールに恭しく中国美術などが置いてないかどうかチェックしてみても良いだろう。
 
 宗教は純粋に個人の魂の救済だ等と信じていると、いつの間にか中国の思想的支配を受けていることになりかねない。南京虐殺は、事実としては否定されているが表向きは日中間で決着が付いていない。そのような状態で、日本の僧侶が南京の犠牲者追悼に出かけ読経するなど、やはり売国僧侶としか言えないのではないか。本人はそのつもりはないかも知れない。が、それ故に罪は深い。

 ちなみに、中国側の南京虐殺についての認識は、中共の主張そのままであって、自由な討論などあり得ない。このような国と、南京虐殺が事実であったかなかったなどの論争など意味がないのだ。彼らの主張に反論する意味すらない。全て彼らの嘘であり捏造であり、だからこそ、国民に対してさえ自由な論争を許さないし、そもそも自由な情報収集も許さない。つまり、彼らの主張は全て嘘なのだ。

日中共同研究「南京事件は反人道的虐殺」…中国で「対日罵詈雑言」

  中国メディアは28日から29日にかけて、日中が共同で進めている歴史研究で、日中戦争中の1937年に発生したとされる「南京事件」を、「反人道的な虐殺事件」と位置づけることが、両国研究者の共通認識として確立したと伝えた。
  
  日中両国研究者といっても金で買われた研究者も大勢居る。そんなものが日中両国の合意であるはずもなく、中国人の学者でも南京虐殺は嘘だという意見もある。その主張が日中合意ではなく、南京虐殺があったことだけが日中合意だと公表すること自体がどれだけいかがわしいか分かるだろう。
  
  
上記に引用されているURLの記事を読む場合は下記の「続きを読む」をクリックしてください。但し、内容確認以外なら、敢えて読む必要はありません
以下は参照用の資料ですので、確認をされる以外はあえて読む必要はありません。

もんじゅの名、許されるのか 永平寺の僧が原発シンポ


 曹洞宗大本山永平寺(福井県永平寺町)で修行僧を指導する僧らからなる寺内組織「禅を学ぶ会」が11月2日、「いのちを慈しむ~原発を選ばないという生き方」と題したシンポジウムを開く。生まれ来る命にも思いを寄せた釈迦(しゃか)の言葉を引き、放射性廃棄物という「負の遺産」を子孫に残していいのか問いかける。

 燃やした核燃料より多い燃料用のプルトニウムが得られるとされた高速増殖原型炉「もんじゅ」、日本が独自に開発を進めていた新型転換炉「ふげん」の名は、1970年、動力炉・核燃料開発事業団(現・日本原子力研究開発機構)の幹部が、知性と実践を象徴する文殊(もんじゅ)と普賢(ふげん)の両菩薩(ぼさつ)から取った。

 「文殊菩薩の智慧(ちえ)は仏教の智慧であり、科学知識とは違う。許される名前ではなかった」と、同会の西田正法事務局長は話す。仏教者として菩薩と世間におわびしたい思いから、シンポジウムを企画した。

 釈迦は「すでに生まれているものでも、生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは幸福であれ」と説いたという。原発を動かす限り、半減期2万4千年のプルトニウム239が生み出され、子孫に残される。西田事務局長は「『私たちさえよければ』という欲に支えられた利益を漠然と享受してきたことを自覚し、一人ひとりが生き方を選ぶためのシンポジウムにしたい」。

 午後1時~同3時40分、永平寺町山の「四季の森文化館」で。同県小浜市の明通寺住職、中島哲演さんや、避難を余儀なくされた福島県飯舘村の酪農家長谷川健一さんの講演のほか、作家・朴慶南(パク・キョンナム)さんを交えたパネルディスカッションがある。定員400人、入場料500円。申し込みは、同会事務局(0776・63・3456)。(荻原千明)



日中の僧侶80人が読経・法要、南京で72年前の「犠牲者」追悼


Y! 【社会ニュース】 2009/12/14(月) 12:09


拡大写真

  江蘇省南京市の南京大屠殺同胞紀念館(虐殺同胞記念館)で13日、日中の僧侶80人が平和法要を行い、旧日本軍に虐殺されたとされる犠牲者を追悼した。12月13日は72年前の1937年に、中国の首都だった南京市が陥落した日。

  中国では各地で、追悼式典が行われたが、目だった反日運動や混乱はなかった。南京市の虐殺記念館での活動には、約5000人が出席した。

**********

◆解説◆
  中国の公式見解では、「南京大虐殺」による犠牲者は30万人。ただし、中国側がきちんとした根拠も示さず死者数を増やしてきたことから、日本側には反発がある。犠牲者について、「30万人説」から「数万人説」、「虐殺の事実はなかった」などまで、さまざまな論拠の披露と主張があるのが、日本の特徴。

  一方、中国での主張はほとんどが、公式発表の「犠牲者30万人」にもとづく。海外の中国人系研究者による「政治的影響を排除して、きちんと検証すべき」との主張や、中国国内在住者がブログで「(中国)政府は根拠もなしに、数字を常に増やしつづけている」などの批判を披露することもあるが、きわめて少数だ。(編集担当:如月隼人)



日中共同研究「南京事件は反人道的虐殺」…中国で「対日罵詈雑言」

  中国メディアは28日から29日にかけて、日中が共同で進めている歴史研究で、日中戦争中の1937年に発生したとされる「南京事件」を、「反人道的な虐殺事件」と位置づけることが、両国研究者の共通認識として確立したと伝えた。

  中国社会科学院近代史研究所所長で、同研究プロジェクトで中国側首席委員を務める歩平氏によると、「中国側研究者は日中戦争は侵略戦争であり、南京大虐殺は非人道的大虐殺であるなど、歴史的事件の『定性的』な位置づけで共通認識を持つことが必要と特に強調した」、「この問題で双方は同意した」という。

  歩氏の説明が、「定性的な位置づけ」にとどまったことから、南京事件の被害者数など「定量的問題」では双方の合意が得られなかったとみられる。

  ウェブサイトでは、同記事に関連して日本を非難するコメントが相次いだ。「日中両国は世々代々、友好不能」など反日感を示すだけでなく、「10年以内に、敵討ちの戦争だ」、「あの生まれつき野蛮なやつらは、戦争で平定する必要がある」など、“軍国主義的”な書き込みも多い。

  「愚か者どもめ。こんなこと、今さら研究する必要などない」との主張もある。「日本は共同研究の名目で歴史を歪曲するつもりだ」との懸念がにじみ出ており、背景には中国の従来の主張を「絶対的真実」と信じて疑わない考え方があるとみられる。(編集担当:如月隼人)
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コメント

No title

先の大戦でも国民輿論を煽った仏教右翼がいましたね。
戦後は戦争の責任を国家神道に押し付けて、戦前から平和を説いていたと平然と嘘を並べていますけど。
国家神道は布教禁止で教義も無いという極めて非宗教的な状況で存在していたのですが、今ではそれを知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。
仏教勢力は今度は中共の手先となって罪の意識なく日本をまた混乱に陥れるつもりかもしれません。

罪が深い

なかなか、来ることが出来ずにおりました。
どうやら、足繁く訪なうことは厳しくなってしまったようです。
残念ながら。
(閣下は清清されることと存じます。お祝い申し上げます)
常連の方々が増えておられるようですから、何ら影響は無いものと。
いえ寧ろ「いちゃもん」が無くなったのでお慶びかと。

>本人はそのつもりはないかも知れない。が、それ故に罪は深い。

そういう事って、いろんな領域でたくさんあるんだろうと思います。

そうならないように心掛けることをしたとしても、
そのつもりが無いので、気づくことは難しそうです。

他人から指摘を受けて初めて認識し、省みるよりありません。

……そんな成瀬はさっさと絶命せよ、と閣下には言われそうですが。
さて、どうなりますことやら。

No title

>2011-11-21 18:01 | 花岡 鉄様

>先の大戦でも国民輿論を煽った仏教右翼がいましたね。

居たようですね。坊さんが右翼思想を持つこと自体は自由だと思いますが、それを仏教の教義に関連づけて主張するのが本当にいやらしいです。まあ、権力は常に宗教を利用してきており、王権神授説などはその典型でしょうが、宗教自体の問題ではなく、宗教家が権力おもねたのが先の大戦の時の例だと思います。

>戦後は戦争の責任を国家神道に押し付けて、戦前から平和を説いていたと平然と嘘を並べていますけど。

仏教自体の問題ではなく、それを利用する連中の責任でしょうね。とはいえ、宗教は常にそのように利用される物であり、信ずる方がそれを見抜けばよいのですが、盲信している場合はそれも出来ませんし。

>国家神道は布教禁止で教義も無いという極めて非宗教的な状況で存在していたのですが、今ではそれを知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。

今も、神道はある意味一番自然な宗教の原典かも知れませんね。

>仏教勢力は今度は中共の手先となって罪の意識なく日本をまた混乱に陥れるつもりかもしれません。

中共には明らかにその意志があります。中国の仏教界は中共宣伝部隊ですから。日本の寺院などにも交流を持ちかけ、多額の支援や贈り物で、経営の苦しい寺院を釣っているようです。

また、仏教には何の関係もない輩が、俄坊主になってプロパガンダに勉めている例もあるのではないでしょうか。

むろん、尊敬すべき仏教の師も居るでしょうが、信徒の宗教心につけ込むのは本当に卑劣です。したがって、瀬戸内寂聴氏の反原発運動にも卑劣だと思っています。脱原発の主張をするなら、瀬戸内晴美名で、信徒にではなく、推進派の人間に向かって、個人として発言すべきでしょうね。

罪が深い

>2011-11-21 21:41 | 成瀬健三 様

おや、本当にお久しぶりです。

>なかなか、来ることが出来ずにおりました。

まあ、いろいろ事情があるでしょうからね。

>どうやら、足繁く訪なうことは厳しくなってしまったようです。
>残念ながら。

それは本当に残念ですね(棒読み)

>(閣下は清清されることと存じます。お祝い申し上げます)

んなことはありませんよ。線引きできないから、或いは別項で指摘するように、反証も挙げずに難癖を付けるからと言って毛嫌いなどしません。

>常連の方々が増えておられるようですから、何ら影響は無いものと。
>いえ寧ろ「いちゃもん」が無くなったのでお慶びかと。

いえいえ、イチャモンもネタになりますから。
>
>>本人はそのつもりはないかも知れない。が、それ故に罪は深い。
>
>そういう事って、いろんな領域でたくさんあるんだろうと思います。
>
>そうならないように心掛けることをしたとしても、
>そのつもりが無いので、気づくことは難しそうです。

まったくです。指摘をしてもただの罵詈罵倒だと思う輩もいるようです。
>
>他人から指摘を受けて初めて認識し、省みるよりありません。

ええ、本当にまともな指摘ならね。
>
>……そんな成瀬はさっさと絶命せよ、と閣下には言われそうですが。

言いませんよ。そのように勝手に決め付けるから何を指摘しても無駄だと言われる人がこの世には多いです。

>さて、どうなりますことやら。

ほんとですな。どうなってもまあ、しょうがないですが。

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