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新たなる伝説2

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まず最初にどこまでも悪質且つ愚かな馬鹿者達。

赤文字は引用

「核廃棄物持ち込み許さない!」 マツ騒動、今度は成田山新勝寺に抗議

2011年08月15日19時33分

提供:J-CASTニュース

東日本大震災の津波でなぎ倒された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」のマツの木を、千葉県の成田山新勝寺で「護摩木」と共に焼いて供養することが報道されると、「核廃棄物を持ち込むことは許さん!」などといった苦情が寺に押し寄せた。高田市のマツを管理するボランティア団体にも抗議が来ている。

京都市側の不手際と愚かさと無責任のために一転二転して、中止になった大門字送りの薪を千葉の成田山新勝寺が引き取り護摩木としてとして焼くことを決めたとたん、今度はそれにイチャモンをつける馬鹿者が現れた。それも多数だ。放射線と聞くと、もうその量もヘッタクレもないらしい。とにかく止めろと騒ぐ。

「燃やしても全く人体に影響はない」

ちなみに、放射線影響研究所に問い合わせてみたところ、野菜や肉、魚などについては、放射性セシウムが1キロあたり500ベクレルを超えるものは食用にしないという国の基準値がある。今回のマツの皮は1キログラムあたり1130ベクレル。約2倍の数値だが、皮を食べることはない。


皮を食べることもないし、燃やしてもそこから発散する放射性物質は限りなく希釈拡散される。しかし抗議する者達の頭の中のイメージでは、燃やした煙が固まってセシウムを含んだまま各々の呼吸器に直進してくると言うものではないのか。放射性物質の拡散よりも、彼らの愚かな言動が拡散する被害の方が桁違いに大きいのだが、むろん、馬鹿だから理解できない。

この新勝寺の件で、再び高田市のマツに対する非難が始まっている。先のボランティア関係者の電話には、

「どれだけ日本に放射能を拡散させたいんだ!」
などといった抗議が来ているという。



先日も、年寄りは何を食べても先がないから良いだろうが、若者は大変だ、と言いのけた揺るネジ頭が某所に居た。専門家が全く影響がないと言っても、このような思考しかできない愚か者達は、とにかくこのようなことをわめき立てる。そうして、風評被害を広げ、自分たちのその責任は全く自覚しない。

放射線で汚染されたものを食べたくないそうだ。むろん、健康に被害があると検証されたものは、そのかなり下の規準のものでも口にすべきではないだろう。しかし、実際には放射線汚染をした食物で被曝し健康を害した例は世界中、ただの一件も確認されていない。チェルノブイリで放射性ヨウ素に汚染されたミルクを飲んだ幼児達が甲状腺癌になったとの報道もあるが、あれも実際は根拠が示されていない。広島長崎でも、近郊農家は野菜を作り続け、人々はそれを食べている。66年間それを続けている。当時は野菜の汚染規準など無かった。放射線のことさえ良く理解されていなく、被曝による障害を受けていながらそれを熱や爆風による怪我のためだと考えていた人が多い。つまり、初期の頃は知らずに放射線汚染を受けていたはずの野菜を口にし、水を飲み、空気を吸っていた。

直接の外部被曝の上に、そのような長期の内部被曝を受けていたわけだが、それらのデータを集積した上で、今回の汚染レベルは全く健康には影響が出ないことが証明されている。しかし政府は、平時の規準をそのまま当てはめてしまい、直ちに派健康に被害がない、将来恐れがあると言う形で風評被害を広げてしまった。その結果が、放射線レベルはともかく、とにかく汚染された食物は食べたくない、先のない年寄りは食べればよいだろうと言う発想につながるわけだ。むろん、当人はそれが何を意味するか全く自覚していない。良心のどのような育てられ方をしたかは知らないが、一度親に向かって言ってみればよいのだ。

いや、単に馬鹿だから腹が立つのではなく、このような風評被害が政府によって引きおこされ、政府はその責任を認めず、このようなオカルト恐怖、すなわち目に見えないお化けや悪魔を恐怖するパニックが際限なく広がっている。ものを考えない人間とはそう言うものなのだ。何を恐れ、何を恐れてはならないか等、自分では決められない。

これが一部のプロパガンダ屋に利用され、脱原発の理由にされている。そして、際限なくこの国の経済を破壊してゆく。

そんな放射線量でも無害だとは無論言わないが、とにかく汚染されたものは食べたくないと無条件で拒否し、思考停止するのであれば、喩え若者でも先はない。

独島義勇守備隊長の未亡人、パク・ヨンヒさん


 日本は朝鮮戦争直後、韓国内の状況が混乱していた隙を突き、実効的支配を通じ独島を所有しようとした。だが、韓国は力がなかった。守備隊の武器は朝鮮戦争で使っていた小銃と迫撃砲だけで、政府の支援はなかったという。守備隊は劣悪な環境でも約50回にわたり日本の武装艦艇と戦った。
 
 武装艦艇と小銃で戦ったと言うが、上陸もしてこない艦艇とどうやって戦ったのだろう。そもそも、竹島は李承晩が日本から強奪し、多数の日本漁船を拿捕し、多くの日本人漁民を虐殺した場所だ。日本側がさいていげんの警戒をするために出ていったのは当然だろう。

 日本の艦艇3隻が出動し、空では戦闘機が守備隊を脅した1954年11月の戦闘では「全員が命を落とすと思った」という。だが、日本側は砲弾を撃たなかった。武力を誇示することで、独島をあきらめさせようとする意図だった。

1954年というと日本では保安隊がやっと自衛隊に編成されたばかりであり、海外との戦闘行為が出来たわけがない。今でさえまともに出来ないのだ。当時竹島近辺に出動したのは海上保安庁の巡視船であり戦闘機と言っている飛行機は、それに伴ったものでしかない。

独島義勇守備

独島義勇守備隊(どくとうぎゆうしゅびたい、朝鮮語:獨島義勇守備隊)は大韓民国が領有権を主張する竹島を守備するため結成された民間義勇隊。韓国では竹島を独島と呼び、この義勇隊を英雄視している。1953年から1956年まで活動し、来島した日本の海上保安庁巡視船を攻撃していたとされたが、後に、韓国系ニュースサイトの取材により、95%が嘘と判明した。

なんとあっけない。嘘だと分かっていることが今また上記のような形で息を吹き返す。本当に息をするように嘘をつくとはこういうことだろう。おそらくこのパクヨンヒさんは守備隊に付いていった従軍慰安婦なのではないかと勘ぐってしまう。


日本は正しい歴史教育を 韓国大統領、竹島言及なし

 竹島(韓国名・独島)問題に直接言及しなかったものの、「日本は未来の世代に正しい歴史を教える責任がある」と表明した。竹島の北西にある韓国・鬱陵島を自民党議員らが視察しようとしたことなどで、韓国内で日本への反発が強まっていることを受けた発言とみられる。
 
 想像だが、李明博大統領は真実を知っているはずだ。彼は日本で生まれたがすぐに韓国へ帰ったとのこと。しかし、親は事実を知っていたはずだし、それを聞いていると思う。そして韓国が日本に何もかもおんぶで抱っこで発展し、嘘の歴史をでっち上げていることも知っていると思う。だが、韓国大統領の立場では、最低限の嘘をつかなくてはならないのだろう。あくまで想像だが、最低の前任者に至る歴代の、最終的には牢屋に入ったり自殺している大統領達はほとんどが反日カードを支持率アップに使った。その味が忘れられないのだろうが、李大統領はその危険を知っているのだろうと想像する。
 
 せめて牢屋に入ることなく、始末されることもなく生涯を全うするためにはファビョる韓国人の前で最低限の言葉が必要なわけだ。まあ、これは中共の指導者達もおなじなのだが。自分たちがついてきた嘘に縛られているわけだ。

韓国側には、あまりに大衆に迎合した与党議員の動き、すなわち竹島が日本領だと言う日本人をテロリスト名簿に加え入国を拒否しろとか、竹島に韓国軍を常在させろ等と言う動きに、それは日本に乗ぜられるだけで、ドクトが韓国領である以上それを辛抱強くいじするのが得策だと言っている。この方が確かに理性的にきこえるが、結局は竹島が日本領であることを否定も出来ないことになる。それをはっきりしたければ、国際法廷に持ち込むしかないのだが、それを拒否している姿は、どう見ても自分が嘘をついていることを知っているとしか見えないだろう。

もう少し、日本側は強行に出て韓国と衝突を匂わせるところまで言っても良いだろうが、それ以上は特に必要があるとは思えない。韓国の尻をあぶってやればよいだけだと思うが、相手はなにしろファビョる国だ。慎重にすべきだがその前に国内の獅子身中の虫下しが先だろう。





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以下は参照用の資料ですので、確認をされる以外はあえて読む必要はありません。

独島義勇守備隊長の未亡人、パク・ヨンヒさん


パク・ヨンヒさん=14日、九里(聯合ニュース)

【九里聯合ニュース】1953年から1956年まで、日本から独島を守ったホン・スンチル独島義勇守備隊長の未亡人、パク・ヨンヒさんは日本が独島の領有権を主張し、海外地図に東海が「日本海」と表記されている一連の事態に興奮を隠せなかった。

 パクさんは20歳にホン隊長と結婚し、独島に近い鬱陵島で生活した。パクさんも独島義勇守備隊の隊員として活躍し、武器と食糧の供給を担当していた。

 守備隊は朝鮮戦争後に地元の鬱陵島に戻った軍人21人と住民12人により、1953年に結成された。当時は武装艦艇の護衛を受けた100トン級の日本漁船が独島や鬱陵島付近に頻繁に出没し、韓国の漁師を追い払った時期だった。

 日本は朝鮮戦争直後、韓国内の状況が混乱していた隙を突き、実効的支配を通じ独島を所有しようとした。だが、韓国は力がなかった。守備隊の武器は朝鮮戦争で使っていた小銃と迫撃砲だけで、政府の支援はなかったという。守備隊は劣悪な環境でも約50回にわたり日本の武装艦艇と戦った。

 日本の艦艇3隻が出動し、空では戦闘機が守備隊を脅した1954年11月の戦闘では「全員が命を落とすと思った」という。だが、日本側は砲弾を撃たなかった。武力を誇示することで、独島をあきらめさせようとする意図だった。

 パクさんは「日本は砲を撃てば、国際問題に飛び火することを懸念した」と話す。「これは独島を韓国領土と認めていることを裏付ける。自分の領土なら守備隊は(独島を)侵略しているはず」と声を上げた。

 33人が命がけで対抗したため、日本艦艇は徐々に減った。この頃、守備隊の資金も底を打ち、余力はなかったという。1956年、守備隊の隊員10人が警察に任官され、警察が独島の警備を担当することになり、守備隊は解散した。

 ホン隊長はその後、独島に住民が暮らせる住宅を建てるため、奔走した。1969年と1972年、開発計画書を独島が属する慶尚南道に提出したが無視された。1976年に提出した時は予算がないとの返信が来た。情報機関に3日間拘留され、「これからは独島に触れるな」と強要されたこともあった。

 パクさんは「政権が日本の顔色をうかがった。弱小国の悲哀だった」と涙を流した。

 守備隊の33人のうち、23人がなくなった。パクさんは「今からでも遅くない。日本よりも独島を勉強し、研究する人材を育てなければならない」と話す。「韓国も大国の仲間入りを果たそうとしているだけに、日本の無理な行為を座視してはならない」と語気を強めた。

独島義勇守備

隊出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
独島義勇守備隊(どくとうぎゆうしゅびたい、朝鮮語:???????/獨島義勇守備隊)は大韓民国が領有権を主張する竹島を守備するため結成された民間義勇隊。韓国では竹島を独島と呼び、この義勇隊を英雄視している。1953年から1956年まで活動し、来島した日本の海上保安庁巡視船を攻撃していたとされたが、後に、韓国系ニュースサイトの取材により、95%が嘘と判明した。

背景 [編集]大韓民国の初代大統領李承晩は、江戸時代の「竹島一件」、明治初期の太政官指令にある「竹島外一島」、第二次世界大戦後に竹島が米軍の覚書により日本の政治及び漁業の管轄からはずされたこと、などを根拠に日本に領有権がないと解釈、朝鮮戦争中の1952年1月、李承晩ラインを竹島を含む海域に一方的に設定し、竹島(独島)領有を宣言した。日本は、1905年に竹島を『無主地』という名目で島根県 隠岐郡 五箇村に編入しており、1952年4月サンフランシスコ講和条約が発効すると領有権を放棄した認識がないため竹島に巡視船を派遣し領有権主張を行った。ここに竹島は日本と韓国の間で再び領土紛争に発展する。(詳しくは竹島を参照)

結成 [編集]鬱陵島東南約90キロにある竹島は、韓国では行政的に慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑に属しており、日本との領土紛争を聞いた鬱陵島民が1953年竹島の韓国側保持を目的に民兵組織を結成した。まだ朝鮮戦争が続いており、韓国軍や韓国警察に余力がなかったためである。ホン・スンチョル隊長以下、33人の隊員が集まり、大部分が傷痍軍人・警察官で、純民間人4人も含まれていた。

活動 [編集]独島義勇守備隊は1953年4月20日、初めて竹島に駐在した。常駐ではなく、定期的な駐在である。同年6月27日、日本の巡視船2隻が来島して6人いた守備隊員を島から追い出し、日本領の標識を立てている。しかし、巡視船はそのまま引き上げたので、義勇守備隊が再び島に戻った。このことを聞いた李承晩大統領は慶尚北道警察に指示して迫撃砲1門と弾100発を義勇隊に支給させた。義勇隊はこのほか、M1小銃とカービン銃で全員武装していた。さらに直射砲1門も配備されていたとする説がある。

1954年4月21日日本の巡視船が来島したため交戦状態が発生し、巡視船1隻を撃沈したと主張しており、日本側の記録でも巡視船が発砲を受けて損害を蒙ったことは確認できるが、撃沈は確認できない。また日本側は発砲した組織を韓国「官憲」と認識していた。隊員が何らかの制服を着用していたためだろう。また守備隊はその後も日本巡視船との交戦があったと主張し、日本側記録でも1954年11月30日に日本巡視船が竹島から砲撃を受けたとする。

1954年、洪淳七隊長が東島の岩肌へ「韓國領」と彫らせる。

組織 [編集]義勇隊の組織は末期には次のようになっていた。隊長ホン・スンチョル、副官ファン・ヨンムン、第1戦隊10名、第2戦隊9名、普及隊2名、教育隊3名、後方支援隊4名、輸送隊4名である。普及隊(宣伝隊)には唯一の女性隊員として洪(ホン)隊長夫人パク・ヨンヒがいた。

解散 [編集]1956年4月、韓国内務部治安局慶尚北道警察局鬱陵警察署の武装警察官8人が常駐するようになり、独島義勇守備隊は同年12月25日を以って解散した。現在当時の元隊員十数名が生存しており、その話をもとに独島義勇守備隊をテーマにした韓国映画が製作されており、2005年8月15日封切り予定である。なお現在、島には武装した韓国警察官41名が駐屯し、周辺海域は海洋警察庁が警備を行っている。韓国軍が駐屯しないのは、韓国による「占領」と見なされるのを避けるためであるが、どのような軍備を持ち警備しているのかは定かではない。


日本は正しい歴史教育を 韓国大統領、竹島言及なし

2011年08月15日11時59分

 日本の植民地支配からの解放66年を祝う「光復節」記念式典で演説する韓国の李明博大統領=15日、ソウル市内(共同) 【ソウル共同】韓国の李明博大統領は15日、ソウル市内で開かれた日本の植民地支配からの解放66年を祝う「光復節」記念式典で演説、竹島(韓国名・独島)問題に直接言及しなかったものの、「日本は未来の世代に正しい歴史を教える責任がある」と表明した。竹島の北西にある韓国・鬱陵島を自民党議員らが視察しようとしたことなどで、韓国内で日本への反発が強まっていることを受けた発言とみられる。

「核廃棄物持ち込み許さない!」 マツ騒動、今度は成田山新勝寺に抗議

2011年08月15日19時33分

提供:J-CASTニュース

東日本大震災の津波でなぎ倒された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」のマツの木を、千葉県の成田山新勝寺で「護摩木」と共に焼いて供養することが報道されると、「核廃棄物を持ち込むことは許さん!」などといった苦情が寺に押し寄せた。高田市のマツを管理するボランティア団体にも抗議が来ている。

陸前高田市やボランティア団体からは、市への非難や風評被害が広がるばかりで、「もうそっとしてほしい」といった悲鳴が挙がっている。

「皮は薪にはしないのに」と地元は憮然
市やボランティア団体は、マツを巡る騒動でバッシングに晒されていることに頭を抱えている。今回の騒動のあらましはこんな具合だ。

陸前高田市のマツを管理するボランティア団体によれば、2011年6月に大分県の芸術家から、京都「大文字」で使うマツの木切れが欲しいといわれ、市と協議して提供を決めた。木切れに被災者の願い事を書いて欲しいという申し出については、市民は復興で忙しい中、疑問もあったが、震災で亡くなった縁者を思い、また自分達への心遣いに感謝して応じることになった。「生まれ変わったらまたあなたと再会したい」などと書かれたものが400本近く集まった。

しかし、京都では放射能を心配する府民からの反発が出て、大文字保存会は2011年8月6日、高田市のマツは使わないと発表した。

すると今度は全国から、京都への非難が殺到したため、一時は「大文字」をはじめとする五山の保存会が薪に使うと発表。マツの放射能の検査が条件だった。検査してみると表皮に1キログラムあたり1130ベクレルの放射性セシウムを検出、再び中止が決まった。

ボランティア団体によれば、最初の「大文字」で使うマツは京都の関係者や自分達が検査しても放射能は出なかったという。それは、マツの皮を取り、薪として使えるよう加工した後だったからだ。次に行われた検査では、加工していないマツが運ばれ、皮と内側を別々に検査。内側は大丈夫だったが皮から放射能が出た。ボランティア関係者は、

「皮は薪にはしないため、今回の検査でよかったのだろうか?」
と首をひねる。しかし、今回の検査で京都に対する非難が沈静化したのは確かだ。

「燃やしても全く人体に影響はない」

ちなみに、放射線影響研究所に問い合わせてみたところ、野菜や肉、魚などについては、放射性セシウムが1キロあたり500ベクレルを超えるものは食用にしないという国の基準値がある。今回のマツの皮は1キログラムあたり1130ベクレル。約2倍の数値だが、皮を食べることはない。

「不安だという気持ちはわかりますが、燃やしたとしても全く影響は出ないでしょう」
と話している。

そうした中、11年8月15日、千葉県の成田山新勝寺で9月25日に行われる伝統行事「おたき上げ」で、願い事が書かれた札「護摩木」とともに高田市のマツがたかれると報道された。すると15日の昼過ぎまでに新勝寺に30本近い問い合わせが来た。批判が多く「核廃棄物を持ち込むことは許さん!」といった過激なものまであったという。

新勝寺によれば、マツを燃やすことを決めたのは京都「大文字」が話題になる前で、同じ宗派である高田市の金剛寺が「おたき上げ」でマツを供養することを知り、賛同したことがきっかけ。マツは金剛寺から長さ90センチ、4.5センチ角のものを20本から30本提供を受ける。批判が寄せられていることについて新勝寺では、

「まずは放射能の検査をします。検出されればマツは燃やしませんが、拝むという形になるかもしれません」
と話している。

この新勝寺の件で、再び高田市のマツに対する非難が始まっている。先のボランティア関係者の電話には、

「どれだけ日本に放射能を拡散させたいんだ!」
などといった抗議が来ているという。


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コメント

お疲れさまです

たかおじさん様

またまたご無沙汰してしまいました。
相変わらず反原発原理主義者が湧いてお手を煩わせているようで、ご苦労のほどお察しいたします。

本エントリの広島・長崎の核爆弾による被曝影響について、情報提供をさせてください。
広島・長崎とも、鬼畜・米国による非戦闘員の殺戮という戦争犯罪なわけですが、両都市とも『空中核爆発』であったのが不幸中の幸いでした。

核爆発によって生成される火球の地表との位置関係で核爆発は分類されますが、火球が地表に接触しない『空中核爆発』では、核生成物が少なく、ほぼ全てが成層圏まで上昇するため、地表での継続的な放射能汚染が少ないのです(一部、放射化された建物・地表、黒い雨による降下物質はあります)。
このため、被曝直後は「70年は草木も生えない」と言われた広島でも、翌年にはもう草木が芽吹いていたそうです。つまり、地表の汚染はほとんどなかったと考えられます。

一方、火球が地表に接触しているのが『地表核爆発』で、これは地表の建物類や土壌を含む大量の核生成物が生じ、これが周辺に降下することで持続的な核ハザードとなり、比較的長期間にわたって周辺の地表・土壌が放射能で汚染された状態となります。米・ビキニ環礁、露・セミパラチンスク実験場、支・ロプノール周辺実験場などが代表的な汚染地域で、ビキニ環礁はともかく、セミパラチンスクとロプノール周辺では核実験停止後15年~20年を経ても未だに高い放射線量が検出されるようです。

したがって、チェルノブイリ原発周辺は『地表核爆発』の程度が軽い状態、福島第一原発周辺は、さらにもっともっと軽い状態ということだと考えられます。
ということで、地表の汚染については広島・長崎の事例そのままではないですが、いずれにせよ騒ぎ立てる程のことはない、とだけは言えると思います。

2chあたりで、五山送り火の薪スレがどんどん伸びていて、「16日に終わるまで監視しよう」と騒いでいましたが、今度は鉾先が新勝寺に向いています。
反原発者たちが扇動しているのかなと思いますね。
ヤラセ抗議を煽っているようです。

>2011-08-17 07:17 | 麻美様

>2chあたりで、五山送り火の薪スレがどんどん伸びていて、「16日に終わるまで監視しよう」と騒いでいましたが、今度は鉾先が新勝寺に向いています。

そうですね。単なる愉快犯でしょうが、これを煽っているのは、確かに仰るように、まとまった組織があるようですね。

北海道の泊原発再稼働が土壇場で撤回されてしまいました。道議会の意義によるそうですが、菅総理が脱原発を言い出したとき、それが自分の保身のためだけであって、それを他の団体に利用されるとまでは考えていなかったでしょう。つくづく愚かな人物だと思います。

お疲れさまです

>
>2011-08-17 05:04 | 海驢様


>相変わらず反原発原理主義者が湧いてお手を煩わせているようで、ご苦労のほどお察しいたします。

いえ、それ自体はかまいません。反論するチャンスが増えますから。ただし、その価値がなければ無視しています。

>広島・長崎とも、鬼畜・米国による非戦闘員の殺戮という戦争犯罪なわけですが、両都市とも『空中核爆発』であったのが不幸中の幸いでした。

>核爆発によって生成される火球の地表との位置関係で核爆発は分類されますが、火球が地表に接触しない『空中核爆発』では、核生成物が少なく、ほぼ全てが成層圏まで上昇するため、地表での継続的な放射能汚染が少ないのです(一部、放射化された建物・地表、黒い雨による降下物質はあります)。
>このため、被曝直後は「70年は草木も生えない」と言われた広島でも、翌年にはもう草木が芽吹いていたそうです。つまり、地表の汚染はほとんどなかったと考えられます。


>ということで、地表の汚染については広島・長崎の事例そのままではないですが、いずれにせよ騒ぎ立てる程のことはない、とだけは言えると思います。

資料ありがとうございます。広島長崎とも空中爆発であったのは、火球が最大限に出来て、結果として熱射線や爆風の被害が最も大きくなるようにするためでした。放射線による被害は当時アメリカ自身が把握していなく、考慮はされていなかったようです。したがって、大勢の被爆者をアメリカは治療と称してアメリカに連れてゆき人体実験サンプルとして研究したのです。

たしかに、結果として地表核実験のような大量の汚染物質は生まれなかったでしょうが、あのキノコグモは実際にあれだけの物質が巻き上げられ、後に降下したことを意味しています。空中爆発によって生じた一瞬の巨大な真空空間が、物質を巻き上げたのはあのキノコグモですから。

そして、アメリカにしても日本にしてもあの長崎広島が初めての広域放射線被曝の例だったことからあれを基本として放射線医学を発達させました。その後の被曝検証はその上に積み重ねられたものです。

いずれにせよ、今回の福島原発による汚染は、広島長崎と比較してさえ極めて小さなものです。

しかし他の方からもご指摘がありましたが、意図的に恐怖を煽る者達が確かに組織的に存在するようです。誰が何のためにそうしているのかを私たちは見極める必要があると思っています。

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