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日本の物作り



平成22年01月12日

 少し前に、日本は物作りにこだわり、同じ物でも付加価値を高めて競争力を保つべき、との趣旨を書いたことがある。

 これはむろん今でも同じ考えだが、補足しておく必要がある。品質に直接関わりのないオーバースペックは付加価値に関係がないと言うこと、それとコストパフォーマンスという考え方の取り入れだ。

 日本で物作りに関わっている人間は可能な限り技術をつくして高品質の物を作るように心がけている。しかし、様々な部品を組み立てて作り上げた製品は、結局一番壊れやすい部品の寿命で全体の寿命が決まる。

 部品の中にも劣化が避けられない部品、また最初から消耗品として作られた部品がある。わかりやすい例として、機械時計を挙げると、まず摩耗する部分と言えば、一番動きが大きく絶え間なく動いている脱進機という部品であり、時計修理で一番多いのはこの部品だ。なにしろ、摩耗が激しいからだ。

 次に、各歯車の軸受け部分、歯車の歯の部分という順序で壊れる。

 したがって、一番壊れやすい脱進機が壊れた時点でその時計の寿命が尽きたわけだが、高額な時計の場合はそれで棄ててしまうのは惜しいので脱進機を交換する。

 脱進機の爪と言われる部分は摩耗しにくいようにサファイアなどの宝石を付けておくことがある。一方、その爪の当たるガンギ車の歯は柔らかくしておくことで、一方的にガンギ車が減るようにする。つまり、わざと壊れやすい部分を作り、その部分だけを交換すればよいようにすることで、修理がしやすくなっている。

 それは歯車のシャフトも同じで、軸受けに宝石を使うことで摩耗しにくく、一方シャフトが摩耗しやすくなっており、そのシャフトの交換の方が軸受けの交換よりも簡単になる。

 そのように、わざと壊れやすい部分を作って置いて他の部分を保護し、それにより修理をしやすくしている機械はかなりある。わかりやすい例では、電気製品のヒューズが切れやすくなっているなどもある。

 そのような意図的に壊れやすくしている部分は別として、機械全体の寿命は全ての部品の寿命が等しい事が望ましい。すなわち、どんなに高価な機械でも、一部に安物で壊れやすい部品を使ってしまうと、全体の価値が下がる。

 逆に、それほど高価ではない一般品に、一部特別高価で頑丈な部品を使っても、もったいない。

 実は日本の機械にはこの勿体ないケースがかなりある。それは一つの機械を作る場合多くの部品メーカーが部品を作り、それを組み合わせて完成するのだが、部品メーカーがやたらに精密かつ高価な部品を作ってしまう場合、他の部品とのかねあいがつかず余計な金をかけることになる。部品メーカーのポリシーなのだろうが、これがなかなか適当な調整が出来ない。

 軸受けとシャフトのばあい、軸受けの精度が100分の1ミリで、シャフトの精度が1000分の1ミリだとシャフトの精度は意味がない。100分の1ミリの精度でよい場合は、シャフトも100分の1ミリにして価格を下げてもらいたいのだが、高い精度を作り出す機械を入れてしまっているために1000分の1ミリ以下の精度のシャフトが作れず、価格も高くなってしまうというわけだ。

 シャフトは軸受けにはまりこむ部分の精度と、曲がりと、偏芯が問題になるが、シャフトにはまりこむ部分以外の表面仕上げや直径の誤差などは殆ど問題にならない場合がある。が、日本の加工屋さんはシャフト全体の制度や磨きを究極まで高めて、芸術品のようなシャフトを納品する。実に見事な製品で感激の至りだが、むろん、その分の価格も請求される。

 必要な部分の仕上げは最高レベルにして、不必要な部分は手をかけないことはコスト削減に重要な要素だが、それがなかなか理解してもらえない。

 表面に出た部分に削ったままのばり(ギザギザ)が出ているとむろん製品の価値を大きく下げるので、最大限の注意を払って仕上げる必要があるが、内部部品は必ずしもそんな必要はない。

 不必要なところに職人魂を注ぎ込んで余分なコストをかけるのは価格競争で不利になるのだが、それを理解してくれる職人さんはあまりいないようだ。

 また、かつての電子レンジには使いもしない機能が満載され(今の携帯電話などにも言えるが)価格を上げている。最近は単に御飯を温める機能に徹した簡単レンジが出てきたし、通話だけが出来る簡単携帯もでてきた。

 不要な機能を省く、不要な仕上げを省くことで、価格を下げコストパフォーマンスを上げて競争力を確保する考え方も、やはり日本の物作りには必要なのではないかとおもう。

 職人技結構、職人魂結構。でも求められるのは芸術品ではなく使いやすく、丈夫で安い製品であるはずだ。芸術品は芸術家が作ればよい。

 職人が勘違いして芸術家になってしまったら、日本の物作りは滅びるんじゃないだろうか。
 
 ただし、最高の技術を目指し、そのために不断の努力を惜しまない姿勢は非常に高く評価されるべきで、日本の消費者がそれを理解するからこそ製品に対する世界一厳しい消費者となりそしてその中で競争力を高めたメーカーが世界で技術力では世界一のレベルに達していることも無視してはならない。しかし、性能に関係ないところで手を抜けるのも技術だと思うのだが。

 曲がったキュウリを誰も買わない、日焼けしたリンゴを誰も買わない、不揃いなトマトを誰も買わない。脚や髭のとれた伊勢エビを誰も買わない。しかし、これらは味や栄養にはまったく影響がない。なのに、誰も買わないから農家や漁師はそれらを棄てる。そして形ばかり整った商品にそのコストを上乗せし、また形を壊さないために過剰包装をしてさらにコストを上げる。

 最近は不揃い野菜や脚のとれたエビなどが売れるようになってきたが、本質的に品質には全く影響のない見てくれを求める消費者が賢いとはどうしても思えない。自ら生産者に高いコストを付けさせている。

 私の知っているメーカーは市場にある機械と同等の性能を有する製品を作るが、価格は半分から5分の1になる。なぜか、市場で売れる品は、とにかく見てくれにかなりの金をかけているから、宣伝に金をかけているから、在庫に金をかけているからということになる。

 そのメーカのコンセプトでは一般消費財ではないから大量生産をするメリットがないので、むしろ客の要望に応じて一点物の設計をし、外見は全く金をかけずに作ると性能は落とさずに非常に安い製品が出来る。しかし、なかなか理解してもらえないとこぼしている。

 外見に金をかけると、途端に価格が上がるし、それも限度があるので、値段的に合わない場合は断るしかないようだ。

 芸術家と勘違いする職人も問題だが、意味のない厳しさをかざす消費者も問題だ。芸術品は芸術家に頼めばよい。製品は職人に頼むべきだ。

 むろん、家の中に置く家具や家電の見てくれがある程度大切なのは事実だし、それに安全性はもっと大切だ。だが、見てくれにだまされ肝心なところに手を抜いた商品がたくさんあることも知っておいた方がよい。

 少なくとも、新鮮なら曲がりキュウリ、不揃いリンゴ、髭なし伊勢エビもきちんと評価し正当な対価を支払うべきだ。

 これらとはべつに、輸出向け商品では、日本製品は品質が不必要に高い、つまりオーバースペックであってだから韓国製中国製に売り上げで敵わないなどと言われる。

 例えば車だが、日本では誰もが車を大切に使い、傷を付けないことに最大限の注意を払う。しかし、海外では車に傷が付いていようが、ドアが無かろうが、錆びていようがかまわないという国がたくさんある。それらの国々に、日本国内向けのような外見の完成度、つまり完璧な塗装やメッキ仕上げのバンパーが要るのかと考えてみる必要がある。

 国によっては交通ルールなど無視してみんなが無謀運転をする。となると、何よりダッシュ力が高く馬力が大きく威圧的な車が必要になる。スタイルをそのように考える必要はないか。

 日本のガソリンは非常に品質が高く、不純物もないから、それにあわせた精密なエンジンがきちんと機能を発揮する。しかし、海外では粗悪なガソリンが当たり前であり、日本の精密エンジンは却って華奢すぎて使いにくい面がないか。

 品質を落とすのではなく、その国で最も性能を発揮する車をもっと開発する必要があり、日本人のような評価は期待しない方がよいという考え方もある。

 ただし、それは手抜きとは違う。安全性や耐久性を落とす事はしてはならない。あくまでその国で使いこなせる機能が求められると言うことだ。

 家電製品や衣類などにもそれは言える。
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