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日本の教育

 昨日、下記のような報道があった。まず最初に紹介したい。
 
 《》は引用
 
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日本の15歳「社会生活に支障可能性」10%超

 経済協力開発機構(OECD)は7日、65の国・地域の15歳男女計約47万人を対象に2009年に実施した国際学力調査(略称PISA)の結果を世界同時発表した。

 日本は前々回03年、前回06年と順位を下げ学力低下が問題になったが、今回「読解力」が前回15位から8位になり、初回00年の水準に回復。「数学的応用力」は9位(前回10位)、「科学的応用力」は5位(同6位)と横ばいだった。

 国際比較では3分野とも上位をアジア勢が占め、地域として初参加の「上海」が全分野1位だった。

 発表を受け、高木文部科学相は「読解力を中心に我が国の生徒の学力は改善傾向にある」と表明した。だが日本はアジア勢との比較で下位に沈み、成績下位層が軒並み1割を超えるなど、複数の課題が浮かんだ。

 PISAは、身に着けた知識や技能を実生活で生かせるかをみるのが目的。3分野で3年に1度実施しており、4回目の今回は読解力を00年以来の重点調査対象とした。日本では09年6~7月、全国から抽出された185高校の1年生約6000人を対象に実施された。

 日本の結果は、OECD加盟34か国の平均をほぼ500点と換算した得点で読解力が520点と前回(498点)を上回り、00年(522点)並みだった。「数学的応用力」は529点(前回523点)、「科学的応用力」は539点(同531点)で横ばいとされた。一方、OECDが「社会生活に支障を来す可能性がある」とする成績下位層が3分野とも10%を超えた。

 生徒へのアンケートも同時に行われ、小説、新聞をよく読む生徒の方が、読まない生徒より読解力の平均得点が25点以上高いという結果が出た。

 国際比較では、上海と同じ初参加のシンガポールや韓国、香港が上位を占め、欧米ではフィンランドが読解力(3位)と科学的応用力(2位)で存在感を示すにとどまった。

 OECDは非加盟国については「地域」での参加を認めており、今回は上海市が参加を希望、調査の客観性などについての基準や審査を満たしたという。OECDによると、中国政府には国としての参加を呼びかけてきたが、準備不足として見送られているという。

 ◆PISA 

 OECD加盟国などの教育政策や実践に生かすため00年に始まった「国際学習到達度調査」。義務教育修了段階の子供を対象に世界共通の問題を出題する。日本は理数でトップ級から転落するなど過去2回の結果で学力低下が明白になり「PISAショック」と呼ばれた。

(2010年12月8日07時27分 読売新聞)

 この報道につき、疑問点をいくつか挙げる。
 
 上海がすべての分野でトップを占めているが、これが中国の現状を示しているわけではない。たとえば、日本の場合、全国から無作為に選んだ生徒達の平均だが、中国では都市籍と農村籍ではすべての面で大きな差があり、ご自慢の上海でも、農村籍の子供達は通える学校自体が非常に限られ、教育の質がきわめて低い。すなわち、ごく一部の生徒達だけの学力が高いということになる。その意味で、すでに学力の優れた生徒達が選抜されているのであり、さらにその中から選抜された生徒達の成績が、無作為に選んだ生徒達の成績と同列に考えるわけにはいかない。
 
 すなわち、ここでも中国は国家イメージのための宣伝行為でしかないので、除外すべきだろう。国家として、この国際コンクールに参加する資格がないからこそ、地域として参加しているだけのことだ。
 
 しかし、このようなケースは別に珍しいことではない。国民の中に極端な格差があって、エリート層の教育レベルは非常に高いが、一般庶民のレベルが非常に低い国家が途上国を中心に多数存在する。
 
 今回もアジア各国の成績が高かったというのは、これを裏付けている。インドなどもエリート層の教育レベルは極めて高く、それが国家の発展に大いに役立っているが、下層階級では子供達が学校へも行けず児童労働に就かされている。発展途上国では、すべての国民に等しく教育を施すインフラも人材もないので、とりあえず少数のエリートを育て、国の運営を任せ、国が発展してきたら一般に教育を広げる形をとる。アジア諸国は軒並みその段階なのだ。そして、当然ながら欧米諸国の結果がアジアより低いという結果になる。
 
 ただし、アジアでも例外がある。むろん一つは後述するように日本だが、もう一カ国、日本に併合され、一気に国民全体に教育を施された朝鮮半島だ。今では自力で教育レベルを上げたとの嘘を歴史として内外に広めているが、日本が半ば強制的であろうと、朝鮮人に等しく教育を施した36年間が今の韓国の例外的な発展の基礎になっている。ただし、日本の努力を以てしても、民度までは上げられなかったから、今の朝鮮半島があるのだが。
 
 受験する生徒の選定はその国家に任されるのだから、上海など、アジア諸国は教育を受けているその中のエリートを対象としてくるが、全く教育を受けていず文字も読めない子供達がその中に入ってくれば平均点は極端に下がる。
 
 その意味では、日本もそうだったと言っていい。幕末から明治にかけてこの国を開き近代化し、あっという間に世界有数の先進国の地位に持ち上げたのは、主として武士という当時の教育エリート層だった。しかし、日本の場合、当ブログでも何度も取り上げられているが、日本は江戸時代からすでに世界でもぬきんでた教育大国であり、全国津浦々に寺子屋、藩校、学問所など様々な教育機関があり、庶民の子供達も通っていてふつうに読み書きそろばんができた。男女の教育レベルに差がなく、識字率は75%に及んでいるが、当時の先進国とされていたヨーロッパでも、上流階級のみが教育の対象であり、識字率は25%程度だったとされているから、何百年も前から日本を訪れる宣教師や商人達が日本人の教育レベルの高さに驚愕し、本国に書き送っている。
 
 この差は大きい。確かに日本でも教育エリートであった武士が国家の発展を主導したろうが、一般国民の教育レベルが高かったために、その改革が非常にスムーズに運んだことが、あの奇跡的な国家の発展は実現できた。
 
 一方、現代の発展途上国は、あるレベルまでは発展するだろうが、一般庶民の教育レベルが絶望的に低いために、エリート達の理念が理解されない。このような国では、まともな選挙もできない。一般選挙がきちんと機能するためには、有権者達が政治を理解し、国家のあり方を理解し、自分で判断して、いわば民意を形作って投票を行い、自分たちの代表者達を国会に送り込まなくてはならないが、国民の教育レベルが低ければ容易に買収、暴力などで選挙結果が左右される。
 
 また、教育レベルが高いことと、国家発展のための理念とは関係がない。以前当ブログでも触れたが(なぜ途上国は途上なのか)、せっかく自分が高い教育を受けてもそれを自分個人の生活向上のためだけに使い、国家に役立てようとする意識がなければ、結局国家がどんなに金をかけてエリート層を育てても、教育を受けたエリート達は仕事のない母国を捨て海外に移住してしまう。つまり、いつまでたっても国に残されるのは教育をまともに受けない人間達だけということになる。これは私自身痛感したのだが、かつてアフリカ人と話をしたとき、彼はヨーロッパで子供の頃から教育を受けた一流のインテリだ谷も限らず、決して母国には戻らないといっていた。母国に戻っても仕事にならず、生活が成り立たないというのだ。それはヨーロッパで見聞きし経験した生活レベルは保てないだろうし、そもそも電気通信交通などのインフラが未整備であれば、そうだろう。だから国を捨てることは当たり前という彼をみながら、これでは彼の国はいつまでも発展しないだろうと思ったものだ。決して珍しいケースではない。
 
 それでもごくのろい歩みではあろうが、それらの国もいずれ国民全体の教育レベルはあがってゆくのだろう。それに従って国家は発展するが、その歩みはきわめて遅い。
 
 中国の場合も明らかに農村籍の人間を切り捨てており、このような状態で民主化もできるはずがない。だから、今の形で国家をまとめなければならないと彼らはいっているのだ。だが、それを受け入れることはできない。国家をまとめるために彼らが使える唯一の手段は暴力であり、国内においては人民を弾圧し、対外的には強大な軍事力による恫喝外交以外選択肢がないという中国を受け入れることはとうていできない。
 
 よく、中国でも民主化の流れは止められない、いずれ中国は民主化するというが、それは少なくとも今後数十年はあり得ない。単に制度を変えただけで民主化ができないことはロシアで実証済みではないか。その間、中国の内部のひずみが押さえきれなくなる。
 
 また、教育のあり方自体に重大な欠陥があって経済発展はしたが近代国家になれないケースもある。一部のイスラム原理国家がそうであり、彼らは偶然の産物、石油で得た金の力で海外からテクノロジーを買うことはできるが、それが国家の近代化を意味するわけではない。一つサウジアラビアを例にとると、この国では憲法というものがない。すべてイスラム教の教義、すなわちシャーリアが基本であり、女性に対する教育の制限、法律の解釈が統一されていないなどの問題が生じている。人間は神に許されたこと以上のことをしてはならないというのが基本であって、そのような国ではどのような近代科学も、イスラム今日で述べられていないことはすべて排除される。そして、偶然の産物、富の源泉石油も欧米諸国が開発し利用したから金になったのであり、すべて自力とは無関係で得た富なのだ。これがなければ、未だに中東諸国は未開の土侯国のままだ。
 
 以前も触れたが、女性の人権が全く認められていないので、16歳の少女がレイプされ、そして男を惑わした罪により、死刑になった。結婚年齢に制限がないので、10歳未満の子供が性交渉の対象になっている。むろん、一夫多妻も認められている。死んで天国にゆけるのは男性だけだ。
 
 最近の事件では、カメルーンから出稼ぎにきた女性が雇い主の子供を誤って死なせたために死刑判決を受けた。言葉が全くわからない被告のためにインド人の通訳がつけられたが、ほとんど裁判所でのやりとりが理解できず、ただ、弁護士にサインをすれば死刑を免れるといわれて署名し、5年間拘束されたままだという。
 
 この場合、シャーリアでは両親が赦免を願い出るか、膨大な慰謝料を支払えば死刑を免れるがむろんそのようなことはできず、今も死刑におびえながら拘束されているという。
 
 このような例はイスラム諸国では珍しくもない。また、サウジの王族の男がロンドンで同性愛の相手だった使用人を殺し拘束されているが、サウジでは同性愛は死刑だそうだ。
 
 世俗主義を目指していたはずのトルコでも、イスラム原理主義者政党が勢力を伸ばしているが、それは国民がそのように指示しているからだ。よく知られている例では、イランでかつて革命が起き、近代化を目指していた国王が追放され、イスラム原理主義国家となって、今は核開発で国際的な非難の的になっている。
 
 イランもトルコも決して教育レベルは低くはないが、教育の根幹に宗教を離れた自由意志が存在しないためにこのようなことになる。結局、神に許されたことしかできない人間は、自分でものを考えなくなる。そのような国で、近代科学の発展や真の民主化など望むべくもなく、つまりイスラム諸国が近代化する望みはない。第一、多くの国民が近代化のなんたるかを知らず、政府がそれを望んでいないのだから、いくら他国から技術を買ってもそれだけのことだ。チンパンジーでも教えればコンピューターゲームをする、が、決してチンパンジーはコンピューターを作らない。
 
 したがって、国家の根幹は教育であり、しかも一部のエリートの教育ではなく、一般国民の教育レベルの高さが大切なのだ。そして、宗教に支配されず、自由に情報に接する環境にあり、国民が自ら判断する能力を備えていて、初めて国民の教育は国家の繁栄につながる。左翼思想に染まり、自分で判断のできない人間は、結局今の政権の中にいる左翼連中のような人間になるということだ。彼らは基本的な人間社会の常識さえ、念頭になくなる。
 
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 政権末期?首相が来ても座ったままの閣僚2人

:
2010/12/08 00:56更新

 やはり政権末期か-。7日午前、首相官邸で閣議が開かれる直前の1シーン。菅直人首相が閣僚応接室に入ってきたが、起立して迎えたのは高木義明文部科学相=写真右。仙谷由人官房長官と岡崎トミ子国家公安委員長は話し込んだまま立ち上がろうとしない。首相の存在感はますます軽くなっているようだ。
 
 いくら菅総理を馬鹿にしているとはいえ、腐っても鯛、菅でも総理。やはり閣僚たるものそれなりの礼儀を見せるべきだろう。こんな基本ができない人間が、官房長官や国家公安委員長の席に着いているのだ。教育が国家に与える影響を考える良い見本ではないのか。

 私も菅総理は決して尊敬などしていないが、何かの機会で出会うことがあれば、それなりの礼は尽くす。たとえ批判しようと、それとこれとは別だからだ。
 
 また、今回の結果で日本の、たとえば読解力などは向上したとはいえ、自分の意志を他社に伝える能力ではかなり低いことが問題とされている。しかし、これも日本特有の価値観、すなわち個より公の力を国家の根幹としている国では、自己主張も余りすぎるのは良いことではない。つまり欧米基準でのテスト結果がそのままアジアの評価につながるわけではない。
 
 それらをすべてふまえた上で、改めて例のゆとり教育が損なった日本の教育を思わざるを得ない。さすがに日本の教育界でも2000年から毎回ずるずると下がってゆく日本の成績に衝撃を受け、近年授業時間を増やし、読書を勧め、授業内容を改めるなどをした結果が今回の成績アップにつながったという。それでもゆとり教育を進めるべきだと主張する連中は大勢いる。
 
 そもそも、子供の教育には詰め込み丸暗記は欠かせないのだ。これは人権もヘチマもなく、人間の成長に欠かせない過程なのであって、子供時代はとにかく理屈抜きに三木市下ものをそのまま記憶することから人生が始まる。そうでないと、まず子供が言葉を覚えることは不可能だ。2,3歳の子供にとって、たとえ母国語でも意味のない音の羅列だが、それを無条件で覚えまねをすることで言葉を覚える。この時点で2,3歳の子供に文法教育や文章解釈の教育をしても意味がない。とにかく子供により多くの言葉を聞かせ、子供がまねをしてうまくいったらほめる。それだけのことであり、この積み重ねがやがて子供の言語能力を作り、思考能力の基礎を作る。この見聞きしたものを無条件で記憶する能力はだいたい8歳頃までのものであり、それ以降は、理解したもの以外記憶できなくなる。この時期を臨界期といい、この時期までに接した言語を子供は母国語として習得できる。
 
 大人になってからは、無意味な音の羅列などとうてい記憶できないので、たとえば大人が外国語を学ぶ場合、まずその言葉の意味を理解しその意味と音を結びつけて記憶する。文章を記憶するのも、むろん意味づけが必要不可欠であり、文法を理解しながら学習すると結果として早く外国語を身につけることができる。
 
 つまり子供の時期、それも8歳までは無条件の丸暗記、詰め込み教育が基本であって、この時期に蓄えたデータが、後に理解力、推理力、構成力などの基礎になる。子供時代に膨大なデータを蓄えなかった人間は、大人になってから理解力、推理力、構成力が育つことはない。
 
 ところがゆとり教育では、子供に判断させることを重視して丸暗記を非人間的と廃してしまった。この結果が悲惨といえるほどの子供の学力低下につながったのだ。むろん、子供でもものは考えなくてはならないから、そのための教育は必要だが、メインはあくまで知識の集積であり、丸暗記、詰め込み教育こそ、もっとも子供の特質にあった人間的な教育なのだ。
 
 かつてめざましい近代化を成し遂げた日本人達が受けた教育は、徹底した詰め込みだった。論語や日本の古典を丸暗記すること、計算でも九九やそろばん演算を、口調で丸暗記した。文字を繰り返し書いて文字を覚えた。それが大人になってから世界的にも珍しい数学競技(各地の神社には算額による数学の問題が掲げられ、その解答が書き加えられたりした)、商業的には為替の発明、先物取引などなど、世界の最先端のシステムを作りだし、(もっともこれも、信用を何より重んずる民度の高さが有ったればこそだが)、関孝和はニュートンより早く連立方程式を考えだし、三浦梅園や平賀源内のような学者を輩出している。詰め込み教育がいかに大切か理解すべきなのだ。
 
 一例として一桁のかけ算ならほとんどの日本人は九九を暗唱しているので瞬時にできるが、これは欧米人からすれば驚異らしい。しかし、これも詰め込み教育の結果ではないか。そしてこの結果が、いかに日本の科学技術のレベルに貢献したことは理解できるはずだ。
 
 今回、わずかながら日本の子供の学力が向上したのは良いが、それでもゆとり教育を叫ぶ連中が政府の中にもいることを認識しておかなくてはならない。また、教育コストが日本では異常にたかく、結果として親の資産格差が子供の教育レベルにそのまま反映している実体をなんとか、すべきだろう。馬鹿なばらまき、つまり子供手当や高校無償化などに血道を上げて国民を賠償しようとしている政権下では望むべくもないが。
 
 
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コメント

No title

> 私も菅総理は決して尊敬などしていないが、何かの機会で出会うことがあれば、それなりの礼は尽くす。たとえ批判しようと、それとこれとは別だからだ。

日本人として、当然の態度と言えましょう。
かの閣僚連中には閣下の爪の垢をお贈りすべきかも。


> 子供時代に膨大なデータを蓄えなかった人間は、大人になってから理解力、推理力、構成力が育つことはない。

閣下のご研究の成果ですか?
丸暗記詰め込みの重要性については同意いたしますが、ここで『ない』と言い切るところに疑問を感じます。

No title

>日本人として、当然の態度と言えましょう。
かの閣僚連中には閣下の爪の垢をお贈りすべきかも。


ええ、あたしの爪のあかをお譲りしたい人が民主には無数にいるので、爪のあかを集めるのも大変です。

>閣下のご研究の成果ですか?
丸暗記詰め込みの重要性については同意いたしますが、ここで『ない』と言い切るところに疑問を感じます。


いいえ、あたしの研究ではありません。児童心理学や教育学、生物学など各方面で証明されている脳の成長過程に基づいています。ちなみに、「臨界期」などでググルとでてくるんじゃないですかね。

>ここで『ない』と言い切るところに疑問を感じます。

疑問を感じたら自分で確かめましょう。疑問をそのままにしておくのはよろしくない。たとえば、インドなどでは動物に育てられたとされる子供が説き説き発見されますが、8歳以前に発見された場合は、人間の言葉を覚え、服を着ることなどもできるそうです。しかし、その時期を過ぎて発見され保護されても、一生言葉を覚えられず、服を着せてもすぐに脱いでしまうとか。

臨界期依然と以後の違いです。臨界期以前に知識を蓄えないと、その後の脳の成長に非常な悪影響を及ぼすのはよく知られた事実です。知らないやつがゆとり教育などといっているんですが。

したがって、幼児期に詰め込みで知己氏を蓄えなかった人間は、思考力が祖たつ余地がないと言い切れます。それでも疑問でしたら、臨界期を学術的に否定し手見せて下さい。

No title

> 疑問を感じたら自分で確かめましょう。疑問をそのままにしておくのはよろしくない。

わたくしめが「疑問を感じて」いるのは、その研究成果についてではございません。
研究者が自らの確信に基づいて自説を堂々と表明なさるのは当然のことでございます。

> ない
> 証明されている
> 思考力が祖たつ余地がないと言い切れます

かようなデリケートな課題(デリケートである意味、わかります?)についてもハッキリ断定してはばからない「閣下の姿勢」に対して疑問を呈しているものであります。(この課題に限りませんが)
「証明」という言葉に関しても、認識の違いが大いにあるようで。

もっとも閣下の用語に数学的正確性を求めてはならないことは、従前より自らご説明いただいております通りですので、「強調表現」として読者がよしなに受け取るべきなのでございましょう。

No title

>かようなデリケートな課題(デリケートである意味、わかります?)についてもハッキリ断定してはばからない「閣下の姿勢」に対して疑問を呈しているものであります。(この課題に限りませんが)
「証明」という言葉に関しても、認識の違いが大いにあるようで。

デリケートでもなんでもなく、自明の理であり、完全に証明されている事実です。

疑問や反論は結構ですが、その裏付けになるデータを示さずに、ただ断定するのはおかしい、とおっしゃるのはいつものこと。きっと、地球が耐用の周りを回っていると断定するなど、おかしいとおっしゃるのでしょうな。

No title

>> (デリケートである意味、わかります?)

全くお判りではないようです。

予想通りではありますが。

> 疑問や反論は結構ですが、その裏付けになるデータを示さず

閣下の「姿勢」に疑問を持った場合でも、データが必要なんでしょうかね。
有り得ないものを求められても示せません。

No title

>閣下の「姿勢」に疑問を持った場合でも、データが必要なんでしょうかね。

私の姿勢に疑問を持ってもしょうがないでしょ。あたしの顔に疑問を持たれるようなもので、無意味な疑問ですな。

ここで問題になるのは、意味のない疑問を、根拠なしに持つお方のあり方ですよ。

ま、それもそういう人なんだからしょうがない、といえばそれまで。ですから、お互い無意味な疑問の応酬は止めましょ。

意味のないなどと……

意味のない疑問?
そんなことはありません。大変重大な意味を持ちます。


> 自明の理であり、完全に証明されている事実です。

このような認識をお持ちだという事実は、それ自体が科学に対する冒涜であり、少なくとも閣下の自然科学的素養に関して重大な疑義を突きつけることであります。
かような無謀な断定を行うとなると、閣下ご提唱の諸説に関する信頼性を著しく損なうことになるのですぞ、と僭越ながら指摘申し上げる次第。

それなのに「意味のない」と宣うのでしょうかね。

> > 子供時代に膨大なデータを蓄えなかった人間は、大人になってから理解力、推理力、構成力が育つことはない。

この命題が「真」であって「完全に証明されている事実」と科学的に認定することが、どれだけ困難なことであるか、おわかりにならないのでしょうか。

それについて「ケチ付けている」としか認識できないのでしょうか。
だとすると、完全に認識違いであります。


> 地球が耐用(引用注:太陽)の周りを回っていると断定するなど、おかしいとおっしゃるのでしょうな。

未知の領域が余りにも多すぎ、また科学的正確性を有する実験に困難を伴う脳科学、精神活動に関する事象と、300余年に亘ってあらゆる角度から批判と検証と観測が尽くされその正確性について立証され続けてきたニュートン力学とを同列に置くなど、何を血迷っておられるかと申し上げたい。

しかもそのニュートン力学でさえ、「より正確に」事象を記述するためには量子力学や相対性理論という拡張を経なければならず、「完全に証明されている事実」と表明できる範囲に境界を設ける必要がありました。そして未だ、4つの相互作用に関して完全に統一的に記述できる理論が存在しない現在において、軽々に「完全に証明されている事実」と断定することが如何に困難なことであるか、と申し上げているのであります。

それをいとも容易くお書きになる「姿勢」に疑問を差し挟んだのに「意味が無い」などと。


で、「デリケート」については、やはりお判りにならない?
精神活動体としての「人間」に関する認識能力について疑義を上げております、これまた閣下ご自身の資質に関する重大な内容でありまして、「意味のない」などと切り捨てられるようなものでは無い筈ですが。


釈迦に説法でございましたでしょうか。
はたまた、馬の耳……?


閣下がこれらに重要性を見出さない、と仰るのでしたら、それはそれで。
そういう御仁として、接し奉るのみ。

福沢翁

すいません。閣下は長いコメントを読めないのでした。

福沢諭吉翁。
8歳までに十分な教育を受けたように思われません。
閣下説では、彼はダメですね。

ヘレン・ケラー女史。
8歳直前まで、言語すらまともに知らなかったようです。
ぎりぎり臨界に間に合ったということでしょうか。驚異的?


閣下説だと、8歳までに満足な教育を受けられなかった人間には生きる資格なしとレッテルを貼るようなもの。ひどいなぁ。

No title

>すいません。閣下は長いコメントを読めないのでした。

いえいえ、あなたは短くてもコメントを理解できない方です。

>福沢諭吉翁。
8歳までに十分な教育を受けたように思われません。
閣下説では、彼はダメですね。

福沢諭吉翁といえども、おそらく彼の能力を持ってしても現代の日本ではほとんど何もできないでしょうな。教育とはその社会で必要とされる教育のこと。福沢諭吉も、ほか幕末の下級武士達も教育とは当時の時代に要求された教育であり、現代的価値で言えばおそらく初級の代数も、科学も、語学も大半は無知でしたろうね。

また、福沢諭吉の場合など母親が幼少時から人間の平等性など、彼の後の活動に必要な基礎教育を施しているようです。さらに、福沢諭吉の実際の人間像はほとんど伝えられていないようで、ただ、偉人としてすべてに優れた人間として記されている可能性が大です。過去の偉人など、大抵そうですよ。

8歳までの詰め込み教育の意味をやはり理解できていないようですな。だから、へりくつだけが目的のコメントをつけるわけですな。

ですから、以下のへりくつは却下。

>ヘレン・ケラー女史。
8歳直前まで、言語すらまともに知らなかったようです。
ぎりぎり臨界に間に合ったということでしょうか。驚異的?


>閣下説だと、8歳までに満足な教育を受けられなかった人間には生きる資格なしとレッテルを貼るようなもの。ひどいなぁ。

あなたがどんな教育を今まで受けていたかは想像がつきます。ようするにつきまとってへりくつを言って嫌がらせをする教育ですかな。

で、臨界期は別に私の理論ではなく、現実に存在する概念です。臨界期、って自分で調べたんですか?私にくだらない言いがかりをつける以前に、その臨界期を否定してご覧なさいな。ま、私はおつきあいいたしかねますが。

完全に証明、なんて

> 8歳までの詰め込み教育の意味をやはり理解できていないようですな

だから、コメント読んでませんよね、と言っているので。
重要性の認識は最初のコメントで述べました。


> ようするにつきまとってへりくつを言って嫌がらせをする

本当に、読めないんですね。
読む前に、変な脳内変換はやめましょう。


> 臨界期、って自分で調べたんですか?

臨界期を否定しているんじゃなくて、
> 自明の理であり、完全に証明されている事実です。
という部分を否定しているだけなんですけど。
「臨界期」も、いろんな事象について使われます。領域によっては、まだ仮説と受け取られている部分もあるわけで。
本項においては「理解力・推理力・構成力」に関する部分ですよね。

> つまり子供の時期、それも8歳までは無条件の丸暗記、詰め込み教育が基本であって、この時期に蓄えたデータが、後に理解力、推理力、構成力などの基礎になる。子供時代に膨大なデータを蓄えなかった人間は、大人になってから理解力、推理力、構成力が育つことはない。

一般的傾向としてそうだとういうのと、「完全に証明」というのとでは大きく異なります。
数学じゃないんですから、「完全な証明」なんて無理だと言っているのです。

> 私にくだらない言いがかり
閣下がそう受け取られるのでしたら、仕方ありません。
こちらには全くそういう気が無いのですけど。

(以前の「閣下は差別などしていない」件の逆パターンですね)

No title

はい、却下。

どんな学説でも、将来は否定される可能性はありますよ。今の物理学も将来は訂正されるかもしれない。しかし、今、少なくとも矛盾無く説明できる、あるいは最も矛盾が少ない学説に基づき、物理学は成り立ってますな。

移設があるから確定ではない、という理屈なら、それこそ地動説にも光の速度一定説にも、原子核の周りに電子がある原子モデルも、異論はあるでしょうな。

すべての原理公理は、確定していない、とどうぞ世界に向かって主張して下さい。それは正しいですよ。でも、だから今の原理公理を無視するべしと同意する人はまりいないでしょうな。

あたしも同意しません。それだけのこと。

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