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民主主義の欠点(本題)


 今日こそ、昨日書きそびれた民主主義の欠点について書きたいが、その前にちょっと午前中に見た菅総理と小沢氏の討論番組について触れてみたい。結論を言えば、管氏は観念論に終始し、目標ばかりを上げているがその具体的な方策についてはまったく何も持ってていないことが改めて分かった。その意味では小沢氏の方が理論的にはっきりしているが、なにしろ、彼は平気で嘘をつく人間であり、そして、その論も確かにそれなりに筋は通っているが、その通りになったら困る政策を隠している様な気がする。つまり、一軒筋が通っている様な話で納得させながら、その陰にある悪意というか、本来の目的を言っていないと思えるわけだ。どちらが悪質かと言えば、もしかしたら小沢しかも知れない。しかし、今日触れる様に、民主主義社会では、管氏の様な観念論の方が受けがよいのかも知れない。
 
 具体的に言うなら、景気浮揚対策に関連して、管氏は公共事業費を14%カットし、福祉関連を6%増やして景気浮揚をさせる。まず雇用を確保すること等の事を言ってる様だが、雇用とは需要があって初めて発生するのであり、仕事がないのに人を雇う企業など無い。福祉を重要視するのは大切だとは思うが、考え方によれば公共事業が最大の福祉でもあるのだ。
 
 前にも書いたが、交通インフラや通信インフラなどにきちんと公共投資が為されているから、普通の国民が非常に簡単に遠方に移動でき、遠方の人と連絡が出来る。そのために仕事もやり易くなるし、余計な負担をしなくても良いので喩えその分の収入が増えなくても生活の質はあがる。極論を言えば、管氏の理論では、公共交通機関を使わず、電話を使わず、その代わりタクシーの費用や飛脚を雇う金をばらまく様なものであり、管氏はそれでタクシー業界や飛脚に雇用が生まれると威張っているのだ。これを本末転倒という。
 
 本来公共事業は利益を生まず、国民の負担を減らすための費用なのであり、公共投資を削るとは、その分国民に余分な費用負担を強いることなのだ。もちろん、貧しい人ほどその打撃を受ける。公共インフラが乏しくなれば、事業コストもかかるしその分大体産業も振興させられないので、結果として雇用が減る。
 
 公共投資を減らして福祉に金を回すのは、正に経済減速政策なのだ。たしかに、公共事業には利権や汚職がはびこる。それは自民党の時代にさんざん問題になったが、だから公共事業は悪だと簡単に決めつけてしまうのがいかにも左翼脳内お花畑の管氏の面目躍如だ。
 
 一方、小沢氏は予算の組み替えで財政を支える、たとえば地方に財源を一任し、地方で一番使いたい様な金の使い方をすれば、財源が活きるというのだ。結局公共投資に金を使うにも、現場に任せれば一番効率的ではないか、というのだが、かつて幹事長だったとき、地方の陳情を幹事長質に集め、そこから政府に上げるシステムを作った張本人が言う言葉とも思えなかった。今回言っているいることは正しい。が、明らかに彼が言うなら嘘だと言うことになる。
 
 管氏はいう。事務次官会議を廃止し、国民に選ばれた政治家が主導して予算の決定や法案の制定に努めるという。むろん、国民に選ばれた政治家が政治を主導することは正しいが、そのために各省庁の横の連絡である事務次官会議を廃止したため、各省庁は互いの予算請求額の調整を行わず、それぞれがほしいだけの概算要求を出すことになった。したがって、無駄を排すると言う民主政権において、予算額が限度無しにふくらむことになった。
 
 脱官僚主導を唱えながら官僚を使いこなす知恵も力もない民主政権は、結果として財源一つ裏付けが出来ず、そこを突かれてマニフェストが何一つ実行できない状態になっている。
 
 きりがないから止めるが、民主政権は全くの素人集団であり、政権を担う能力も知識もないし、第一何をして良いのか分からないでいる。菅内閣が存続するとすれば、本気で日本の大衰退を心配しなくてはなるまい。雇用が大切だ、雇用があれば経済は回復すると事ある毎に管氏はわめいているが、やっていることは国民の労働意欲を削ぎ、雇用の機会を減らすことばかりだ。
 
 さて、どうしてこんな愚かで現実離れをしているお子さま政権が出来てしまったのだろう。これこそ民主主義の最大の欠点の結果だと私は思っている。
 
 ところで民主主義というとあまりに身近すぎて改めてなんだろうと考えてみると漠然としか知らないようだ。文字通り、(国)民が主である主義と言うことであって、現在欧米や日本などは民主主義国家と認識されているし、多くのアジア、中南米や中央アジア、ロシアなどもそのように認識されているケースが多い。しかし、現実には朝鮮人民民主主義共和国などの国名を有する独裁国家がある様に、民主主義などは見かけでは分からないものだ。
 
 民主主義とは、つまりはみんなで決めようと言うことであり、世界で一番古い政治システムだと言って良い。人間は本来集団生活をする動物であり、集団生活をする動物でも多くはリーダーに従う種類が大半であって、集団の構成員が集まっていろいろなルールを決めるのは人間だけらしい。みんなの意志をまとめ統一し判断する知性を人間が有しているからだが、当然ながら経験や能力差により構成員がすべて同じ知的能力を有しているわけではないから、当然、知的能力、経験を積んだ者が集団のオピニオンリーダーになる。集団の規模が大きくなればなるほど、その傾向が強くなり、歴史上人間が、集落を作り、都市国家を作り国家を作り、そして互いに争う様になるとなおさら集団内で全員の意志を確認するなどの時間も余裕も無くなるので、一部の強力なリーダーがその意志で全員を率いることになる。
 
 集団が大きくなり、構成員のすべてが等しく利益を受けられなくなれば当然指導者の決定に逆らう内部集団も出来てくる。集団の規模が大きくなればなるほど、その対処が難しくなる。結果として、そのような不満分子を力づくで押さえつける必要が出てくる。歴史の流れでは大体世界の国家はこのような段階を経て発展してきた。
 
 しかし、ますます国家規模が大きくなれば、ますます価値観は多様性を増すから、様々な利益集団が現れ国が分裂する危険性がまし、それは単に暴力だけでは押さえきれない事態に至る。大体、現在多くの先進国はそのような経過を経て、一部の強力なリーダーによる独裁よりも国民全体の意志の中から最も望まれている物をくみ取り、それを実践する方式に切り替えてきたし、そしてその要求は大概国民の方からわき上がり、時には内戦まで発展して、その結果国民の意思を政治に反映する方式になってきたわけだ。先進国以外の民主国家は、結果として民主主義が国家を繁栄させることを先進国に見て民主主義に切り替えた国が多い。
 
 しかし、当然ながら民主主義を実践するためには、主人たる国民全員が互いの意見の違いを認め合い、調整しあい、妥協しあうだけの知性、教養を持っていなくてはならない。また一度決まった結果については、喩え自分の利益に反する物だとしても従う意識、すなわち遵法意識がなければならない。
 
 この遵法意識は、また国民が自分たちの意志を政府が確実に実現してくれ、また公平にその結果を適用してくれることを信じていなくてはならないし、政府は国民が自分たちの決定に最終的には従ってくれることを信じられなくてはならない。つまり、民主主義の実践のためには、国民の民度が非常に高く、また政府が誠実であることが条件となる。
 
 つまり、理想の民主主義は、理想的に聡明な民度の高い国民と、理想的に誠実な政府が存在すれば存在しうるのだろうが、当然そのような国家もないし、従って理想的な民主主義も存在しない。
 
 だから、世界中に名前だけならたくさんある民主国家でも、民主主義が比較的高度に実践されている国から、名前だけの国まである。おそらく、日本は世界でも最も高度に民主主義が実践されている国だと思う。単に私が日本人だからそう思うのではなく、様々な客観的事実からそう判断できる。
 
 もうこのブログでは何度も書いたが、結局日本はいくら不景気だと言っても失業率は世界でも最低の部類であり、犯罪発生率もこの規模の国では(いろいろな意味で日本は紛れもなく大きな国であり、よく世界で幸福度ランキングの上位に並ぶ小国と同じような判断は出来ない。なにしろ、国の規模が大きくなればなるほど、民主主義とは実践しにくいのだ)例外的に低くて安全であり、教育程度は非常に高く、宗教的から自由であり、科学技術力は世界トップクラスであり、内戦が無く、資産格差は小さく、政治の腐敗が少ない。これは世界中のどの国も目指す状態であって、日本に於いて民主主義が最もうまく機能している事実を示している。
 
 だが、その日本ももちろん欠点はあるし、特に日本人は日本がまだまだだと思いたがる性癖がある様だが、世界も自分たちのことだけで精一杯であり、また他国のことをきちんと理解できる教養が国民に行き渡っていない国が先進国を含めてほとんどであるから、日本のこの業績もあまり評価されていない嫌いがある。
 
 ただ、評価がどうであれ、統計を見ると確かに上記の様に日本は世界が目標とする状態を備えているのは事実だ。それでも、様々な問題を抱えており、特に今は史上最低としか思えない政権にこの国をゆだねている状態であることを考えると、理想の民主主義とはよほどほど遠い物らしい。というより、そんな物はないのだろう。
 
 チャーチルが言ったと伝えられている言葉に、「民主主義は非常に欠点の多いシステムだが、他のどのシステムよりもましだ」というのがある。実際は彼がこういったというのは作り話らしい。いかにも彼なら言うだろう皮肉だと受け取るべきだろう。
 
 では、どうしてこんなに進んだ民主主義国家で、こんな最低の政権が誕生するのだろうか。本当は私たちの要求が高すぎるから、こんな政権でも他国よりはましだと考えるべきなのだろうか。
 
 私は到底そうは思わない。今までの自民政権も確かにひどい面があり、それが国民を怒らせ、政権の座から追い落とされたのだが、いわば漁父(漁夫)の利で政権が転がり込んだ民主党は、結局嘘つきで国を売る売国政権だった。むろん、この政権を選んだのは日本の有権者なのだから、その責任は日本の有権者の責任であり、だからこそ民主主義なのだ。
 
 その意味で、最も進んだ民主主義国家である日本で、最も悪い民主主義の欠点が出てしまったとしか思えない。
 
 これは欠点と言ってはならないのだろう。民主主義では国民が言論や思想が完全に自由でなければならない。だからこと、多種多様な価値観を互いに理解し、妥協しあい、選挙を介してその意思を政府に伝えることが出来るのだ。となると、喩え現政権に反するものでも攻撃するものでも自由に発言し、他者にその考えを吹きこむことが許される。そして、その意見に接したものに十分な知性がないと、自分の意志で判断するのではなく、単純にその吹きこまれた思想に染まってしまう。だから、その意味でも自由な発言を許されている国民は同時に他者の発言をきちんと理解し判断する能力が求められるわけだ。
 
 ところで、先に、現政権に反する思想、現政権を攻撃する思想云々と言ったが、もちろん、このような思想や発言が許される以上に、決して禁じられてはならない。あくまで思想を発するのも他者を啓蒙するのも、そして他者の意見を判断するのも国民自身の能力に任されているのだ。
 
 さもなければ、私がここで民主政権に真っ向から反する意見を書くことも許されないことになる。あくまで私の発言を読んだ人たちが自分で判断し、間違っている思うなら否定すればよいし、正しいと思えば同意すればいいし、分からなければ疑問を発すればよい。
 
 話がそれたが、この発言の自由、思想の自由は当然守られなければならないが、そうすると、まったく根拠のないオカルトの様な発言も含まれることになる。ただ、オカルトの様な、とか根拠がないと言っても発言する当人達の何人かは心底それが正しいと信じているだろう。しかし、同時に、自分では信じていないのに金のため、権力のため、存在感の誇示のために確信犯としてオカルトの様な思想を振りまくものがいる。また、主張する方が利益を得る機会が多い。つまりゴネ得が通るのだ。
 
 様々な発言や思想を可能な限り受け取ることが出来る社会もむろん、思想言論の自由と表裏一体であり、つまり情報の制限があってはならない。あくまで言論を発する側の責任もあるが、受け取る側の判断力も問われるのであり、結局ここでも国民全体の高い知性が求められるのだ。だが、今の状態は明らかに、情報が制限されており、従って受け取る側にそれを判断する基準が出来ていない状態が生じているとしか思えない。それが私に言わせればオカルト政権の誕生を許してしまった原因だと思っている。
 
 民主主義では、とにかく国民の支持を集めさえすれば政権を執れる。そのためには、支持を得られる様な甘言を労することで、つまりは国民を騙して政権を執ることも出来るのだ。結果として、そうやって政権を執った民主党は、実は全くの素人集団だった。だから、裏付けのない政策を主張する。
 
 誰もが戦争はしたくない思っている。ずうっと平和が続けばよいと思っているだろうから、それに迎合した発言が政権を執るためには多くなる。事実、裏付けのないまま:
 
 今の政権は、戦争は日本がしないと決心すれば戦争に巻き込まれることはないと主張している。非戦の誓いとはそう言うことだ。日本が決心すれば他国は日本に戦争を仕掛けるはずがないと考えている。
 
 今の政権は、日本が非核を願えば、いずれ世界がそれに同意すると思っている。よもや、米ロを始め核保有国が心にもない核削減を口にしているとは想像もしていない。
 
 今の政権は、中国は日本に必要不可欠であり、喩えどんな理不尽を押しつけられようと辛抱強く話し合えばいずれは友好関係を築けると主張している。中国が如何に裏切りを繰り返してきたかをまったく無視している。
 
 今の政権は、韓国に対しては日本が一方的に侵略し略奪した過去があるので、誠心誠意謝罪し、補償をしなければならないと主張している。過去の行動を今の価値観で論ずる愚を理解していない。
 
 今の政権は、国際は国民の借金であり、いずれこのままでは破綻するので国債の発行は押さえなければならないと言っている。国際が国民の資産であることは理解していない。
 
 今の政権は、外国人にもこの国の政治に関与する権利を与えるべきであると主張している。グローバル時代なので、日本人だけのものではないこの日本列島の出来事を外国人にも決めさせなければならないと主張する。世界には日本に対して悪意を持っている国などあるはずがないと主張している。
 
 今の政権は、家庭は解体すべきものであると主張している。子供は社会が育て、夫婦は別姓であるべきであると主張するのもその一環だ。
 
 今の政権は、国家も解体すれば戦争が無くなると主張している。
 
 今の政権は、公共事業は無駄が多いので削減し、国民に金をばらまけば消費が増えるので経済が向上すると言っている。公共投資により国民、特に貧困層の生活の質を上げる事実は認めない。
 
 今の政権は、経済状態の改善のためには、まず雇用だから、雇用対策を重要視しなければならないと言っているが、そのための産業の育成については、いまのところ介護関係以外具体的な提案がない。
 
 今の政権は、友愛はいずれ世界に広がる。中国や韓国とも友愛で結ばれると主張している。民族毎の歴史観、価値観の違いは問題にならないと主張しているわけだ。それが事実なら、そもそも世界に戦争など無かったはずなのだが。
 
 今の政権は、財源が無くてもとにかくばら巻きをすればいずれ財源が出来てくると主張している。
 
 今の政権は、円高は日本経済にとって、百害あって一利無しだという。
 
 今の政権は、日本は外需で経済が成り立っていると主張している。
 
 今の政権は、役人が国を動かすのは間違いだから、役人は政治家のコントロール下に完全に置くべきであり、一方的に指示を与えるべきだと言っている。
 
 今の政権は、教育に中立など無く、三権分立は守るべきではなく、場合によっては政治を変えるために暴力も容認すべきだと公言している人間を閣内に置いている。
 
 今の政権は、従軍慰安婦問題、強制連行問題、南京虐殺、朝鮮の植民地支配による文化の抹殺、言葉を奪い文字を奪い自由を奪い財産を奪ったなどの彼らの主張はすべて正しいと主張している。
 
 今の政権は、数を頼んで政策を決めるのは間違いだと言い、政策は閣内で一方的に決めるべきだと考えている。つまり、民主主義の大原則、多数決を否定している。
 
 
 多少誇張はまじえたが、どうだろう。私の認識は間違っているだろうか。もし、私が極端に誤解していないとすれば、彼らの主張は正にこの通りであり、その裏付けが一切説明されたことがないと考えるのだが、間違っているだろうか。
 
 なぜ、こんなオカルト政権が誕生したのか。先述した様に、情報が公平に与えられていない事が最大の原因であり、おそらく従来の政権が故意にそのようにしたと考えられる。
 
 具体的には、学校では近代史をまともに教えず、しかも中立で教えていない。各種報道メディアの報道が、非常に偏っている事実もある。公共放送であるべきNHKの報道内容が非常に偏ったものであることは、今はもう覆うべくもない事実であり、他局は商品である報道をスポンサーの意向に添った形でしか流さない。
 
 考えてみれば常に報道メディアは国民をあおって戦争に駆り立て、または政府をたたいてまともな政策をつぶし、あるいは必要な情報を握りつぶしている。
 
 世界が暴力に満ちていて、結局は軍事力が国力の背景の大きな要素である事実を国民に伝えず、世界は互いに騙しあいをしており、すべて国益が最優先されるから、妥協させ等れるのは常に国力の劣る国である事実、その関係図を理解するための地政学、軍事学を一切国民に教育してこなかったことがこの国の最も進んでいると思われる民主主義の中で行われてきた。
 
 世界中で先進民主主義国は軒並み政権が不安定で、常に政権の足下がぐらついている。これこそ、民主主義の欠点が、民主主義の完成度に比例して出現してくるからなのだろう。
 
 だが、我々は独裁体制を取り入れる訳にはいかない。民主主義を追求してきた結果、オカルト独裁政権を誕生させてしまった事実を国民が理解しなければならないと私は思う。
 
 
 
 
 
 
さて、核軍縮だが、あるサイトに、先日私が投稿した記事を次に紹介する。これはこのブログでもさんざん言ってきたことなのだが、要するにそのサイトの元記事では、オバマ氏の宣言した核廃絶は嘘だと言っているのであり、私はそれに賛意を示したわけだ。少し事実を考えれば分かることだが、我が国の政権の方々には、到底同意いただけないだろう。

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 オバマ氏の核廃絶宣言は、最初から欺瞞だったことが明らかで、私のブログでも何度も書いているが、現実に核廃絶は全くの幻想だ。

オバマ氏のあのプラハ演説の直後、アメリカは新しい核兵器の開発に着手することを公表したし、またオバマ氏自身、アメリカは防衛に必要な核武装は保持すると明言している。

それは核保有国すべてに言えることであり、結局世界中が一斉に核を廃棄しない限り核廃絶などあり得ず、そして核保有国はどの国も、他の保有国すべてが核を捨ててから、自らも捨てるかどうか考えるだけだ。実際は、唯一の核保有国としてその優位性を保とうとするだろう。

オバマ氏の演説を受けて、長崎市長などは、自分たちはこれからオバマジョリティと名乗って非核運動を続けると、高らかに宣言した。

むろん、形だけの核兵器の数削減は進行するだろう。それは、古くて不確実、安全性が低く、維持費がかかり、扱いが難しい古い兵器は常に処分しなければならないからだ。旧型の兵器を常に処分しながら、同時に新型に置き換える。新型は精度が高く、旧型よりも少ない数で戦力としてはまったく減少しないどころか、増強になる。

米ロはこの旧型核兵器の削減に合意したのだが、これは合意しようがしまいが、どのみちしなければならない作業だ。これをいかにも核削減であるかの様なパフォーマンスとして使い、世界を騙し、実際は日本の民主政権やオバマジョリティたちだけが騙されているわけだ。

岡田外相など、アメリカに核の先制不使用を宣言してくれと申し入れ、即座に拒否されている。先制使用をしないと宣言した核抑止力は半減する。

むろん、世界中で核先制不使用を明確に宣言している国など無い。

さらに岡田氏は、印度に対し、核実験をするなら核技術協力を拒否すると言っている。それも印度にしてみれば単なる内政干渉、横暴であり、日本に対しとうぜん拒否し、これから中国の代わりとして重要視しなければならない印度を不必要に敵に回した。

さらに、イランに対し、核保有志向を理由に様々な日本独自の経済政策を実行し、西側先進国では唯一と言っていいほどイスラム圏との良好な関係を築いていたのにそれをぶちこわした。

核廃絶などあり得ず、日本はその嘘に踊らされ世界で孤立しつつある。イランや印度に制裁を加えるなら、どうして中国に対して最大の制裁を加えないのか。なぜ、アメリカに制裁を加えないのか。

挙げ句の果てに非核三原則を法制化するとも言っている。

これをお花畑思考という。自分の理想が世界を動かし、世界はきっと核廃絶を実現すると信じ切っているのだ。

オバマ氏自身はもしかしたら核廃絶を実現したいのかも知れないが、彼がアメリカ大統領である間はそれは出来ないし、大統領でなくなったらもっと出来なくなる。

とうぜん、民主党のお花畑宣言など、世界ではまったく相手にされない。口先では、日本の理想に賛意を示すだろうが、もちろん、それを実行するなどするはずがない。単に日本の今の政権のピエロ振りを笑い物にしているだけだ。
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コメント

武藤遊戯

確かに欠点は沢山有るよ。
勿論失敗はするよ。
無論弱点は有るよ。
当然ウィークポイントは有るよ。

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