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差別意識

まず訂正
 
 一昨日のエントリー「韓国 どこまでつけあがるのか」の中に、
 
 「三菱重工が補償交渉に応じる 元挺身隊の強制労働

 民間企業のやることに国は干渉すべきではないだろうが、たぶんに政府から陰で三菱に要請、あるいは恫喝などがあったのではないか、たとえばH2ロケットを取り上げるぞとか・・まあ、これは考え過ぎとしても、いかにもタイミングが合いすぎているのではないか。挺身隊の韓国側からの訴えに対しては日本の最高裁で拒否の裁定が下っている。」
 
 と書いたが、その後ネットの記事によると(正式な三菱のコメントではないので、これも真偽が不確かであることを前提で)次のようなことが書いてある。
 
 《》内は引用。
 
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出典はKJCLUB
 
 問い
     この記事に書かれた内容は事実か?
 
 答え
     表現において事実ではない。
     我々は、話し合いの場を設けるとは言ったが、交渉をすると言う話はしていないし、交渉するべき事項もない。
 
     また、韓国における展示場前や当社展示場前や本社前などにおける座り込み等の解消も考えなければならない現実もある。
 
 問い
     先の’65年条約において、戦後保障は”完全かつ包括的に完了した”と、言う国際条約に反する行為を、三菱と言う企業が先頭に立って行うつもりか?
 
 答え
     社内には多くの意見がある。 同時に外部の意見を聞く必要もある。当然に、尊重すべき国家間の約束、と言う概念も持っている。
     
     とにかく、わが社は抗議団体に対し ”交渉をする” と言う問題解決方法を図ったことはない。交渉、 と言う言葉自体、この報道をする報道機関の独自表現だ。
 
 問い
     挺身隊、と言う観点で見れば、勤労奉仕等も含め、日本国民は同等の義務に服した事実がある。
 
     2010年になって、突如半島出身者だけが被害者であり、しかも国家間の約束にあからさまに反する形で保障の話を受け付けるのは正義であろうか?
 
 答え
     繰り返し言うが、我々は交渉なるものを約束した覚えはない。
 
     今回の電話も、当然に貴重なご意見のひとつとして取り扱う。
 
 
     以上
          三菱重工業   03-6716-3111      (大代表)
 


と言うことらしい。


 直接三菱の答えを私が聞いたわけではないが、この内容は信ずるに足ると思う。というのは、いかにも韓国ならやりそうなことであり、また中央日報なら都合良く脚色していることが従来も常だったからだ。しかし、ここまで腐っている特亜とは知りながら、改めて呆れる。
 
 さて、コメントでもいただいたし、昨日のエントリーでも触れたが、差別は時にそれを言い立てる方の理屈になることを理解しておく必要がある。もちろん、現実に言われ無き差別に苦しむ人たちがおり、それに就いての問題はもちろん重大であって、いかなる場合も考えなければいけない。だが、それに便乗し、批判を差別の一言で交わそうとする者たちとははっきりと峻別する必要がある。
 
 たとえば、黒人差別については、かつて人間が無知であった時代、自分たちとは違う見かけの人間達を受け入れず遠ざけさげすむのが当然と考えられていた。フランスの思想家、モンテスキューは「法の精神」などの著書で知られ、三権分立の基本を考え出した人物として知られる。そしてその「法の精神」の中で、彼はこう言っている。
 
 「 《とても賢い神様が、このような真っ黒い肉体に魂、とくによい魂を吹き込んだとは考えられない。(略)黒人が人間だと考えることは不可能である。彼らを人間だと考えれば、我々がキリスト教徒でないことを認めざるを得なくなる》(同、第十五編第五章)。」
 
 彼が活動した17世紀のヨーロッパでは、これが当然であり、当時としては型破りな進歩的思想を有していた彼でさえ、こう信じて疑わなかった。彼自身が言っているように、これもまたキリスト教的基準だったのだろう。
 
 もっとも、キリスト教自体は中東で生まれ、キリスト自身もコーカソイドではなく、ヨーロッパからすれば色の浅黒い有色人種だった。むろん、マリアも、使徒達も同様だったはずだが、キリスト教がヨーロッパに入ってから、絵画に描かれるキリストもマリアも使徒たちも完全な白人であり、また神の姿も白人として描かれている。これはキリスト教の発生地から考えて全くの欺瞞であり、当初からヨーロッパ人が強固な差別意識を有していたことを示している。
 
 実際は、ヨーロッパが世界の頂上に至ったのは精々300年ほど前のことであり、それ以前はアラビアやペルシャが、文化や科学の面でも明らかに勝っていたし、中国はもっと勝っていた。ただ、ヨーロッパ人が知らなかっただけであり、以前に書いたように、日本はもっと勝っていた。これは単に願望ではなく、様々な客観的資料による事実だ。
 
 よく東洋近代史で引用されるイザベラ・バード女史の旅行記には日本人が清潔であり、日本は平和でありと書いてあると言うが、同時にこのようなことも書いている
 

 上陸して最初に私の受けた印象は、浮浪者がひとりもいないことであった。街頭には、小柄で、醜くしなびて、がにまたで、猫背で、胸は凹み、貧相だが優しそうな顔をした連中がいたが、いずれもみな自分の仕事をもっていた。(6-7頁) 

 日本人は、西洋の服装をすると、とても小さく見える。どの服も合わない。日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足という国民的欠陥をいっそうひどくさせるだけである。(14頁) 

 私はそれから奥地や北海道を一二〇〇マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。(48頁) 

 私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。(86頁) 

 いくつかの理由から、彼らは男の子の方を好むが、それと同じほど女の子もかわいがり愛していることは確かである。子どもたちは、私たちの考えからすれば、あまりにもおとなしく、儀礼的にすぎるが、その顔つきや振舞いは、人に大きな好感をいだかせる。(86頁) 

 見るも痛々しいのは、疥癬、しらくも頭、たむし、ただれ目、不健康そうな発疹など嫌な病気が蔓延していることである。村人達の三〇パーセントは、天然痘のひどい跡を残している。(87頁) 」
 
 このような見方もキリスト教的価値観で判断しているに過ぎず、精神的な高尚性は認めていても外観では遠慮無くこき下ろしている。彼女の母国がその少し前まで、窓から道路におまるの排泄物をばらまき、たとえば14世紀のペストの大流行でヨーロッパの人口が3分の一になっていらい、その後も何回か大流行を繰り返している。
 
 日本ではこのような大流行は、強いて言えば1899年に流行したが比較的早く終焉しそのご、目立った大流行はなく、1926年以降、国内では発生していない。それだけ日本は清潔な社会であったと言うことだが、イザベラ・バード女史に理解できることではなかった。
 
 また、彼女以前にも大勢の宣教師達が日本人についてその優秀さを本国に書き送っているが、ただし、非キリスト教徒としては優秀だと言っているに過ぎない。つまり、ヨーロッパの差別意識には、キリスト教が頑強に絡んでおり、本来中東発生のキリスト教の神やキリストが白人として描かれているように、彼らがキリスト教を変質させ、キリスト教が彼らに差別の理論付けをさせていたと言える。
 
 話がそれたが、差別とは、根拠のない物だが、無知故に差別をする。そのような差別意識は絶対に排除しなければならないが、それに便乗して差別を利用する輩もそれ以上に排除すべきではないのか。
 
 私が日頃参考にさせていただいているブログの一つに
 
依存症の独り言

があり、中に

 私は、この時、確信しました。
部落解放同盟(解同)というのは、税金を食い物にし、国家に寄生する組織であると。
同時に、解同の存在そのものが、「差別の解消ではなく、逆に拡大させる」―そう考えるようになりました。
暴力と恫喝と威嚇で相手を屈服させる。
その拠りどころが「差別」です。
つまり、解同というのは「差別」を利権にして生きている団体なんです。
「差別」がなくなると、最も困るのが解同なんです。

との記述がある。

 繰り返すが、批判は差別ではない。批判が不当なら反論すればよい。相手にも誤解があるかも知れない。しかし、批判を差別として封ずること自体が、差別なのだと言うことだ。

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