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そもそも民度とはどのような教育で造られるのか

以前、国の成熟度は民度による、と書いた。そして日本の民度は極めて高いとも書いた。念のために再度書くが、民度とは国民の善し悪しではない。善し悪しはあくまで主観的なものであり、価値観の違う民族同士では善し悪しは比べられないからだ。

しかし、価値観が違っても絶対的な基準として、国が安定しており、思想、言論、職業、宗教、住居などあらゆる自由が犯罪でない限り保障され、経済、技術に優れ、それなりの文化を有し、暴力が少なく国民が健康で長生きするなどの点が優れていることが挙げられるだろう。それらの点では、客観的な統計として日本は間違いなく世界でも上位に位置している。

しかし、当然ながら他文化から観た日本には様々な欠点が見えるに違いない。女性の地位が低い、自分の意見をはっきり持っていない、個性がないなどなど。しかし、これらも海外での基準であり、日本にその基準を当てはめることは間違っている。これもすでに書いた。

民度とはどのように作られるのか。

様々な要因が有ることは以前に述べたが、教育の違いをここでは書きたい。

日本の教育方式には様々な批判が有るようだが、世界の中ではかなりうまく行っていると思える。むろん、時代の変化や国際化などの変化により、教育についても方法論は変わってくるだろうし、変えなければならない部分もかなりあるとは思う。

日本は世界史の中でも際だって特徴的な教育の歴史を有している。それは、数百年前から庶民がきわめて高い教育レベルを持っており、諸外国が教育を支配者層のみに限って被支配者層を無知のままにして置いたのとは対照的な違いと言っていい。江戸時代、日本人の平均識字率は男女ともに75%であり、これは当時の先進地域とされていたヨーロッパでも支配階級のみの教育に偏り、識字率も最大25%、しかも男女差が大きかったのが事実だ。これは、江戸時代全国津々浦々に一万数千もの寺子屋が存在し、庶民の子弟が基礎教育を受けていた。所謂読み書き算盤であり、また職人も商人も奉公先でまず読み書き算盤を教えられるのが普通であった。人口の変化を考えると、当時の一万数千の寺子屋は現在の義務教育機関に匹敵する密度だと言って良い。

これにより、早くから商業が細かく記録され発達したし、また幕府や奉行所の通達が辻々の高札や触書で出来た。小説が庶民の間に愛読され出版業が発達し貸本屋が繁盛した。地方の神社には算額が掲げられ高等数学の問題を解くことが競われた。各地の農民が地方史を編纂し、風土史を残したし、また各地で和歌や俳句講が起きた。なにしろ、子供でさえ読み書きをしていたことに、当時日本を訪れた宣教師などが驚愕している。

その高い教育レベルがあったからこそ、江戸は世界一の大都市でありながら犯罪が少なく、清潔で庶民も毎日風呂に入り、公衆トイレや公衆浴場が発達し華やかな文化が咲き誇った。

日本は機械文明こそあまり発達しなかったが、他の分野では世界に比類のない先進国であり、今とは形は違うが、民主国家の部分さえ有った。庶民が政治を理解し参加する仕組みがあったのはひとえに教育が国民全てに与えられていたからだ。世界では、そして日本人も日本が開国により近代化を始めたと言っているが、当時最先端の近代国家だったのだ。

さかのぼれば、万葉集などは天皇から一庶民までの歌が集められた歌集であり、つまり庶民が歌を詠み残すだけの教養が当時、すなわち7世紀には普及していたと言うことだ。

さて、この長い日本の教育の歴史には、平均化という特徴がある。とにかく全員に一定以上の教育を施し、全体のレベルを上げるということだ。今でも日本の識字率は世界トップであり、成人のほぼ100%が識字者だが、海外での識字者とはかろうじて自分の名前が書ければOKというレベルもあり、実質底辺層の教育レベルは想像もつかないほど低い。

そのかわり、海外ではエリート教育が普通であって、庶民はどうでも一部のエリートに英才教育を施し、彼らエリートが国を率いる方が効率がよいと考える方式だ。そのためアメリカなどには飛び級制度があり、能力さえあれば12,3歳で大学生になることもあり得る。

その結果庶民からは想像も出来ない少数のエリートが確かに生まれている。これはヨーロッパでもまた急進国、すなわち中国やインドでも採用されている方法で、少数のエリートに集中して教育を施し、国を率いさせようとするもので、見た目にはいかにも効率がよい。

その意味で、日本にはエリートが生まれにくく、生まれながらの天才でも普通教育しか受けられないので才能を伸ばす機会が奪われるという指摘がある。それはもっともであり、その方法を取り入れる必要があるとは思うが、同時に、全体に等しく教育を施し結果として平均的な教育レベルが非常に高いと言う状態にすることで、他国が成し遂げない成功を収めている。

少数のエリートの決断は確かに効率的かも知れないが、大衆がそれを理解し支持しなければ動きがとれなくなる。エリートの決断を実行するためには、大衆の意志を無視しなければならず、これはとりもなおさず独裁になる。

民主国家でそれを実行するとなると、大衆は衆愚政治の道具となり、アメリカのように弁の立つもの、容姿の優れたもの、資力のあるものが政治を司るようになる。その意味でアメリカは決して民主国家ではない。

教育を受けきちんと政治を理解する庶民は、政治家にとって小うるさい存在だが、しかしまたきわめて優れた政治を生み出す基となる。なにしろ、庶民が政治を作るのが民主主義だからであり、一部のエリートが政治を作るのでは民主主義とは言えないからだ。

アメリカ式のエリート教育は、一般教育のレベルを上げてその上で実施するのでなければ民主主義に逆行する。物作り一つにしても、エリートが発明してそれを作る人間が居なければ画に描いた餅になる。日本の技術力が世界のトップクラスなのは、技術を理解し発達させる一般人のレベルが非常に高いからだ。

次に教育は中立であり、また事実のみを教える必要がある。際だった宗教教育で科学を無視する教育がイスラム国家では普通であり、またアメリカでも進化論などを学校で教えるか教えないかが未だに議論されている。

歴史にしても歴史を捏造し、特定の隣国を敵視する教育を行うようでは、まともな思考は出来なくなる。中韓が行き詰まるのは、彼らが海外の情報に接して自分たちが受けた教育が嘘であったことにトラウマを持つか、受けた教育にしがみつくしかなくなり、まともな思考が出来なくなることが問題なのだ。100年も200年も前のことは今の価値観で善悪を論じても意味がない。しかし、過去の戦争のことで他国に恨みを持つような教育をしているような中韓に未来がある筈がない。自国の教育が信じられない人間が、国家を支えることなどあり得ないからだ。

また教育の方式にも日本は初等教育では暗記をさせる部分が多く、欧米から応用力が養われていない、と言われている。しかし、人間は成長の過程に於いて幼少期はとにかく記憶が全てなのだ。幼児の記憶力は大人の遠く及ぶものではない。見聞きするものをとにかく全て記憶するのが幼児期なのであり、判断力応用力は、幼児期に蓄えた膨大な知識がなければ役立たない。すなわち、幼児期に於いてこそ詰め込み教育が最も大切なのだ。

幼児期であれば、どんな外国語でも2,3ヶ月で母国語同様に覚えることが出来る。その能力を人間が持っているのは大体8歳までで、それを臨界期という。臨界期までに詰め込んだ知識を基に、人間は理解力、判断力、応用力、推理力を開発してゆく。言い換えれば臨界期までに知識を蓄えることが出来なかった人間はその後の理解力、判断力、応用力、推理力の発達がない。結論を言えば、民度とはこの段階までに形作られる。

幼児に詰め込み教育をするのはかわいそうだ、人権を無視しているなどと馬鹿なことを言う連中が居るが、詰め込み教育は幼児の脳に対して一番適切な教育方法なのだ。4,5歳の子供が怪獣や昆虫、車の名前を大人が及びもつかない早さで覚えるのは、子供の脳がそう出来ているからであり、一番子供が喜ぶ教育なのだ。

一時日本のゆとり教育が子供の学力を徹底的に破壊したと言われるのは、必要なときに詰め込むべき知識を持たせないで教育をしたからだ。

詰め込み教育を施してのち、理解力、判断力、応用力、推理力をのばす教育をすべきなのだ。

さらに、使用する文字により人間の思考力に大きな差が出る。

日本の文字は昔中国から伝わった漢字をそのまま使っていた。しかし、当然ながら中国語と日本語では発音も意味も文法も違うので、漢字をそのまま使うことは出来ない。そのため、意味を伝える文字としては漢字をそのまま書き、返り点を付けることで日本語として読み下す方法を採った。したがって、文字の発音も日本語として読んだ。

一方、特定の漢字の音だけを組み合わせた万葉がなで日本語の音を表す方法も併せてて発達させた。この場合は、漢字の意味は全く無関係に音だけを使用したのだが、万葉集などは、この万葉がなで書かれている。

その後、意味を表す漢字と、音を表す万葉がなを組み合わせるようになったが、そのままでは両者が混じって不便なので、それ以前から使われるようになった漢字を崩して音を表す文字、平かな、及び漢字の部首の一部だけを取り出したカタカナを組み合わせて使うようになり、ここに日本語特有の、表意文字と表音文字を組み合わせる筆記方式が完成した。

中国では未だに漢字のみを使い、表音文字を使わないが、そのためには数万に及ぶ漢字を覚えない限りまともな文章の読み書きが出来ない。それが中国に於ける教育をきわめて困難にしたし、過去に於いても科挙は結局文字を如何に読み書き出来るかだけが重視され、その中身はどうでも良い教育体系が出来てしまった。それが未だに続き、しかも急速に入ってくる海外からの言葉に対応出来ないで居る。結果として音だけを漢字で表す表記が現れ、一目で意味が分かる表意文字の長所が失われた。覚えやすくするためだけに漢字を簡略化した簡略体が普及したため、今では漢字と意味がかけ離れてしまっている。

この一つの例が、清が近代化した際欧米から取り入れた新しい概念を漢字で書き表すことが出来ず、結局当時日本で作られた日本語表記を取り入れることになった。現在、日常の概念を表す中国語の70%が日本語由来となっている。『中華人民共和国』も、『中華』以外は日本語だ。

韓国では、かつてほとんどが文盲であったためとりあえず表音文字であるハングルを普及させ、それを進めて事実上漢字を全廃してしまった。すると、同音異義語をハングルで書いた場合、文章の意味が分からなくなり、結局分からない文字を読まなくなったり使わなくなった。その結果、抽象的な意味を書き表す漢字の使用がなくなったため韓国人の思考が抽象概念を取り扱えなくなっていると指摘されている。なにより、韓国には古文書のたぐいがほとんどないが、ごく少数残っている古文書のたぐいはほとんど漢字で書かれており、それを現代の韓国人は読めない。欧米人はアルファベットで不自由しないのだから、韓国もハングルだけで不自由しないと主張するが、欧米は昔からアルファベットで言葉を発達させてきたのであり、漢字で発達させてきた言葉をハングルで置き換えるのとは意味が違う。流石に、韓国でも今は漢字教育をすべきだという意見が起きている。ベトナムでも同じだそうだが、おそらくもう遅いだろう。

韓国の古文書は日本にたくさん残っており、というより、中国人や日本人が書いた物であり、漢文を読める日本人ならそれらを読めるが、韓国人には読めない。文字の選択一つでどれだけ教育に隔たりが出来るかという例だ。

漢字を取り入れた直後から、表意文字と表音文字のそれぞれの特質を見極め、新たに表音文字を作り出し、漢字、平かな、カタカナ、そして今ではアルファベットさえ組み合わせて表記方式を完成させた日本は奇跡的な教育レベルを保てたにもそれなりの理由があると納得出来る。

なお、かつての韓国は日本と同じ、漢字とハングルを組み合わせていた(日韓併合時)が、その最大のメリットを自ら捨ててしまった。今ではそのような表記システムを持っているのは日本以外、世界には存在しない。

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テーマ : 教育問題 - ジャンル : 政治・経済

コメント

質問

>日常の概念を表す中国語の70%が日本語由来となっている

とおっしゃっていますが、その根拠となる資料は何ですか?

質問

>2012-09-15 18:19 | 長刀 様

>>日常の概念を表す中国語の70%が日本語由来となっている

>とおっしゃっていますが、その根拠となる資料は何ですか?

過去のエントリーに確か書いた記憶がありますが、ネットでも探せます。たとえば中国人の書いた記事ですが
http://www.zhaojun.com/youci/riyu.htm
などが有名です。オンライン翻訳も可能です。

なお、中国が近代化するに当たり、中国語では西洋思想や技術などに関する言葉を訳すことができず、当時一足先に開国していた日本で訳されていた言葉をそのまま取り入れたのはよく知られた話です。中華人民共和国も「人民」「共和国」などはそれに当たります。

なお、共和という言葉は中国語にもありますが、王が存在しないと言う意味で、現在の意味とは違います。

ごく最近になって、新しいテクノロジーでは電視、軟件、硬件などと無理に中国語で作っていますがね。日本語ではテレビ、ソフトウエア、ハードウェアなどそのままカタカナで表し、漢字では表記しないから取り入れることができないだけのことです。


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