スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

あの戦争は避けられたか

平成22年04月29日

未だに日本ではあの戦争をしたのは間違いだった、日本は悪いことをしたと思いこんでいる人が多い。いわゆる先日書いた自虐史観だが、何故この自虐史観が生まれたかを考えてみたい。それには、あの大東亜戦争、太平洋戦争が日本の罪だったのか、あの戦争は避けることが出来たのか、日本は戦争回避をすればもっと世界は平和になっていたのかを考えてみなければならない。

そして結論として、あの戦争は不可避であり、日本にとって唯一の選択肢であった。結果として日本は今の繁栄を手に入れたと結論づけるに至った。

ただし、これには条件がある。戦争を回避する方法はなかったのか、戦争を回避すれば日本はあの悲惨な状況に陥らず、もっと平穏で平和な国家を築けたのではないのかとの議論がいつもある。あるのはよいが、それは常に仮定であり、現実には結果は出てしまっているのだ。

つまり70年前に日本は戦争に踏み切り、そして現在繁栄を手に入れている。これのみが現実であり、戦争をしなかったら、アメリカの要求を受け入れていたらなどなどの仮定の話と比べても意味がないと言うことだ。

また、歴史を学ぶ第一の重要事はいつどこで何が起きたかを正確に知ることだ。次に何故それが起きたかを知る必要がある。そのために必要な知識は、それに至る以前の事実を正確に知ること、その時の情勢をきちんと理解すること、そしてその当時の人たちの価値観をきちんと理解することだ。

当時の人たちが何を考えどのような価値観で生きていたかを理解しなければ、なぜ彼等がそのようなことをしたのか理解は出来ない。現在の価値観で当時の人々の行為を理解することなど出来ない。

忠臣蔵は300年の間日本人にとって最も好まれた芝居の題材であり、今も途切れることなく映画やドラマとして再現されている。当然ながら、現在の価値観や情勢で判断するなら、赤穂浪士の行為は犯罪であり集団テロに他ならない。しかし、現代の我々が忠臣蔵を受け入れるのは、当時の社会情勢、彼等の価値観を理解するからだろう。だから彼等の行為が受け入れられるのだ。

なにも日本に限ったことではない。海外の小説、例えば椿姫は娼婦の話だが、当時のフランスでは娼婦は今のタレントであり、セレブであったから、ヒロインに今の人間が感情移入出来るのだ。逆に、あの小説をきちんと理解し感情移入出来ない人間は、それだけ未熟だと言える。

次に、なぜあの戦争に日本は踏み切ったのかを考えてみるに、とうぜんそれに至る世界情勢、日本の立場、他国との利害関係、力関係が複雑に絡み合っている。歴史上の事件はそれ以前の事件の結果と関係があり、歴史はある日突然始まったわけではないので、日本の開戦をその時点のみで捉えることは当然出来ない。

しかし、無限に歴史を遡ることは出来ないので、とりあえず明治維新前夜から考えてみる。

日本は開国以前からかなり詳しく世界のことについては知っていた。信長がすでに地球儀を見て、世界や日本の位置関係を理解していたことは知られているし当然それは秀吉や家康に受け継がれている。鎖国をする前は多くのオランダ人、ポルトガル人、イギリス人などが日本にやってきて海外の情報を伝えているし、それを幕府はきちんと整理して分析している。鎖国をしてからも、オランダや南蛮貿易を通じて絶え間なく海外の情報を集め整理することを幕府は続けていた。

そもそも鎖国をしたのは、ヨーロッパの列強がまず宣教師をアジアに送り込み、キリスト教による宗教観を民衆に植え付け、そのあと、軍事的に侵略をして植民地にする過程をきちんと理解していたからだ。宣教師達自身は自分たちが侵略のさきがけになっているとの自覚はないのかも知れないが、宗教観からの視野の狭さから自分たちの行為が神の命による正義と信じていたから、現地の社会の仕組みや価値観を一切否定していた。

これについては、いかにして平和は失われたか、や暗黒大陸中国の真実などの本にも、宣教師達が如何に事実を隠蔽し、隠すかを糾弾している。宣教師達が結果として本国の侵略の先駆けになっているのは枚挙にいとまが無く、日本に関わるものでは、南京虐殺事件における統治の宣教師達の証言などに見ることが出来る。

徳川幕府はまずキリスト教を日本から排除し、そして鎖国を続けながら東南アジアや中国が列強に蚕食され植民地化される状況を観察していた。またロシアの危険性も十分に認識していたようだ。アメリカの記録は良く知られていないが、少なくともジョン万次郎の帰朝報告やオランダ人達の伝聞から何が起きていたか、アメリカが英国の植民地から独立し、現地のアメリカンオリジンを駆逐し、ペリー来航時にはその10年前にメキシコから国土を取り上げたなどの情報を知っていた可能性は高い。そして、アメリカが飽くなき領土野心を持ち続けていたことも十分に知っていた。

アメリカの圧力により心ならずも開国した日本は、とにかく欧米列強に抗する術が無く、ずるずると不平等条約を結ばされ、このままでは日本は遠からず列強により植民地化されるとの恐怖があったのは当然のことだ。

それが明治維新へとつながり、当時の日本の価値観として国家をまとめる手段として天皇による統治を持ち出したのはきわめて合理的だった。そして瞬く間に国家を近代化し、産業振興、軍事強国の方針の元にそれこそ歴史のタイムスケールではほんの瞬時と思える時間でアジアにおける強国となった。最初列強はアジア人が近代国家など作り上げることがあり得るとは考えていなかっただけに、日本の近代化は正に驚嘆すべき出来事だった。

その彼等にしてもアジアの大国は中国であったから、日清戦争が始まったときは、新興の小国日本が無謀にもアジアの大国中国に戦いを挑んだとしか思わなかった。せっかく近代化しても日本は中国に破れ、またアジアの後進国へ逆戻りをすると見ていた。しかし、日本は中国に勝ち、その10年後、ロシアとの戦争に勝った。

日清戦争はアジアの国同士の戦争であり、どちらが勝っても欧米からすれば大きなちがいは無かったのだろうが、当時の軍事大国ロシアに日本が挑み、誰もが日本の無謀にあきれながらロシアの勝利を疑わなかったのに、そのロシアを日本が破り、今度こそ世界は驚愕した。アジアの有色人種、それもつい最近近代化した小国が、白人の大国ロシアを戦争で敗ってしまったことはその後の世界を大きく変えたと言っていい。

それまで、世界は欧米白人の好き放題にされていた。アジアでもアフリカでも南北アメリカでもオーストラリアでも、とにかく白人が目を付け手に入れようと決めた場所では、ほぼ一方的な侵略があり、現地の人間は最終的に抵抗すれば殺され、生き延びるためには白人の言いなりになるしかなかった。それが第二次世界大戦の頃まで続いていた世界なのだ。

しかし、一方日本がロシアに勝ったことで、当時欧米に蹂躙されていた中国も近代化をして欧米に対抗しなければならないと理解した一部の人間達が、日本の成功を学ぶべく、かつての敵国日本に大勢留学してきた。とにかく日本はアジアの希望だったわけだ。

彼等が後に帰国し、辛亥革命を成し遂げ、とりあえず中国の近代化に果たした役目は大きい。

その後、日本は日中戦争にのめり込み、アメリカの参戦を招き、泥沼の戦争状態に入り込んでいったのだが、それは次回へ。次回では、あの戦争が不可避であったこと、なぜ不可避であったのかを考えてみたい。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。