FC2ブログ

日本の欠点2


2 横並び社会 人目を気にしすぎる 個性を認めない

確かに、日本には破天荒な天才というのがあまり居ない様だ。特別な才能を持った人間に自由に学ばせその才能を可能な限り開花させるというシステム自体が無い。米国などでは飛び級制度があり、成績が良いと何年でも上の学年に進級させ本人にふさわしいレベルで教育し研究させるのだが、その結果一五,六歳くらいで大学で学ぶ人間もいる。

しかし、日本にはこの制度が無い。したがって、本人がどのような能力があろうとその年齢に達しなければ次の学年に進級できないわけだ。しかし、人間の能力は極めて個人差が激しく、小学校で学ぶ初歩の勉強でも一回聞いて覚えてしまう子供も居れば、何回教えても覚えられない子供も居る。それを同じ学年で同じ教科を教えるのは不合理では無いのか。レベルの低い子供は落ちこぼれるし、レベルの高い子供は自分の能力が活かされないために意欲を失う。

結果、大人になっても一人の天才が組織を引っ張ることなど無く、みんなが力を合わせて成果を上げて行く。むろん、一人一人がバラバラにやるより、役割分担でやった方が効率的なケースがあるからむろん、日本のやり方が一方的に悪いわけでは無いが、能力がありながらその能力を活かせない、育てることが出来ないシステムでもある。

飛び抜けた才能を育てず、皆の協力で成果を上げるやり方が常に正しいわけでは無いだろう。能力のある人間にその場を与えその能力を更に伸ばすことで大きな成果を上げる米国式が、結果として実にダイナミックな企業活動を支えている事実を日本はもっと取り入れて良いのではないか。

日本人が近年ノーベル賞を受賞しているのは結構な話だが、米国で研究している日本人がその中でも本当に多い。考えるべき問題と思う。


3 真実の追究に目を背ける なあなあで済ませてしまう

兄弟喧嘩などではどちらが悪いとは言い切れないことがあるだろうし、それよりは仲直りして一緒に力を合わせる様にさせるのが親の躾の様だ。子供のうちはそれでも良いだろうが、実はそれは責任の所在を意識し、責任を取るという事には反する。

子供の喧嘩なら、例え一方に原因があってもそれを明らかにして、ただしそれで叱るとか責任を取らせるのでは無く、原因が自分にあるならそれを認めることが大人になっても信頼される人間になるはずだ。が、日本では責任の追及がない。薄々誰の失敗、誰に原因があると分かっていてもそれを組織の中で明らかにすることを割け、共同責任の様な形で解決する。

それが必要で効率的な場合はあるだろうが、常にそうでは誰も責任を取らなくなる。

4 争いを避ける為に相手の非をとがめない

これは上記との関連で言えることだろうが、明らかに誰に非があると分かっても曖昧にしてしまうことが多い。そうやって仲間内の亀裂を避けるのだが、そもそも日があるからと言って別にその人間の人格や権利を全て否定するのではない限り、非を認めさせることで次の失敗を避ける、あるいは責任感を持たせることなどは可能だろう。が、日本ではどうもそれが無い。

人間誰しも失敗をする。その失敗をどれだけ反省し次の成功につなげるかはあくまで個人の問題なのだが、組織がそれを曖昧にすることで、同じ失敗を繰り返し、そして誰も責任を取らない。

こうやって腐敗して行く組織は、身近では家庭などがそれで駄目になるケースでもある。

ー 続く




最初にクリックしていただけるとありがたいです。

人気ブログランキングへ

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)