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マスコミはなぜ反政府か

私は、様々な不満はあるものの現在の保守系政権を支持している。最大の理由は、それに替わりうる野党が存在しないからだ。私なりに国際情勢や国内の様々な問題を考えてみた時、野党のお題目など何の裏付けも無く、それなら政府の方針の方がましだと思う。大体が今の保守政権が安定して存在しているのは日本国民の多くが程度の差こそあれ野党よりはましだと考えているからだろう。そもそも、政府の方針に国民が全て賛成するなどあり得ない。国民一人一人の立場や状況、主義主張、利害が同じではない以上政府のやり方に全員が賛成するなどはあり得ないが、しかしとにかく意見をまとめて方針を決めなければならないのだから、妥協も必要になる。結局、今の政府の方針は国民の妥協の産物と言って良いだろう。

ということは、いくら現政権が安定し存続しても、国民には不満や反論を持つ者が多数いるのであり、それらの意見をマスコミが取り上げるのは至極当然というわけだ。政府の方針に賛成をしている国民の意見は、政府がそれを実施しているのだから特に採り上げる理由にもならない、共言えるだろう。それが必ずしも正しいとは思わないが、いずれにせよ国民の政府に対する反感をマスコミが取り上げ伝える姿勢自体は間違っていない。

独裁国家では、マスコミは政府の提灯記事を書かなければ弾圧される。結果、中国のような国ではマスコミとは政府の宣伝機関であり、報道機関と考えるのは間違っている。中国のマスコミをみれば、国民全てが政府の方針に賛成しているかのようだ。北朝鮮などは言うまでも無い。

そして隣のウリナラマスコミはとにかく反日報道をしていればその裏付けなど誰も気にしない。逆に親日報道などすれば存続自体が危うくなる。中国マスコミとは違うだろうが、反日で国民におも寝なければ存在できず,反日のためにはその理論も根拠も無視し捏造してやまないのだから、真実を伝えるマスコミなどと到底言える物ではない。

そこまで酷くはないが、日本のマスコミもその意味で真実や裏付けを二の次にしてとにかく政府批判をすることで存続している面がある。朝日新聞の慰安婦捏造記事など最たるものだろうが、とりあえず吉田証言が嘘だったことは認め、形ばかり謝罪をしたものの、その後韓国がそれを理由に日本に対し居丈高に慰安婦問題を突きつけている件については朝日は韓国に対し何一つ自分たちの嘘だと一言も言わず、それどころか朝日の元記者は完全に韓国側に立って発言をしている。

朝日ばかりではなく、地方紙など軒並み酷いもので東京新聞や沖縄の地方紙など最たるものだ。とにかく、何でもかんでも日本政府が諸悪の根源のような言い分だし、またテレビ局もそろって反政府宣伝しかしていないかのようだ。NHKの解説委員の言い分など、なにか政府に個人的恨みでもあるのかと思うほどだが、例えば何かの問題で町の人に意見を聞くという場合、まず声高に政府批判をする人の声を取り上げる。付け加えるとすれば(いつもではないが)政府擁護の発言をほんの申し訳程度に付け加えるだけだ。国民にもむろん政府を批判する人は居るだろうからその声を紹介するのは良いとして、賛成している人の声があまりに取り上げられることがない。

また私自身の体験だが、報道番組で視聴者の意見を募集しているとのこと、私もメールを送ったらそれが取り上げられた。が見事に編集され、私の政府擁護発言部分が完全にカットされ、色々な考え方がある、という部分だけが読み上げられた。

マスコミは反政府でなければ成り立たないのか。別に政府の提灯記事を書けとは言わないしそんな事になったらそれこそ中国プロパガンダメディアでしかない。が、公平に伝えてはどうなのか、国民の声を紹介するにも政府批判の声ばかりが多く取り上げられているのは少し放送を聴いてみればよく分かるだろうが、現実に政府が安定多数を占めているとは、政府を支持する人が批判する人よりも多いと言うことに他ならない。それなのに、放送される内容は、まるで政府が国民の支持など受けていないかのようだ。政府批判自体は構わない。完全無欠の政府などあり得ず、支持をしてはいるが不満はあるというのが大半だろう。私もそうだ。がそんな不満ばかりをマスコミが伝える何か意味があるのか。政府のここは支持するという姿勢を取ればマスコミの資格を失うのだろうか。

なにより、今政府が取り組んでいる問題をそのまま伝えないとすれば、報道機関としての役割を果たしていない。慰安婦問題で日本が謝って金を払って問題を狩猟させる二国間の合意を韓国が破っている、のは事実でそれを伝えるのは良い。が、慰安婦が本当に韓国の言うような二十万もの婦女子を強制連行し性奴隷にしたのが事実では無いとの資料も反論も無数にある。がマスコミがこれを本当に報道したろうか。これらの反論が嘘だというなら、韓国側が根拠を挙げて反証している事実を報道すれば良いだろう、もしあるならだが。

朝日のように嘘を伝えるのは、すでにマスコミとしての資格は無い。本当のことを伝えれば良いのだが、日本の報道には伝えない事実、誇大に伝える事実がある。芸人に台本通りにしゃべらせる報道番組など何の意味があるだろうか。芸能人でも芸人でも自分の意見を持つのは勿論当然だろうが、シナリオに書かれた筋書きで面白おかしく言うのも芸人なら、観る方も操り人形ショーを観るつもりでいれば良いのだが、テレビ局はそのような番組だと伝えているだろうか。

朝鮮メディアなどでも、とにかくネタがなくなったら反日記事を書けばなんとかなる。あれほどではないとしても、日本メディアが、反政府記事を書けば売れるというなら、マスコミの本来の使命などもう無関係なのだろう。ペンは剣なりなど聞いた風なことを未だに言っているようだが。

視聴者が関心を持ちそうな事実を、一部切り取り一方的にセンセーショナルに書くだけなら、単なる売文屋だろう。政府寄りの記事よりも政府批判の記事の方が売れるからそうしているなら、今のマスコミなどただのガラクタ商売でしかない。



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コメント

たまたま昨日書いた

国会のNHKの予算審議を聞き流していて、あまりに勝手な事を宣う議員の発言に対して、即座に記事にしたのが

https://blogs.yahoo.co.jp/johgashima_takatori/19179967.html

これです。
最後の4行にメディアのあるべき姿勢と私が思うものを挙げました。
要するに、ありのままの事実、それに関する第三者的に確証のある関連情報、更にメディアが己れの意見をしたくば責任の所在を明示した上での表示との手順と考えるものです。
翻って現状の報道姿勢を考察すると、事実は切り取られて恣意的な継ぎ接ぎが為され、確証のない関連情報が付け足されて、後に論破なり否定的証拠を示されても何ら訂正なり反論なり出来ぬ結論ありきの屁理屈メディア意見の表示が垂れ流されています。
確かに、よい事は放っておいても構わず、悪い事は出来るだけ早い是正が必要な観点から批判的意見が多くなるのは仕方ないと思いますが、この善し悪しの基準は国益にある訳であって、今の多くのメディアにはこの基準を毀損ないし無視している点で適正さを欠いているものと思います。
端的な一例が米軍基地辺野古移転問題であって、高じて高額を費やして全く意味のない県民投票をするに至っています。国政問題なら国民投票、県政問題なら県民投票、家族内問題なら家族会議となるのは当然で、こんな事はサル山の猿でさえ群内の主導権争いと群間の縄張り争いを分けて対処しています。

Re: たまたま昨日書いた

あづまもぐら様

早速のコメントありがとうございます。

> https://blogs.yahoo.co.jp/johgashima_takatori/19179967.html
>
> これです。

これは読ませて頂いておりましたが、私なりの解釈では、報道機関とは社会の木鐸であるなどと偉そうなことを言っていたのは単なるキャッチフレーズで、本当は売文屋だと言うことです。テレビでも新聞でも売れなくては経営が出来ません。これはフォロワー稼ぎのためにyoutubeにバイトテロを投稿する馬鹿どもとさして変わらないですね。

本来ならマスコミは中立であるべきと私は考えています。政党や思想団体の機関紙ならいざ知らず、本来不特定多数の読者を対象としている以上、特定の思想に肩入れした報道もすべきではないはずです。あくまでその報道内容を判断し是非を決めるのは読者であるべきと思うからですが、別に法的な規制があるわけではなし、報道機関が独自の判断をし意見を述べるのもありかとは思います。読者がどの報道機関を信用すべきかも決められるわけですから。

また、報道機関といえども誤報を発することは避けられないでしょうが、過ちを知り次第訂正することもまた信頼を置ける基準となるでしょう。

しかるに今の報道機関は記事を売るために脚色し、偏向し、あるいは芸人に台本通りにしゃべらせるなど、本来の報道機関の姿勢を大きく逸脱していると思います。嘘を意図的に流すなどは言語道断ですが、必要な情報を流さず、また報道機関の思想で脚色した情報を垂れ流すなど目に余ります。従来はその真偽を知るための基準がなかったのですが、今はネットという形でそれこそ即座に根拠や矛盾を確認することが出来、情報機関の一方的な発信が通用しなくなっています。若年祖運マスコミ離れを彼らの無関心故のようにこれも買われた識者が言っているようですが、マスコミの本性が見えてきたからでしょう。NHKの受信料支払い拒否などもそれが大きな理由だと思っています。

マスコミも商売だから売れる記事を売る、というのはある程度認めざるを得ませんが、読者視聴者がその事実をもっと理解すべきだとは思っています。まあ、それでも日本はましな方ですよ。

欧米などは階級社会ですが、階級により読む新聞観るテレビが全く違います。同じ報道機関が、対象によって記事の内容を全く変え、時には真反対の記事を流すなどあると言いますから。中国韓国などは本来の報道機関など存在しませんしね。

たとえば、最近行かれたフィリピンなどいかがでしたか?

日本よりはマシでしょうか

詳しくは分かりませんが、日本の様に国益を毀損する様な報道はありません。
ジャーナリストの中には、テレビ番組を持っていて、社会の闇の部分を取り上げる者も居ます。
硬派の雑誌等では、本人の名前と写真付きでの記事もよく見ます。
それでも一般的途上国の例に漏れず政治が利権と結び付くのは日本より強い点はありますが、其処へのアタックは無くは無いものの忖度はあるでしょうね。

そうそう、先の宿題の答を示しておきます。

神は間違いなく禁断の木の実も唆す蛇も作っておいたのです。
エバとアダムは食べるべくして食べたのです。
何故なら知恵のつく実を食べねば、神の存在を認識する知性は得られず、ヒトは犬猫と同じにしか過ぎなかったからです。
ついでに云うなら、神は天地創造に関して、最初に先ず光あれとも言っていて、放射線から始まっているのも未だに反原発を唱えている輩に伝えたく思っています。

因みに私はクリスチャンではなく、神社仏閣には参拝し、葬儀だけは仏教による一般的日本人の宗教観しか持ち合わせていません。
初めの話に戻れば、神によって蛇は損な役回りを負わされ、イスカリオテのユダもキリストを売る役目を負わされと云えます。
この意味する処は、時と場合により誰でも必ずしも望まぬ役回りに当たる事があり、それでも己れの役割を悟ったならば逃げる事なく対処せよとの教えと思っています。
イスラム教はよくは知りませんが、例え一神教であっても、日常生活面での戒めは多神教と大差ないものと思います。但し、最後の一点、唯一の神を信ぜよに同意しかねる訳です。
それでも日本人でも運を天に任すと云う様に、天は唯一であって、これを一神教の神に置き替えるなら大差はないものと思っています。
万事を尽くして天命を待つ、それでダメなら諦める訳ですが、キリスト教的に云うなら主の御心となりましょう。狂信的原理主義こそは盲信の類いであって、これこそ善悪の判断のつかぬ危険性を孕んでいると云えます。

Re: 日本よりはマシでしょうか

あづまもぐら様、詳しいご回答、ありがとうございます。

私も詳細に宗教を研究したわけではありませんが、人類が発祥して意識を持った頃から自然災害や凶暴な猛獣、病気など自分の理解できない力を感じ、そこから神のような意志はあるが人智を越えた存在を作り出し、その意志を理解し従うようになったのは当然なのだろうと思います。

> 詳しくは分かりませんが、日本の様に国益を毀損する様な報道はありません。

いや、おそらくそうだろうと思います。言い換えれば、日本は国益を損ずるような報道さえ容認されているということで、現実に与党が安定した支持を得ていることからもそれは言えると思います。日本メディアの問題は、一部の思想に迎合する記事のみを針小棒大に伝え、他方を報道しない自由の行使をしている点が問題だと思っています。


> 神は間違いなく禁断の木の実も唆す蛇も作っておいたのです。
> エバとアダムは食べるべくして食べたのです。
> 何故なら知恵のつく実を食べねば、神の存在を認識する知性は得られず、ヒトは犬猫と同じにしか過ぎなかったからです。

そうすると最初の疑問に戻ることになります。神は何故人間を作ったのか。それ以前になぜ世界を作ったのか。神の目的は何なのか。

> イスラム教はよくは知りませんが、例え一神教であっても、日常生活面での戒めは多神教と大差ないものと思います。但し、最後の一点、唯一の神を信ぜよに同意しかねる訳です。

結局神の言葉を疑ってはならないという点で、キリスト教と同じだし、多神教のおのおのの神の役目を結局唯一の神がまとめていると言うだけのこと、後は生活様式の違いであって、イスラム教徒はキリスト教の一分派だとは思っています。

> それでも日本人でも運を天に任すと云う様に、天は唯一であって、これを一神教の神に置き替えるなら大差はないものと思っています。

そこは私は別の理解をしていますが、仏教は運命論を否定していると考えています。そこが絶対に逆らうことの出来ない唯神教との大きな違いだと思っていますので。悟りとは運を天に任せてはならないということだと考えています。

> 万事を尽くして天命を待つ、それでダメなら諦める訳ですが、キリスト教的に云うなら主の御心となりましょう。狂信的原理主義こそは盲信の類いであって、これこそ善悪の判断のつかぬ危険性を孕んでいると云えます。

少なくとも仏教普及のために他教徒を侵略したという歴史はないと思います。あくまで自分で考えさせ疑わせ受け入れさせているのではないでしょうか。その意味でまったく違うと思いますが。また神道も然りです。ただ、神道を宗教と考えてはいませんが。

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