ところで日本は大丈夫なのか

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当ブログでは、どうして中国は崩壊するのか、どうして韓国は駄目なのか、アメリカはどうなるのか、EUは・・・と色々書いてきた。ところで、日本は他国のことばかり見ていて大丈夫なのか、という点も考えてみる必要はある。これについては何度か記事にして採りあげてあるのだが、何度でも見直す必要があるだろう。常に世界は変化しており、日本も又変化しているのだ。日本にとって良くない変化が有るのではないか、将来の不安は何かなどなど、様々な見方があるはずだ。

日本を取り巻く国際環境については、油断は出来ないがある意味楽観してもいる。日本内部の問題についても、同様だが、油断は出来ない。日本人に本当の知恵があれば民主党を政権に付け、直後に引きずり降ろし惨敗させるなどあり得ないだろう。被害がでてはじめてその重大さを知り驚くようでは、日本という国の危うさを思うのが当然ではないのか。あの民主党を政権に付けたという失敗を本当に教訓として理解しているのかが甚だ心許ないわけだ。

のど元過ぎれば暑さを忘れるのが人間の常、特に日本人は本当に忘れやすい。過去を水に流すのは某亡忘国のように1000年恨み続けると大統領が言うような事とは真逆であり、だからこそ日本は過去にとらわれず発展し続けてきた。が、過去の失敗の教訓まで忘れてしまう事があってはならないだろう。

過去に、どうして戦争をしなければならなかったのかを正確に分析しそれを教訓として二度と同じ事にならないようにするのが国家として非常に重要なことなのは言うまでもない。ここで断って置くが、私自身、先のあの戦争は絶対に必要だったと思っているし、あの戦争をしていなければ今の日本も、そしてアジアもなかったと信じている。これについては何度も書いているので、とにかくそれを前提として話を進める。

あの戦争は必要であったが、戦争の遂行については様々な失敗があったことは事実だ。しかし、あの戦争のあとで、明らかに日本が失敗したと思われることもあった。むしろ、その失敗が今に至るまで日本の危機を招いていると考えられるのではないか。

私は、日本の教育、特に自虐史観のことを言っているのだが、それこそが上記の民主党政権を成立させ、そしてその被害がやっと取り除かれたと思える今もなお、日本人の多くが本当の危機は何か、日本の置かれている危うい状況を理解していない。それが未だに選挙投票率の低さに顕れているのではないか。また左巻ド腐れ左翼に煽られて理解もしないくせに原発反対、集団自衛権反対などと言う連中が多いのも、その顕れだろう。いや、きちんと理解し、理論を以て原発反対、集団自衛権反対なら全く構わない。大いに議論すればよい。が、議論にならないのにただ原発は危険だ、集団自衛権は日本が戦争を好きなときに始める、アジアを侵略する、徴兵制になるなどの感情的な煽りに乗せられているだけなのだ。

日本にとっての最大の危険要因は、この国民の無関心にあるのではないかと思う。無関心だから、脊髄反射で戦争は悪だ、日本は戦争をした、戦争でアジアを侵略した、朝鮮を植民地化した、南京で大量虐殺をした、朝鮮人女性を20万人も性奴隷にしたなどを無批判に受け入れてしまっているのではないのか。

戦争は悪だ。無論これは正しい。が、では戦争をしなかった場合日本はどうなっていたのか、戦争以上の悪がはびこっていたのではないのか、日本は本当に朝鮮を一方的に植民地化し、全てを奪ったのか、性奴隷を日本軍が組織として作っていたのかなど、少し歴史を学び、現状を考えてみればどうもおかしいのではないかと気づく筈なのだが。もちろん、日本のやったことが何から何まで正しかったとは言わないが、何が間違っていたのか、何が間違っていなかったのかを正確に判断するのは、民主主義国家の思想言論自由が確保されている日本人の義務ではないか。その結果、日本の戦争が間違っていた、集団自衛権は間違いだ、原発は何を犠牲にしても撤廃すべきだ、朝鮮には土下座をして謝罪し、償いをすべきだと信ずるならそう主張すればよい。それもまた日本人が与えられている思想言論の自由だ。が、自由には責任が伴う。当然のことであり、自由には責任、権利には義務が必ず伴い、無制限の自由、権利は行き着くところ暴力でしかない。

だから、日本が犯罪国家だ、侵略国家だと主張するならなぜそうなのかをきちんと立証する義務がある。それを腐れ左翼は全く果たしていない。

その腐れ左翼に、人権、平和の名目で煽られる日本人のいかに多いことか。ろくに選挙にも行かないくせに権利ばかり主張する輩のなんと多いことか。人任せで自分で判断出来ない連中が民主党を政権に就け、そして日本の世論が一転して民主党に対し厳しくなるとそれになびいて民主党を引きずり落とす。そうした連中の大半は、なぜ民主党が駄目なのかなど時分では考えず、みんなが駄目だと言うから一緒になって民主党を引きずりおろしただけだ。

とはいえ、これは日本だけの事ではない。むろん、まともな情報を与えられず言論思想の自由が全くない中国韓国を引き合いに出しても意味がないが、先進国と言われる欧米でもそうなのだ。

いま、イラクやシリアで勢力を伸ばしているイスラム国という大規模なイスラム原理主義テロ集団に、欧米から行って身を投ずる連中が非常に多く、先日見せしめでアメリカ人を殺した犯人が声紋検査の結果、イギリスにいたラップミュージシャンだと特定された。彼だけではない、数百人、数千人単位で欧米からこのような人間達がテロ集団に参加している。理由の多くが、自分たちの居場所が母国にないから、差別をしないイスラム集団に加わるという。

母国に身の置き所がないとして、だから無差別に殺人を冒す集団に身を投ずるのは、彼等に知性がないからだとしか言いようがない。いまだ日本からこのような馬鹿が出たという報道はないが、上記のように自分では考えていないのにあたかも自分で考えているかのように錯覚しているお花畑は嫌になるほどいる。このような馬鹿は世界共通なのだ。

日本馬鹿の特徴は、国家を侮辱することがかっこいいと思っていることではないのか。国家を批判するのは良いだろう。問題点を明らかにして主張するのも良いだろう。私もそれはする。が、それと自らが属する国家を侮辱する事とは全く別なのだ。完全な国家など世界中に存在しないが、よりよくするために国家の問題点を見つけだし批判するのは、自ら考え主張する権利を与えられている国民の義務ではないのか。

日本という国は実は批判や賛同の対象ではないだろう。なんと言っても人間が国家を作っているのだ。したがって、批判や賛同をするなら、日本人という集団に対する物であり、具体的には日本政府に対する物、日本政府に関する人々に対する物であるべきで、日本という国自体を貶めることとは全くちがう。

そう言えば、もう20年くらい前のことだと思うが、テレビで何かの街頭アンケートをやっていたとき若いいかにも軽薄そうな男が軽薄そうに答えていた。戦争になっても自分は逃げるんだそうで、日本は護るに値する国ではないそうだ。

むろん、このケースなど権力に刃向かうかっこいい男を演じているだけのパープリンなのだろうが、なぜこうなるのか。結局、日本の特に腐れ左翼の宣伝には国家権力という言葉が出てくる、それを日本という国の権力が国民を縛り付けているとのイメージになり、それをどういう事かなども考える能力など持ち合わせていないガキの粋がりということだ。が、これが結構馬鹿にならない。ガキのまま成長しないお花畑が結局、国家権力に刃向かう民主党を政権に付けたと言うことだろう。なにしろ、国家権力は悪だと宣伝されている。昔から、権力を持つ者は悪に決まっているのが日本だ。

しかし、国家権力など、本当は存在しない。なぜなら国家とは人間が作る組織であって、その組織を私する人間達がいるなら、国家をかさに着た独裁者というだけのことだ。神の威光を利用して力をふるう過去の聖職者や独裁者達がそれにあたる。いや、そのような連中は今でもいるが、日本で、国家の意思とはそのような物ではない。敢えて言うなら国民の総意が国家の意思なのであって、一部の人間が権力を握って国民を支配しているのではない。

先にも書いたが、国家とは国民が帰属する存在であり、その帰属の根拠は自らが属する文化、歴史、価値観などなど、人間の人間たる根本的な要素がそこに存在するからだと言って良いのではないか。世界には国籍には無頓着だとされる人々がいる。ユダヤ人などは2000年もの間国家を持たなかったが、それでも世界各地でユダヤ人というアイデンティティに属す事を止めず世界各地にちりぢりになってその国の言語を使い文化にとけ込みながらユダヤ人であり続け、そして国が建設されると世界中からそれまでの生活を捨てたユダヤ人達が集まり、国家を建設した。もし彼等がユダヤ人であることを止めていたらイスラエル建国などあり得なかったろう。なにしろ、失われていたヘブライ語を復活させ母国語としたくらいなのだ。

未だに国家を持たない民族もいる。ロマやクルド人などもそうだろう。それでも彼等独自の文化価値観を持ち続けているから、ロマやクルド人なのだ。世界各国に散っている華僑、印橋ももう国家にとらわれる事はないと言われているが、結局は世界の何処に行っても中国人、インド人としてのアイデンティティを保っている。

日本列島に数千年来住み続けた人間達が日本人として帰属している対象が日本という国家なのだ。この国家が権力と言うことはあり得ない。有るのは日本人の総意が行使する力を権力というのであり、上記の軽薄なガキが守る価値がない日本という国とは、日本国民全体ということだ。

私だけではないだろうが、日本人であると言うことは普段意識などしていない。日常の全てが、私が生まれてから身体に染みついている日本文化、価値観に基づいているのであってそれについて悩むなどあり得ない。そこから私は離れられないのだ。むろん、離れようなどと思ったことなど無い。死ぬまで私は日本人であることを殆ど意識せずに日常を送ってゆくだろう。意識する必要もないほど、私は日本人なのだ。私は日本という国に帰属する選択をしたことなど無い。もとから帰属しているのだ。

今フランスで閣僚の一人、フルール・ペルラン氏は、韓国で捨てられていたのをフランスに送られフランス人の養子になり育てられた人だそうだ。韓国では、韓国人がフランスで大臣になったと大騒ぎをしていたが、本人は自分はフランス人だと言い切っている。当然、彼女のアイデンティティはフランスの文化、価値観にあるのであって、帰属するのはフランスだ。

今、日本にも多くの在日外国人がいる。特に韓国系は特殊な存在だと言えるが、それは日本に帰属することを拒み、韓国に帰属しているからだろう。

国家に帰属するとはこういう事なのではないのか。

それはまた、善悪の基準も日本に帰属している日本人のものと他国の人間の基準とは大きく異なるだろう。人命の尊重という本来基本的な価値でさえ、日本と大きく異なる国はたくさんある。人権についての価値観も国によって大きく異なる。つまり、帰属する対象によってそれらも大きく異なるということだ。

これは、人類共通の絶対的正義も目指すべき理想も存在しないことを意味する。宗教原理主義者、中華教原理主義者、反日ウリナラ教原理主義者と共通の正義などを確認し合うなど意味がないのは、どんな世の中になっても同じ事だ。

じっさい、それが原因で古来人間は戦争に明け暮れてきた。古代の戦争で石や棍棒の戦争から弓、槍、剣が登場し戦闘技術が発達し戦闘専門の人間と集団が発生し、さらに戦闘技術が進化してくるとカタパルトや大砲、軍船、飛行機、爆弾、ロケット砲などが誕生し、戦闘の規模はかつては族対族、集落対集落だったものが、都市対都市、国対国の戦闘になり、とうとう核兵器の出現により次に大規模な世界戦争が起きれば、人類の滅亡につながりかねない事態になってしまった。こうなるかなり以前から戦争は割に合わないことを人間は理解するようになった。

戦争をして一方的に勝った場合は利益が大きいかも知れないが、負けた場合に失う物はあまりに大きすぎ、場合によっては国が消滅する。したがって、過去の戦争は一方的な強国が弱小国を攻め取り、力を蓄えて次の国を征服するやり方が主流になり、それに対抗するために弱小国が連合するようにもなった。結局、かつての世界は極めて小さな国が或地域にひしめいていたのが、そのような戦争を繰り返すたびに離合集散して或程度の大きな国が残り、それらの国々が総力を挙げて戦争をすることになれば、一方的な勝利などなくなるし、地域を完全に掌握しても内部から分裂する原因を抱え込むことになる。

どう考えても戦争は割に合わず、それならば全てを取ることを止め妥協し場合によっては協力しあったた方が最終的な利益が大きいことが明らかになった。それがヨーロッパ連合の誕生であり、アセアンの誕生であり、国連の誕生の理由だと言えるだろう。無論、それらの機構が未だ完全に機能しているわけではないだろうが、少なくとも戦争に明け暮れるよりはよほどましであり、実際世界規模の戦争は70年前に終わっている。その間の世界の発展は、戦争に明け暮れていた時代よりも明らかにめざましい物がある。

ただし、WW2以降の戦争とは、強大な国家が一方的に弱小国を攻撃する形であり最初から勝敗は決まっていた。あとは、弱小国同士の戦争があるが、結果として双方が消耗しているだけだ。

もし世界全体がこのまま戦争をしない状態をさらに固めるならこれほど良いことはないが、実際には世界には無法国家がいくつも存在する。ということは、自分は戦争をしないと決めることで国の安全が確保されるわけではないということになる。極めて当然なのだが、それが実感出来ないのが今の日本のお花畑なのだ。

お花畑とは、自分で考えることが出来ないのに考えていると錯覚している人々のことだ。そのようなお花畑は風の吹く方向に一斉になびく。権力に唯々諾々と従わない、政府を批判するのが賢い、だまされない人間だとの風が吹けば、上述したような国家権力になびかないお花畑が生まれる。国家権力とは何か、帰属意識とは何か、自分は何者かなど一切考えない。

またこのようなお花畑に対しては、人権、平和、反戦、平等、自由、思いやり、隣国との友好、市民レベルなどという形容詞を付けた風を吹かせれば簡単になびく。最近では、女性を性奴隷にした日本、脱原発などというキーワードも加わった。非核も無論彼等にとっては大切な修飾詞なのだが、自分で考える能力のないお花畑は、本当の人権、平和、反戦、平等エトセトラが何かを知らないで風の方向になびく。

脱原発、非核の危険性がどれほどの物か等考えるわけもなく、女性を性奴隷にした事実があったかどうかなどもどうでも良い、というよりそれを考える必要が有るとの想像力さえない。

以前私がここで触れた老共産党員は、それなりの高等教育を受け、一流校ではないが最高学府を卒業し、その知識を活かす職業に長年従事してきた。その間、無論様々なことを考え、問題を解決してきたのだろうし、おそらく有能な専門家であったはずだが、共産党の主張に対しては一切疑問を持たなかったようだ。

どうしてか私は不思議に思っていたが、人間にはそのような矛盾がある。つまりそれは彼にとって信仰なのだ。以前も引き合いに出したが、オームの幹部達は多くが社会では知識層に含まれる人間達だった。普通に考えれば思考力を普通人よりも持っていたはずなのに、ためらい無く大量殺人を繰り返しそれが正しいことだと信じていた。

お花畑と言えども通常の生活を営みそれぞれの仕事ではそれなりの成果を上げている普通の人々なのだ。誰も彼もが白痴ではない。が、それでも平和、人権、反戦が信仰になってしまえばそこで思考が停まってしまうのだと考えると分かるのではないのか。

これは日本人ばかりの問題ではないが、一度風の向きが変われば一気にお花畑がそちらになびく、つまり信仰する教義が変われば疑問の余地無くそれに従い、自分ではそれにすら気が付いていない事になる。

本当は有権者が全て自分で考え自分で判断するなら、その結果がどのように割れようと問題はないだろう。が、日本の特徴では、政治に関心がない、どの政党に入れても同じだ、という人間が異常に多く、毎回の選挙でもその投票率の低さが話題になるほどだ。ただ、それでもかろうじて選挙結果が受け入れられるのは他国、特に途上国に比べて不正が少ないからだ。また、大統領の容姿が得票率を左右するアメリカとも違う。

民主党が政権を盗ったとき、彼等には党の綱領さえなかった。自民政権は日本を駄目にする、コンクリートから人へ、近隣諸国との融和などなどを掲げ、自民よりは良さそうに思ったお花畑が民主党に票を入れた。本当によいのか、なぜ良いのかなどは一切考慮されなかった。

その結果は言うまでもない。民主党はかろうじて命脈を保っているがかつての社会党と同じ運命をたどっている。遅かれ早かれ消滅するだろう。が、そのような事態を経験したにもかかわらず、各種選挙結果は低い得票率が話題になり、民主が掲げて全く嘘だった隣国との友好、平和主義を相変わらず信仰しているお花畑が全く減らない。

今、赤非のねつ造報道が問題になっているが、それもそのような風が吹いているからお花畑がなびいているに過ぎず、河野氏を証人喚問すべきだとか河野談話を破棄すべきだとかの声は未だ主流ではない。

吉田証言は嘘であり、赤非の報道は間違いだったにもかかわらず、強制連行自体はあったと開き直る赤非に対し、それを糾弾するまでには至っていない。

そもそも、この売春婦性奴隷問題は、その発端が自民党の宮沢内閣にあったのは言うまでもない。とにかく、相手が怒っているなら相手の顔を立てておけば波風たたず、政府への支持率も安泰だろうというのがあの河野談話の理由であり、赤非が主犯なのではない。赤非は国賊であり売国奴だが、それを排除すべき政府が赤非の裏付けをしたのだ。

私が言いたいのは、結局日本にとっての最大の危機要因はお花畑を形成している日本人でないかと思えると言うことだ。この事なかれ主義を許した日本人、考えることをしない日本人、信仰に身をゆだねてしまえば自分で決断する必要もなく責任を取る必要もないと考える日本人が、この国を一番の危険にさらしていると思えてならないのだ。
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