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お花畑白書

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このブログでも何度か触れたことがあるが、私の古い知人に根っからの共産党員が居る。もっとも、時々あって話をするようになったのはつい最近のことであり、昔の彼のことは知らないが、本人によれば筋金入りの共産党員なのだそうだ。

しかし彼は通常は極めて常識的であり、学識もあり、社会的にも特に有名人ではないものの彼を知る人で悪く言うのを聞いたことがない。私自身も、彼のことは尊敬できる人物だとかつては思っていたし、今も基本的には人のためには労をいとわない人だとその意味で評価、尊敬している。

が、たまたまその人と安倍政権や中国のことなどを話した時、彼が根っからの共産党員であり極めて固定観念でしか物を見ない人だと分かった。そう分かった時にはそれ以上の話をすることは止めたが、あとで他の人から、「あの人は立派な人だけれど、ちょっと頑固でね、あまりややこしい話はしない方がいいよ」と言われた。つまり彼は地域では尊敬されているが、ややこしい話をしても一切受け付けずまたその人と話をしても仕方がないと言うことだったようだ。

また、実際普段の生活で私たちは仕事でも近所づきあいでも、巨人が強いとか、韓流ドラマがおもしろいとかつまらないとかの話はしても、アベノミックスがどうした、TPPがこうしたなどは話題にしない。興味がないと言うより、相手との関係を壊したくない日本人特有の感覚からだ。

欧米人と話していてよく分かるが、政治の話などをして、喩え意見が違ってもそれで相手との関係がおかしくなるなどはないとの認識がある。仕事でも利害が絡んでいるから時には喧嘩腰の交渉をするが、それが済めば一緒に食事をしたり和気藹々と過ごすことが出来る。日本では、意見の違いすなわち関係悪化という認識があるようだ。

これがまた、大切な隣国である韓国や中国との意見の相違は、余り主張すると関係悪化につながるから触れないで置いた方がよい、というお花畑大量発生の原因になっているのではないかと思える。

つまり上記の共産党員もその意味で誰もが政治や国際関係の話をしないし、またその人がどう思おうと自分の生活には関係がないから、そんな話になっても唯うなずいていればよいと言うことらしい。実は私もその傾向があるし、何が何でもその人を説得しなければならないと思っているわけではない。

ただ、お花畑という言葉を私はここで頻発するが、お花畑の人々も社会一般では善良で世話好きで喜怒哀楽も普通の人々なのだと言うことであり、ただ一つの問題は、自分の立場が日本にどのような影響を与えるかの自覚が無く、そのために自分は何をよりどころにすべきか、そのよりどころを見つけるためにはどんな努力をしなければならいかを一切意識していない人たちなのだ。

その人達も選挙権を持っているから、その人達の動きで民主党政権が生まれ、脱原発が吹き荒れいつの間にかその声が聞こえなくなり、誰かが扇動すれば橋下氏の言動が話題になる。

上記の共産党員は私より年輩であり、どうも地域活動で自民党に幻滅し、共産党を信奉するようになったらしい。たしかに一般庶民からすれば自民党の代議士は地元に利益誘導すると言っても農業や商業組織などに利益をもたらし、土建屋に金を回すしかしていないという認識があり、一方共産党は着実に地域のために働いて、例えば民商などは自民党が相手にしてくれない中小商店などを相手にしている。また専門の医療機関を持ち手広く地域の特に高齢者の医療に取り組んでいる。これは確かに評価すべきであり、なぜ自民がそのような活動をしないのかは地域でも不信の理由になっているようだ。だから、自民は国政では幸い勢いを取り戻しているが、地方政治では芳しくないし、共産勢力の強い地方自治体はかなり多い。

自民も国政レベルで国民の生活改善には相当力を入れているのだが、いかんせん共産党とは地域住民との距離が違う。親身になって地域で相談に乗ってくれる上記共産党員のような活動家が、地域の有力者としかつながっていないかのような自民よりは地方で任期があるのは当然だろう。そのような思いをしている人たちに、例えば自民が防衛体制を見直しているから中国から日本を護っているのだと説明しても、それは地方では実感できない。

ちょうど、ハマスやタリバン、アルカイダなどが、地域の弱者達に直接生活支援をして根強い支持を得ているのと似ている。これらの国々の本当の弱者達にとって、国や役人は権力者であり腐敗しており、ハマス、タリバン、アルカイダこそ自分たちのことを本当に考えてくれていると感ずるのも仕方がない。客観的に国家間関係や自国の安全を考えろと言うのも到底無理なのだ。

共産党は何処でもそれにつけ込んでいる。庶民が高所大所から国のあり方や国際関係などを理解するようになるのは困るのだ。共産党や左翼のプロパガンダを見ると正にそのようにしてお花畑を扇動している。中国が国をまとめるために、国民が情報を得て判断をするようになっては困るから、強力な情報統制をしている。韓国もその意味で極めて強力な情報統制をしているわけだ。

その成果は、上記の地域で尊敬されている老共産党員の例でよく分かる。彼は良識ある人間だが、ただそれは経験で培った物であり、また彼の人のために働きたいとの思いが作り上げた物だ。それはそれで十分尊敬に値するし、社会的な貢献で言えば私などよりよほど上だ。

だが、彼の思考には最初に結論があって、それにそぐわない他者の意見は意識に上らない、それどころかその場の雰囲気を壊す不愉快な物と映るらしい。自分が理解する気のない話題を持ち出すことは自分を侮辱していると考えるのではないか。それは以前から気が付いていたので、最近は彼と政治や中国韓国のことを話すなどはしなかった。なにしろ、彼は隣国同士仲違いするのはまちがっている。日本は昔中国や韓国を侵略しひどいことをしたのだから、彼らが多少口汚くののしっても黙って聞いていればいいのだ、事実などたいした問題ではないということだ。

こういう人物と理論的な論争など出来るはずがない。しかし、20日のことだが、ちょっと話をしていて、たまたま三浦雄一郎氏が80歳でエベレスト登頂に挑んでいると言う話になった。三浦氏が登頂に成功したのはそのときは未だ伝えられていなかったが、とにかく、80過ぎでエベレストに挑戦するとはすごいものだ、確かに昔から様々な記録に挑み普通の人間よりは訓練をつんでいるとはいえ、一念発起して非常に厳しい鍛錬をして体を作り直し、挑戦しているのだから偉いものだと私が感心したら、自分の挑戦のために何人ものサポートを受けている。記録に挑戦したいのなら一人でやればよい、と彼が言うので耳を疑った。

普通のベテラン登山家でも、一人でエベレストには登れない。必ず何人ものサポーターが居て当たり前なのであり、いくら若くてもサポートを受けられると知っていても普通の人間はエベレストに登ろうとは思わないだろう。もちろん、登ってみたいというあこがれは持つかも知れないが、最初からあきらめるのが大半だ。

80歳と言えば、いくら長寿社会の日本でもかなりの高齢であり、近所の山歩きもしなくなる。それなのに、いくら経験があろうと体力があろうと、80でエベレストに挑戦する姿勢が、多くの高齢者達を発憤させるのではないか、その意味でも大変な業績だと思うのだが、老共産党員は道楽だ、そのために何人もの人間を使っている、とお怒りなのだ。

政治や中国韓国の話ではないし、彼自身私よりかなり高齢だがかくしゃくとしている。三浦氏の話は彼にとっても励みになるのではないかと思った私がまちがっていた。彼にとって、ブルジョアの金に飽かせた道楽などもてはやすこと自体がけしからんと言うことなのではないか。べつに確かめたわけではないし確かめようとも思わなかったが、確かに人それぞれだ。

三浦氏のエベレスト登山が誰を傷つけたわけでもないだろうし、むしろ多くの高齢者の励みになったと思うがそう思わない人がいると私には思いも寄らなかっただけだ。

思い起こしてみれば、何気なく中国の今の言葉の大体70%が日本語起源だと言ったら、それは日本語起源だと言えるのかと機嫌を悪くされた。本来の日本語の半分は中国語由来だと言ったら、それはそうだ、とうなずいた。ちなみに、70%の現代中国語が、日本語からの導入であることは証明されているし、古代の大和言葉の半分が漢語に置き換わったことも事実だ。

そんなことは文化の伝承でいくらでもあり、英語もフランス語も大半の単語は共通の語源をもっている。文字も古代ギリシャ発祥の物を使っているが、誰もそんなことを問題にしていないし、ヨーロッパがギリシャ文字を改良して使っていることを指摘しても、その通りだと言うだけのこと、誰も問題にしない。日本も中国から文字を伝えられたことを誰も当たり前に知っているしそれをもって中国に引け目を感じたりもしていない。同様、現代中国語に70%の日本語由来の単語があってもそれで中国に対して優越感も持たない。

が、老共産党員にはそれが我慢ならないらしい。

彼の頭は柔軟に物を考える能力を失っている。しかし、もう数十年も共産党員であり、つまりは若い頃からそのような思考方法を採ってきたのだ。

大なり小なり、お花畑とはこのようにして作られ、このような状態で生涯を終えるのだろうと私が思ったのも無理はないだろう。

韓国は国家全体がお花畑状態だ。

赤文字は引用

原爆投下は「神の懲罰」 韓国紙、日本批判で暴走


【ソウル共同】韓国紙、中央日報が、安倍晋三首相らの歴史認識を批判しながら、広島と長崎への原爆投下を「神の懲罰」と主張し「日本への“仕置き”が足りないと判断するのも神の自由だ」などと、非戦闘員の大量殺りくを肯定するかのようなコラムを掲載したことが22日分かった。安倍氏や橋下徹大阪市長の発言への反発が暴走した形だが、同紙は「社の意見ではない」と弁解したという。

これも前回のエントリーで採り上げたが、コラムで書いておきながら社の意見ではないと、よくまあしゃあしゃあと言えるものだ。そして、韓国政府は一言もそれに対してコメントをしていない。いやしくも他国の政府から抗議を受けた場合は、それが自国の政府宛ではないにしても何らかの反応を示すのが普通だと思うが。

この記事に対しては、日本国内でも相当の反発がわき起こり、それはかつて李明博前大統領の退任直前の行為が日本人の意識を変え、それが民主の大敗、自民大勝の一因になったろう。

アベノミクスは今のところ順調であり、日本経済は一気に活気を取り戻し、それと反比例するように韓国中国経済は急速に悪化し続けている。その不安のはけ口をヒステリックな日本に対する鍼罵倒に費やしている。つくづく馬鹿な国だと思う。

日本に突き放されたら韓国経済は成り立たないことはすでに韓国人の中にも認識されているからそのような記事があるが、それでも日本を罵倒しなければ感情を抑えられない韓国をつくづく哀れに思う。

韓国の対日赤字は急拡大し、日本の対韓国黒字は急拡大している。それでも日本を罵らずにはいられない韓国だから、本質的な解決策を自力で考え出すことの出来ないお花畑国家だというのだ。このようなお花畑は絶対に治らない。上記の老共産党員と同じなのだ。

橋下発言で日本政府の見解要求 国連拷問禁止委、近く対日勧告

 国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は21、22の両日、ジュネーブで対日審査を行い、従軍慰安婦は必要だったとの日本維新の会共同代表、橋下徹大阪市長の発言に関し、日本政府の見解を求めた。

考えたくはないが、今の国連事務総長が潘基文氏であり、彼が極めて無能であり中立性を持っていないとの批判をさんざんされている人物だ。橋下氏は一地方の行政の長であり、安倍氏は政府の見解とは違うと言っている。その是非はともかく、それでもなお、日本政府の見解を求めたのだとしたら何らかの意図を感じるのも当たり前ではないのか。

 21、22日の対日審査で拷問禁止委は「大阪市長の発言」に繰り返し言及。強制的に慰安婦になったわけではないという主張が日本にあることに言及し、「とうてい受け入れられない」とする厳しい指摘もあった。(共同)

この拷問禁止委なる組織がどれだけ公平中立かはわからない。現在すくなくとも日本では拷問は為されておらずさらに、拷問禁止委の趣旨と、日本による強制的に慰安婦になったわけではないという主張は別物だろう。日本の主張を非難する前に、強制的に慰安婦にされたのかどうかの検証が必要なはずだ。韓国の一方的な主張のみを事実として日本を非難するのであれば、当然この組織の中立性など存在しないと言うことだ。やはり、この組織もお花畑なのだろう。

お花畑とは、影響力を持ちながら最も影響を受けていることで極めて危険なのだ。日本のような民主国家では、敵対国家にとって最も便利で有効な道具になるからだ。お花畑も票を握っている。つまり敵対国家はお花畑をなびかせることで、日本政府を操ることが出来る。

馬鹿だから放っておこうでは済まないことを理解する必要がある。


なお、最後になったが、ついでに韓国の本質がよく分かる話を紹介する。

韓国軍も'慰安婦'運用した

日本軍従軍経験の遺産

韓国戦争当時、韓国軍が軍慰安所を置き、慰安婦制度を運営したという主張が学界で初めて公式提起された。朝鮮戦争当時、韓国軍が慰安所を置いて将兵が使用させたという主張は、その中にいくつかの予備役将軍の回顧録と真の電子の証言によっても裏付けられている。


2011年11月26日12:05 [ハンギョレ21 2011.11.28第887号] 大韓民国政府が抱え主だった

< [ハンギョレ21 2011.11.28第887号] 大部分が町内でなされている性売買 年間 4605万件‘524兆(won)インド小売市場’外国割引店に開かれた >

カテゴリハンギョレ21[週刊誌]

性売買を取り締まるフリをして女性を外貨稼ぎ手段と考えた韓国政府…韓国戦争時に慰安所を設置し、独裁政権は駐韓米軍・日本人対象の性売買を助長した


本文は韓国語である物をオンライン翻訳した物だ。原文はそのままではダウンロードできないのでキャプチャリングしてあるが、サイズが大きすぎるのでここでは載せない。いずれにせよ、この種の記事は急速に削除されていると言うが、この記事が無くとも、韓国兵がベトナムで何をしたかははっきりと記録されている。慰安婦どころの話ではないだろう。

むろん、この記事でも最終的には、悪いのはイルボンと結論は付いているが、万が一上記のお花畑委員会が本当に日本に見解を求めてきたり非難したりしたら、この記事でも紹介してやればよいだろう。


上記に引用されているURLの記事を読む場合は下記の「続きを読む」をクリックしてくだい。内容確認以外なら、敢えて読む必要はありません
以下は参照用の資料ですので、確認をされる以外はあえて読む必要はありません。

原爆投下は「神の懲罰」 韓国紙、日本批判で暴走

共同通信
2013年05月23日00時50分

【ソウル共同】韓国紙、中央日報が、安倍晋三首相らの歴史認識を批判しながら、広島と長崎への原爆投下を「神の懲罰」と主張し「日本への“仕置き”が足りないと判断するのも神の自由だ」などと、非戦闘員の大量殺りくを肯定するかのようなコラムを掲載したことが22日分かった。安倍氏や橋下徹大阪市長の発言への反発が暴走した形だが、同紙は「社の意見ではない」と弁解したという。

橋下発言で日本政府の見解要求 国連拷問禁止委、近く対日勧告

2013.5.23 08:06


 国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会は21、22の両日、ジュネーブで対日審査を行い、従軍慰安婦は必要だったとの日本維新の会共同代表、橋下徹大阪市長の発言に関し、日本政府の見解を求めた。

 日本政府側は、慰安婦問題は太平洋戦争での出来事で、1987年に発効した拷問禁止条約の対象にはならないと主張。その上で「心が痛む問題で、アジア諸国に多大な損害を与えたという事実を謙虚に受け止めている」と説明した。拷問禁止委は政府回答や追加質問を基に、近く日本政府に対する勧告を発表する。

 4月末に対日審査を行った社会権規約委員会も、元慰安婦の人権が守られていないと指摘しており、拷問禁止委の勧告も厳しいものになりそうだ。

 21、22日の対日審査で拷問禁止委は「大阪市長の発言」に繰り返し言及。強制的に慰安婦になったわけではないという主張が日本にあることに言及し、「とうてい受け入れられない」とする厳しい指摘もあった。(共同)



韓国軍も'慰安婦'運用した

日本軍従軍経験の遺産

02.02.2215:16l最終更新日02.02.2621:51l

韓国戦争期間1951ー1954年]3ー4個中隊規模の操作・・・年間少なくとも20万兵力'元'

よく戦争が起これば、女性は男性に比べて痛みをしたかの経験が普通である。これは他でもない'性的蹂躙"ですが、ピアの兵士を問わず求められているのが普通である。このような女性たちの被害事例は、古今東西の戦争史のあちこちに記録されている。一般的に"慰安婦"なら日本で旧日本軍が朝鮮(韓国)の女性たちを強制的に連れて行って、中国、南洋諸島などで性的装身具グロブリンことが考えやすい。しかし、韓国戦争当時、韓国軍も兵士たちの士気高揚の次元で'慰安婦'を運用したという主張が提起されて衝撃を投げている。当時、ソウル、江陵などの軍部隊では、非常単位で"元部隊"を編成し、運用した兵士たちは'元代"とチキトや現金を使用したことが分かった。<オーマイニュース>は、私たちの現代史に埋められた歴史の真実を言うレベルで専門の学者の研究結果と金当たりの編集委員の取材をもとに4回程度の関連企画を実を予定-<編集者注>

▲慰安所の前に並ぶ日本軍の兵士たち。予備役将軍たちの回顧録によると、韓国戦争当時、韓国軍将兵たちも24人用野戦膜サニ部品のテントの前でこのように並んで元台を使用した。


韓国戦争当時、韓国軍が軍慰安所を置き、慰安婦制度を運営したという主張が学界で初めて公式提起された。朝鮮戦争当時、韓国軍が慰安所を置いて将兵が使用させたという主張は、その中にいくつかの予備役将軍の回顧録と真の電子の証言によっても裏付けられている。しかし、軍当局が編纂した公式記録(転写)等を踏まえ、韓国軍が元台を設置・運営したという主張が提起されたのは今回が初めてだ。また、これを契機に当時の慰安婦被害者の証言と真相究明運動が展開される場合には、90年代日本軍従軍慰安婦問題が初めて提起されたときと同じような波紋が予想される。ギムグィオック博士(慶南大北朝鮮専門大学院客員教授・社会学)は、2月23日、日本の京都立命館大学(立命?)大学で開かれる第5回"東アジアの平和と人権国際シンポジウム"で、こうした内容を盛り込んだ"韓国戦争と女性 軍慰安婦と軍の慰安所を中心に"というタイトルの論文を発表する(関連インタビュー記事送稿予定)。キム博士の論文は、韓国軍(韓国戦争)慰安婦問題という問題の性質上、日本メディアと在日本朝鮮人チョンリョンハプフェ(総連)系メディアの大きな関心を集めるものとみ帰趨が注目される。"詐欺の高揚と戦闘力の損失を防止するための必要悪"現在までに発掘された韓国戦争当時、軍慰安婦制度の実体を示す唯一の公式資料は陸軍本部が昨年1956年に編纂した<後方戦史(人事編)"に掲載された群元の関連記録である。金博士は<後方戦史>記録と予備役将軍たちの回顧録、そして関係者の証言などをもとに、当時国軍は、手動でインストールした固定式慰安所やリムーバブル慰安所と私娼(私娼)の職業の女性たちを利用する3つの方法慰安婦制度を運営したと主張している。まず、<後方戦史(人事編)>の"第3章1節3項の特別な元活動についての記録を見ると、軍の元のインストールの目的は次のとおりである。"顕在化したサリー(事理)だけを持って簡単に国の施策に逆行矛盾した行為だと単眼(断案)とは別問題だが、実質的に詐欺的高揚はもちろん、戦争という事実に伴う避けることができない弊害を未然に防ぐことができるだけでなく、長期的なシフトのない戦闘により後方通い(?往)がないから、満ちたりた異性の東京で引き起こされる生理作用による性格の変化などでうつ病およびその他の支障をきたすことを防止するために、本特殊慰安台を設置することになった。"当時、軍は慰安婦を'特殊慰安台(特殊慰安?)"という単位の形式で編成して対応したことを知ることができる。<後方戦史>第3章の"特殊慰安活動内容"には、一般的に'考えによって'と呼ばれる軍の例大祭の活動も含まれる。したがって、'特殊慰安隊'は、軍芸大を示すものではないかという理論もあることができる。しかし、<後方戦史>は、軍芸大の活動を"慰問公演(慰?公演)"と表現する一方、特殊慰安隊の活動は、"元(慰安)"との用語を区別して使用している。結局、ここで'特殊慰安'は、女性の性(性)的なサービスをトゥトハムを難なく知ることができる。興味深いのは、戦士で元の動作が"国の施策に逆行する矛盾した行為"であることを認めた部分です。これは日帝時代に設置され赤線(公娼)が1948年2月に米軍政庁の公娼廃止領発酵に閉鎖たにも国を守る軍が自主的に事実上の公娼(軍慰安隊)を運営する矛盾した行為、すなわち、犯罪を行ったことを意味する。したがって、<後方戦史>は、軍が韓国戦争当時、慰安婦制度を戦争の長期化に伴う戦闘力の損失防止や詐欺高揚のために避けられない一種の"必要悪"とみなされたことを表しているのだろう。結局、韓国軍元代は動員方式や運用期間と規模の面で日本軍従軍慰安婦制度の根本的な違いがあるにもかかわらず、その設置目的や運営方法の面では類似を示す。これはまた、当時、韓国軍首脳部の多くは日本軍出身であったことを考えると示唆するところが大きい。日本軍の慰安婦制度を経験した軍首脳部が韓国戦争の慰安婦制度を主導的に導入したのは、もしかしたら自然な経験の産物であるからである。ところが、<後方戦史"によると、元台を設置した時期は不明である。ただし"動乱中(元の)活動状況を年度別にみると、大きな差がなかった戦争行為と不可分の関係を持っていることざるを得ない"とされており、戦争の後インストールされたことを推察させる。ギムグィオック博士は、関連資料と関係者の証言を土台に設置時期を1951年と推定する。一方、<後方戦史>は"休戦に応じて、これらの施設の設置目的がヘソドゥェムに達し赤線(公娼)廃止の潮流に従順して短期4287(西暦1954)年3月に、これを一斉に閉鎖した"とは、閉鎖時期を明らかにしている。ソウル江陵春川、原州、束草など7ヶ所設置運営一方、<後方戦史>記録によると、元代インストールされた場所は、△ソウル地域の3つの小隊△江陵地区1個小隊△その他春川、原州、束草などで総7カ所にのぼる。しかし、元のサイズにつきましては<後方戦史>内でも前後の記録が違って正確なその規模を算定することは困難である。例えば、<後方戦史>の一部の記録(148ページ)には、元の規模が△ソウル地区第1小隊19人△江陵第2小隊31人、△第8小隊8人△江陵第1小隊21人の計79人になっている。しかし、同じ本の'特殊慰安隊実績統計表"(150ページ)には、慰安婦が△ソウル第1小隊19人、△ソウル第2小隊27人、△ソウル第3小隊13人、△江陵第1小隊30人の計89人になっている。そのため、前後の脈絡から見ると、電子の記録は来る(??)であり、後者の'実績統計表"が正確であると推定される。もちろん、この統計も他の(春川、原州束草など)地域元代は含まれていない。とにかく記録をもとに当時の慰安所所在地と規模を<表>にまとめると次のとおりである。
<表1>韓国軍元の設置場所と規模

軍の元台を設置した主体が誰なのかは、<後方戦史>で見つけることができない。しかし、軍が元のインストールと運用を主導したという事実は、<後方戦史>の次の部分や予備役将軍たちの回顧録から推し測ることができる。"一線部隊の要請によって出動元(出?慰安)を行ない、施設でもアクセスする将兵に対して元行為にあたりました。(・・・・・・)一方、慰安婦は、1週間に2回群関係(??官)の協力で軍医の厳格な検査を受けて感染症に対しては、徹底した対策を講じました。"(<リア戦士>)これは、当時の軍の兵士が慰安所を訪ねてきて利用する固定式慰安所だけでなく、元代元のためにバッグを探していく取り外し可能な慰安所も運営したことを証明するところだ。また、軍の(?医)が直接慰安婦を相手に週1回の性病検診を実施したことや役員を相手にする女性と兵士を相手にする女性が別々にあったことなどは、韓国軍慰安婦制度が過去の日本軍従軍慰安婦の運用方法をそのまま踏襲したことを意味する。駐越韓国軍の司令官を務めたチェ名臣将軍(予備役陸軍中将)は、自分の回顧録<死線を越えて越えて>(1994年)から<後方戦史>の記録とは異なり、小隊規模ではなく、中規模から大規模に元台を運用したと記している。これは、チェ名臣将軍がソウル地域の3つの小隊慰安婦人材を1個中隊規模で計算した結果であることができる。いずれにしろまま将軍によると、当時の慰安婦の規模は180ー240人と推定される。"当時の私たちの軍隊は士気高揚のために60人余りを1個中隊とする元の袋を三、四本運用していた。ための予備部隊に落ちるだけで、社団要求によってすべてのユニットは、元の袋を使用することができた。だから5連携も例外ではなかったし、予備に陥ることも前から将兵たちの話題は、すべて元の袋件だった。"(以下、下線は筆者強調)
▲<後方戦史>に載っている短期4285年(西暦1952年)の'特殊慰安隊実績統計表"。89人の慰安婦が年間20万人??の兵士を'元'したことを示している。


その後、韓国戦争中に軍が設置したが'特殊慰安隊'の'元'の活動実績はどのくらいだろうか。それを計ることができる唯一の根拠資料は、すぐに<後方戦史>(150ページ)に掲載された"特殊慰安婦実績統計表"である。短期4285年だから、すぐに1952年1年間の'元'実績です。他の年の実績も同様であると記録されている。とにかく、この統計表によると、1952年当時、"特殊慰安隊'に編成された慰安婦は89人であり、これらから'元'を受けた軍人は年間20万人を超えるものと集計された。ただし、この実績が実績統計表にタイムリーな4ヶ所(ソウル、第1、2、3小隊・江陵第1小隊)にアクセスした軍人の統計なのか、元代の現地部隊に"出動元"した軍人の統計まで含めたかどうかは不明確である。

▲<表2>ギムグィオック博士が変更された1952年の特殊慰安隊実績統計表

'元の'は、予備隊兵力の"第5種補給品'

線での戦闘を終えて後方にシフトされた予備のタスクフォースが慰安婦を利用することができたという事実は、他の一般の回顧録でも一致するところだ。チャギュホン将軍(予備役陸軍大将)また、自分の回顧録<戦闘>(1985年)に予備隊時代に経験した取り外し可能な軍慰安所制度をこう回想している。"(1952年)3月中旬の気候は、春を妬むするように肌寒いした。(・・・・・・)ジャンジョクを完全に掃討した後、予備隊となって部隊の整備を行っているときに分割ヒュルビョン部から将兵を慰問に行く女性元代部隊の宿営地付近に到着したとの通知があった。大きくインサギェ報告によると、これら24人用野戦テントの合板と友情に仕切りをした野戦寝室に収容されたとし、他の重大兵士たちは熱を転向まで多く利用したとしている。"

▲ギムフィオ将軍(予備役所長)の回顧録<人間の香り>。34年間の軍生活で韓国戦争当時、最初に見た公軍慰安所運営事例について、"永遠に気まずい記憶"に記録している。

一方、フィオ将軍(予備役陸軍少将)また、"リムーバブル"はあるが、これとは少し違った角度からの慰安婦制度を記憶している。金将軍は軍隊で直接慰安所を設置・運営したものというよりは連帯幹部が当時の売春街だった"種の3'(鍾路3街)で大金を与えて慰安婦に連れて来たことを覚えている。金将軍は、彼の自伝<人間の香り>(2000年)で、その部分をこう回想している。"(中央線)も高地戦闘も紛れて逃げ病の発生も落ち着いていった。今FTX(野戦訓練)に本格的に突入するために、消化器や機器の点検、消耗品の整備などが盛んに行われているある日の朝だった。連帯1とで大きくごとの第5種補給品(軍補給品は、1ー4種しかなかった)受領指示があってはみたところ私たち大きくも週刊8時間の制限で6人の慰安婦が割り当てられている。(・・・・・・)しかし、私はベクジュエ多くの人が行き交う中で並ん部品テントを利用することがとか、また道徳的良心上あいまいであることもあまり不本意がなかった。まず、小隊に2人が割り当てられ、そのうちの1人が、まず小隊長のテントに割り当てられている。私の出身の環境などいくつかの単語会話が分割で支援する方法がない、その時に集めておいたビスケットの包みを包んで上級軍曹に引き継がれ??た。"

▲ギムフィオ一般


二将軍の証言によると、軍の部隊に、いわゆる"第5種補給品'という名前で慰安婦が割り当てられてきた24人用野戦テントが慰安所に仮説(チャギュホン将軍)、または部品の兵舎を慰安所で代用(フィオ一般)しました。元対価"第5種補給品"扱いを受けたのは日本軍従軍慰安婦が"天皇の下賜品"や"軍需品"として扱われたことと一脈相通じる。また、兵士たちが列を転向まで多く利用したものや小隊長のテントで先に割り当てられた後、兵士たちに割り当てられた点なども日本軍従軍慰安婦被害者が証言する慰安所の風景と似ている。操作方法は、証言に基づいて少し異なっている。チェ名臣将軍によると、電線からの元の袋出入りは"チケット制"で運用するようにした。しかし、誰にでもチケットが与えられることはなかった。戦場で勇敢に戦って功績を立てた順番に配った。また、功績の程度に応じてチケットの数が変わったとする。これは、兵士が軍切符や現金を与えて利用した日本軍慰安所とは違いがある。むしろこれは北海道やサハリン地域に強制連行された朝鮮人労働者と日本人労働者を対象に会社で用意した慰安施設で働い'産業慰安婦'制度に似ているです。日本が犯した代表的な戦争犯罪人従軍慰安婦問題に隠れ産業慰安婦問題はよくあらわれなかった。しかし、日本軍需企業は労働者に一種の'ボーナス'に慰安所を利用できるチケットを提供するなど、労働者を制御するために慰安所制度を利用したことが明らかにある。結局、このような事実を総合すると、韓国戦争の軍の慰安婦制度は"日本軍従軍慰安婦制度の残滓"との結論に達したことになる。"恥ずかしい日本軍慰安婦制度の残滓"そのせいか、回顧録の軍の慰安婦制度を記録した将軍は、一つのように慰安所運営の妥当性に対する疑問と戦争の痛み、そして絶対貧困の惨状を指摘する。

チェ名臣将軍は自分が回顧録に記録した韓国戦争当時体験した軍慰安婦制度について"現わしたくない軍部の恥部だが動くことができないという事実を記録した"と述べた。その一方まま将軍は、当時の悲惨な現実と時代の状況を例に不可避性を力説した。"当時は、戦争が長期化することにより、多くの若い女性たちが生活のために米軍部隊で体を売っ線近くにまで押し寄せる時代だった。当然私娼には、性感染症が蔓延し、私娼を放置した場合、感染症による戦闘力の損失も懸念されたため、軍の将兵たちの士気高揚と戦闘力の損失の防止のために元台を編成し、軍医の性感染症検査を経て、将兵が使用させたものである。しかし見方をすれば(売春婦を軍の元代に吸収することにより、)当時の社会の必要悪として人権の死角地帯に放置された多くの売春街の女性たちの人権を保護した側面もある。"しかし、当時の連隊長であったまま、将軍は、軍の慰安婦制度を企画した軍首脳部の主体が誰であるかについては、"よく分からない"と答えた。またまま将軍は、元代の規模にも"名称上は袋(特殊慰安隊)が、バッグピョンジェピョによって組織されたものではないため、慰安婦や私娼の事情(需要と供給)に応じて元の規模がその時その時違い正確な人数を算出することは難しかっただろう"と指摘した。

"小隊長さんチキト一枚より得ることができないんですか?"

私たちの5連携では、"元の袋"を利用するためにいくつかのルールを作った。元の袋出入りはチキトゼロ運用するようにした。しかし、誰にでもチキトが与えられるわけではない。戦場で勇敢に戦って功績を立てた順に配る。もちろん勲章を受けたなら当然優先順位があり、羨望の対象である。"5連隊は無条件階級に関係なく、装飾がたくさん乗った人から順に慰安婦を相手にすることができる。"私はこのルールを作ろう部隊内では試合のグリップが起こっれた。"あなたがたはすべての私の妹です。いいか?""しばらく待て。わたしがあなたたちにドゥンジョンギを発表するだろうから・・・.期待しなさい。"すべての口と耳が慰安婦に集まっていた。勇敢なバクパンド軍曹も規定通りに二枚のチキトを受けることになり、最初に慰安所に行くことになった。私は当時の連隊長だったから、このイェギン後日大隊長を介して聞いた。しかし、バクジュンサは処女だと慰安婦相手にすることを頑として拒否したという。描いてチキトも他の戦友に与えようとすることをルールとならないと、分隊員が強引に浮いてメゴン慰安婦台のテントの中だ入れたし。すべての分隊員はテントの中を覗きながら歴史的な事態を見てみたところ、さあ大変素朴なバクパンド独身は女性がズボンを剥がそうう"嫌だ"と逃げ持つことがないか、無理に皮を剥がれた強行しようとすると命がけで避けることではないか、外から見ている分隊員たちとひとしきり笑いだけ抱かせていた。しかし、あまりにも狭いところだと、最終的には女につかまえられた相手が処女と言うことない女性がいたずらして彼のものを触って"エギェ、これくらいのものを持って来たの?"と、ノリと、ついに彼は銃漢方モトスァ見て顔が赤くがジゴン逃げてきたということであった。分隊員たちは、自分の分隊長に屈辱の夏(夏)はありたくない、その日の夜徹底した講義と事例を聞かせて、最終的にバクパンド軍曹を説得した。翌日再試行終わりバクパンド軍曹は、最終的に成功する。しかし、問題は、次からだ。一度元の袋を行ってきたバクジュンサが完全に味を入れたのだ。"あの・・・、小隊長さん。私・・・、チキト一枚より得ることができないのですか?"この状況までになって私に報告が上がってますので、私は笑いをさく烈させないことがなかった。"ねえ、あいつ本当に。そう大隊長が分かって長より入れて・・・.ハハハ・・・"その時から私はなぜか気になった。純粋な人が戦闘が知っているが、ある日突然、人生のいくつかの新しい面を知るたら・・・<チェ名臣の回顧録"死線を越えて越えて'>(267ー269で引用)

陸軍本部の公式記録である<後方戦史>の'特殊慰安隊実績統計表"(1952年)に従いますが、当時の元台を利用した将兵は少なく取っても年間20万人を超える。また、"元台を利用することができる予備に陥ることも前から将兵たちの話題は、すべて元の袋件であった"はまま将軍の証言から分かるように、当時の韓国戦争に参戦したすべての兵士は、軍が設置・運用した'特殊慰安台'の存在を知っていた。まさにその"公然の秘密"が50年ぶりに一歩遅れてふくらんだのは、この露出したくない軍部の恥部が日本軍慰安婦制度の残渣であるからなのかもしれない。もちろん、韓国軍元代動員方法や期間および規模など日本軍従軍慰安婦制度の本質的な違いがある。しかし、大部分、日本軍従軍慰安婦制度と同様の方法で運用されたこともまた事実である(下の<表3>参照)。

<表3>日本軍・韓国軍慰安婦制度の類似点と相違点

まず、詐欺の高揚と戦闘力の損失の防止を掲げた設置目的からして似ている。また、兵士が軍隊のテントの前に並んで利用して軍医が性病検査をするのに使用・管理の風景も似ている。また、日本軍の軍票の代わりにチケットのような対価が支払われた取引の形式で運用された。これは、目撃者の証言でも裏付けられる。韓国戦争当時は珍しい制度を初めて経験したフィオ一般的には最初に元のを目撃した瞬間に直感的に"これは過去の日本軍内の従軍経験のある一部の幹部が部下の詐欺高揚のための発想から始まったんだな"という思いがしたという。だから、金将軍は、34年間の軍生活で初めて見た公の軍慰安所運営事例について、その正当性を残して永遠に気まずい記憶に刻印されていると覚えている。が"気まずい記憶"は、まさに8.15の解放と48年の政府樹立後、最初の国と軍部の形成に大きな影響を与えた親日派清算問題と触れ合っているのである。例えば、合同参謀議長は、1台イヒョングン議長から14代ノジェヒョン議長まで、陸??軍参謀総長は、1台イウンジュン総長から21代イセホ総長に至るまで、日本軍経験者が独占したことを推測すると、韓国戦争当時、慰安婦問題は、米清算された親日派問題と直結していることを直感することができるだろう。ギムグィオック博士は、"韓国戦争軍慰安婦問題は、日本軍慰安婦制度の不幸な子とすることができる"とし、"この問題は(日本軍慰安婦問題のように)被害女性と社会団体、学界が連携して解放しなければならない私たちの過去の清算問題の一つ"であることを強調した。

下記は元記事のキャプチャー

画像: 韓国軍の従軍慰安婦


なお、Wikiによれば

韓国軍慰安婦

移動: 案内、 検索


韓国軍慰安婦または大韓民国軍慰安婦 (??????、????????)は、1945年-1990年の韓国軍と在韓米軍によって慰安婦に動員された韓国人女性たち。韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時[1]に大韓民国の国軍によって強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の性的欲求を解消する目的で強制的に集団的性行為を強要された慰安婦をいう。捕虜となった朝鮮人民軍女軍[2]、女性パルチザンゲリラ、そのほかに朝鮮人民軍や中国の人民志願軍の占領地内の住民である朝鮮人女性のうちまだ疎開しなかった女性などが、共産主義者を助けたとの名目で強制的に性奴隷にされた。日本軍慰安婦との区別のために韓国軍慰安婦、大韓民国軍慰安婦と米軍慰安婦や国軍挺身隊などでも呼ばれる。

大韓民国国軍あるいは米軍にレイプされた韓国軍慰安婦の存在は、1990年代後半から韓国内で公論化され始めており、2002年2月、韓国の女性活動家金貴玉と姜貞淑などにより韓国軍慰安婦の存在が初めて公開された。旧日本軍慰安婦に続き朝鮮戦争前後にあった韓国軍と米軍による韓国女性の性犯罪の存在の調査と陳述確保などが韓国の女性団体を中心に進められている。


朝鮮戦争時 [編集]

韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したのは否定できない歴史的事実で、これは韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』(????)の人事編と目撃者たちの証言によって裏付けられた[3]。

「慰安(婦)」という言葉が共通していることなどから韓国軍慰安婦は旧日本軍慰安婦にならってつくられたと考えられている。しかしながら、旧日本軍の慰安婦が民営であったのに対し、韓国軍の慰安婦は軍直営を超えて「慰安隊」として正規の軍組織となっていた点で大きく異なる。なお、通称日本軍慰安婦の場合は公募によるものであり、当時の公務員の平均給与を超えた高額給与が慰安婦に支払われていた。公募資料や給与明細などの資料が発見されている。[3]

また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあり、ドラム缶に女性をひとりずつ入れて前線に運んだこともあるという。[4]軍にあって配分の際には、慰安婦は「第五種補給品」と称されていた(補給品には一~四種しかなかった)。[5]

朝鮮戦争当時の韓国軍の公式・非公式慰安婦の規模に関する明確な情報はないが、金貴玉教授は朝鮮戦争直前の私娼の数5万人を下ることはないと見ている。なお、朝鮮戦争後には性売買をする女性は30万人余りに達したと推測されている。[3]

朝鮮戦争後 [編集]

朝鮮戦争が休戦になった翌年の1954年に「正規」の「慰安隊」はなくなったが、事実上の慰安隊が私娼の形で存続し費用は「厚生費」などの名目で支出されていた。[3]

ベトナム戦争に参戦するにあたり韓国政府は朝鮮戦争時と同様な「慰安隊」設置を計画したが、米軍の反対に遭い実現はしなかった(駐越韓国軍司令官)。このことがベトナムの民間女性に対する強姦事件が多発したことの一因になっている。[6]

そして、1990年ころも、軍の訓練所の外に 俗に「毛布部隊」と呼ばれる私娼窟があったとの報告がある。[3]

国連軍(米軍) 慰安婦 [編集]

韓国政府は、韓国軍だけではなく国連軍のための慰安所も運営した。朝鮮戦争が始まってほどない1950年9月、釜山近くの馬山市に国連軍用の慰安所を5ヶ所設けたことが「釜山日報」に掲載されている。[7]



2011年11月26日12:05 [ハンギョレ21 2011.11.28第887号] 大韓民国政府が抱え主だった

< [ハンギョレ21 2011.11.28第887号] 大部分が町内でなされている性売買 年間 4605万件‘524兆(won)インド小売市場’外国割引店に開かれた >

カテゴリハンギョレ21[週刊誌]12拍手[表紙の話] 性売買を取り締まるフリをして女性を外貨稼ぎ手段と考えた韓国政府…韓国戦争時に慰安所を設置し、独裁政権は駐韓米軍・日本人対象の性売買を助長した(3825字)


□ キム・ギテ


大韓民国で性売買は不法だが不法でない。歓楽街の一画に派出所が共存する奇怪な風景は我が国で事新しくもない。こういう乖離はどうして生じたのだろうか?


答えるためには先ず国家の二重的性売買政策を見る必要がある。パク・ジョンミ漢陽大HK研究教授(社会学)が今年書いた論文‘韓国性売買政策に関する研究’は性売買に対する国家の意図的沈黙と統制過程を暴いた。400ページを越える分厚い論文の中で大韓民国政府は性売買に一方では不法化の烙印を捺しながら、他方では放任したり時には積極的に‘抱え主’の役割までした。


←<ハンギョレ>資料写真


国連軍のための慰安所運営


性売買を巡る国家の二重的態度は1946年の米軍政期まで遡る。日本帝国主義を追い出した米軍政はそれまでの植民統治との差別性を打ち出す必要があった。1946年5月17日に宣言された‘婦女子売買または、既売買契約の禁止令’はそのような背景から出された。公娼制を維持した日帝とは明確に一線を画する措置と見えた。新生国家の市民たちはこれを歓迎した。1946年5月28日付<東亜日報>は「朝鮮が解放された以上…遊郭の女性たちが解放されなければならないのは当然のこと」と報道した。

←<京郷新聞>記事


実際の米軍政の意図は違った。ロチュィ軍政長官は「(禁止令が)公娼の廃止ではないのはもちろん私娼には何の関係もない。 …自分自身が自発的に結んだ契約下で従事することは関係ない」と明らかにした。すなわち個人が他意によって性売買をすることになるのは不法だが、自発的に性売買をするならば公娼であれ私娼であれ関係ないという言葉だった。米軍は反対に日本強制占領期間から維持されてきた接客女性を対象とした登録・検診関連規定をそのまま維持した。米軍政の関心は韓国の性売買女性と接触した米軍人の間で広がる恐れがある性病を統制することに限定された。


公娼制度を公式に廃止した側は新生国家の立法府であった。南朝鮮過渡立法議員は1947年8月‘公娼制など廃止令’を通過させた。'性売買禁止主義’を法として明らかにした最初の事例であった。 ところが法の力は微小だった。 1948年1月<京郷新聞>は "予算は皆無状態で、中央庁に対し国庫補助を要請したがこれが見込みがなく慨嘆ばかりしている" と報道した。


←1960~80年代、キーセン観光は韓国の羞恥であり金脈だった。1970年代外国人観光接待女性を対象に登録証(写真 中)を発給し人権侵害論争が起きた。1980年代キーセン観光に反対するデモ(写真 上)が起きた一方で、政府は米国雑誌記者によるキーセン観光業者取材(写真 下)に協力した。 <東亜日報>記事


戦争を経て国家は自ら法を破った。政府の1956年資料を見れば、陸軍本部はソウルと江陵(カンヌン)など4ヶ所で慰安所を運営していた。 資料で確認された‘慰安婦’ 数は79人だった。1952年この女性たちを訪ねた男性は延べ人数が20万4560人だった。 陸軍本部は "(兵士たちが)異性に対する憧憬から引き起こされる生理作用による性格変化などでうつ病およびその他の支障を招くことを予防するために" と趣旨を説明した。 チェ・ミョンシン将軍も回顧録<死線を越えて又越えて>で「当時我が国の陸軍は志気高揚のために60人余りを1個中隊とする慰安婦隊を三,四ヶ運用した」と書いた。
政府は国軍だけでなく、国連連合軍のための‘慰安所’も運営した。<釜山日報> 1950年9月の記事によれば、馬山市(マサンシ)が "数日内で市内に連合軍の労苦に報いる連合軍‘慰安所’ 5ヶ所を新・旧馬山に設置することになり、これの許可証をすでに発行した" 。当時政府保健婦防疫局で出した‘清掃および接客営業衛生事務取り扱い要領’資料にも連合軍慰安所と慰安婦に対する指示事項が含まれている。 政府が性売買を斡旋した‘抱え主’の役割を引き受けたと証言する文書は悲しいことに多数溢れていた。


米軍の代わりをした日本人‘キーセン観光’


1960年代に登場したパク・チョンヒ政権は‘革命公約’で性売買取り締まりを強化すると公言した。 1961年に制定された‘性売買行為等防止法’は新しい政権の意志を示した。21条からなる性売買行為防止法は国家の性売買禁止原則を再確認したものだった。しかし翌年6月、保健社会部は全国104ヶ所に性売買を許容する‘特定地域’を設置し、その内 9ヶ所をソウルに割り当てたと発表した。一つの口から二つの話は簡単に出てきた。


国家はなぜ性売買禁止原則を守れなかったのだろうか? 1961年交通部企画調整官室が出した公文書を見ればそこに答がある。公文書は「現在、我が国で最も容易に誘致できる観光客は駐韓国連軍」として"外国人相手ホステス"を対象に教養講習を推進するという内容が含まれている。当時、米軍兵士は主に日本や香港に休暇に出かけていた。1961年3月13日<東亜日報>は“我が国により多くの外貨を落とすようにするという見地からはすべての消耗品を国産で充当することが理想的かもしれないが…酒も外国酒で、裸になった女の子も外国のお嬢さん、その上外貨まで使うとは…”と嘆いた。国家の先決課題は‘裸になった女の子’を‘国産’に代えるということだった。 1962年4月25日付<ソウル新聞>はソウル市警が“4千人に及ぶ観光接客営業所(ダンスホール・キャバレーなど)のサービス ガールたちに対する接客業務教育を実施”したとし、その理由が“外国人により効果的なサービス”を提供するためのものだったと報道した。


1966年<新東亜>の記事はもっと率直だった。“洋公主(欧米人相手の接待婦)が持つ巨大な力がある。日陰に咲いている彼女たちはアイロニカルにも我が国の国家政策の至上課題となった感のある外貨獲得の一つの担い手になっている。” <新東亜>は当時全国190ヶ所の国連軍専用ホールから出てくる外貨が1年に1千万ドルに達すると推定した。 1966年当時、我が国が貿易で稼ぐ外貨は2億5千万ドルであった。


1970~71年駐韓米軍の規模が1万8千人減った。 政府では非常事態になった。 1971年8月、内務長官が各警察に送った公文書で“保健当局と協力し慰安婦の性病予防策を講じ…教養を強化”しろと指示した。 ところが去りゆく米軍を捉えることはできない定めだった。米軍の空席は‘キーセン観光’をしに来た日本人が満たした。 1965年韓-日修交が契機であった。 キーセン観光が絶頂に達した1977年に韓国を訪れた日本人の96.8%は男性だった。 経済成長に没頭した政府は観光収入と観光客目標値を提示した。 一線旅行斡旋業者にも‘割当量’がくだされた。目標を達成できなければ各種恩恵が消えたり、甚だしい場合には許可が取り消された。 1979年<新東亜>は“脱線観光がきわめて当然に当局の黙認の下に成り立つ。 …妓生パーティーはほとんどすべての日本人観光客らに提供された”と報道した。 もちろん政府も継続的に一役買った。 1972年ソウル市の資料を見れば、基地村接客営業所女性512人、観光料亭接客営業所女性1795人を対象に教育した記録が残っている。


国家の先決課題は‘裸になった女の子’を‘国産’に代えることだった。<ソウル新聞> 1962年4月25日付にはソウル市警が“4千人に及ぶ観光接客営業所(ダンスホール・キャバレーなど)のサービス ガールらに対する接客業務教育を実施”したとし、その理由が“外国人らにより効果的なサービス”を提供するためのものだったと報道した。


今日も変わらない国家の原罪


1980年代、国内経済が成長しながら内国人性売買‘顧客’の比重は増えた。1982年に夜間通行禁止が解除され、1984年には奢侈性遊興業所に対する規制を緩和した。性売買業者が育ちうる土壌はより一層肥沃になった。米国スポーツ週刊誌<ザ・スポーティング ニュース>は1985年10月ソウル オリンピック特別号で韓国料理を紹介し、あるホテルのレストランで開かれた‘妓生パーティー’の写真を載せた。 当時取材過程で政府が便宜を提供した事実が明らかになり波紋が生じもした。 キーセン観光を通じて観光客を誘致しようとする‘政策’は当時までも維持されていた訳だ。


事実上スローガンに終わった政府の性売買禁止政策は1990年代と2000年代を経て少しずつ効力を発揮した。 1996年‘堕落防止法’と2004年‘性売買禁止法’は主要な契機になった。 しかし相変らず性売買という違法は‘慣行’というマスクをかぶり2010年代の大韓民国の通りを闊歩している。 その背景には国家が自ら行った‘原罪’がある。


キム・ギテ記者 kkt@hani.co.kr

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コメント

No title

たかおじさん今晩は。韓国という国についてはたった一言「大馬鹿者」。

日本は付き合うべきでない国の筆頭でしょう。次はシナか。
橋下氏の慰安婦問題の発言については他国を巻き込んだ其の表現方法が失敗だと思います。ただ彼が擬似保守であえて謝罪と賠償に言及する目的があってあのような表現をしたというならばまた別だとは思いますが。

それにしてもナンでしょうかねわざわざ橋下氏に抗議の為来日しながら面会せず敵前逃亡とは。?以前もそのような事があったやに記憶しておりますが。
もし面会して橋下氏が中山議員のように証拠を提示した上で自称慰安婦に発言したらどのような展開になったのかと思う事もありました。
まぁ予想としては心情的に謝罪と賠償について何らかの措置・・・と言い出しかねない心配をしておりましたけれど。

それにしても恥ずかしい国ですね韓国は。ある意味北よりも恥ずかしい国だと思います。
異論はあろうと思いますが個人的には経済的に止めを刺し日本は付き合いを辞めるのが一番です。

No title

>2013-05-24 19:24 | 一有権者様

>たかおじさん今晩は。韓国という国についてはたった一言「大馬鹿者」。

こんばんは。韓国は馬鹿は確かですが、幼稚なんでしょうね。

>日本は付き合うべきでない国の筆頭でしょう。次はシナか。

本当にそうなんですが、隣にあります。崩壊すれば大勢の泥棒強盗が密入国してきます。監視をし続けなければなりませんしね。そして、かろうじて生きているくらいの施しをした方が日本の安全のためにも良いだろうと思います。

>橋下氏の慰安婦問題の発言については他国を巻き込んだ其の表現方法が失敗だと思います。ただ彼が擬似保守であえて謝罪と賠償に言及する目的があってあのような表現をしたというならばまた別だとは思いますが。

結果としてアメリカに噛みつき、韓国には謝ると言う結果になってしまいました。
>
>それにしてもナンでしょうかねわざわざ橋下氏に抗議の為来日しながら面会せず敵前逃亡とは。?以前もそのような事があったやに記憶しておりますが。

橋下氏だから押し掛けてくれば一方的に謝ると思っていたのが、慰安婦は必要だったとの説を曲げないのでヤバいと思ったんじゃないでしょうか。やぶ蛇になりますから。

>もし面会して橋下氏が中山議員のように証拠を提示した上で自称慰安婦に発言したらどのような展開になったのかと思う事もありました。

おそらく橋下氏はそんなことはしなかったでしょうね。するなら、売春婦ばあさん達が来ようと来まいとするはずですから。アメリカだけに噛みついて、韓国には噛みつかない姿勢でそう思いますよ。

>それにしても恥ずかしい国ですね韓国は。ある意味北よりも恥ずかしい国だと思います。

どっちもどっちですが、南はなまじ民主国家面をしているだけ汚らわしいうそつきのように思えます。北は最初からごろつきだと自分で言ってますし。

>異論はあろうと思いますが個人的には経済的に止めを刺し日本は付き合いを辞めるのが一番です。

7月にスワップ協定が期限切れです。中国様とスワップして乗り切るつもりでしょうが、中国が急速に傾いて習金平氏があわててアメリカに行くくらいですからね。韓国などどうでも良いんですが、ただ、しっかりとゴミバケツの中に入れておかないと。

No title

こんにちは!
たかおじさんの共産党員の活動の話で、某創◯学会の活動を思い出しました。
創◯学会の会員の方々はそれはそれは地道に弱者を地域活動により救済してきたそうです。現在のように巨大な力を持つようになったのも自民が疎かしてきた層に着実に入り込んでいったという粘り強い活動がベースにあるようです。
過去私の周りにも学会関係者が何人かいましたが、表面的には皆良い人が多かったです。

老共産党員の三浦氏への感想、酷いです。
流石、頭の中がまさに唯物的ですね。
こういった頭の構造の人は芸術も無駄ということになるのでしょうね。
芸術なんておおかた無駄から生まれるようなものですから。
もうお歳もお歳ですからこのような頭を改造するのは無理でしょう。
不思議なことに私がここ2、3年で新しく知り合った人(二十代~五十代)は皆覚醒していて、同じような保守的な考えです。
妻も日本へ一時帰国の際、昔の会社仲間の奥様方などと飲む機会が多いのですが、妻の政治や支那、南北朝鮮の話など熱心に聞いてくれるそうです。
中には外交官夫人もいるらしいですが、妻が「支那は恐ろしい」と言うとその外交官夫人は「韓国はもっと恐ろしい」と発言するらしいです。
韓流にハマっていた奥様にも「あれは歴史捏造ドラマで・・・」と言うと凄い効果があるそうです。
打てば響く奥様方の発信能力は凄いものがあります。

団塊世代より上は圧倒的にお花畑が多いですが、それより下の世代はだんだんお花畑から開放されているようです。
これからもたかおじさんのブログを読んでロビー活動?頑張ります。

No title

>2013-05-25 06:00 | ちびた様

>こんにちは!

こんにちは。

>創◯学会の会員の方々はそれはそれは地道に弱者を地域活動により救済してきたそうです。

昔は私の周りにも沢山いました。今は殆ど目立ちませんが、おおっぴらにしなくなったのでしょう。弱者救済と言っても、引き替え条件として学会に入ることを強いていましたからね、今の共産党はそれはないので、その点はましです。

>現在のように巨大な力を持つようになったのも自民が疎かしてきた層に着実に入り込んでいったという粘り強い活動がベースにあるようです。

それは事実だし、大半の人は確かに学会の勢力拡大が社会の向上に役立つと信じていた(今も信じている?)のは事実です。

>過去私の周りにも学会関係者が何人かいましたが、表面的には皆良い人が多かったです。
従って表面的に良い人というより、本当によい人が多かったようです。ただ、良い人=賢い人と言うわけにはいかず、それは共産党でもハマスでも同じでしょうね。

>流石、頭の中がまさに唯物的ですね。

ええ、若い頃からそのように染まっていたのでしょうね。金持ちが道楽のために他の人間にサポートさせるのは資本家による搾取であーる、と言うことでしょうか。

>こういった頭の構造の人は芸術も無駄ということになるのでしょうね。
>芸術なんておおかた無駄から生まれるようなものですから。

ところがその人は短歌も詠むし、音楽も聴くし、絵画も愛でます。本も読みますよ。無味乾燥ではないですね。

>もうお歳もお歳ですからこのような頭を改造するのは無理でしょう。

本来は年齢と頭の固さは必ずしも比例するとは思いません。三浦氏も、年寄りだから無理をしてはならない、とは考えず挑戦したわけだし、柔軟に考える高齢者はいます。ただ、永年培ってきたことに対するこだわりがあるのは当たり前で、私が今の年齢でAKBやももくろにはまることは無いようなもの。ただ、高齢者の中に、私は年寄りだから新しいことは分からない、難しいことは分からないと責任回避をする人は多いですね。振り込め詐欺などでだまされるのも、年齢とは無関係ではないでしょうし。若い頃から共産党員で、その価値を捨てることが不安な人、新しい価値を見ることに不安を感ずるなどがあるのかも知れません。ただ、若いお花畑も結構多いですよ。

>不思議なことに私がここ2、3年で新しく知り合った人(二十代~五十代)は皆覚醒していて、同じような保守的な考えです。

>打てば響く奥様方の発信能力は凄いものがあります。

なるほど、それは頼もしい。

>団塊世代より上は圧倒的にお花畑が多いですが、それより下の世代はだんだんお花畑から開放されているようです。

それはネットの発達が大きく影響しているでしょうね。デジタルデバイドとはこの面で非常に大きいと思いますし、特亜もこのようなネットが出現することを想定していなかったので非常に困っていると思います。

>これからもたかおじさんのブログを読んでロビー活動?頑張ります。

恐れ入ります。よろしくお願いいたします。

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