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偽物の見分け方

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世の中には偽物が氾濫しているが、中でも実害の大きいのは、似非文化人、似非進歩人、似非人道派リベラリストであり、彼らは正確に判断し見つけなければならない。

その目安として、次の規準が当てはまる。

1 平和、戦争反対を説く者
2 協調、友好を説く者
3 平等を説く者
4 人権を説く者
5 節約を説く者
6 環境保護を説く者
7 自然は美しい、自然回帰を説く者
8 弱者保護を説く者
9 国家のために個人を犠牲にするなと説く者
10 食糧自給率を上げろと説く者
11 大人の対応を説く者
12 もめ事は話し合いで解決しろと説く者
13 差別撤廃を説く者
14 グローバル化を説く者
15 日本は特殊だと説く者
16 市民活動の必要性を説く者
17 未来の子供達のためと説く者
18 外交努力で紛争を解決すべきと説く者

これらは偽物である可能性が大きい。

なぜなら、これらの項目は一見極めて正当な主張であり、偽物はこれらの言葉の裏に自分達の本当の目的を隠して宣伝するからである。平和が一番大切、戦争をしてはならない、みんな仲良くし、争いをしないようにしよう、そのためには不公平を無くそう、人権を守ろう・・・などなどどの言葉も尤もであり、それに反対する人は居ない。むろん、私も反対しない。

日本政府もアメリカ政府もヨーロッパの政府もそれを政策に挙げているし、中国でさえ、平和的に成長し世界に貢献する中国を標榜している。かつて、大躍進時代、文革の時代さえ、その根幹のスローガンはそうだったし、ロシアでスターリンやレーニンが圧政を敷いて大粛清の嵐が吹いていたときもそうだった。

つまり彼らの言う平和や平等のスローガンは単なる隠れ蓑であり、嘘だったからだ。それは今も変わらない。平和中国の名の元に周辺国と絶え間なく紛争を起こし、国内では無数の人民を迫害し、チベットやトルキスタンを浸食している。

ロシアも、強権政治への回帰にまっしぐらだ。

むろんこれらの美辞麗句を口にしながら全く裏腹なことをする偽物は日本にも大勢居る。

上記の項目を例として一つ一つ考えてみる。

1 平和、戦争反対を説く者

平和を実現するために戦争をしない。これは全くの正論なのだが、偽物はその具体的な方法を示さない。日本人は、平和と水は只だと思っているとよく言われるが、それは平和が只で手に入る物ではないのが世界の常識だからだ。平和は、それなりの努力と犠牲を払って手に入れる物なのだ。

平和に暮らそうと決めるのはむろん個人の自由だが、無人島で一人暮らしをしているのではない限り、他の人間がそれをさせるかどうかは考えるべきではないのか。日本のような成熟し穏健な社会では他人の平和を侵そうとする人間は少ない。ほとんど大半の日本人は、強盗や暴力に合わずに生涯を終えることが出来るだろうが、世界でこんな国は例外なのだ。

そして、日本という国だけが平和を願って、平和に暮らすと決めても、それを許さない国が世界にはたくさんあり、特に日本の周辺にはそれらが固まっている。社民党や共産党は、国同士の争いは話し合いで解決すべきだ、何より平和が大切だから、戦争をしてはならない、と言う。

国同士の争いがすべて話し合い解決するなら戦争など歴史上であるわけがない。国同士の争いは、現代ではむろん話し合いで解決することもあるが、それは国力の差、国際的な味方の数がそれらに関与しているのであって、双方が満足する解決策になる事はほとんどない。かならず他方が多くを取り、もう一方は悪条件を飲まされる。それでも戦争にならないのは、国際法や条約、外交努力が過去よりも機能しているからだ。が、世界にはそれらを守らない国は多数ある。だから戦争になるのだ。

日本が戦争をしない決心をしても、それは相手にとっては戦争を仕掛ける条件になりこそすれ、戦争を控える理由にはならない。そうやって、中国はチベット、トルキスタン、内蒙古を飲み込んだのではないか。そうやって、中国は周辺国と絶え間ない戦争を繰り返したのではないのか。

ロシアも同じ事だ。ロシアがどうしてあれほど大きな国土を持つに至ったのか。そして、ソビエト連邦はどの様な形で保たれていたのか。一方的なロシアの武力による支配ではなかったか。

アフガンの泥沼は、ソ連の侵攻に始まったのではないか。

日本は戦争をしたくないから戦争を仕掛けないでくれと言うのは寝言であり、戦争をしたくないなら自分達に隷属しろ、と言うのが中ロのやり方なのだ。

むろん、私も戦争を避けるために外交努力や、時には譲歩や、国際世論を味方に付ける努力をすべきだと考えている。が、それが通用しない相手には、彼らに通用する手段で戦争を起こさせないようにする以外方法はない。その気になれば日本を20分で消滅させられると政府の公式声明で言うようなロシアや、多数のミサイルで日本を火の海に出来るが、今はアメリカの影響が強いので、10年後には実力行使をすると宣言している中国に戦争を仕掛けさせないためには、彼らと同等の能力を備えるしかないのだ。

通常兵器だけなら幾ら日本の兵器体系が優れていても、数と国土面積の差から日本はこれら大陸国には勝てない。が、彼らの核破壊力と同等の能力は、海洋国家である日本は持てる。技術的コスト的に十分可能である。それは国を守るためには絶対に必要なコストではないのか。

戦争をしないために軍事力を持つ、核武装をするのは当然なのであり、それによってのみ平和を維持する効果が最大限になる。

なお、核武装はコスト的に合わない、技術的に不可能、アメリカが許さないなどの反論があるが、それらは全く説得力がない。かつて貧しかった中国が核を持ち、極貧国家の北朝鮮が核を持つことでアメリカからの攻撃を防いでいる。アメリカが自国民を犠牲にしても、自らを守らない日本を防衛すると信じられる方がよほど不思議だろう。

中には核武装のコストを明示出来ないのであればカルトだという御仁も居た。私はリニア新幹線が必要だと思うが、そのコストの産出は出来ない。が、リニア新幹線が技術的に可能であり、しかもその効用が明確であれば国民がリニア新幹線の採用を決め、専門家が費用を産出して、全体の計画を立てる。それが普通なのであり、新幹線のコストを明示出来なければカルト等というのは何かの病気に冒されているとしか思えない。日本が中国やロシアの威嚇に対抗することを防ごうとしている何か特別の理由でもない限り、カルトからは脱却しなければなるまい。

根拠も示さず、手段も示さず、代替案も示さないまま、平和や戦争反対、核武装を反対する輩は偽物と断じて良いだろう。

2 協調、友好を説く者

この典型例として民主党の友好の海とか、日米中等三角形論などという主張がいかに根拠が無く無責任であるかはさすがに少しは知られてきたが、それでも、隣国同士仲良くすべきだ、一衣帯水の仲だ、運命共同体だ、争えば第三国を利するだけだ、長い付き合いの歴史の仲で争いは極短い間だから、話せば判る、何しろ文化的にも近いから、と言う者はまず偽物だ。

特に争いの時代が長くなかったというのは、古代には海で囲まれた日本を侵略する方法がなかったからであり、現実に元寇のような例もある。しかし、最初に海を越えて他国を侵略する能力を持った西欧諸国はその能力でアフリカ、アジア、中南米、豪州を侵略し尽くした。西欧とそれらの国々は出会いの時から一方的な西欧の侵略の歴史だったが、それは中国ロシアもそうなのだ。中国ロシアが今のような広大な国土を持つに至った経過は、一千年にも及ぶ侵略の歴史の結果だ。ただ、海が日本を守っていたに過ぎない。

隣国同士は利害が対立するので軋轢が生じやすく、そして国力の弱い方が常に犠牲になる。ヨーロッパはあの狭い地域で数百年戦争を繰り返してきた。彼らが争いを話し合いで解決出来るようになったのは、彼らが流した血の結果だと言ってよい。だが、中国もロシアのその教訓を身につけていない。

その彼らと対峙するとき、協調友好は通用しない。力による対決以外、日本を存続させる方法はない。その根本解決法を、実証出来ないで協調友好を説く者は偽物だ。

3 平等を説く者

人間は平等であるべきである。それは本当であり、人類が長い間取り組んできた問題の一つだ。だが、未だに完全解決はできない。それどころか、平等を第一義とした共産主義や社会主義がそろって独裁となり、極端な不公平社会を作ってきた事実を無視してはならない。人間の努力を否定してきたからだ。努力の結果生じた差を、均しくしてしまえば、即ち努力をして豊かな生活を手に入れた者とおなじ物を努力しなかった物に与えることを平等と考えたからであり、これでは人間は努力をしなくなる。

むろん、人間の差は努力だけによる物ではない。厳然たる事実として、人間は生まれながらに差があるのだ。言うまでもなく、個人の能力の差もあるが、親の資産状況で子供の人生が決められてしまうのも事実だ。親が資産家であれば、優秀な家庭教師を取りその上至れり尽くせりの教育をすることでかなりのぼんくらでも能なしでも東京大学にはいることが出来るし、総理大臣にもなれる。彼もむろん東大にはいるからには努力をしたのだろうが生活に全く不安が無く最高の環境で努力をすれば、それらの環境の整っていない人間の努力とは成果が当然ちがうだろう。

これをわかりやすくしたのが、民主党による高校無料化だ。一見誰もが高校に只でゆけるのはすばらしいかのように宣伝されているが、能力も意欲もない生徒がただ楽をしたいためだけに高校に行き(実際高校の中には、人間の形をしていれば入れる学校が無数にある)アルファベットも書けなければ初歩の算数も出来ない高校生が実際にいる。

それなら、本来貧しくて進学出来なかった生徒の中で、意欲があり能力がある者に対し、返済無用の奨学金を与えるなどの方がよほど平等ではないのか。

農家個別保証もそうであり、あれは中国の人民公社と同じで、結局努力をしなくても収入が保証される制度だから、形ばかりの農家でも農作物の平均価格で産出された収入が得られる。それでは努力をする意味がない。むろん、努力をして高く売れる農産物をつくって利益を多く上げる農家は良い。が、怠け者でも農家という看板があれば畑で遊んでいても金になる仕組みだ。

共産主義、社会主義の平等とはこれであり、これで経済が動くわけがないからすべて破綻しているわけだ。

平等は良い。が、それは本来不公平に生まれてきた人々のその不公平をならすための平等政策のことであり、努力をしてもしなくても結果が同じになることではない。それを全く無視して、とにかく人間は平等であるべきだと説く者は偽物だ。

4 人権を説く者

人間には権利がある。基本的には生存の権利であり、これは誰からも侵されてはならない。思想信条の自由、言論の自由も個人に付属する権利であり、誰にも侵されてはならない。

他にもさまざまな権利が人間には保証されなければならないが、一つ行動の権利は場合により厳しく制限されている。この行動の権利は、言論も含まれる。名誉毀損、誣告、偽証の罪が存在するのはそのためだ。

それは個々に付属する権利が、他者の権利を侵してはならないからだ。往々にして人権を叫ぶ物には己の権利だけを主張し他者の権利には無関心な輩がいる。これらは偽物である。

5 節約を説く者

日本の言葉で今世界に広まりつつある言葉がもったいないだそうだ。これは日本人が誇って良い文化だと思う。もともと資源の乏しい日本では昔から節約が文化の基本にあった。江戸は世界でも稀有のリサイクル都市であり、トイレが完備していることでも世界一だった。これは、富裕層の家にはトイレがあったし、各長屋にも共同トイレがあり、また辻のあちこちにも公衆トイレがあった。そこの排泄物は定期的に汲み取られ、近郊の農家に下肥として売られた。したがって、同時代ロンドンやパリで汚物が窓から道路に投げ捨てられるような不潔な状態は日本にはなかった。

着物はむろん、傘、反古紙、食器、調理器具、果ては竈の灰まで回収業者が定期的に集めては再利用していた。

その精神が今の、物が豊富な日本に息づいているのだ。

が、物が今よりも極端に少なかった時代とはちがう。現代でもむろんリサイクルは大切だが、物によってはリサイクルが環境を破壊し、資源を無駄にしている例があるという。よく引きあいに出されるのが紙のリサイクルであり、あの古紙を再生する際に発生するさまざまな汚染物質や薬品が環境に対し決めて悪影響を与えるので、そのための施設に膨大なコストがかかるのだとか。結局は古紙は燃料にでもして新しく木を育てた方がコスト的にも環境的にも有利だという話を聞いたことがある。これが事実かどうか、すべての再生紙に当てはまるのかどうかはわからない。が、理論上はあり得るだろうと思う。

昔のリサイクルの精神は非常に優れていると思うし、節約の心は大切だと思う。が、電気の節約のために熱射病で死ぬ人間が続出し、また経済活動に支障が出て社会が不安定になるなどは逆効果だ。本来必要な物があるはずなのにそれまで節約しろと説く者には、何が必要で何が不要かを説明出来ない者が居る。このような連中は偽者である。

6 環境保護を説く者

これは次の自然に対する考えと重なるが、そもそも人間の存在自体が環境を悪化させている。したがって、環境を悪化させたくなければ一切の資源の採掘を止め、農業を止め、漁業を止め、産業活動をすべて止めなければならない。すなわち、人間は産業活動がなければ生きてゆけない生物だから、絶滅するしかない。

人間は環境を単に汚染するだけではない。環境を浄化する技術も併せて発達させてきた。最近面白い記事を読んだが(当人達は面白くないだろ)瀬戸内海の水が綺麗になりすぎ魚が捕れなくなったそうだ。それは環境汚染を防ぐため、工場排水や生活排水を極めて厳重に取り締まった結果、瀬戸内海での窒素や燐が必要量よりも下がりすぎて改装が育たず、従って魚も生きてゆけなくなったのだとか。

本当に人間にとって環境浄化とは何かを理解せず説明もせず単に環境浄化を最優先として主張する人間は偽者だ。人間がよりよく生きて行くためにどの様に環境を管理するかが考えられなければならないのではないか。

野生動物の生活環境を守るのはよい。が、猿やイノシシが里に出てきて人を傷つけたり農作物を荒らす。環境団体は、人間が猿やイノシシの生活圏を奪ったから悪いという。では、それらの生活圏を猿やイノシシに返して人間はその地を離れるべきなのか。

結局は野生動物の生きてゆける生活圏が狭くなったのなら、その中で生きてゆける数に人間が管理しなければならないだろう。その上で、野生動物の生活環境を可能な限り確保するのが正しいのではないか。

環境浄化とは、環境のコントロールであることを無視して環境保護を説く者は偽者だ。

7 自然は美しい、自然回帰を説く者

自然と聞くと山や林や川、畑などが美しく調和した里山の風景を思い浮かべる人が多い。或いは、都会の公園の茂みや、神社仏閣の森などを思い浮かべる。精々、登山道から見るアルプスの山々や時々出かける郊外の遊歩コース等か。がそれらは完全に人間が作り出した人工の風景であり、自然状態であの里山などが存在出来るわけではない。

本来の自然とは、有毒植物や有毒生物がひしめき、人間の立ち入ることの出来ない密林や、草木一本生えていない乾燥しきった砂漠、荒れ狂う波の大洋なども自然なのであって、その中では人間は一時も生きてはいられない。今人類がこれだけ版図を広げたのはすべて自然を改良したからだ。

自然は美しいばかりではない。手を抜くと人間の生活はすぐに自然に押しつぶされる。火山や地震津波でどれだけの人間が犠牲になりそれを防ぐために人間がどれだけ巨大な構造物を作らなければならなかったか。

自然に任せておけば、今の東京は多少の雨が降ったくらいですぐ水没する。ほんの2,30年前まで江東区の0メートル地帯は台風シーズンになると決まって水没していた。江東区だけはない。東京中にそのような場所があった。今では環状7号線の下に巨大地下貯水場が出来、大雨が降ってもそこに水を溜めることが出来るので大規模な水害はほとんどなくなった。

人間が生きて行く以上、蚊や蠅、ノミダニシラミなどの虫を駆除し、あらゆる所を消毒しなければならないがそれはとりもなおさず自然汚染だ。

自然は本来凶暴な存在で人間との共存は出来ないと考えた方がよい。そこで人間は里山や治水ダムのように自然を改良し管理することで生活圏を広げてきた。

むろん、意味もなく山をはげ山にしたり川に汚水を垂れ流すなどは論外だが、放っておけば浸食してくる自然を常に排除し続けなければならない。これを無視して、自然は美しい、自然回帰をすべきだと説く者は偽者だ。

思ったより長くなったので、一端ここで切り上げる

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コメント

No title

まったくその通りで、田園風景が自然だと思っている日本人は多いのではないでしょうか。

No title

>2012-08-29 10:04 | 花岡 鉄様

>まったくその通りで、田園風景が自然だと思っている日本人は多いのではないでしょうか。

その感覚で、私も先日帰省したとき事前に恵まれていると書きましたが、実際はすべて人が手を入れて作り上げた環境です。

自然を守るとは、私達にとって途切れることなく自然を整え続けることですね

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