自然再生エネルギーの使い方

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最初に、昨日の続き、即ち日本の震災をサッカー試合で誹謗した韓国サポーターの件だが、その当人が出頭して謝罪したという。

赤文字は引用

日本震災やゆ問題 横断幕制作したサポーターが謝罪

 関係者によると、30歳の会社員が29日午後に全北現代を訪れ、「心ない行為で多くのファンにあまりにも大きな失望感を与えました。日本国民と韓国のサッカーファンに心からおわび申し上げます」と謝罪した。また、日本遠征で負けたことが悔しくて横断幕を掲げたとし、他意はなかったと釈明した。
 
 このようなことをやっていて、他意は無かったも何も無いだろうが、韓国ではことあるごとに日章旗を破いたり踏みつけたり燃やしたり、総理大臣の肖像を毀損したりすることを競ってやる。彼らの意識は本当に日本に対する憎しみよりも、むしろそのような行為で注目を集めるのが目的のようだ。そのいみで、今回もみんなの注目を集めるのが目的で、本当に日本を侮辱するつもりはなかった、だから他意はなかったと言いたいのかもしれない。
 
 これが通る理屈かどうかは今更言うまでもないが、韓国で日本を侮辱する行為が愛国的、正当行為と見られ周囲の注目を浴びる行為であるのは間違いなく、それは韓国の国策にある。歴史を捏造してまで日本を憎む教育を国民に数十年続けていれば、そうなるのは当たり前だろう。
 
 したがって、今回はおそらくこの一人の愚か者の行為ということで、形だけ韓国チームが謝罪し再発防止を約束して収拾されるだろうが、ことの根は深い。韓国が歴史捏造や反日政策を政権維持のために使うのをやめ、正確な歴史を国民に徹底し、そして心底日本に対して謝罪してから2世代くらい経てば、あるいはこのようなことは起きなくなるかもしれない。だが、むろん、そのようなことにはなるはずがない。
 
 一方、韓国社会でも事件は問題になり、当初と違いことの重大性が報じられてから、韓国内からも非難の声が上がっているという。
 
「大地震をお祝い」横断幕、「日本は自省せずに他国を非難」=韓国

 そんな中、ある韓国メディアは、サポーターの行動について強く批判する一方、全北球団の迅速な対応を高く評価した。さらに1月のカタールアジア杯での日韓戦で、日本人サポーターが旭日旗を掲げたことを例に、日本も反省すべき点は大いにあると論じている。

 同メディアは「全北横断幕論争。果たして日本は清らかなのか」と題した記事で、日本がアジアサッカー連盟や大韓サッカー連盟に抗議文を送るなどして厳しい対応を示したのは「自分の汚点は消さず、他人の汚点を指摘する姿」と批判、「今まで日本はきちんとした対処を見せたのか」と問いただした。

 
 しかし、このような国内からの批判に対してもなおこのようなメディアが存在する。まず、例のカタールでの試合で日本人サポーターが旭日旗を掲げたと言うが、その事実はなかったとされている。ただし、仮に旭日旗を掲げた日本人サポーターが居たとしても、それは韓国を侮辱したものではない。
 
 旭日旗が、確かに旧日本軍で使用されていたのは事実だろうが、現在でも海上自衛隊艦上旗としてなどでは使用されており、いわば日章旗に準じた旗である。海外でも広く知られ、当然ながら他国の国旗に対する敬意を持って扱われている。
 
 その旭日旗を日本人サポーターが掲げたところで、日章旗を掲げるのと変わりはない。韓国などでは旭日旗に反感を持っていると言うがそれは韓国が勝手に韓国侵略のシンボルとして見ているだけのことであり、日本人が日章旗を振るのを憎むのと変わりはない。だから、踏みつけたり燃やしたりするのだ。
 
 カタールで仮に旭日旗が掲げられたとしても、韓国を侮辱するものではないし、まして震災を揶揄するのと同じだと言うのも、結局は韓国側の感覚がねじ曲がっているからだ。なんでも自分たちが気に入らないから日本は間違っている、謝れと主張するいつもの火病ではないか。
 
 旭日旗と、今回の垂れ幕とは全く次元が違い、それを同列に論ずる韓国社会こそどうしようもなく病んでいる。
 
 やはり、最低限の距離以上採ってはならない。統一経済圏などもっての他だ。
 
 これについて、特亜の捏造歴史とどうよう、日本でも自虐史観が普通で、まともな近代史が教育されていないのが問題だと昨日も書いた。私は、昼間仕事をしながらラジオをかけているが、時間帯によってはAFNを聴いている。在日アメリカ人向けの在日米軍による放送だが、感心するのは one minute American history 等と称して、アメリカの歴史を一日何度も放送している。また miritary history と言うことで過去のアメリカの戦争秘話なども何度も放送しているが、むろん戦争観や歴史観などは日本人が聞けばなんと身勝手なと思う内容も多い。が、少なくとも機会あるごとに自国の歴史をこのようなラジオ放送でも繰り返すのは意味があると思う。
 
 このように国の歴史を周知させる試みは、国民に自分の国を正しく理解させる効果があるように思うし、だからこそ国外にいる米国人に殊更聴かせているのではないかと思うのだが。
 
 さて、本題。
 
 私は日頃自然再生エネルギーに対し否定的な主張をしているが、たまには肯定的な主張もしてみたい。ただし従来の考えを変えたわけではない。日頃は、原発の代わりになるようなメインのエネルギー源にはなり得ないと言っているのであって、自然再生エネルギー自体を全否定しているわけではない。

 今後も研究は続けるべきだと繰り返し言っているし、また確かに山間僻地や島嶼部など、大規模発電の出来ない場所では、喩えコストがかかっても風力や太陽光が有利な場合もある。つまり補助エネルギー源としても利用価値は十分にあるから、そのための研究開発は大いにすべきだと言っているのだ。

 そのために、自然再生エネルギーの研究を続けるにしても、メインエネルギー源にすることは当面無理と考え(絶対無理とまでは言わない)に切り替えることはやめる。補助エネルギーとして研究を続けている内に、もしかして将来メインエネルギーになりうると見極めがついたら、その時は大々的にその方向へ持って行けば良いだろうが、今の時点でそのための大規模投資をしたり、公的資金を投入するのはあまりに無駄が多すぎる。
 
 まず補助エネルギー源としての研究を、それなりの限られた予算を投入し続け、商品化できるものは商品化して行けばよいだろう。投資に対し、利益を常に採りながら進めて行かなければ、膨大な赤字が残るだけで成果がまるでなかったという結果になりかねない。実際に欧米がそうだったのだ。

 そのためには、大規模な自然再生エネルギー事業に補助金や強制買い取りをしないことだ。そんなことをすれば、補助金無しでは成り立たない事業に成り下がり、結果として経済に大きな負担をかけることになる。
 
 何度も書いているが、資産のある家なら、自分の家の屋根に大きなソーラーパネルを乗せ、巨額の補助金を受け、さらに余った電力を電力会社に売り、それで何年かで採算が採れると思っているだろうが、採算が採れるのはその人間だけであり、ツケは一般の人間に税金や電力料金という形で押しつけられる。
 
 自然再生エネルギーの拡大のためだから社会全体が負担すべきと言うのは、すでに技術が確立し、規模が拡大すれば元が取れる場合だけだろう。それなら一時負担しても、将来的に負担が無くなり、それ以上に利益があるなら、補助金も負担も買い取りも意味がある。
 
 しかし全くその見通しのない事業に、法的な強制力で買い取り制を決めた自然再生エネルギー法は、全くの悪法であり、不公平を拡大しているに過ぎない。
 
 現在のソーラーパネルに対する国家補助も即日やめるべきだ。それでも設置するなら、当然の負担を設置者が負うべきではないのか。
 
 各自治体で設置し赤字になっている風力発電事業も同じことだ。
 
 何事も当初の開発期間は赤字だ。採算が採れるのはそれが実用化したときだけだ。したがって、開発期間に於ける補助金は、投資であり、回収できるか出来ないかは結果が出るまで分からない。それでも投資は必要だが、今の自然再生エネルギー法案に絡む補助金や買い取り制度は、投資ではない。欧米で30年間かけ失敗が確認されている事業に対する投資をするのは、完全な間違いだということだ。
 
 さて、私が不思議に思うのは、なぜ猫も杓子も自然再生エネルギーを電気に変えなければならないのだろうか。何百年も何千年も昔から、人間には人力を含む自然エネルギーしかなかった。なぜ技術開発でそのエネルギー利用効率を高め、利用しやすくする技術に力を注がないのだろうか。
 
 たとえば、太陽光をなぜ電気に変えなければならないのか。むろん、電気にすれば利用しやすいと言うメリットがあるのは分かる。が、電気にする時点で非常に効率が悪く、エネルギーを貯めることが出来ず、しかも設備は非常に高い。
 
 家庭で太陽エネルギーを利用する技術としてはかなり前から太陽光温水器がある。ものによっては素人が手作りできるほど簡単であり、価格も安い。夏ならこれで十分に台所や風呂の温水を作ることが出来るし、曇っていても追い炊きで十分実用になる。冬でも晴れていれば、同じように温水が出来、それはパイプで室内に導くことで暖房費をかなり節約できる。
 
 また、大量の水に熱を蓄えることも出来るので夜でも温水を利用できるし、このエネルギーを利用すれば冷房も出来る。何も電気に変える必要など無い。
 
 太陽電池と違い、夜も貯めた熱を利用でき、また真っ暗でない限り、曇りでも冬でも利用できる。むろん得られるエネルギーは晴天並みではないが、家庭のエネルギー消費をかなり節約できるのは事実だろう。真冬でも昼間暖めた温水を貯めて置いて風呂で沸かすのと、全くの冷水から沸かすのでは大変な違いがある。
 
 じっさいにできるかどうかは試してみなければ分からないが、豪雪地帯では、この屋根の上の温水器に温水を流すことで、屋根に積もった雪を溶かすことは出来ないだろうか。豪雪地帯の雪下ろしは大変な作業だし、それで家が壊れることもあるのだ。
 
 次に風力だが、これも別に電気に変えなければならない理由はない。大昔から人間は風力を自然に使ってきた。たとえば風車があるが、灌漑などのオランダの風車は有名だし、そのほか、粉ひき、オリーブ絞り、洗濯など様々な利用がされてきた。それこそ風任せだから確実に安定したエネルギーが必要な電力源ではなく、風力に応じて動けばよいそれらのような利用方法がもっと研究されても良いのではないか。
 
 安定化なら、たとえば風力で揚水し、水車を回せば非常に安定した動力源になるだろう。今の技術なら、本当に簡単に出来そうなものだが。また、風力は昔から帆船に使われてきた。
 
 今帆船の時代は終わり、実用化された帆船は無いが(訓練用や歴史的なものとしても建造はある)日本ではハイテク帆船が研究されていた。つい去年くらいだったと思うが、最近はどうなったか聞かない。コンピュユーターで帆を制御し、数十パーセントの省エネになるとのことだったのだが、有望ではないのか。
 
 バイオエネルギーも有望視されているが、ほとんどが石油やアルコール、ガスなどを生成しそれでまた発電したり熱源に使うことが主のようだ。廃材をチップにして燃料にするなどはすでに実用化され、毎年膨大な量の出る廃材の一部が利用されている。
 
 一方ブラジルなどはサトウキビからエタノールを作り、それで自動車を動かしたり、アメリカでは菜種や大豆油で車の燃料を作ったりしている。そのため食料価格が高騰し、世界の貧しい地域で飢えが広がっている。本来食料にすべきものを燃料に使うことは間違っているような気がする。
 
 その点、日本は廃材のセルロースを糖化しアルコールに変える研究でかなり先行しているようだが、それもさることながら廃材を集めチップにして一カ所で発電に使う集中方式にした方が、全体としては効率がよいような気がする。むろん、これだとCO2問題は起きないし、環境にも優しいだろう。どうせ、廃材をどこでどのように利用するにしても、集めて輸送し貯蔵する必要はあるのだから、一カ所にまとめる方が有利だと思うのだが。
     
潮力、波力は、エネルギー密度の低さや発電しても送電に難があり、つまりはその場所で発電したものをその場で消費するブイや灯台などに限定した方が良さそうだ。つい最近も2012年稼働を目標に、1000-2000Kwクラスの波力発電の実証プラントが、作られている。

また

関門海峡利用し潮流発電機 北九州市が開発へ

2011年5月25日19時6分


 関門海峡の潮の流れを利用した発電機の開発に、北九州市が乗り出す。25日に発表した2011年度一般会計当初予算案に、潮流発電機の試作機1基の製作費1千万円を計上した。市によると、国内では潮流発電の実用例はない。東日本大震災や原発事故を受けて「脱原発」の声が高まるなか、新たな自然エネルギーの開発として注目されそうだ。

 市によると、関門海峡の潮の流れは最速の地点で秒速4メートル以上で、潮の向きは1日に4回変わる。潮流発電はこれを利用して海底に置いた水車を回し、電気を起こす仕組みだ。二酸化炭素(CO2)の排出はない。

 市が昨年度、関門海峡での潮流発電の可能性を調査したところ、航路や漁場などを避けて長さ10キロ超の海峡に、高さ1メートルの水車32万7千基を設置すれば、理論上は年間5万5千メガワット時の発電ができるという試算結果が出た。同市若松区の約半分に当たる一般家庭1万6千世帯分の年間消費電力をまかなえる計算だ。このため「潜在的なエネルギーが眠っている」と判断し、地元の九州工業大学や企業と連携して試作機の製作に乗り出すことにした。

 
 潮流発電や潮汐発電は世界中でプラントがテストされている。小規模な物では日本にもあるが、だいたい理論上は、と形容詞がついているときは、実際はその通りにならないという意味だ。考えてみても33万基もの水車を建設するコスト、維持するコスト、送電するコストを、1万6千世帯が負担することが出来るのか。仮に一基あたりの水車が100万円で出来たとしよう(塩水に耐える材質で時化にも耐えながら数十年使い続けることやそのメンテナンスを考えるとその数倍かかるともうが)、33万基というと、3千3百億になる。30年使い続けると仮定して、(一応原発の寿命)年間コストは110億円になる。それを1万6千世帯が負担すると、一世帯あたり690万円になる。
 
 電気代に年間690万円かかるのだが、実際はもっと巨額になる。この計算は間違っているだろうか。万が一、水車一基が10万円で出来ても、年間69万円の電気代を誰が負担するのか。
 
 ということで、あまり大規模なものの実用化は今の所コスト面で無理だろう。やはり小規模なブイのライトくらいしか使えないのではないだろうか。
 

地熱は日本もシステム輸出では世界のトップクラスで、世界各地に大型プラントを輸出しているが日本国内ではほとんど普及していない。潜在エネルギー量は莫大だと言われているが、実際に普及しないのは、景観問題以外にも不安定性や確実性に問題があるようだ。

 先にも書いたが、電力に変える必要のない場合は、そのままの形で使うことをもっと積極的に考えるべきだと思う。たとえば、地熱冷暖房があるが、地下の温度は一年中一定であり、ここに配管を通して水を循環させれば、冬は暖房、夏は冷房に使える。これはある程度実用化されているが、大規模ビルなどではもっと積極的に使っても良いのではないか。ただし大規模ビルのある大都市では、地下も過密だからやたらに掘ることは出来ないだろうが建てるときに杭を打つついでと言うわけには行かないのだろうか。
 
 また、日本は世界有数の豪雪地帯であり毎年大きな災害をもたらしているが、これを近年は積極的に使うようになっている。大規模な雪室を作り、冬の間に大量の雪を貯めて置いて、夏はこの雪を冷房に使ったり食糧貯蔵に使う。また雪は断熱性が優れているので、冬は厳寒時でも雪の中は比較して暖かい。その暖かさを利用する暖房なども可能だろう。

 自然再生エネルギーの大規模利用と言えば、まず日本で発電事業が始まった当初は、ほとんどが水力発電だった。日本は山岳地帯が多く、土木技術が高くなってくると当然各地にダムが造られそれが日本の電気をまかなってきたのだが、今では巨大ダムを造る余地はもう無くなっているし、なにより、ダムが自然破壊を引きおこすこと、また地震国日本ではダム決壊が真剣に考慮されなければならないことなどから、大規模な水力発電はもう作ることは出来ないだろう。
 
 また渇水期には水力発電は無理であり、これも安定性に不安がある。ただ、昔から水車は日本では様々に利用され、風力同様灌漑や製粉など各種の動力源に使われてきた。風力よりも安定性が高く、今では地域の小規模発電施設として見直されているようだ。
 
 このような利用なら、積極的にすべきだと思う。
 
 適材適所であり、自然再生エネルギーも適切に使えば十分利用できる。その方面での利用を推進するのは大いに賛成だが、メインエネルギー源となると、話は別だ。
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