政治と金

平成22年02月27日

下記は、例のThe JOURNALに於ける下記の田中氏の記事に対するコメントである。元記事は政治と金にあるので、御覧いただきたい。

投稿者: 田中良紹 日時: 2010年2月26日 17:29 | パーマリンク

この人の主張は特に参考になるような物であったことは無いが、あまり大上段にこのような主張をされると、一言言いたくなる。

> 「政治とカネ」で大騒ぎする度に、日本は国際政治の流れを見失い、世界から取り残された歴史がある。ベトナム戦争に敗れたアメリカが「反共主義」から脱皮するために産みの苦しみをしている時、日本はロッキード事件の田中逮捕で「政治とカネ」に目を奪われ、アメリカ政治の大転換を正面から捉えることが出来なかった。

まずこれは違う。アメリカは反共主義を捨てたことはない。ただ、アメリカが学んだのは妥協であり、際限のない泥沼に引きずり込まれるベトナム戦争で国内に厭戦気分が蔓延し、ベトナム戦争から撤退せざるを得なかっただけのこと。軍事的には、アメリカが核でも使えば撤退する事はなかったろうが、そこまで踏み切れなかっただけであり、現実に、アメリカは核の使用を検討している。

> しかし共産中国と戦火を交えた朝鮮戦争でアメリカは勝つ事が出来なかった。そのトラウマがアメリカをベトナム戦争に駆り立てる。ところが正義と信じた戦いでベトナムの民衆を敵に回し、世界には反米闘争が吹き荒れ、財政は破綻状態となった。

ベトナムの民衆はじめ世界からアメリカが憎まれたのは、そのあまりの専横であり、自由主義、反共主義故ではない。

> そうした中でロッキード事件が暴露された。アメリカ議会上院多国籍企業小委員会が暴露したのはアメリカの軍需産業ロッキード社と世界各国に存在する秘密代理人との関係である。秘密代理人は日本が児玉誉士夫であるように各国とも「親米反共主義者」であった。アメリカの「反共主義」は世界中に腐敗の構造を作り出していた。ロッキード事件はアメリカが「反共主義」から脱皮して「民主主義」を掲げるための儀式である。

民主主義と共産主義は相反する主義ではない。民主主義に対する言葉は独裁、共産主義に対する概念は資本主義であり、民主主義を守るために反共になったわけではない。

> そのためヨーロッパではロッキード社から賄賂を受けた政治家は誰も訴追されていない。西ドイツの国防大臣、オランダ女王の夫君、イタリア大統領など名前を挙げられた政治家は誰も捕まらなかった。アメリカの国内問題で自国の政治家を逮捕するような真似はしないのがヨーロッパである。しかし日本だけは田中元総理を逮捕して大騒ぎした。日本ではロッキード事件が「政治とカネ」の問題となった。

ヨーロッパが正しく日本が間違っていたと決めつける事自体が本末転倒であり、ヨーロッパのやり方が何でもありがたく正しいと信ずる人たちが陥りがちな罠である。ヨーロッパは階級社会であり、政治は庶民のあずかり知らぬ事、エリートの司る政治に庶民は関わる必要はない。だから、政治問題がおもしろおかしく書かれたタブロイドでも読んでいればよいのが庶民であり、エリートがどのようなスキャンダルを冒そうと、それはタブロイドネタであっても本質的に庶民が問題にすることではない。

現在でも欧米では政治家のスキャンダルが途絶えることはないが、あくまでタブロイドネタでしかなく、日本のように政治家が地位を脅かされたり、逮捕されることはほとんど無い。欧米で政治家が逮捕されるとすれば、敵対する政治家が関与している場合のみ。

日本では国民が認めなければ政治家は生き残れない。一方、国民が認めれば多少のスキャンダルは政治家にとって致命傷にはならない。さもなければ不倫の末に人の妻を奪い取った総理大臣や愛人に子供を産ませたことが公然の秘密になった某宰相も、それが原因で地位を失うことはなかった。

政治のあり方としてどちらが成熟しているかと言えばむしろ日本であり、条件反射で日本が遅れていると言い出す評論家は、日本が駄目駄目と言うことで商売をしているとしか思えない。

> ロッキード事件を「政治とカネ」の問題にすり替えた事で、それからのアメリカがフィリッピンのマルコス政権を潰し、韓国のチョン・ドファン政権を潰した事に日本は鈍感である。二人とも「親米反共主義者」だが、一人は「独裁20年」、もう一人は「軍事政権」であった。それをアメリカは許さない事を示した。その時日本の自民党政権は「独裁30年」を続けていた。だから細川政権が誕生した時、アメリカは異様なほどの期待感を表明した。しかし自民党もメディアもその事に鈍感であった。

日本の長期政権は、政党によるものであり、その間国民が選挙で選んだものだ。これをフィリピンや韓国の独裁と同列視するようでは田中氏の他の主張全ても推して知るべしだろう。

> ところが「政治とカネ」で騒いだ日本はアメリカの政治改革を見ていない。そのため情報公開も、アカウンタビリティもアメリカとは異なり官僚に都合の良い解釈となった。資産公開は国会議員だけが対象となり、説明責任は行政府の官僚ではなく政治家を縛る道具となった。選挙の洗礼を受ける政治家がなぜ説明責任を求められるのかが私には分からない。説明責任が求められるのは国民が排除する事のできない官僚に対してである。

選挙で嘘をついた政治家に説明を求めることが間違いだとおっしゃるのだろうか。選挙公約が次々に裏切られれば、どうしてこうなるのか、と票を入れた国民が説明を求めるのは当然だろう。その嘘つき政治家が金で疑惑をもたれているなら、マニフェストも嘘だと思うのが普通の感覚であり、自身の金の問題をきれいにしろと要求するのは間違っているのだろうか。

> ソ連が崩壊して冷戦構造が転換した時、世界は真剣にその後の生きる道を模索した。ところが日本だけはまた「政治とカネ」で国中が騒いでいた。金丸脱税事件の影響で国会は「政治とカネ」の議論一色となり、誰も冷戦の崩壊を議論しなかった。宮沢総理は「冷戦の終結で世界は平和になり、日本も平和の配当を受けられる」と驚くべきピンボケ発言を繰り返した。

世界の変化に日本国民が無関心だったというのであれば、これほど馬鹿にした話はないだろう。実際には、日本はきわめて上手にソ連崩壊の飛沫を避け、欧米の大混乱の津波を避け、結果として安定した状態を続けている。その少し前にバブル崩壊で日本経済は落ち込んでいるが、政治的には決して不安定ではなかった。だからこそ、自民政権は揺るがなかったのだろう。基本的に、日本人は様々な問題があろうと自民を政権から降ろさなかった。その長期政権が自民に腐敗や硬直性をもたらしたから、民主に一度やらせてみようと言うのが今回の政権交代なのであって、民主に積極的な期待を持ったからではない。

> 当時米国議会を取材していた私は、アメリカの認識とのあまりの落差に恐ろしくなり、外務省の高官に霞が関の内部で冷戦の終結をどう議論しているのかを尋ねた。・・・・その重大な時に世界の構造変化と向きあう事なく「政治とカネ」の議論に終始する国家を目の当たりにした。

まず、政治と金は基本の問題であり、これを無視しては政治自体が崩壊する。そのような例は世界中にあり、国民が一番敏感に政治を判断する一つの指針と言っていい。

> 「アジアには中国と北朝鮮という脅威があり冷戦が残っている」というアメリカの日本洗脳にまんまと乗せられた学者や政治家がいる。そのせいで日本はアメリカの兵器をせっせと買わされ、アメリカとの同盟関係を強化しているが、一方のアメリカはとうの昔から中国、北朝鮮と気脈を通じている。ヨーロッパ諸国はそれ以上だ。彼らは冷戦思考とは隔絶した価値感で国際政治を見ている。日本だけがそうなれないのは「政治とカネ」に目を奪われ、日本にとって死活的な問題を直視しないできたからだ。

欧米が中国を利用すればこそ、決して心を許していないのは今になってはっきりしてきている。日本は、欧米以上に中国と接してきていて、それを十分に認識し、対応してきた。ただし、民主政権になりそれが危うくはなっているが。

> これからの日本政治の最大課題は世界のどの国も経験した事のない「超高齢化社会」に対応する事である。

中国はそれ以上。韓国も危ない。

高齢化社会は別に危険なのではなく、対応さえ間違えなければどうと言うことはない。

>1988年に竹下政権はヨーロッパ型福祉国家を目指す税制改正を行なおうとしたが、それを潰したのも「政治とカネ」の問題だった。

ここでもヨーロッパ型福祉国家が理想と見えるらしい。ヨーロッパ型福祉政策がどれだけ彼等の活性を奪っていたかご存じないらしい。

> 「政治とカネ」の問題は民主主義政治にとってそれほどに重大な問題なのか。

重大だ。政治と金を問題視しなくなればそこから腐敗が始まり、政治の崩壊が始まる。ハイチのデュバリエ政権も、ジンバブエのムガベ政権もそれまでの体制をうち破り国家を建て直す期待から絶対的な指示を受け、そして独裁、金権政治へと瞬く間に変質し、国家は事実上崩壊した。金の問題が不透明になったときから政治の腐敗が始まる。

>騒ぐのは民主主義が成熟していないことの証明である。しかも検察が摘発した「政治とカネ」はほとんどが「でっち上げ」なのである。それに振り回されて国益に関わる重要課題に目を瞑ってきた日本が沈み込んでいくのは当然の話である。

検察がどうこうという問題ではなく、金について腐敗がないかと言う問題だ。

中国の最大の禍は、政治権力が金を生む手段と割り切られているからではないのか。韓国でも政治の混乱の大半がそれに絡んでいるのではないのか。それを目の当たりにすれば、金のことを見逃しに出来ないのは当たり前の話だが、なにか民主政権には都合の悪いことでもあるのか。まあ、確かに大いにあるのだが。
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