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洗脳教育


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洗脳は世界中で行われている。結局、文化とは洗脳と切り離せないのであり、それは無論日本も例外ではない。ところで、洗脳とは何かを明確にしておかなくてはならないだろう。洗脳とは文字通り脳を洗うのであり、余計なことを考えさせず自分にとって都合の良いことを意図的に信じ込ませそれに対する疑いを持たせないようにすることを言う。

わかりやすい例として宗教を挙げてみることにする。私自身は無宗教であり特に特定の宗教に思い入れはないのだが、ただ日常生活で気がつくと仏教や神道に基づいた考え方をしていることに気がつく。それは日本文化、日本の価値観が仏教や神道に強く影響されながら形成してきたからであって、私が日本文化の中で生まれ育った以上、自分で意識しなくとも仏教や神道に影響されているのは当然だろう。最近の若い世代では宗教には無関心、宗教のことは知らない、自分は仏教も神道も知らないし関わっていないと言う者がほとんどだと言って良いが、日本文化の中で生まれ育った以上、自分で意識しなくとも仏教や神道の影響を受けているのは当然だろう。

しかし、日本だけのことではない。形ばかりは宗教を無視している共産国家や独裁国家であっても独自の宗教に影響されているのは普通に有る。中国も仏教や道教などの影響に強く影響されているし、ロシアも別にキリスト教徒とは縁ではない。

欧米においては言うまでもないだろう。彼らの文化はキリスト教に基づいている。

さて、そのキリスト教だが、神の言葉を疑ってはならないというのが第一原則であり、神の言葉逆らう者は罰を受け地獄に堕ちるというわけだ。彼らの文化はそのようにして出来てきたから、為政者は神の力を利用し、王権神授説を唱え、国民を絶対的な支配下に置くために神を利用した。それは今でも階級社会として機能している。最近の欧米の若い層は宗教離れが進んでいると言うが、しかし階級社会はなくなりそうもない。

キリスト教から派生したイスラム教も似たようなものだ。

インドのカースト制度がどれだけインドを蝕んできたか説明の必要も無い。かつては世界の文明の中でも代表的なものであったインドがなぜ今の状況になっているか、世界でも最も犯罪とくに強姦などの発生率が高いのかは、偏にその文化による価値観の故だ。

一方、日本も無宗教国家などと言われるくらい若年層の宗教離れが激しいが、分類上は日本国民の大半が仏教徒であり且つ神道教徒であるとされている。私自身も分類上は仏教徒になる。

ただ、それ自身私は全く当然として受け入れている。なぜなら、仏教では悟りが最重要視されているからだ。悟りとは自分で真実を見つけ出し仏になる道を得る事を言う。釈迦が菩提樹の下で悟りをえて仏となった、その前は普通の人間(とは言え王族の子弟だったが)だったことは知られているだろう。

単に仏の言葉をそのまま鵜呑みにするのではなく、自分で仏の言葉も疑い考え、自分自身で真実を悟ることを成仏と言い、すなわち自らが仏になることを言う。ゴータマシッタルダが釈迦牟尼仏になったようなものだ。

仏教には全知全能の神もいないし天地創造をした神もいない。悟りを開けば誰もが仏になる、天地は始めもなく終わりもなく存在しているとされている。

知識として私は宗教を少しばかり学んでみたことがあるが、その為にもいくつかの仏典、聖書、コーランを読んだし、関係解説書も読んでいる。あくまで、学ぶために読んだのであり、信者になるために読んだのではないが、ただ受け入れるとして自分はどの宗教を選ぶかと言えばまあ仏教だろう。仏教徒だとは思っていないが、神の言葉を盲信しなければならないキリスト教やイスラム教は例えその教えが清く正しくともまっぴらごめんだ。

但し、言うまでもないがこれは私の価値観、判断であり、一般のキリスト教徒、イスラム教徒を侮辱する意図は全くない。

ー 続く









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人権万能論

人権とは人間であるために有する権利である。しかし、よく考えてみる必要がある。

人権の範囲は、時代により変わってきた。江戸時代、町民は武士に逆らえなかった(実際はそうでもなかったが)し、女性も男性に逆らうことが出来なかった(実際はそうでもなかったが)

途上国では地位や資産の額で人権そのものの範囲が変わることが当然とされている。

欧米は格差社会であり、求められる人権が階級によって異なる。

宗教国家では、異教徒の人権は無視されるケースが多い。

途上国では女性の人権が存在しない

韓国では親日家は人間ではない

結局人権を主張すべき人間が、本来の人権を知らないし、そもそも本来の人権とは何かなど決まってはいない。

人権とは本人の立場、能力により変わるのが当然と理解すべきではないのか。基本的に本人の希望に添った状況になれることが人権を満たすことになるだろう。その本人の希望をどのように評価するかはまた別の問題である。つまり生まれ育った環境で持った価値観により本人が望む状況が異なるということだ。

例を挙げるなら、中東諸国やアジアアフリカの未開発国では、女性は男性に隷属し家庭を守り、子供を育てるためだけに存在し、それを正しく行って男性に保護されるのが女性として理想の在り方だと教育されそのように本人も信じているなら、それを間違っていると指摘しても無駄だろう。つまり本人の望む人生のためにはそのような教育を親が娘にするのが正しいのだ。それに対し、他国の人間がそれは間違っていると指摘しても、謝った思想を押しつける邪悪な存在でしか無い。

神の言葉が絶対であり、神の言葉を疑うように言うものは明確な敵でしかない。つまり神の言葉、命令を絶対と信じて安息を得ている人間に対し、それを間違っているというのは彼らにとって人権侵害なのだ。

となれば、日本が諸悪の根源であり、自分たちが絶対に正しく世界を指導し導く存在だと信じ込んでいる国や国民、民族にたいしどんな根拠を示して説得するのも無駄というものだ。

無論、世界には様々な歴史や価値観を持っている国家民族が混在している。日本や日本人と同じ価値観を共有する国も民族も存在しないが、ただ人間としての共通点があれば妥協という手段があり、概ねその方法で共存している。その根本的な共通点とは、争いをしないで共存する、他者の価値観に干渉しないという妥協だ。それを守れない者たちは人類共通の敵と認識されても仕方あるまい。ISにも彼らの価値観があり、彼らの人権はあるのだろうが、それを認めることで他者の人権が脅かされるのであれば共存はできない。朝鮮もそうだろう。彼らの場合は、日本以外には妥協しても、日本との共存ができないというなら、日本が彼らを排除しなければ日本人の人権が脅かされる。他国は、自分たちが安泰ならば日本にも、まあ我慢しろという。両者が争えば俺たちが迷惑だという訳だ。当事者以外はそんな物だ。

今韓国と日本が仮に戦争になりそうになった場合、予想される米国の方針はとりあえずは日本の側に立つだろう。韓国を全く信頼していないから。ただ、本当に一触即発になった場合、日本を押さえようとするだろう。日本には理屈が通用し、韓国には通用しないから。

現在でも韓国の主張が全く根拠のないでたらめであることくらい米国は知っている。かつて韓国の言う慰安婦問題でも、日本が韓国の言うようなことをしたとの証拠は米国の膨大な当時の記録にはなかった。日本が過酷な植民地支配をしたとの記録も全くなく、韓国が日本と独立戦争をしたなどと言うおとぎ話も米国は相手にしていない。が、それでも米国がそれを表に出さないのは、韓国を対中対ロの防波堤として使えなくなる、すなわち米国の手を離れることを嫌ったから、日本にあの慰安婦難癖で謝罪を強いたのではないかと思える節がある。

中国やロシアなどは、反米だし反日でもあるから基本常に日本を敵として行動しているが、経済的な利用価値があると思えば微笑外交もする。日本の仮想敵国がこの両国であることは全く変わっていない。が、韓国はこれら両国とは違う存在なのであり、利用価値があるから日本に対し微笑外交をするなどはない。これだけ経済的に疲弊し、日本から制裁を受ければ息の根が止まることは知っているが、それだから日本に対する敵意を燃やす。

世界にはどうにもならない未開国は無数にあるが、韓国のような国は他にあるのだろうか。先進国に噛みついても、金を与えられればおとなしくなる、そんな国なら沢山有る。が、朝鮮は金をよこせ、俺たちの言うことを聞けという。

人権の話題から逸れたが、それが彼らの人権意識なのだ。日本を敵視し優位に立つことが彼らの目的であるなら、それを奪うことは彼らの人権を踏みにじることになる。少なくとも朝鮮人はそう感じる。人権を持ち出した意味が分かるだろうか。

彼らとの妥協は出来ない。今のままで済ませられれば良いが、無数の朝鮮人が憎悪を抱えて日本に来ていると想像した場合、それが何を意味するか理解出来るだろうか。欧米に入り込んだイスラムテロリストと違い、長い年月をかけて日本の教育、メディア、公的機関、政界に入り込んでいるとすればそれが何を意味するか理解出来るだろうか。

現実に米国などはイスラエル系に支配され、地域によっては中国系、そして朝鮮系に侵されている。彼らは米国の価値観に溶け込まず、自分たちのコロニーを作り、地方から侵食している。







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日教組は腐りきっている

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当ブログのエントリー「宗教について」でも書いたが、個人がどのような思想を持っていようと信仰を持っていようとそれは全く自由であり、他からとやかく言うことではないが、それを言動に表し他に影響を及ぼすとなると当然それは責任を伴うのはとうぜんだ。

キリスト教を深く信ずる先生が小学生に、宇宙も生物も自然も神様が7日間で作った。最初に作ったのは光だ、と自分の信仰、信念に基づいて教えれば当然問題になるし、世界は平たい円盤で、それを4頭の象が背中で支え、その象たちは巨大なヘビの上に乗っており、そのヘビはさらに巨大な亀の甲羅の上でとぐろを巻いており、その亀は広大な海を泳いでいると教えると、これもおそらく問題になるだろう。少なくとも日本ではその筈だ。

だが、知的後進国アメリカでは宗教が科学に優先し、特亜では反日オカルト宗教が学校教育のみならず政策としても最優先されており、真実など全く省みられない。しかしその点では日本も人ごとではなく、政府が自民時代から真実の確認無しに戦争責任の謝罪談話を公式に出したり、特亜の捏造プロパガンダに対して正面から反論することもしてこなかった。

これが、

赤文字は引用

「東海」 日本海と併記、米州法案1票差で否決

2012/01/29 08:07更新

【ワシントン=佐々木類】米ワシントン近郊のバージニア州議会で、州内の公立学校の教科書に日本海を「東海」と併記することを求める州法案の採決が行われ、1票差で否決されたことが分かった。歴史的事実を知らない地方議員が韓国系団体のロビー活動を受けて法案を提出していた。米国では最近、韓国系米国人らが日本の教科書の使用中止を求める動きもあり、日本政府は官民を挙げた対策が求められている。

 在ワシントン日本大使館は27日、産経新聞に「重大な問題であり、議会の状況は注視してきた」としている。関係者によると、韓国系団体の動きをつかんだ日本側は、州議会に事実関係の説明を行うなど懸命の巻き返しを図ったもようだ。だが、共和党側から2人が造反、思わぬ接戦になった。地方議会も含めた全米規模での対策の練り直しが求められている。(佐々木類)

 
 の様なことにつながっている。在米韓国人は120万名ほどだが、これらが執拗にアメリカに於いて反日プロパガンダを繰り広げ、アメリカの議員など真実については全く無関心で、とにかく声の大きな主張に対して安易になびく質の低いメンバーが多いことからこのようなことになる。結局、宗教の影響が大きければそれに乗って票を得るのと何も変わらない。だから、先年の、マイク・ホンダ議員の画策により、米国上院で日本に対する従軍慰安婦謝罪要求決議が通ったりしている。
 
 これらは、犯罪者と一般国民の関係に通じる。犯罪者は、法的規制を無視して、嘘も付けば買収もするし盗みも暴力もためらわない。がそれに対抗する一般市民は法的な規制を守らなければならず、嘘を嘘と証明し、買収、盗み、暴力は全く使わない。つまり一方的な攻撃を、手足を縛られた状態で対抗しなければならないわけだ。そこに、真実はいつか伝わるなどと言う希望は成り立たない。
 
 さらに、日本国内にこのような存在がいるのだ。いわゆる日教組であり、次代を担う子供達の精神を食い荒らし、自分たちの後継者を次々に再生産している。ただし、希望があるとすれば、日教組発足当時の教員の加入率は86%だったが、現在では30%を切っており、新規加入に限れば20%になっている。しかしこれはゼロにしなければならない。実態は社民の支持母体であり、売国政権民主の温床なのだ。
 
 思想信条の自由、結社の自由はむろん、日本では認められている権利だが、犯罪思想の普及および、犯罪組織の結成は取り締まるべきだろう。なぜ、日教組は犯罪思想の普及をする犯罪組織なのか。
 
 昨日このような記事を読んだ。

Wiki 日本教職員組合

「反原発」イデオロギー強制も 日教組教研集会で報告

2012.1.29 22:13  全文引用

 教研集会では、「反原発」など日教組のイデオロギーを一方的に押し付けるような授業が今年も報告された。

 仙台市立高校の男性教諭は現代社会の授業で、原発の危険性などを取り上げた上で、学科ごとに原発に賛成か、反対か、を問う趣旨の質問を実施した。

 教諭は、反対が少ない学科もあったことなどについて「教職員の授業における操作的射程は意外と成功しなかった」と報告。さらに「社会科の教師は、ある意図をもって授業をしようとするわけだが、そうはなっていない状況がある」と総括し、これまでにも自身のイデオロギーを生徒に一方的に押し付けてきたことをうかがわせた。

 神奈川県藤沢市立小学校の男性教諭は原発事故後、「情報が操作されている」ことなどを理由に「一つの考えしか許されなくなるのは、太平洋戦争前夜の社会状況に似ている」とし、「間違っていることは間違っているといえる子供たちを育てていきたい」と話した。


まず、ここで問題になるのは、自分たちだけが私的な集まりで、原発反対を確認しあい、それを主張として訴えるのであれば全く問題はないだろうが、教師として生徒に脱原発に意識を植え付けるとなれば、ちょうど個人で宇宙は神が造ったと信ずる内容を、科学に優先して生徒に事実として教えるのと何ら変わらないと言うことだ。

確かに宇宙がどうして出来たかは未だに不明であり、それを実験で確認するなど不可能なのだから、未来永劫解明できないだろう。が、現在の科学の手段を尽くして物質自体の性質を実験室で再現したり、ありとあらゆる観測技術と装置を駆使して傍証を固め、現時点では、ビッグバンが最も整合する理論として採り上げられている。したがって、科学の授業でも、未確認ながらもっとも整合性がある理論としてビッグバンが教えられるわけだろう。将来、もしあらゆる傍証を駆使して、誰かが何らかの意志を持って宇宙を作ったことが科学的に最も整合性があるとされたら別だが、それまではビッグバンを教えるのが教師の義務であるはずだ。

脱原発を自分が信ずるのはかまわないが、それが証明されていない時点で生徒にそれを一方的に押しつけるのは、教師として犯罪行為ではないのか。むろん、同様に、一方的に原発推進を生徒に教え込むのも犯罪行為だ。

教師がすべきことは、可能な限りの資料を集め、自分で判断する能力を生徒に持たせることだろう。原発推進、脱原発のそれぞれの根拠を生徒に与え、また自ら集めさせ、それなりに生徒がその時点で判断すべきことなのだ。だが、「間違っていることは間違っているといえる子供たちを育てていきたい」と話したという教師は、原発推進が間違っているとの前提でしか考えていない。

このような視野の欠落した教師に教えられる生徒は生涯にわたって大きな被害を受けると言っていい。泥棒村の泥棒学校で、良い泥棒になるための教育を生徒に施した場合、その生徒は他の社会では犯罪者にしかなれないし、一生を刑務所で過ごすことになる。

原発推進が間違っていると信じ込んだ人間が増えて、何故原発推進が悪いのかの理由を考えないまま原発が停止されることこそ、重大な犯罪行為ではないのか。

日教組と言えば、例の興石東氏の教育に政治的中立はあり得ないとの認識が良く知られているが、教育という手段を手中にすることで国の将来を左右するのが当然だと言うことに他ならない。

教育者の犯罪行為としては、たとえば次のような例が良く知られている。


Wiki 広島県立世羅高等学校

校長は教職員の執拗な抵抗に追い込められたことが自殺の要因であるとし、自殺の7年後に公務災害に認定された[4]

後日、産経新聞による教師への取材によると「韓国でどう報道されているかは分からないが、宣言文を読み上げる前に生徒たちが座った形で集会を開催。座ったままで黙とうした。眠たさの為、頭を下げていた生徒もいたと思う」と話していたという。また、読み上げた宣言文の内容[6]については、生徒たちが考えたものだという。

事実、世羅高校の修学旅行先で生徒達が植民地支配に対し土下座をして謝罪したと韓国側の報道にあった。実際そのような謝罪はなかったとも伝えられているが、上記のようなことを教師が言うのであれば、実際にそのようなことがあったと断定して良い。なぜ、生徒が自主的にそのような企画を立てるようになったのか、なぜその企画に対し事実を確認すべきだと教えなかったのかが全く彼らの思考にはない。生徒達が勝手にやったことだ、自分たちはそれを傍観していただけだと言っているのだ。盗人猛々しいとはこのようなことではないのか。

次の例は、生徒に教えたわけではないが、教師がこのような認識を持っているという例だ。

北教組まるで売国奴、とんでも偏向教育「竹島は韓国領土」

 「文科省が中学校歴史の解説書に『竹島(独島)の領有権』を明記したことは、韓国にとっては、侵略・植民地支配を日本が正当化する不当極まりないものになるのです。歴史事実を冷静に紐解けば、韓国の主張が事実にのっとっていることが明らかなだけに、事は極めて重大です」

日教組も北教組も私的な集まりではない。また教師としての集団であって特定の思想信条を方針として持つべきではないのではないか。教師がこのような認識を持って授業に臨むことを見過ごして良いわけがない。よく考えると天動説は正しいことが事実に則っていることが明かです、と彼らが言い出せば、それもそうだと見過ごして済むことではないだろう。

ここに挙げた例はほんの氷山の一角であり、全国でこのような例が相次いでいる。これはあとからの追記だが、

中学授業で「百人斬り」 自虐的教育を報告 日教組教研集会


 ところが、長崎県新上五島町立中学校の男性教諭は「加害の事実」を教える平和学習として、“百人斬り”の新聞記事や写真を生徒たちに見せ、「日本は中国に攻め入って、たくさんの中国人を殺しました」「戦争になったら、相手国の人をたくさん殺せば殺すほど勲章がもらえてたたえられるんです」「だから殺されたのは兵士だけでなく、一般のお年寄りや女性、子供たちもです」と語りかけていた。

 生徒たちは授業後、「中国人は日本からされたことをすごく許せないと思う」「事実を知った今、つらい過去と向き合い、立ち向かうことが償いだと思う」といった感想を述べていた。


事実上南京虐殺を事実として教育しているわけだが、これは明かな国家反逆であり、利敵行為ではないのか。世が世であれば死刑にもなりかねない犯罪なのだが、今の世では精々けしからん、不適切であるで終わってしまう。

またしても長崎だが、長崎は被爆地であることにつけ込んだ左翼が多数潜り込んでいる地域であり、単なる偶然ではあるまい。教育を手に、子供達に一方的な思いこみをさせるのは、国の将来を毀損するに均しい。以前も、NHKの高校歴史講座で、国の正式な見解とは全くと異なった嘘を教え、しかも国の正式見解を無視するようなことを繰り返していた。

特亜では学校で教える歴史が、政府の作り上げたおとぎ話であり、それで洗脳された特亜人が日本に敵意をもつ。日本人でありながら日本の子供達に、国家に対する敵意で洗脳する教員は、明らかな国家に対する犯罪者ではないのか。
上記に引用されているURLの記事を読む場合は下記の「続きを読む」をクリックしてください。但し、内容確認以外なら、敢えて読む必要はありません

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そりゃないよ、中国さん

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私自身は愛国者だと思っているし、愛国心は当然必要だし、そして愛国心を育てる教育ももちろん必要だと思っている。

ただ、愛国心というととかく日本では右翼だとか、甚だしくはネトウヨと言われるそうで、先日あるアンケートで、息子がネトウヨになったらどうしますか、との問いに、性根をたたき直す、あきらめる、時間が経てばまともになると信ずるなど、さんざんな回答が多くを占めたそうだ。

ネトウヨとはあからさまな差別意識を持って他国、特に中国や韓国人を罵る連中だという定義が本当にそうなら、むろん、私はネトウヨではない。右翼でもない。私のイメージだが、本来の右翼の意味を離れて、(本来の意味とは、共和制になったフランス議会で保守系議員が議場の右翼に席を取ったから、即ち保守系という意味)、やはり他国、特に中国韓国を批判攻撃し、日本を至上の国家であると主張する人々らしい。

確かに私も日本を良い国だと思っているが、至上の国家であるかどうかはあくまで主観の問題であり、別に日本が世界に君臨したり他国の人々が日本を仰ぎ見る世界が来ることを願っているわけではない。他国、特に特亜は批判するし、時には攻撃もするが、それについての根拠は常に示している。故無く他国を批判攻撃した記憶はない。

私の愛国心とは、この国の自然、歴史、国土、人々、文化を身のうちに感じ我が身を慈しむと同じ心を持っていると言うことだ。そこに理由はない。自分自身が誰でも大切であるように、私にとってこの国は大切なのだ。言うまでもなく、私がこの国に生を受けこの国の言葉を学び、この国の食べ物を食べて育ち、この国文化価値観に包まれて生きている。それが私の愛国心をはぐくんだのは言うまでもないし、当然他の国の人々もそうだろうと思う。私が不思議なのは、私と同じようにこの国で生まれこの国の文化や価値観の中で育ってきた人たちに、この国を憎悪し破壊しようとする連中が居ることだ。精神形成の過程で何か重大な欠陥があったのだろう。

当然、私も愛するからにはこの国を知ろうとする。わずかながら歴史を学び、文化を考察してこの国が世界でも一番古い国家であり千年も昔の文化と超近代文化を現代に融合させている極めて珍しい国であり、治安が良く人々が穏やかで他国もそれは認めざるを得ないという事実を知り、ますますこの国は愛するに足る、そして守るに足る国であると確信した、それだけのことだ。

ところが、中国や韓国などでは、愛国心が何より大切だと政府自ら教育に力を入れているようだが、どうもその方向性に問題がある。

赤文字は引用

【中国ブログ】中国有名歌手が日本を罵倒「それは愛国主義でない」

【社会ニュース】 2012/01/01(日) 12:08

 韓紅氏はマイクロブログで「日本人を永遠の敵とする」、「日本製品は今後一切使用しない」と誓ったものの、責任を負えなくなったのかすぐに削除し、「映画の批評はしない。ただ中国人として日本人が中国人を侮辱するのを見て怒っている」と書き直した。
 
 これは先日来ネットで報道されているが日本でも余り関心を呼ばなかったようだ。またか、というだけのことだろう。実際中国にはこのような人間が多い。かつても日本人お断りと張り出したレストランや、東条英機が縛られ跪いている像を造ったホテルなどが紹介されている。つまり、中国社会はとにかく全てが注目を浴びることにかかっており、自分が愛国者であることを示すためにこのようなことをする人間が多い。これは韓国にも同じことが言える。
 
 日本人の反応は概して、馬鹿、の一言だろう。別に日本国内で、中国人お断りや(まああまりにマナーが酷くてそうせざるを得なかった例は聞いたことがあるが)、江沢民の跪いた像をロビーにおいたホテルの話も聞かない。
 
 要するにそんな幼稚なことをしても周囲の人間があれは愛国者だ等と言わない国だからだ。と言うより、欧米先進国と目される国々でこのような例を聞いたことがない。報道されないだけかもしれないが、ロシア人、イスラム教徒お断りの貼り紙の話は聞かない。ただし、上記の例のようにあまりのマナーの悪さに、韓国人、中国人お断りの貼り紙を出す土産店やレストランの例は聞くし、ホテルがこれらの国の人間を泊めないと言う話も聞いた。
 
 国家に対する侮辱ではなく、純粋にマナーの悪さが原因であり、それらの国々で韓国人がアイアムザパニーズというのは良く知られた話だ。
 
 この有名歌手が日本を永遠の敵とすると吠えるようなことは、韓国タレントが日本では愛想を振りまきながら帰国すれば日本をあしざまに言わなければ受け容れられない状態と似ている。
 
 有名人の対日姿勢は人気に影響するので、発言するときは愛国者を強調しなければならないのが中国韓国であり、日本では、有名人が韓国はすばらしい、良い(実際に本人が良いと思うなら全く問題はない)と発言してもとやかく言われないのとは対照的だ。
 
 留瀬氏の奥さんが韓流フアンでもそれで離婚沙汰になるわけでもない。
 
 さすがに、この韓紅氏の発言に対しては、むろん多くの賛成意見がある物の、批判者も出ている。それは先の日本人お断りレストランや東条英機ホテルの場合なども批判はあった。
 
 たとえば、この記事の筆者は次のように続ける。 

 筆者はこれに対して「怒って彼らを罵ってどうなる」と問いかけ、「それは何の役にもたたない」と答えた。中国人は怒ると「すぐに汚い言葉を吐き、馬鹿なことをしてしまう。これは中国と中国人の品格を損(そこ)なうだけ」と非難し、むしろ「言葉を少なくし、行動によって証明しよう。人を罵らずに、自分を磨こう。それこそ知恵のあること」と述べた。
 
 これは全くその通りだ。中国政府があの北京五輪や上海万博の時に大号令をかけて世界中の人たちに恥ずかしい思いをさせないようにマナーを磨こうと大キャンペーンを行ったが、結果は芳しい物ではなかった。結局面子優先の国では、真実の証明など全く意味が無く、もし日本に反感を持つなら、なぜ日本の行為が許せないのか、或いは実際にその行為は本当にあったのかから確認し、それに基づいて冷静に日本に抗議する方がよほど日本にとって応えるだろうし反省につながるだろう。
 
 が、その事実が証明されたことがあったろうか。無い。全くない。
 
 今回の韓紅氏の言葉も、一連の張芸謀(チャン・イーモウ)監督の南京映画の一つを観てそう思ったとのことだが、チャン監督自身は憎しみを書き立てるために作ったのではないと言っている。彼は他にもフランスやドイツとの合作で「ジョン・ラーベ」等を作っているが、これら一連の南京事件を扱った映画は、決して公平なドキュメンタリーなどではなく、事実があったかどうかの検証が無く、あったという前提の元に創作映像を恰も当時の記録フィルムのように加工して挿入するなどの印象操作を行っている。
 
 張芸謀監督が世に出たのは「紅いコーリャン酒」(国民的女優コン・リーのデビュー作)のようで、私も観たが、中に日本軍人が中国人ゲリラの生皮を、皮剥ぎ職人にやらせるシーンが出てくる。この作品が作られた1987年当時の中国では江沢民がはっきりと反日政策を打ち出した年でもあり、また中国の映画が全て国家宣伝のための手段であると言いきれる事態からすれば、この評価の高い映画もまた内部にさりげなく日本軍の残虐性を描いた恣意的な物だろう。
 
 映画を使って反日感情を国民に植え付け、さらに世界中に宣伝するやり方は今ももちろん中国では変わってはいない。張芸謀といえば、国際的にも評価の高い監督であり、仮に北京オリンピックで数々のインチキが暴かれたとはいえ、そのプロデュース能力は十分知られている。
 
 彼が恰もドキュメンタリー映像のように作り上げた数本の反日南京映画が世界各地で上映されている。それは中国の国策であり、いくら本記事の様な過激な言動に対す批判が出ても、国民には感情レベルでの反日が植え付けられているのが中国の愛国教育なのだ。そして、世界中に反日プロパガンダを今日も繰り広げている。
 
 したがって著者はこのように言っている。

 さらに筆者は、愛国主義とは国家・国民が少なくとも顧みるべき規範であると述べ、それは「見栄(みえ)のうえに築かれるべきものではない」と述べる。愛国主義は必要であり、日本軍の侵略の歴史を忘れることはできないと自身の気持ちをつづりつつも、「愛国主義には理性が求められる」と強調。
 
 愛国主義に理性は尤もだが、日本軍の侵略の歴史にその理由を求めるなら、当時中国がどうだったのか、なぜ中国は侵略されたのか、当時の世界は弱肉強食であり、日本軍が入って行くはるか以前から、中国は列強に蹂躙され分割され支配されていたのではないのか。なぜその歴史が抜け落ちているのかを考えてみるとき、中国の、侵略日本のイメージが極めて恣意的に扱われているとしか言えない。
 
 確かに、中国で日本軍は戦争をしたのだから、中国人にしてみれば侵略と考えても無理はないだろう。それは認めるべきだ。日本には日本の理由があり、当時の国際情勢があり、国家の安全保障の観点から中国に攻め入らなければならない理由はあったと思うが、それは中国人には関係のないことだ。
 
 だが、同時に中国人が考えなければならないのは、なぜ中国が侵略されたか、なぜ日本以前に中国を蹂躙した欧米には反感を持たないのか、当時の国民党や共産党が中国人民に対して何をしたかだろう。
 
  さらに「手を振り上げ、汚く罵るのは決して愛国主義ではない」とし、本当の愛国主義とは国民1人ひとりが道徳や民度を高め、なすべき仕事をきちんと行なうことでさらに国家を強めるというものだと述べた。続けて、国家や民衆が富むことによって、中国人は自尊心を保つことができ、もし中国人が派手に相手を罵ったとしても、日本は何一つ害を受けないと指摘、「日本のような国こそ強国なのだ」と称賛した。(編集担当:畠山栄)
  
 大人の対応と言いたいが、基本的に反日を克服するのが愛国心であると結んでいるところに問題がある。その反日感情の原因は何か、誰がそれを国民に煽っているかをもっと書かなければならないだろうが、むろん、中国でそのような発言が日の目を見るはずがない。
 

【中国ブログ】鬱憤を晴らしたいだけ?日中の愛国の違い

  ブロガーは内容面の違いでは、中国式愛国は「党を愛し、政府を愛せよ」という教育であり、日本式愛国は「民族を愛し、国土を愛せよ」というものだと考察する。続けて、中国人は政府に同意しない場合は「不愛国分子」とみなされるが、日本人は政府を批判しても問題ないと指摘。また、日本で米国兵による日本人女性強姦事件が起きた際、日本で米国兵に対する反感が持ち上がったことを指摘しながら、中国人は他人には興味を持たないと語る。
  
 中国に於ける愛国心とは、政府の反日政策にいかに自分は従い行動で示しているかを大げさに見せることが大切だと言うことだ。そもそも、原論思想が厳しく制限されている国の人間の主張と、曲がりなりにも各論が自由に発言される欧米や日本での論争などあり得ない。中国人の反日感情宣伝など、惨めな奴隷の不満の発露でしかないが、むろん政府のもくろみはそれであり、その政府のもくろみに逆らえば生きてゆけない国の現状を示している。

  続けてブロガーは「歴史を紐解けば、敵の存在しない民族は存在しないだろう。日本人が米国人を恨むように、我々も日本人を恨んでいるが、日本人は米国人に対してどのように対応しているだろうか。日本人は米国の犬に成り下がろうとも、自分たちの子孫が再び米国から迫害されないようにしている。これは自己的ではない偉大な愛である」と語る。
  
  したがって、筆者のこと言葉にもそれが端的に現れている。日本は冷静だと言いながら、日本は米国を恨んでいるはずだがそれを口にしないとか、中国人は日本を恨んでいるが、とか日本が米国に犬に成り下がってもとさんざんだ。
  
 個人的にアメリカを憎んでいる日本人はいるだろうが、国策として反米を政府が取ったこともないし、実際日本では親米感情が反米感情を大きく上回っている。また、日本が米国の犬に成り下がっていると言うが、中国は奴隷であり、そしてさらに中国人を恨んでいる民族はたくさんある。現在も世界での謙中意識は高まるばかりだ。何故そうなのかを、中国国内では議論できない。中国人のマナーが悪いからだくらいの意見はマナー向上を目指す政府の意向と合致するからよく出てくるが、実際に中国という国の異質さ、嘘で固めたその体質が世界から忌避されているのだという根本原因がネットで語られることはない。
 
 ただ、次のような現実も中国はネットで流している。むろん、これも中国政府の意向だが、
 
ネットユーザーは分かっている?9割が「中国は超大国ではない、うぬぼれは禁物」と回答―中国

「あらゆる工業製品を輸入に頼り、洗剤まで米国に独占されている」「政治改革、経済発展、地域情勢など、厳しい問題に直面している」「社会矛盾が深刻化し、生活レベルは欧米に大きく劣る」「南シナ海、南チベット、釣魚島、台湾を回収できずに超大国を称することはできない」といった声や、「うぬぼれは『全世界の標的』になることを意味する。かつて帝王が語った『深く穴を掘り、糧食を蓄え、徐々に王を称す』という戒めは今も有効だ」「発展途上国として、実情に基づいて発展の道を見つけてほしい」などの意見が上がっている。

国土の広さや人口の多さから言えば中国はむろん、間違いなく超大国だが、政治的、文化的、国民の資質では世界でも最も低いレベルの国でしかない。これはロシアにも言えることだが、大国の規準が、他国に対して意思を通す力、というのであれば中ロは最近その力をましている。アメリカが大国だというのも、経済大国や科学大国だからではなく、あくまで国際的な発言力による物であり、そしてその力の背景の多くが軍事力だ。

したがって、中国が大国を目指している一番の近道が軍事力の獲得であり、ロシアもそれと同じだ。それらがなければ、両国とも世界では完全に孤立し相手にされないからだが、いつまでそれにもちこたえられかは世界情勢の変化によるだろう。

中国やロシアが軍事大国化すればするほど、世界から脅威と見なされ包囲網が形成されつつある現実を両国とも何故なのか、どうしてこれほど自分たちが嫌われるのかを考えてみた方がよい。さもないと、貴重な人材が際限なく富と共に流出するだけだ。それに耐えられる国があるとも思えないが。

一方、賛成とした7.8%は、「経済をしっかり管理し、社会の雰囲気を良くすれば、自然も人材も豊富な中国が超大国にならないと考えるほうが難しい」「自信を持つべき」「米国も問題を抱えている。発展の中で解決していけばいい」などと回答した。(翻訳・編集/岡本悠馬)

つまりは、今の中国に不可能なことをこれらの超大国肯定派は言っているわけだ。

さて、愛国心を示すために日本を罵るのは中国人だけではない。韓国人も日々それに研鑽を積んでいるが、彼らの手段には侮辱という分野もある。が、それも裏付け無しの侮辱では、普通の人間は見透かすだろうし、痛くも痒くもないというのが実際なのではないか。即ち、自己満足のための日本侮辱なのだが、本人達はそれで嬉しいのだろう。

【韓国BBS】韓流好感度は日本が最高「韓国文化の植民地」

●道行く人2
  劣等感のかたまりで、ガラパゴスの住民。

●涙ちょっと磨いて
  韓流に関心がなければ、コメントを付けなきゃいいのに。

●徐羅伐
  日本のネット右翼は、必死に現実を否定する(笑)


韓流が日本では広まっていて、まるで日本が韓国の文化植民地になっているとの話題で盛り上がっているのだが、日本で韓流が好きなら別にそれは本人の好みであり、とやかく言う理由もないし、ただ問題はテレビ局などが明らかにデータを捏造して韓流ごり押しをするから反感が出るだけのことだ。

それに韓国が日本文化の劣化コピーで成り立っていることはありとあらゆる日本文化をウリジナルと言い立てるその在り方ですでにはっきりしている。テレビ放送、お菓子、K-ポップなどなど、枚挙にいとまが無く、一々反論する気にもならない。

ここまで彼らの劣等感がきわまっているのか、と今更ながら思うだけのことだ。


●自分自身
  いつまで親日国家が多いと思っているんだろう。世界がまだ日本をものすごく好んでいると勘違いしているようだ。

  
 ええと、勘違いではなく、実際のデータとして明らかなんですがね。日本人はほとんどの国でノービザで旅行が出来るが、韓国人はどうなの?と聞いてみたい。なぜアイアムザパニーズと言う言葉が有名なの?どうして朝鮮人売春婦がかくも大量に各国で摘発され、中には中国人女性が海外旅行をする場合は売春をして旅行社が罰せられる事態に備えて特別金を徴収するの?なぜ世界中の多くの国で、韓国人は一緒に生活の出来ない連中だと言われるの?と質問はいろいろある。してもしょうがないが。

●クール街
  漢字を日本に伝えた王仁博士から始まり、朝鮮通信使もそう。日本が私たちの文化に夢中になるのは昨日や今日のことではない。

  
  王仁博士が漢字を伝えたかどうかはかつて教えられているのだが(私もそう教えられた)、単にそのように韓国が言っているだけのようだ。そもそも王仁博士が実在したという説には多くの疑問が呈されており、また実在したとしても彼は朝鮮人ではなく漢人であったとされている。さらに、記紀などには(これはほとんど歴史書というより伝説書に近いが)、彼が文字を伝えたという記述はないようだ。朝鮮通信使が日本に文化を伝えたというのは韓国で教えられているおとぎ話であり、実際は鶏泥棒の朝貢使であった。

●モモンガ
  この結果を見ても、現実逃避しているんじゃない?

  
 はいはい。
  
 しかし、韓国といえどももちろん全員が現実から目をそらしているわけではない。上記もあくまで数あるブログの一つでありそれが韓国人全ての思いと言うことではないのは付け加えておく。そこが、中国政府の意向に添わない言論がネットに出てこない中国ブログとは違うところだ。
 
 つぎの記事は多分に釣りの可能性があり、果たして冷静なコメントが多い。

【韓国BBS】すし以外に特別なものがない和食「韓国料理は多様」


【社会ニュース】 2012/01/02(月) 13:27



●スレ主:slavicgirl

  日本はすしがあまりにも有名な料理だけど、それ以外に特別なものはないような気がする。あったとしても、うどん、どんぶり、刺身類、天ぷら程度??

  一方、わが国は料理方法も、食べ物の種類も多種多様。煮物、汁、チゲなど、薬味料理も多い。

  ただ、世界に知られていないというのが惜しい。とても辛くて世界化されるのが難しいのか?トッポッキについて外国人に聞いてみれば、両極端の意見がありますよね。

  
 むろん、料理の好みはその民族が長年作り上げてきた物であり、その民族にとって旨いなら他の人間がとやかく言うことではない。が、そこは人間、どうしても優劣を付けたくなる。そして客観的か経済的力の故かはともかく、日本には本場フランス以上の三つ星レストランがあり、世界の多くのシェフが日本料理にヒントを得ている。
 
 先頃も世界で旨い料理50を選べ、と言うアンケートで、アジアから19品目が出たが、日本は3品目、しかし韓国からは一つも選ばれず、ネットで炎上したとか。
 
 さりげなくURLだけ紹介しておく
 
世界美食ランキング50に韓国料理が1個も挙がらず…韓国ネット上はなぜか日本を非難

はたして、上記のスレ主の言葉に対し、冷静なコメントが並び、スレ主に同意する物は少なかったようだ。

●ゲソルゲソル
  私は、日本食は意外に種類が多いように思う。フーズコートなどの飲食店街では、伝統料理でなく現代的などんぶり料理、鉄板料理、寄せ鍋、天ぷら、うどん、ラーメンなどが並んでいます。私たちも現代的な方式に、新しい食材を加えるなどして、新しい食べ物を創作してみればどうでしょうか??

  
 日本人が一番好む食材を一番好む方法で調理したのが日本食であり、そして、日本は細長い国で四季があり、海も山も川もある国で、つまりは日本各地でそれぞれ独特の食材や気候に即した料理が発展し、それが今ではほとんど全てが互いに知られるようになっている。当然日本料理のバラエティが多様になるのは当たり前であり、また日本人は極めて好奇心が旺盛であり、海外の料理でもあっという間に日本式にアレンジしてしまう。そして客がうるさいために店は料理に工夫を凝らし(確かに海外では客の好みなど意に介していない料理が多数ある)
 
 ある料理人に聞いたのだが、日本には醤油という完全無欠な調味料が出来てしまったので、西欧料理のようなソースが全く発達しなかったとか。新鮮な食材が豊富に手に入り、醤油があるのでは、確かに日本料理がほとんどソースなしに発展し多様化したのは分かる。なにしろ、世界中で今では醤油はスタンダードな調味料になりつつあるのだ。
 
 アメリカでステーキを注文したら頼まないのに醤油瓶が出てきた。日本人に対する心遣いかと思ったら、別のテーブルにも醤油の小瓶がおいてあった。まあ、特別なケースだろうとは思うが、やはり何となく嬉しい。
 
 これが日本の料理の質を高めた理由だろうと私は思う。が、あくまで料理とは国民が育てる物だ。日本酒が今世界に広まりつつあるが、マッコリや朝鮮焼酎が広まるには酒文化を支える料理文化の充実が不可欠だろう。其れを無視して、朝鮮マッコリ、焼酎の世界化をやろうとしているが、無理ではないのか。私は、酒はほとんど飲まないと言っても、マッコリは特別大嫌いだ。が、それはここで力説することではない。

愛国心の話からまたずれたが、すくなくとも一部のネトウヨのように感情にまかせて中韓の馬鹿な煽りに乗せられようなことはしたくはない。私は、特亜が国策として歴史を捏造してまで反日を国民に煽るから嫌いなのであって、同じく或いはそれ以上に国内で日本を憎悪しおとぎ話を元に日本を毀損する獅子身中の虫共が大嫌いなだけだ。特亜の国の成り立ちは極めて残虐であり歪んでおり異常だが、これら獅子身中の虫達の生育にも同じようなゆがみや異常性があったに違いないと想像している。


上記に引用されているURLの記事を読む場合は下記の「続きを読む」をクリックしてください。但し、内容確認以外なら、敢えて読む必要はありません

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あの戦争について

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あの戦争とは、第二次世界大戦であり、特に日本について言えば日米戦争をさす。むろん、日中戦争も切り離せないのだが、今回は特に日米戦争について採り上げてみたい。この件については、当ブログのエントリー「あの戦争は間違っていたのか」でも採り上げているが、結論を言えば、あの開戦は唯一の選択であったと思っている。

ただ、戦争自体が極めて悲惨な物であり、避けるべき物であり、絶対的な大義名分など存在しないことは言うまでもない。その上で、あの戦争は(に限ったことではないのだが)日本が唯一生き残るための選択であったと確信している。

人道主義者、平和主義者は何があっても戦争をすべきではなかった、負ける戦争をしたのは愚かだ、アメリカの挑発に乗ったのが悪い、戦争で失うくらいなら、何もしないで失う方が良かった、戦争になったら抵抗せずに黙って死んでゆくべきだ、といろいろな意見が出る。特に、抵抗せずに黙って死んでゆくべきだと言う連中が最近増えてきたようだ。むろん、自分たちだけが死んでゆくならご自由にどうぞ、と言うだけだが、その巻き添えで日本という国が存在を止めることなど到底受け容れられる物ではない。

戦争は正義と正義のぶつかり合いであり、悪いと知りながら戦争を仕掛ける国など無い。自分の正義を通すために他国を武力で制圧するのだ。特に、七十余年前はそうだったのだ。戦争はしたくないので、攻めてこないでくださいと相手にお願いして済む時代ではなかったし、実際に戦争をしなかったためにというより、戦争をする能力を有していなかったために歴史から消えていった国や文明、民族は多い。

あの戦争の折りは、まさに日本がそうなる可能性があった。今の感覚で考えても意味はない。今の感覚なら、たとえばアメリカがイラクを攻めても、アフガニスタンで戦争をしても、ベトナム戦争であろうとも、喩え勝ったとしてアメリカがイラクやアフガニスタンを自国に編入し、植民地化し全てを収奪するなどはあり得ない。が、当時はその可能性があったのだ。

まず、

赤文字は引用

当ブログエントリー「腑抜けの領土」

よりの抜粋として、
 
またスターリン自身の言葉として

「「一つだけ明確なことは、なぜソ連が日本を敵として参戦するのか。その理由をソ連国民に説明するのに困難を極めるだろうということです。なぜ大きな紛争を抱えてもいない日本を敵として、ソ連が戦争しなければならないか、国民は理解できないでしょう。(中略)これらの条件(日露戦争で失った領土・権益の回復のこと)が満たされるならば、国民は対日戦争を国家利益に関わることなのだと納得し、我々が参戦の理由を説明することもずっとたやすくなります。」(「ボーレン覚書」より)」

というのがある。

つまり、あの時期日本とは紛争がなかったにもかかわらず、日露戦争で失った領土を取り戻す必要から参戦したと言っているのだが、むろん、日露戦争はポーツマス条約により完全に講和しており両国間にいっさいの領土的未解決事案がないことを確信している。さらに日ソ不可侵条約をもって、両国は互いの領土の不可侵を確認している。


結局、戦争とは一方の国が他方をどのように裏切ろうと、それを正当化する物なのだと理解すればわかりやすい。ソ連が日本の敗色が決定的になった時点で戦後のアメリカに対する発言を確保するために、一方的に不可侵条約を無視して満州になだれ込み、数百万人もの日本人を戦火にさらした。民間人と兵隊六十万名を(一説には二百万名以上)捕虜としてシベリアに送り、厳寒の中まともな食事も与えず、数万名以上を死なせた。

これは戦後武装解除をした日本軍と民間人に対して行われた行為であり、明らかに国際法に違反しているのだが、ソ連は何ら責任をとらず、一度かつてのエリツィン氏が来日した際、非人間的行為だったと謝罪しているのみだ。

戦争でもないのに(戦争は終わっており、日本が降伏した後)このような行為をした国がその正当性として、日本が当時ファシストであるナチスと同盟を組んでいたからだと、ロシアではわざわざ議会でそのように決議している。このような国が隣にあるのに、戦争は悪だから黙って無抵抗でいようとするのが日本の一部の平和主義者達だ。

なお、余談だが、当時樺太にいた朝鮮人も一緒にシベリアに抑留され、その補償を今日本に求めている。なぜロシアに求めないのか。つまり取れるところから取る、強請れる相手を強請る強請るという、韓国の面目躍如たる物がある。

幸いと言えば幸いだが、韓国には今は日本に侵攻し攻略する能力はない。が、もし彼らが強大であれば、迷わずそうするだろう。彼ら自身が日本に対して侵攻しなくとも、もしロシアや中国がそうすればおそらく迷わず彼らのさきがけとなるだろう。

アメリカが当時紳士的であったとは到底言い難い。今のロシアや中国と余り変わりはなかった。だからこそ、戦争が始まった途端に日系人を強制キャンプに送り込んだ。そのため、多くの日系人が生活を破壊され、財産を失った。

レーガン大統領の時代になってやっと一人あたり二万ドル程度の補償をしたが、戦争当時日系人が失った物は、当時の価格で二万ドルで済むわけではなく、さらに金では償えない物を失ったのだ。それでもロシアよりはましだと言うより仕方がない。それに、なにより日系人差別がアメリカによる過ちだったとの声がアメリカ内部から起きたことも、いかにもアメリカらしいと言える。過ちを自ら認めることは評価できる。問題は、同じ過ちを何度でも繰り返す学習能力の無さだが。

日系人の強制収容は、ブラジル、ペルーなどの南米諸国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどでも行われた。カナダなどは一部賠償をしたが、すでに強制収容された大半の日系人が亡くなっていた。

戦争をしなかった場合、日本が存続し得たろうか。当時起きたことを考えると、到底それはあり得ないと考えるのが当然ではないのか。

確かに戦争は悲惨であり避けるべき物だ。が、当時戦争をしなかったら今の日本はなかったのだ。戦争の遂行にも様々な間違いはあり、また日本の行動の全てが正しかったとは言わない。だが、日本もまた今の日本ではない。当時の日本だったのだ。貧しく工業輸出などは皆無であり、資源のほとんどを輸入に頼らなければならない状態だったところへ、アメリカによる資源封鎖が行われた。となれば、乾坤一擲、戦う以外の選択などあり得なかったし、アメリカに屈服することが日本という国の存在を失わせることは当時のアメリカによる強烈なアジア人蔑視対日敵視政策から疑いもなかった。

先のスターリンの言葉で分かるように、ソ連には日露戦争の敗北の復讐という、戦後判明した理由があった。日中戦争では、中国側に日清戦争による敗北が大きな理由として存在し、それは未だに尾を引いている。韓国は日本に近代化させて貰った事実に対し逆恨みをしている。アメリカとはそれまで戦争をしたことはなかったはずだが、それでも日清日露戦争で日本がアジアを制してしまったために、西欧に続いてアジアで権益を得ようとしていた出鼻をくじかれたという思いがあった。

なにより、強烈な人種差別が当時は世界を支配していたのだ。帝国主義が当然の時代であり、優れた強い白人が劣る弱い有色人種を支配するのが当然と思われていた時代、日本はアメリカから見て極めて目障りだったのだ。

改めてそれを思い起こさせる記事が最近公表された。

「ルーズベルトは狂気の男」 フーバー元大統領が批判

 【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874~1964年)が、日本軍が1941年12月8日、米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882~1945年)について、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。
 
 アメリカでは戦争に突入した大統領は常に支持率が高いが、ルーズベルトも未だにアメリカを偉大な勝利に導いた大統領として、実際に終戦時の大統領であったトルーマンよりも人気がある。なお、トルーマンについては機会があったら書いてみたいが、前任者のルーズベルトの死により、選挙を経ずに大統領になった男で、功を焦る余り、日本が講和を望んでいることを知りながらソ連の参戦を許し、ソ連を牽制するために日本に原爆を落とした男として知られている。そのやり方に対し、アメリカ国内でもトルーマンの評価は低いとのことだが、対照的にルーズベルトの人気が高い面もあるだろう。だが、所詮当時のアメリカは人種差別が国を覆っていた時代であって、その当時の閉塞したアメリカを対日参戦させるべく、世論に訴えるために敢えて日本に事実上の宣戦布告であるハルノートを突きつけ、戦争に引っ張り出したとの見方が未だに強い。
 
 それに対し、アメリカ人はいつもパールハーバー、だまし討ちと反論するし、私が毎日聴いているAFNでも、真珠湾攻撃70年特集として繰り返し取り上げている。確かにあの日本のやり方は在米日本大使館の不手際と無責任が有ったとされるが、また当時の日本外務相もその責任の大きな一端を担っていたはずだ。が、一番の責任は、そのように日本を追い込む周到な罠を仕掛けたルーズベルトにあるだろう。当時、アメリカにはソ連ボルシェビキの手が深く入り込んでおり、ルーズベルトはそれに操られたという見方さえ有るのだ。
 
 アメリカ人はあれがファシストを下す正義の戦争であったと教育されているが、ファシスト張本人のドイツではなく、日系人のみを強制収容した事実一つ見てもそれが欺瞞であることは明らかだ。アジアでの権益を取り損ねたアメリカの、日本に対する制裁であったという解釈の方がよほど整合性があり、そしてアメリカは今も同じことを繰り返している。

  ナッシュ氏は「この著書が、今でも米国の英雄とされているルーズベルト大統領への歴史評価を見直すきっかけになってほしい」と話している。


したがって、アメリカが自省することはない。ナッシュ氏の願いはむなしい物に終わる。常にアメリカの戦争は国民の熱狂的な支持で始まり、泥沼化するにしたがって国内から批判がわき起こって、それを理由に戦争から手を引く。いつまでも関わっていては財政負担が大きくなるからだ。次の戦争はまた同じ過程で戦争を始め、戦争から手を引く。アメリカがナッシュ氏の言うような歴史を受け容れる理由はない。

歴史観異なる教科書で学ばせよ

 第二次世界大戦について、歴史教科書の大半は日本がアジア諸国に与えた甚大な損害に焦点を当てている。日本が日米開戦を何とか回避しようとした外交交渉などまったく無視した教科書もある。それでも孫が公立中学で使った清水書院『日本の歴史と世界』には戦争突入の経緯が出ていた。
 
 これこそが、日本の自虐史観の最たる物の一つだが、当然ながら戦争当事国でもそれぞれの国により評価は変わる。大半は、相手が悪く自分は被害者乃至正当な行為を行ったと教育する。しかし、私の知る限り日本だけが、日本に責任があると教育している。
 
 戦争の責任は双方にある。どちらが正しいなどあり得ない。双方が自分が正しいと主張するのが当然なのだが、日本は自分が間違っていると教育する。これでは、日本人が国に対し誇りなど持てるはずがない。戦争は悲惨な物であり、なぜ戦争になったのか、それを避けるためには当事国がどのような努力をしなければならなかったのかを学ばせなければならないはずだ。そうでなければまた戦争の危険が増してくる。
 
 これは、次の記述でも分かるが、

 興味深いのは育鵬社教科書にはキッシンジャーの『外交』から「ルーズベルトは、日本がハル・ノートを受諾する可能性はないと知っていたにちがいない。アメリカの参戦は、ルーズベルトという偉大で勇気のある指導者の並々ならぬ外交努力なしでは達成できない偉大な成果だった。彼は、孤立主義的なアメリカ国民を大規模な戦争に導いた。もし日本が米国を攻撃せず、東南アジアだけにその攻撃を集中していたならば、アメリカ国民を、何とか戦争に導かなければならないというルーズベルトの仕事は、もっと複雑困難になっていたであろうが、結局は彼が必要と考えた戦争を実現したのである」と引用されていることだ。
 
 戦争の原因は、実際には当時のアメリカが日本を攻撃する必要があったと考えたからだ。そして、日本にはアメリカと戦う理由はなかった。つまり、あの戦争は一方的にアメリカが日本に仕掛けた物なのだが、しかし、戦争の常として、どちらに責任があると言っても仕方がない。が、少なくとも多くの教科書が教えているような、日本に責任があったという教育は明らかに間違っている。

 実は日本の同盟国イタリアのチアノ外相も同じ見方をしていた。日米開戦目前の12月3日のこと。三国同盟の関連条項に照らし、日本の開戦に際してはイタリアも米国に対し宣戦布告するよう要請した日本大使との面会後、チアノは日記にこうコメントした。「この新事態は何を意味するか。米国国民を直接この世界大戦に引き込むことのできなかったルーズベルトは、間接的な操作で、すなわち日本が米国を攻撃せざるを得ない事態に追い込むことによって、大戦参加に成功した」。そんな操作をやりとげたところがルーズベルト大統領の天晴れな辣腕(らつわん)で、そんな挑発にのったところが軍国日本の愚かしさだったと私は思う。
 
 そして、アメリカは今でも同じことを繰り返している。ただ、以前よりも露骨に人種差別を理由にしなくなっただけだし、確かに以前よりは慎重になったろう。が、本質は変わっていない。
 
 それを良く理解しているのが中国やロシアだ。

中国は武力行使を辞さない


 ≪武力の脅しかけた中国の大使≫

 その時、同じく会議に出席していた中国の大使が、拳で大きな音がするぐらい机をたたきながら、中国の我慢は無限ではなく、挑発を受ければ、中国はその政策目標を達成するために武力を行使することもいとわないだろうと、私に向かって2回も説教した。私はそれに対し、日本が冷戦後も米軍基地を維持したいと願 うのは、まさしく中国によるそうした類いの発言や行動のせいであると思う、と反論した。

 
 中国が国際社会の懸念を余所に軍拡に狂奔するのは二つの理由がある。一つは軍事国家である中国で、軍の強化が国家の強化そのものだからだ。国民を従えるために強大な軍事力が要る。もうひとつは、西欧列強とは全く価値観の違う中国の主張が受け容れられることはない。したがって、力で要求をのませなければ中国はいつも押さえつけられるとの思いがあるからだ。
 
  96年に台湾で初めて民主的に行われた総統選を前にして、中国政府は台湾近海に向けて、ミサイルを発射する対抗措置に出た。米国は、母港である横須賀か らインデペンデンスを、地中海からスエズ運河経由でニミッツをと、空母2隻を派遣して、これに応じた。中国は怒りの反応を示したが、ミサイル発射は終わ り、台湾住民が李登輝氏を総統にした選挙は円滑に進んだ。中国は力を尊重するのである。
 
 この当時は中国の力はアメリカに対し対抗できるレベルではなかった。したがって、理論的な主張などせずに、いずれアメリカに対し力で対抗することを内心誓って引き下がった。

 とりわけ、EEZに関する中国の法律は11条で、いかなる国も中国EEZの航行とその上空通過の自由を享受するとうたう一方、14条では、この法律の規 定は「中華人民共和国によって享受される歴史的権利」に影響を及ぼしてはならないと明言している。そして、そうした「歴史的権利」は南シナ海の80%に適 用される、と主張しているのである。
 
 中国の価値観とは、中国の国内法が国際法に優先するという原則に基づいている。すなわち、世界は中国の思い通りにしていれば平和だということであって、実際過去中国王朝は抵抗する勢力は徹底的に弾圧したが、恭順を示す相手に対しては比較的穏やかに接し、人材がいれば政府で重用したりしている。それが、ギリシャローマなどの、敵国の人材を奴隷として扱ったのとは違う。当時としては中国の方がよほど理性的だったわけだ。
 
 しかし、それは1000年も前のことであり、ギリシャローマの後裔達は戦争を繰り返しながら話し合いで戦いを避けることを学んだ。力の一方的な行使がいずれ相手の反撃を呼び起こし次の世代には復讐されることを理解したからだ。一方、中国は全くそれを学んでいない。
 
  中国が南シナ海の海域や海底を支配すれば、最も控えめにみても、ASEAN(東南アジア諸国連合)の事実上すべての加盟国と同じように、日本の国家安全 保障上の利益や中東の産油国も、重大な影響を受けるだろう。もし、日米両国が中国の発言や攻撃的な行動に対して、弱すぎる対応をした場合、日米両国政府 は、見て見ぬふりをすることによって南シナ海に対する中国の主権を既成事実として受け入れたのだ、と将来、中国に主張されるというリスクを負うことになる だろう。
  
  故に、中国と利害を分け合うには、力の背景が絶対に必要になる。中国と平和裏に話し合うためには軍事力が必要不可欠なのであり、それこそが無用な戦争を避ける最大限の効果を有する手段なのだ。何も中国だけではない。本質的にはロシアはもとより、アメリカもそうなのだ。

 ただし、日米両国は、中国が言葉だけでは相手を尊重しないということをわきまえるべきである。そして、航行の自由の権利を確実なものにするために、頻繁 かつ定期的な南シナ海の通行を実施するとともに、日本の石油の生命線が通っているのをはじめ、世界の貿易の3分の1が経由している地域が、中国によって支 配されるのを阻止するに当たり、東南アジアの国々と結束すべきである。
 
 中国は、言葉だけの相手は尊重しない。それどころか無視する。それが次の戦争の危険を増大させている。中国を話し合いの席に着かせ、妥協の道を探るためには力がいるのだ。日本が相応の軍事力を持つことがアジアの、ひいては世界の平和のためには絶対に必要なのだとの認識を持ち、どうすれば次の戦争を防ぐことが出来るのかをきちんと教科書で。過去の歴史を分析しながら教えるべきではないのか。

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教育システムの違い

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考えてみれば、「アメリカという国は」で前回必要なことは全部書いてしまったような気がする。要するに、アメリカは多くの国がそうであるように、エリートと庶民が明確に別れている国であり、それを必死になって否定はしているが、年々それが広がってきている。

これは彼らの文化が元々はヨーロッパ文化であり、一部のエリートが国を運営し、庶民はそれに従う完全な階級社会であった時代の形を、むしろアメリカが色濃く残しているのではないかと思える節がある。

たしかに、アメリカには貴族文化も宮廷文化も無いが、それに代わる物を彼らは作り上げたような気がする。身分を明らかに示すのは富であり、アメリカは新しい貴族文化、つまりセレブリティ文化が形創られてきたのではないだろうか。ちなみに、セレブリティ、略してセレブとは、アメリカから広まった言葉だと思うが、今では金持ち、著名人、名の知られた人などなど、非常に意味が広くなり曖昧になっている。もともとは上流階級に属する人々をさしていたようだ。正式には名士をさす。英語では、祝福するなどの意味でcerebrateを使うが、さしずめ祝福される立場の人々と言ったところではないかと思うのは私の勝手な解釈だ。

アメリカは、要するにヨーロッパの貴族社会から逃げ出してきた人々が作った国であり、それこそ、アメリカの勤勉、フロンティア精神が作り上げた国の筈だが、その結果もあってか確かにアメリカは豊かになった。そこで欲しくなったのは伝統ではなかったと、これも私の憶測に過ぎないが、なにしろアメリカンドリームとは一攫千金で金持ちになることであり、金持ちになればセレブであり、上流階級になる。結局アメリカは新しい貴族文化を作り上げることで、古巣のヨーロッパと同じような社会を作り上げたことになる。

アメリカのように急速に発展した国の特徴だが、教育を一部のエリートに集中して施すことは、途上国でもというより、ほとんどの国がそのようにしてきた。人間生まれながらの能力も、生まれた環境も均しいわけではなく、同じ内容の教育を全ての人間に行うのは確かに非常に効率が悪い面がある。日本でも、分数同士の足し算引き算が出来なかったり、アルファベットが書けなかったり、アメリカの首都がどこか知らない高校生はおろか大学生にもそのレベルの者が居て時々話題になる。当然ながら、義務教育の初期の段階から、そのような個人によるレベルの差が出てくる。それでも全員に同じ教育を施そうとすると、当然平均レベルは一番下をも対象にすることから下がる。一番上のレベルの生徒達は、一番下のレベルの生徒達と同じ教材で、同じ教室で、同じ教師に学ぶわけだ。

したがって、本当に上のクラスを目指す者は、学校以外に予備校や家庭教師につかなければならない。むろん、私学の場合は最初からエリート養成校もあるので、そこに通うことになる。予備校、家庭教師、エリート養成校に通うには相当の費用が要る。もちろん、そのような生徒達は、家の仕事を手伝うなどはしない。ほとんどの時間を勉強に費やすし、そしてそれが出来る環境にあるわけだ。

日本では親の資産格差が子供の学力格差につながることが問題になっているが、それは日本で公的にエリート教育をしないからだ。

アメリカでは、優秀であれば飛び級があるし、そもそも公立学校では極めて授業料が安い。そのうえで、優秀な者だけを選別し教育をするわけで、日本の場合公立の大学でさえも、世界的に見て非常に費用がかかる。親に資産がない場合、そもそも公立大学にはいるだけの学力を身につけることが出来ず、大学の授業料自体が非常に高いのであれば、資産のない親の元に生まれた子供はそもそも学力でのエリートになれない仕組みが出来ている。

そのかわり、下のレベルの生徒でもアメリカのように完全に見捨てられることもないから、喩えアルファベットが書けなかろうと、オーストラリアとオーストリアの区別が付かなかろうと、1/2+1/3=2/5と計算しようと、とりあえずは文字は書けるし読める。一桁くらいのかけ算も出来るし、地動説くらいは知っているのであれば世界でもまずまずの教育レベルと言える。

アメリカのように、かけ算も出来ず、アルファベットも書けず、地動説が何かもしらないレベルよりは遙かに上であり、その意味で日本人の教育レベルは、とりわけ凄いエリートも居ないが、箸にも棒にもかからない無教養な人間も居ない。世界では比較的平均した教育レベルを持っているほうだ。むしろ、随一と言えるだろう。

これは非常に大きな利点ではあるが、そのために大きな才能を持った人間が犠牲になっている可能性がある。資産があれば最初からエリート養成校に通い、エリートコースに乗って最上級の大学を目指すことが出来るが、アメリカなどでは資質があればそれほど資産が無くてもそれを目指すことが出来る。つまり、少数のエリートの能力は非常に高い。

日本とアメリカのどちらが良いかと言えば、最終的には日本の方式が優れているとは思う。アメリカは民主主義国家であり、国民の支持を受けなければ政治が成り立たない。しかし、大多数の大衆の知的レベルは唖然とするほど低く、大統領の選出も化粧の上手い、演説の上手い候補者が得票率を稼ぐし、政党は国民におもねなければ何も出来ない。それが、アメリカの、製造技術では世界に冠たる物を持ちながら実際に製造業が育たず、まともな民生品が作れなくなって、中国から買わなければならない羽目になっている。また、今アメリカ中を覆っている格差反対デモの原因にもなっているだろう。

アメリカンドリームとは、競争社会の夢であり、競争に負けた者の生活は悲惨を極める。その絶望がアメリカに広がりつつあり、これはアメリカにとって非常に危険な兆候だろうが、それを解消するための国民の理解力が極めて低い。

結局アメリカは外から奪ってくるしかない。それが今のアメリカの姿だと言って良い。その反省から、アメリカでも日本式の教育を取り入れようとしているが、当然コスト上昇につながる。果たしてアメリカ国民が受け容れるだろうか。

一方、日本はその点、国民全体のレベルが高いので、政府がそれほど国民のご機嫌取りをしなくても運営できる面がある。それを台無しにしているのが民主党だが、それはともかく、日本では上述したように公的なエリート養成システムがない。反対に、能力もなく意欲もないどうしようもない生徒が通うような高校まで無償化するのが平等だと勘違いする馬鹿政権が誕生する始末だ。

奨学金をもっと充実し、親の資産が無くても本人に能力があり意欲があるなら、公的資金でどんどん優秀な教育を受けさせればよいし、どうせばらまき高校無償化するくらいなら、そのような生徒達に無償で上級教育を受けさせるシステムを作った方がよい。その方がよほど効率の良い投資ではないのか。

残念ながらそのレベルに達しない生徒達は、従来通りの教育方針で最低限を引き上げるようにすればよいだろうし、行きたければ高校でも大学でも行けばよいだろう。別に無償化する必要など無い。ただ、全体の公立学校の授業料をもっと低くするなどの努力は必要だろう。なにしろ、教育こそ最大限の投資なのだ。

今の、日本の平均を上げる教育と共に、意欲と能力のある生徒達が親の資産に関係なく最大限の能力を発揮できるようなシステムを採るべきであり、誰も彼もがただで高校にゆけるのが平等なのではない。進学せずに働く若者にとって、これは大変な不公平だろう。

教育の平等とは、あくまで能力と意欲に応える教育を平等にすべきなのであって、働きたくないから麻雀をしに大学に行くような穀潰しのために血税をばらまくことではない。

話がだいぶそれてしまったが、世界中、実はアメリカと同じなのだ。日本が極めて例外であり、前回のIQ(これも絶対的な指標ではないが)のランクとして現れ、また、世界を驚かせた今回の震災に於ける日本人の精神性の高さとして現れているのだろう。

日本の製造業が世界トップだというのも、それこそ末端の町工場の工員達が極めて優秀であり、技術者達の出すアイデアを実践で作り出す能力が高いからだ。また、日本の消費者は世界一厳しいと言われるように、商品をきちんと判断する能力が高く、質の高い製品を使いこなすことが出来ると言う面もあるだろう。それが製品の品質を高めている面も大きい。

かつて、アメリカで知人がウォークマンもどきを聴いていたので、試しにイヤホンを借りてみたら、なんと音が歪んで(ワウフラッターというが)到底我慢のならない物だった。酷い、と言ったら、何で?最高だよ、と満足していたが、買ったばかりだというのだから、最初から出来がそんなものだったのだろう。日本では到底売れるはずのない品であり、もしソニーのウォークマンが最初は仕方がないから今後良くします、といっても日本の消費者は受け容れなかったろう。かなり初期のウォークマンを持っていたが、当たり前の非常によい音質だった。アメリカなどでは、安いのだから音が出ればよいと考えているらしい消費者が居るのに驚いた。

また話がずれた。中国も一部のエリートの教育レベルは非常に高いし、能力も高い。だが、国民全体の能力は、政府の方針もあって、まさに愚民政策を採っているとしか思えない。ロシアも似たようなものだ。到底民主化など出来る状態ではないから、宗教を取り入れた強権国家を目指している。それでしかまとめることが出来ない国民なのだろう。

印度も発展著しく、とくにIT関係では先進国と言われているが、本当の極一握りのエリートが優れているのであって、国民全体のレベルは唖然とするほど低い。それは一度行ってみればよく分かる。

ヨーロッパも似たような物であり、結局、一部のエリートが大衆を率いてゆくシステムが改まらない限り、やはりヨーロッパの黄昏は続くだろう。

ちょっと、切り口を変えて、教育の面から世界と日本との大きな違いを考えてみた。

教育は誰のため

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先進国と途上国の違いは、むろん、経済力、技術力など様々有るが、それらの根本をなす国民の教育レベルに大きな違いがある。先進国の国民は識字率がほぼ100%であり、また情報が自由に閲覧でき、自由に言論を発することが出来、自由に思想をもてる。これは、教育が中立で、事実のみを教育し後は自分が情報を得て判断するようにし向ける方式が定着しているからだ。

日本は江戸時代から庶民を対象にした教育が充実しており、識字率が当時としては世界でも突出した男女ともに75%であって、そのために幕府の政令が文字で全国にすぐに伝えられるなどの意思疎通も速やかであり、価値観の共有も出来た。

結局、国の発展度は教育レベルにあることは論を待たず、だからこそ現在の開発途上国も教育に投資を集中した国ほど発展が速い。

逆に、経済的にはたとえば資源輸出などで発展している中東諸国や、パクリ技術でもとにかく経済を拡大できた国々でも言論思想の自由が許されず、思想教育をするような国はいつまで経っても途上国から抜け出すことが出来ない。

偏った思想とは、中東諸国の多くは宗教が思想の根本を為しており、自由な科学教育が行われないなどが大きな阻害要因になっている。特亜は、事実を見つめることをせず、歴史を捏造して思想教育をしているから、やはり途上国の域を出ることが出来ない。

と言う意味で、日本は言論思想が自由であり、進んだ教育システムをとっている国の中に入る。が、それでも教師の中にはとんでもない連中が確かにおり、日の丸掲揚や国歌斉唱に反対するような教師が、特に日教組には多いことが昔から知られている。

今回もこんなとんでもない人物が教育界に居た。

赤文字は引用

都教組「竹島、日本領と言えぬ」 内部資料で政府見解否定「歴史的根拠ない」

 しかし、資料では、「もし、この記述通り『竹島は日本固有の領土』『韓国が不法に占拠』という政府の一方的な見解を学校で教えることになれば、『感情的なナショナリズム』を子供たちに植えつけることにもなりかねない」と懸念。
 
 まず、自国の領土をそのまま教えることが感情的なナショナリズムを教えることになるとの飛躍がある。政府の一方的な見解と言うが、日本国民に日本政府の正式な見解を教えること自体、問題なのではなく教える必要がある。あとは、生徒が成長した後でも自分で史料を調べ政府の見解は間違っているとの結論に至るかどうかは、本人次第だろう。日本にも、和田春樹氏のように、確信を持って竹島は韓国領だと主張する専門家もいるが、当然それに対する批判は本人が受け止めていることだ。
 
 したがって、日本国民に、日本政府の正式見解を教えることが間違っているというのであれば、日本国憲法も、日本の歴史も、日本の社会制度も全て教えてはならないことになる。では、何を教えればよいのか。何も教えなければ、日本社会で生活するのに非常に不便だろう。
 
 日本は民主主義国家であり、資本主義国家であり、三権分立国家だが、その知識がなければ当然日本の社会では生きてゆきにくい。そのため、日本で生活する日本人を教育するには、とにかく日本の社会にあった教育をしなければなるまい。それを否定することが教育では、結局は教育の目的自体を否定することになる。

 その上で「竹島は尖閣諸島や北方四島と違い、『日本固有の領土』と言える歴史的な根拠はない」と断定している。
 
 むろん、これを書いた人物個人がどのような見解を持とうと日本では許される。が、それは個人の主張として展開すべきなのであり、教育の方針として打ち出すのは完全に狂っている。すなわち、国家を破壊する思想教育を、これを書いた人物は目指しているわけだ。
 
 民主党でも山梨教組のドンと言われる輿石氏は教育に政治的中立などあり得ないと公言している。しかし、国家の方針を否定することが教育なので有れば、つまりは反国家教育をすべしと輿石氏は主張しているのであり、そしてこの資料を書いた人物は主張しているわけだ。
 
 当然、日本政府の主張が全て正しいなどと私も思っていない。専守防衛、自虐史観、特亜への卑屈な自虐史観、売春婦補償などへの動きなど、間違いだらけだが、それでも教育の場で批判はすべきではない。日本政府の姿勢として伝えるべきだろう。とにかく全ての資料を駆使して、あらゆる立場の主張を自分で選び出せる目を養わせるのが教育ではないのか。
 
 韓国の主張も必要なら伝えても良いだろう。しかしそこまで踏み込むなら、当然歴史的事実も教育し、韓国が歴史を創作している事実も知らせるべきだろう。韓国は日本と戦争をした事実など無いのに、戦勝国であると主張し自国ではそのように教育している。
 
 そのような国の主張がどれだけ正当性があるかを、生徒に自ら考えさせるなら、韓国の主張も教えても良いだろうが、そこまで踏み込まないのであれば日本政府の公式見解のみを教えるべきなのだ。
 
 今回明らかになった検討資料は、育鵬社の不採択を呼び掛けるなどしており、教科書を絞り込む判断材料の一つになっている。

 「教科書を実際に使う教員の意向を尊重すべきだ」という組合側の主張は一部には聞こえはよいのだろうが、公教育の現場で政府見解に反するイデオロギーが尊重されるという事態があってはならない。

 
 当然これは教育などではなく、プロパガンダに過ぎない。教育の場で子供達を人質に取った卑劣なプロパガンダを絶対に許してはならない。

「日本領と言えぬ」都教組の竹島見解 玄葉外相が不快感「わが国の立場と相いれない」

 玄葉光一郎外相は28日午前の記者会見で、東京都教職員組合が教員向けの資料の中で日本固有の領土である竹島について「日本領と言える歴史的根拠はない」と明記していたことに対し、「わが国の立場と相いれないということに尽きる」と不快感を示した。
 
 当然のコメントだが、それなら、輿石氏の教育論を訂正させ、村山談話を撤回させ、前原氏の朝鮮売春婦を別枠で補償を考えるなどの発言を撤回させるべきだろう。日本列島は日本人だけのものではないなどとたわけたことを言った例の物体なども糾弾すべきではないのか。
 
 上記に引用されているURLの記事を読む場合は下記の「続きを読む」をクリックしてください。但し、内容確認以外なら、敢えて読む必要はありません

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ウリジナル爆発

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韓国ネタばかり書くのがこのブログの趣旨ではないが、つい面白い記事があると食いついてしまう。で、今日も休日前の息抜きに書くことにしたが、その前にいくつか。

以前、日進市で福島産の花火打ち上げを止めた件に就き同市に抗議のメールを送り、返事があったら報告するとしていたが、一ヶ月経った本日、回答があった。ただし、HPに書いたので読んでくれと言う、実に誠意のない返事だった。まあ、同市の役人などこんなものだろうと思うが、実際には何が悪かったのか分からないと言っていた状態のままなのだろう。HPも、単に文句を言われたから止めた、福島に行って頭を下げてきた、と言うだけの説明がとりあえず書いてあるだけのことであって、報道で何度も読まされたつまらない言い訳だ。

平成23年09月20日、当方から出したメールの一部抜粋。

「聞けば、抗議は8万を超す貴市から、20件だったとか。市外からかもしれず、しかも20件のメールや電話なら、嫌がらせをする個人や団体でもどうにでも出来る数ではないでしょうか。

日進市の大多数の市民は良識を持っているはずですが、その確認を担当者はしたのでしょうか。

なお、民間団体のことで市は責任がないとのことでしたら、市からその団体への指導が必要ではないでしょうか。なにしろ、この件で日進市の名誉が傷つけられたのですから。」

それに対する本日10月21日の日進市よりの回答抜粋

「平成23年10月21日

 xxxx 様
                        日進市長 萩野 幸三

                      にっしん夢花火実行委員会
                         委員長 水嶋 義弘

 今回の件につきましては、その経緯等をにっしん夢まつり公式Webサイト
上で発表しております。
 結果として、多くの皆様に多大なご迷惑をおかけいたしましたことにつきま
しては、心よりお詫び申し上げます。」


もうひとつ、これは見逃しに出来ない記事。日本のメディアではほとんど伝えられていないようだが、よほど都合が悪いのか。

赤文字は引用

顕忠院を訪れた野田首相

 19日午前、日本の野田佳彦首相が国立ソウル顕忠院(同市銅雀区)を訪れ、顕忠塔に参拝した。

顕忠院を訪れた野田首相

 
画像 顕忠院を訪れた野田首相

 野田総理は、総理在任中は靖国参拝をしないと公式に発表している。その彼が、飼い主の国の顕忠院には参拝した。ちなみに、顕忠院とは、

Wiki 韓国顕忠院

国立ソウル顕忠院は、大韓民国ソウル特別市銅雀区にある国立墓地である。朝鮮戦争の戦死者や新潟日赤センター爆破未遂事件のテロ工作員が祀られている。

と言うことであり、どの国にもある戦没者慰霊のための施設であって、通常であれば他国の首脳が訪問した際に参拝することは外交儀礼として普通のことだ。実際、かつては靖国にも他国の多くの要人達が参拝していた。

だが、今靖国には政権政党の政治家はまともに参拝しないのが通例になってしまった。これは一人民主党だけではない。自民もまた政権時代そうだった。そして、その現総理大臣が自国の戦没者慰霊施設には参拝せず、日本でテロを行った犯罪者達を祀っている施設に参拝した。これは、単なる外交儀礼だからと見過ごせるものではない。

もっとも、前総理のあの物体は中国の南京虐殺記念館で献花をしているくらいだから、民主党の歴史認識は完全に日本のものではなく、特亜のものを是としているわけだ。このような政党に、日本の舵取りが任せられるわけがない。

10月22日 追記

もうひとつ追記しておくが、韓国様のありがたいご説明では、スワップ枠を制限無しに、次に5兆円まで拡大することをお願いしてきたのは日本であり、それは日本が円高に苦しんでいるので韓国が助けてやったのだとのお話だった。

私も実は、日本円を塵紙交換に出せばそれだけ円の値打ちが下がるから、多少は円安になるのかも知れないと思ったし、事実直前までほんの少しだが円安に動いていたのだ。ところが、

円、最高値を更新 一時75円78銭

 21日、欧米の外国為替市場で、円相場は一時1ドル=75円78銭まで急騰し、8月19日に付けた過去最高値(75円95銭)を約2カ月ぶりに更新した。欧州の債務危機などを背景に、円高が長期化するとの見方が強まり、投機筋の円買いをきっかけに短時間に急上昇した。長引く円高は企業マインドの悪化を通じ、東日本大震災からの復興途上にある日本経済に悪影響を及ぼす恐れがある。
 
 あんな塵紙交換では円の信用は全く揺るがなかったのだ。一方、それだけ万全の信用力を持っている円に支えられ、確かにウォンは上がった。 
 
【解説】韓日通貨スワップ、規模が拡大した背景は
 
  韓日通貨スワップ拡大のニュースにウォン相場は1ドル=1130ウォン台まで上がった。19日のソウル外国為替市場でドルに対するウォンの相場は前日より13.70ウォンのウォン高ドル安となる1ドル=1131.90ウォンで取引を終えた。これは先月16日の1112.50ウォン以来の高値水準だ。


これでも韓国は日本に対して感謝などむろんするわけがなく、当然のことであり、日本に対して韓国が力を貸したのであり、もっと韓国に認めてもらいたければ竹島を手放し、売春婦に金を払えとのたまう。

 野良犬、もとい野田総理はこんな結果などどうでも良いのだろうが、つくづく嫌になる。ところで、この、円高に振れ、そしてウォン高になったと言う状況を、昔聞いたある話に重ね合わせた。
 
 林檎が木から落ちるのは、実は地球が林檎に向かって落ちているのでもあり、双方が引き合うから、林檎の位置が移動するのと同様地球の位置も林檎に向かって移動しているのだそうだ。ただし、質量が違うので、実際は林檎の移動しか問題にならないのだとか。
 
 円とウォンの質量、すなわち通貨の信用力の違いは、地球と林檎ほども違うのだと改めて思った。

追記分終わり

さて本題

慶南日報ホーム>文化/生活> 学術

韓国のウリジナルは病気であり、他国、特に日本から文化を盗んでは自分たちが作ったのだとおとぎ話を作り、それを信ずることでしか自尊心が満たせない哀れな国なのだが、そのおとぎ話には根拠どころか歴史上の時間の前後さえ無視している。むろん宇宙も太陽も地球も韓国人が作ったのだから、タイムマシンも作っていて不思議ではない。

日対馬、ハングル書いたというのに...

原文は韓国語 オンライン翻訳によるものは巻末に載せるが、読みやすく書き直した文章があったのでそれを要約して紹介する。

また、この資料を基に「対馬の言語はハングルで、ハングルが日本語になった」、「対馬は朝鮮の 島だから対馬藩主は印鑑を偽造して偽造文書を使った’、‘対馬を私たちの土地と表示した新しい 日本古地図’等多様な主張が提起された。

対馬が韓国領だというのはまあいつもの妄想だし、実際に彼らが元寇のさきがけとして対馬に来襲し、残虐の限りを尽くした事実は彼らは知っているのだろうか。対馬藩主がなぜ印鑑を偽造したのか、その辺りが分からない。そうしなければならない事情、すなわち対馬が朝鮮領か日本領かの論争など当時はなかった。そうでなければ、日本人の藩主が対馬に所領を持っていることに朝鮮が黙っていたはずがないのだが。なぜ、自国領に攻め込み住民を虐殺したのか。

私たちのハングルが日本の対馬に入って対馬原住民のアヒル族が使った。それがアヒル文字(訳 注:阿比留文字(あびるもじ)のこと)だ。アヒル文字を見て日本語になったという字原の本が発見 された。冊名は神字原であり、この本は1840年に発行されたパンフレットだ。神字原を書いた人物 は野之口隆正だ。

まず阿比留文字が後代の偽造であることがはっきりとしており、したがって、それにまつわる様々な彼らの妄想も、日本で一時盛んだった、神代文字が漢字以前からあったとされる一連の騒ぎであり、日本では完全に否定され省みられなくなった文書を掘り起こして、それに妄想を組み合わせて作ったハングル日本語起源説だ。

漢字と日本語をなくしてしまい、対馬のアヒル文字を使おうと国民らを指導して結局門下生500人 余りが明治維新を起こし師匠が主張した信徒思想を復興させて信徒思想に陰陽五行説で作られ たハングル(対馬文)を最もつりあった文字と言い、今日まで神社にたくさん残っている。韓国の文 字の偉大さは世界に誇れることだが、対馬原住民が書いた私たちのハングルが日本語の字源に なったことが今日になって判明した。

判明した、とは正しく訳せばそのように妄想した、と言うことだが、彼らの語彙には妄想という言葉がないのだろう。だから、妄想したと誰かが言ってもそれを判明したと言うことにしてしまうのではないかと、これは私の妄想だ。

そもそも、ハングルとは15世紀に韓国でモンゴル文字を参考に作られたのであり、日本ではすでに漢字からひらかなカタカナが作られていた。ハングルなど全くお呼びではない。

Wiki ハングル


朝鮮語は15世紀半ばまでそれを表記する固有の文字を持たず、口訣(こうけつ・くけつ)・吏読(りとう)など万葉仮名のように漢字を借りた表記法により断片的・暗示的に示されてきた。このような状況の下で李氏朝鮮(朝鮮王朝)第4代国王の世宗(在位1418年-1450年)は固有の文字であるハングルの創製を積極的に推し進めたが、その事業は当初から事大主義的な保守派から猛烈な反発を受けた。1444年に集賢殿副提学だった崔萬理らはハングル創製に反対する上疏文を提出し「自古九州之内、風土雖異、未有因方言而別爲文字者。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各有其字、是皆夷狄事耳、無足道者。(昔から中国の諸地は風土が異なっても、方言に基づいて文字を作った例はない。モンゴル・西夏・女真・日本・チベットなどは文字を持つが、これらはみな未開人のなすことであり、言うに足るものではない。)」と述べている。世宗はこのような反対派を押し切り、集賢殿内の新進の学者らに命じて1446年に訓民正音の名でハングルを頒布することとなった。字形の由来については起―成文図起源説、パスパ文字起源説など諸説がある。

ハングルを蒙古文字のパクリだとは言うまい。彼らのオリジナルであるとして、それにしても独自の文字を作るのは野蛮な国がすることだと学者が反対するような国で、実際にハングルはほとんど普及せず、日韓併合時代になってあまりに文盲率が高いので、まず覚えやすいハングルを日本が普及したのだ。今の韓国人の識字率は当時の日本の政策による。

そのため、韓国人はよほどの特殊な研究をした人間でない限り漢字が読めず、結局古い歴史書を読むことが出来ない。これが韓国人の妄想おとぎ話歴史教育の理由だとされている。韓国人にとって、歴史とは66年間の物が全てなのであり、それすら早期のものは脚色されている。だから、韓国が日本と戦ったことになっており、韓国が戦勝国だという歴史が学校で教えられている。おそらく教えている教師もそれを信じているのだろうが世界中では相手にされないおとぎ話であり、海外で学ぶ韓国人が良くぶつかる壁なのだ。

自分たちが習ってきた歴史が、世界では全く相手にもされないおとぎ話だと指摘され最初は反発するが、自力で正しい歴史を調べるか、あくまで自分が習った歴史に固執するか、何もなかったことにするかはその個人次第だろう。

ところで、ハングルが基になったというその日本語だが、

Wiki 日本語

仮名の誕生 [編集]元来、日本に文字と呼べるものはなく、言葉を表記するためには中国渡来の漢字を用いた(いわゆる神代文字は後世の偽作とされている[146])。漢字の記された遺物の例としては、1世紀のものとされる福岡市出土の「漢委奴国王印」などもあるが、本格的に使用されたのはより後年とみられる。『古事記』によれば、応神天皇の時代に百済の学者王仁が「論語十巻、千字文一巻」を携えて来日したとある。稲荷山古墳出土の鉄剣銘(5世紀)には、雄略天皇と目される人名を含む漢字が刻まれている。「隅田八幡神社鏡銘」(6世紀)は純漢文で記されている。このような史料から、大和政権の勢力伸長とともに漢字使用域も拡大されたことが推測される。

漢字で和歌などの大和言葉を記す際、「波都波流能(はつはるの)」のように日本語の一音一音を漢字の音(または訓)を借りて写すことがあった。この表記方式を用いた資料の代表が『万葉集』(8世紀)であるため、この表記のことを「万葉仮名」という(すでに7世紀中頃の木簡に例が見られる[147])。漢字の音を借りて固有語を表記する方法は、かつての朝鮮の吏読にも見られた。

9世紀には万葉仮名の字体をより崩した「草仮名」が生まれ(『讃岐国戸籍帳』の「藤原有年申文」など)、さらに、草仮名をより崩した平仮名の誕生をみるに至った。これによって、はじめて日本語を自由に記すことが可能になった。平仮名を自在に操った王朝文学は、10世紀初頭の『古今和歌集』などに始まり、11世紀の『源氏物語』などの物語作品群で頂点を迎えた。

僧侶や学者らが漢文を訓読する際には、漢字の隅に点を打ち、その位置によって「て」「に」「を」「は」などの助詞その他を表すことがあった(ヲコト点)。しかし、次第に万葉仮名を添えて助詞などを示すことが一般化した。やがて、それらは、字画の省かれた簡略な片仮名になった。


日本人で、日本文字の基が中国から来た漢字であることを否定し、漢字は日本で作られた、中国人がパクった、ついでにアルファベットはひらかなから出来たなどという者は居ないだろう。きちんと中国伝来であることを認め、その漢字を日本語に併せて改良し、読み方を変え、まず万葉仮名として、つまり漢字本来の表意文字としてではなく、後のひらかなカタカナの基になる表音文字として使うようになった。これは実に大変な発想の転換であり、日本以外の漢字文化圏ではついに起こらず、ベトナムはアルファベットを、韓国はハングルを、中国大陸は簡略体と、ピンイン(アルファベットで漢字の発音を表したもの)を、台湾では旧字体そのままとピンインをつかっている。今ではピンインをそのまま中国語の表記文字として使う場合もある。

つまり、数万語はあるとされている漢字を学習することは普通の人間には不可能であり、その内のいくつかを単純に表音シンボルとして使う発想は、かつてのギリシャ文字がアルファベットになったのと同じような大転換だったのだ。

蛇足だが、アルファベットとは、ギリシャ文字のアフファα即ち牛、ベード(ベータ)β即ち囲いを意味する言葉だ。

万葉仮名が作られた時点ですでに日本は独自の文字改革をしているわけだが、その後漢字を崩してひらかなが生まれ、漢字の部首を取ってカタカナが生まれた。万葉仮名の時からすでに日本人は漢字を日本語に併せて改良していたわけで、それが11世紀、源氏物語の時代には完成していたのだから、15世紀に出来しかも全く普及しなかったハングルなど全く関係はないし、そもそも独自に文字を改良した日本よりも俺たちは偉いはずだとの例によっての妄想がこのような時間をさかのぼったタイムマシンまで使った学説を生み出したのだ。

いやはや、韓国の学問科学とは、妄想が基礎であり、盗むのが技術発展なのだから、もう無敵ではないのか。世界でどんなに相手にされなかろうが馬鹿にされようが、自分たちが妄想の世界で輝いていることで満足できるのであれば幸せかも知れないが、それが日本に実害を及ぼすから看過は出来ないのだ。


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日本の教育

 昨日、下記のような報道があった。まず最初に紹介したい。
 
 《》は引用
 
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日本の15歳「社会生活に支障可能性」10%超

 経済協力開発機構(OECD)は7日、65の国・地域の15歳男女計約47万人を対象に2009年に実施した国際学力調査(略称PISA)の結果を世界同時発表した。

 日本は前々回03年、前回06年と順位を下げ学力低下が問題になったが、今回「読解力」が前回15位から8位になり、初回00年の水準に回復。「数学的応用力」は9位(前回10位)、「科学的応用力」は5位(同6位)と横ばいだった。

 国際比較では3分野とも上位をアジア勢が占め、地域として初参加の「上海」が全分野1位だった。

 発表を受け、高木文部科学相は「読解力を中心に我が国の生徒の学力は改善傾向にある」と表明した。だが日本はアジア勢との比較で下位に沈み、成績下位層が軒並み1割を超えるなど、複数の課題が浮かんだ。

 PISAは、身に着けた知識や技能を実生活で生かせるかをみるのが目的。3分野で3年に1度実施しており、4回目の今回は読解力を00年以来の重点調査対象とした。日本では09年6~7月、全国から抽出された185高校の1年生約6000人を対象に実施された。

 日本の結果は、OECD加盟34か国の平均をほぼ500点と換算した得点で読解力が520点と前回(498点)を上回り、00年(522点)並みだった。「数学的応用力」は529点(前回523点)、「科学的応用力」は539点(同531点)で横ばいとされた。一方、OECDが「社会生活に支障を来す可能性がある」とする成績下位層が3分野とも10%を超えた。

 生徒へのアンケートも同時に行われ、小説、新聞をよく読む生徒の方が、読まない生徒より読解力の平均得点が25点以上高いという結果が出た。

 国際比較では、上海と同じ初参加のシンガポールや韓国、香港が上位を占め、欧米ではフィンランドが読解力(3位)と科学的応用力(2位)で存在感を示すにとどまった。

 OECDは非加盟国については「地域」での参加を認めており、今回は上海市が参加を希望、調査の客観性などについての基準や審査を満たしたという。OECDによると、中国政府には国としての参加を呼びかけてきたが、準備不足として見送られているという。

 ◆PISA 

 OECD加盟国などの教育政策や実践に生かすため00年に始まった「国際学習到達度調査」。義務教育修了段階の子供を対象に世界共通の問題を出題する。日本は理数でトップ級から転落するなど過去2回の結果で学力低下が明白になり「PISAショック」と呼ばれた。

(2010年12月8日07時27分 読売新聞)

 この報道につき、疑問点をいくつか挙げる。
 
 上海がすべての分野でトップを占めているが、これが中国の現状を示しているわけではない。たとえば、日本の場合、全国から無作為に選んだ生徒達の平均だが、中国では都市籍と農村籍ではすべての面で大きな差があり、ご自慢の上海でも、農村籍の子供達は通える学校自体が非常に限られ、教育の質がきわめて低い。すなわち、ごく一部の生徒達だけの学力が高いということになる。その意味で、すでに学力の優れた生徒達が選抜されているのであり、さらにその中から選抜された生徒達の成績が、無作為に選んだ生徒達の成績と同列に考えるわけにはいかない。
 
 すなわち、ここでも中国は国家イメージのための宣伝行為でしかないので、除外すべきだろう。国家として、この国際コンクールに参加する資格がないからこそ、地域として参加しているだけのことだ。
 
 しかし、このようなケースは別に珍しいことではない。国民の中に極端な格差があって、エリート層の教育レベルは非常に高いが、一般庶民のレベルが非常に低い国家が途上国を中心に多数存在する。
 
 今回もアジア各国の成績が高かったというのは、これを裏付けている。インドなどもエリート層の教育レベルは極めて高く、それが国家の発展に大いに役立っているが、下層階級では子供達が学校へも行けず児童労働に就かされている。発展途上国では、すべての国民に等しく教育を施すインフラも人材もないので、とりあえず少数のエリートを育て、国の運営を任せ、国が発展してきたら一般に教育を広げる形をとる。アジア諸国は軒並みその段階なのだ。そして、当然ながら欧米諸国の結果がアジアより低いという結果になる。
 
 ただし、アジアでも例外がある。むろん一つは後述するように日本だが、もう一カ国、日本に併合され、一気に国民全体に教育を施された朝鮮半島だ。今では自力で教育レベルを上げたとの嘘を歴史として内外に広めているが、日本が半ば強制的であろうと、朝鮮人に等しく教育を施した36年間が今の韓国の例外的な発展の基礎になっている。ただし、日本の努力を以てしても、民度までは上げられなかったから、今の朝鮮半島があるのだが。
 
 受験する生徒の選定はその国家に任されるのだから、上海など、アジア諸国は教育を受けているその中のエリートを対象としてくるが、全く教育を受けていず文字も読めない子供達がその中に入ってくれば平均点は極端に下がる。
 
 その意味では、日本もそうだったと言っていい。幕末から明治にかけてこの国を開き近代化し、あっという間に世界有数の先進国の地位に持ち上げたのは、主として武士という当時の教育エリート層だった。しかし、日本の場合、当ブログでも何度も取り上げられているが、日本は江戸時代からすでに世界でもぬきんでた教育大国であり、全国津浦々に寺子屋、藩校、学問所など様々な教育機関があり、庶民の子供達も通っていてふつうに読み書きそろばんができた。男女の教育レベルに差がなく、識字率は75%に及んでいるが、当時の先進国とされていたヨーロッパでも、上流階級のみが教育の対象であり、識字率は25%程度だったとされているから、何百年も前から日本を訪れる宣教師や商人達が日本人の教育レベルの高さに驚愕し、本国に書き送っている。
 
 この差は大きい。確かに日本でも教育エリートであった武士が国家の発展を主導したろうが、一般国民の教育レベルが高かったために、その改革が非常にスムーズに運んだことが、あの奇跡的な国家の発展は実現できた。
 
 一方、現代の発展途上国は、あるレベルまでは発展するだろうが、一般庶民の教育レベルが絶望的に低いために、エリート達の理念が理解されない。このような国では、まともな選挙もできない。一般選挙がきちんと機能するためには、有権者達が政治を理解し、国家のあり方を理解し、自分で判断して、いわば民意を形作って投票を行い、自分たちの代表者達を国会に送り込まなくてはならないが、国民の教育レベルが低ければ容易に買収、暴力などで選挙結果が左右される。
 
 また、教育レベルが高いことと、国家発展のための理念とは関係がない。以前当ブログでも触れたが(なぜ途上国は途上なのか)、せっかく自分が高い教育を受けてもそれを自分個人の生活向上のためだけに使い、国家に役立てようとする意識がなければ、結局国家がどんなに金をかけてエリート層を育てても、教育を受けたエリート達は仕事のない母国を捨て海外に移住してしまう。つまり、いつまでたっても国に残されるのは教育をまともに受けない人間達だけということになる。これは私自身痛感したのだが、かつてアフリカ人と話をしたとき、彼はヨーロッパで子供の頃から教育を受けた一流のインテリだ谷も限らず、決して母国には戻らないといっていた。母国に戻っても仕事にならず、生活が成り立たないというのだ。それはヨーロッパで見聞きし経験した生活レベルは保てないだろうし、そもそも電気通信交通などのインフラが未整備であれば、そうだろう。だから国を捨てることは当たり前という彼をみながら、これでは彼の国はいつまでも発展しないだろうと思ったものだ。決して珍しいケースではない。
 
 それでもごくのろい歩みではあろうが、それらの国もいずれ国民全体の教育レベルはあがってゆくのだろう。それに従って国家は発展するが、その歩みはきわめて遅い。
 
 中国の場合も明らかに農村籍の人間を切り捨てており、このような状態で民主化もできるはずがない。だから、今の形で国家をまとめなければならないと彼らはいっているのだ。だが、それを受け入れることはできない。国家をまとめるために彼らが使える唯一の手段は暴力であり、国内においては人民を弾圧し、対外的には強大な軍事力による恫喝外交以外選択肢がないという中国を受け入れることはとうていできない。
 
 よく、中国でも民主化の流れは止められない、いずれ中国は民主化するというが、それは少なくとも今後数十年はあり得ない。単に制度を変えただけで民主化ができないことはロシアで実証済みではないか。その間、中国の内部のひずみが押さえきれなくなる。
 
 また、教育のあり方自体に重大な欠陥があって経済発展はしたが近代国家になれないケースもある。一部のイスラム原理国家がそうであり、彼らは偶然の産物、石油で得た金の力で海外からテクノロジーを買うことはできるが、それが国家の近代化を意味するわけではない。一つサウジアラビアを例にとると、この国では憲法というものがない。すべてイスラム教の教義、すなわちシャーリアが基本であり、女性に対する教育の制限、法律の解釈が統一されていないなどの問題が生じている。人間は神に許されたこと以上のことをしてはならないというのが基本であって、そのような国ではどのような近代科学も、イスラム今日で述べられていないことはすべて排除される。そして、偶然の産物、富の源泉石油も欧米諸国が開発し利用したから金になったのであり、すべて自力とは無関係で得た富なのだ。これがなければ、未だに中東諸国は未開の土侯国のままだ。
 
 以前も触れたが、女性の人権が全く認められていないので、16歳の少女がレイプされ、そして男を惑わした罪により、死刑になった。結婚年齢に制限がないので、10歳未満の子供が性交渉の対象になっている。むろん、一夫多妻も認められている。死んで天国にゆけるのは男性だけだ。
 
 最近の事件では、カメルーンから出稼ぎにきた女性が雇い主の子供を誤って死なせたために死刑判決を受けた。言葉が全くわからない被告のためにインド人の通訳がつけられたが、ほとんど裁判所でのやりとりが理解できず、ただ、弁護士にサインをすれば死刑を免れるといわれて署名し、5年間拘束されたままだという。
 
 この場合、シャーリアでは両親が赦免を願い出るか、膨大な慰謝料を支払えば死刑を免れるがむろんそのようなことはできず、今も死刑におびえながら拘束されているという。
 
 このような例はイスラム諸国では珍しくもない。また、サウジの王族の男がロンドンで同性愛の相手だった使用人を殺し拘束されているが、サウジでは同性愛は死刑だそうだ。
 
 世俗主義を目指していたはずのトルコでも、イスラム原理主義者政党が勢力を伸ばしているが、それは国民がそのように指示しているからだ。よく知られている例では、イランでかつて革命が起き、近代化を目指していた国王が追放され、イスラム原理主義国家となって、今は核開発で国際的な非難の的になっている。
 
 イランもトルコも決して教育レベルは低くはないが、教育の根幹に宗教を離れた自由意志が存在しないためにこのようなことになる。結局、神に許されたことしかできない人間は、自分でものを考えなくなる。そのような国で、近代科学の発展や真の民主化など望むべくもなく、つまりイスラム諸国が近代化する望みはない。第一、多くの国民が近代化のなんたるかを知らず、政府がそれを望んでいないのだから、いくら他国から技術を買ってもそれだけのことだ。チンパンジーでも教えればコンピューターゲームをする、が、決してチンパンジーはコンピューターを作らない。
 
 したがって、国家の根幹は教育であり、しかも一部のエリートの教育ではなく、一般国民の教育レベルの高さが大切なのだ。そして、宗教に支配されず、自由に情報に接する環境にあり、国民が自ら判断する能力を備えていて、初めて国民の教育は国家の繁栄につながる。左翼思想に染まり、自分で判断のできない人間は、結局今の政権の中にいる左翼連中のような人間になるということだ。彼らは基本的な人間社会の常識さえ、念頭になくなる。
 
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 政権末期?首相が来ても座ったままの閣僚2人

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2010/12/08 00:56更新

 やはり政権末期か-。7日午前、首相官邸で閣議が開かれる直前の1シーン。菅直人首相が閣僚応接室に入ってきたが、起立して迎えたのは高木義明文部科学相=写真右。仙谷由人官房長官と岡崎トミ子国家公安委員長は話し込んだまま立ち上がろうとしない。首相の存在感はますます軽くなっているようだ。
 
 いくら菅総理を馬鹿にしているとはいえ、腐っても鯛、菅でも総理。やはり閣僚たるものそれなりの礼儀を見せるべきだろう。こんな基本ができない人間が、官房長官や国家公安委員長の席に着いているのだ。教育が国家に与える影響を考える良い見本ではないのか。

 私も菅総理は決して尊敬などしていないが、何かの機会で出会うことがあれば、それなりの礼は尽くす。たとえ批判しようと、それとこれとは別だからだ。
 
 また、今回の結果で日本の、たとえば読解力などは向上したとはいえ、自分の意志を他社に伝える能力ではかなり低いことが問題とされている。しかし、これも日本特有の価値観、すなわち個より公の力を国家の根幹としている国では、自己主張も余りすぎるのは良いことではない。つまり欧米基準でのテスト結果がそのままアジアの評価につながるわけではない。
 
 それらをすべてふまえた上で、改めて例のゆとり教育が損なった日本の教育を思わざるを得ない。さすがに日本の教育界でも2000年から毎回ずるずると下がってゆく日本の成績に衝撃を受け、近年授業時間を増やし、読書を勧め、授業内容を改めるなどをした結果が今回の成績アップにつながったという。それでもゆとり教育を進めるべきだと主張する連中は大勢いる。
 
 そもそも、子供の教育には詰め込み丸暗記は欠かせないのだ。これは人権もヘチマもなく、人間の成長に欠かせない過程なのであって、子供時代はとにかく理屈抜きに三木市下ものをそのまま記憶することから人生が始まる。そうでないと、まず子供が言葉を覚えることは不可能だ。2,3歳の子供にとって、たとえ母国語でも意味のない音の羅列だが、それを無条件で覚えまねをすることで言葉を覚える。この時点で2,3歳の子供に文法教育や文章解釈の教育をしても意味がない。とにかく子供により多くの言葉を聞かせ、子供がまねをしてうまくいったらほめる。それだけのことであり、この積み重ねがやがて子供の言語能力を作り、思考能力の基礎を作る。この見聞きしたものを無条件で記憶する能力はだいたい8歳頃までのものであり、それ以降は、理解したもの以外記憶できなくなる。この時期を臨界期といい、この時期までに接した言語を子供は母国語として習得できる。
 
 大人になってからは、無意味な音の羅列などとうてい記憶できないので、たとえば大人が外国語を学ぶ場合、まずその言葉の意味を理解しその意味と音を結びつけて記憶する。文章を記憶するのも、むろん意味づけが必要不可欠であり、文法を理解しながら学習すると結果として早く外国語を身につけることができる。
 
 つまり子供の時期、それも8歳までは無条件の丸暗記、詰め込み教育が基本であって、この時期に蓄えたデータが、後に理解力、推理力、構成力などの基礎になる。子供時代に膨大なデータを蓄えなかった人間は、大人になってから理解力、推理力、構成力が育つことはない。
 
 ところがゆとり教育では、子供に判断させることを重視して丸暗記を非人間的と廃してしまった。この結果が悲惨といえるほどの子供の学力低下につながったのだ。むろん、子供でもものは考えなくてはならないから、そのための教育は必要だが、メインはあくまで知識の集積であり、丸暗記、詰め込み教育こそ、もっとも子供の特質にあった人間的な教育なのだ。
 
 かつてめざましい近代化を成し遂げた日本人達が受けた教育は、徹底した詰め込みだった。論語や日本の古典を丸暗記すること、計算でも九九やそろばん演算を、口調で丸暗記した。文字を繰り返し書いて文字を覚えた。それが大人になってから世界的にも珍しい数学競技(各地の神社には算額による数学の問題が掲げられ、その解答が書き加えられたりした)、商業的には為替の発明、先物取引などなど、世界の最先端のシステムを作りだし、(もっともこれも、信用を何より重んずる民度の高さが有ったればこそだが)、関孝和はニュートンより早く連立方程式を考えだし、三浦梅園や平賀源内のような学者を輩出している。詰め込み教育がいかに大切か理解すべきなのだ。
 
 一例として一桁のかけ算ならほとんどの日本人は九九を暗唱しているので瞬時にできるが、これは欧米人からすれば驚異らしい。しかし、これも詰め込み教育の結果ではないか。そしてこの結果が、いかに日本の科学技術のレベルに貢献したことは理解できるはずだ。
 
 今回、わずかながら日本の子供の学力が向上したのは良いが、それでもゆとり教育を叫ぶ連中が政府の中にもいることを認識しておかなくてはならない。また、教育コストが日本では異常にたかく、結果として親の資産格差が子供の教育レベルにそのまま反映している実体をなんとか、すべきだろう。馬鹿なばらまき、つまり子供手当や高校無償化などに血道を上げて国民を賠償しようとしている政権下では望むべくもないが。
 
 

非日本人内閣

 いやはや、ちょっとネットサーフィンをしていたら次の様なブログを観た。正に正論なのだが、戦没者慰霊祭の菅総理の言葉について書かれている。
 
 《》内は引用。

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全閣僚、靖国参拝せず

佐藤守
提供:軍事評論家=佐藤守のブログ日記
2010年08月16日16時32分


 朝の産経はこう見出しに書き、「民主党政権下異例の8・15」とも書いた。

 私は炎天下の2時半から3時まで、じっと列に並んで参拝したが、子供連れ、孫連れの方々も、汗を拭き吹き、扇子で扇ぎながら、粛々と並んでいた。

 昭和64年1月7日、昭和天皇が崩御されたとき、悲しみにくれる10万人の国民が皇居前広場に並んだが、あの時は雨がひどかった。しかし、誰も声を出すものもなく、ただひたすら立ち尽くして記帳台に並ぶ順番を待ち続けたから、外国メディアは驚嘆の声を上げて取材していた。日本人の真の姿が不気味に、異様に見えたのかもしれない。わたしも列中にいて濡れ鼠だったが、日本人の天皇に対する忠誠心を肌で感じたものであった。

 65年前の15日、玉音放送を聴いた多くの国民が皇居前広場で悲しみをこらえた。自決する者も後を絶たなかった。今多くの心ある国民は、静かに靖国に参拝して英霊に感謝している。これが日本人の生き様だと思う。

 昨日15日の参拝客は16万6千人だとある。老いも若きも猛暑に耐えて、ひたすら並んで英霊に感謝の誠をささげた。

 産経は民主党政権の英霊に対する侮辱的行為を「どこの国の閣僚か」などと非難したが、魂を売った彼らは日本人ではないことを仙石、いや先刻ご承知だろうに・・・

 全国戦没者追悼式典で菅首相は、「・・・ご冥福をお祈りいたします」とお決まりの文句を並べたあと、畏れ多くも両陛下の御前で、『先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲となられた方々のご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します』と臆面もなく言い放った。

 1946年10月10日生れの菅直人氏は、生まれる前の国家の実情をどこで知った?

 多くの将兵たちが、国家存亡をかけて国難に立ち向かって戦った行為を侮辱して、「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました」と実証的に言う根拠を持っているのか?あれば是非伺いたい。

 当時皇太子であらせられた天皇陛下のお前で、多くの肉親を国家にささげたご遺族の面前で、よくも抜けシャーシャーと先人を誹謗する言葉が吐けたものだ。戦後生まれの弱卒が先人の行為を「根拠もなく」誤った行為だったという資格がどこにあるか!思い上がりもはなはだしい。

 菅首相の「犠牲となられた方々のご遺族」とは、会場を埋めている6000人のご遺族ではなく、かっての敵国である、中国人に対する発言ではないか!

 韓国がすぐに反応して「評価した」様だが、韓国・朝鮮半島は日本の施政下にあった。つまり日本国だったのだから、彼らも共に日本国民として戦った戦友であった。わが国が一方的にいつどこで今次大戦で彼らに「多大の損害と苦痛を与えた」のか教えてほしい。不勉強もはなはだしい。それで首相が勤まるとお思いか?

 日本が100年前に併合したこととは別次元の問題だろう。それさえわかっていない。

 更に「日本人を虐殺し、国共内戦に日本をうまく誘い込んだ」支那に対して、「謹んで哀悼の意」を表する理由はどこにあるのか?

 昨日の式辞は 天皇と我が同胞に対する限りない侮辱の言葉であり、このような言葉が吐けるのは「日本人ではない証拠」だといえる。彼らは、日本人が憎くてたまらない旧敵国人だという証明以外の何物でもあるまい。村山、菅、どちらも日本史に無知蒙昧な首相の代表として名が残ることだろう。

 だから産経が「全閣僚、靖国参拝せず」と怒るのは大きな間違いなのである。彼らは、英霊の面前に出る資格が全くない上、出れば英霊の怒りをまともに受けるからである。

 「参拝せず」ではなく、「出来ない」のであり「させてはならない」存在だということを産経にはしっかり認識してほしい。

 もしも「参拝する」と言い出したら、その方が大問題、これは全力で阻止すべきなのである。英霊に対する哀悼の意など彼らには微塵もない。あるのは「票」を意識した人気取りだけだからである。そんな敵対国人が、神聖な靖国に顔を出すことは絶対に許されない。

 昨年8月11日に、土足で靖国神社の拝殿に乱入した台湾原住民で立法委員(国会議員)の高金素梅と同列の汚らわしい連中なのである。

 だから、菅内閣閣僚が、靖国の聖地に現れなかったことこそ喜ぶべきことなのである。靖国を汚した高金素梅の二の舞を防ぐことが出来たことを、英霊とともに喜ぶべきだろう。

 やがてこの秋、彼らは追い詰められ、進退窮まるだろう。英霊の怒りは頂点に達しつつある。静観しておこうと思う。
 
 だが、このような言葉を慰霊祭で述べたのは菅総理だけではない。実は、最近なにやら人気が出てきているかの様な麻生元総理も去年の慰霊祭でほとんど同じ事を言っているのだ。
 
 一部抜粋だが
 
 「多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えております。

国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となられた方々に、謹んで哀悼の意を表します。

終戦から64年の歳月が過ぎ去りましたが、今日の日本の平和と繁栄は、戦争によって、命を落とされた方々の尊い犠牲と、戦後の国民の、たゆまぬ努力の上に築かれております。

世界中の国々や各地域との友好関係が、戦後の日本の安定を支えていることも、忘れてはなりません。

私達は、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を風化させることなく、次の世代に継承していかなければなりません。

本日、ここに、我が国は、不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に向けて、積極的に貢献していくことを誓います。

 そう言えば、元航空幕僚長 田母神俊雄氏を更迭したのも時の麻生総理だった。

 実際に他国のリーダーで非戦の誓いなどを口にした例があったとしたら、私は寡聞にして知らない。分かり切ったことだが、戦争は一国では出来ず、必ず一国以上の対戦国がある。いくら自国が戦争をしないと言っても、相手から攻撃されたり侵略された場合も一切抵抗せずなすがままにされる覚悟でもしない限り、非戦の誓いなど成り立つわけがない。
 
 故に、侵略戦争はしない、という誓いなら立てるかも知れないし、それを口にする国は多い。また、国際法でも侵略戦争は禁じられている。しかし、現実にどちらかが戦争を仕掛けるわけで、その際侵略戦争だと自ら言うわけがない。かならず、止むに止まれぬ防衛処置である、と言うに決まっている。したがって、非戦の誓いはいかなる場合も敗北主義を意味するだけのことであって、こんな事を公に宣言する様な政治家が支持されるはずがない。これが世界の常識である。国家を守らないと宣言する政府を、どうして日本国民が支持できるのだろうか。
 
 つまりは、日本人には国を守るという意味が理解できていないとしか思えない。基本的な地政学、軍事学と言った他国では全くの常識である分野の教養が、この国の人間にははじめから認識されていないのだ。
 
 ここまで考えたとき、背筋が寒くなった。日本の教育レベルは世界でもトップクラスと言われている。一部のエリートの話ではなく、国民の平均レベルのことであり、識字率はほぼ100パーセント、様々な分野で日本人は高い教養を示している。しかし、基本中の基本である国家意識、国防意識、地政学、民俗学、軍事学の起訴をまったくその存在すら知らないかの様なレベルに押しとどめられている現状は、微積分を駆使しながら自分の名前さえ書けない様な状態といえるのではないか。

 
 だからこそ、歴代の内閣がアジアに謝罪し続けるなどの異常な状態が30年も続いてきたのだ。
 

愛国心、民族教育

 この二,三日、民主政権の売国振り、隣の半島の異常とも言えるつけあがり方を書いていて、なぜ日本はこういう国になったのかを考えてみた。もちろん、答えははっきりしている。民族教育、愛国教育がまったく為されていないからだ。世界のどこに、自分の国をおとしめる教育が為されている国があるだろうか。世界のどこに、自国の国旗、国家などを嫌う人間達が教育を司っている国があるだろうか。
 
 どこの国に、自国を仮想敵国とし、歴史をねつ造し、自国の国旗を毀損し元首の肖像を焼き、口汚く日本をののしる国に対し友好を唱え、融和を勧め、門戸を開いている国があるだろうか。
 
 もちろん、日本の歴史がすべて何から何まで正義に満ちていて理想通りに移行してきたわけではない。また日本の価値観が完全無欠で、日本文化が世界で一番優れている等と言うはずが無く、もしそう主張する日本人がいたら、あまり近づかない方がよい。
 
 しかし、価値観や文化、そして歴史の解釈は、それぞれに民族国家により基準が違うのだから、どこの文化、価値観が正しいと答えを求めること自体が無意味なのだ。だから、私はこのブログでも、日本が唯一正しいと言う言い方をしたことはない。
 
 ただ、世界基準という物がある場合があるから、日本国外で日本流を通そうとしてもそれは無理だろう。ひんしゅくを買う場合がある。小さな事だが、欧米式のスープを飲むとき、皿を持ち上げて口を付けて音を立てて啜ろうものなら、レストラン中のひんしゅくの視線を集めるだろう。だが、海外でも日本食の料亭に行ってそばを食べるときは、威勢良く音を立ててそばを啜って、喩え周りの非日本人達の視線を集めようと、まったく気にする必要はないと思っている。
 
 まあ、たかが食事の作法であって、仮に不慣れなことから周りのひんしゅくを買ったとしても、それほど大勢に影響はない。現実に日本人旅行者は最も歓迎される旅行者として、欧米のホテル関係者の評判を得ている。単にかね払いがよいからではなく、礼儀正しく、無理を言わず、威張らず、正直でごまかさず、部屋の備品を盗まず、部屋をきれいに使い、威張り散らさないからだ。
 
 単に礼儀だけではなく、国として信頼されているから、日本のパスポートを持っていると、ノービザで世界の130ヶ国以上に入国できるが、たとえば中国や韓国のビザでは、入国に制限のある国が多くある。だから、張景子女史などは、そのパスポートが便利だから、日本国籍を取ったと言っているくらいだ。
 
 何度も書いているが、資源もなく国土も狭いこの日本が、世界第二位の経済大国になり、世界トップクラスの科学技術大国になり、教育レベルでもトップクラスであり、世界トップクラスの平均寿命、健康寿命を誇り、世界でも際だった犯罪発生率の低さなどなど、客観的に言って世界でも日本が勝れている面がたくさんある。
 
 国土の広さとか資源の豊富さなどは人間の資質とは関係がないが、日本が誇るべき世界有数の勝れた面は人間の資質、民度による物だ。
 
 だからといって威張る必要もないし、まして他国を侮辱する必要など全くない。だが、現実に価値観の違い、文化の違い、歴史の認識の違いなどという曖昧で基準のない物ではなく結果として、客観的な基準で勝れている面がたくさんあるのに、どうして多くの日本人がそれを理解しないのだろうか。理解し無いどころか、日本をおとしめることがまるでクールだとさえ思いこんでいる馬鹿も大勢いる。
 
 無理もない。教育の中身を見ると、そのように思いこませるような教科書があふれているし、NHKなどのマスコミの論調も、そのような方向を向いている。NHKの放送内容が変更している、と一昨日書いたとき、少しだけ歴史教科書の中身に触れたが、日本が一方的にアジア諸国に苦痛を与えた、だからアジアでも孤立し、世界で嫌われている国だと言うような印象を生徒に植え付けているとしか思えない。
 
 そして、極めつけが日本解体政権であり、泥棒におい銭の謝罪をし、補償をしようと言う内閣だ。そんな政権が誕生したのも、日本人が選んだからであり、元はと言えば日本の有権者に責任がある。
 
 特亜の反日、毀日政策は、愛国教育とか民族教育などというより、単なる劣等国家のひがみでしかないと思うが、世界では自分の国の勝れた点を強調して子供に教育する国ならたくさんある、というより、それが当たり前なのだ。特亜のような嘘までは教育に入れないとしても、都合の悪い歴史を都合良く省き、または都合良く教える場合ならたくさんある。
 
 ヨーロッパがどれだけアジアアフリカに苦痛を与えていたかを正直に教えている欧米諸国は無いだろうし、自国が歴史の長い誇りある国だと教えている国も大半だろう。
 
 なぜ、日本ではそうではないのか。
 
 民族教育、愛国教育とは決して嘘を教え他国をおとしめる教育ではない。自国に誇りを持ち、愛情をもてるように教育することで、他国をも尊重できるのではないか。そう書いたのが、四月の私の記事「愛国精神とは」平成22年04月22日だ。
 
 ところで、ちょっと話がずれるが、私が特亜の批判を書いていると、それは差別だと指摘してくださる方がいる。今回もコメントで又指摘されているが、私は特亜国家の在り方、そして擦り込まれて反日に染まる特亜人を非難し、糾弾しているのであって、個々の中国人韓国人を差別しているのではない。
 
 私のエントリー「在日差別」平成22年04月01日等でも書いているように、個々の中国人韓国人に対する差別は持っていないのだが、それでもその指摘をしてくれた御仁は、それでも無意識に差別をしている、あるいは差別意識を持っていないことと差別をしていないことは違う、とのお言葉をくださった。
 
 私としてはああそうですか、としか言いようがないが、このように差別をしていると決めつける人に対し、いや差別はしていないと説明しても絶対に認めはしないことを知っているので、ああそうですか、としか言えないのだ。
 
 わたしは、アンチ民主だから、民主についてもくそみそに書く。内閣も、閣僚達も批判する。ただし、自民にしても他の党にしても批判はするが、その人は、民主党に対する差別をしているとは言ったことがない。しかし、特亜批判をすると、差別だというのだ。誰が差別意識を持っているのか、お訊きしたいものだが、もちろんまともな答えなどあるわけがない。
 
 毎回のエントリーはほとんどが特亜と民主に対する批判であり嫌悪感丸出しだが、そのたびに、私は個々の中国人、韓国人に対する差別意識は持っていませんと、書きはしない。そんなことは文面から分かるはずだ。特亜の国策、在り方、反日行為、嘘、卑劣さは言うが、一度も中国人はとか韓国人はという言い方をしたことはない。
 
 それでも気付かない内に差別をしていると言うような人に、差別していないなどと説明しても意味がないし、その人を説得しなければならない義務も私にはない。なにしろ、どこのどの部分が、中韓人一般に対する差別なのかを指摘したことがないのだから。
 
 閑話休題
 
 とにかく、日本の教育に絶対的に足りないのが、史実に基づいた歴史教育、日本という国に対する正しい認識、民族的価値観の教育だ。
 
 日本人の大半は日本で生まれ、日本人に育てられ、日本的価値観に浸かってそだつ。いわばそのように脳が出来てしまう。これはさけようがないのであり、大人になって自分の判断で外国に住むことになっても、所詮そこでは外国人なのであり、生まれ育った日本の価値観から出ることは出来ないのだ。だからこそ、その価値観によって生きてゆく日本人のための教育が必要であり、日本人の心のよりどころとしての愛国心を持たせることが、結局世界のどこでも生きてゆける人間を作るのではないのか。
 
 愛国教育とは決して排他教育ではない。国際化の時代と言われ、国際化の時代だからこそ、日本人としての愛国心は必要不可欠なのではないだろうか。
 
 四月に書いたエントリーを下記に再掲する。
 
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愛国精神とは

愛国教育、憂国、民族意識、日章旗、君が代、天皇というような言葉に、異常な拒否反応を示す方々がいる。単なる生理的な反応らしく、これらのキーワードが鼓膜をふるわせたその瞬間思考が停止するらしいのだ。

過日、日教組の委員長が、次のように発言したとのことだ。これは、かつて鳩山総理が、日本列島は日本人だけの物ではない、とのたまったのと似ている。

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  ―― ところで、先ほど委員長がおっしゃるように、どうして
  日教組のイメージは良くないんでしょう。

  不徳のいたすところです。それは冗談としても、カタカナで
  「ニッキョウソ」ってなると良くないよね、印象が。愛国心などを
  巡る過去の色んなことも無関係ではないかもしれない。ただ、
  この愛国心を強制するなって言いたいですね。この組織だって、
  「日本教職員組合」と「日本」が付いているんですよ。
  しかし付いているからって、日本に固執することとは別だから。

  ―― 自分の国を大切に思うのは、よくないことですか?

  なんで日本だけを愛さなきゃいけないの。今はグローバルな時代だって。
  日経新聞だって、いつもそう書いてるじゃない。そうした時代の中で、
  じゃあなぜ日本だけを大切にするの。大相撲で、朝青龍や把瑠都(バルト)は
  土俵に上がるな、ということ。

  ―― もちろん上がっていいと考える方が多いでしょう。
  がんばって、実績を残したわけですから。むしろ、彼らに勝てない
  不甲斐なさを感じ、「もっと、がんばれ」と応援する気持ちを持つ人が
  いてもおかしくない。

  日本が大事だと言うなら、中国とか東南アジアなんかに日本企業は
  工場を作らずに、日本に作りなさいよ。理屈の上ではそうなってくる。

  (後略)


http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100420/214084/?P=4

他にも日教組には日章旗掲揚で何故起立を強制するのか、国歌斉唱をなぜ強制するのかなどの発言もあるし、とにかく日本が戦争で悪いことをした、アジアから恨まれているなどなどの所謂自虐史教育など、どう考えても異常な行動が多い。しかもこの種の輩は、自分の思考方法に問題があるなど夢想もしていないようだ。

「日本が大事だと言うなら、中国とか東南アジアなんかに日本企業は工場を作らずに、日本に作りなさいよ。理屈の上ではそうなってくる」

単にビジネスで残すと意識の問題であり、外国に工場を造るのは国家意識とは無関係だが、それを理解出来ない人間が教育の中枢にいるのだ。

教育は次世代の人間を育てる事業であり、この事業に携わる者がもしその思考に偏向した部分があるなら、結果として国家の将来に関わる。日教組を支持母体としている民主党の興石東氏は、教育に政治的中立などあり得ないと言っているが、日本が今どんな危機に瀕しているか理解出来ないだろうか。

さて、国を愛する愛国精神のどこが危険なのか。すぐ右翼だ、暴力だと切り返す方がよほど危険ではないのか。


愛国教育で正しく日本という国を理解させ、日本を愛する様にするからこそ、他国の愛国心をも理解出来るのではないのか。もし、国に問題があったら、それをどう解決するかは、その国の人間以外に誰がするのか。憂国、とは国を憂うことだが、どんな国にもその時その時の問題が生ずるだろう。無関心であって良いはずがない。

民族意識、これも日本国を意識する場合、欠かせない要素だが。世界では他民族が共存するなり反目仕合ながら存在している国が多い。と言うより大半の国がそうだが、日本は世界でも希有な単一民族国家だ。ここで、アイヌ民族がいる、在日がいる、沖縄があるなどと言っても意味がない。日本文化に基づいた価値観によって統一され、日本語が唯一の使用言語であり、日本文化を共有していると言う意味だ。だからこそ、日本という国、日本人という自覚を持つことが出来、正しく国を愛し、正しく国を憂う事が出来る。その意識がなければ、仮に日本に危機が訪れたときさっさと国を捨てれば良いという人間が増えるだけであり、結果として国家が崩壊する。

日章旗、君が代、天皇はその意識の象徴であり、単なる布きれ、単なる歌、単なる一人の人間ではない。これら象徴を尊重することがなぜ出来ないのか。むろん、日本は思想言論の自由が保障されているから個人として日本は嫌いだと言うのもやむを得ないだろう。しかし、自分が教育する子供達に自分の価値観を吹き込むのであればそれは感化出来ない罪ではないのか。

社民党などは国家の解体が理想のようで、国家があるから戦争が起きる、だから国家を無くすれば戦争もなくなる、国家の構成分子とも言える家族も解体すべきであり、夫婦は別姓であるべきであり、子供は社会が育てるとのことだ。

世界の全ての土地が同じ条件で同じ生産力が有れば、世界が一つの国家になることは理屈の上では有るかも知れないが、現実には世界の富は偏っているのだ。無理に一つにしても内戦が起きるだけのこと。

国家としてまとまり、その上で他国をも理解して協調する方法が結果として世界を平和にまとめることが出来る唯一の方法だ。ただし、これも理想論であり、現実は国益のぶつかり合いを外交で妥協しあいながら紛争を最低限にする努力を続けるしかない。

世界を愛するならまず日本を愛し、日本に責任を持てる国民を育てるべきではないのか。


愛国精神とは

平成22年04月22日

愛国教育、憂国、民族意識、日章旗、君が代、天皇というような言葉に、異常な拒否反応を示す方々がいる。単なる生理的な反応らしく、これらのキーワードが鼓膜をふるわせたその瞬間思考が停止するらしいのだ。

過日、日教組の委員長が、次のように発言したとのことだ。これは、かつて鳩山総理が、日本列島は日本人だけの物ではない、とのたまったのと似ている。

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  ―― ところで、先ほど委員長がおっしゃるように、どうして
  日教組のイメージは良くないんでしょう。

  不徳のいたすところです。それは冗談としても、カタカナで
  「ニッキョウソ」ってなると良くないよね、印象が。愛国心などを
  巡る過去の色んなことも無関係ではないかもしれない。ただ、
  この愛国心を強制するなって言いたいですね。この組織だって、
  「日本教職員組合」と「日本」が付いているんですよ。
  しかし付いているからって、日本に固執することとは別だから。

  ―― 自分の国を大切に思うのは、よくないことですか?

  なんで日本だけを愛さなきゃいけないの。今はグローバルな時代だって。
  日経新聞だって、いつもそう書いてるじゃない。そうした時代の中で、
  じゃあなぜ日本だけを大切にするの。大相撲で、朝青龍や把瑠都(バルト)は
  土俵に上がるな、ということ。

  ―― もちろん上がっていいと考える方が多いでしょう。
  がんばって、実績を残したわけですから。むしろ、彼らに勝てない
  不甲斐なさを感じ、「もっと、がんばれ」と応援する気持ちを持つ人が
  いてもおかしくない。

  日本が大事だと言うなら、中国とか東南アジアなんかに日本企業は
  工場を作らずに、日本に作りなさいよ。理屈の上ではそうなってくる。

  (後略)


http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100420/214084/?P=4

他にも日教組には日章旗掲揚で何故起立を強制するのか、国歌斉唱をなぜ強制するのかなどの発言もあるし、とにかく日本が戦争で悪いことをした、アジアから恨まれているなどなどの所謂自虐史教育など、どう考えても異常な行動が多い。しかもこの種の輩は、自分の思考方法に問題があるなど夢想もしていないようだ。

「日本が大事だと言うなら、中国とか東南アジアなんかに日本企業は工場を作らずに、日本に作りなさいよ。理屈の上ではそうなってくる」

単にビジネスでのコスト意識の問題であり、外国に工場を造るのは国家意識とは無関係だが、それを理解出来ない人間が教育の中枢にいるのだ。

教育は次世代の人間を育てる事業であり、この事業に携わる者がもしその思考に偏向した部分があるなら、結果として国家の将来に関わる。日教組を支持母体としている民主党の興石東氏は、教育に政治的中立などあり得ないと言っているが、日本が今どんな危機に瀕しているか理解出来ないだろうか。

さて、国を愛する愛国精神のどこが危険なのか。すぐ右翼だ、暴力だと切り返す方がよほど危険ではないのか。


愛国教育で正しく日本という国を理解させ、日本を愛する様にするからこそ、他国の愛国心をも理解出来るのではないのか。もし、国に問題があったら、それをどう解決するかは、その国の人間以外に誰がするのか。憂国、とは国を憂うことだが、どんな国にもその時その時の問題が生ずるだろう。無関心であって良いはずがない。

民族意識、これも日本国を意識する場合、欠かせない要素だが。世界では他民族が共存するなり反目仕合ながら存在している国が多い。と言うより大半の国がそうだが、日本は世界でも希有な単一民族国家だ。ここで、アイヌ民族がいる、在日がいる、沖縄があるなどと言っても意味がない。日本文化に基づいた価値観によって統一され、日本語が唯一の使用言語であり、日本文化を共有していると言う意味だ。だからこそ、日本という国、日本人という自覚を持つことが出来、正しく国を愛し、正しく国を憂う事が出来る。その意識がなければ、仮に日本に危機が訪れたときさっさと国を捨てれば良いという人間が増えるだけであり、結果として国家が崩壊する。

日章旗、君が代、天皇はその意識の象徴であり、単なる布きれ、単なる歌、単なる一人の人間ではない。これら象徴を尊重することがなぜ出来ないのか。むろん、日本は思想言論の自由が保障されているから個人として日本は嫌いだと言うのもやむを得ないだろう。しかし、自分が教育する子供達に自分の価値観を吹き込むのであればそれは感化出来ない罪ではないのか。

社民党などは国家の解体が理想のようで、国家があるから戦争が起きる、だから国家を無くすれば戦争もなくなる、国家の構成分子とも言える家族も解体すべきであり、夫婦は別姓であるべきであり、子供は社会が育てるとのことだ。

世界の全ての土地が同じ条件で同じ生産力が有れば、世界が一つの国家になることは理屈の上では有るかも知れないが、現実には世界の富は偏っているのだ。無理に一つにしても内戦が起きるだけのこと。

国家としてまとまり、その上で他国をも理解して協調する方法が結果として世界を平和にまとめることが出来る唯一の方法だ。ただし、これも理想論であり、現実は国益のぶつかり合いを外交で妥協しあいながら紛争を最低限にする努力を続けるしかない。

世界を愛するならまず日本を愛し、日本に責任を持てる国民を育てるべきではないのか。

子殺しの時代

平成22年03月05日

 最近立て続けに子供が親に虐待され殺されたというニュースが目に付く。最近も4歳と五歳の幼児が食事も与えられられないまま餓死し、その少し前には7歳と9歳の子供が折檻死した。
 
 こうも続けて児童虐待、殺人のニュースを見ると、まるで日本で子殺しが蔓延しているかのような印象を受けるが、2,3年前は10代の子供による親殺しが頻繁に起き、日本中を震撼させた。この国はどうにかなったのではないかとみんなが思った。
 
 ところで、最初に確認して置くが、子殺しにしても親殺しにしても日本は他の犯罪同様世界的にはきわめて少なく、近年それが際だって増えてきたという証拠は全くない。他国では実情はひどい物だし、子供を売り買いしたり殺したり、長年閉じこめた実の娘に子供を産ませていた父親などもオーストラリアなどには居る。アメリカでも同じ様な事件は時々起きる。だから、子殺しにしても親殺しにしても日本が際だって多いのではなく、滅多に起きないからこのように大きく報道されると言っても良い。
 
 もちろん、どんなに少なくてもこのような犯罪が起きること自体は悲惨だし、発生はゼロにしなければならないと誰でも思う。
 
 子殺しにしても親殺しにしても親子の関係がうまく出来ていない結果起きると言っていい。ただし、誰の責任にも帰すことの出来ない障害や病気などが原因となる場合もあるので、すべての親殺し子殺しが親子関係によるとは言えないことは、知っておく必要がある。精神的な障害や病気で妄想を抱いて殺人を犯すのは他のケースでもあり得ることだからだ。
 
 それらの特殊なケースを除けば、結局は全て親の責任に尽きる。親子関係と言っても、人格を形成する幼児期に於いては子供は全て受動であり、親子双方の責任とは到底言えない。一方的な親の行為が結果を生むのだ。
 
 幼児期に愛情を注がず単に厳しかったり親自身が子育てを放棄した場合、子供は必ず精神的な傷を負ったまま成長し、暴力やネグレクトを受けていた場合は体力が親より勝るまで成長したときに親に対する攻撃として殺人に至る。
 
 では親が子育てを放棄するとはどういう場合に起きるのか。全ての親子関係で起きる可能性がある。そもそも母性とか父性、子供に対する愛情は本能ではなく学習によって身につけることが証明されている。人間は無論だが、大体のほ乳類は子育てを群の中で親の子育てを見て学ぶので、動物園などで親の子育てを見ずに育った動物は、子供を生んでも子育てをしない場合が多い。したがって、人間が親に見捨てられた子供を育てることになる。
 
 人間も全くそうなのだ。昔はどこの家でも兄弟が5,6人居たから上の子は下の子の面倒を見、子育ての手伝いをする内に、幼い子供に対する愛情を学び、将来の子育てを学ぶ。下の子供は、上の子供の子供すなわち甥や姪の世話をしたり上の兄弟の子育てを身近に見たり近所の家の幼い子供の面倒を見ることで、やはり子育てを学ぶ。
 
 また、昔は親との同居が多く、また近所づきあいも密だったので子育てに悩んでも身近に助言を得ることが出来、子育てで孤立することがなかった。したがって、子育て環境は今よりも昔の方が良かったといえる。
 
 ただし、それでも親殺し子殺しは今よりも多かったのだが、それは子供の数が昔は多かったのと、子供に対する人権意識が今ほどではなかったのと、親自体の平均的な教養レベルが低かったこと、社会的に子供を監視するシステムが出来ていなかったからと言えるのではないか。
 
 だが、今親になりきれない人間が簡単に親になってしまう問題が新たに出来てきているのではないか。昔は15,6になれば結婚し子供を生む女性など普通にいた。最初からそのように教育されており、また平均年齢が40代では、15,6で子供を産みそれも何人も生まなければ育てられなかったのだが、今は20代になってもまともに子育ての教育を受けていない。むろん、これは両親について言っているのであり、母親だけの問題ではない。
 
 もう一つ懸念されるのは、幼児教育だ。昔は幼稚園や保育園に行く子供は少なく、小学校が最初の教育であったが、それは親がいつも家にいて子供の面倒を見られたのと、子供同士が近所で一緒になって遊ぶために集団生活のルールを自然に身につけることが出来ていたから、特に小学校以前の教育が必要と思われなかった。
 
 しかし、教育熱が高まってくると、小学校さえお受験がある時代、幼稚園や保育園は半ば義務教育化し、そのため、親が自分で子育てをしなくても良いような錯覚を覚えているのではないのか。
 
 今の若い親たちは、やはり子育ての経験を持たない親に育てられ、親代わりに保育園や幼稚園での育児を受けている。それなら自分の子供を本当に育てる意識がもてるのだろうか。むしろ、子供にいろいろなことを学ばせることが育児だと勘違いしている感がある。そして5,6歳、早ければ3,4歳から習い事に通わせる親が沢山居る。確かに幼児期、脳の学習能力が極大であるこの時期に、音楽、語学、運動などを教えると、大人の何倍もの吸収力で覚え込むから、幼児教育で色々教えるのが有効だと誰もが信じているようだ。
 
 だが、この時期は人格の基礎を身につける時期でもあり、人との関係、人の心を読みとり、思いやりルールを守ることを学ぶ時期であり、この時期に習い事で遊ぶ時間も与えずに詰め込むことで、子供の精神的な成長にどんな悪影響があるかを親は考えているのだろうか。
 
 昨日たまたま観たテレビでは、7歳の女の子が10カ所の習い事をやっていて、親はその子をプロゴルファーにしたいのだそうだ。何か間違っていないだろうか。
 
 幼い頃から教育するから絶対音感が身に付き、プロの音楽家になれる可能性が増す。将棋を幼い頃からやれば、もしかしたら第二の羽生善治になれるかも知れない。しかし、かも知れないが、才能がなければ単なる将棋のうまい小学生にしかなれない。3,4歳から英語を学べばおそらくネイティブ並の英語能力が身に付くだろう。だが、日本語能力はどうなるのか。
 
 幼児は詰め込めば詰め込むだけ吸収する。しかし、内容を理解するわけではない。単に記憶し、また脳をそれに合わせて形成する時期だからだが、下手をすると人間として一番大切な人間関係を作る能力を育てることが出来なくなる。現実に、幼児期から一芸に秀でた専門家には、人間的に問題を抱えている人物が少なくないのだ。
 
 次に、それをさらに悪化させているのは、ゆとり教育だろう。最近はこの見直しが進んでいるが、競争心を養わず、記憶教育に主点を置かず、そして授業時間まで減らしてしまった結果、学校で学ぶ内容は大幅に減り、基礎教育レベルが大幅に下がってしまったから、良い学校に行くにはどうしても塾通いをしなければならない。結果として親に資産が無くて塾に通えない子は進学のための学力を身につけることが出来なくなった。また減らした授業時間は塾通いに費やされているのだから、実は決してゆとり教育にはなっていない。
 
 さらに、子供時代はやはり基本的なデータ蓄積期間でありだからこそ、大人に比べて記憶力が優れているのだ。子供の頃に膨大なデータを記憶し、大人になってからそれを利用して思考する。子供時代に必要なデータを記憶させず思考させようとしても、思考するためのデータが不足していれば思考能力は磨かれない。
 
 思考のための膨大な記憶データを結晶記憶と言うが、これは子供時代にある程度詰め込み、但し人格育成に支障のない詰め込みが絶対必要なのだが、この時期に詰め込みを一切せずゆとり教育をやってしまった今の青少年はおそらく将来の負担になる。
 
 幼児教育から始まって学童教育のこの期間、日本の教育システムは根本的に間違っている。
 
 ところで、ついでだが、冒頭に書いた児童虐殺事件に於いて、各所の児童相談所(児相)は責任逃れに終始していた。また警察や家裁も、明らかな虐待の事実がない限り手出しが出来ないと児相に言ったために、児相はどうしようもなかったと言っていた。
 
 明らかな虐待が現れたときは手遅れだろう。虐待が疑われ、親が子供との面会を拒んだときは、警察官立ち会いのもとにドアを壊し、窓をこじ開け室内に入る権限が児相には与えられている。そのように前政権時法が改正されているのに、それが全く活きていない。専門家であるはずの児相がそれを知らないとは言わせない。
 
 結局、彼等はもめ事を避けたに過ぎない。そしてそれは以前やはり殺された女児が通っていた小学校にも言えることだ。
 
 学校、児相が責任逃れに終始している様では、子供殺しは無くならない。この記事をあなたが読んでいる今その時どこかでまた一人の子供が虐殺されようとしているのかも知れないのだ。
 
 どうして、誰もが責任を取らないのだろう。日本社会では犯人探しをしないのが美徳とされている。だが、それは責任の所在がいつも曖昧になることではないのか。責任者を見つけ追求しない限り、子殺しのようなことはいつでも繰り返され、そのたびに今後このようなことがないように改善したいと思う、との言い訳会見が開かれるだけなのだ。
 
 ところで、6日に下記追記。
 
 日本は当分のあいだ少子化現象が止まらず、また核家族化の流れも止まらないだろう。これは社会の変化に伴うやむを得ない減少であり、かつてのように大家族の中で子供が子育てを学ぶ時代はもう来ないと考えた方がよい。
 
 となると、学習で身につける子育て、母性父性、子供に対する愛情を子供のうちから身につけさせるには、かつての大家族や近所づきあいと同等な教育を子供にほどこす必要がある。
 
 私は幼児教育はおろか教育一般の専門家でもないのでこれが解決策という具体案があるわけではない。また、前述したように、かつての大家族制の時代は今よりも親殺し子殺しが多かったし、また途上国などに見られる大家族制で日本よりも親殺し子殺しが多い事実も無視してはならないだろう。
 
 途上国で大家族が多いのは、大家族で協力しなければ生きて行けないほど、社会が未熟であり、また当然社会保障制度が機能していなければ老後は子供に頼るしかないから子供が多くなる。よく、最貧国で教育も産業も無いのにどうして育てられもしない子供を沢山産むのか、というのは先進国の人間の思考であって、大人数でまとまるしか自分を守る方法がない最貧国では子供が減ることはない。仮に教育が進んで産児制限が普及しても、社会制度がそれなりに機能しなければ産児制限など先進国の身勝手としてしか受け取られないだろう。
 
 さて、日本が少子化なのは、例え単独で老後を迎えてもそれなりに社会制度が完備しているので子供に頼る必要が無く、また日本でまともに生活するにはあるレベル以上の教育やスキルが必要不可欠なので子供に教育を集中するには少子でなければならない、また敢えて結婚をする必要もない、との思いを国民が持つに至った為と思われる。要するに、子供を育てる経済的精神的余裕がないし、またその自信もないと言うことだろう。
 
 実際に日本の教育費、育児費用は異常と言えるほど高すぎる。これはある程度改善しなければならず、そこに手を付けずに子供手当をばらまくのは本末転倒と言えるだろう。財源もないのにばらまきをすれば、しわ寄せは教育費の社会投資に行き結果として教育費がもっと高くなる。
 
 話が逸れたが、子供に、子供の内から子育てを学ばせるには、要するに経験者ともっと密接に近づけ、また幼い子供との接点を積極的に作ることだろう。今の子供達は同世代との接触しかない。学校や塾など、ただでさえ子供達の社会が狭くなっているのに、同世代としか交わらない子供達が大人になって子育てを押しつけられてもまともに出来ないだろう。
 
 あえて、言えば自分を育てた親に聞くしかないが、核家族化が進んでいるのだから逸れも難しい。となれば、子供達が地域で老人達に接する施設を作る、保育園と老人施設を一緒にする、年輩者を学校に招く、幼児を学校に連れてくるなど様々な方法があるのではないのか。とうぜん、親になる若い世代や、実際に子育てをし始めた若い親たちも他の世代と交わる場所を公的に作る工夫は出来ないのか。
 
 現状では保育園と老人施設では役所の管轄が違い、免許も違い、保育園と老人施設を一緒には出来ない。それは縦割り行政の弊害であり部分的に一本化すれば可能だろうが、それを日本で実現出来るかどうか。
 
 とにかく、虐待死が起きてから学校や児相、役所を責めてもどうせ責任逃れをして終わるだけ、また同じ事が起きる。どうして彼等が責任逃れをするのか、根本的な問題をもっと突っ込んで考えるべきだと思うが。

英語教育は必然なのか

平成22年01月29日

 少し肩の凝らない話題を。
 
 世の中猫も杓子も英語ブームで、英語学校はどこも満員のようだ。現代人は英語を話せなければ半人前のようなことを言う人もいる。本当にそうなのだろうか。
 
 確かに英語は世界共通言語で使いこなせると非常に便利だ。いろいろな国の人たちと直接意志の疎通が出来る可能性が大きくなるのは確かに便利だし、ネットでもおそらく7,80%は英語による情報なのだろう。
 
 しかし、英語が理解出来なければ日本では生活出来ないのか。無論そんなことはない。世界中の情報が即時邦訳されて日本国内に伝わる。むしろ、海外の方が日本のことを知らないのに、日本は実に良く海外のことを知っている。
 
 昔江戸時代はヨーロッパ言語と言えばオランダ語であり、日本はオランダ語を通じてヨーロッパの情報を得ていた。その後英語を通じて欧米文化に触れるようになり、多くの人たちが英語を学んで実に多くを海外から仕入れた。そして、一般の人たちはその一部の専門家達が日本語に訳した情報を通じて海外のことを知るようになった。
 
 それは今でも全く変わらない。
 
 そもそも英語を学ぶべしと主張する人たちは、英語を知らないと情報に触れることが無くなるというのだが、現実には日本人は海外の人たちが日本を知っているよりも多く、海外について知っている。だから英語を知らないと情報に疎くなると言う事実は全くない。第一、この日本に住んでいて、直接海外の人から情報を得なければならない人がどのくらい居るのだろうか。一生の間に、普通の人たちが海外の人たちを直接意志を通じさせなければならない状況はどのくらいあるのだろう。
 
 ほとんど無い。情報を得るために英語を学ぶ必要は、一般の人たちには全くない。
 
 次に英語絶対論者は、日本語が論理性に欠け、曖昧であるから科学技術を記述するのに不便である。だから、論理的な英語を日本人が身につける必要があるというのだが、実際に日本の科学技術水準は決して世界でも低くはなく国民の教育レベルも決して低くはない。日本語が論理性に欠けるなどは全く事実ではなく、日本語で我々は教育を受け、様々情報に接し、科学技術を発展させてきた。日本語が科学技術に不適切な言語であるなど、まったくの嘘だ。
 
 世界には自国の言語ではまともな教育を受けられず、まともな出版文化が無く、まともな情報に触れることが出来ず、まともな仕事も出来ない国がたくさんある。それらの国では、英語はよりよい生活をする為の必須条件であろう。だから、途上国のビジネスマンや政治家などはおおむね英語を話す。しかし、日本では科学者でもビジネスマンでも政治家でも芸術家でも一流と言われる人たちで英語が苦手という人は沢山居るし、むしろ流暢に話せる人が少ない。
 
 鳩山氏も決してうまいとは思えないし、英語を話せると言っていた麻生前総理もうまいとは思えない。故宮沢喜一氏は英語の達人と言われていたが、聞く機会はなかった。
 
 英語を話せなくても、日本では一流の教育を受け、一流の仕事が出来るのだ。(鳩山氏が一流かどうかは別だが、総理大臣になれると言う意味だ)
 
 もちろん、英語を学ぶな、と言うのではない。本当に海外と仕事をする人たちは英語を学べばよい。また趣味でやる分にはもちろん好きずきである。しかし、英語を生活の必須条件と考え、それを教育として押しつけるのはどうだろうか。中にはてにおはも言えない子供の頃から英語を教え込み、結果としてまともな日本語もまともな英語も話せない人間ができあがる。帰国子女は確かに流暢に英語を話せるだろうが、内容がすばらしいわけではない。日本語としてのニュアンスを理解しなかったり非常識だったりする。
 
 一般に子供の脳に言語中枢ができあがるのは8歳までで、それ以前に外国語を学ぶと母国語として使えるようになるが、8歳以後に外国語を学んでもあくまで外国語としてしか身につけられない、だから小学生から、幼児から英語を学ばせなければならないと主張する人が居る。
 
 そんな必要はない。英語は外国語で良いではないか。大人になってからでも十分に身につけられる。もちろん、発音などはネイティブとはちがうだろうが、国際共通語としての英語はそれで構わない。別にイギリス人、アメリカ人、オーストラリア人と同じ英語を話す必要など全くない。日本人英語を堂々と話せばよい。世界にはインド英語、中国英語、ドイツ英語、スペイン英語が飛び交っている。日本英語で不自由は一切無い。アメリカ人やイギリス人が自分たちを違うと言ったら、それは国際共通語の英語を知らないだけのこと、何も我々がイギリス語、アメリカ語を話す必要もない。
 
 だが、海外との仕事でもしていない限り、そんな日本英語も話す必要など無い。必要になったら学べばよい。大人になってからでも、真剣に、そして必要に迫られればちゃんと実用レベルの英語は身に付く。それは私の体験でも言えるし、多くの人たちがそうだ。
 
 私はかつて仕事上英語を話さなければならなくなり、仕事の合間に英語を勉強した。今では仕事にもプライベートにも不自由なく使いこなせると思っている。もちろんネイティブと比較するつもりもないし、そんな必要もない。
 
 学校で英語を教えるのであれば、ある程度でよい。けっしてそれが必須科目であったり、まして小学校や幼稚園から英語を詰め込む必要など全くない。
 
 英語を話せれば便利だから、学びたいという人に水を差すつもりはない。多いに学んでいただきたいが、仕事で必要でもない限り強迫観念に追い立てられて学ぶ必要など無い。

刷り込み教育の恐ろしさ

 かなり以前のことだが、テレビで最近の若者が右翼、左翼にあこがれる風潮があると報道されていた。一例として、両親が中核派だった20歳の女性が、何の疑いもなく中核派として活動し、革命のために暴力も辞さないと言っている。刷り込み教育の恐ろしさと言うべきか。

 むろん、いつの時代も若い世代が現状に疑問を抱き、何らかの変化をもたらそうと考えるのは必要であり、これがない社会は非常に硬直し発展性がないと考えて良い。しかし、改革には常に抵抗が伴うし、全ての人間の価値観が一斉に同方向に変わるなどあり得ず、ある程度の時間をかけて改革をしてゆく必要がある。

 暴力で反対派を排除し成し遂げた改革など、常に反対派に立場をひっくり返される可能性があるから、それを防ぐために強力な暴力でそれを押さえつけなければならない。つまり、暴力による革命は次の暴力を生むだけのことであり、いかなる主義主張が有ろうと認めるわけには行かない。この20歳の法大女子学生は、就職のためではなく、革命を実戦するために法大に入ったと言っているのだが、人生経験のほとんどを旧中核派の両親の元に育った、いわば生まれながらの刷り込み教育を受けている結果がこうなるわけだ。

 ちなみに、旧中核派の幹部達は、日本でマルクス主義革命を起こすなど誰も考えてはいないと言っている。口ではしきりにアジってはいるが、それは組織の存続のためであり、そんなことが出来るなど旧幹部連中は誰も信じてはいない、と言っているのだ。むろん、現中核派はそんな言葉は事実無根と言っているが、とにかく刷り込み教育で人間の思考力がどのように破壊されるかの見本がこのような20歳の法大女子学生だろう。

 これは右翼にも当然言える。彼らには理論など無い、理性もない。単に思いこみだけで突き進んでいるだけで、かっこいいからと右翼団体に入る若者も多い。

 この刷り込み教育は、中国の現状を示しているし、韓国にも言える。とにかく日本が悪い、何でもかんでも日本が悪いと教え込んだ結果が今の中国、韓国の政治の姿勢に現れている。いちいち上げるまでもないが、サーチナ、中央日報、朝鮮日報などを読めば、彼らの主張に全く根拠がない事がよく分かる。いやしくもマスコミに籍を置き、海外の情報にも接する機会も多いマスコミ関係者の認識が、とにかく根拠を無視した一方的な主張を繰り返すことになる。

 刷り込み教育は、実は誰にでもあり得ることであり、私も自覚しないままその一人なのかも知れない。アメリカでも、マニフェスト・デステニーを信じて、アメリカにとって良いことは世界にとっても良いことなので、なぜアメリカが嫌われるのか理解出来ない連中が無数にいる。

 その意味で、平均的な日本人は、現時点では日本に誇りを持っている割合が増えてはいるが、全て日本が正しいなどと思っている日本人は皆無だろう。正しいか正しくないかは立場によるから、歴史認識もその評価は当然国毎に変わる。しかし、歴史の事実が変わるわけではない。

 日韓併合が韓国側の要請による物であり、それ以前には全くインフラもなければ教育システムもなければ平民の人権も全くなかった韓国に膨大なインフラ、教育システム、人権意識をもちこみ、それが今の韓国の基礎となっている。韓国が自力で近代化したなど、いま韓国が自力で世界十番目の衛星打ち上げ国になると騒いでいるような物だ。

 実態は、一段ロケットをまるまるロシアから提供され、ロシアの設計で打ち上げ台を作り、それに韓国開発の二段目個体ロケットと衛星を積んでいるだけのこと。普通、韓国の衛星をロシアに打ち上げてもらった、と言うべきだろうが、これを自力で打ち上げると主張するのを観ていると、韓国が自力で近代化したと言うのがよく分かる。嘘をついてはいかんと言いたくなるのも当たり前であろう。

 ところで、本当に自力で衛星を打ち上げたのは日本だけと言うのを知っているだろうか。世界で最初に衛星を打ち上げたのはソ連だが、ソ連はドイツのロケット技術をそっくり持ち帰り、それをベースにロケット開発をしてきた。アメリカは、やはりドイツのロケット技術をベースにロケット開発をしている。アメリカには、ドイツロケットの生みの親、フォン・ブラウン博士が行っている。

 世界の国々はほとんど米ソからロケット技術を買うなり援助を受けている。北朝鮮もソ連のスカッドミサイルをいじくり回しているのは周知の事実だし、中国の長征も旧ソ連のソユーズを焼き直した物。結局世界のほとんどのロケットは、ドイツのV2ロケットを祖としている。

 しかし、日本はアメリカから航空機の製造を禁止されロケット技術の支給が全くなかったため、東大のペンシルロケットから初めて、独自のロケット技術を開発し発展させてきた。日本初の衛星「おおすみ」は全く日本独自のロケットで打ち上げられた。この時も旧社会党は、ミサイル開発につながるとイチャモンを付け、大幅に開発を遅らせた。

 その後の日本のロケットも全て日本が独自に開発をしてきた物で、部分的には世界トップクラスの性能を有している。一例としてM5ロケットは世界最大の固体燃料ロケットであり、アメリカがICBM用に譲って欲しいと言ってきたが、武器輸出をしない方針からこれを拒否している。

 むろん、多数の日本製ロケットにはコストの問題から海外の部品を多数使っている部分がある。しかし、基本のロケット技術は日本オリジナルであり、今ではほぼ100%国産部品を使っていると言っていい。コスト的に他国の部品を使うなら、それはアメリカにも普通にあることだ。
 
 ただし、無意味に韓国をおとしめることも控えるべきだろう。先頃ドバイに韓国の企業連合が原子力発電施設の売り込みに初めて成功したと国中が湧いている。たしかに、それはそれで評価しても良いが、ただ、価格が思い切って低かったのが取引成立に影響している。ドバイは先頃政府系企業が支払い停止をした国であり、先行きが不安なことから、韓国以外があまり乗り気ではなかったという事情もあるだろう。
 
 しかし、一番の問題は、同じく売り込んだ日本、アメリカ、フランス企業よりもかなり低い価格で売り込み、しかも今後30年メンテナンスに責任を持たなければならないのだが、韓国の海外事業の評判は芳しくない。クアラルンプールのツインタワーは韓国が建てた方が傾き初め、テナントがなかなか入らない事情があるし、パラオでは韓国企業が架けた橋が崩落し、補償を一切していない。先頃も工事中のインドの橋が崩落した。いずれも韓国企業が絡んでいる。
 
 原子炉がもしチェルノブイリのようなことになったら地球規模の大事故だが、大丈夫なのだろうか。
 
 韓国の鉄鋼、造船は日本から技術移転で出来たもの、但し自力で開発したとは言い張っているが、車も同じ事が言える。何度も引き合いに出しているが、電子産業製品も世界一のシェアを取っていながら、基本技術、素材、製造設備が輸出の増大に比例して増えるので、対日赤字が積み重なってゆく構造になっている。これは原子力発電施設にも同じ事がいえ、韓国が契約した設備の重要部分はフランスアレバやウェスティングハウスから購入している。そして、原発供給の三大グループは全て日本企業が絡んでおり、技術を提供しているので、結局韓国が売れば日本が儲かるという仕組みがこの韓国挙げて大騒ぎの、初の原子力発電施設にも当てはまっている。日本は価格競争に巻き込まれず、きちんと利益を上げ、韓国の対日赤字は又増えたということだ。
 

 閑話休題。

 刷り込み教育だが、人間には理性があるから、中韓でもアメリカでも自ら学んで自らの政府の欺瞞に気がつき批判するものは大勢いる。アメリカの場合と違い、中韓では少なくとも自国ではそれを公表すれば袋だたきに会う。

 歴史をどう評価するかは本当に立場によって違うから、中韓が日本を侵略者だとか暴力的だというのも心情的にはあるのだろう。しかし、歴史を全く捏造し嘘を教え、真実を覆い隠す国では、心情的な違いと全く別次元の話であり、あたかもロシア製ロケットで打ち上げる衛星を自力開発自力打ち上げと主張するのと同じであり、却って軽蔑の理由を自分で作っているのではないか。

 金大中もと韓国大統領が亡くなった。彼については、日本では当たり障りのない哀悼の言葉を贈っているが、実際は国策として日本敵視をした大統領であり、彼が始めた北朝鮮に対する太陽政策の結果北朝鮮は独裁体制が強まり、核ミサイルの開発、軍部の増強につながった。そして結果として、韓国は北に搾り取られるだけ搾り取られ、そして後足で砂をかけられている。

 ノーベル賞にしてもミスユニバースにしても、西欧キリスト教価値観に縛られたコンクールをありがたがるのはそろそろ止めてはどうか。

 ノムヒョン氏にしてもそうだが、死んでしまえば生前の罪は帳消しになり、うやむやになり無かったことになるのは世界各国で同じだが、韓国の場合、なんだかなぁ、と思うことしきり。

 むろん、死者にむち打つ事もしたくはないが、彼が何をしたのかはきちんと早くしておく必要があるのではないか。

 彼が若い頃から軍事政権に対し体を張って抵抗し、何度も投獄され軟禁され拉致され命の危険を感ずる経験をしながら韓国を民主化に導いたという。それに対する評価は評価としてよいだろうが、現実に今の韓国も民主国家ではない。

 民主国家とは思想の自由、言論の自由が保障されていることが前提だが、韓国では親日発言は厳しく制限され、親日法(親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)は、前代未聞の遡及法であり、過去にさかのぼって法律を適用するというあり得ないことをする国だ。しかも、歴史は捏造に捏造を重ね、子供にも日本を憎むような教育をしている。(いちいち例は挙げないが、「韓国児童の反日絵画」などでググれば一目瞭然)これは刷り込み教育であり、思想の自由、言論の自由を保障しているとは言い難い。日本の教科書にイチャモンは付けるが、自分たちの教科書の中の捏造についてはほっかむり。

 金大中氏が民主化したとする韓国での、今の状態だ。

 今の反日政策のもとを作ったのは金大中氏と言っていい。むろん、初代のイスンマンは別で、そこから引きずってきてはいるのだが。

 となると、彼の民主化への努力とは、嘘ではないのか?

 日本文化に門戸を開いたというが、それ以前から韓国では菓子から放送、文学、漫画などありとあらゆる物が日本のパクリであり、多くの韓国人が自分たちの文化だと信じていた物が実際は日本のパクリであったことを知り愕然としたと告白している。

 ある面、日本文化を閉め出すことなど不可能だったのだ。閉め出すことによって、無制限のパクリを蔓延させ、それで今の韓国文化を形作ってしまったものだから、今になって新たに韓国文化を作り直すことが出来ないだけの話だ。

 病的なウリジナルはそれに対する過剰反応と言っていい。

 金大中氏と言えばノーベル平和賞があるが、これが金で買ったノーベル賞と言われているのはすでに述べた。あの疑惑は未だに解明されていないし、解明されると困るからうやむやになるだろう。

 日韓合同のワールドサッカーは、日本単独開催だったところへ韓国が無理矢理割り込んできて、韓国は二度と開催してはならないと出場選手の多くが吐き捨てるような実績を作った。金大中氏はあたかもこれが韓国の単独開催であるかのように宣言していた。

 そして日本で、天皇に対する非礼きわまりない態度は未だに語りぐさになっている。個人崇拝とは無関係であり、あくまで国民の象徴、国家の象徴である天皇に対する非礼は、日本を踏みにじる事になる。

 金大中氏に対する評価は国毎、個人毎に色々あるだろうが、私には到底評価出来ない。韓国内で軍政に抵抗した民主化したといくら評価されようが、私は彼が日本にとってどのような人間であったかという基準で考えるからだ。

 韓国の地位を持ち上げるために日本を踏み台にし、おとしめる手段を執ったことを許してはならないと言うことだ。それ無しに民主化した、軍政と戦ったというなら、むろんそれなりの評価は出来るのだろうが。

 その意味で、今の李明博大統領のほうが評価出来るが、親北政策を改め、むしろ親日政策を採っていることで韓国では敵視されているようだ。しかし、今までの大統領達が残らず晩節を汚しているのに比べ、彼は苦学生のためにほとんどの私財を提供している。

 今後どのような批判が出てくるかは知らないが、少なくとも私財を提供すると言っていた言葉を実行するだけでも信頼出来るのではないか。それに、今にも危うい韓国経済をそれなりに経営している手段も評価していい。むろん、けちを付ければいくらでも付けられるが、静観していて良いと思う。
 
 余談だが:

 そもそもノーベル平和賞自体が、一方の立場で判断した物が多く、果たして整合性があるのかどうかは甚だ疑問だ。かつて書いたように、ノーベル賞自体が非常に人種差別的な要素を持っていて、過去北里芝三郎は当初ノーベル賞候補に挙がっていながら、受賞したのは共同研究者であったなど、さまざまな疑惑がある。

 ミスユニバースにも言えるが、国際的平均美女をどのように決めるのか甚だ曖昧であり、西欧型美人、すなわち背が高く手足が長く東洋人で有れば吊り目メークだけが受賞するのであれば、何もありがたがる必要はない。

そもそも民度とはどのような教育で造られるのか

以前、国の成熟度は民度による、と書いた。そして日本の民度は極めて高いとも書いた。念のために再度書くが、民度とは国民の善し悪しではない。善し悪しはあくまで主観的なものであり、価値観の違う民族同士では善し悪しは比べられないからだ。

しかし、価値観が違っても絶対的な基準として、国が安定しており、思想、言論、職業、宗教、住居などあらゆる自由が犯罪でない限り保障され、経済、技術に優れ、それなりの文化を有し、暴力が少なく国民が健康で長生きするなどの点が優れていることが挙げられるだろう。それらの点では、客観的な統計として日本は間違いなく世界でも上位に位置している。

しかし、当然ながら他文化から観た日本には様々な欠点が見えるに違いない。女性の地位が低い、自分の意見をはっきり持っていない、個性がないなどなど。しかし、これらも海外での基準であり、日本にその基準を当てはめることは間違っている。これもすでに書いた。

民度とはどのように作られるのか。

様々な要因が有ることは以前に述べたが、教育の違いをここでは書きたい。

日本の教育方式には様々な批判が有るようだが、世界の中ではかなりうまく行っていると思える。むろん、時代の変化や国際化などの変化により、教育についても方法論は変わってくるだろうし、変えなければならない部分もかなりあるとは思う。

日本は世界史の中でも際だって特徴的な教育の歴史を有している。それは、数百年前から庶民がきわめて高い教育レベルを持っており、諸外国が教育を支配者層のみに限って被支配者層を無知のままにして置いたのとは対照的な違いと言っていい。江戸時代、日本人の平均識字率は男女ともに75%であり、これは当時の先進地域とされていたヨーロッパでも支配階級のみの教育に偏り、識字率も最大25%、しかも男女差が大きかったのが事実だ。これは、江戸時代全国津々浦々に一万数千もの寺子屋が存在し、庶民の子弟が基礎教育を受けていた。所謂読み書き算盤であり、また職人も商人も奉公先でまず読み書き算盤を教えられるのが普通であった。人口の変化を考えると、当時の一万数千の寺子屋は現在の義務教育機関に匹敵する密度だと言って良い。

これにより、早くから商業が細かく記録され発達したし、また幕府や奉行所の通達が辻々の高札や触書で出来た。小説が庶民の間に愛読され出版業が発達し貸本屋が繁盛した。地方の神社には算額が掲げられ高等数学の問題を解くことが競われた。各地の農民が地方史を編纂し、風土史を残したし、また各地で和歌や俳句講が起きた。なにしろ、子供でさえ読み書きをしていたことに、当時日本を訪れた宣教師などが驚愕している。

その高い教育レベルがあったからこそ、江戸は世界一の大都市でありながら犯罪が少なく、清潔で庶民も毎日風呂に入り、公衆トイレや公衆浴場が発達し華やかな文化が咲き誇った。

日本は機械文明こそあまり発達しなかったが、他の分野では世界に比類のない先進国であり、今とは形は違うが、民主国家の部分さえ有った。庶民が政治を理解し参加する仕組みがあったのはひとえに教育が国民全てに与えられていたからだ。世界では、そして日本人も日本が開国により近代化を始めたと言っているが、当時最先端の近代国家だったのだ。

さかのぼれば、万葉集などは天皇から一庶民までの歌が集められた歌集であり、つまり庶民が歌を詠み残すだけの教養が当時、すなわち7世紀には普及していたと言うことだ。

さて、この長い日本の教育の歴史には、平均化という特徴がある。とにかく全員に一定以上の教育を施し、全体のレベルを上げるということだ。今でも日本の識字率は世界トップであり、成人のほぼ100%が識字者だが、海外での識字者とはかろうじて自分の名前が書ければOKというレベルもあり、実質底辺層の教育レベルは想像もつかないほど低い。

そのかわり、海外ではエリート教育が普通であって、庶民はどうでも一部のエリートに英才教育を施し、彼らエリートが国を率いる方が効率がよいと考える方式だ。そのためアメリカなどには飛び級制度があり、能力さえあれば12,3歳で大学生になることもあり得る。

その結果庶民からは想像も出来ない少数のエリートが確かに生まれている。これはヨーロッパでもまた急進国、すなわち中国やインドでも採用されている方法で、少数のエリートに集中して教育を施し、国を率いさせようとするもので、見た目にはいかにも効率がよい。

その意味で、日本にはエリートが生まれにくく、生まれながらの天才でも普通教育しか受けられないので才能を伸ばす機会が奪われるという指摘がある。それはもっともであり、その方法を取り入れる必要があるとは思うが、同時に、全体に等しく教育を施し結果として平均的な教育レベルが非常に高いと言う状態にすることで、他国が成し遂げない成功を収めている。

少数のエリートの決断は確かに効率的かも知れないが、大衆がそれを理解し支持しなければ動きがとれなくなる。エリートの決断を実行するためには、大衆の意志を無視しなければならず、これはとりもなおさず独裁になる。

民主国家でそれを実行するとなると、大衆は衆愚政治の道具となり、アメリカのように弁の立つもの、容姿の優れたもの、資力のあるものが政治を司るようになる。その意味でアメリカは決して民主国家ではない。

教育を受けきちんと政治を理解する庶民は、政治家にとって小うるさい存在だが、しかしまたきわめて優れた政治を生み出す基となる。なにしろ、庶民が政治を作るのが民主主義だからであり、一部のエリートが政治を作るのでは民主主義とは言えないからだ。

アメリカ式のエリート教育は、一般教育のレベルを上げてその上で実施するのでなければ民主主義に逆行する。物作り一つにしても、エリートが発明してそれを作る人間が居なければ画に描いた餅になる。日本の技術力が世界のトップクラスなのは、技術を理解し発達させる一般人のレベルが非常に高いからだ。

次に教育は中立であり、また事実のみを教える必要がある。際だった宗教教育で科学を無視する教育がイスラム国家では普通であり、またアメリカでも進化論などを学校で教えるか教えないかが未だに議論されている。

歴史にしても歴史を捏造し、特定の隣国を敵視する教育を行うようでは、まともな思考は出来なくなる。中韓が行き詰まるのは、彼らが海外の情報に接して自分たちが受けた教育が嘘であったことにトラウマを持つか、受けた教育にしがみつくしかなくなり、まともな思考が出来なくなることが問題なのだ。100年も200年も前のことは今の価値観で善悪を論じても意味がない。しかし、過去の戦争のことで他国に恨みを持つような教育をしているような中韓に未来がある筈がない。自国の教育が信じられない人間が、国家を支えることなどあり得ないからだ。

また教育の方式にも日本は初等教育では暗記をさせる部分が多く、欧米から応用力が養われていない、と言われている。しかし、人間は成長の過程に於いて幼少期はとにかく記憶が全てなのだ。幼児の記憶力は大人の遠く及ぶものではない。見聞きするものをとにかく全て記憶するのが幼児期なのであり、判断力応用力は、幼児期に蓄えた膨大な知識がなければ役立たない。すなわち、幼児期に於いてこそ詰め込み教育が最も大切なのだ。

幼児期であれば、どんな外国語でも2,3ヶ月で母国語同様に覚えることが出来る。その能力を人間が持っているのは大体8歳までで、それを臨界期という。臨界期までに詰め込んだ知識を基に、人間は理解力、判断力、応用力、推理力を開発してゆく。言い換えれば臨界期までに知識を蓄えることが出来なかった人間はその後の理解力、判断力、応用力、推理力の発達がない。結論を言えば、民度とはこの段階までに形作られる。

幼児に詰め込み教育をするのはかわいそうだ、人権を無視しているなどと馬鹿なことを言う連中が居るが、詰め込み教育は幼児の脳に対して一番適切な教育方法なのだ。4,5歳の子供が怪獣や昆虫、車の名前を大人が及びもつかない早さで覚えるのは、子供の脳がそう出来ているからであり、一番子供が喜ぶ教育なのだ。

一時日本のゆとり教育が子供の学力を徹底的に破壊したと言われるのは、必要なときに詰め込むべき知識を持たせないで教育をしたからだ。

詰め込み教育を施してのち、理解力、判断力、応用力、推理力をのばす教育をすべきなのだ。

さらに、使用する文字により人間の思考力に大きな差が出る。

日本の文字は昔中国から伝わった漢字をそのまま使っていた。しかし、当然ながら中国語と日本語では発音も意味も文法も違うので、漢字をそのまま使うことは出来ない。そのため、意味を伝える文字としては漢字をそのまま書き、返り点を付けることで日本語として読み下す方法を採った。したがって、文字の発音も日本語として読んだ。

一方、特定の漢字の音だけを組み合わせた万葉がなで日本語の音を表す方法も併せてて発達させた。この場合は、漢字の意味は全く無関係に音だけを使用したのだが、万葉集などは、この万葉がなで書かれている。

その後、意味を表す漢字と、音を表す万葉がなを組み合わせるようになったが、そのままでは両者が混じって不便なので、それ以前から使われるようになった漢字を崩して音を表す文字、平かな、及び漢字の部首の一部だけを取り出したカタカナを組み合わせて使うようになり、ここに日本語特有の、表意文字と表音文字を組み合わせる筆記方式が完成した。

中国では未だに漢字のみを使い、表音文字を使わないが、そのためには数万に及ぶ漢字を覚えない限りまともな文章の読み書きが出来ない。それが中国に於ける教育をきわめて困難にしたし、過去に於いても科挙は結局文字を如何に読み書き出来るかだけが重視され、その中身はどうでも良い教育体系が出来てしまった。それが未だに続き、しかも急速に入ってくる海外からの言葉に対応出来ないで居る。結果として音だけを漢字で表す表記が現れ、一目で意味が分かる表意文字の長所が失われた。覚えやすくするためだけに漢字を簡略化した簡略体が普及したため、今では漢字と意味がかけ離れてしまっている。

この一つの例が、清が近代化した際欧米から取り入れた新しい概念を漢字で書き表すことが出来ず、結局当時日本で作られた日本語表記を取り入れることになった。現在、日常の概念を表す中国語の70%が日本語由来となっている。『中華人民共和国』も、『中華』以外は日本語だ。

韓国では、かつてほとんどが文盲であったためとりあえず表音文字であるハングルを普及させ、それを進めて事実上漢字を全廃してしまった。すると、同音異義語をハングルで書いた場合、文章の意味が分からなくなり、結局分からない文字を読まなくなったり使わなくなった。その結果、抽象的な意味を書き表す漢字の使用がなくなったため韓国人の思考が抽象概念を取り扱えなくなっていると指摘されている。なにより、韓国には古文書のたぐいがほとんどないが、ごく少数残っている古文書のたぐいはほとんど漢字で書かれており、それを現代の韓国人は読めない。欧米人はアルファベットで不自由しないのだから、韓国もハングルだけで不自由しないと主張するが、欧米は昔からアルファベットで言葉を発達させてきたのであり、漢字で発達させてきた言葉をハングルで置き換えるのとは意味が違う。流石に、韓国でも今は漢字教育をすべきだという意見が起きている。ベトナムでも同じだそうだが、おそらくもう遅いだろう。

韓国の古文書は日本にたくさん残っており、というより、中国人や日本人が書いた物であり、漢文を読める日本人ならそれらを読めるが、韓国人には読めない。文字の選択一つでどれだけ教育に隔たりが出来るかという例だ。

漢字を取り入れた直後から、表意文字と表音文字のそれぞれの特質を見極め、新たに表音文字を作り出し、漢字、平かな、カタカナ、そして今ではアルファベットさえ組み合わせて表記方式を完成させた日本は奇跡的な教育レベルを保てたにもそれなりの理由があると納得出来る。

なお、かつての韓国は日本と同じ、漢字とハングルを組み合わせていた(日韓併合時)が、その最大のメリットを自ら捨ててしまった。今ではそのような表記システムを持っているのは日本以外、世界には存在しない。

テーマ : 教育問題 - ジャンル : 政治・経済