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任命責任


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いつもBGM代わりにかけっぱなしにしているNHKで、折から衆議院予算委員会の審議が行われていた。相変わらず夜盗、もとい野党は本末転倒の質問を繰り返していた。それも何人も何人もがほとんど同じことを言っているのだが、 国民民主党 渡辺周と言う人物が、「今後三人目が同様の理由で辞任することが無い事を此処で明言しろ」としつこく何度も安倍総理に食い下がっていた。

それに対し、安倍晋三首相は「私が任命した大臣がわずか1カ月の間に相次いで辞任する事態となり、国民の皆さまに大変申し訳なく、任命した者として責任を痛感している」と述べた。むろん、その任命責任はあるだろうし、まずその当事者たる二人に責任があるのも事実だ。

が、それに対ししつこく、渡辺臭が、同じ様な辞任に至る大臣の任命は二度と無いと明言しろと本当にしつこく食い下がり、こいつこんなことしか言うことが無いのかと心底あきれた。

そんな事を言うなら、安倍総理が、全閣僚の私生活、思想、癖、人格等などを全て把握しなければ任命など出来ないし、それでも当人が自覚していない失敗が出てくるかも知れない。知らないから良いとは言わないし、それで責任を取らなければならないことはあるだろう。が、それすら安倍総理に絶対無いと保証しろとこの渡辺臭は言っているのだ。

人間完全無欠、絶対に過ちの無い人間などいないし、そもそも理想の人間など存在しない。理想とは個人個人で違うのだから、自分が理想通りになれたと仮に思っていても他者から観れば違う。大臣といえども例外は無いだろう。

外国でも日本でも教会関係者、聖職者が例えば信者の子供をレイプしたりして頻繁に捕まっている。それこそ、マルキ・ド・サドの悪徳の栄えは唯の小説ではないのだ。教師も警官も司法関係者も自衛隊員も大半は自分なりの欠点を抱えながら職務に就いている。が、例外もあるし、ひどい犯罪を犯す者も居る。がでは、彼らをその位置に就けた者が責任を取らなくてはならないのか。子供が犯罪を犯した場合、親の育て方が批判されることはあるだろうが、親自身は道義的な責任はともかく別に処罰を受けることは無い。

まして子供でもない閣僚の不始末に、任命責任を問われることはあるだろうが、閣僚が不祥事を起こさない保証をしろという馬鹿に安倍総理も内心あきれているのではないか。今回の真義は、あくまで予算審議であり、任命責任追及に時間を全て費やすなど、現実にはこの渡辺臭にはそれ以外の製作に対する意見など全くないと言うことだ。こんなやつに投票した有権者の責任を問いたいくらいだ。

それもこの臭だけではなく、野党の質問者は入れ替わり立ち替わり同じことしか言わない。安倍総理をやっつける俺って、かっこいいだろうということなのだろう。

イルボンを叱りつけることが出来るのはウリ達だけだ、かっこいいニダ、と言っているどこかの馬鹿共と同じだ。日本に完全にそっぽを向かれ、経済は崩壊に向かって一直線であり、ワラジ議長が、山東参院議長に無視されて、なぜ日本は礼儀を知らないのかと言っている馬鹿達となにやら総理の閣僚任命責任しか言わない、言えない夜盗、もとい野党議員は同じ類いなのだろうと思う次第だ。

繰り返すが、安倍総理の任命責任はあるだろう。が、それなりに謝罪しているのだし、次の人事でよりよい結果を得るよう努めて欲しいということだけだ。




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デマの拡散


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常日頃、私はネット情報のほとんどが嘘だと書いているが、まず意図的に嘘を流している場合と、本人が嘘と知らずに拡散している場合がある。つまりデマを流す人間と、デマを広める人間が居ると言うことだ。

また、同じことでもそれを判断する人間により、嘘と信ずるか真実と信じるかが別れる。いわゆる価値観の違い、判断基準の違いであり、これはそれを前提として判断しなければならない。

これらは分けて考える必要がある。

1)意図的に嘘を流す

誰かを中傷する場合、自分の嘘を隠すため、詐欺を働くためなど様々な理由があるだろうが、嘘と知っていながらそれを真実として人に伝えることは、良くあることだし、それが個人的な物であれば詐欺だし、また人を中傷するために悪意を以て行うなどは珍しいことではない。志那や朝鮮は、日本をおとしめ相対的に自分たちが優れているとする為、また自国の惨めさを隠すために憎しみを自分たちではなく、他者に罪を着せて国民の憎しみをその相手に向けさせるために意図的に政府が国民に嘘をつき、そしてそのように事実をねじ曲げて幼い頃から洗脳教育をする。これは国家犯罪だが、最初から嘘で教育された人間にはむろん極めて有効な支配手段となる。

2)嘘を事実と信じて人に伝える

誰かが意図的についた嘘、あるいは誤解をして結果として広めた嘘を、そのまま自分で真偽を確認せずに人に伝えるケースは、特にみんなが不安に駆られている時頻繁にあることだ。かつて原発事故が起きた時、坂本龍一は、現地で民間人が何百人も放射能で死んだとデマを広め、それをとがめられて自分は信じたことを言っただけだと言い逃れた。

信じたことだから広めだのだから自分も被害者だと言わんばかりだが、仮に自分で意図的に嘘を言ったのではないにしても確認もせずに自分の知名度を利用してデマを広めたなら、それなりに責任を取るべきだろう。

3)信頼している人が言うと信じる

私たちは地球が太陽の周りを公転していると信じている。なにしろ、一般人でそれが事実かどうかを確認することは不可能だが、多くの専門家がそのように言い、学校でもそう習ったのだから疑う理由がない。しかし、数百年前は、太陽が地球の周りを回っていると誰もが信じていた。それは神がそのように定めたのだから当然だと考えていた。当時の人間にとって、神の言葉、詰まりは教職者の言葉は真実であり疑う理由が無かった。

同じことは現代でも起きている。

私の世代では、月は地球から分離して出来たと習ったからそのように信じていた。今は、いくつかの理由が考えられている内、地球に火星ほどの大きさの他の天体が衝突し、その際分離した地球の一部とその天体の一部が合体して月になった(ジャイアントインパクト説)が最も有力だそうだ。朝鮮ではウリ達が月を作ったニダ説が最有力と聞いたことが、今のところ無い。

それに対し、これも一般人では専門家が言うことを信ずることになるのであって、このジャイアントインパクト説を誰かの思いつきでネットで言い始めたとしてもほとんど誰も信じないだろう。が、中国朝鮮では、最初からこの様な教育が行われており、自分たちが世界の中心およびその第一の家来であり、他の世界は東夷西戎北狄南蛮の野蛮人の世界だと未だに信じているようだ。誰を信じるかが根本的に間違っているのであり、これは日本でも他の国でも起きうることだ。

イスラム原理国家ではイスラム教の戒律がそのまま法律になり、米国のバイブルベルトでは天地創造を事実と信じている人間が版数ほどいる。

4)日頃自分が望んでいること、当たり前と思っている事なら信じる

ある人間が日頃から行いが悪く、自分も嫌いでいずれ何かやるに違いないと思っていたところ、その人物が警察に捕まったなどと聞くと、それでもうその人物が犯人だと思い込んでしまう。ところが、調べてみたところその人間ではなかったといういわゆるえん罪事件が後を絶たない。

つまり警察も思い込みそして、その件をそのように検証もしないのに日頃の印象で決めつけることは普通に有る。あるいはイルボンは世界でも嫌われている奴らだと信じていれば、日本のやることなすことが間違っていると思い込むのもニダ国人の普通だがこれなども同じだろう。

他にも嘘を信じる理由はいくつもあるだろうが、基本的には知識不足が主原因だ。ネット上のデマでも、例えば朝鮮の言う20万もの女性が日本軍に強制的に連行され性奴隷にされたという普通に考えれば物理的に不可能な嘘でも信じ込む。そうすることで金儲けが出来る者、都合の良い者がそのような嘘を広めるのだが、常識が無ければ物理的に不可能だということさえ理解できない。これが朝鮮人の知力なのだから物理的な矛盾を指摘しても意味は無いということになる。

志那人の南京虐殺なども同様であり、いまでこそ中韓が際立っているが、かつては世界でそれが当たり前だった。先進国では表向きそのようなことは無くなっているが、大半が無知な階級社会の彼らの国では心理的には同じ危険が常にある。

日本でも、そのようなことが頻繁にあることを理解すれば、結局人間とはそのような物なのだと理解しておかなくてはならない。




資本主義の欠点

小さい文字
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世界でいわゆる先進国とされている国は例外なく資本主義だ。かつて、共産主義国家は国民の平等を実現するために堕落した資本主義を捨て、理想の共産主義を採用したのだが、現実にそれを実現した国は無いし、多くの国がその後資本主義に転向している。中国は共産主義を掲げて建国し、今一党独裁を採っているのは中国共産党だ。が、現実には資本主義と変わらず、ただ政府が企業の経営に必ず支配力を及ぼしているのが自由主義とは違う。

ソ連は共産主義を謳って結局崩壊し、カンボジアは共産主義を実現するために大量殺戮が起きた。

現在共産主義を国家の政策として打ち出しているのは、中国、ベトナム、キューバ、ラオスのみだが、現実に共産主義を実現している国は無い。これらも全て実態は資本主義と言える。

共産主義とは何かを今ここで論ずることもしないが、ただ全ての人間が平等になるはずの共産主義が実現しないのは、本来人間が平等ではないからだ。むろん、何かにつけて不公平だと不服を言うのは人間の常だが、実際には平等を望むのではなく他者よりも富むことを望んでいる。

人間には能力差、それと環境差がある。これは本人の努力だけではいかんともしがたい事実であり、これを認めた上での能力や努力があり、その結果の不平等が生ずるのが当たり前なのだ。善悪の問題では無い。不平等は悪だから無くすべきだと言って無くなるわけではないのだから、不平等でもそれが幸不幸につながらないやり方を考えるべきなのだ。

例えば、キリスト教では貧しいことを称えた。金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るよりも難しいのだそうだが(新約聖書マタイ19章16-26節)、現実にはキリスト教国の貧富の差は極めて大きい。米国などはその差が余りにすさまじく社会保障が実現できないほどになっている。米国の医療費が他国から見れば常識外であり、出産に200万円(円換算)とか、骨折して入院したら1千万円の請求をされた、病気になって破産した等は珍しくない。

米国には世界の富裕層の大半が存在するが、一方ホームレスも異常に多い。そこで、キリスト教では、貧者に対する施しをすることで天国行きの切符を得るやり方が出来た。実際キリスト教系共産主義なるものも存在する。結果としてたとえばアーミッシュの様な、現代文明を完全に否定した生活しか無い。

貧富の差は未開国ほど大きい。アフリカ最貧国で政治家が汚職のし放題で金を貯め込んでいるなどは珍しくも無いし、中国韓国などでも政治家になる目的がそれだと言って良い。韓国では歴代の大統領がそれで刑務所に送られている。

先進国でも貧富の差は極めて大きな問題となっている。ところが、日本は先進国でも例外と言って良い。会社のトップと平社員の収入の差は他国から見れば無いに等しい。日本の政治家の富など、無論一般国民と比較しても別に極めて大きいわけではないし、他国の政治家と比べれば嘘だろうと言うほど所得は低い。麻生氏や鳩ぽっぽは元々家に金があると言うだけのことだ。また、日本人にも富裕層は居るが、国家資産や人口からすれば極めて少ないし、日本の富裕層でも世界では特に多いわけでもない。

口先だけかも知れないが、日本人は昔から派手な物を見せびらかす趣味は無かった。良い例が日本の皇室で、その生活レベルは王侯貴族などと言える物ではないが、国民はそんな事など全く気にしていない。良く例に出るのが、外国からの賓客と天皇陛下が会談をする時その室内装飾が極端に簡素でありながら上品である事が海外で大きな話題になることがある。確かにタイや英国の王室外交などの派手さとは比べものにならない。

日本は資本主義国家だが富の格差は極めて小さい方だ。近年は広がってきたかと思われる節があるが、ただ交通、医療、教育、などなどあらゆる面で公的資金、即ち税金が使われているから個人がそれらを自分のために負担する必要が無いなども要因の一つだろう。

日本は理想の社会主義国家だとさえ言われることすらある。

資本主義の利点は、資金を集中して産業を運営しその結果大きな利益を生み出すことで、それを還元すれば社会全体が豊かになる点だ。ただし、その利益を社会に還元せず独占する割合が増えれば、欧米、途上国のようになる。なにしろマルクスが資本論を書いたのも当時のヨーロッパの富の偏在が庶民を苦しめていたから、富の独占が悪の源泉だと考えたためだ。

結局、共産主義は人間の本質を無視しているが故に実現しない。資本主義は人間の本質を制御できなければ結果として社会を破壊する。つまり、資本主義以外執る手段は無いのだがそこに人間の理性があって初めて機能するということだ。

現在米国が壊れつつあるのはその要素に欠けているからだ。西欧にも言えることだし、そして資本主義を取り入れたために腐敗が国家を痛めつけている大半の国にも言えるだろう。日本はどうだろうか。





本音と建て前



安倍総理が、韓国とは話し合いを続けて行く、と言っている。まあ、そうだろう。韓国は嘘つきだからもう相手にしない、とは普通は言わないが、現実には韓国は約束を守れ、と言っているのだから、約束を守るなど出来ない韓国との話し合いが全く意味が無いことを示した上での冒頭の言葉になる。どんな話し合いをしようと平気でそれを無視する相手との話し合いなど繰り返すが無意味なのだ。

実際に今月22日の天皇陛下御即位正殿の儀に日本は国交を結んでいる195カ国の内、194カ国に招待状を出したとの報があるが事実かどうかは確認できない。ただ、あるとすれば朝鮮であって欲しいと思うが、朝鮮からは首相が来るそうだ。日韓会談の日程調整に入ったとの報もあるが、一方安倍総理はその予定が無いとも伝えられている。儀礼上合うかも知れないが、トイレの鏡の前で2,3言交わせば十分だろう。ただ、それだけでも朝鮮側では脚色されて、安倍総理に懇願されたので行ってやったとなるくらいが関の山だ。

朝鮮思考だが、本音と建て前が日本とは大きく違う。朝鮮は本当に日本はウリ達を恐れており、また押さえつけられるのを恐れているが国民が反感を持っているので安倍総理は下手に動けない。だから、ここはウリ達が歩み寄ってやれば、安倍はよろこんでウリ達の忠言を受け入れる、と信じているのだろうとしか思えない。本音も建て前もそれしか無いから今の馬鹿な対日姿勢が成り立っているのではないのか。

また確かに自民の中に金か女か知らないが散々朝鮮にたらし込まれた者達がいるし、かつて日本の総理大臣まで務めた鳩ぽっぽはせっせと朝鮮のご機嫌取りをしている。あんなのを見れば朝鮮人が、総理大臣までやった日本の有力人物がこうなのだから安倍もあまり我を張らなければ良いのに、とでも思っているのだと想像する。

それに対し安倍総理が本音を隠して建前で韓国とは対話を続けるつもりだなどといえば当然朝鮮頭には事実として反映される。

本音と建て前の使い分けは、日本人だから出来るのだ。

日本人が贈り物をする時、つまらないものですがお納め下さいという。受け取った側がつまらない物をよこすなんて失礼だ、と怒るなどしないしむしろその慎み深さに感謝をする。が、実際にあった話として、日本人が米国人だったかにつまらない物だけれど受け取って、と差し出したら、つまらない物をわざわざよこすとは私を馬鹿にしているのか、と怒られたと言う話がある。

日本人同士の会話では、売り込みをかけられて全く興味の無い案件に対し、素晴らしいアイデアだが当方では今は余裕がなく、残念ながらお断りするしか無い、次の機会に是非また・・などと言うし、言われた方はこれは脈が無いと判断する。本当に興味があるなら、むしろここはもう少しこうならないか、とかコストをなんとか出来ないかなどと言うだろう。

が、外国企業にこれをやってとんでもないことになった日本企業がかつてあった。今でもあるかも知れない。素晴らしいアイデアと言われて、更に改良を加え再度持っていったらまた相手にされず、どうすればよいのか聞いたら担当者が困ったようにこの業界ではその方法は絶対に採用されないことが明らかになっていると言ったとのこと。その時の米国企業の気持ちは想像するに余りあるが、実は外交でも同じ様なことが何度もあったと思う。かつての戦争もその要素が多分にあったと私は思っている。謙遜は国際社会では嘘つきの烙印を押されるだけだ。本音と建て前は、むろん外交辞令としては普通に有るが、その使い分けはきちんとしているようだ。その使い分けができないなら、下手な本音と建て前の使い分けは、外国人相手にはしない方が良い。日本外交は散々それで失敗しているのだ。

いずれにせよ、日本の人間関係と同じやり方を国際社会でやればまず失敗する。日本の人間関係は、成熟した日本社会だから機能している。

理想と現実


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理想と現実については関連したことを何度も書いているが、基本的に人間は理想を持つべき、理想を目指して努力し達成することを目標に生きることが大切だ。これは間違っていないし、私もそうありたいと思う。問題は、目指すべき理想が達成可能な範囲にあるのか、自分一人の努力で達成できるのか、その理想が本来望ましい物かなど様々考えなくてはならないことは理想を持ったその時に考えなければならない筈なのだが、どうもこれが心許ない例を多数見る。

極論だが、インドにジャイナ教という宗教があり、殺生を絶対にしないことを教義の一つにしている。それだけではなく、他人の物を盗らない、嘘をつかないなどがある。が、更に性行為を絶対にしないというのがあるという。

つまり子供を作ってはならないとなれば、人間は絶滅しなければならないと言うことだろうか。むろん、これは極論なのだが、当人達にしてみれば理想なのだろう。どうせ自分とは関係がないと思うのが普通だが、実は日本にはこれに近い人たちがいる。

色々な統計の取り方によって、また誰が統計を纏めたかによって違うのだろうが、日本人の過半数が護憲派であり、戦争放棄の9条を換える必要は無いと信じているそうだ。むろん、戦争は無いに越したことはない。人間同士が殺し合いなどとんでもないことだから、私自身も当然戦争などすべきでは無いし、戦争反対に間違いはない。

しかし、現実を見れば自分たちが戦争を絶対にしないと決めても対戦国がそれに同意しない限り戦争は起きる。むろん、全く抵抗せずに蹂躙されるに任せれば戦争にはならないかも知れないが、戦争回避のためにそれを選ぶことはあり得ないだろう。

世界では戦争が絶えない。今は歴史上最も戦争の少ない時代かも知れないが、それでも戦争は世界のどこかで起きている。

戦争にはそれぞれが大義名分を持っている。相手の大義名分を変えさせない限り、日本が変えなければならない。つまりは国家としての理想を放棄させるか放棄しなければならないのだが、それが出来ないから戦争になる。

ところで、現代は過去に比べて戦争が最も少なくなっているとは、一つは主として米国が世界を軍事力で抑えているから、また米国ほどでは無いとしても西欧諸国やロシア、中国、近年ではインドなどが強力な軍事力で他国の暴発を抑えているからだと言える。別にこれらの国々の理想に他国が賛同しているからでは無い。

また米国は自らの理想を追求しているのかも知れないがそれが極めて自分勝手であることも無視は出来ない。イラン、イラク、シリアや最近はトルコなどに対し強硬な姿勢を採っているが、それすらその時その時で姿勢が一貫していない。たとえば、シリアでISと戦っていたクルド人に対し米国は支援していたが最近いきなりその支援をやめた。もうISがほぼ壊滅したからクルド人は利用価値がなくなった、と言うわけだ。尤もそれに対し批判が殺到して、トランプはトルコに対し経済制裁をいきなり発動したりしている。トランプの理想は、戦争回避ではなくあくまで次期大統領の地位だから、批判をかわすためだけのトルコ制裁だ。

これは人ごとでは無い。日本がそうならないと断言できる理由は無いと言うことを本当に理解しなくてはならない。上記の国々にはためらいなく軍事行動を執った米国が、北朝鮮にはそうしない理由も北朝鮮の理想に同意したからでは無い。

日本が戦争をしないという理想を追い求めるのは結構なことだ。だから日本では未だに軍事力増強に大きな反対があり国民の過半数が積極的な防衛力構築に反対だ。

が、その理想が何の根拠も無いことをいい加減にその過半数の国民は気がついて欲しいと思う。せめて、戦争とは日本一カ国でするのではなく、必ず相手が存在するという基本の基本を理解した上で、日本は戦争をしないという理想を追い求めて欲しいと痛切に思う。今では北朝鮮の方がその理想を実現しているかに見える位なのだ。









巨大台風19号


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この記事を書いている最中もかけっぱなしのラジオから次々と台風被害についての報道がある。むろん、2019年10月12日現在伊豆半島に上陸し静岡、神奈川東京埼玉を進行しつつある巨大台風、19号の被害だ。

その規模が過去最大の伊勢湾台風並のもので、かつて数千人が亡くなった同等の被害が危惧されている。日本に台風が来るのはいかんともしがたいし、少なくとも見通せる将来に台風の進路を操作できるようになるとは思えないが、現実には地球温暖化の故か、台風のみならずハリケーンなどもその威力が近年増大してきている。

それでもかつては巨大台風で数千人単位がなくなっているが、川の氾濫、土砂崩れ、家の倒壊などが主原因だ。それは今でも変わらないが、数千人が亡くなることはない。偏に防災対策が施されているためで、たとえば川の堤防などもかつてに比べればかなり増強されている。それでも完全ではないのだが、かつてあの悪夢政権の時、江戸川ゼロメートル地帯の為の大規模傾斜堤防いわゆるスーパー堤防の建設に対し不要だとして中止したことを思い出す。江戸川区は昔から標高が低く、すぐに堤防を越えて水があふれ出し水害に見舞われていた。その為にかなりの時間をかけ大規模な堤防工事をしていたのだが、悪夢政権はそれが無駄だと言ったのだ。

今回も既に東京では荒川や多摩川が既に危険水位を超え、一部で氾濫が起きている。またいくつかのダムでは貯水量が増えすぎ、危険になったためにダムの放水を始めているが、その為に下流では一部反乱が起き非難しなければならなくなっている。が、ダムが決壊すればその被害は極めて大規模になるのでやむを得ないだろう。また東京には大規模な排水トンネルが作られていて、それなりに機能している。これらは災害がなければ無用の長物だが、だからといって悪夢政権のような決断など出来るはずがない。

台風は今後も巨大化し災害規模も拡大するだろうが、これは地球規模の気候変動のためでそれが当たり前になると考えておかなくてはならない。その為にはやはり今以上の災害対策、つまり堤防の強化、排水路の拡充、そして電力網の地下化などを更に推進して行かなくてはならないだろう。

仮に今後台風が直撃することがないとか強い台風が来なかったとしても防災対策が無駄だったなどとは到底言えない。つまり災害とは必ず来る物との前提で対策を進めなくてはならないのだ。

また日本の防衛力の話になるが、結局は同じだ。戦争など起きるはずがないと言うのは、防災対策など災害が起きなければ無駄だから金など使う必要は無いといった悪夢政権と同じだ。

戦争は起きないかも知れない。が起きる物として対策を立てておく必要がある。戦争を仕掛けられるはずはないと決めつける根拠も全くない。だからこそ仕掛けられない手段、すなわち現代では核武装を備えるのは、ちょうど台風に備え堤防の強化をするのと同じではないのか。それさえおろそかにした悪夢政権と同じ愚を国家防衛のために犯してはならない。



政府の発言、国民の発言


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どの国にもおかしなやつはいるし、特にネット時代本当に色々な意見が出てくる。例えば中国や韓国からも日本を侮辱する物、日本に憧れる物など色々だが、いちいち一喜一憂することはない。

が、もしそれが政府からの正式コメントなら聞き流すわけにはいかない。中国の対日戦争コメント、南京虐殺コメントや朝鮮の反日コメントは、その国の対日姿勢を疑いもなく示しているからであり、いかに国民からの発言が親日であろうと友好願望であろうと、政府の姿勢はそれなりなのだ。

ただし、どの国も徹底的に国民を支配する独裁国家ならいざ知らず、また例え独裁国家でも、完全に国民に離反されては国が保たないのであくまで国民の意思は無視すべきではないのだが、国によってはその意思が抑え込まれてもいる。それを理解した上で、国民の発言と称する物が本物かあるいは作られた物かを考えるわけだが、そこで政府の在り方が関わる。

すなわち、国民の言葉だからといって信頼できる物ではなく、たとえば朝鮮にも最近日本と仲良くすべし等という声があるが、それをそのまま鵜呑みにするわけにはいかない。韓国にとって、反日のためには事実などどうでも良い。どんな嘘でも出鱈目でも根拠がなくともそれをわめき散らし国際社会に告げ口をすることで日本の評判が落ちれば御の字なのだ。

そうすることで自分たちの地位が相対的に上がれば良いのだし、例え自分たちがどう思われようと、自分たちより下の日本が他国に認められるなど我慢がならない。

隣国同士だから仲良く等は日本人が本当に思っているなら余りにおめでたい。世界では、仲の悪い隣国同士の方が多いとさえ言える。西欧でもその中の大国、つまり英独仏は不仲で有名だが、互いに成熟した関係なので表向き不仲であることは示していないし、むしろ必要に応じて協力もする。が、国民同士は結構罵り合いをしているようだ。

ただ、国家関係は、冒頭に書いているように政府が行う。その政府は、国民の意思を無視は出来ないが、先進国同士の西欧では、例え国民同士が嫌っていても、それで直接の争いにはならないし、政府もそれをわきまえているから今の関係が出来ている。

本来は日中、日韓もそうであれば国民同士がどうであろうと別に構わないのだが、中韓は反日を国是とし、国民をそのように洗脳した。したがって、中韓国民は上記の様に本来自分たちの下で這いつくばっていなければならない日本が発展し、世界で認められることが我慢がならないのだ。

そして韓国政府は今までも今も、その国民の反日感情を政府支持のために利用してきた。もう既に制御が利かなくなっている。

私は何度も書いているが韓国という国は絶対に受け入れることなど出来ないゴキブリの巣だと思っている。概念の韓国人が結果としてそのような国を作ったのだから当然韓国人も軽蔑している。あくまで概念の、と念を押しているしそのような場合は朝鮮人と表記している。

現実の韓国人については別に好きでもきらいでもない。あくまで本人をどの様に見るかで好き嫌いの感情を持つのは日本人でもアメリカ人でも火星人でも同じだ。

韓国世論は今反日一色だが、たまにはその韓国をいさめる発言もある。むろん本当に日本に切られては困るからそのような発言を意図的に出しているのかも知れず、あるいは本当にそう思っている韓国人もいるのだろう。それこそ国民の声であり、個々に判断すれば良いのだが、結果として韓国という屑国家が出来上がっているのだから、韓国政府が責任を取るしかないだろう。結果として、国民が責任を取らされることになる。

それは全く日本も同じなのだ。日本にもパヨクやあほが大勢いる。マスコミもひどい。がそれでも自民が圧勝し、国民の多くが嫌韓に傾き野党を白眼視しているのは別に政府の宣伝の故ではない。日本政府が反中国、反韓国を国是として国民を洗脳した事実はない事は今の国内の状況から明らかだろう。それでも中韓に対する反韓が急速に高まってきているのは、反日マスコミやパヨクの宣伝にかかわらずそのようなフェイクニュースの中から事実を選び取る能力を日本人が持っていると言うことだ。それが、今の野党の形振り構わない野合の実態を如実に示している。

日本人が本当に変わってきたのだろうと思いたいが、あの悪夢政権の記憶が未だに蘇る。

愛知トリエンナーレ

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表現の不自由展、8日午後から再開へ 大村知事が方針

自由には責任がつきものだ。名誉毀損も表現の自由というなら、当然それに対する責任も問われるべきだ。慰安婦が事実なら、事実として展示するのはある面構わないだろうが、それなら事実である根拠を示す必要があるだろう。日本国の象徴である天皇を侮辱することが自由なら、そもそも自由に伴うはずの責任はどう問うのか。

国家の金が使われない理由が、説明が不十分だからとのことだが、その内容がふさわしくないからの筈。さらに愛知県の公費が使われることは問題が無いのか。

あくまで個人が自分の金でやるならその限りではないとしても、当然自由には責任が伴い、個人が個人の金でやろうとそれは変わりがない。

さて、このトリエンナーレの不自由展が昨日から再開されたが、閲覧者はあらかじめ申請し、厳重な持ち物検査を受けてから見ることが出来るそうだ。しかし、展覧会とはそれこそ不特定多数の人が自由に見られる筈の催しで、これはそれこそ展覧会ではあるまい。持ち物検査は必要に応じて行われるなどは問題は無い。

今回国の資金は出されないそうだが、相変わらず愛知県や名古屋の地方自治体の公金が使われる。むろん、誰か個人が、特定のメンバー相手に何かを展示するなら、おそらくそれは好きにすれば良いだろう。中にはそのような展示会でけしからん物を展示する場合もあるだろうが、それが公にならない限り実際は罪には問われない。

公の金で地方自治体が開催する展示会で、特定の申請者のみに閲覧させるのは本来のトリエンナーレの趣旨に反するだろう。

そもそも言論の自由、報道の自由などもそうなのだが、自由には責任が伴う。出鱈目で人の悪口を言うのが自由なら名誉毀損罪など存在しない。しかも今回の展示には昭和天皇の肖像を焼く映像や、例の売春婦像が展示される。日本国の象徴である天皇像を毀損するとはすなわち日本国の毀損に他ならず、単に阻止するだけではなく法的に告発されるべきことではないのか。

また売春婦像もその趣旨は明かだが、主催者はその裏付け、すなわち慰安婦と称する売春婦が本当に日本軍により強制連行された性奴隷だとの確固たる根拠を示すべきではないのか。むろん、かつて日本政府が謝罪し金を払ったとは国際的にはそれが事実だと日本が認めたことになる。それはいかなる弁明も通じない。だからこそ、欧米では謝罪とは自らの罪を認める行為としてよほどの場合でなければ謝罪しない。それが常識の国際社会では、かつて日本が朝鮮の言う蛮行をしたと信じている。しかし、日本国内でそれを根拠も示さずに展示するのは日本国を侮辱するのが目的としか言えないだろう。

韓国への謝罪は別として、国際社会に事実を示すと同時に、日本国内でそれを明らかにするのは日本政府の責任だとおもうが、今回このような展示に対し、事前の説明がなかったから金を出さないと言うのでは筋が通るまい。

もし事実なら売春婦像も不自由展ではなく通常の展示をしてはばからないはずだ。ただし天皇像の毀損は絶対に受け入れられる物ではないし、それを展示する自由を言うなら、当然ながらそれに対する責任も問うべきだろう。

愛知県知事に対するリコール呼びかけもあるようだが、もっと大々的に行うだけではなく、その責任(実際に刑事責任を問えるまでにはいかないだろうが、ただ名誉毀損罪は問えるのではないか)をもっと問うべく、政府や内閣府、愛知県に意見を送るべきだと思う。一般人が告訴をする立場にはなれないだろうから、政府に働きかけるしかないと思うのだが。


再再度英語教育2

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普通日本に来る外国人は日本人に英語で尋ねる時はゆっくりはっきり発音するし、中にはたどたどしい日本語で訊く場合もある。ただ、返事が日本語で理解できるかどうかは別だが。

日本人は日本語だけで全てできる。教育も情報も仕事も日本語で世界でも最高レベルの内容だし、ノーベル賞受賞者でも英語は出来ないと言っている人が居るくらいだ。

使いもしない英語を日本人が学ぶ必要など無いとは私は常日頃思っているが、ちょっと英語教育について調べてみたら文科省のサイトに行き当たった。

小学校における英語教育の目標と内容

来年から小学校で英語教育を始めるとは聞いていたので、実際にこのような通達を読んで少しむかつき、次のような質問を送ってみた。


「小学校より英語教育を施すと自然に英語を覚えられるとのこと、まさにその通りでしょうが、なぜ日本人が英語を学ぶ必要があるのですか?

日本人が英語下手なのは、日常生活に不必要で、日本語だけで高い文化を築き、科学技術を発展させ、高度の教育を受けられ、必要な情報を得られるからです。英語が必要な途上国とは違います。 むろん、移住や仕事で必要な人は学べば良いでしょうが、大人になってからでも十分意思疎通の出来るレベルになります。私も大人になってから自分で学んだ英語で不自由していません。

日本で働く外国人は生活のために3ヶ月ほどで日本語の日常会話が出来るようになります。 幼少時に英語教育をしても日本語学習に支障は無いからやると言うなら、ではそんな無駄なことをしなければもっと充実した学習が出来るでしょう。

一般の日本人が英語を学んだとしても使いもしないのに学校教育で行うなど教育の基本に反していると思います。まして、近年ではスマホに翻訳機能を入れられる時代です。文章も自動翻訳されます。

本人が必要なら、あるいは好きなら本人が学べば良いこと、その為の民間学校などはいくらでもあります。文部省が義務化する理由が説明されていませんね。」

実際に文科省の上記の記事にもあるが、幼少時に英語を学ばせると日本語の習得に問題が出るのではないかとの懸念がかなり出ているそうだ。ただ、数週間の実験ではそのような支障は具体的には現れないので、英語教育を早く施した方が自然に身に付く、と説明している。

いや、障害が出る出ない以前に、使いもしない英語を貴重な時間を使って学校教育することが問題なのだ。英語を必要とするなら、あるいは好きなら自分で学べば良いし、大人になってから学んでも必要なレベルには達する。むろん、必要が無ければ何年やっても時間の無駄だから普通の英語を使わない日本人に国が無駄な時間を浪費させることが問題だし、実際に幼少期に外国語を教えると、日本語がきちんと身に付かないのは事実だ。人間は言葉で物を考えるのだから。

その代わり、自分で学ぶなら何語を学んでも構わないが、日本人は基本英語を必要としない。自国語では高度な情報教育が得られない途上国は英語やフランス語、スペイン語などかつて植民地支配された宗主国の言葉を使う。好き嫌いではなく、そうしないと現代の情報、教育を基の自国語では支えられないからだ。

日本語は世界でも孤立した言語だが、それで全く問題なく現代の日本を築き支えている。これから多くの外国人が来るだろうが、ほとんどは非英語国からであり彼らの英語も米英人とは違うのだ。そして今ではスマホにどんな言語でも翻訳できる機能が入れられる。

外国語を学ぶのは本人が決めれば良い。必要だったり好きだったら自分が学べば良い。何も国が押しつける理由など全くないと思うのだが。時には最初に書いた米国人のように日本に来てまで自分たちが普段使っている言葉を使う者も居る。常識が無いからだろうが、それに日本人が合わせなければならない、その為に無駄な時間を長時間浪費しなければならない理由など全くない。

再再度英語教育


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たまたまある動画で、日本人が英語を話せないことを馬鹿にしたようなアメリカ人の動画を観たのでかなり以前のことを思い出した。あるいは過剰反応で当の動画を上げた人物にはそのような意思はなかったのかも知れないとは思うが、ただ現実に日本人が英語を話さないのがまるで未開人のような印象を持つ英語圏の人間はいる。

かなり以前のことだが、路上で私のすぐ近くにいた若い女性に米国訛りの英語でペラペラと何か話しかけている男がいた。話しかけられた女性は手を振って英語を話せないとジェスチャーで示し逃げるようにその場を去って行く。その男はまた別の女性に同じようなことを問いかけ、彼女もまた同じように走るようにその場を去って行った。それらの女性は、まるで自分が英語を話せないことが悪いよう素振りだったのが気になった。

そんなのを周りで見ていたのだろう、人通りの多い場所だったが通る人はみんながその男を避けているような状態になり、男は誰に訊くつもりなのか辺りを見回していた。少し離れてはいたが、私の方も見てすぐ視線をずらした。まあ、私が英語を話すなど最初から思っていなかったのではないか。

スマホがまだ普及する前で、私も持っていなかったしその男も持っていない。ただ、メモを持って聞く相手にそれを示そうとしていたのだ。放っておこうかと思ったが、まあ良いかとどこかに行きたいのかその男に話しかけた。その男はびっくりしたような顔をしたが、すぐにまたべらべらと早口で話し始めるのを手で制して言った。もっとゆっくり話せと。

その男が道を知りたいのだとは分かっていたが、発音も悪いし典型的な米国の省略の入った日常会話で、私にも良く聞き取れなかったからだ。

彼はまた話し始めたが少しゆっくりになったとは思うが、聞き取りやすい発音ではない。

それでも理解は出来たのでそのメモを見たらどこかの住所と店か何かの名前が書いてあったが見回してもそんな店は見つからず、近くの店の人などに訊いてみた。しかし、何人かに訊いても知らないとしか答えが返ってこない。おそらくそのメモの内容が間違っているか古すぎるのだ。電話番号さえ書いていない。

そのことを言い、近くの人に交番がないか訊いたら近くにはない。ということで、結局は分からなかったが、本人はそれが不満なような顔をしていた。気分が悪かったので、日本人は英語を話さないか、少し分かるだけだから、日本人と話したかったらゆっくりはっきり省略しないで話しかけろ、と言ったら、案外素直に分かった、サンキューと返してきたので、この近くにはないがタクシーに乗って住所を見せれば分かるかも知れないし、交番に連れて行って貰え、とアドバイスした。もうおそらく十年以上前のことだが、上記の動画を観て思い出した。

-続く


環境問題


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今、スェーデンの16歳のグレタ・トゥンベリという少女が環境問題について国連で涙ながらの訴えをし、話題になっている。よく言ったと言う意見から、誰か大人に利用されているだけだとの冷ややかな意見も少なくない。真相は知らないが、ただ16歳の少女が涙ながらに訴えるという構図は確かに受けるだろう。

ただ、彼女の真意は分からないし、彼女の訴える地球温暖化問題は確かに深刻であり、それに対する解決策は炭酸ガスの排出を抑えるしかないとの警告は別に嘘では無いだろう。

が、ここで考えなければならないのは、現実的に炭酸ガスの排出を抑える技術があるのかということだ。確かに同じ化石燃料を使っても昔と違い今のエンジンは効率が良くなり、その分同じエネルギーを得るにも昔に比べより少ない燃料で済むようになっているし、排気システムも向上し、全てではないが排気ガスから炭酸ガスやその他の有害成分を取り除いて排気する技術も向上してきている。

回収された炭酸ガスは、むろん工業製品の原料としても使われるが、他に圧縮し地下に入れる技術も開発されている。例えば今北海道の苫小牧で試験されているのは、CCSという技術で、排出される炭酸ガスを分離し圧縮し地下3000メートルの砂岩層に閉じ込めるという物だが、むろんそれなりのコストが掛かるし、到底発生する炭酸ガスを全て処理するなどは不可能だ。

炭酸ガスは人間が化石燃料を使うことで発生するのだが、本来植物がその炭酸ガスを吸収し、さらに海水が吸収している。雲や霧、雨などの水滴に炭酸ガスが溶け込み海に降り注ぐということなのだが、地球が温暖化してくれば水が吸収する炭酸ガス量は減るし、さらに炭酸ガスを最大に吸収する植物が大変な勢いで減っている。なにしろ、地球の肺と呼ばれるブラジルのアマゾン森林地帯等は今猛烈な勢いで縮小している。

結局、人間の技術による抑制や植物による吸収などを上回る速いスピードで炭酸ガス排出量が増えているのが現状だ。

そこで、上記のトゥンベリさんなどが工業化の抑制を訴えるわけだ。これは気持ちとしては分かるが、現実には無理だ。

わかりやすい例では車はかなり炭酸ガスを出しているが、その車がなければ物流が破綻し、現代人の大半は生きてゆけない。救急車や警察車両、消防車などが動かなくなった場合を考えてみても分かるだろう。

それらを電気自動車にすれば良い、というのが反対派の主張にあるが、電気自動車を作る際に発生する炭酸ガスはともかくその電池に充電する電気はどうやって起こすのか。自然再生エネルギーを使えば良いというのは何の解決策にもならない。 太陽光発電や風力発電、海洋発電などがどれほど自然を破壊しているかは言うまでも無いし、その製造維持のためのエネルギーはどこから得るのか。日本のような地形と気候でどれほど自然再生エネルギーが役立つかは、現実に電気代が高騰している現状からでも分かるのではないか。

昔は電気がなくとも人間は生活していたが、その時代に戻るならその時代の生活レベルと寿命を受け入れる必要がある。それが出来るのか。

炭酸ガス排出抑制や回収技術の発達は無論必要だが、それで取り返せる物ではない。それらのコストが更にエネルギーコストに反映されるだけのことだ。それと、果たして炭酸ガス濃度の上昇が人類の化石燃料消費だけの理由かとなると話は別だろう。太古の地球でも、温暖期と寒冷期は交互に来ているし、長周期で観れば今は寒冷期にあるとされている。寒冷期の最たる時期では地球が全球凍結したし、温暖期では極地の氷が全て溶けている。それを地球は繰り返しているのであり、今はたまたま安定期にあるに過ぎない。ただ、その間隔は数万年単位であり、現在の温暖化はそれでは説明できない面もあるとは言う。

いずれにせよ、地球温暖化は日本だけの問題ではない。今途上国では猛烈な勢いで人口が増え、それを補うために自然破壊が進み、そして炭酸ガスの発生量が激増している。先進国が技術でカバーできる範囲を遥かに超えている。

となれば、解決策は原子力発電しかない。現実に原発が実用化されて世界中に原発が存在しながら、原発で死んだ民間人は唯の一人も居ない。化石燃料の排煙でどれほどの人間が死んでいるか、疾病を抱えているか比べる迄もないだろう。

むろん、自然再生エネルギーは、ある意味乾電池と同様の意味があるし、それでなくてはならないケースもあるだろうが、決して主エネルギー源にはならない。量としては太陽光エネルギーは十分にある。が、余りに希薄なために、濃縮しなければならず、そのコストが常に得られる利益を超えているのだ。因みに、風力も海洋エネルギーも太陽光が変換された物だ。化石燃料も大半は太古の植物が炭酸ガスをため込んだ物だ。

現在は、核融合発電でも実用化されない限り、原子力発電以外に地球温暖化を防ぐ方法はないと思う。

もう一つ、プラスチックの環境汚染も似たような物だ。むろん、不必要な使用は避けた方が良いだろう。買い物のポリ袋なども、自分で買い物袋を持って行けば要らないし、昔はみんな買い物篭を持って行くのが普通で、私も子供の頃母が毎日竹製の買い物篭を持って行くのについていった。包装は、古新聞の袋が普通だった。その袋を作る内職があったという。

しかし、プラスチックを廃することは今はもう出来ない。下手にそんな事をすれば、生きてゆけない人間が大勢出てくる。出来る事はプラスチックの回収、再利用、そして代替できるなら天然素材に変えることくらいだろうが、ただおそらくコストは跳ね上がる。金銭的負担との兼ね合いでしか出来ないということだ。

言論の自由

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日本は言論自由の国である。この言論自由とは先進国としての必須条件のような物であり、政府批判なども自由に出来る。かりに政府批判をすることが禁止されているなら、結局国民は政府の言うがままになるしか生きるすべがない。北朝鮮などはその最たる物だろうが、政府に逆らうことは即ち死を意味する。中国などもそうだし、ロシアもそうだろう。また宗教原理主義国家などは、神を誹謗することが即ち死を意味する。

つまり、言論の自由とは、自分の命を危険にさらすことなく好きなことが言えるし書けることを言う。

それでも、日本は別に世界で最高の言論自由の国では無いそうだが、その統計を採るのがほとんど欧米国家であることから、別に彼らの基準で判断して貰う理由もないはずであり、日本人が判断すれば良いことだ。たとえば、日本では相手の言葉を完全に否定することは結果として軋轢を生むことから、論争をしない風潮がある。これが一般常識なら、欧米の相手の人格まで否定する件論の自由は日本にはそぐわない、それだけのことだ。

したがって、欧米の基準で日本が言論自由の国ではないと仮にされたとしても、無視すれば良い。日本人が納得しているなら、それで言論の自由が守られていると言うことになる。

因みに国境なき記者団が年1回発表している指標世界報道自由度ランキングでは、日本の言論の自由度は顕著な障害があり、米国と同程度とされている。世界の中ではそれでも自由な方なのだが、この国境なき記者団の基準では、と言うことであって、彼らの基準が別に世界基準ではない。

たとえば、日本では旭日旗はおろか、日章旗も掲げるべきではない等とする和田春樹などが、別に命の危機も無しに生きている。吉田清治の嘘をそのまま事実として記事にした朝日新聞などは自らその偽りを認めたにもかかわらず、未だに日本が悪い、韓国が正しいと言い続けている。

日本人、特に女性を売春婦扱いしたwaiwaiという英文記事を続け、その内容が余りにひどく事実を無視していると自ら認めた毎日新聞は、それでも現実の責任など取らずに未だに、いやむしろヒートアップして反日記事を書き続けている。日刊ゲンダイや東京新聞などは、完全に朝鮮中国の宣伝機関だが、別に責任者が逮捕されることもない。

最近ではあいちトリエンナーレで例のキムモリテジ氏(金髪豚)が朝鮮売春婦の像を展示したことが問題になっているとNHKは報道しているが、このキム氏が昭和天皇の写真を燃やす画像を展示したことも問題になっている事には触れていない。おそらく、嘘を言うのではなく都合の悪いことを伝えないことは嘘をついたことにはならないという理屈なのだろう。

たしかに都合の悪いことは言わず、一部だけを針小棒大に言うのも日本のマスコミの特徴だ。いや、一応先進国と言われている欧米のマスコミの特徴だが、結局そうした方が記事が売れるということだからだろう。政府べったりのご用マスコミは確かに問題だが、商品である記事を、自分では物を考えないお花畑に売るために書くのが世界的にマスコミの在り方といえる。また、記者も人間だから間違うこともあるだろう。その結果、事実と異なる記事を書いてしまうこともあるとは思うが、間違いに気づいた時、訂正し自らの間違いを認めるなら、その記事は信用しても良いとは思う。が、まずそのようなケースはほとんど無い。欧米のマスコミなどは、日本語がまともに理解できない記者がいい加減な英文による伝聞を記事にして、自分で確認するなどしないことも普通に有る。

これだけひどい日本のマスコミだが、旨く出来た物でそのマスコミの記事通りにはならない。つまり、マスコミは売れるためにはどんな記事でも書くという前提が日本人の多くに理解されていると言うことだろう。なにしろ、世界には新聞など読めない、識字率など単なる名前を書ければそれでカウントされるような国が大半であり、だからこそ文字に頼らないスマホなどが日本以上に普及したりテレビに影響される人間しかいない国が大半なのだ。そんな国では、マスコミが好きなように国民をだませるし、そしてそんな国ではマスコミは金でどんな嘘でも書く。金になるなら政府の言うがままに記事を書くご用マスコミも珍しくはない。

中国などは、報道機関ではなく政府の宣伝機関だし、朝鮮は親日記事を書けば実際に命が危ないから何でもかんでも日本側ルイという前提でしか記事を書かない。

日本も、そして欧米のマスコミもひどい物だが、世界のレベルではましな方なのだろうし、そしてマスコミとは記事を売る商売なのだと理解する国民の国だからそれなりに先進国なのだろう。文化人も芸人も安倍叩き、政府叩き、反日を言わなければテレビに読んで貰えず飯の食い上げだから競ってそうする。

まあ、確かに朝日毎日などが、安倍政権は素晴らしい、等と書き出したら何か大変なことが起きていると心配すべきだろう。






人種差別と民族差別


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人間は群れを作る動物でありそれは別に誰かが決めたのではなく、誰か強いリーダーの元に集団を作ることで外敵から守るように進化してきた。その為、特に身体的にはライバルの他の動物と比べ力も弱く、走っても遅く、そして牙も爪もない。集団で生活をするしかなかったし、その為には強く経験を積んだリーダーの元に集まる生き方をしてきたわけだ。人間に一番近い猿のほとんどが同じ生活をしている。

しかし、これも猿の群れと同じだが、群れ同士は縄張りや餌を巡って争うことが多い。群れが集まって更に大きな群れを作ることもあるが、その群れが余りに大きくなりすぎると統率が取れなくなり、力のある者が群れを率いるリーダーの地位を巡って、争うことが往々にしてあり、それによって群れが分裂することもある。したがって、ある一定以上の大きさにはなれないのが猿の群れだ。しかし、リーダーの統率力が強ければより多くの群れを纏めることが出来、結果として他の群れと争いになった時極めて有利になる。

つまり、大きな群れは優れたリーダーが率いることになる。

以上は猿の話だが、実は人間も全く同じであり、現在の世界を観てみるとまさにそれがそのまま当てはまっているのではないか。ただし、猿と人間の違いは、争いを避け大きくまとまることでより大きな力を全体が得ることが出来ることを理解していることだ。その為には、争いの元になる価値観の違いを無くすることが有効であり、その為に使われたのが宗教だし、そして価値観の統一だ。その結果、より大きくまとまったグループが他のグループを吸収し更に大きくなってこれが民族という形を作り、更に国家という形を作った。国家同士は当初は価値観の違いから互いに争っていたが、時代が下るにつれ争うよりも妥協する方が双方損失が少なく得るものも大きいことを理解してきたから、近年は戦争が昔に比べ非常に少なくなったと言える。

ただし、当然なら民族でもその発展熟成度の違いは依然としてあり、世界が国家単位になると、基本的に同一民族で出来上がっている国家もその民族の成熟度に応じて発展の度合いが違ってくる。近年は更にその差が広がっており、先進国の完成度は加速度的に早まり、途上国は極めて遅いし、中には退行している民族、国家もある。

つまりは、民族の熟成度が違うと言うことだ。

ところで、民族の生成過程から分かるとおり、最初は極めて小さな集団から発展してきたものだ。それらの集団が集まって民族を形成したとしても当然ながら同じ地域に長期間生息していた群れ通しなのだから、ネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドのようないわゆる人種間の違いは無かった。民族が形成され、国家が形成されるようになって、初めて他の人種との軋轢が出てきたのだろうが、その頃にはそれぞれの民族の価値観は完全に固まっており、もっとも受け入れがたいのは外見が異なる人種の違いだったろうとは容易に想像できる。実際、人間が世界規模で互いに移動するようになると、最も活発に移動していたコーカソイドが、ネグロイドやモンゴロイドを制圧する形が一般的になり、そうなるとコーカソイドによる他人種への優越感が当たり前になる。

人種差別は誰かが始めたのではない。人間の歴史上当然現れてきたと言えるが、無論だからそれが当然だとかやむを得ないとは言えない。人種差別がどれだけ人類の歴史の中で負の歴史を刻んできたかは言うまでも無いが、だからといって人種差別意識は異なる人種が出会ってから今に至るまで消えていない。少なくとも先進国では表面上それをあらわにすることは以前ほどはなくなったとしても、意識レベルではほとんど無くなっていないとしてよい。その例は今までも何度か書いているが、本人が自覚していなくとも価値観の中に染みついているのだ。それを無くすることは今は出来ない。むろん理性としてそれを払拭している人間は無数に居るが、潜在意識の中まではわからない。まして、自分の意識を観察する能力も無いほとんどの人間にとっては、人種差別は本能のようなものだ。

ことさら欧米人に対しそれを以てして敵意を持ってはならないが、生まれながらその文化価値観の中で育った人間は、潜在意識の中にそれを持ち込んでしまっている。それは理解しなければならないだろうし、いずれそれも解消されて行くのだろうと思うしかない。

ただ、民族同士でも発展の度合いが大きく違うように、この人種差別意識もその変化の度合いは大きく違う。それも理解して置いた方が良い。

朝鮮人は本来人種的には日本人と大差ないモンゴロイドだが、その中でも自分たちで日本人に対する差別意識を作り出し、あたかもかつてのコーカソイドがネグロイドやモンゴロイドに対して持っていたように日本人に対して人種差別意識のような優越感を持っている。それは今の日韓関係の悪化の過程を見てもよく分かる。これは話して分かる物ではないし、逆差別をしても意味は無い。

朝鮮人の対日劣等感がなせることであり朝鮮人が朝鮮人である限りなくなりはしない。

よく、文在寅政権がなくなれば日韓関係は改善するなどと言う者が居るが、無論それはない。誰が大統領になろうと朝鮮人は朝鮮人なのだから。


価値観という物

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価値観とはそれで生きている者にとっては全てだが、それ以外の者に取っては何の関わりも無い。この場合、それ以外とは、時代の違い、文化の違い等を意味する。現代の日本人は現代の日本文化に基づいた価値観で生きていて、それを日常で意識などしていない。しかし、更に細かく言えば各個人はそれぞれの価値観に基づいて生きているのだが、それを意識しないことの方が多い。むろん、自分一人で何かをするならそれで全く構わないが、他者が関わる時、他者の価値観とのすりあわせが必要になる。どうしてもかみ合わないなら、関わりを持たない様にするしか無い。

これは今更言うまでも無い当たり前のことなのだが、それを全く理解していない者達が無数に居る。

どうしても価値観が違う相手と関わらなければならないのに妥協が出来ない時は、力関係でその場のルールを決めるしか無いのは、誰もが意識せずにやっていることだ。会社で上司とぶつかった時、選択肢としては会社を辞める、あるいは自分を殺して上司の言葉に従う、この二つしかないだろう。

ところが、価値観が上司と同じなら上司の言葉に従うことに何の抵抗もないだろうし、むしろそれによって会社の業績が上がると信じて精一杯努力するだろう。とくに何の経験も無い若い人間が自分の判断基準など持ちようもない時に上司から命令されれば大半の場合その命令を実行すべく努力するし、それによって認められれば地位も収入も上がる事になる。結果として、彼はその会社の優秀な一員として完成して行くことになる。

これは会社の例であり、他社とライバル関係になった場合は自社の方法とライバル会社の方法の違いが結果に出てきたり市場での評価なども明らかになって、客観的に自分の価値観を見直すことが出来るようになるだろう。

しかし、会社という狭い社会の中では他社という違う社会と極めて近い距離にあるので、結果として自分の信じている事を客観的に見直す可能性はあるだろうし、その結果転職と言うことも結構有る。

さて、国家や民族の場合、同じ社会にある会社などとは異なり、他との接触はほとんど無いと言える。むろん、国家同士の外交的関係はあるだろうが、国民同士の直接の接触はほとんど無い。もちろん観光やビジネスで他国を訪れたり等は年々増えているが、互いの価値観を直接関わらせる接触は無いということだ。あくまで国家間の接触とは政府同士の接触であり、そこでは価値観、利害が大きく関わる物の、個人同士のたまたまの接触ではそのようなことは少ない。ただし、時間が経てばそのような接触も国家としての接触と似たような現象は起きてくるだろう。国際結婚とか、移住などはそう言えるだろうが、ただ、他国に移住してもその国の価値観に自分が完全に転換できるわけではない。同様、政府同士の接触では妥協はあるだろうが相手の価値観に自らを合わせるようなことはない。

と言うことは、人類のグループ分けとは、国家ではなく民族、即ち文化そしてそれに基づいた価値観によって行われていると考える方がよほど自然なのではないか。中国系の人間はかなり以前から欧米に広がっている。それは中国人がそれなりに欧米人に対しては従順だったのでご主人様と共に拡散したという理由がある。ただし、移住先でも自分たちだけのコロニーを作る。

朝鮮人(概念の)も同様であり、どこに行っても自分たちのコロニーを作る。もっとも、この傾向はどの民族でも同様の傾向はあるが、あくまでその度合いを言っている。

何故そうなるのか。言語を覚えるのは、二世世代になれば問題は無い。三世ともなれば本来の母国語を話せない人間がほとんどと言って良いが、ただ文化価値観は、かなりその人間の行動を左右する。つまり、人類のグループ分けとは、価値観による物だと改めて思う。

極端な宗教国家の人間はそもそも他国の価値観を最初から受け入れない。それは中東諸国を観ていればよく分かるし、欧米のキリスト教文化で出来上がっている文化や価値観の者達は、表面上他文化を受けいれても根本はそう簡単に変わる物ではない。ただ、まともな人間は自分の価値観を保ち続けながらも他の価値観との妥協をする道を選ぶ。そうでない場合は、価値観故の軋轢は力によって解決する以外にはない。つまり戦争の原因は全て価値観の相違によると考えて良い。

まともでない者達は、他の価値観を最初から絶対に受け入れることが出来ない。どの様な国でもコロニーを作る中国朝鮮人の本質と言えるのではないか。仮に彼らに力があれば、その国を力で従えようとするだろう。

別に自分のベースとなる価値観を捨てる必要は無い。が、他の価値観を受け入れることの出来ない者達は、ますます自分の価値観だけに固執し、結果として他から排除される道しか残されないわけだ。中韓はもとより、宗教国家などもそれが言えるだろう。一応先進国である欧米も、その多くは中韓とほとんど変わらない。ただ、国家によるコントロールが今のところ旨く行っているだけのことだが、最近の欧米を観ているとそうとも言い切れない気もする。

お花畑対策

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日頃口を極めてお花畑のことを馬鹿にしているが、そもそもお花畑とは自分では考えもせずただそれらしい人がそれらしく言って、大勢がそれを受け入れている場合、自分もそれを受け入れ、それを受け入れることが本当に正しいのかどうかを考えない人たちのことを言っている。

このブログはあくまで日本の在り方、政治、思想、対外関係などなどを扱っているから、当然私なりに可能な限りの資料を調べ事実を確認し、そして自分でその整合性を考えた末に自分なりの考えを纏めている。従って、その時点その時点では自分なりに出した結果が正しいとは思っているが、同時に私が知りうることは極めて限られており、例えば外交問題でも公表されていることは事実の内のごく一部であり、それを知るよしもないのだから公表されている事だけで全てが正しく判断できているなどとは思っていない。むろん、公表されていても私が知らなかったり間違って解釈したりしていることもあるだろうから、私の考え事実だと思ったことが必ず絶対の事実だなどとは思っていない。

政治、外交、思想、軍事対立などはそれなりに私も根拠に基づいて発言しているのだから自分がこの分野でのお花畑とは思っていない。また私と違う意見でも、あるいは間違っていてもそれなりに自分で考え主張する人も決してお花畑などとは思っていない。

が、この政治、外交、思想、軍事関係以外のことでは、私は自分でもお花畑だと思っている。たとえば、スポーツについては私は完全に無知であり、小学生でも私より詳しく、そして自分なりの予想を立てる場合がある。もとより、彼の言うことが正しいのか間違っているのかも私には分からないが、いずれにせよ関心が無いのだから敢えてその小学生に反論を加えることもない。よく知っているなぁ、と感心するばかりだ。

自分の専門から、例えば電気については一般の素人よりはよく知っているが、ただ最新の技術を私が備えているわけではなく、新しい知識について教えられてもそれに対する反論も何もない。自分で考えることなど無く、教えられた新しい知識を試してみるだけだ。つまり、これも私がある意味お花畑と言うことになる。

つまり、一般の人は政治や外交が自分の生活に直結しているという意識がないから、専門家に任せて置いても別に問題があるとも思わないし、もっともらしいことを言う専門家もどきの発言でも自分で考えることなく受け入れている。私がスポーツの話や、最新の電気関連の技術についてその真偽を考えることも無しに聞き流すか受け入れるかしているのと変わらないのだ。

車についても私は技術的なことは何も知らない。が、車が使えるなら別に自分で知る必要も無いと思っている。食事にしてもそう、衣食住全て必要だが専門の人に任せておけば問題が起きないのだから自分では極めようなどとは思わない。

政治や外交、戦争平和についても多くの人はそれと同じなのだ。自分で考える必要など無いと思っている。彼らがお花畑なら、違う分野で私もお花畑なのだ。

言い換えれば、お花畑をいかに都合よく使うかが政治家なのであり、それが結果として独裁国家になり消滅国家になり、あるいは民主国家になり先進国になる分かれ目となる。ただ、どんな国も結局国民がどの様なお花畑かで国の在り方が違うと言うことだ。





雑感2



更に、

”核開発は憲法違反だ”

との説も彼らのお気に入りになっている。が、憲法は国家の主人たる国民を守るために存在するのであって、憲法を守るために国民が危険にさらされるべきではないとの原理原則が、これらの論を持ち出す人々には理解が及んでいない。

憲法は事実上日本に戦う事を禁じているが、これは身を守るな、黙って殺されろと言っているのに等しい。この様な憲法を神の信託のように信仰する訳にはいかない。

また、非理論的なのは非核論者だけではなく、自分に理論がない、反論出来ない、理解出来ないと相手の人格攻撃罵倒に終始する者達が居る。パヨクと言う連中であり、彼らは日頃自分達がどのような存在かを身を以て証明している。が、それでも声の大きな方の言うことを無意識に受け入れてしまう人々にはそれが有効なのだ。そして、世界の大半はそうだから、独裁国家が存在するし、名目は民主国家という未開国家が無数に存在する。そこでは、原理原則さえ政府の都合によりねじ曲げられる。

卑近な例だが、日本軍が二十万もの朝鮮女性を強制的に連行し、性奴隷にしたという話は、反日教の経典の第一条くらいになっている様だがその間、女性達の家族が暴動の一つも起こしたという記録がどこからも出て来ない。当時の朝鮮の警察官はほとんどが朝鮮人であり、日本軍にも朝鮮人が大勢居たが、彼らが反乱を起こしたという記録もない。強制労働のために連行され奴隷使役された筈の多くの朝鮮人がそのまま日本に住み着いた理由も全く説明されない。密航してさえ日本に移り住んでいる朝鮮人が無数に居る。そして戦後の混乱期、戸籍をごまかし、土地を盗み居着いている。

非核論者の理論もこれに似ている。簡単な例で、米国がイラクやイラン、シリアに軍事攻撃をしながら,北朝鮮に何故しないのか。あれだけ年がら年中戦争をしていたインドとパキスタンが,双方ほぼ同時に核保有をした途端に一切戦争をしなくなった一番分かりやすい理由を、非核論者は口にしない。

但し、核武装論者でも矛盾を指摘されるとそれに反論出来ずに、罵倒しか出来ない者も確かに居る様だ。自分では考えずに、人の核武装論を鵜呑みにしている者も現実に居るが、非核論者は全てがそうだとしか思えない。

核反対派でも賛成派でも、完全無欠な理論など持っているはずもなくだからこそ反論は貴重なのであり、このブログでも反論が有るならむろんいつでもコメントをいただきたいと思う。ただし、罵倒だけが目的なら無視するし受付拒否もするが、本当に自分で理論を持っているなら十分に傾聴する。また核武装論が否定されなければならない十分な理論があるなら、是非聴かせていただきたいと思っている。が、今までそのようなコメントがあったことが無い。非核論者は、最終的に罵るか、あるいは話にならないと離脱する。

理論がない、知らない、理解出来ない、経験がない・・・これらは決して恥でも何でもない。恥なのはそれを話題逸らし、人格攻撃で隠そうとする事だ。みずから、自分の馬鹿さ加減を宣伝している。

知らなければ調べればよい。調べても分からなければ訊けばよい、訊いた相手も分からなければ一緒に考えればよい。調べようとしない、知ろうとしないことが恥なのだと思う。

核武装論を例として雑感を書いた。がむろん、憲法改正、軍事力増強、言論統制、外交問題などなど、様々な論点がある。また、日本人の価値観と、他国の価値観が違うことを理解すれば、国内の方針と、外交方針が異なるのは当たり前なのだが、それに噛みつく連中も居る。噛みついても構わないが、それなら何故噛みつくのかを明確にすべきだろう。

今は閉鎖されてしまったが、かつてYahooには各種の掲示板があり、私も沢山書き込んでいたし、自分でもトピを開設したりした。単に噛みつくためだけの連中が無数に居たが私と意見が異なっても非常に参考になる書き込みをする人も居た。私と意見が異なるなど当たり前にあるだろう。それは全く問題ではない。私の言うことが完全無欠だ等とまさか自分でも思ってはいない。単にその時点で自分が知りうる情報を元に、自分の知識で判断できる内容を書いていると言うことだ。





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雑談

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このブログを開いた目的は何度か書いているが、核抑止力の必要性を訴えるのもその一つだ。これについては、核抑止に反対する人々がどのような人達かを理解する事も、彼らの理論がどのような物かを理解するのも重要だろうし、私一人がそれを見て理解するのではなく、ここを訪れる人が見て理解する場所にもなると思うからだ。

で、今までそうだろうと思っていた非核論者に理論がない、自分では理論を持っているつもりでも、裏付けを求められたり現状の判断などを求められると、それに対する理論的な反論がなく、唯誰かの言うことをそのまま言っているだけだ。つまり、自分でその理論に裏付けがあるかなどを考えていない人たちが主として核廃絶、日本の核武装はとんでもないと言っているだけだと明らかにすることも、このブログの目的と言うことだ。

或いは相手の理論など理解する必要がない、理論など要らないと本当に耳を疑うような事を自分では何の疑問もなく言う人がいる。つまり自分の思いこみ以外は見る事も聞く事も、自分ではしらない内に(多分)拒否しているわけだ。9条教教徒と変わらない。理屈はともかく9条をを護れば平和が確保出来るという類だ。

大半はこれに分類されると思う。此処だけではなく、非核論者の主張を書いた記事、ブログ、対談など全てがそうであり、核抑止力を持つ事が何故悪いかの緻密な理論の組み立てが無く、杓子定規の理論が破綻するとそれ以上にそれを再構築する能力がない。

例えば、

”日本には核を開発する技術がない”
”核開発には必ず核実験が必要”
”経済的に破綻する”

これらはかつて普通にあった反対論の理由だったが、今ではさすがに影を潜めた。

今出てきているのは

”米国が許さない、世界が許さない、日本が核を持てば世界から制裁を受け日本が壊滅する”

それに対し此処ではそうはならないと書いたらそれ以上の反論がない。

で一番受けの良い、

”唯一の被爆国だから核を持つべきではない、被爆者の心情を思えば核を持つべきではない”
と言うのが今のところメインではないかと思える。

ところがこれは何の因果関係もない。単なる心情論でしかなく物を考えない人達(お花畑)にはこれが受けると言うだけ。

”核を無力化する技術を開発すればよい”

と言うのもあった。技術が出来てからなら私も核廃絶に宗旨替えをする。

ー 続く

鉄10Kgと綿10Kg


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クイズ。鉄1Kgと綿1Kgではどちらが重いか。普通の人なら両方同じ重さと答える。それ以外の答えはないはずだが、子供などは往々にして鉄の方が重いと答える。私自身、子供の頃にそう思っていた記憶がある。実際にそんな事を確かめた人は居ないだろうが、別に確認しなくともわかり切ったことだから実験をする必要が無い。

さて、私も正確な重量比べをしたことはないが、かなり前、たまたま10Kgの鉄のダンベルを手にする機会があった。片手でぶら下げることは簡単だが、腕を水平に伸ばしたまま持つことは相当難しかったがかろうじて出来た。今は無論出来ないだろうが。

一方思い返してみれば綿を10㎏持ったことがある。その時に片手を伸ばして持つことはしなかったが、ぶら下げることはしたし、特に重いとも思わなかった。時期が違うせいもあるかも知れないが、鉄のダンベルの時は結構重いと思ったのを今考えてみると、鉄と綿は実際は同じ重さでも鉄は重い、綿は軽いと言う思い込みから体が感じる重さもかなり違うのだと思う。その意味で、子供が、鉄の方が重いと答えるのは間違ってはいない。あくまで感覚的な意味でだが。第一、イメージとして綿のように軽い、鉄のように重い等という表現は普通に有るし、誰に訊いてもそのようなイメージを持っているのではないか。また、そのイメージ自体は間違っていない。

さて、クイズ。第二問。

ハングックとイルボンはどちらが正しいニカ。答え 常にハングックが正しいニダ。
日本と韓国はどちらが正しいのか。答え 常に日本が正しいのだ。

鉄と綿の重量とは話が違うのだが、それが朝鮮では同じような理屈で理解されているので引き合いに出した。

日本と朝鮮の言い分が異なる場合、どちらかが間違っているのだ。むろん、見解の相違で異なるならそれはいくらでもあることだが、歴史は必ず一つしか無い。例えば朝鮮人女性を日本軍が強制的に連行し、性奴隷にしたのが事実なのかどうかは見解の相違ではないだろう。ということは日本か朝鮮が嘘を言っているのだ。

子供の多くは年齢にも依るが10㎏の綿の方が10㎏の鉄よりも軽いと言う。普通の理解力があればそれは間違っているのだし、実際に測ってみれば双方が同じ重さだと分かる。それ以前に、それぞれを10㎏というのだから同じ10㎏であるとの大前提があるのだが、子供の中には納得しないのが居る。いずれ大人になれば理解するだろうからそれを厳しく言うまでも無い、と大人は考えて説明をやめる。

しかし朝鮮人は違うのだ。むろん、ここでも概念の朝鮮人という意味だが、それを日本のパヨク、お花畑と置き換えても同じだ。鉄でも綿でも同じ10㎏だから同じ重さだ、という大前提が理解できないのだ。先に書いた綿は軽い、鉄は重いというイメージが判断の全てになっているのと同じで、ハングックは正しい、イルボンは間違っているとのイメージが彼らには絶対基準だからだ。

これは、永久に理解を共に出来ないことを意味する。子供なら成長すれば理解するだろうが、朝鮮人は理解力という面で成長できない。これは、近年ますます悪化してきている日韓の反目の理由を少し見れば分かる。イルボンが悪いニダ、が大前提となっているので、日本が地球は太陽の周りを回っていると言っても、嘘だ太陽は韓国の周りを回っているのだからイルボンはまた嘘を言っている、と言うことになる。

子供は成長しいずれ真実を理解するから待てば良いが、朝鮮人はいくら待っても真実はイルボンが悪い以外考えることはない。話せば分かると言うことが現実には意味が無いことを日本政府が理解したのなら喜ばしいし、米国も本当に理解したなら喜ばしい。



においで下さい

災害対策

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地球温暖化により地球規模の気候が激変しつつある。かつては滅多に来なかった超大型台風やハリケーンが今では毎年数多く発生し、極めて大きな被害を残すようになった。台風ばかりではない。日本では太平洋プレートのゆがみが蓄積され、数十年以内に東京など首都圏を直撃する大地震、いわゆる南海トラフ大地震では最悪数十万人が犠牲になるなどと言われている。また、各地で火山が活発化し、富士山噴火が危惧されているともされている。もし富士山が大噴火をすれば関東のインフラが大打撃を受けるというわけだ。

これらの自然災害に対しては、人間は本当に無力であり、それを防ぐことは不可能だ。とすれば人間に出来る事は、予報と、避難対策しかない。昔と違い、今では台風はほぼ確実に、火山はそれなりの予報、また地震も発生自体は予測できなくともその予兆はかなり分かるようになってきている。それなら、首都機能を分散したり、人口を分散し、またインフラをそれらの大災害から守る方法を採るしかないだろう。

津波対策としては大規模防潮堤、住宅地の高台への移転などが有るだろうが、基本的には都市機能の分散や移転だろうと思う。どの国でもそうだが、大都市は大体河川の流域に造られるし、特に首都などは海に面した場所に造られる。内陸国以外はほとんどそうなっているのは河川のあることで流通に有利だったし、さらに交通にも便利だったからだ。無論そのような場所は平地であり、人の生活や近隣での食料生産に便利だったことも理由だ。

しかし、都市が造られ始めた時代と違い、現代は川や海に頼らなくても運送や交通は問題ないし、昔のように人間が固まって住むことで出来る事が今では通信技術の発達で昔ほど大規模な都市でなくとも不自由の無い生活が出来る。

確かに、未だに沿岸の平野で河川のある場所が便利であることに違いは無いが、昔ほど有利なわけでもなく、さらに人が固まって住んでいる場所に大災害が起きた場合の被害は莫大な物になる。

例としては不謹慎かも知れないが、日本では地震が頻発することが避けられず、その為の対策はしているのだが、それでも阪神淡路大震災と東日本大震災では被害の規模は全く違う。ただし、東日本の場合は地震による被害よりも津波による被害が甚大であり、それに原発事故が重なった。しかし、地震による被害を言うなら、阪神淡路の方がよほど大きい。ただし、人命が失われた数を言うなら、阪神淡路が6400名あまり、東日本が15000名あまりでこれは段違いだが、地震の犠牲者ではなく、大半が津波の犠牲者だ。その被災範囲は広大だが、東日本の犠牲シャンの大半は火災による物であり、狭い地域に集中している。

原発関連では誰一人犠牲になっていない。

東日本の災害に更に不幸が重なったのは悪夢政権であり、当時の菅直人総理の邪魔が原発事故を悪化させた、悪夢政権の対処が放射線風評被害を拡大した面がある。

結論として日本政府が行う災害対策、それも首都圏を襲う大規模地震やそれに伴う津波災害に対し、沿岸部の防潮堤の建設、これはかつて悪夢政権が無駄だとして中止した物だが、現実にはいわゆるゼロメートル地帯に於ける対策はそれしかないだろう。それと、むろん建物の整理などはある。

それと、住民の可能な限りの山の手方面への移住の促進、更にそれを機会に人口の地方への分散とそれに備える交通網の完備、首都機能の地方への分散などを計画だけではなく実行に移すべきではないのか。むろん、これほどの人口集中した大規模都市を簡単に移動できるはずもないのだから、墨田江戸川などのゼロメートル地帯の人的被害を最小限にする対策とが最優先となるのは当然だろうが。

東京中心部は今どこに行っても新しい施設が建設されつつあり、少し見ないと見違えるほどリニューアルされている。無論その際は新しい耐震、対津波対策は施されているのだろうが、基本的にこの人口集中を解消しなければ根本対策にならないと思う。







人は信じたい事を信じる


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日本のマスコミの質でも書いたが、


太陽が地球の周りを回っている、いわゆる天動説とは人類のほとんどの歴史で信じていたことだ。地球公転説、地動説は人類史で言えばほぼ五百年前、つい最近になって認められたに過ぎない。一部の学者達は紀元前から天動説を主張していたとされるが、ほとんど相手にはされていなかった。

つまり人間は、自分がしっかりと立っているこの大地がふらふらと飛び回っているはずなどない、と信じていたから、それ以外の可能性を最初から受け入れなかったのだ。これは人間の本質を示した一例と言って良い。

誰でもそうだが、自分自身が矛盾を感じない限り人は今信じている事を変えないし、そればかりかそれに反する主張をする者に反発を感ずる。人は人、自分は自分と考えられるならましな方だが、それは成熟した人間にしか出来ないことであり、本来の人間はそれが出来ずに争いをしてきたのが人類の大半の歴史だ。

当然ながら簡単に自分の信じている事を変えられるならそもそもそれは信じているということにならない。それでも自分の信念を客観的に見て、様々な検証を加えて矛盾を発見したらその矛盾を納得させる根拠を求める。それが出来なければ、そもそも自分が信じていたことが間違っているのではないかと疑う。こうやって人間は自分の知識を訂正し理解を深めて行く。が、これも出来る人間は極めて少ない。世界の大半は、自分の信じている事に疑いなど持たない。

全ての人間が同じ事を信じているならおそらく争いは今よりもよほど少なくなるだろうし、全世界が同じ事を信じていれば戦争など無くなる。ただし、全人類が同じ事を信じていたら人類は進化しないので、戦争が出来ない、と言うのが正しいだろう。

卑近な例では、宗教国家は絶対に近代化もしないし自ら発展することが出来ない。全て、例えば豊かな地下資源があるとか、他の国からの補助でしか存在できていないのが明らかだ。

多くの人間が同じようなことを信じているから争いはなくなる。おそらく日本社会が世界でも突出して安定し、安全なのはその為だろう。また日本人は互いの違いを徹底して討論することを嫌う。つまり違うことを考えても曖昧にするのだ。だから、日本の穏やかな安定した社会が出来ていると私は思っている。が、完全にそうならば、日本は宗教国家と同じ、自ら発展できないはずだが、日本の科学技術については今更言うまでも無い。

いつもの通りまた脱線したが、人間が信じたいことを信じるのは人間の本質であり人間が群れで暮らす動物である以上当然なのだが、異論を唱える者をむやみに排除せず、最初は相手にはしないが敵視もしないのが日本人の特徴なのだろうと思うがあくまで私感だ。

ただし、その異論が何らかの形で証明されたり、賛同者が増えてくると、ある日突然それが社会常識になる。日本では度々そのようなことが起きている。今自衛隊を国民の大半が認め、日米安保を当然と考えているが、数十年前は国民の大半が認めていなかったのだ。社会党が自民と二大勢力を張り、共産党も今より勢力があった。

別にクーデターがあったわけでも無いのに、自衛隊も安保も社会党勢力も共産党も大きく扱いが変わったのに大半の日本人はもともと自分がそう信じていたと思い込んでいるかの様だ。

人間は信じたい事を信じる。だから社会は安定する。しかし、自分では信じている事が変化していることさえ気づかないで、相変わらず信じたい事を信じて社会が変化して行く。ただ、その在り方が日本と外国、特に宗教国家や独裁国家とは全く違うのだろう。それらの国では、価値観が変わるためには数百年も掛かるのだろうし、その間に自立できなくなって消滅するしかない。一千年も前なら数百年掛かっても構わなかったろうが、現代では十年かかっても存続に変わる。

欧米の相対的な没落、中国の急激な没落(これについては何度も書いている)、ロシアの没落、南北朝鮮の先行きなどを見るにつけ、日本はましなのだとつくづく思う。