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歌会始の儀

 本日一月十四日、恒例の歌会始の儀が宮中で執り行われた。
 
 考えてみれば、このような儀式が連綿と受け継がれていることは、きわめて希有なことであり、世界で唯一と言っていい。歌会始の最初の記録は千二百六十年代、亀山天皇の頃にすでに行われていたというから、七百五十年もの間、続いていると言うことだ。
 
 そもそも、世界には日本の天皇家ほど、というより七百五十年間も続いている王朝は無い。世界には現在27の君主制国家があるが、日本の次に古いとされているのはデンマーク王国だ。だが、現デンマーク王室も、いくつかある歴史上の最後の王室と言うことで、6世紀まで確実にさかのぼることができる皇室のように系統が続いているわけではない。
 
 国家としても大半の国はこれほど長い歴史を持っている所はほとんど無い。もちろん、日本ほどではないにしろ、数百年程度の歴史を持つ国はあるだろう。それなりに古い伝統を引き継いでいる国もあるだろう。が、これほど長く連綿と文化を伝えてきた国はない。日本の隣には5千年とか半万年の歴史を自称している国があるが、そこに人間が居ただけで、別に文化を伝えてきたわけではない。それらの国の歴史は、60年あまりであり、それ以前の文化を破壊して、むしろ、その記録は日本に残されているのが現状だ。
 
 考えてみれば、日本とはつくづく特殊な国なのだとの感慨を持つ。ある文化が芽生え、それが一定の範囲で広がると、現代まで一度も途切れることなく伝えられている例が多い。古くは、雅楽、舞楽、能、狂言、歌舞伎、様々な形式の長唄端唄新内、様々な形式の詩、絵画、工芸、茶道、華道、書道、香道、武芸、楽器、舞踊、衣服、食べ物などなど、挙げれば切りの無いほど多くの日本文化が今に伝えられ、さらに海外から様々なものが入ってきているのに入れ替わることもなく、時に影響を与えながらも実際に人々が親しむものとして存在している。
 
 このようなことは実はきわめて珍しい。他国にも古い文化はあるが一部の記録にとどまっていたり、実際は継承している人間が居ないなどのケースの方が多い。衣服一つとっても、和服は普段の生活の中にきちんと生きているが、半万年の歴史を誇るはずの隣国ではそれらが失われ、いまでは似ても似つかぬ復元民族服が特殊なケースとして着られているだけだ。料理も、現代まで途切れることなく伝わっているわけではなく、一度途切れたものが民族の看板として復元されているにすぎない。
 
 ヨーロッパでも大体似たようなものだが、たとえば楽器でも確かに古い楽器などがあっても、日本の三味線やことのように、日常的に演奏するために多くの人々が習得しているわけではないし、それらの楽器を作るメーカーもきわめて限られている。
 
 別にこじつけているのではなく、これは世界でもよく知られた事実だが、日本はきわめて長寿企業がひしめいている国であり、百年二百年の歴史を持つ企業など珍しくもない。数百年企業が、未だに昔と同じ製品を作り続け、同時に改良を重ねて現代の最先端の製品を作っている。
 
 具体的な例としては業歴200年以上の世界の長寿企業は7212社あり、そのうち日本が3113社(4割以上)で2位はドイツの1563社ということになっている。しかし、1000年以上の歴史を持っている国は日本には19社とのことだが、それは世界ではまだあまり知られておらず、たとえばフランスのワイン醸造会社が日本の法師旅館の次に世界で古い会社ということになっている。しかし、日本の法師旅館は創業712年であり、1300年続いている。二位のフランスの会社とは極端にかけ離れた歴史だ。また金剛組は、一度倒産しかけたが未だに存続しているので、創業578年だから、1433年の歴史というわけだ。
 
 したがって、日本の天皇家も、神話時代は別として、一度も途切れることなく続いているから、当然宮中行事も途切れることなく続いている。これが特殊だというのだ。
 
 古いから尊いわけではない、古いものは新しいものに入れ替わるのが自然だと主張する人間には、日本がなぜ近代国家として、世界でもトップクラスなのか(これについては当ブログで何度も書いており、数字で表した客観的なデータでも、間違いなく日本は世界のほかの国々から背中も見えないほどの近代国家だ)、なぜ世界でも技術科学国家として認められているのか理解できない。古いものを活かしながらその上に積み重ねてきたから今の日本があるのであって、古いものを簡単に捨て新しいものを取り入れても自分のものにはならない。
 
 古いというのと伝統があるというのは別だ。単に古いだけならどこにでも転がっているが、伝統とは時間をかけて磨き上げてきたものなのであり、一度途切れたり捨てられたりすると、二度と手には入らない。復元しても結局は一から始めなくてはならないのだ。
 
 その意味で、世界でもトップクラスの技術を持っていながら世界で最も古い伝統を引き継いでいる日本という国の特殊性、価値を私たちは本当に理解する必要がある。
 
 日本文化のもう一つの特徴としては、無駄を省いて洗練させその中に機能や美を生み出している点だ。ヨーロッパや中東、中国やインドなどの古い宮廷文化や宗教建築はどうやって作ったのかもわからないような華美なものが多い。とにかく飾り立て豪華に作り上げることで、権力の大きさを示し、宗教の崇高さを示すことに腐心している。それは、写真で見るだけでもわかるし、現地を訪れると、よく人間がこれだけのものを作ったと確かに感心する。
 
 むろん、それが彼らの文化を創り上げたことは事実であり、否定するものではない。一部の権力者の贅沢のために庶民が血を流した面もあろうが、また庶民に金が再配分された面もあり、すべてを否定することも間違いだろう。
 
 だが、彼らの宮廷建築、宗教建築、そして富豪達の豪奢な生活を見ると、日本の宮廷、富豪達、宗教建築などがきわめて質素であることがわかる。日本の朝廷文化も、西欧や中国インドなどに比べれば、非常に質素であり、いわば地味なようだ。だが、決して貧弱ではない。とにかく無駄を省き簡潔の中に機能や美を見いだし、そして決して華美ではない支配者の権力を庶民もきちんと認めていたのだ。そこが西欧などとは大きく違う。
 
 日本の朝廷はむしろかなり貧しく質素であり、何度も幕府から援助を受けている。しかし、どんなに幕府に財力があろうと、朝廷を軽んずることはなかった。常に朝廷の家臣であることを誰もが疑わなかった。また大名といえども、かなり困窮し豪商に金を借りたり、一部の豪商、豪農達は大名をもしのぐ財力を持っていたが、それでも武士階級の下であることを自ら認めていた。だから、朝廷も武士階級も、財力や華美な様式で権力を示す必要がなかった。
 
 世界でも華美な文化はいくらでもあるが、簡素なものに美を求める文化は、ようやく近年になって西欧でも理解されてきた。日本は千年以上も昔からそうだったのだ。日本がこのような面でも突出した近代国家であり、意識しようとしまいと、世界は日本の後を追いかけている。
 
 私も茶道で使われる茶碗の価値などはわからないが、どう見ても出来損ないみたいなゆがんだ茶碗が、数百万円単位で売り買いされる(そのことがよいとは思わないが)のは、日本人の美意識の特殊性を示しているのではないか。といって、本当の出来損ないの茶碗は無価値なのだから、ゆがんでいればよいと言うものではない。
 
 歌会始の儀から延々と書いたが、これほどの国をおとしめ、他国に売ろうとしている者達には、文化とは何か、なぜ日本が守るべき価値のある国なのかが全く理解できないとしか思えない。
 



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