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中韓の日本論

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まず本題に入る前に前ネタ。

伝書鳩が飛んでゆくとの報道が有った。

赤文字は引用

23日、小沢氏親書も、鳩山氏が訪中、習副主席と会談へ

 【北京共同】民主党の鳩山由紀夫元首相が23日から3日間の日程で訪中し、中国の次期国家主席への就任が確実な習近平国家副主席と北京で会談する方向で最終調整していることが22日分かった。鳩山氏は小沢一郎元民主党代表の中国指導部宛ての親書を習氏に手渡す方針。複数の日中関係筋が明らかにした。民主党では輿石東幹事長らが23日から訪中予定だが、鳩山氏は別行動。鳩山氏は小沢氏にも訪中を打診していた。

まさに、伝書鳩が人民解放軍野戦司令官のメッセージを足にくくりつけられ本国に飛んでゆく様が目に見える。なにしろ、この野戦軍司令官はいま窮地に立たされ、なんとか本国から支援が欲しい、助けて欲しい、さもないと4月26日には敵に全面降伏をして捕虜になる、と救援を頼んでいるのではないかとの邪推をしたくなる。

それにしても、民主党最高顧問人事で、脱原発を言いだし日本のエネルギー状況を最悪にした癌元総理がエネルギー担当、普天間問題や東アジア共同体でアメリカとの関係をぶちこわしたルーピー鳩が外交担当だというから、鳩のお遣いは外交担当としての最初の仕事なのではないか。まあ、民主にとって、中国様におすがりするのが外交の全てであり、在中日本大使館の土地の使用権差し止めと脅かされて、新潟の数千坪の土地を献上するような腑抜け政権が、支持率の停まらない低下にまた中国頼みなのは当然だろうが、野戦軍司令官とは別行動で興石別働隊が中国参りをするそうだ。確かに震災慰霊祭で台湾を無視したのも中国様に対する土下座外交だろうからわかりやすい。

さて、本題。

このところ、中韓の日本論がかなりおかしくなっているが、よほど日本を駄目だ駄目だと国内向けに宣伝しなければならない状態なのだろうとこれもまた邪推したくなる。

韓国はウォン安円高で輸出好調の筈が当然ながら化石燃料の高騰と、日本から供給されている技術や高級資材の価格が急騰し、結果としてなけなしの大企業の利益が激減し、インフレが収まらず、先頃も成長率の見直し、実質下方修正をしている。

現実には成長率の低下と、インフレ亢進で、韓国の個人世帯の借金は過去最高になっているし、一方サムソンなどの大企業に対する優遇がそろそろ、国民から攻撃されつつある。OECD加盟国でも最も長い時間働きながら、生活は厳しくなるのだからそりゃ韓国人だって日本も同じじゃないかと言いたくなるのだろう。

そんな声の一つだと思えばよく分かる記事が次だ。

【噴水台】日本社会に吹く「下山論」…うらやましいがつまらない論争

五木が出したエッセイ集「下山の思想」が最近日本で話題という。昨年末の出版後すぐにベストセラーとなり、これまでに20万部以上が売れた。世界2位の経済大国の座から押し出されることにより日本が下山の道に入り込んだ現実を認め、安全に下り坂を踏んで降りて行こうというメッセージを含んでいる。五木は下山の道に入り込んだ現実から目を背ける日本人の態度は、太平洋戦争末期に沖縄まで米軍が上陸したのに敗戦を認めようとしなかった帝国主義の国民感情と違わないと指摘する。

今の日本の状況が終戦間際の状態と同じかどうかはともかく、当時戦争の結末を認めなかったのは軍部であり、国民自体は本土が爆撃されるようになってこれは負けると感じていたとの声も多かったと聞いている。私の両親などはそう言っていたが、むろん、それを口にすることは出来なかった。その状態が今だというなら、そもそも五木の本が20万部売れるわけがない。

それと、日本人は昔からこの種の本が好きで、専門家の本に依れば日本経済は何度破たんしたか知れないが、それらの本が売れるから専門家が飽きもせず円高破滅論、円安破滅論、物作り破滅論、金融破滅論をとっかえひっかえ出してくる。そこそこ売れるのだ。

それと、この下山論は即ちゼロサム論だろうが、全く陳腐そのもの、何度も涌いては消える議論なのだ。まあ、日本人の悲観論好きで売れた本だとしか思えないし、私としては鼻も引っかけたくない。

円高が今後も相当期間続くことが明らかなのに成長論にしがみつく場合、新興国との輸出競争のため労働者は低賃金から抜け出すことができず、その結果内需不足にともなう不況が続くしかないということだ。成長を当然視する慣性的思考のせいで毎年3万人以上が自殺するなど国民が不幸になっているという五木の考えと同様の主張だ。

円高が成長に悪影響があるなどは全くの嘘だと言うことは、過去の日本の成長が円高の進行と合わせて進んできた事実だけで証明出来るだろう。通貨高が国家を衰退させるなどはあり得ない。問題は何度も言うように急激な通貨価値変動であり、長期的な円高が明らかなのだとすれば、長期的に日本経済が成長することを意味している。

新興国との輸出競争は、新興国が日本と競合する場合に言えることであり、韓国が家電製品で日本のシェアをとったようなことは過去に台湾が同じことをしている。そして、そのために、日本は彼らに製造技術や設備、主要部品を売ることで輸出を常に黒字にしてきた、円高になろうと、それらの新興国が日本から買わざるを得なかったから、日本は貿易黒字を続けてきたし、今は韓国が慢性的に対日赤字なのだ。

日本では、このところ、化石燃料輸入の急増で赤字になったが、今期はまた黒字に戻している。円安に触れ輸出がまた伸び始めたからだ。ただし、円安による化石燃料輸入金額がどうなるか分からないが、輸出の伸びがそれを上回ったと言うことだろう。

そして、最大のこの記事の間違いは、日本は輸出で成り立っているわけではないということだ。この記事を書いたのがどんな専門家かは知らないが、おそらく日本にけちを付ける専門家なのであり正確な知識など必要がないのだろう。つまり、歴史専門家と同じなのだが、

「下山論」に対する成長論者の反論も熱い。早稲田大学の深川由起子教授は、「日本が求めなければならない道は新しい登山道の入口に至る下山道にならなければならない。成長をあきらめれば財政維持が不可能になり、経済・社会インフラまで崩壊する」と警告する。成長の果実を味わうことができない若い世代は若い世代で、山頂で享受するものをすべて享受してきたお腹がいっぱいの老年世代の声とし下山論に揶揄と冷笑を送っている。

日本は、現在円安に触れたのと震災からの復興が進んだことでV字回復している企業が多数有るし、雇用もかなり改善されている。確実に日本経済は震災の痛手を乗り越えつつある。そして、円安だと言うが、震災発生時の去年三月は、\84/$位だった。ところが震災のあと、それだけの経済的打撃があったはずで、本来なら\100/$でもおかしくなかったのに、欧米の経済不振がそれ以上に深刻であり、震災で打撃を受けたはずの日本円が独歩高になった。いま、円安に触れたと言っても、震災当時のレベルに戻っただけであり、それは主としてアメリカの経済回復が実感出来るようになったからだ。

これは到底日本が成長の限界に達し、下山を始める状況ではない。震災の復興はまだまだなのだが、その伸び代だけでも相当な物であり、しかもすでに輸出は黒字に転じている。海外企業の買収も衰えていない。

倒れない程度にだけ自転車のペダルを最大限ゆっくり踏もうという声だろう。だとしても頂上どころか7合目にも上がれなかった私たちとしてはうらやましいながらもつまらない論争に違いない。

そりゃ韓国にしてみればつまらないと言いたいのだろうが、日本が倒れないだけペダルを踏む速度が、韓国が泡を吹いてOECDの中でも最も長時間働かなければならないほどベダルを踏んで引き離される状況なのだ。うらやましくもあるだろう。日本の下山をとやかく言う前に、自国が倒れずに山に登ることを考えた方が良いと思うが。

また、五木の本など「青春の門」からして大嫌いだが、それはまあ趣味の問題として、実際に物作りでは日本は未だに成果を上げている。物作りが衰えない限り、富の創出は衰えず、ゼロサムゲームにはならない。

ただし、民主党が日本経済を壊さなければだが。しかし、その懸念は経済ではなく、本当に稚拙な民主党外交によって大きくなりかねない。

次の記事も、当然中国の国内向けメッセージだが、


尖閣問題、日本が中国に屈服するカウントダウンは始まっている

では、両国が軍事衝突を起こす可能性はあるのだろうか?最近、両国とも一歩リードを狙い、相次いで新戦略を打ち出している。日本が尖閣諸島周辺の無名の39島に名称を付けると発表するなど実効支配を強める姿勢をとる一方で、中国は“保釣活動”を民間から政府主体へと徐々に移行させている。

中国は経済成長に黄色が点灯し、内需重視と言いながらその実何もない実態でおから不動産バブルがはじけている。外資は中国から大量に引き揚げつつあり、今は遠慮無く中国の不公正が突きつけられ、軍事的にも包囲網が出来ている有様で、それに対し中国が出来ることは海軍力の強化と国内治安維持を強化することしかない。

したがって、日本が尖閣を守ろうとしていることにたいし、最も中国が国内で示せる成果は武力による尖閣の奪取と言うことになる。

中国の混乱や衰退、分裂、崩壊などがすでに視野に入るようになっている今、中国はその実態を隠すことに必死だ。だから、このような記事も単なる国内向けメッセージと高をくくるべきではない。

いつものことだが、中国が対外的にこのような記事を書いているのは、政府のメッセージであり、日本に対し妥協を求めているということだ。尖閣だけではない。EEZのガス田開発も同じことであり、中国が国内的に行き詰まれば対外的に押し出すしかなく、その包囲網の一番弱い環が日本なのだ。今の時期、野戦軍司令官から、先日アメリカで不公正を突きつけられた習近平氏の所へ伝書鳩が中国に飛んでゆく。アメリカにしてみれば、そんな伝書鳩など撃ち落としたい気持ちだろう。私だって石の一つも投げつけたい。

日本がそう遠くない将来、これに応じる可能性はあまり高くないが、中国と日本の国力の逆転は日増しに鮮明化している。日本がこの問題において、中国に屈服するカウントダウンはすでに始まっているといってよいだろう。(翻訳・編集/NN)

その前に中国崩壊のカウントダウンはもっと先に進んでいると思うが、だからこそ、中国の暴走を現実問題としてとらえておく必要がある。単に島の取り合いでは済まない、また、中国側もそれだけでは停められない可能性があるのだ。

まず、断固たる意思の表明とメッセージの発信として、竹島を実力で奪い返すなど言い出す政治家が出ないものか。

上記に引用されているURLの記事を読む場合は下記の「続きを読む」をクリックしてください。但し、内容確認以外なら、敢えて読む必要はありません

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増税論議


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野田総理が増税に全てをかけ、もしこの議案が通らなければ国会を解散することも辞さないとのことだ。それを聞けば、解散のために増税反対をしたくもなるが、もちろん、それが理由で多くが反対をしているわけではない。私も今のままでの増税は反対だが、以前もその理由について多少書いたことがあった。

いずれまとめて書こうと思っていたのだが、最近、私が良く訪れる「依存症の独り言」というブログが少々荒れている。このブログはもちろんご存知の方も多いと思うし、多くの人が訪れるいわば有名ブログであり、また極めて正確な情報を基に、多くに頷ける理論を緻密に展開しており、私も参考にさせていただいている。分析力も極めて優れている。

しかし、この二、三日の論調に少し違和感があると思っていたが、昨日のエントリー、即ち何故今消費税を上げなければならないかとい主張に対し、極めて多くの異論反論批判が寄せられている。私も今回はかなり批判的なコメントを書き込んだ。

多くのコメントは、日頃このブログを愛読し、共感を覚える常連からの物であり、それだけ真剣にこのブログの主張をとらえていることを示している。また、このブログの特徴として、批判コメント、反論でもきちんと掲載することがある。承認制なので全てのコメントを承認しているわけではないだろうし、ブログ主も単なる荒らしは掲載しないとされているので、今回多く寄せられた批判反論もブログ主はきちんと受け止め掲載されているのだろう。

私のブログが、賛同者だけを承認していると解釈する御仁もいるようだが、基本的に私のブログは承認制ではない。ただし、AV業者の宣伝などが入っていれば即座に削除するが、批判反論については荒らしと判断しない限り一切削除はしない。

むろん、賛同コメントを寄せていただけるのは嬉しいし励みにもなるが、きちんとした反論は同じく嬉しいし励みにもなっている。異論反論批判が一切載らない、代わりに賛美コメントがきらめく某アグネスちゃんのようなブログなど寂しい限りではないか。

というわけで、私が「依存症の独り言」に反論批判コメントを寄せるのも、ブログ主に対する敬意の故と思っているし、まさか反論批判を喧嘩を売っていると解釈されるような、某ウリ半島のようなことはないと信じているからだ。多くの批判コメントを寄せた人たちも同じではないのか。

正確なエントリーやコメントをご覧になりたい方は直接「依存症の独り言」をご覧頂くとして、私が書き込んだコメントをまとめてなぜいま増税反対かを書いてみたい。ただし、依存症の独り言のブログ主が増税賛成だからそれに対する反対だというのではなく、今ある経団連などの増税賛成論がおおむねこの趣旨に添った物であり、それに対する一般論としての反対論なのであって、一ブログに対する物ではない。単にそれはきっかけだと言うことをご承知置き頂きたい。

緑文字は依存症のブログ主の言葉だが、増税論者に多い言葉として、採り上げる。

まず現状のような不況下での増税は、経済をますます悪化させるから反対だというのは間違っている。日本は不況ではないし、そしてかつてのような年率4,5%の様な成長は見込めない。日本は安定成長期に入っているのであって、今後これ以上の景気拡大があるとは思えないから、今増税することは無理ではない。

日本の現在の経済が決して不況なのではなく、他国と比較した場合むしろ好況と言えると私は書いてきた。むろん、バブル期の4,5%や一時期の年率17%の成長と比べても意味はない。あれは特殊な時期であり、しかも分母は今の方がよほど大きいので、日本のような巨大な経済規模を持つ国が、年率1,2%の成長を続けているのはとんでもない成長であり、しかも、本来年率2,3%のインフレが当たり前とされるのに日本はデフレであり、その状況下での1,2%の成長率とは、実質4,5%成長にも匹敵すると言える。したがって、日本が不況だから増税は出来ないと言うことはない。

ただ、私が今増税は無理だというのは、政府が全く展望を示さず説明しないから国民が不景気だと思いこんでいるためだ。経済とは極めて心理的な物であり、誰もが日本は不況だと思っていれば、税金を取られるのはかなわないと思っても仕方がない。

また、政府は例のばら撒き政策を未だに未練がましくやろうとしており、その説明がない。公務員改革をすると言いながら全くそれが進まない。天下りを無くすると言いながら実態は天下りが増えている。私個人で言えば、不必要な放射線除染や検診で無駄遣いをしている。

無駄を省くことで浮く金はわずかかもしれないが、それでも無駄を減らさずに税金を取ると言っても納得しないだろう。

まず政府は国民に、日本は不景気ではない、将来は安心できるようにすると納得させればよいのだが、誰もが政府を信用していない。信用されない政府が増税を言っても税収は増えない。

税収曲線(ラッファー曲線)というのがあり、税率を上げると一定量を超えれば税収が減ることを示している。これは多分に心理的な物も示しており、税金を納めても良いと国民が思っていなければ税率を上げても税収は下がる。

故に、今国民に税金を払っても良いと納得させられない政府の元では増税はすべきではないと言っているのだ。

日本の個人金融資産は米国に次いで世界第2位、現金・預金に限れば世界一だ。にもかかわらず消費の伸びが鈍いのは、モノが充足しているからだけではなく、将来に対する不安、老後に対する不安が強いからだ。

つまり、購買力はあるのに購買意欲が湧かない環境が消費の足かせになっている。こういう状況、こういう心理状態を解消するためにも、歳入不足と借金の増大という問題を避けて通ることはできない。


今のように物が売れない状況では、税収は増えず借金が増えるだけなので、借金を増やさないためにも増税はやむをえないというのだが、増税をしても税収が増えるとは限らない。増税をすれば物が売れるようになるわけではない。国民が将来に不安を持つのは、政府に展望が無く政府の説明がないから。

物が売れないのは、我慢をしているのではなく、買いたいものがないから。車が売れなくなったのは若者中心に車離れが進んでいるからということだが、これだけ交通インフラが整備されている都会では個人が車を持つ必要性は無い。日本では小型車が多く売れるが、大型車を買いたくても我慢をしているのではなく、需要がないのだ。

他国ではまず金が入ると大型の豪華車を買う、大豪邸を建てる富豪が多いようだが、日本では車がステータスシンボルであった時代は終わっている。金ぴかを見せびらかす成金趣味もない。今の日本、必要な物がそろっており、買いたいものがないから買わない。それだけのことであり、消費行動がそのようになってしまっている。

だから、iPhoneの新しい物が出れば行列を作っても買いたい人は大勢いるし、HVは未だに人気だ。つまり、良い物が有れば日本でも売れる。買いたい物を作らなければ売れなくなるのは当然であり、税金を取れば解決する問題ではない。消費によって経済を支える時代ではなくなっていると言うことだ。

国債を増発して公共事業を行っても、それは一時的なプラスをもたらすだけで、数年後には元の木阿弥、というよりさらに借金が増えて財政を悪化させるだけだ。

これは、依存症の独り言のブログ主の言葉だ。実際、公共事業や国債を目の敵にする人は多い。が、その根拠が示されていない。

無駄な公共事業は確かにあるが、味噌も糞も一緒くたに公共事業は無駄だと切り捨てることが正しいのか。インフラ整備により生活が楽になったという事実は完全に無視なのか。交通インフラ、通信インフラ、エネルギーなどが整備され、個人の負担が大幅に減った事実は認められられないのか?

車の居ない地方の高速道路と、渋滞で動きの取れない都市の高速道路をひとくくりに公共事業のむだと切り捨てるわけには行かない。借金をしても作ることで元の取れる公共事業はあるし、実際それでGDPは増える。

GDPとは無駄に金が動いても増えのだから。どのように借金をし、どのように使うかが問われなければならないのに、ひとまとめに切り捨てるのでは認識不足だろう。生活を豊かにしGDPを増やし、経済を活性化させる公共事業など存在するはずがない、みんな役人の懐に入ると信じたくなるような話は確かに多い。しかし、新幹線が出来て、高速道路が出来て、携帯電話やネットの光回線が出来たことで、どれだけの富が生み出され、そして今も生み出し続けているかを考えて見たろうか。

これらのインフラ投資、即ち公共事業は(純粋には国家による事業とは言えない物もあるが、公共性が高い、国家が管理している事業と考えれば公共事業だろう)投資金額が早晩回収され、あとは利益を生み出し続ける。

また全国の道路も橋も線路も常にメンテナンスをしなければならないが、これも公共事業であり、これも無駄だと言っていれば、使える物が使えなくなり、単に節約した金の何十何百倍もの損失が生ずる。

富を生み出す公共投資は必要不可欠なのだ。

数年後には元の木阿弥、借金が増えるのはあくまで無駄な公共事業の話であり、たとえば、このブログ主の主張に対し、次のようなコメントがあった。

(国債を発行すればGDPがその分増えますが
次の年は国債発行額+αを発行しなければ成長率が維持できません。
(1リットルの水を沸騰させる熱量では 2リットルの水を沸騰させられないから)
結局 付加価値が生まれない公共工事を続けていると鼠算式に債務残高がどこまでも増えるだけなのです。)


公共事業で富が増えるならこのようなことは起きない。新しい富がその投資によって作られるから、1リットルの水云々の理屈は成り立たない。つまり、国債で公共事業を行い、それによって投資された金額以上の富が創出されるなら、国債が次の年に増えると言うことはあり得ず、国債は償還され続ける。富の創出によりGDPが維持、或いは拡大しても、それで国債の新しい発行は必要がない。今、実際国債が増えつつけているのは別の理由だろうし、それについてはいずれ書く。

今後は、ますます現役世代から高齢世代へと人口が移って行く。
今でも年間10兆円もの借金をしながらなんとか社会保障をやりくりしているのに、この先どうすればよいのか?今こそそのことを真剣に考えなければならない時なのだ


年金や医療費の負担が増えるのは事実だ。しかし、高所得者への年金カットや支給停止など(実際年金など全く当てにしない高所得高齢者は大勢居る)や、そもそも、少子高齢化社会だから生産人口が減る、少数の若者が多数の高齢者を支えるという概念は少し変えべきだろう。所得が十分ある高齢者に、年金や医療補助のカットをすると言っても、確かに負担していたのにそれは困ると言われるかもしれない。が、その説得に応ずる高所得高齢者はいないのだろうか。

また、今後少子化高齢社会では、少数の若者が多数の高齢者を支えるから大変だとことある事に言われているが、本当にそうなのか。

日本の高齢者は非常に体力もあり経験もあり何より労働意欲もある。しかし、実際高齢者と言うだけで極めて職業の選択が限られている。この現状の改善が先ではないのか。働けるなら年金は要らない、と言う人も私の周りには居る。ただし、高齢者が何時までも現場にいれば、若年層の職場が無くなり、労働人口の新陳代謝が無くなるとの問題は起きるかもしれないが、そもそも日本の労働人口が減る、生産人口が減るという議論から出ているのだから、若年層の雇用は別に考えるべきことだろう。

若者が高齢者を支えるのではなく、高齢者が自立する、高齢者が高齢者を支える可能性を考え、働きたい高齢者にその機会を十分に与える対策を採るべきではないのか。これは働かなくては生活の出来ない高齢者の話をしているのではない。

今後、毎年十数兆円の財源を安定的に確保するには、どうしたらよいのか?

それについて、本当に知恵を絞ったのだろうかか。労働力が不足する、生産人口が減ると大騒ぎだが、生産年齢は勝手に人間の作った規制であり、本人の能力や意欲とは無関係だ。

それどころか、国の借金はついに1000兆円を超え、年間の税収40兆円に対して支出が80兆円、国債の利払いだけで毎年10兆円という惨憺たる財政状態に陥ってしまた。もう幻想をばら撒くことは許されない、というよりそれは犯罪行為に等しいと言ってもよいと思う。

おそらくご承知の上で言っているのだと思うが、日本は国としての借金はびた一文も無く、それどころか貸している金ならある。

単に国の借金というとそれだけでおびえてしまう人が大勢居るので、言葉には気を付けて欲しい。日本で言う借金とは、アメリカの借金や、それが返せなくてデフォルしたアイスランドやしそうなギリシャとは全く状況が違う。

国債とは、いわば未来からの借金だ。子孫に借金を押しつけるのは無責任だと言う人たちが居るが、インフレが進めば借金が消えるのは自明の理であり、それも個人の借金とは違って国の寿命は無限だから100年、200年に渡って分割返済すれば、事実上、未来からの借金は無いのと同じだ。日本の国債とはそのような性質の物であり、他国とは事情が違う。

ただし、無制限に国債を発行すべしと言うのではない。国の借金と言う言葉をきちんと使うべきだと言っているのだ。

中には経済成長で税収を増やす、と主張する人たちもいる。が、その人たちが主張するような4%以上の高成長を毎年持続することが可能だろうか?

インフレ率を加味すれば可能だが、それでは過熱経済になりかねない。

少なくとも経済成長を計るという政策自体に間違いはないし、必要不可欠だ。たとえば政府の問題点は、福祉業界で雇用が増えれば、そして福祉産業で需要が増えれば経済は拡大するという理屈があるが、福祉産業は基本的に富を生み出す産業ではない。いわば公共事業に属する、消防や警察のような物だ。

絶対に必要だが、富を生み出すことは出来ない。(例外はあるが、あくまで例外)したがって、経済拡大のための福祉を唱えるようでは政府には全く展望を見いだせない。

「消費税の引き上げはデフレ期にやるべきことじゃない」というのは私も理解できる。が、デフレをどうしたら解消できるのか?

手っ取り早くは、国債発行だろう。そして公共事業。但し、どのような事業をするかは、先述したとおり。つまり、国債が償還でき、利子が返せ、さらにそれ以上の国債を返せるだけの富を生み出す公共投資。が、実際は日本には余りその余地がない。しかし、従来のインフラを維持するだけでも膨大な金がかかり、それが未然に大損失を防ぐのであれば、優先すべきだろう。

消費税を上げなければデフレは解消できるのか?

消費税を上げれば解消できるのか?ますます消費意欲が低下、物が売れなくなっても、デフレが解消されるのだろうか?私の理解力では、消費税が上がればますます消費意欲が殺がれ、物の値段は下がらざるを得ないと思うのだが。順序として行うべきは、買いたい物を作ることではないのか。

今、必要なのは生産を刺激する政策ではなく消費を刺激する政策ではないでか

しかし、要らない物を買えと強制は出来まい。まして消費税が上がればなおさらであり、海外から安い物が入ってくるのを止めるのか?

むしろエコポイントや金融緩和など打つ手はいくつもあるかと思うし国債発行も選択肢の一つだが、

エコカー減税、エコポイント制度、住宅ローンの金利優遇、エコ住宅の補助金支給などをもっと拡充するべきだ。

その通りなのだが、その補助金負担は結局はエコカーを買えない人たち、住宅を建てられない人たちにも押しつけられる。余裕のある人が余裕のない人からの補助金で物を買えば、余裕のない人の立つ瀬がない。ある程度は仕方がないと思うが、限度を超してはならない。受益者負担が原則なのだ。それを大幅に破るのは不公平だろう。

そして目玉は所得減税。供給側には法人減税で配慮すれば十分だ。

議論の余地はあるが、おおむねその通り。

預金者には適正な金利(2~3%)を支払う、これが当たり前だ。金利が1~2%上がったから倒産するという企業にはさっさと退場してもらおう。

日本の銀行が、担保がなければ金を貸さない金融業者でしかないことが問題だ。リスクはあるだろうが、投資も積極的に出来ること、そのための公的バックアップが必ず必要だ。この体制が出来ていないから、土地バブルで莫大な不良債権が今も尾を引いている。全く学習能力がないのがこの国の政府と官僚だろう。リスク承知の投資をするからには、銀行からの貸出金利が10-20%でもかまわないだろう。

消費税の良いところは、国民が均等、平等に税を負担するというところだ。実態を偽装して生活保護を受けている人も、様々な仕掛けで脱税をしている人も見境なく税金を徴収される。という点で消費税以上に平等な税金はない。

均しく取れることが平等なのではない。均しく負担することが平等なのだ。これらは同じではない。

したがって、これは間違いだ。

文字通り、憲法に定める「納税の義務」の極限だ

義務は、状況に応じて調整されている。何故所得税が所得によって違うのか、公平な負担のためだ。低所得者と高所得者は金銭感覚が違う。同じ税率で否応なしに取るのは国民は平等であるとの憲法の精神に反する。

デメリットは低所得者になるほど負担が大きくなる。広範な課税であるため課税対象がはっきりせず、安易な増税になりやすい。物価高を招き不況を招く―
などですが、今はそんなこと言ってられない。


言わざるを得ない。さもないと国民の財布のひもはますます堅くなる。将来に不安がますだけだから。消費税の問題は上記のような不公平と、また年商1000万以下であれば消費税が取り得になるなどの問題も引きおこしている。

民主案では、生活必需品には消費税をかけない、低所得者が申告すれば税金を還付するなどがあったが、不可能に近い。店先で全ての品目で生活必需品を仕分け課税を決定するなど不可能であり、食品は生活必需品でも、大根は無税で、1万円のメロンも無税でよいのか。

低所得者の申請にいたっては馬鹿にしているのかと言いたくなる。結局低所得者は立て替え払いを強いられ、さらに年間の領収証を全て保管し、整理し申告に行って私は低所得者ですと申し立てる。領収書などいくらでも買い集められるから不正が出来るし、誰が低所得者なのか首にでもぶら下げるのか。

品目別の税率なら、製造者にかければよい。同じ品目なら製造者が違っても一律の税率がかけられ、それは最終的に課税品目の小売価格に転嫁されるただし、利益率をその税率にかけてはならない。製造業者が一括して納税すれば、納税漏れも申告漏れもない。ただし、製造業者の一時立て替えは事業税などからの相殺などで考えられないだろうか。小売業での値引きなどどうするのか等の問題は別に考えなければならないのだろうが。

低所得者への配慮なら、年金、所得税、生活補助などの調整で可能だろう。より完全な方法があるなら、むろんそうすべきだから、たとえばの話でしかない。

消費税引き上げと、無駄の削減と消費を刺激する大胆な政策を同時進行で進めれば良いのだ。

駄目。消費税は消費を冷やし、消費を拡大する大胆な政策は、不公平負担を拡大する。税収を増やす、即ち景気刺激策は必要不可欠だ。それがないと、現状維持も出来ない。景気が縮小してゆく。そして、買いたい物を作らせる生産刺激策を採るべき。単に生産量が多いからデフレになっているとの単純な公式は常には当てはまらない。

日本のデフレは需要よりも供給が多いからと言うより、円高により海外からの資源が安くなっているのと、物が行き渡ってしまい、さらに価値観の変化により買いたいものが無いから。買いたい物を作る以外、消費は増えない。じっさい、優れた物は今でも引っ張りだこで売れている。

新しい電池、新しいモーター、公共事業で新しい充電インフラなどが整備されれば電池車がもっと安くなり売れるのではないのか。国債で開発を支援し、利益が出たら利息付きで回収すればよい。

間違っても国債を増発し、公共事業を増やすような景気刺激策を採ってはならない。これは借金を増やすだけで、デフレの解消にはつながらない。

その根拠が示されていない。国債を発行し、公共事業を増やす景気刺激策が必要だとは説明した。国債=子孫へ負担を押しつける、国の借金が増える、公共事業は既得権の温床などという固定観念は改めた方がよい。確かにそのような事例が多いけれど、それで全てを悪の元凶と決め付けるのは百害あって一利無しだろう。

相続税の税率引き上げは当然だと思う

不労所得だから、良いと思うが、

高額所得者に対する累進課税の強化も同様

相続税同様限度がある。今は資産の国境が無い時代であり、資産の逃亡が起きない様な範囲でしか現実には出来ない。

国債の増発ではない景気対策、それも消費者に側に立った刺激策を強く求める。

国債が全てを解決はしないし、安易に発行すべきではないだろうが、選択肢には当然入れるべきだ。その前に国債を正しく認識すべきだ。

それにしても単純に「反対!」を叫ぶ方が多すぎる。もっと学習してほしい、痛切に感じる

全く、単純に反対する人も多いのだろうが、説明しろ、やることをやれ、無駄遣いをするなと言う人も圧倒的に多い。何が何でも増税反対という人は、私も含め余り居ないのでは?やるべきことをやって、その上で展望を示しての増税なら、消費税でさえ反対しない。

ネット情報は、それを読み解く能力がなければ混乱するだけだろうが、全員がネット上で何が何でも増税反対と騒いでいるだけと決め付けるのもどうかと思う。

外から見れば

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日本の状態が良いのか悪いのかは、人それぞれの主観もあるだろうし、特に自分の生活を規準として考え勝ちなので、今の日本は不況にあえいでいるとの感じがどうも支配的なようだ。私は、決してそうではないと思っているのだが、それは個人の生活感から離れて、過去と比べてどうなのか、他国と比べてどうなのか、自分個人ではなく日本という国はどうなのかを考えてみると、結論として日本はかなり健全な経済状態だと確信せざるを得ない。それを別の視点で説明してみたい。

ユニクロと言えば近年急成長してきた服飾製品販売企業であり、普及品かそれ以下の製品を大量に売ることで業績を伸ばしてきた。確かに、商売の仕方に様々な工夫を凝らしそれだけの結果を出したのだろう。また、社内では英語が公用語になるなどの話題もあった。

社長に言わせると、日本だけにとどまっていては企業としても頭打ちになるから、将来は国際企業でなければならず、とうぜん国際標準語である英語を企業内の標準語にすべきだと言うことのようだ。楽天なども同じ趣旨だが、他社からはもってのほかだと酷評されている面もある。日本人にとって母国語である日本語を使えなければ、能力を発揮できないし、それに英語が国際語であることは事実でも、他国の人間にとっても日本人同様、英語は外国語なのであり、母国語並みに使えるわけではない。

そこで、英語が母国語ではない外国人と日本人とが、或いはそのような外国人同士が英語で本当のコミュニケーションが採れるわけが無く、必要に応じて専門の通訳を使えば済むことであって、現地の会社は母国語で運営すべきであり、そうでなければ海外に展開してもまともな能力は発揮できないと言うわけだ。

ま、それはどのような結果がでるかは分からないが、そこまでして海外に展開するユニクロ社長のコメントがでていた。

赤文字は引用

柳井会長「アジアは新ゴールドラッシュ

 柳井会長は「明洞は世界中から多くの観光客が集まる場所で、アジアの首都、世界への入り口だと考え、ここに出店することにした」と説明した。ユニクロは2006年に韓国で第1号店をオープンし、売上高は毎年60-70%のペースで伸びている。2014年には韓国での売り上げ1兆ウォン(約690億円)を達成する構えだ。
 
 むろん、ユニクロにはユニクロの経営哲学があり、それで儲かっているのであればとやかく言うことはないが、韓国で売れるなら韓国によいしょをするのは当然だろうし、今韓国に観光客が集まるのはウォン安が大きな要素ではないのか。韓国製の品に魅力があるわけではなく、単に韓国で安く買えるからだと思えるが。なぜなら、以前指摘したように、韓国の大企業は寡占状態であり競争原理が働かないので、韓国人は同じ会社の商品を海外で買うより高い値段で買わされている事実があるからだ。
 
 あとは、韓国が輸入する海外ブランドなどは、ウォン安だと高く買っているはずであり、売値は安くとも利益率がどうなのかという疑問はある。一方円高の日本は輸入品の値下げが相次いでいる。海外から来れば確かに円高の日本は大変だろうが、日本人の購買力がそれほど落ちているとも思えない。
 
 一方次のような記事がある。
 
ユニクロ、語られない国内不振

 「中国からインドにかけては有望な市場です。今後10年間で10億~20億人が中産階級になる。アジアは10年後にはEU(欧州連合)のようになります」。カジュアル衣料チェーン「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正CEO(最高経営責任者)は、熱を込めて海外市場の可能性を語った。「ゴールドラッシュなんです。全員で掘りにいくしかない」。

 9月14日、横浜市で開催された同社の事業戦略説明会の内容は「海外展開」ほぼ一色だった。

 
 この国内が不振なので海外へ展開せざるを得ないと言う背景は、上記の社長の言葉にはない。国内不振の理由は様々挙げられているが、一言で言えば、ユニクロの商品では、あくまで日本人にとっては手軽に買えるからなのであって、通常のファッションには合わないと判断されているからだ。むろん、同社もそれは痛感しており、ファッション路線の開拓も試みたのだが全く駄目だった。要するに同社の経営哲学は、日本では極めて限られた安物販売業としてしか見られなかったのだ。
 
 日本は内需が非常に大きい。その日本で成功できない会社は、結局はそのレベルの市場に活路を見いだすしかないと言うことだろう。むろん、それが駄目だというのではない。それも戦略であり、結果として儲かるならもちろんかまわないのだが、ただ、海外展開には大きなリスクもある。それに対する用意があるのならむろんいいだろう。
 
 同社の製品の多くが中国製であることは知られているが、中国製も最近はかなり品質が上がっているという。しかし、中国製と言うだけで、高級品とは見なされない。また、中国での製造が常にリスクをはらんでいることも事実だ。
 
 急成長した企業にその辺りのノウハウがあるのかどうかは分からないが、いずれにせよ、次のような柳井社長の上記の記事の中の言葉が負け惜しみに聞こえてならない。

 「内需に満足する企業が多い国は不況に耐えられない。世界ではある場所が駄目になれば、ある場所が栄えるというサイクルがあるため、世界ブランドをいくつか保有すれば、一国の景気は底堅くなる」
 
 ユニクロが世界ブランドになるかどうかは分からない。安物としての代名詞にはなるかも知れない。内需に満足するかどうかより、内需を満足させられない企業がどこまでやれるか興味はある。
 
 さて、その日本だが、貿易収支が大赤字になっている。

上半期、経常黒字は半減 貿易収支は過去最大の赤字

 財務省が9日発表した2011年上半期(4~9月)の国際収支(速報)によると、海外とのモノやサービスの取引や投資収益の状況を示す経常収支は、4兆5196億円の黒字だった。黒字幅は前年同期と比べて46.8%減った。
 
 これは大半があの震災がらみであり、やむをえないとは言えよう。

 東日本大震災の影響で貿易・サービス収支が赤字に転落したことが主な要因。中でも、貿易収支は自動車や半導体などの輸出が大幅に減り、1兆2517億円の赤字となった。リーマン・ショック時の08年度下期以来の赤字で、比較できる1985年以降、半期としては過去最大の赤字幅を記録した。
 
 まず、震災で輸出品目の生産が大きく減ったこと、さらに、ここでは触れられていないが、急騰した化石燃料の大幅な輸入増がある。言うまでもなく、脱原発姿勢を打ち出した政府がもたらした赤字だ。

 所得収支は証券投資の配当金の受取額が増加したことなどから、前年同期比26.4%増の7兆3436億円の黒字だった。
 
 ただ、このような状況でも所得収支は確実に増えてゆく。貿易は状況によっては売れなくなったり生産が減ったりすればそのまま収入減になるが、所得収支は焦げ付きでもしない限り着実に入ってくる。日本はすでに貿易収支で経済を保っているのではなく、所得収支で収入を得る方が多くなっている。これが、貿易赤字でも総合的な収支が増え続ける原因になっている。

 一方、9月の国際収支(速報値)は、経常収支の黒字額は前年同月比21.4%減の4327億円。震災が起きた3月以降、黒字幅は7カ月連続で前年同月を下回っている。
 
 黒字幅減少は貿易赤字のためだから当然としても、いずれ貿易は改善されてゆくだろう。輸出は増えてゆくし、輸入は円高により、金額は抑えられる。このような日本が、今の世界で貧しいとどうして言えるだろうか。
 
 だが、相変わらず中国ブログはにぎやかだ。


【中国BBS】有名企業が軒並み赤字の日本はもうおしまいだ!

【社会ニュース】 2011/11/13(日) 14:12

今年の収益予想は、パナソニックが54億ドルの赤字。ソニーが12億ドルの赤字。マツダが2.4億ドルの赤字、野村証券も任天堂も赤字予想。利益を出しているいくつかのメーカー、東芝や日産は中国市場でもなかなかだ。不動の地位を保っていたブランドだったのが、今では韓国企業に生殺しにされているよ。

これも、実際には韓国の輸出が増えれば増えるだけ対日赤字も増えてゆくという現象で、簡単に覆される見方でしかない。また、パナソニックの赤字は、テレビ部門からの撤退が主因だが、これは製造品目の移り変わりを考えれば当然と言っていいだろう。

● 欧也哈徳
  特にソニーはアナログ時代の王者だったが、デジタル時代になってから落ちぶれた。数年前から高級感を出しているようだけど、ソニーの1年間の売上高は、サムスンの1年間の利益にも及ばない。
  (ウォークマンはすごかったですよね)

  
確かにソニーの不振は深刻だと言われているが、そのソニーが

ソニー、EMIの音楽著作権事業を買収 世界首位に

 ソニーと米投資会社は11日、英音楽大手EMIグループの音楽出版部門を、EMIの株主である米金融大手シティグループから買収することで合意したと発表した。買収総額は22億ドル(約1700億円)。ソニーは音楽出版事業で実質的に世界首位となる。
 
 同じソニーでも製造部門とソフト部門では違うのだが、同じグループでこのような大型買収をしている事実も忘れるわけには行かない。
 
 サムソンが利益を上げているのは韓国人からボッタくっているからだとはよく言われるが、そのサムソンについてむろん、次のような指摘もある。
 
● h5985l
  ソニーがつぶれても日本はつぶれない。でもサムスンがつぶれたら…?
  (韓国は危ないでしょうかね)


韓国はサムソンや現代など限られた企業を優遇し稼いでいる。したがって、サムソンをつぶすわけには行かないので、国民に負担を押しつけていることになる。

まあ、見方はいろいろあると言うことだ。

12/14 加筆

 次のような記事がでていたので、加筆する。むろん、4半期の成長率であり、年率で結果としてどうなるか、というより、4-6月が悪かったので、今年の成長率はかなり低いのだろうと思っていたが、その直後の7-9月が大幅に成長率が上昇している。

実質GDP年率6・0%増、4四半期ぶりプラス

 内閣府が14日発表した2011年7~9月期の国内総生産(GDP)の速報値によると、物価変動の影響を除いた実質GDP(季節調整値)は4~6月期に比べて1・5%増、年率換算で6・0%増となり、4四半期ぶりのプラス成長となった。
 
 恐るべし日本だが、考えているより成長率は低くはなかったのだ。もし、今のような成長率で、後の半年が過ごせれば、日本は不景気だ等とはとうてい言えない。
 
 隣の半島が、成長率が4%だと喜んでいるが、物価が5-6%なら、実質マイナス成長だ。今の世界同時不況でこれだけプラスに転ずるのは、貿易ではなく、所得収支があるからだとつくづく思う。

 東日本大震災を受けて落ち込んだ輸出が回復し、6・2%増と大幅に伸びた。GDPの6割近くを占める個人消費は1・0%増で、2四半期連続のプラスとなった。住宅投資は5・0%増、設備投資も1・1%増だった。一方、公共投資は2・8%減となった。

(2011年11月14日09時08分 読売新聞)


それほど輸出が急速回復しているのだと今更ながら思う。個人消費もデフレ下でこれだけ伸び、なぜ専門家が輸出が駄目だ、日本人は貧乏になったとわめくのか。(むろん、個人的な感覚では私も金持ちになったとは実感しない)そして、案の定公共投資は減少している。今の状態で公共投資が伸びないのは、明らかに政府の無能無策の結果だ。

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日本の財政状態

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 ちょっと小ネタだが、日本は貧乏になったと良く聞く。確かに、そのような報道が多い。生活保護受給者が205万人と、過去最高になった、困窮者が戦後最大数になったとも言う。
 
 確かに、周りでも余り景気の良い話は聞かないのだが、そのわりにみなさん別に焦っても居ないように見える。たとえば、次のような記事を読むと、日本は貧乏になったのかなぁ、と思えるのだろう。
 
 赤文字は引用
 
日本の貧困率、過去最悪の16%

 所得が少なく生活が苦しい人の割合を示す「相対的貧困率」が、2010年調査(09年時点)は16.0%で、07年調査(06年時点)より0.3ポイント悪化した。18歳未満に限ると15.7%で、ともに、厚生労働省が貧困率を算出している1985年以降、最悪の水準になった。同省が12日公表した国民生活基礎調査でわかった。
 
 まず給与所得が上がらないというのだが、物価が下がり続けるデフレ下では、それむしろ筵当然であり、結局生活の質を下げる購買力が衰えたのかというと、決してそう言うことはない。
 
 身の回りを見回しても、今では100円ショップで生活雑貨のほとんどが買えるし、IT製品などは値下がりが著しく、さらに輸入品の値段も下がっている。土地も、賃貸料も下がっているようだ。私個人の感覚だが、購買力が昔より下がったとは思わないのだ。もちろん、年齢の関係から、昔なら衝動買いした物を今は買わない、そもそも買いたいものが無くなったこともあるから私や私の年齢の人間の購買力が落ちていないといっても説得力はないだろう。
 
 しかし、海外のブランドショップは相変わらず日本で店を開いているしそれに見合う客が居るし、そして普及品とは別に確かに高級品のマーケットもしっかりとある。ネット通販などを見ても、むろん安い物が多いが、とんでもなく高い文具や家具などが目白押しではないか。
 
 生活が苦しくなったという人は確かに居る。そう言う人は声に出して苦しさを言うかも知れないが、一方生活が豊かになった人も居て、そう言う人は声に出して言わない。それについては後述する。
 
 それと、核家族化が進み、一世帯の人数が少なくなれば、当然生活レベルは下がる。5人家族でも家は一軒あればよいし、車は一台あればよいケースが大半だろうが、家族が二人になっても要求される費用はほぼ同じだ。しかし稼ぎ手が減れば、収入も減る。
 
 つまり家族の在り方が変わってきたから生活が厳しくなったという面はあると思うし、以前から指摘されていたことだ。
 
 個人の生活レベルが変わることはあるだろうが、ここで言っているのは日本という国が貧しくなったのか、ということだ。
 
 相対的貧困率は、すべての国民を所得順に並べて、真ん中の人の所得の半分(貧困線)に満たない人の割合を指す。経済協力開発機構(OECD)の08年報告書では、加盟30カ国の平均は10.6%。
 
 この算定方法が問題なのだ。日本のように資産格差が極めて低い国では、どうしても所得の低い層にも多くの割合がある。しかし、逆に富裕率などを考えてみると、日本は極めて高いのではないか。
 
 これが、中国やロシア、アメリカなど極めて資産格差が大きな国では、真ん中の所得層の所得レベルがかなり下に来るので貧困の人の割合がその真ん中の所得の半分と言っても、全体としては貧困率が下がらない。
 
 つまり資産格差を考慮しないで貧困率を出しても意味がない。

 上述したが、次のような指摘がある。

<在日中国人のブログ>富をひけらかす中国人、金持ちぶらない

日本人も1980年代はこうした「下品な成金」だった。中国人にとってはいわば「先輩」だ。だが、日本では金があるだけでは尊敬を得られない。日本社会で尊敬の的になるのは松下幸之助氏や盛田昭夫氏、稲盛和夫氏のように「贅沢をせず、金持ちぶらない」人たちだ。

これは間違っている。80年代も日本では成金は馬鹿にされていたし、当時松下幸之助氏はあれだけの資産を持っていながらプライベートジェットを持っていないことが海外で驚きを持って伝えられていたし、東芝社長だった土光氏が実に質素な生活をしていたことがやはり話題になっていた。

元総理の福田康夫氏は資産を公開したとき3600万程で、あまりに少ないので海外では本当か、との声があったと言うが、本人はこれだけあれば十分だから、と言っていた。日本で3600万の資産では、金持ちとは言わないだろう。

今の野田総理も、資産公開で歴代総理の最下位だったことに本人も驚いたとのことだが、だれもそれを以て彼を馬鹿にしたことはないし先の福田元総理もそれで馬鹿にされたことはない。

むしろ、民主党では金持ちの代表格鳩ポッポはそれ故に馬鹿にされている部分があるし、小沢氏は金に汚いと言われているし、極めつけは山岡賢次氏で、閣内でも突出した資産家だそうだが、一番うさんくさいと攻撃されている。

ことほどさように日本人は以前から金持ちぶることを野暮と言って馬鹿にしてきた。この記事のように、80年代の日本が下品な成金であったわけではない。

そもそも、日本文化の心髄は質素、簡素であり、華美豪奢ではない。それはたびたびの幕府による奢侈禁止令のためもあったろうが、簡素の中に贅沢をする、無駄を削る、ありのままの自然を楽しむなどの方面に発達してきたのであり、見せびらかすことに意義を見いだしていない。

もちろん、だから日本人が貧乏でもかまわないと思っているわけではない。金儲けはしたいし、むろん金があっても邪魔にはならないと、私自身つくづく思うが、だからといって金持ちをうらやましいとも思わない。

そのような感覚は日本独自の物だと言われており、近年ようやくそれが理解されてきたところだ。

島国・日本は高度に均質化された中流社会のため、「富をひけらかす」行為は受け入れられない。また、日本の「恥の文化」の中で、無駄遣いは決して許されない恥ずべき行為なのである。

したがって、この理解も間違っている。恥の文化だから無駄遣いをしないのではなく、もったいない文化の故だ。富をひけらかさないのも恥の文化だからではなく、そのような価値観がないからだ。つまりひけらかしたいが恥ずかしいから我慢をしているのではない。

この辺りが、矢張り中国人には理解できないのだろう。たしかに、彼らの行動を見ていると、金持ち振りをひけらかすことが面子を保つ一番の方法であり、ひいては自分の強さを示す手段なのだろうと思う。

法律がきちんと整備され、素晴らしい人格を備えたリーダーがいる国で健康なのに真面目に働かず貧しい生活を送ることは恥ずべきことだが、法律が整備されておらず、素晴らしいリーダーもいない国で、富と権勢を誇ることもまた大いに恥ずべきことだと孔子先生もおっしゃっていたではないか。(翻訳・編集/NN)

確かに彼らにしてみれば、不正な蓄財の結果の富をひけらかすのは恥ずかしいから止めろと言うのだろうが、日本人はまともに働き正当な手段で金儲けをしてもひけらかさないのだ。とうてい、中国人が到達できる価値観ではない。

西欧も似たような歴史だったが、今では政治家が富をひけらかすことはすべきではないとの認識は広まってきた。痛くもない腹を探られたくないのが一番の理由だが、かつてフランスのドゴール大統領が亡くなったとき、資産がほとんど無く未亡人は着の身着のままで老人ホームに入った。ドゴール氏が特別だったとは思うが、彼がその故に尊敬を集めていたことも、確かに富をひけらかすべきではないとの認識が根付いたのかとも思ったものだ。

 聖書には、金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るよりも難しいと書いてあるそうだが、それなのに彼らのほとんどの歴史は、権力者は富を見せつけることで力を示していた。彼らの歴史上の宗教建築や貴族の館などはそれを示している。日本にはそのようなものがほとんど無い。つまり、何百年も前から、そのような文化ではなかったし、なにより、朝廷は常に日本の中心であり幕府といえども天皇の臣下であることに変わりはなかったが、その朝廷が極めて貧しかったこと、しかし、権威はきちんとあったことが何より日本文化の真髄を示しているのではないか。

日本の財政は悪化しているのか、貧乏になったのかは、このような見方で考えると、ひけらかしてはいないが已然豊かであると言えると私は思う。貿易は赤字になったし、そのために経常収支の黒字も減少したが、已然日本の財政は黒字続きなのだ。今の世界同時不況、および大震災を経ながら、この状態を続けていること自体、日本の財政が堅調であると言えるのではないのか。

ところで、財政破綻が迫っているギリシャだが


ギリシャの富裕層「税金ほとんど払っていない

 しかし、財政再建の決め手となる税制には不備が目立ち、脱税の悪習にも改善の兆しは見られない。国に見切りを付け、青年層を中心に多くの人々が出国している。

むろん、当然こうなるだろう。稼ぎ手が居なくなる国の財政再建は途方もなく難しい。一方、

 アテネ中心部の企業団体幹部の自宅居間の床は、ピカピカに磨かれた大理石が敷き詰められ、棚には40種類の高級酒がずらりと並んでいた。裕福な家庭はプール付きの家や高級車などを持ち、優雅な生活を楽しんでいる。「しかも、税金はほとんど払っていない」と専門家たちは指摘する。
 
 これが貧しい国の姿なのだ。むろん、日本と比べても意味はないくらいの差だが、国が貧しいとはどういうことか考えてみれば、専門家の言う、日本は貧しくなったという言葉も少しは違って聞こえるのではないだろうか。ただし、繰り返しになるが、個人の生活の実感を私は言っているのではない。なにしろ、私自身は全く金持ちになった実感など無い。



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セットになる脱原発

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まず本題に入る前に下記のことについて考えてみたい。文科省が中高生を対象に副読本をつくり、放射線についての知識を普及することを始めたそうだ。むろん、このこと自体は評価しよう。何もしないよりはましだ。

だが、なぜ、大人に対しては無策なのだろう。

赤文字は引用

人体への悪影響に言及 文科省が放射線の副読本公開

 人体への影響については「たくさんの放射線を受けるとやけどを負ったりがんなどの病気になったりしたことが確認されています」「受ける量はできるだけ少なくすることが大切」としたが、「一度に100ミリシーベルト以下の放射線を受けた場合、放射線だけを原因としてがんなどの病気になったという明確な証拠はありません」という前提をつけた。人体への悪影響と事故時の対応に触れたのは18ページ中、計4ページだった。
 
子供に対する教育はもちろん必要だが、今問題になっているのは、子供の親たちが放射線に対する過剰な不安を抱え、そのために時として子供を犠牲にし、国を混乱に陥れている事態であり、それをどのように解決するかが優先するのではないのか。

上記の副読本の中身でも、ニュアンスとしては放射線は危険だからなるべく避けなければならないと言うものであり、どれほどの量が危険かに就いては明確な記事がない。かろうじて、一度に100mmSV以下の被曝で被害が出たという明確な証拠がない、と言うだけのもの。

一度とは、どのくらいの期間のことか、被曝は内部被曝か外部被曝か、自然放射線はどのくらいあって、一時被曝の100mmSVとはどのくらい違うのかなど、感覚的に分かる説明が全くない。

通常一時の被曝の時間として使われるのは時間あたりであり、一例として、福島原発で作業をしている作業員が長靴を履かずに地下の汚染水たまりに入り、足首に500mmSVの被曝を受け入院したことがある。その時はやけど症状が出たとのことだが、その後退院し、特に健康被害を受けたという後報は無いようだ。しかし、政府が除染の対象としている被曝量として、1-5mmSVとして用いている数字は年間であり、最大の5mmSV/年でも時間あたりにすれば0.6マイクロSVに過ぎない。

一方、政府が上記の副読本で言っている一時被曝100mmSV/hourを年間にすると、876SV/年になる。これがどのようなレベルか、同じ単位にしてみれば分かるのではないか。(最近コメント欄で、年間9000SV近いと私が書いたことがあるが、あれは計算間違いだった。ここで訂正しておく。まあ、趣旨は全く変わらない。つまりとんでもない値だと言うことだ)

単純計算だが、政府が除染の対象にしている5mmSV/年は、政府が健康被害の明確な証拠がないと言っている876SV/年の17万5千分の1以下なのだ。

政府は今までこのような基準を設け、それを用いて人々を強制的に退避させ生活を破壊させ、多くの人々の健康をむしばみ高齢者や病人の命を奪い、子供にストレスを与えてきた。多くの農家の生活を破壊し、そして福島産のあらゆるものを風評被害で差別させ、福島のあらゆるものに対し差別を公然化させた。

政府が為すべきは、今政府の用いている規準が全くのナンセンスであり、理論上は今の17万倍でも良い(むろん一時被曝と年間被曝は概念が違うので、これはあり得ず、そうしろと言っているのではない、単に数字の比較だ)くらいなのだと明確にすることではないのか。

しかし、今更そんなことを明らかにすれば、政府の今までの政策がどれほど無知無能無責任であったかも明らかになる。だからこそ、かたくな迄に事実の公表をしていないのではないかと思えて仕方がない。そんなことが明らかになれば、ただでさえ国民の失望が著しい民主党政権野田政権が吹き飛びかねないからだ。

最悪、前総理のあの物体や枝野前長官を生け贄にしても(通用しないとは思うが)事実を明らかにすべきではないのか。

そうする気概のひとかけらも持たないから、一時の被曝100mmSVが危険ではないと知りながら、それを広く知らしめることをしないのだ。そして、それが武田、児玉、小出のような似非学者の跳梁跋扈を許すことになり、マスコミの出鱈目報道を増長させているのではないのか。

しかし、このような追求ひとつ出来ない野党も同罪だとは思うが。結局彼らも支持率が低いために、一部の狂った国民に対抗することが出来ないと言うことなのだろう。

国民が、むろんごく一部なのだが、行政を動かす人たちの認識が異常だという例がある。

「放射線と健康」講演会を中止

2011年10月07日

 これに対し、市民グループが9月29日に中止を求める要請書を市に提出していた。

 中央公民館によると、同公民館で予定されていた最終回の中止を決めたのは9月30日。志村正彦館長は、「市内各地域を同じ内容で一巡して知識を広めることができ、勉強会としての成果は上がったため」と理由を説明する。


 講師の小林氏は「根拠なしに放射能を怖がり過ぎるのは良いことでない。科学的な基準を説明してきた。中止は残念だ」と語った。
 
この、中止を求めた市民団体の言い分が、放射線の危険を過小評価させることになるからと言うのであり、これはどう考えても言いがかりではないか。放射線の正しい知識を普及することがなぜ危険性の過小評価につながるのか。言い換えれば、政府なり行政が国民を欺き自分たちの失策を隠すために、本当は危険レベルに達している放射線を安全だと言いくるめるための宣伝をこのような講演会で行うからだろうと決め付けているわけだ。

市民団体の言い分が本当にそれによるのであれば、では、自分たちはどのような知識の普及をしてきたのか。むしろ、行政がそのような場を設けるのであれば、自分たちの疑問をぶつける良い機会ではないのか。

この手の市民団体は、常に相手の口を封ずることを目的とした活動をする。決して相手の意見を聞こうとしない。それがこの種の市民団体の正体なのだ。
 
そこで、私も高崎市に電話をしてみた。代表にかけ担当部署に回して欲しいと頼むと、10分以上待たされた後で、社会教育科の担当者が出た。つまり、担当部署が分からなかったと言うことだ。

とにかく、なぜ中止したのか、と訊いてみると、報道にあるまま、知識が一巡したので止めたとの中央公民館の決定だったとのこと。それなら最初から最後の講演会などやらなければ良かったろうし、市民団体の抗議があって翌日に、知識の普及が十分になったことに気がついたのか、と重ねて訊いてみたが詳しいことは分からない、中央公民館が決めたことだ、との答えが返ってきただけだった。とうぜん、担当者としてはそう答えるしかないだろう。

私のような電話やメールはなかったのか、と尋ねると、無かったとのこと。最初の代表窓口から担当部署へすぐに回らなかったことからもおそらくそれは本当なのだろう。

異常な要求をする連中の声が常に常識と理性を備えた人たちよりも大きいのは世の常であり、そして事なかれ主義の行政はその声で動く。決して説得をするようなことはしない。その最たるものが誰かは言うまでもない。

さて、AFNなどでは、ニュースの度の伝えているアメリカの格差解消デモが、他国にも飛び火し、東京でも始まったと、この種のデモについては早速報道されている。フジデモなどは、見事なほど無視しているのに、この種の報道については感心するほど迅速だ。デモ、と言っても50名100名規模なのだ。

米のウォール街デモに呼応 東京でも 貧困・格差や反原発テーマ

2011.10.15 12:56

 米ニューヨークのウォール街近くで始まり、世界各地に広がりを見せている反格差社会デモが15日、東京・日比谷公園周辺などで行われた。「オキュパイ・トウキョウ(東京を占拠せよ)」の呼びかけに、約百人が集まり、反格差社会などを訴えた。
 
 反格差社会デモの筈が、

 日比谷公園には、50人以上が集まり、「労働と消費だけが人生の全てじゃないぞ」などとプラカードを掲げ、休日のオフィス街などを練り歩いた。テーマは「反格差社会」だけに限定されておらず、「原発反対」などと訴えるなど、参加者らがバラバラのテーマを訴えた。
 
 ここにも原発反対の連中が潜り込んでいる。原発と格差はむろん関係はない。むしろ、脱原発の結果、格差社会が拡大する懸念はある。
 
 しかし、いずれにせよ、アメリカの格差反対デモに食いつく連中にまともな理論があるとは思えない。まずアメリカの格差反対デモはその少し前にイギリス全土でも繰り広げられている暴動と同じようなもので、つまり景気政策に対する政府の不手際に反対するものだ。これについては私の「なぜアメリカには出来るのか」でも触れているが、彼らの言い分は正しいとは思えない。アメリカが潤っていたのは、自ら物を作らず金融で潤っていた、すなわち他国からの借金で食っていることに国民が異を唱えなかったツケだ。
 
 尤も、アメリカの最初のデモは、ウォール街から始まった。即ちアメリカの金融の心臓部で始まったことは、金融界のトップ達がアメリカの窮状をよそに桁違いの収入を得ていることへの反発があったからだ。むろん、あのトップ達の異常な収入は問題だが、アメリカ社会が彼らのマネーマジックで潤っていた、世界最大の借金国になりながら贅沢の限りを尽くしていた事実を今になって格差だと言い出すこと自体身勝手ではないのか、と私は思う。オバマ氏の失策ではなく、国の在り方が層だったのであり、これはどんなにデモをかけても是正はしない。アメリカ人がアメリカ人でなくなる覚悟をしなければ是正しない。
 
 世界最大の借金国が世界最大の経済規模を有すること自体が間違っているのだから。だが、そうでなければ世界が成り立たない。中国やロシアの台頭を許すわけにはいかない。その結果今のアメリカの存在が許されていたのだ。
 
 ただし、国政の過ちを追求することは間違ってはいない。だから、格差を何とかしろというのではなく、何故こうなったのか、それをどうすればよいのかを政府に問いかけるべきだろうと思う。
 
 格差は必ず存在するし、人間の本質を考えたとき、避けられないものだ。ただ、その格差が不公平につながること、またその格差が誰かの不正によって生ずるならそれを是正しなければならず、単に格差を無くしろとデモをしても、それはまた政府のポピュリズムを生み出すだけのことだ。
 
 なにより、機会の不公平に対してはむろん是正を求めなければならないが、結果の公平を求めるなどすれば、当然行き着くところは中国のようなどの奴隷社会だ。これについては過去にも中国を論じた際何度も触れたが、このような要求を国民がするようになったのだとすれば、極めて危険なことだと言わざるを得ない。今の所、単にアメリカの真似をした跳ね返りとそれを煽るプロパガンダ屋の行動だろうが、それが拡大すれば危険だと言うことだ。


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