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ところで日本は大丈夫なのか

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当ブログでは、どうして中国は崩壊するのか、どうして韓国は駄目なのか、アメリカはどうなるのか、EUは・・・と色々書いてきた。ところで、日本は他国のことばかり見ていて大丈夫なのか、という点も考えてみる必要はある。これについては何度か記事にして採りあげてあるのだが、何度でも見直す必要があるだろう。常に世界は変化しており、日本も又変化しているのだ。日本にとって良くない変化が有るのではないか、将来の不安は何かなどなど、様々な見方があるはずだ。

日本を取り巻く国際環境については、油断は出来ないがある意味楽観してもいる。日本内部の問題についても、同様だが、油断は出来ない。日本人に本当の知恵があれば民主党を政権に付け、直後に引きずり降ろし惨敗させるなどあり得ないだろう。被害がでてはじめてその重大さを知り驚くようでは、日本という国の危うさを思うのが当然ではないのか。あの民主党を政権に付けたという失敗を本当に教訓として理解しているのかが甚だ心許ないわけだ。

のど元過ぎれば暑さを忘れるのが人間の常、特に日本人は本当に忘れやすい。過去を水に流すのは某亡忘国のように1000年恨み続けると大統領が言うような事とは真逆であり、だからこそ日本は過去にとらわれず発展し続けてきた。が、過去の失敗の教訓まで忘れてしまう事があってはならないだろう。

過去に、どうして戦争をしなければならなかったのかを正確に分析しそれを教訓として二度と同じ事にならないようにするのが国家として非常に重要なことなのは言うまでもない。ここで断って置くが、私自身、先のあの戦争は絶対に必要だったと思っているし、あの戦争をしていなければ今の日本も、そしてアジアもなかったと信じている。これについては何度も書いているので、とにかくそれを前提として話を進める。

あの戦争は必要であったが、戦争の遂行については様々な失敗があったことは事実だ。しかし、あの戦争のあとで、明らかに日本が失敗したと思われることもあった。むしろ、その失敗が今に至るまで日本の危機を招いていると考えられるのではないか。

私は、日本の教育、特に自虐史観のことを言っているのだが、それこそが上記の民主党政権を成立させ、そしてその被害がやっと取り除かれたと思える今もなお、日本人の多くが本当の危機は何か、日本の置かれている危うい状況を理解していない。それが未だに選挙投票率の低さに顕れているのではないか。また左巻ド腐れ左翼に煽られて理解もしないくせに原発反対、集団自衛権反対などと言う連中が多いのも、その顕れだろう。いや、きちんと理解し、理論を以て原発反対、集団自衛権反対なら全く構わない。大いに議論すればよい。が、議論にならないのにただ原発は危険だ、集団自衛権は日本が戦争を好きなときに始める、アジアを侵略する、徴兵制になるなどの感情的な煽りに乗せられているだけなのだ。

日本にとっての最大の危険要因は、この国民の無関心にあるのではないかと思う。無関心だから、脊髄反射で戦争は悪だ、日本は戦争をした、戦争でアジアを侵略した、朝鮮を植民地化した、南京で大量虐殺をした、朝鮮人女性を20万人も性奴隷にしたなどを無批判に受け入れてしまっているのではないのか。

戦争は悪だ。無論これは正しい。が、では戦争をしなかった場合日本はどうなっていたのか、戦争以上の悪がはびこっていたのではないのか、日本は本当に朝鮮を一方的に植民地化し、全てを奪ったのか、性奴隷を日本軍が組織として作っていたのかなど、少し歴史を学び、現状を考えてみればどうもおかしいのではないかと気づく筈なのだが。もちろん、日本のやったことが何から何まで正しかったとは言わないが、何が間違っていたのか、何が間違っていなかったのかを正確に判断するのは、民主主義国家の思想言論自由が確保されている日本人の義務ではないか。その結果、日本の戦争が間違っていた、集団自衛権は間違いだ、原発は何を犠牲にしても撤廃すべきだ、朝鮮には土下座をして謝罪し、償いをすべきだと信ずるならそう主張すればよい。それもまた日本人が与えられている思想言論の自由だ。が、自由には責任が伴う。当然のことであり、自由には責任、権利には義務が必ず伴い、無制限の自由、権利は行き着くところ暴力でしかない。

だから、日本が犯罪国家だ、侵略国家だと主張するならなぜそうなのかをきちんと立証する義務がある。それを腐れ左翼は全く果たしていない。

その腐れ左翼に、人権、平和の名目で煽られる日本人のいかに多いことか。ろくに選挙にも行かないくせに権利ばかり主張する輩のなんと多いことか。人任せで自分で判断出来ない連中が民主党を政権に就け、そして日本の世論が一転して民主党に対し厳しくなるとそれになびいて民主党を引きずり落とす。そうした連中の大半は、なぜ民主党が駄目なのかなど時分では考えず、みんなが駄目だと言うから一緒になって民主党を引きずりおろしただけだ。

とはいえ、これは日本だけの事ではない。むろん、まともな情報を与えられず言論思想の自由が全くない中国韓国を引き合いに出しても意味がないが、先進国と言われる欧米でもそうなのだ。

いま、イラクやシリアで勢力を伸ばしているイスラム国という大規模なイスラム原理主義テロ集団に、欧米から行って身を投ずる連中が非常に多く、先日見せしめでアメリカ人を殺した犯人が声紋検査の結果、イギリスにいたラップミュージシャンだと特定された。彼だけではない、数百人、数千人単位で欧米からこのような人間達がテロ集団に参加している。理由の多くが、自分たちの居場所が母国にないから、差別をしないイスラム集団に加わるという。

母国に身の置き所がないとして、だから無差別に殺人を冒す集団に身を投ずるのは、彼等に知性がないからだとしか言いようがない。いまだ日本からこのような馬鹿が出たという報道はないが、上記のように自分では考えていないのにあたかも自分で考えているかのように錯覚しているお花畑は嫌になるほどいる。このような馬鹿は世界共通なのだ。

日本馬鹿の特徴は、国家を侮辱することがかっこいいと思っていることではないのか。国家を批判するのは良いだろう。問題点を明らかにして主張するのも良いだろう。私もそれはする。が、それと自らが属する国家を侮辱する事とは全く別なのだ。完全な国家など世界中に存在しないが、よりよくするために国家の問題点を見つけだし批判するのは、自ら考え主張する権利を与えられている国民の義務ではないのか。

日本という国は実は批判や賛同の対象ではないだろう。なんと言っても人間が国家を作っているのだ。したがって、批判や賛同をするなら、日本人という集団に対する物であり、具体的には日本政府に対する物、日本政府に関する人々に対する物であるべきで、日本という国自体を貶めることとは全くちがう。

そう言えば、もう20年くらい前のことだと思うが、テレビで何かの街頭アンケートをやっていたとき若いいかにも軽薄そうな男が軽薄そうに答えていた。戦争になっても自分は逃げるんだそうで、日本は護るに値する国ではないそうだ。

むろん、このケースなど権力に刃向かうかっこいい男を演じているだけのパープリンなのだろうが、なぜこうなるのか。結局、日本の特に腐れ左翼の宣伝には国家権力という言葉が出てくる、それを日本という国の権力が国民を縛り付けているとのイメージになり、それをどういう事かなども考える能力など持ち合わせていないガキの粋がりということだ。が、これが結構馬鹿にならない。ガキのまま成長しないお花畑が結局、国家権力に刃向かう民主党を政権に付けたと言うことだろう。なにしろ、国家権力は悪だと宣伝されている。昔から、権力を持つ者は悪に決まっているのが日本だ。

しかし、国家権力など、本当は存在しない。なぜなら国家とは人間が作る組織であって、その組織を私する人間達がいるなら、国家をかさに着た独裁者というだけのことだ。神の威光を利用して力をふるう過去の聖職者や独裁者達がそれにあたる。いや、そのような連中は今でもいるが、日本で、国家の意思とはそのような物ではない。敢えて言うなら国民の総意が国家の意思なのであって、一部の人間が権力を握って国民を支配しているのではない。

先にも書いたが、国家とは国民が帰属する存在であり、その帰属の根拠は自らが属する文化、歴史、価値観などなど、人間の人間たる根本的な要素がそこに存在するからだと言って良いのではないか。世界には国籍には無頓着だとされる人々がいる。ユダヤ人などは2000年もの間国家を持たなかったが、それでも世界各地でユダヤ人というアイデンティティに属す事を止めず世界各地にちりぢりになってその国の言語を使い文化にとけ込みながらユダヤ人であり続け、そして国が建設されると世界中からそれまでの生活を捨てたユダヤ人達が集まり、国家を建設した。もし彼等がユダヤ人であることを止めていたらイスラエル建国などあり得なかったろう。なにしろ、失われていたヘブライ語を復活させ母国語としたくらいなのだ。

未だに国家を持たない民族もいる。ロマやクルド人などもそうだろう。それでも彼等独自の文化価値観を持ち続けているから、ロマやクルド人なのだ。世界各国に散っている華僑、印橋ももう国家にとらわれる事はないと言われているが、結局は世界の何処に行っても中国人、インド人としてのアイデンティティを保っている。

日本列島に数千年来住み続けた人間達が日本人として帰属している対象が日本という国家なのだ。この国家が権力と言うことはあり得ない。有るのは日本人の総意が行使する力を権力というのであり、上記の軽薄なガキが守る価値がない日本という国とは、日本国民全体ということだ。

私だけではないだろうが、日本人であると言うことは普段意識などしていない。日常の全てが、私が生まれてから身体に染みついている日本文化、価値観に基づいているのであってそれについて悩むなどあり得ない。そこから私は離れられないのだ。むろん、離れようなどと思ったことなど無い。死ぬまで私は日本人であることを殆ど意識せずに日常を送ってゆくだろう。意識する必要もないほど、私は日本人なのだ。私は日本という国に帰属する選択をしたことなど無い。もとから帰属しているのだ。

今フランスで閣僚の一人、フルール・ペルラン氏は、韓国で捨てられていたのをフランスに送られフランス人の養子になり育てられた人だそうだ。韓国では、韓国人がフランスで大臣になったと大騒ぎをしていたが、本人は自分はフランス人だと言い切っている。当然、彼女のアイデンティティはフランスの文化、価値観にあるのであって、帰属するのはフランスだ。

今、日本にも多くの在日外国人がいる。特に韓国系は特殊な存在だと言えるが、それは日本に帰属することを拒み、韓国に帰属しているからだろう。

国家に帰属するとはこういう事なのではないのか。

それはまた、善悪の基準も日本に帰属している日本人のものと他国の人間の基準とは大きく異なるだろう。人命の尊重という本来基本的な価値でさえ、日本と大きく異なる国はたくさんある。人権についての価値観も国によって大きく異なる。つまり、帰属する対象によってそれらも大きく異なるということだ。

これは、人類共通の絶対的正義も目指すべき理想も存在しないことを意味する。宗教原理主義者、中華教原理主義者、反日ウリナラ教原理主義者と共通の正義などを確認し合うなど意味がないのは、どんな世の中になっても同じ事だ。

じっさい、それが原因で古来人間は戦争に明け暮れてきた。古代の戦争で石や棍棒の戦争から弓、槍、剣が登場し戦闘技術が発達し戦闘専門の人間と集団が発生し、さらに戦闘技術が進化してくるとカタパルトや大砲、軍船、飛行機、爆弾、ロケット砲などが誕生し、戦闘の規模はかつては族対族、集落対集落だったものが、都市対都市、国対国の戦闘になり、とうとう核兵器の出現により次に大規模な世界戦争が起きれば、人類の滅亡につながりかねない事態になってしまった。こうなるかなり以前から戦争は割に合わないことを人間は理解するようになった。

戦争をして一方的に勝った場合は利益が大きいかも知れないが、負けた場合に失う物はあまりに大きすぎ、場合によっては国が消滅する。したがって、過去の戦争は一方的な強国が弱小国を攻め取り、力を蓄えて次の国を征服するやり方が主流になり、それに対抗するために弱小国が連合するようにもなった。結局、かつての世界は極めて小さな国が或地域にひしめいていたのが、そのような戦争を繰り返すたびに離合集散して或程度の大きな国が残り、それらの国々が総力を挙げて戦争をすることになれば、一方的な勝利などなくなるし、地域を完全に掌握しても内部から分裂する原因を抱え込むことになる。

どう考えても戦争は割に合わず、それならば全てを取ることを止め妥協し場合によっては協力しあったた方が最終的な利益が大きいことが明らかになった。それがヨーロッパ連合の誕生であり、アセアンの誕生であり、国連の誕生の理由だと言えるだろう。無論、それらの機構が未だ完全に機能しているわけではないだろうが、少なくとも戦争に明け暮れるよりはよほどましであり、実際世界規模の戦争は70年前に終わっている。その間の世界の発展は、戦争に明け暮れていた時代よりも明らかにめざましい物がある。

ただし、WW2以降の戦争とは、強大な国家が一方的に弱小国を攻撃する形であり最初から勝敗は決まっていた。あとは、弱小国同士の戦争があるが、結果として双方が消耗しているだけだ。

もし世界全体がこのまま戦争をしない状態をさらに固めるならこれほど良いことはないが、実際には世界には無法国家がいくつも存在する。ということは、自分は戦争をしないと決めることで国の安全が確保されるわけではないということになる。極めて当然なのだが、それが実感出来ないのが今の日本のお花畑なのだ。

お花畑とは、自分で考えることが出来ないのに考えていると錯覚している人々のことだ。そのようなお花畑は風の吹く方向に一斉になびく。権力に唯々諾々と従わない、政府を批判するのが賢い、だまされない人間だとの風が吹けば、上述したような国家権力になびかないお花畑が生まれる。国家権力とは何か、帰属意識とは何か、自分は何者かなど一切考えない。

またこのようなお花畑に対しては、人権、平和、反戦、平等、自由、思いやり、隣国との友好、市民レベルなどという形容詞を付けた風を吹かせれば簡単になびく。最近では、女性を性奴隷にした日本、脱原発などというキーワードも加わった。非核も無論彼等にとっては大切な修飾詞なのだが、自分で考える能力のないお花畑は、本当の人権、平和、反戦、平等エトセトラが何かを知らないで風の方向になびく。

脱原発、非核の危険性がどれほどの物か等考えるわけもなく、女性を性奴隷にした事実があったかどうかなどもどうでも良い、というよりそれを考える必要が有るとの想像力さえない。

以前私がここで触れた老共産党員は、それなりの高等教育を受け、一流校ではないが最高学府を卒業し、その知識を活かす職業に長年従事してきた。その間、無論様々なことを考え、問題を解決してきたのだろうし、おそらく有能な専門家であったはずだが、共産党の主張に対しては一切疑問を持たなかったようだ。

どうしてか私は不思議に思っていたが、人間にはそのような矛盾がある。つまりそれは彼にとって信仰なのだ。以前も引き合いに出したが、オームの幹部達は多くが社会では知識層に含まれる人間達だった。普通に考えれば思考力を普通人よりも持っていたはずなのに、ためらい無く大量殺人を繰り返しそれが正しいことだと信じていた。

お花畑と言えども通常の生活を営みそれぞれの仕事ではそれなりの成果を上げている普通の人々なのだ。誰も彼もが白痴ではない。が、それでも平和、人権、反戦が信仰になってしまえばそこで思考が停まってしまうのだと考えると分かるのではないのか。

これは日本人ばかりの問題ではないが、一度風の向きが変われば一気にお花畑がそちらになびく、つまり信仰する教義が変われば疑問の余地無くそれに従い、自分ではそれにすら気が付いていない事になる。

本当は有権者が全て自分で考え自分で判断するなら、その結果がどのように割れようと問題はないだろう。が、日本の特徴では、政治に関心がない、どの政党に入れても同じだ、という人間が異常に多く、毎回の選挙でもその投票率の低さが話題になるほどだ。ただ、それでもかろうじて選挙結果が受け入れられるのは他国、特に途上国に比べて不正が少ないからだ。また、大統領の容姿が得票率を左右するアメリカとも違う。

民主党が政権を盗ったとき、彼等には党の綱領さえなかった。自民政権は日本を駄目にする、コンクリートから人へ、近隣諸国との融和などなどを掲げ、自民よりは良さそうに思ったお花畑が民主党に票を入れた。本当によいのか、なぜ良いのかなどは一切考慮されなかった。

その結果は言うまでもない。民主党はかろうじて命脈を保っているがかつての社会党と同じ運命をたどっている。遅かれ早かれ消滅するだろう。が、そのような事態を経験したにもかかわらず、各種選挙結果は低い得票率が話題になり、民主が掲げて全く嘘だった隣国との友好、平和主義を相変わらず信仰しているお花畑が全く減らない。

今、赤非のねつ造報道が問題になっているが、それもそのような風が吹いているからお花畑がなびいているに過ぎず、河野氏を証人喚問すべきだとか河野談話を破棄すべきだとかの声は未だ主流ではない。

吉田証言は嘘であり、赤非の報道は間違いだったにもかかわらず、強制連行自体はあったと開き直る赤非に対し、それを糾弾するまでには至っていない。

そもそも、この売春婦性奴隷問題は、その発端が自民党の宮沢内閣にあったのは言うまでもない。とにかく、相手が怒っているなら相手の顔を立てておけば波風たたず、政府への支持率も安泰だろうというのがあの河野談話の理由であり、赤非が主犯なのではない。赤非は国賊であり売国奴だが、それを排除すべき政府が赤非の裏付けをしたのだ。

私が言いたいのは、結局日本にとっての最大の危機要因はお花畑を形成している日本人でないかと思えると言うことだ。この事なかれ主義を許した日本人、考えることをしない日本人、信仰に身をゆだねてしまえば自分で決断する必要もなく責任を取る必要もないと考える日本人が、この国を一番の危険にさらしていると思えてならないのだ。
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日本崩壊論

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中国崩壊論とアメリカ崩壊論を書いたからには、日本崩壊論も書かねばならぬと律儀に思った。

私自身は、予見出来る将来、日本が崩壊するとは全く思っていないのだが、かつては日本崩壊論がかなり書店でも本が並んでいたし、ネットでも飛び交っていた。しかし、今その気になってネットを検索してみたが日本崩壊論はかつての勢いがない。

もしかしたら中国や韓国で日本崩壊論が今も盛りともてはやされているのかも知れないが、幸か不幸か私はこれらの国の言葉を理解出来ない。また、もしそのような本がベストセラーになっているなら、日本メディアがそれを採りあげない理由はないだろう。なにしろ、日本メディアにとってはすばらしいネタだから。だが、日本メディアでも、中国韓国が日本崩壊論の話題で盛り上がっているとは伝えられていない。

可能な限り英語でも検索してみた。が、無かった。これでは、日本崩壊論が書けないではないか。行き詰まりを感じたとき、思い当たったことがある。何でも日本が悪い、日本は駄目だと決めつける日本の腐れ左翼の人々がこの話題を作り上げているのではないかと期待した。が、今のところ、日本駄目駄目論は盛んだが日本崩壊論は思ったほど無い。

そこで、私が無理矢理日本崩壊論をでっち上げてみた。

1)まず、最も崩壊論に近いとすれば、日本が財政破綻をするという話だ
2)人口減少論もおいしい話題で、いずれ日本の人口は0になるというのだから、これを採りあげない手はない。
3)環境破壊、技術の停滞による崩壊論は、一昔前には説得力があるかに見えたが、今は廃れている。
4)モラル崩壊論 日本人のモラルが崩壊しておりそれが国家の崩壊につながるということだ。
5)中国に侵攻され崩壊する論。

いかにも我ながらでっち上げの感はあるが、しかし、かつては大々的に主張されていた立派な日本崩壊論であり、改めて採りあげるのは無意味ではないだろう。

1)財政破綻

今でこそ中韓や一部のお花畑以外あまり言わなくなったが、日本の借金がGDPの二倍に達したというのだ。つまり国債発行高が1000兆円を超しているので、これが返せなくなり日本は破綻するぅ~というのだが、まずそれはないと言える一つ目の理由が、日本国は借金などしていないという事実。日本は世界最大の債権国であり、他国に金を貸してはいても借りてはいない。むろん、借金と貸し金を相殺して貸し金の方が多いと言う意味だ。

では国債とは国の債権ではないのかとの指摘だが、この場合の国とは政府であり、普通に定義される外国に対しての国家のことではない。政府の借金が誰からの物かを言えば、要するに金を貸してくれる相手なら問わず、外国でも国内の企業や国民でも構わないが、借りる相手によって意味が大きく異なる。外国から借りた場合は、国債がそのまま国家の借金になるが、日本はそうではない。大部分が日本国内の貸し手から借りているのであり、政府が国民から借りているのだから、利子は国民に払うことになるし、返すにしても国民に返すことになる。つまり、政府が返す金は国民の利益になる。そもそも、政府の借金が国内でまかなわれているとは、政府の負債が国民の資産になっていると言うことであり、経理のイロハだ。貸借対照表では日本国が失う金など無いと言うことになる。

ギリシャのように外国から借りた金は、利子にしても返金にしてもギリシャという国から出てゆくのであり、貸借対照表では純損失として計上される。

次に、いくら国内で調達しても、借りた金を政府はいつか国民に返さなくてはならない。だから、アウトだと言う理屈は、実は成り立たない。国家とは、法人であり永久に存続する物として考えられる。したがって、国債は償還、つまり返金しても実際は次の国債を発行しそれで返す、つまり借り換えをすることが出来、日本国が存在する限りそれを繰り返すことが可能であり、またそれが前提なのだ。

さらに、極論を言えば国債は返す必要がない。ただし、極論と言うようにいつでも国債が返済不必要というのではなく、それなりの条件がある。日本がその条件をクリアしている限りに於いては、返済が要らないと言うことだ。

よく、今の借金を子孫に押しつけるのは間違っていると言うお花畑がいるが、上に書いたように国民は国債という資産を子孫に引き継いでいると言うことだ。そして、国家は永遠に存在するとの前提がある。だから、国債は常に借り換えをしてゆけばよい。無論利子は払わなくてはならないが、実際日本の国債は現在年率0.5%程度であり、今アベノミクスが目指しているようなインフレ率2%なら、利子は実質マイナスになる。また、通常、健全な経済状態ではインフレ率が2%/年くらいであり、100年経てば物価は7倍以上になる。つまり、国債は7分の1以下の価値にしかならない。

では、みんなが借り換えに応じなければ、つまり新しい国債を買わなければ返さざるを得ないということになるが、それはまさに銀行の取り付け騒ぎと同じであり、国家経済が破綻したときにしか起きない。つまり、国債とは極めて安全な資産であり、国が存続する限り保証されているので、国の経済が安定している限り、国債は買い続けられる。

結局子孫に負債を残すのではなく、本来決まった期限で返さなければならない借金とは違い、百年でも二百年でもかけて返せば良く、実質その間に借金がなくなってしまうと言う理屈だ。

と言うことは国家経済が極めて安定し、信頼されていなければならない。そして、今の日本経済は世界で最も信頼されていると言っていい。だから、国債の利率が世界最低レベルなのであり、それでも売れるのはそれだけの需要があると言うことだ。日本経済の信用度の高さは、昔有事の際のドルと言われ、世界で何かきな臭い事件が起きるとドルが買われ日本円は売られる事が普通だったが、今では有事の際の円とされるように、何かあると比較的安全な資産として円が買われる。

つまりこの、日本経済が絶対的な信頼をもたれている間は、極論すれば国債は返す必要がないと言うことだ。

なぜ、日本経済が信頼されているのか。一にも二にも世界中に資産を持っている世界最大の債権国という事実が大きい。これは何を意味するか。

今日本企業が世界中に持っている資産は、国内資産にほぼ匹敵している。国内でのGDPはおよそ500兆円だが、海外にも同程度の資産を持っているとは、同等のGDPが計上されているのと同じだ。国内のGDPはほぼ日本にそのまま利益をもたらし、また海外の資産はそのGDPの分だけ日本に利益をもたらしている。

一方、中国のGDPは元々がインチキだが、それ以外に、GDPの多くが海外資金で成り立っている。すなわち、中国国内でのGDPが生み出す利益の多くが海外に流出しているのであり、さらに内需で潤うための原資がないため、投資でGDPをふくらませている。が、今其の投資が破綻しかけている。だから、投資のデフォルトがはじけ始めているのだ。つまり、中国のGDPは日本の倍になっていると言っているが、そのGDPが生み出す利益は日本の内外のGDPが生み出す利益の数分の一でしかないといえる。

GDPは確かに経済指標の一つだが、その質をみると、中国経済の信頼などほとんど無いと言える。だから、ハードカレンシーにすらなっていない。これは韓国にも言え、彼等のGDPの多くが十大企業による物であって、しかもサムスンはそれらの内の20%を稼いでいると言われているが、サムソンの上げる利益の70%が海外に吸い上げられているとされている。具体的には、サムソンの製品の中身が日本から購入した部品、資材、製造技術、特許、などによる物であって、サムソン製品が売れるとは、日本製品が売れていることになる。だから、韓国が貿易黒字だと言っていても、実際は日本に対して赤字が増え続けている。

GDPの質を見れば、いかに日本経済が強力であるかが分かるし、だからこそそれに裏付けられた通貨が強いのだ。むろん、国債も同じ事が言える。

日本は貿易立国だとよく言われているが、実際はそうではない。GDPに占める貿易の割合は10%程度であり、先進国でも低い方だ。日本が海外から稼ぐ金は、海外にある資産から上がる利益のほうが貿易よりも多い状態が今では定着している。一方、中国、韓国などはGDPに対する貿易依存度がそれぞれ25%、40%程度であり、かなり高い。貿易依存度が高いとは、GDPが他国頼みであり、他国の景気が悪くなって注文が取れなくなるとそれがもろに自国の経済に影響することを意味する。一方、日本のように海外所得による利益は、他国の経済状態がどうであれ日本に支払わなければならないと言うことであって、他国頼みというわけではない。それが滞ることになれば、その国が経済破綻をしているのであり、経済破綻したくなければ、借金は食う物を食わなくても返さなければならない。

これで分かるのは、世界最大の債権国である日本は、世界で最後に経済破綻すると言うことだ。これがなにより日本経済が世界でも絶大な信頼を得ている根拠になる。

さらに、日本が今まで借金の踏み倒しをしたことがないなども挙げられる。日本もIMFからの融資を受けたことがある。新幹線を作った時の資金を借りたのだが、全て完全に返済しており、このような国は唯一日本だけなのだ。世界でもトップクラスの対外支援国であり、金にきれいである点も信頼の裏付けになるだろう。

国内が安定しており、犯罪発生率が低く秩序が保たれ、他国からの好感を得ているなども有るだろう。また、本来はこれが最大の理由と考えられるのが、技術立国である点だ。私の持論だが、物作りのみが富を創出する。金融は無論重要だが、あくまで物作りによって生じた富を分配するためのシステムであり、物作りが無くなれば、金融は無論、貨幣経済も成り立たない。

日本の強みは、日本しか供給出来ない産業資源の多くを世界に供給していることであり、結局円高になっても他国は日本から買うしかない事が重要なのだ。どこでも設備さえ買いそろえれば作れるような品物は、コストで競争しなければ売れない。中国や韓国経済が駄目なのは、まさにそれだからだ。人件費を抑え通貨を低く抑えなければ売れないのだ。

さて、これら様々な理由があって、日本経済は世界で最も信頼をされているのであり、それに裏付けされた国債はその信頼がある限り、極論を言えば返す必要がないということだ。あくまで概念を示した物なので、実際は返さないことを前提とした国債発行という事ではない。結果として、日本が経済破綻することはない。有るとすれば、世界が破綻してからのことだ。

ただし、だから未来永劫にそうだと思うならその時点で日本は崩壊へ歩み出す。懸念はいくつもある。資産格差が拡大しないか、拝金主義に陥らないか、エネルギーコストが日本の物作りを成り立たなくさせるのではないかなどなど。が、それはそれぞれで対処してゆくしかない。このような問題はどこでも普通にあり、日本は極めてそれらの問題が小さいが、油断は出来ない。なにしろ、公共事業がばらまきだから反対だと信ずるようなお花畑がいる間は、そのような問題は常にある。お花畑がいなくなることは無い。

2)人口減少論

あと50年すれば日本の人口は八千万台になるというのだから確かに深刻な問題なのだが、結論を言えばそれはない。人口減少による問題以前に、高齢者の比率が増え、それに伴い医療、年金、社会インフラのコストが急増し、急減する労働者がそれを負担しなければならないことが問題になると言うことだ。

さらに労働力不足と消費の減少が経済を圧迫するとも指摘されている。

これらは確かに大きな問題であり、放置して置くなら日本を崩壊させかねない。が、放置しておく理由がない。

労働力不足を外国人の移入でまかなおうとする法案が今も出ているが、それも程々にすべきだろう。先進国中心に、肉体労働を嫌う傾向があり、それを他国からの出稼ぎ労働者に任せることが、結果として様々な問題を引き起こし、多くの先進国が事実上移民の規制を行っている。むろん、今の時代人間の移動は国境を越えて行われておりそれを全く閉め出すことは出来ないしすべきでもないが、労働力が足りないから安い途上国からの人間の労働力で補うとの安易な姿勢は慎むべきだろう。実際に国家のアイデンティティーの問題に関わるのだ。

特に民族と国家が世界では殆ど一致していないのが実情であり、その結果アメリカのように多民族国家になったために国家への帰属意識が極めて薄くなり、国家をまとめるために宗教や力を用いなければならないケースや、ウクライナのクリミア地方の住民の多くがロシア系であるために、自ら望んでロシアに帰属し結果として国家が分裂する事になる。民族対立のために国家が分裂する例は世界に無数にあるが、今のところ日本は世界でもこれほどの大きさの国で希有な単一民族、単一文化、単一言語、単一宗教の国だ。むろん、アイヌ民族、琉球民族などと言うことにこだわる人々はいるが、彼等も日常は日本文化、言語で生活をしている事実上大和民族との区別はない。あとは、在日中国、韓国朝鮮系はいるが、今のところ少数派だし、他の国々の人々も少数ながらいる。

別に他民族、他文化を排斥すべしと言っているのではない。自らの意志で日本の価値観や文化を尊重した上で自分たちのオリジナル文化に誇りを持つなら全く構わないし、むしろ、それによって、日本は文化を豊かにしてきた。だが、単に自分の国では仕事がない、日本で金儲けが出来るだけの目的や、場合によっては違法行為のために日本に来る輩が多くなれば、日本文化の尊重などあり得ず、また日本人が嫌う仕事を彼等にさせることが目的なら彼等が日本や日本に対する好意など持ち得ないだろう。

したがって、たんなる労働力のために途上国から大量に人間を入れるのは最終的に国の中に別のアイデンティティーを持つ集団を作り出すことになる。また、それを政策として有り余る国民を他国に移住させ内側からその国を蚕食する国がある。

それを考えたとき、唯単に労働力のためだけに海外からの人間を入れるのは間違いだ。あくまで日本の価値観文化を尊重する意志を持つ人々の迎え入れなら問題はない。

労働力不足だが、いくらでも解消する方法はあるだろう。今の日本でも失業率は4%前後有り、地方ではその倍以上も失業率が高い。要するに労働力は余っていることになる。また、昔と違い、労働集約型の産業は少なくなり、多くの人力が機械に置き換わっている。事務もIT化され、人間はその分野で働く必要がない。つまり、昔と違い肉体労働力需要は非常に少ないのだ。

さらに日本の高齢者は世界でも最も健康であり、労働意欲も高い。しかし、今の日本高齢であるとの理由だけで仕事がない。十分体力も能力も経験もある高齢者に働く機会を与えれば、労働力が足りないことはないと思われるし、それに女性の社会進出も労働力不足を解消するだろう。

ただし、女性が社会進出するためには子育て支援や、教育支援などもっと押し進めなければならない事はあるが、労働力不足の問題が生ずる事はないと私は思う。問題があるとすれば、人口ピラミッドがいびつになり、高齢者の割合が増えることだが、いずれ日本はそれも克服出来るはずだ。人口ピラミッドがいびつになってもそれは多くの途上国で人間が長生き出来ないことから高齢になれば人口が減るという理屈に基づいている。が、先進国では高齢者が長生きするため特徴的な人口ピラミッドになるのであって、途上国型のピラミッドになる筈が無く、またそうなってはならないとも言える。

70年前、廃墟になった日本には、若い働き手が戦争に取られ残っていたのは女性と高齢者が多く、そして必要な労働力は主として肉体労働だった。それでもみんなが歯を食いしばりあっという間に日本を復興した。

人口が一方的に減るのは確かに良くないが、ただ、労働力不足になるなど終戦後の状況に比べてずっと有利な今、あり得ないと思うのだが。

人口が多ければよいと言う物ではない。途上国の問題の多くが、人口爆発にあるが、それは子供の死亡率が高く多く生まなければならない、社会保障が不整備であり、子供に頼る以外老後を生き延びられない、あくまで労働力として必要だからという理由が主だ。先進国ではそれらの問題はないので、途上国のように出生率が高い必要も無論無く結局生活の質を落とさない為に必要最小限の子供しか生まないのが普通になっている。結局日本にとって最適な人口はどれほどなのかを考える必要がある。多ければ良いというものではなく、無論、一方的な減少も問題がある。あくまで適正な人口を目指すべきだ。

適正な人口とは、労働力もさることながら、内需を支える購買力としての要素もある。例えば日本には世界有数の自動車メーカー、家電メーカーなどがあるし、また国内のインフラ整備に必要な重工業、建設土木などなど様々な産業があり、それらが日本を支えている。が、もし人口が極端に減少した場合、国内でのこれらの市場が減少し、内需でこれらの産業を維持出来なくなる。しかし国民一人一人が豊かになれば数が減少しても購入価格が増えることである程度維持のみならず拡大も出来る。

人口が適正であれば環境、教育、社会福祉をさらに充実させられるなどもある。

結局、日本にとって適正な人口とは様々な要素を組み合わせて考えるべきなのであり、本当にこのまま日本の人口が減り続けるなどは考えられない。まして、昔は人間の労働力だけが食料を生み出し、軍事力だった。今、そのような要素は考えなくても良いのだから、あとはいかに子供を育てやすい環境を作るかで、人口減の問題は解決出来るはずだし、日本には十分その余力がある。最終的には、子供を産むか生まないかはカップルが決めるのであり、最終決断は女性がする。結局、女性が子供を安心して生みカップルが安心して育てられる環境整備をすることで人口問題は解決すると思われる。

3)環境破壊、技術の停滞による崩壊論
これらは、一昔前には説得力があるかに見えたが、今は廃れている。

かなり昔だが、世界中で公害が問題になった時期があった。日本でもイタイイタイ病、四日市喘息、水俣病などの公害病、光化学スモッグやアスベストなど多くの公害に苦しんだ。このままでは人間が生産活動によって自然を破壊し、人間自身が生きて行けないほど環境を悪化させ、日本が滅びると多くの”専門家”が警鐘を鳴らした。むろん、外国でも、例えばレイチェル・カーソンの著書「沈黙の春」がきっかけとなり環境への汚染物質にたいする警戒が高まった。

また地球温暖化による環境破壊、NOX、フロンによるオゾン層破壊、森林破壊などなど、人間が地球環境を汚染し人間に深刻な健康被害をもたらしているとの警鐘が盛んに出た。

この問題は今でも解決しているわけではないが、少なくとも日本では環境改善の技術が進んで、見違えるほど改善している。しかし、途上国では未だに深刻な問題であり、中国などでは明らかに環境汚染によって多くの死者が出ている状況だ。むろん、環境問題は全地球規模の問題であり、温暖化や異常気象、海面上昇などは日本単独でどうなる物でもないが、少なくとも日本が環境汚染により崩壊すると言うことはないだろう。生産活動は盛んになっているが、環境保全の技術も進んでおり、特に日本の技術は世界トップクラスだ。仮に日本が環境汚染で駄目になるとすれば、その遙か以前に途上国を中心として世界が駄目になった後だろう。


4)モラル崩壊論 日本人のモラルが崩壊しておりそれが国家の崩壊につながるとも未だに多く聞かれる問題だ。が、モラル崩壊で国家が破綻するとすれば、おそらく日本は最もそれから遠い国だろう。3年前の東日本大震災は確かに大変な災害だったが、同時に日頃他人には無関心だと言われる若者を中心に被災者救済の運動が自然発生的にわき起こり、また被災者達も非常に落ち着き静かに救援を待ち、寄せられた支援に感謝し、そして自らも復興に立ち上がった。そこに、災害で発生した以外の混乱は全くなく、人々は譲り合い助け合い分け合った。

その姿は世界を驚嘆させたが、日本が何故これほど勇敢に落ち着き協力してこれほどの大災害に立ち向かうことが出来るのかが世界中で報じられた。私たちにしてみれば、足りない物資を分け合い、被災者の生活を支援するのは当然であり、世界では違うのかと驚いたほどだ。

実際世界では違うのだ。途上国も先進国もこのような自然災害では大混乱が起き、略奪が横行し、奪い合いが起きる。治安が悪化し、どの国も治安の確保が最初に行われるのだが、日本では誰もそんなことを考えもしなかった。

しかし考えてみれば日本は自然災害が極めて多い国であり13年前にも阪神淡路大震災があり、中越地震があり、台風、噴火、豪雨、豪雪などなど常に災害に曝されている。がそこで混乱が起き人々が奪い合い暴動が起き略奪が起きたなど聞いたことがない。

日本人はボランティア意識がない、若者は自分勝手になって人のことは考えないなどと言われていたが、その若者が中心になってボランティア活動をしたことは記憶に新しい。

世界にはモラル崩壊で国が壊れたケースは無数にある。先進国の条件は、犯罪発生率が少ないことであり、国が発展してくれば犯罪発生率が減少してくるのが普通だ。韓国は例外的に性犯罪を中心に犯罪発生率が上昇しているし、中国は政府自体が犯罪組織で、犯罪が日常化しわざわざ腐敗撲滅を宣言しなければならず、そしてそれに対して長老達が止めろと言うような国だ。彼等の犯罪発生率の正式な発表はないようだが、とにかくネット時代信じられないような犯罪が連日聞こえてくる。

特亜は別なのだろうが、それでも先進国とされている欧米の犯罪発生率は日本より一桁は多い。そして、それでもなお、低犯罪率を誇っている。日本など、犯罪が無いとさえ言いたくなるほど犯罪自体が少ないのだ。私自身、友人知人親戚家族に殺人事件の被害者は聞いたことがない。強盗被害者も聞いたことがない。まして犯罪者になった人間のことも聞いたことがない。尤も、これについては隠すだろうから知らないだけかも知らないが、しかし感覚として日本の犯罪が極端に少ないのは事実なのだ。海外では身内にこのような被害者、犯罪者あるいは自身がそうだというケースは極めて多い。

近年凶悪事件が増えてきたなどとメディアでは言っているが、それは違う。むろん、年毎の多少の増減はあるだろうが、終戦後から一貫して日本の犯罪発生率は減少し続けている。元々、発生率自体が低かったのだ。

昔、日本に来た南アフリカ人を飲みに連れて行き、帰りはホテルまで歩いて行った。近道の公園の中を歩いたのだが、その時若い女性が暗い公園の中を一人で歩いているのを見て、彼は全く信じられないと言っていた。南アフリカでは、真夜中屈強な男でも一人では絶対に歩かないと言っていたのだが、それは他国なら常識のようで、私も外国に行けば夜は一人で外を歩くな、外に出るときは車を使えと現地の人々にうるさく言われていた。

日本にいるとぴんと来ないだろうが、日本は世界でも極めて特殊な国で、それは高い安全性、人々のモラル、民度の高さで際だっているのだ。

ちょっとずれるかも知れないが、日本語には相手を罵倒する言葉がほとんど無い。せいぜい、馬鹿、阿呆、死んでしまえ、あとはおまえのかぁちゃん、でべそくらいしか思いつかない。あ、くそったれというのも挙げても良いかも知れない。

が、外国にはその手のののしりの言葉が極めて多く、英語などには到底ここには書けないほどの汚い言葉が無数にあり、普通の市民がそのような言葉を使う。中国語も実にその点では豊富にあるらしく、外国人が中国語を習うときはそのような言葉には接しないだろうが、実際には英語に退けを取らないそうだ。韓国語もそうだと聞いたことがあるが、一般的にそれが普通だそうだ。私は英語ならそのような言葉も自然に覚えたが、自分では到底使わないし、そのような言葉を使うアメリカ人とはあまり付き合いがなかった。まあ、外国人としての私に対して言わなかっただけかも知れないが。

フランス語やドイツ語なども勉強したが、外国人のそのような言葉を教える事はないだろう。

言葉に罵倒語がないとは、結局日本人にはそのような発想がないと考えても良いのではないか。せいぜい、馬鹿野郎くらいが罵倒語なら、中国では子供の喧嘩にもならないと笑われた。

つまり、これもモラル崩壊で国が崩壊するとすれば、日本は世界で一番最後に崩壊すると、私は考えている。

5)中国に侵攻され崩壊する論

中国を例として挙げたが、現実に外的要因で日本が崩壊する可能性はゼロではない。先進国が固まっている欧米と違い、日本の隣は歴史上類を見ない野蛮国家が存在し、何が何でも日本が悪いとの前提で日本に難癖を付けむしり取ろうとしている。それでもなお、戦争にはならないと安心している日本人が多いのは、本当の平和ぼけだからでありこの平和ぼけが日本を崩壊させることはあり得るということだ。

隣国だから仲良くしなければならない、中国や韓国を刺激するのは良くない、どうせ彼等は口先ばかりだから戦争なんかになりっこない、アメリカがいるから大丈夫などなど、どうしてここまで安全を確信していられるのか理解に苦しむ平和ぼけが、日本では多数派だ。

たしかに理由無く戦争が始まる可能性は低い。が、日本を敵視し日本を従えることで政府の存在意義を国民に擦り込んでいる中国では、国民の民族感情が政府のコントロールを離れた場合、暴発する可能性はある。いくら低くてもその可能性を想定しなければ国の安全保障は成り立たない。

未だに、他の国が日本を護ってくれる、世界は理性的に平和を追求しているなど、現実とは無関係な妄想に基づいて作られた憲法が多数の支持を占めるような日本が、外国の暴力により崩壊する可能性は決して低くはない。30%、50%との数字が挙げられればよいが、そのようなことではなく、ゼロではない限り、戦争になってしまえば100%なのだ。

結局、日本を崩壊させる一番の危険因子は国民の平和ぼけと言うことだろう。戦争が出来る国になるのが日本の右傾化だ、暴力性だと日本の腐れ左翼がわめくが、戦争が出来る国にならなければ戦争を抑えられないとの発想が持てない限り、日本のこの危機は続く。

基本的な国力

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ある記事を書いている最中に次のニュースが目に入った。急遽これを採りあげることにする。

つい最近もアメリカの衰退というエントリーで、中国は大国の定義を理解していないと書いた。大国とは自称する物ではなく、他国からの信頼を得てなる物だと書いたが、当然ながらその信頼には様々な基準がある。経済力、文化発信力、国際社会での発言力、科学技術産業力、そしてむろん軍事力も含まれる。これらが、現代では民主主義の成立に欠かせない民度の高さの上にあることが重要だ。

中国の定義する大国とは、他国から畏怖の念をもたれる国であり、その条件としては何より絶対の軍事力、国土面積、人口、経済力などがそれにふさわしくなければならないという事だとは、何度もこのブログに書いた。他国が畏れる大国は、世界を平和理に支配し、争いはなくなる。それこそが世界平和を実現する方法であり、むろん、その中心として世界を治めるのは中国でなくてはならない。これが中華思想による平和の姿であり、かつて確かにそのような時期があった。中国に従う限り、比較的おおらかに、公平に他民族は扱われていたということだ。その平和を実現するためには、どのような手段を使ってもむろんかまわないし、むしろ謀略で対立者を下すことが出来るのは無駄な血を流さずに済むので戦争による支配よりもよほど理にかなっているというわけだ。

ところが、実際には中国の歴史は血に染まっており、つかの間の太平の世も多くは数十年、長くて100年ほど終わっている。例外的に300年ほどの王朝が明や清などがわずかに有るだけだ。言い換えれば中国の歴史の大半は戦乱に明け暮れ時には人口が半減以上するような状態であって、とうてい強い王朝の元に太平の世が続いたとは言えない。なぜか。力で押さえつけられている間は確かに反抗できないかもしれないが、少しでも押さえつけられる力に隙が出来ればその力に取って代わろうとする勢力が常に存在し、また隙がなければその隙を作るように画策し、さらに太平が続けば内部から腐敗が生じて事故崩壊する事の繰り返しだったからであり、さらに力による平和は、他からの畏怖によってのみ保たれているのだから、他の勢力は決してそれを支えようとはしない。

アメリカが大国であり続けるのは、経済力や軍事力などとともに、その力故のみならず、曲がりなりにも民主主義国家であり先進国と価値観を共有し、力だけで世界を従えようとはしないので、世界がアメリカの地位を支えるからだ。

世界を力で支配するのではなく、他国が自らの意志で支えようとする価値を持っている国が、その意味で大国たる資格があるが、当然ながらそのような国が他国に対し大国を自称し畏怖の念を持つようにし向けたりしない。歯がゆいほど謙虚だからこそ、また世界は安心して支持できるのだ。世界の価値観では、謙虚であることは美徳ではない。自己主張をしないのは、自己主張できるだけの物がないからだと見られるのが普通だが、しかし裏付けのない自己主張をそのまま鵜呑みにするほど世界はウブではない。世界が仰ぎ見る近代国家、世界でウリナラほど急速に発展した国はなく世界の発展途上国の見本だなどと自画自賛する国ほど、他国から無視され馬鹿にされているのは事実だ。

おもしろいデータがある。毎年BBCが実施している国際アンケートでは日本は常に、世界に好影響を与えている国としてトップグループにいる。特亜がしきりに日本が孤立しているというアジアでは、日本は最も好かれている国であり、特亜が最も嫌われている国に並んでいる。それはよく知られている事実なのだが、目を惹くのは自国に対する評価が、日本のみ低く、高評価よりも低評価の率が高い。他国はすべて自国に対する高評価の割合が低評価より高く、特に特亜などは全く天にも昇りかねないほどだ。

日本の謙虚ぶりは世界でも理解不能であり、だからこそ日本全体が理解されていない嫌いが多分にあるが、それも近年人の行き来が活発になりネットで自由に見聞を公開できる時代、日本に対する評価はかなり正当になってきていると思える。特に、阪神大震災、東日本大震災の折りに見せた日本人の姿は、リアルタイムで世界に伝えられ衝撃的な感動を与えた。これは、一朝一夕で成し遂げられる物ではなく、それこそ長年日本が培ってきた文化そのものだと言える。

日本にも悪いやつはいる、中国や寄生国にも善人はいるというレベルの事ではないのだが、それが単なる主観の相違なのではなく数字として証明された。

赤文字は引用

日本の「成人力」世界で突出 「読解力」「数的思考力」トップ OECD調査

 社会生活で求められる成人の能力を測定した初めての「国際成人力調査」(PIAAC=ピアック)で、経済協力開発機構(OECD)加盟など先進24カ国・地域のうち、日本の国別平均点が「読解力」と「数的思考力」でトップだったことが8日、分かった。日本は各国に比べ、成績の下位者の割合が最も少なく、全体的に国民の社会適応能力が高かった。また、生産現場の労働者などいわゆるブルーカラーの能力が高いことも分かった。

日本人の成人が高い学習能力を備えていることは昔から知られていたことでそれが日本という国を作り上げていたことは誰も否定できないはずだが、その能力が職業学歴などに関わらず平均的に高いことは特筆に値する。

日本人が高い教養を平均して備えていたことは江戸時代にすでに世界でも突出した識字率を誇り、出版業が成り立って庶民の間でもベストセラー小説などは争って読まれ、また地方の農民などが専門の農業科学を極め研究成果を残し、日本各地に風土記などが残り、いにしえの文学が広く読み継がれ、神社に算額を掲げて数学問題解答を競っていたなど、学問が一部の貴族や豪商などに限られていた西欧諸国でも見られなかったことだ。

この高い庶民の教養レベルが、西欧とは全く別の経緯で民主主義を獲得したのだが、自ら民主主義を獲得したのは西欧と日本以外にない。

そして、同じように民主主義を獲得しても、日本があくまで一般庶民の高い学識により獲得したのと違い、西欧は身分制度の延長で獲得したという大きな違いがある。そして、それは今でも明らかな相違を西欧と日本の間に作り出している。だからこそ、西欧もまた民主主義体制では遠く日本に及ばないのだと言って良い。

これについては後述する。

 それによると、日本は「読解力」の平均点が500点満点中296点で、OECD平均273点を大きく上回り1位になった。「数的思考力」も、OECD平均269点に対し日本は288点で、2位のフィンランドに6点の差をつけて1位だった。

よく欧米のシンクタンクなどが国際競争力、生産力、幸福度、充実度などをランク付けして発表するが、たいていこのような場合は西欧基準でのランク付けであり、殆どの場合北欧を中心とした西欧諸国がトップグループに入る。が、これらはあくまで西欧のシンクタンクが彼らの基準で判断しているのであり、たとえば毎回この手のランクで上位に挙がる北欧の国々が実際世界にどれだけ貢献しているだろうか。どれだけの影響力を持っているだろうか。結局は彼らの国内だけではむろん充実しているのだろうがその力を国際的に行使しているとは思えない。

そして、世界がうらやむはずの彼らの国々でも日本に及ばない。むろん、260点台で6点の違いだから僅差といえるが、それでも日本がこの手のランキングで彼らに遠く及ばないとすればおかしくないだろうか。それはさておき、

 読解力と数的思考力の得点を「レベル1未満」から「レベル5」まで6段階にわけて分析したところ、日本は下位の「レベル1未満」と「レベル1」の解答者の割合が各国の中で最も少なく、逆に上位の「レベル3」と「レベル4」の割合が最も多かった。最上位の「レベル5」の割合は読解力で4番目、数的思考力で6番目だった。

日本の特徴は、国内での学識レベルに差がないということだ。日本は、資産格差も先進国の中ではかなり小さいほうだが、教育レベルでも差がないということを示している。これは、同じ民主主義国家である西欧諸国が、実は公平な民主主義を実践できていないことを意味する。

民主主義とは言うまでもなく国民が正しく国に関わる問題を理解し、判断し、その判断に沿って代表者を選び立法機関に送る。送った後も、国民が自分たちの代表として代議員を動かすのだが、国民が問題を正しく理解できない場合は、正しく自分の利害も理解できず、政治に無関心になるか、誰かの扇動にのることになる。効果的な民主主義は国民が等しく高い学識、知識を持っていなければならないのだが、西欧の民主主義国家は、エリートが政治を行い庶民は彼らに政治を任せる形を採る。というより、採らざるを得ない。とはいえ、庶民も選挙権を持っているのだから、政治を行うエリート達は庶民の支持を得なければならず、結局目先の利益を約束して支持を得る。

 職業別にみると、各国では現場作業員や農林水産業者らいわゆるブルーカラーの平均点が、事務職やサービス業などいわゆるホワイトカラーの平均点に比べて明らかに低かった。しかし日本ではブルーカラーのレベルも高く、各国のホワイトカラーと同程度か、それ以上だった。

これもまた日欧の明確な相違であり、西欧で経済が金融頼みに偏ったため一度金が回らなくなると深刻な経済不況からなかなか脱することが出来ない。それは、確かに一部のエリート達は優秀な製品を考案するかもしれないが、それを製造し改良するのは現場で働くブルーカラーのはずだ。が、そのブルーカラーの質が欧米では製品を考案するホワイトカラーより知的に劣り、結局言われたことしかしない、そして十分な金を得ることが出来れば製品は言われた品質だけを保てばよいとするクラフトマンシップが当たり前になっている。これでは、伝統製品については確かに熟練した職人は出るだろうが、新しい製品を現場で改良し、それをまた設計に反映することが出来ない。

日本ではブルーカラーがホワイトカラーと同様に製品の性能向上に情熱を注ぎ責任を持つ。常に現場から設計に意見が反映されそれが製品の質を上げる。また日本人は世界で一番厳しい消費者といわれるが、よりよい製品を求めるだけの判断力があるし、その要求に応えてくれるブルーカラーを尊重する。

日本で数百年も続く企業が目白押しなのは、単なる金儲けのうまい人間が尊敬されるのではなく物作りに責任を持つ人間が尊重されるからだし、とうぜん作る人間、売る人間、買う人間が互いに信頼を元に尊重しあっているからだ。職業にかかわらず全員の質が高いことがまた日本の物作りを支えている。そして物作りが唯一富を創出する手段なのだ。

 一方「レベル1未満」から「レベル3」まで4段階で評価された「ITを活用した問題解決能力」については、日本は「レベル2」と「レベル3」の上位者の割合が35%にとどまりOECD平均の34%とほぼ同じだった。文部科学省では「ITの習熟度では課題が残ったが、全体的なレベルが高かったのは基礎基本を重視する義務教育の成果だ。このレベルを維持し、向上していきたい」としている。

IT問題については確かに日本では改良点があるのかもしれないが、そもそも日本には通信インフラ、情報インフラがきわめて高度に発達しており、ITに頼る必要が小さかったなどの事情がある。たとえば、携帯電話やスマホの普及では日本はかなり遅れていることは事実だが、言い換えれば、通信網、情報網が十分に発達していない国々では、スマホやネットが急速に発達するのは当然だろう。

また、識字率の低い国々では文書による情報交換、通信は非常に非効率であり、結局音声や映像によるそれが発達せざるを得ない。規制の通信、情報インフラが極度に普及している国では、それをいきなりITで入れ替わる現象など起きない。今、識字率と書いたが、識字率の定義は様々ある。国によっては、自分の名前さえ書ければ識字者とされる場合もある。むろん、日本でもまともに本を読まない、読めない、文章を書けない人間はたくさん居る。が、それでも世界では日本人はきわめて多くの本を読み、新聞を読んでいる。欧米では、最初からエリート向けの新聞と、庶民向けの新聞が完全に分かれている。そして、多くの庶民は庶民向けの新聞も読まず、テレビだけが情報源になっている。

日本にいるとあまり分からないが、世界の庶民の知的レベルは驚くほど低い。一部のエリートは確かに優れていても、多くの庶民は知的環境にないのだ。いくらブルーカラーの知的レベルが欧米では低いと言っても、中でも特に低い場合、大きな問題になる。

職業スキルでスペインとイタリア最低、成長の足かせに トップは日本=OECD

 OECDは加盟24カ国を対象に、職業スキルを測るこれまでで最も包括的な調査を実施した。その結果、最も労働者の技能が高いのは日本とフィンランドで、米国と英国では若年層の職業能力が上の年齢層に比べて大幅に低いことが明らかになった。

世界の工業レベルを考えると、実際には日本の労働者の技能が突出して高いことが分かるだろう。フィンランドも高いのだろうがいかんせん国家の工業水準は日本には比べるべくもない。英米は、エリートの要求する品質を労働者が保てず、結局物作りをあきらめるしかなかった。これが今のアメリカ経済の衰退の大もとなのではないだろうか。

 スペインとイタリアについての結論は、反省を促すものだ。いずれの国も過去10年間で競争力を失い、貿易赤字と債務が拡大した。貿易収支の黒字化や債務の返済を達成し成長を取り戻すためには、競争力の改善が欠かせない。

 OECD教育局次長のアンドレアス・シュライヒャー氏は「大学卒業資格で比較すれば、スペインは悪くない」としつつ、「だがそれは真実を物語ってはいない。技能の基盤が成長力を抑制するだろう」と述べた。


つまりエリートと労働者階級が明確に別れ、同じ国でありながら全く別の民族のような構造をしている。

 一方、英国と米国は技能の改善度で最下位に沈んだ。将来的な経済成長が、他国より弱い水準にとどまる可能性を示唆している。

総合的な職業能力では日本が24カ国の首位に立った。しかし、OECDが「テクノロジーの豊富な環境」と呼ぶ、情報技術(IT)の整った状況下で問題解決能力を応用する機会に恵まれないことから、スキルを存分に活用できていない点も明らかになった。OECDはこの原因として、流動性を欠く日本型雇用を挙げた。日本が労働者の技能を最大限に生かせれば、長く停滞している経済成長を押し上げられるとの見方も示した。


日本経済が長らく停滞していたなどとは思わないが、一般国民のIT普及では上記に書いたような問題は確かにある。私の身近には、同年代でパソコンもネットも全くさわらない人が実に多い。ネット上では私よりも遙かに年長の人がブログやサイトなどで多彩に活動されているが、それは例外だろうし、じつは若い人たちにもゲームやSNSなどはやってもそれを仕事に本当に役立てているのかを疑わざるを得ない人々が本当に多い。学校ではパソコンを用いた授業をしているそうだが、教師がパソコンを使えずに、パソコン教室も宝の持ち腐れになっているケースがあると聞く。周囲の中小企業でも、パソコン一台持っていないところが実際にある。ネットの利用環境などでは日本は決して遅れてはいないのだが、その利用方法についての教育が遅れているのだろう。

知っている人が高齢者向けのパソコン教室に通っている。自治体がボランティアに講師を頼んでやってもらっているのだが、単なるお茶のみ場と化しており、せっかく買った高いパソコンも年賀状を書くときだけ使い、それも誰かにやってもらうので次の年には忘れている状況だという。メールチェックも思い出したときにするので、実際には全く役立っていない。確かに高齢者の中には無理な人も多いのだろう。

さて、詳細なこの調査に関しての報告が次にあるので、時間があったら読んでみていただきたい。

OECD 国際成人力調査

これは文科省の報告なので日本を中心に書いているが、

Literacy, Numeracy and Problem Solving in Technology-Rich Environments Framework for the OECD survey of Adult Skills

は客観的に書いてあるようだ。(全部読んだわけではないが)

中国が含まれていないが、含まれていたらどうなることか。韓国が早速この記事を採りあげている。韓国の場合、成人力ではなく性甚力で世界でも突出した存在だが、とにかくピントがずれている。

韓国の「成人力」、中高年が足を引っ張り平均レベルに

 しかし、韓国人全体(満16-65歳)の能力はOECDの平均レベルだった。読解力はOECD平均に相当する273点で、チェコ・カナダ・イギリスなどとほぼ同じ。順位では11位だった。数学力とITを活用した問題解決能力は平均よりやや低く15位だった。

いつものことだが、このような報道では日本が突出して一位だったなどとは決して書かない。参加国も書かない。日本など最初から全く無関係のような書き方だが、だからこそ内心悔しくてたまらない様子が想像できる。

 若い世代が高い点数を取りながら、韓国人全体の点数が平均レベルだったのは、高齢者層の点数が低かったからだ。特に満55-65歳のITを活用した問題解決能力はOECD最下位圏だった。このため、韓国は世代により能力差が最も大きい国ということが明らかになった。

とはいえ、その程度の低い高年層が国を動かし、世界で最も卑しい国にしている。そして子供達を教育しているのだから、やがてその子供達も成長して愚劣な大人になるのかと思うと、彼らが何も理解していない、まさに愚かな大人達だと分かる。

韓国成人の数学力・IT活用力 OECD平均に届かず

 韓国は読解力、数学力、ITを活用した問題解決能力のいずれも年齢が低いほど高い傾向にあり、年齢間の能力差が大きい実態が浮き彫りになった。

ITを活用した問題解決能力が何を意味するかはここでは本質ではない。国家の問題を解決する何の役にも立っていないのだ。今の愚かな大人達もかつては若かったのであり、その前の世代からの教育を受けている。ITの問題ではないだろう。

韓国の問題はたとえば性甚力の異常性だが、この記事などもそれを示している。

キルギス政府「韓国男性との結婚NO!」 またもフラれた「嫁不足」大国の悲哀

だが、韓国には女性について「絶対に逃げません」「処女」をうたい文句にするような「人買い」同然の斡旋業者もおり、問題視されている。また夫の暴力などに悩まされる「花嫁」も少なくない。2010年にはベトナム人女性が、結婚からわずか1週間後に韓国人夫に殺される事件もあり、良好だった両国関係を揺るがす事態となった。カンボジアにいたっては、一時的にではあるが「韓国人男性との結婚禁止」を法律で定めたほどだ。現在は両国とも、韓国人との結婚のハードルを大きく上げている。

世界中に売春婦を輸出しながら、日本に売春婦補償、謝罪を求めるような国の大人達が、子供達にこれからどんな洗脳をするのか考えると、国家が成長するには国民のレベルが高くなければならないことをつくづく思う。自画自賛で途上国の星、世界のあこがれ韓流の国どまりだろう。それももうすぐ終わる。

話がずれたが、日本はれっきとした大国だと思う。がそれは自分たちが誇りにしていればよいだけで、世界にそれを宣伝する必要はない。誇りにするとは、不要な謙遜、すぎた自虐から目を覚ます必要があるからだ。

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改めて日本とは

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私はこのブログで何度も、日本は理想のユートピアではないにしろ、世界では次元の違う高度な国だと書いている。結局、世界は日本のようになることを目指している、とも書いているが、それは日本の価値観に同調することが正しいと言うのではない。

おおよそ、まともな国では、国民の安全、健康の質向上を目指して様々な政策を採っているはずだ。そこには言論思想の自由や行動の自由、民主主義の完成などの具体的な目標があるはずだ。

しかし、それに至る道はどの国でも困難を極める。いくら政府がそれを目指しても肝心の国民にその資質がなければ実現できないからだ。民主主義の完成には前提として情報が自由に発信できること、膨大な情報を国民が制限無く受け取れること、相反する情報を国民一人一人がきちんと理解し、判断できることが必要になる。つまり、国民の教育レベルが一定量の水準に達していなければならない。

この一定量の水準とは、決して平均レベルではなく、国民が等しく一定レベルに達していることを意味する。その点、民主主義の先進地域である欧米はけっして国民が等しく一定レベルを有しているわけではない。彼らは身分社会であり、むろん法律で今それが決まっているわけではないが中世からの仕組みがそのまま残っている。エリート階級はきわめて知的レベルが高いが、庶民レベルは文字の読み書きもままならないレベルが多数いる。かろうじて自分の名前を書けると識字に分類されるだけで、文章の意味を理解できない人間は珍しくない。

中世では、エリートに教育を集中することで優れた人材を育て、国の運営を任せることで政治の効率化を図ってきた。庶民は黙ってエリートの決めることを守っていればそれで国はまとまっていた。いわばエリートによる独裁であり、その最も典型的な例が今中国で実施されている。

が西欧においては民主化が進み、今では、政治は多くの国民が支持しなければ何も決められなくなった。が彼の地では相変わらず知的階級が存続したままで、おそらくそれを変えるつもりはないらしい。問題は、独裁国家の多くがそうであるように上流階級独裁国家では被支配層がそれを受け入れている、すなわち自らの知的レベルを上げる意識がそれほど無いと言うことだ。中国などと違い、身分を法律で決めているようなことはないが、国民が自ら自分を高めようとしない、あるいは今のままで十分自分の権利は保障されていると信じている状態ではなかなか改善は難しい。だから、当人達に聞けば自分たちの国に階級社会など無いと反論するだろうし、なにより自分は政治に参加する事になんの支障もないと言うだろう。

が、現実に政治家が支持を得るのは大多数の庶民からであり、その庶民が政策を十分に理解できなければ理解できる政策だけ、あるいは理解できなくても受け入れられる政策を優先することになる。それがポピュリズムだが、国民の知的レベルが平均して高くない地域ではそのポピュリズムが政治を動かす。

欧米の政治家を見ると驚くほどレベルの低い人物が多いことに驚くことがある。イタリアのベルルスコーニ前首相は、着任当時からマフィアとの癒着が噂されていたがそれが問題で辞任に追い込まれたのではなく、児童売春が表沙汰になって辞任した。しかし、今また復権している。そのスローガンは、危機に瀕したイタリア経済を立て直すために緊縮財政を唱える現政権にたいし、緊縮財政反対を主張して国民の支持を得たからだ。

原発にしても賛否を問う国民投票の直前、ローマ法王が露骨な介入をして脱原発を訴えたことで、国内世論が雪崩を打って脱原発に動いた。

イタリアはかつては文化の巨人を多く排出したヨーロッパの先進国だったが、今ではその面影もない。考えてみれば、昔の先進国の時代も、それを実現していたのは貴族や貴族に庇護されていたエリート達であり、庶民はいっさいそれに関与していなかった。大なり小なりヨーロッパは今もそうだと言っていい。そうでなければサルコジ氏のような人物がフランス大統領になったりしない。彼は経済のためにはなりふり構わず人権などお構いなしに中国にすり寄った人間だし、今のメルケルドイツ政権も似たような物だ。

考えてみれば、近代のヨーロッパの政治の歴史はこのようなポピュリズムによる失敗の連続のような気がする。例えば、リーマンショックによる経済破綻から未だにヨーロッパは抜け出せないが、それは物作りの伝統を捨て、金融を経済の柱にしたからではないのか。アメリカも同じで、物作りよりも金融で手っ取り早く稼ぎ国民に豊かな生活を与えた。それが未だにヨーロッパ経済の立ち直れない理由、そしてドイツがそのヨーロッパ経済の牽引薬になっているのは物作りが残り、さらに安くなったユーロで競争力を得て輸出が好調だからだ。

余談だが、日本が開国した当時、政府は岩倉具視を団長とする使節団を派遣し、彼らはドイツの宰相、ビスマルクから、庶民には政治のことは知らせるな、関わらせるなとの言葉を受け、それを当時の政治に取り入れたとされている。

ただ、当時すでに日本の庶民の知識レベルは平均で西欧を大きく凌駕しており、その後の日本は急速に民主化を進め今に至っている。日本の民主主義は、ひとえに日本人の平均的知的レベルの高さ、知識レベルの平均差が形作った物だ。

冒頭で、世界は日本に近づくことを目指していると書いた。それは日本を示す客観的な各種のデータが結局は各国が目指す社会に最も近い物だからだ。

私たちは日本という国を知らない。それは誰も自分の顔を直接見たことがないように、日本の内側から日本人の価値観で見ている限り、外から日本がどう見えるかを理解するのは難しい。そして、日本人は謙遜するのが美徳と考え自らを未熟だといつも言う。それが隣の何かと言えば自画自賛に明け暮れる例の国とは真反対であり、それぞれの言っていることを第三者が予備知識為しに聞けば、隣の妄想国家は日本の遙か上に位置する理想国家であり、日本は何もかも不満足なつまらない国のように思える。なにしろ、世界では謙遜は美徳ではなく、自己主張、自己宣伝こそが当然であって、聞く方はそこから何割か差し引いて判断する。ところが、日本人は自己主張をしないので、何も知らなければよほど日本はつまらない国なのだと思われても仕方がない。その外国人の反応を見て、日本人はなおさら日本はまだまだ未熟な国なのだと本当に思うのではないか。自己主張、自己宣伝の伝統がないとこういう事になる。

だが、普通に考えてみて、日本がなぜ世界でもトップクラスの生活クォリティを得ることが出来たのだろう。日本は未熟だと思っている日本人でも、現実に日本が世界第2位の経済大国であり(中国が世界第2位というのは嘘だが、その理由は何度も書いているので繰り返さない)、日本文化は世界に広まり妄想国家のように国家を上げて売り込んでもせいぜいアジアでそのコンテンツ売り上げの99%を売り、特に日本でその半分近くを売り上げるような偽文化とは違う。日本のことが知られるに連れて、日本文化は着実に世界に広がり、料理などもすでに定着しつつある。日本レストランが儲かるとなると、日本人と区別の付かない人々の国で中国人や韓国人がでたらめの日本食レストランを始めるくらい、日本食は普及していると言っていい。

さらに考えてみて、日本は決して大きな国ではない。面積で世界60位だから小さい方ではないが、大きい国とは言えないだろう。天然資源はない。土地は山岳地帯が主であり、耕作に適さない。自然災害は地震、津波、噴火、台風ときわめて多い。それに比べ、広大な土地、豊富な資源、自然災害の少ない国は無数にあるが、その中で日本がこれほど成功したのはなぜかを考えてみる必要がある。

成功は経済面や技術力だけではない。とにかく日本人は教育レベルが高い。日本にいると実感できないのだろうが、日本人が普通に読む新聞や本などは先進国でも限られた上流階級しか読まないと考えて良い。世界にはきわめてレベルの高い大学が多くあるが、大学進学率は日本の方が断然高い。欧米基準で欧米の大学のレベルがいつも高いランク付けされているが、教育の普及という面では日本の方がよほど進んでいる。

とにかく治安がよい。先進国はおしなべて犯罪発生率が低いが、日本はその中でも桁違いに少なく、性犯罪や凶悪犯などは、世界では発生しないと言いたいくらい少ない。国民皆保険制度のためもあるだろうが、とにかく日本人は長生きする。そして健康寿命、すなわち元気な高齢者が多い。一目で分かるが、日本には肥満した人が本当に少ない。日本で肥満とされるのはBMI、つまり肥満率が25以上の場合を言うが、アメリカなどは30以上を肥満としている。日本人の肥満率は世界最低であり、大都会で人混みの中を歩いても、目を惹くような肥満の人に会うことは本当に少ない。が、アメリカなどでは向こうから来る人来る人全てが肥満に見えるし、200キロくらいありそうな人も珍しくはない。太りすぎて自分で歩けない人が電動スクーターに乗っている姿もよく見る。実際、日本人の平均寿命そして健康寿命は世界のトップクラスであり、これは自画自賛しなくとも客観的な数字で現れている。そのほか、毎年実施される国際アンケートでは、世界に好影響を与える国として常にトップにランクインしているし、ホテル業界などは日本人客が一番好ましいとアンケートの結果を出している。自画自賛しなくとも、客観的な指標なのだから隣の妄想国家がいくら悔しがっても動かし様がない。

日本ほど言論思想が自由な社会も珍しい。日本には何処の国のために働いているのかと思えるような政治家、マスコミ、専門家などが大勢いるがべつにそれで生命財産の危険を感ずることはない。特亜では親日発言は命取りだし、西欧でも例えば宗教批判などをすればつまはじきにされる国は多い。

世界はいずれ日本に近づくことを目標としていると書いたが、日本でなくとも日本のような社会はまともな国が目指す姿であり、結局今の日本に近づくのは当然だろうと言うことだ。

国土も狭く耕作面積ももっと少なく、天然資源もなく様々な自然災害に襲われる、これほど条件の悪い日本がなぜ世界でトップクラス、というより私はあらゆる客観的な指標から間違いなく突出した完成度を有する国だと思っている。経済規模ならアメリカが上だろうが、資産格差がきわめて大きく、犯罪発生率が病的に大きく、戦争ばかりしている国が世界で理想とされる社会を築いているとは到底言い難い。理想ではないとしても世界が目指している社会に一番近いのが日本だと私は断言するが、どうして条件の悪い日本がそうなれたのかを考えてみる必要がある。

無論日本ならではの幸運もあった。島国であるため、歴史の殆どを外的に攻められることなく過ごすことが出来た。四季に恵まれ、豊かな自然にはぐくまれ、四方を海に囲まれていたため海の恵みを受けることが出来、豊かな食料が得られた。外部からの干渉が少なかったため、純粋な文化を築き上げることが出来たなどなどがあるが、これは言い換えれば外部からの刺激が少なく、他文化との交流が少なかったため戦争によって発展すべき技術が遅れた。またそのために外敵と戦う外交能力に劣る、狭い国土で物不足に悩まされ続けた等々のマイナス面とどれだけ釣り合うかは分からない。

結局、日本が様々な不利条件を負いながらそれでも現在の、世界で最も理想に近い(とはいえまだまだ遠いし、理想の社会などは実は存在しないが)国を作り上げることが出来たのかは、全て日本人自身の資質による、という結論に至る。

日本にいれば分からない、日本にいればそれが当たり前と言うことで、外国人から指摘されてそうなのか、と改めて気がつくことはたくさんある。私自身多くの外国人から聞いたことだし、そのつもりで見ると確かにすごいことだと思うのだが、日本には自動販売機が無数にあり、それも人のいないところにたくさんある。海外では有っても必ずそれを管理する人間の目の届く場所にあり、夜などは店内に移動させるか、自販機の前にシャッターが降りたりして使えなくなるケースが多い。そうしないと、自販機荒らしにやられ、時には自販機を担いで盗んでいくやつがいる。

日本では昔、そして田舎では今でも戸口に鍵をかけない家が多いし、夜も窓から中が丸見えの家もかなりある。子供が一人で通学するが、これも世界では珍しい。大抵親が送り迎えするか、まとめてスクールバスで通うのが普通だが、もちろん子供を犯罪から守るためだ。

東京でも真夜中に女性が一人歩きしている。確かにこれで犯罪に逢うこともあるが、海外では女性はむろん、屈強な男でも真夜中に一人歩きできる都会はほとんど無い。これは30年ほど前、外国から来た客を飲みに連れて行ってその帰りに近道の真っ暗な公園を歩いた時に言われた。彼らは暗い公園を歩くことにかなり恐怖を覚えていたようだったが、その公園で若い女性が一人で歩いているのを見て心底驚いたと言っていた。それまで、それが不思議なことだと気がついていなかった。

何より記憶に新しいのは、2年前の東日本大震災の折り、あれだけの大災害の中日本人が落ち着き譲り合い助け合い苦痛に耐えていた姿に世界が驚嘆した報道に接したことだ。あのような時だからみんなで助け合い譲り合ってとにかく力を合わせて一日も早く復興するのは当たり前だろうと考えるが、世界の多くではこのような場合暴動や略奪がおき、強い物が弱い者に与えることなどしないというのだ。無論世界でも助け合いはあるが、それでもこのような災害時の日本人の行動は、世界では信じがたい物だったわけだ。

阪神淡路大震災の時もそうだったし、日本は日ごろからこのような災害が多いがそのたびに日本全国から支援の手が寄せられている。当たり前だと思っていたが、世界では当たり前ではなかったのだ。

日本人自身が気のつかないこのようなことは無数にあり、それも無論外国人から伝えられる。広島だったと思うがあるサッカー試合に6万人の観衆が集まり、試合終了後その観客が引き揚げた後、スタンドにはゴミ一つ落ちていなかったその光景を外国テレビが紹介して、恐ろしい民族だ、との声が世界中から寄せられたとか。また大震災で財産を失い、自分を証明する書類なども失った被災者達に銀行が10万円ずつを貸し出したが、1年後には殆どが返済されたという。

日本に様々な不利有利な条件が有ろうと、絶対的に有利な条件としては日本人そのものが有ると言って良いのではないか。

世界では犯罪発生率の低下、教育レベルの改善、自由、責任、安全、健康、平等などなど様々解決しようとしながら成果が上がらずに苦労している国が殆どだ。むろん、日本も苦労しているが、目標の高さが桁違いに高い。つまり、日本はもっとも高いレベルに達しており、それも近年そうなったわけではない。これも以前からブログに何度も書いているが、日本は開国以前、すでに300年ほども前の江戸時代あるいはそれ以前から世界でも突出した先進国だった。

それについては桃山時代から宣教師などが日本に来て、本国に報告しているが、日本がきわめて秩序のある高い文化を誇る国だと書き送っている。

江戸時代の中期以降には、世界で最も初等教育が普及しており、全国におよそ2万を超す寺子屋があって庶民の子弟に読み書きそろばんを教えていた。人口を考えると、今の小学校の数と遜色がない。したがって、幕末に日本に来た外国人は、日本の庶民が普通に読み書きできることに驚愕している。当時、日本の識字率は男女ともに75%程度だったが、先進国であったはずの西欧でも貴族を中心にもっとも高くて25%程度だった。特亜では文字の読み書きどころか教養とは全て一部の特権階級の物であり、庶民は教育とは無縁だった。

日本では出版業が盛んで、庶民は貸本屋で借りた本を楽しんでいたし、幕府からの通達なども辻辻の高札や町役人などを通して文書で庶民に徹底していた。文字で庶民が意志の疎通を図るなど当時日本以外では必要だとさえ考えられていなかった。

日本が開国して40年程度で世界の強国になり、当時アジアでは並ぶ物がないと言われた清との戦争を制し、10年後には世界で並ぶ物がないと言われたロシア軍との戦争に勝っている。開国後半世紀で日本は世界有数の強国になり、そして先の大戦では世界の主要国を相手にほぼ四年戦い抜き、敗戦の廃墟からまたも半世紀も経たないうちに世界第2位の経済技術大国によみがえった。

なぜこのようなことが出来たのかは、改めて考えてみると、日本人自身の資質が高かったからだと言う結論に達する。世界では日本のことを知らず、東洋の片隅の小さな国と思っていたろうが、実は開国する前から産業技術以外のあらゆる点ですでに日本は世界最先端の国であったし、今では産業技術でも最先端と言っていい。自画自賛をしなくても、宣伝をしなくてもそのことはいやでも世界に知られつつある。それが先の大震災の折りなどで明確に理解されてきたわけだ。

日本では、全てに信用を第一とし、信用を失うことは命を失うことと同義であった。だからこそ、信用で成り立つ為替制度が世界で最も早く実用化され、商品の先物取引が行われ、信用が商売の元手となっていたので、世界でも異例の長寿企業がひしめいている。100年200年の菓子屋、商店など何処の町に出もあるし、300年400年の企業となると世界の殆どが日本にある。私もある地方都市の会社に商談に行き、もらった名刺に創業鎌倉時代というのがあって驚いたことがある。その会社でも正確な創業年月日は分からないが、記録によれば鎌倉時代にすでに有ったとのことだ。

これほど長寿企業が日本に多いのはむろん、戦乱で国土が荒廃したり住民が殺されたりしたことが無く、先祖代々続けてこられたと言うこと。それも信用第一だったからだ。もう一つ、日本人は働くことに責任を持ち、働くことで社会の役に立つことを喜びとしてきた。だから職人でも武士に次ぐ高い地位を与えられるほど尊重されてきたが、日本以外の国では物作りは卑しい身分の者がするとされ、最初に物作りから始めても少し財産が出来るとそれを元手に儲けることを考える。子供に物作りを継がせることもしない。何しろ卑しい事だからだ。

私たちは日本という国をきちんと理解する必要がある。日本は世界で最も優れた国だと私は思う。むろん、私が日本人だからそう思いたいという気持ちもあるだろうが、客観的な指標を見てもそれが客観的な事実だと言えるわけだ。

それでも天国ではないし、もっと改善してゆかなくてはならないだろうし、そしてどんなに時が経っても天国になるわけではなくそのときそのときに新しい問題が生じてくるだろう。

また日本は静かで秩序があるが、堅苦しい、本音が分からない、自由が感じられないなどなどの不満も外国人は言う。が、それはあくまで彼らにとってであり、日本では秩序を保ちルールを守ることで安全と安心を得ているのであり、本音を察することで直接の衝突を避けているのであり、責任を取ることで自由を自ら制限している。すなわち、それは日本人にとってそのほうが過ごしやすいからそうしているのであって、それになじめないのは外国人の方に原因がある。日本人がそれに合わせる必要はない。

最後になるが、おもしろい記事を見つけたので紹介したい。


赤文字は引用

コラム:米国の「日本化」が望ましい理由


確かに、そうした数字を見れば「日本化」の指摘は概ね正しいが、そこには公平な現実描写が欠けている。まず初めに、日本は「失われた20年」といえども、国民は極めて健康な生活を送っており、平均寿命は世界第3位に位置する。平均寿命が日本を上回るのはマカオとモナコだけであり、事実上世界一の長寿国といって差し支えないだろう。暴力犯罪は比較的少なく、民主政治は秩序正しく機能し、官僚機構は市民の安全やインフラ、教育、住宅、医療などの問題に高いレベルで効率よく対処している。国は平和で、国民は豊かだ。中国との緊張関係などを背景に防衛力は増大しているものの、1945年まで社会を支配していた軍国主義の影はもはや跡形もない。

これも何度も書いているが、日本にはうしなわれた20年など無かったのだ。GDPは確かに伸びなかったかも知れないがそれは円高によるデフレのためであり、またその円高を利用して日本は海外に資産を築き上げている。その20年の間に、日本が有する資産は国内の資産の倍になった。言い換えれば、日本国外で動く金が日本に利益をもたらしているので、この20年の間に、日本のGDPは倍になったような物だ。アメリカが、そして他国がうらやんでも出来ない”国は平和で、国民は豊か”な状態は、その倍増した日本の経済力があるからだ。

イタリアの選挙の結果がまた欧州の経済復興の遅れを予想させたため、また安全な資産としての円が買われ、このところ円安傾向だったのがこの2,3日急激な円高に振れた。とうてい20年の停滞があった国の状態ではないだろう。

急速な経済発展に対し、特亜は日本が衰退したと宣伝し、欧米も日本の時代は終わった、これからは中国の時代だと半ば溜飲を下げるような言い方が、結局”失われた20年”と言うことだったのだろうが、そう言われていた日本はその間にも着実に経済力を高めていた。

それこそ、われわれの「日本化」のとらえ方だ。日本の公的債務残高は非常に高水準まで膨れ上がっているが、まだ崩壊はしていない。それは、米国にはない極めて高水準な個人貯蓄に支えられているからだ。低成長の経済は長期的には持ちこたえられないと言う人もいるが、日本経済が過去20年にわたって低成長で持ちこたえてきたのも事実だ。「日本化」を心配する声には、社会の安定、優れた公共サービス、全体的な豊かさは考慮されていない。

日本経済は国内総生産だけが全てではない。過去20年間低成長に耐えてきたのではなく、その20年間も着実に成長してきたから社会の安定、優れた公共サービス、全体的な豊かさを維持発展してこられたのだ。

誰かが犠牲を払ったのではなく、それだけの能力を保ち続けていた日本が、20年間停滞していたなどあり得ない。

確かに、米国の経済システムが進化し、ダイナミズムとイノベーションを発揮できればもっと望ましい。しかし、「日本化」の懸念をヒステリックに喧伝し、医療・教育・社会福祉の充実を伴った低成長や成長鈍化への道を拒絶するのは、米国にとって得策とは言えない。

アメリカがなぜ日本の低成長を宣伝してきたか。物作りは駄目だ、金融こそ利益を生むという主張の正当化のためだ。

理想的ではないにせよ、許容できる結果として日本のような地位を受け入れられなければ、米国にとっては「日本化」より難しい問題が待ち構えることになるだろう。

アメリカが目指すべきは、単に社会サービス、許容できる結果などではない。アメリカは拡大し続ける不公平社会の改善、資産格差の拡大の改善、教育レベルの改善、犯罪発生率の低下策など日本が遙か先に行っていて背中さえ見えないその理想を追い求めなければならない。その現実をアメリカはまだ見ていない。だからこそ、中国に価値があると見えるのだろう。

世界が日本の本当の価値に気がつく日が来るかどうかは分からない。だが、日本人は真の日本の価値を理解するべきだと思う。だからといって決しておごることなく、改めて日本の価値を失わずさらなる高みを目指して努力するためにも、真の日本の価値を日本人が知るべきだと思うわけだ。

上記に引用されているURLの記事を読む場合は下記の「続きを読む」をクリックしてくだい。内容確認以外なら、敢えて読む必要はありません

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言論思想の自由と言うこと

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思想言論の自由とは、人間の生存権に次ぐ非常に重要な権利だと思っている。なぜなら、人間が人間として生きる要素として物を考え発言することが不可欠だからだ。生存権だけでは、人間としての生存が意味を持たない。

したがって、ほぼ世界中の国では法律で思想言論の自由を保障している。むろん、あの北朝鮮でも中国でも法律上はそうなっているが、彼らの法律など単なる冗談なので誰も彼の国々で思想言論の自由が存在するなど、間違いでも考えはしない。

また、宗教原理国家では、神を冒涜する言葉は時に死刑に値する。また多くの独裁国家では政府批判も死刑になりかねない。

つまり思想言論の自由とは、これらの国々ではあくまで政府が認める範囲での思想言論の自由なのであり、欧米や日本のように、実際に総理大臣を物体と言ったり癌総理だと言ったり土鳩などと不届きなことを言っても警察官が家に押し掛けてくることはない。

しかし、法律でどのように思想言論が保証されていようと、事実上はある話題に限ってタブーとなる国は多々ある。欧米ではナチス擁護やホロコースト否定の主張を公にした場合は刑事罰の対象になる。これはどのような格好付けをしようと、言論封殺に他ならない。ホロコーストが事実かどうかは常に検証の対象になりうるからだ。

隣の妄想半島では、従軍慰安婦が唯の売春婦だったと言った言ったソウル大学の李栄薫教授は、批判者に暴力をふるわれ、売春婦の前で土下座をさせられた。芸能人が日本を褒めるとタレント生命が断たれ、ジャーナリストが竹島は日本領だと言えば社会的生命を失う。

口にすることさえ出来ない、事実かどうかの検証も出来ないのであれば、これも思想言論が封殺された社会だと言える。

日本では、竹島が韓国領だと主張しようが、天皇が50万人の17歳の少女を売春婦に売って戦争の費用を作りだしたと言おうが、朝鮮人女性を20万人性奴隷にしたと言おうが、国会議員にもなれる。

このような国は他にはないのではないか?アメリカの政治家で、ナチスは正当だったとか、アメリカの戦争は間違っていたなどという人物が居るだろうか。法的にはそのような主張も別に禁じられてはないのかもしれないが、実際に支持を集めて議員になれるのだろうか。アメリカを憎み、アメリカを毀損する主張をする議員が存在するだろうか。私は寡聞にして聞いたことがない。

かつて、湾岸戦争の折、開戦に対して反対だと主張した高校生だったと記憶するが学校にいられなくなり、退学を余儀なくされた事件があったと記憶している。つまり、アメリカも法的な保証とは別に、言論封殺社会であると言える。

ちょっと寄り道するが、先年トヨタの事故がきっかけで公聴会が開かれ、豊田社長が呼びつけられつるし上げられ、アメリカ全土にその様子が放映された。そしてその後、あの事故が半ばでっち上げであることが判明し、アメリカのこの騒ぎは下火になったが、丁度あの震災でトヨタの生産高が落ちて対米輸出量が減った次期と重なる。即ち、事実が明らかになったからあの騒ぎが下火になったのではなく、トヨタの業績が落ちたから下火になったのだ。

そして、今回このような記事がでた。

赤文字は引用

トヨタ車の電子制御問題、米アカデミー再び「シロ」判定

2012.1.19 10:21

 2009-10年のトヨタ自動車の大規模リコール(無料の回収・修理)に発展した急加速問題について調査していた米科学アカデミーは18日、トヨタの電子制御システムに問題はなかったとの調査結果を発表した。

 昨年2月に米運輸省も欠陥はないとの見解を示しており、今回の発表で、トヨタの電子制御をめぐる調査は終了したことになる。


 非常に後味が悪いのだが、かつてココム違反と称して東芝がアメリカで大批判を浴びアメリカの東芝社員が後手錠で連行される姿が全米の放映された。1987年のことだ。それは丁度東芝がラップトップで大躍進をし、アメリカに大量に売っていた次期と重なっていたと思われる。その2年後に東芝は世界初のノートブックパソコンを発売したのだが、あとになって分かったのは、IBMパソコンが大量にソ連に渡っていた事実だ。
 
 結局アメリカは、自分たちのライバルに対しては手段を選ばずにどのようなことでもする。今回、トヨタが無実であることが分かっても、アメリカ政府がトヨタに対して支払いを命令した罰金が戻されるわけではないし、そしてアメリカ政府がトヨタに対して謝罪するわけでもない。あの空涙まで流して偽証をした女が処罰されるわけでもない。当時の運輸長官が責任を問われるわけでもない。
 
 アメリカは、自分たちの製品が売れなくなると必ず相手が不正をしていると考える。自動車では何度も煮え湯を飲まされているし、そして今回も日本の軽自動車規定を止めるべきだ等と言っている。
 
 これらのアメリカの一連のやり方を見ていると、全て日系企業への集中攻撃であり、同じライバルであるはずのヨーロッパ企業に向けられることはない。恰も、戦争中の敵対国の内、日系人だけを強制キャンプに収容した歴史を今も繰り返しているかのように思える。アメリカには、日系企業の思想言論の自由はない。そのように結論づけるしかないのだが、日本でそのような事例があるだろうか。
 
 さて、話を元に戻し、日本がある意味極めて特殊な思想言論の自由を保障している国であることは、どうも明らかなようで、上記のように日本を敵視する人間が国会議員でいられるなどもその例だし、先日もエントリー「犯罪者達を断罪すべき時」で書いたが、明らかな嘘で日本を貶める輩を名誉毀損や侮国の罪で刑事罰に問うべきだと言うのは、決して言論弾圧ではない。
 
 上記のホロコーストの検証などは常に存在する問題だと書いたが、彼らは従軍慰安婦、南京虐殺、強制連行などなど全く検証をしない。検証をせずに国家を貶めるのであれば、これは思想言論の自由とはほど遠いはずだ。
 
 自由には必ず責任が伴う。自由とは好き勝手ではない。自らの自由で他者の自由を妨げるときは妥協しなければならず他者を傷つけるときはその正当な理由が証明されなければならないだろう。
 
 しかしこれらの者達は決してその責任を果たそうとしない。
 
 今回も、卒業式の折国歌斉唱の際起立しなかった教師達を処罰したのは正当であるとの判決が出たが、一方、悪質な二人を除いて停職処分まで行う理由にはならないとの判決でもあった。今回の判決で、教師に対する処分が適法とされたのは、あくまで彼らが校長などの指示に従わない規律違反であり、それが卒業式を妨害する甚だしい違法行為とまでは言えないと言うことらしいが、それは趣旨が違うだろう。
 
 むろん、個人が頭の中で日本国に対して憎悪を感じていようと、それは個人の問題であり、そのこと自体は別にかまわない。が、公立の学校とは直接間接に国家機関であり、そこで教育に関わる公務員であるならば国家に対する敬意を教育すべきではないのか。それがいやなら国家公務員である教師になどなるべきではなかったのだ。
 
 したがって、個人の心情はどうであれ、公務員としての義務を果たしていない、すなわち国旗国歌に対して敬意を払わないことが違法なのであって、卒業式を妨害したことだけが問題とされた今回の判決は間違っている。
 
 日本という国に対してどのように思うかは個人の問題であり、日本国民でありながら日本国に敵意を持つことも自由と言えば自由だ。だが、それを言動で表現し、事実の証明もせずに日本国を侮辱し貶めることまでが許されるとすれば、それは思想言論の自由をはき違えているのではないのか。
 
 人を殺して何が悪いんですか、と言う子供に対し、人は生きる権利があり他人のそれを断ち切る権利は誰にもないと教えるべきであるのと同様、自由や権利には責任が伴う、その責任とは、理由無く人を傷つけないことだと、日本人は本当に理解しているのだろうか。
 
 自分の都合で他者の権利を踏みにじるアメリカ人と、ある面同じなのではないかと思えることがある。
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