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食糧自給率

世界の人口は今や爆発的に増えてきて、食糧危機が迫っているとはおそらく何十年も前から言われていたようだ。が、実際は食糧危機が身近に迫ってきたというニュースは無いようだ。むろん、途上国や貧困国では実際に食糧危機が深刻だが、その理由も国内の戦闘などで食料生産が出来ないなどが主原因に思える。

さて、世界で食糧が自給できる国はほんの数カ国と言って良く、カナダ、オーストラリア、米国、フランスだそうだ。三カ国は国土面積が広く、フランスはそれらほどではないがかなりおおきな国でありしかも平野部が多くて耕作地が広い。

日本の自給率はカロリーベースで40%ほど。つまり多くを海外から買わなくてはならないが、今のところそれだけの金があるから食糧危機にはなっていない。日本はとにかく耕地面積が狭く、天候にも恵まれていないので農業生産には不適当なのだが、それでも食品が無駄になり捨てられる率が極めて高くて何度も問題になっている。しかし、改善される気配は無い。

たとえば、同じカロリーを摂取するにも、一匹億単位のマグロや、数百万円の牛が実際に売れると言うことだからなけなしの金で海外から食料を買いあさっているわけではなく、同じカロリーを養殖した魚や豚などで取ればそれだけのコストで何倍何十倍もの量が摂れるはずだ。

実際、戦後の食糧難の時はみんなが大変な思いをして食べ物を手に入れていたというし、私自身は記憶が無いが親は大変な思いをして食料を手に入れていたらしい。自分では記憶が無いが、それこそ今なら誰も見向きもしない腐りかけの芋や食べられる野草なども食べたという。が、今では毎年六百万トン以上もの食料が無駄に捨てられている。つまり日本が金を持っているからそうなったのであり今でも金のない国では戦後の日本のようなことが起きている。

ところで、日本では農家の後継者がいなくて専業農家が急速に減っているそうだ。ということは、今でさえ小さな食糧自給率がまた下がる事になりかねないわけだ。

しかし、食料生産も技術が進み、例えば米などを大きな建物の何層にも作った田んぼで作り、肥料や水、そして人工の光を当て温度を適切に保てば、年に三回も米が摂れる。自然に任せるのと違い、凶作の年など無いし、害虫なども排除できる。となると殺虫剤などを使う必要は無くなる。とにかく同じ面積で何層にも田んぼを作れば、結果として自然栽培の十数倍の米が作れることになる。基本的に全ての野菜がそうだろう。漁業はかなりの品種が養殖されるようになっているし、基本牛も豚もニワトリも工場で管理して飼育すれば最大限の効率で食料が得られる。

つまり、技術と金、むろんエネルギーが供給できれば農業は地下でも出来るのだ。集中し大量生産することでエネルギー効率も良くなるだろうし、とうぜん人手も要らなくなる。つまりは、自然に任せる農業では無く工場で管理した農業が実用化されれば食料生産は飛躍的に上がるのだが、さらに日本で作るよりは海外で作った方がよほど安く出来るからそうしている。工業製品の説明でも書いたが、日本で作ると高くなる製品は、海外で作った方が良い物が無数にある。そして現実に多くの食料が日本の資本による海外農場で作られている。当然だが、流通や保管の技術改革で無駄に捨てられる食料も減らせるだろうしそもそも国民の意識改革で無駄は減らせると思う。

食料は確かに生命の維持のために必要不可欠だが、また人間の娯楽であり趣味であり単に食べられれば良いという物ではないのは当たり前だが、今の世界情勢だから海外で生産し日本に持ち込むあるいは金に飽かせて海外から買うやり方も通用するが、世界情勢が変化すれば、戦後の食糧危機のようなことは十分起きうる。やはり食糧確保も国家の安全に大きく関わっているのだ。

エネルギーさえ有れば、おそらく日本の食糧自給率は100%になり得る。そして、そのエネルギーは今ほとんど自給できていないのだから、すなわち食糧の自給率は、エネルギーの自給率によって制限されているわけだ。これを理解すれば、何をすべきか分かるはずだ。





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農業問題

平成22年03月06日

 民主党の目玉、集票撒き餌政策の一つとして、個別農家補償制度がある。これは農家の農作物が市場価格よりも低くなった場合その差額を政府が支援するというありがたい制度。目的は、日本の農家離れが激しく、いまや農業は老人が支えているので、このままでは日本農業が衰退し、今でさえ40%を切っている日本の食料自給率が下がる。これは安全保障上きわめて危険なので、農家を保護する必要がある、と言う理屈だ。
 
 そもそも、農業に対する保護は世界中にあることであり、日本が農家を支援しても当たり前だという理屈もある。
 
 たしかに国家の成立過程に於いて農業は産業の基本であり、結局はその国の農業でどれだけの国民を養えるかが国力を意味していた時代が長かった。その時期でも無論農業は天候に左右されるので、十分に余力を持った農業は国家の基盤であり、事実大半の国は国民の殆どが農民であった。そしてしっかりとした農業の上に商工業が発達してきて、やがて商工業が十分に発達してくると、まず軍事力を蓄え他国を侵略し植民地化して食料を調達することが普通になった。一度そうして他国を支配するようになると、商工業はますます力を付け、農民の数は減ってくる。なにしろ、農業は不安定であり労働力に対して利益が少なく、どこの国でも農民は収奪の対象にされてきたからだ。
 
 今先進国と言える国々でも食糧の確保はきわめて大切な問題であり、アメリカなどは余剰食糧生産力は世界一だし、ヨーロッパでも軒並み食料生産力が高く、一方途上国は軒並み食料生産力が低い。だから日本でも食料生産力を上げ、自給率を高めなければならず、農家を支援して農業離れをくい止めなければならないと言うのだ。
 
 だが、この結果に至るまで何重もの嘘がある。
 
 大体において戦後まだ農業人口が70%以上を占めていた頃、農民の支持を得るために自民がさんざん農業に垂れ流し補助をしたのが元々の農業保護であり、けっして高邁な国家の将来像を見つめての話ではない。そして、民主は同じ手法を農家に対して行っているとしか思えない。
 
 日本は平野部が少なく農業に適した平野が少ない。しかし、その日本でも今は遊休地や休耕田が非常に多く、農業ちが最大限利用されているわけではないが、税制の仕組みからそれらの休耕農地が他に転用されることが無い。農地の転売がやはり税制の問題から難しく、農業を離れた人間がそのまま土地だけを持っている不在地主が多く、これがまた日本農業の競争力を落としている。
 
 これは最初から農業が個人経営で行われるべきだとの概念があるからであり、そうでなければ票に結びつかないからとしか思えない。
 
 小規模農家にとって、人力での農業はきわめて非効率であり重労働であり、天候などのリスクがあるのだから、若い人間の魅力がない農業離れは当たり前だろう。また、高齢者にとって人力での農業は無理だからどうしても機械を買わなくてはならないが、狭い土地で機械を買っても十分に使いこなせない。結局、機械のローンを支払うために農業をやっているようなことになる。
 
 このような農家にしてみれば、結局は高く売れる農作物を作るしか利益を上げられないので、一個千円もするリンゴだとか、高級な花とか、芸術品のようなコメを作ることになる。ますます人件費はかかりリスクは高まり、そして外国産の安い農産物に価格では太刀打ち出来ないことになる。もちろん、消費者は毎日食べる食料に芸術品の金は払えないから、どうしても安く買いたたく。
 
 いわば典型的な話であり、全てがこれに当てはまるわけではないが、大体において日本農業は農家の努力にもかかわらず、どうしてこれほど効率が悪いのかと思えるほどだ。
 
 結局は農家が個人経営であるべきとの認識に問題があるのだろう。たしかに世界を見ても農業は個人経営であるケースが多い。世界一の食料生産国であるアメリカは人口のたった5%の農民、すなわち3億の人口の内の1500万人が世界の食糧生産のかなりを支えていることになるが、この殆どの農家が個人経営だ。ただし、土地の広さが桁違いであり、種まきや肥料散布を飛行機でやる規模だから機械化もできるし、また機械でしか出来ない。昔は奴隷を使っていたが、機械が発達してからはその必要が無くなった。
 
 それだけの広さがあると、もちろん機械を使っても十分に採算がとれる。ただし、一旦気候不順になったり、最近の地下水の枯渇などが大きく影響することはあるが、今のところは十分な採算がとれているようだ。だから、5%の農民の若年層の農業離れはあまり聞かないし、農業以外の平地も腐るほどある。
 
 日本の場合はアメリカのような機械化は無理としても、日本の農地に適した機械化は日本の技術力により可能だし、現実に日本の農業機械は海外でも好評だ。ただし、農地が細切れであれば確かに効率は悪い。
 
 結局、農家が個人経営だったのは、農家が労働集約産業だった時代のことであり、今はむしろ日本でも遊休地をまとめて大型化し、大規模経営をすれば効率は上がるだろう。
 
 リスクを分散出来るのと専門の研究担当、開発担当、購入担当、販売担当を分業出来るので、もっともその時代に適した生産が可能になる。個人農業の場合、交渉力が弱いので、機械を買うにしても販売会社の言うなりになるしかないし、また農作物を売るにしても買い取り業者の言いなりになるしかない。しかし会社組織で専門の購入、販売担当が力を持てば、交渉力も上がるし、また消費者の需要に合わせて最適の出荷が可能になる。
 
 一例として、キュウリは曲がった物が箱に入りにくく結局まっすぐな物が市場で喜ばれるし輸送コストの節約になると言うが、大量にコンテナで運び消費者に届けてしまえば、味さえ同じなら不揃いでも買う消費者は多い。むろん、まっすぐなキュウリが欲しいと言う消費者にはそれを選別して高く売ればよいだけのこと。なんなら農業会社がそのまま輸送し、消費地で販売しても良いし、加工食品の会社に半加工して売り込めば、今まで捨てていた曲がりキュウリ、傷物野菜も収入につながる。また豊作貧乏を避ける計画栽培もやりやすくなるだろうし、余った作物を保存の出来る加工品、漬け物や乾燥品、冷凍品、フリージングドライ、ジュース、ジャムなどにすることも、大規模組織であれば可能だろう。
 
 だから、個別支援などという不公平なばらまきなどをしても農家の生産性など上がるわけが無く、土地税制などを変えて農業も企業が行うようにすれば、農業生産は効率が上がる。
 
 次に日本の食糧自給率が低いから上げなければならないとの主張にも多くの嘘がある。まず、食料生産が上がっても、結局外国から買っている燃料、飼料、肥料などが止まれば、日本の農業自体が出来なくなる。したがって、これらの資材を買いながら日本の食料生産だけを上げても結果として安全保障にはあまり関係がない。
 
 また、日本の食糧自給率40%と言うが、まずその中には年間1000万トンもの廃棄食料が入っている。この量は、食料全体の4分の1に達するとされている。また、この数字はカロリーベースであり、コメを食べても肉を食べてもカロリーだけで計算しているので、食品の種類は無視している。
 
 しかし、1キロの牛肉を作るのに、10キロの穀物が消費されているのであれば、最初から10キロの穀物を食べればもっと多くのカロリーがえられる。むろん、人間はタンパク質もビタミンも摂らなければならないから、穀物だけ食べてカロリー摂取をすればよいのではないが、カロリーベースでの食糧自給率は一切これを無視している。
 
 本来畜肉が食料として有利なのは、人間がそのままでは食べられない草や残飯を牛豚が食べ、そうすることによって間接的に人間が草を肉という形にして摂取することが出来る点だ。したがって、日本の畜産が放牧だけで山野の草を飼料としているだけなら、もちろん非常に有益だが、わざわざ人間が食べられるトウモロコシや麦、コメを牛や鶏に食べさせているのでは、本来の食糧自給と考えるべきではないはずだ。
 
 また食料を大量に輸入していながらコメがあまり、強制的に米作りを止めさせなければならないほどだ。つまり、コメを食べれば済むところ、米離れが進んだために自給率が落ちた面も大きい。コメは反辺りの収量が小麦よりも多い勝れた穀物であり、小麦の輸入を止めてコメを栽培すれば自給率は上がる。
 
 要するに、食糧自給率が低いのは、そうする方が有利だからそうなっているだけのことであり、いくら農家に金をつぎ込んでも農家は金になる食料を作るだけであり生産量が上がるわけではない。そして高額野菜との差額を支援するとなれば、その金はますます増える。
 
 それに天候リスクがあるから農家を保護するというのであれば、市場のリスクがある製造業はどうして保護しないのか、客の気まぐれというリスクのあるサービス業はどうして保護しないのか。
 
 個人経営の農家の努力はむろん尊いし、あくまで日本は自由の国だから個人農家を辞めてしまえと強制は出来ない。しかし、農業全体を考えるとき個人農家を保護することは決して日本農業の活性化には結びつかない。
 
 日本なりに大規模化し、効率の高い農業をもっと支援すべきだろう。
 
 海外に契約農場を作るなりして安定した食料輸入をするのは、決して悪いアイデアではない。コストを考えると、無理に日本で保護政策までして食料を作ることはある意味無駄だ。
 
 むろん、国内である程度の食糧自給は必要だが、それは大規模農業でやればよい。また国内での食料の廃棄を最低限にするための法改正や一般教育が必要だろう。賞味期間が1日過ぎただけ、あるいは賞味期限間近で廃棄される食料が大量に発生するのはどう考えても間違っている。保存期間はもちろん厳格に決めなくてはならないだろうが、賞味期間は安全性には関係がない。
 
 輸送、貯蔵、加工技術の進化で、食料の無駄も省けるだろうし、なにより、メタボリックシンドロームが社会現象になっている日本が食糧不足になるなど、当分はない。あくまで意識改革、それは生産から消費までの意識改革が必要と言うことだ。