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改めて天皇制


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今日は令和天皇が即位を宣言される即位礼正殿の儀が実施される。それにちなんで、

世界には凡そ30の君主国があり、ほぼ全ては象徴としての君主だ。絶対君主は一,二カ国に過ぎない。そもそも、古代国家は全て君主国でありそれも絶対君主だった。近代では、それらのほとんどが名ばかりの君主制であり、また近代になって分離独立などで出来た国に君主国家は無い。

ところで日本は君主国家であり(日本が君主国家かどうかには異論もあるが、日本国の象徴として選挙ではなく国家成立時から存続している家柄による君主という意味)、世界で唯一天皇の称号を持っている。英語ではエンペラーだが、これは王を任命する立場の称号であり、別名キングオブキングスと言う。

本来王とは皇帝に領地を任され、皇帝によって任命された者を言うのだから、確かにかつて天皇は征夷大将軍や関白を任命し日本を治めさせたので間違いは無い。歴代の将軍達は全て天皇の臣下であることで権威を示した。

世界で唯一の天皇(皇帝)は、また世界最古の皇帝とされている。ただ、初代の天皇は日本を作った天照大神の子孫である神武天皇だが、むろんそれは伝説の存在であり実在したとは今では誰も思っていない。実在した天皇としてはこれも諸説あるが、26代継体天皇の前は実在かどうかで意見が分かれている。

むろん、昔は神武天皇から脈々と当代まで血脈が伝えられていると信じられていたし、そもそも天照大神も実在したと当然のように考えられたいた。今の天皇家も実在した天照大神の直系の子孫神武天皇から続いているとされているが別にこれを史実としているわけではない。天皇のいわば概念の様な物であり、日本国の象徴、日本国民の象徴として存在しているのだから、天照大神の直系の子孫としても全く構わない。学術研究とは無関係のたんなる様式と言うことだ。

天皇陛下といえども一人の人間であることは事実だが、天皇と言う存在は日本国であり日本人の象徴と言うことで、人間ではない。だから伝説の天照大神とのつながりがあったとしても全く構わないのは、いわば日本という国日本人という国民をそのように表現した存在だからだ。学術的な事実とは全く別の話だ。とうぜん、学術的な事実をそれで否定するものではない。

私自身は天皇陛下に対する個人崇拝は全くしていないが日本国、日本人への深い思い入れはあり、その象徴として天皇陛下を見ている。またたまたま現天皇も平成天皇も個人的には全く知らないがただ見聞きする限りにおいては人格的にも極めて優れた方々のようだ。それなら、個人的な尊敬の念はもつが、天皇であろうが無かろうが関係の無いことだ。

日本の天皇は何一つ命令はしない。崇拝することを強要もしない。が、今大半の日本人が天皇制を支持し天皇を敬愛しているのは各種調査でも明かだが、個人崇拝ではなく日本という国の象徴に対する敬愛だろう。また時折見聞きする天皇陛下の人間性に敬愛の念を持つ事はあるだろうが、もしかしたらそれも天皇制支持に関係があるのかもしれない。

あいちトリエンナーレで不自由なこともアーティストの表現の自由などとほざくウナギ犬(大村愛機県知事)や金髪豚に不快の念を抱くのも、誰にしろ個人をこの様に侮辱することが自由だ等と考える馬鹿共ということもさることながら、日本国、日本人を侮辱する輩に対する不快感、嫌悪感だろう。今後これらの馬鹿者共にはきっちりと責任を取らせるべきと思う。

つい話題が逸れてしまったが、日本の天皇制はかつては悪用されたとしても同じ様なことが起きない限り未来永劫続いて欲しいと思う。



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女系天皇(2)

先に女系天皇でも良いのではないかとの記事を書いたが、もうすこし補足して書くことにした。

女系天皇にすべきなのではなく、男系でなければ皇統が維持出来ないという意識の変化が前提となる。つまり、国民が納得するなら女系でも全く問題は無い筈。国民の総意が皇統を維持すると考えるべきだろうし、それだから国民の象徴と言える。

男女同権であるべきとは全く別の次元の話であり、皇統とは何かを国民が決めれば良いだけのことで、そこに女系の皇統があっても不思議で無い。なお、過去の女性天皇で女系の皇統になた事は少なくとも記録上は無い。ただ、皇室の祖先が伝説の天照大神であり、それを伝説と知りながら国民が受け入れているなら、女系による皇統の維持も別に問題にはならない筈だ。あくまで国民が受け入れればの話だが。

ということで、女性天皇と女系天皇は全く別物であり、まず女性天皇が認められた場合は、例えば現天皇陛下ご夫妻の長女、愛子内親王が次代天皇となる。が、彼女が誰と結婚しようと、現在宮家には該当者がいないので、次期天皇は彼女の子供ではなく、男性皇族から選ばれるので、結局は秋篠宮家ご長男悠仁殿下と言うことになる。が、当然ながら愛子内親王と悠仁殿下は五歳違いであり、悠仁殿下が愛子天皇の次期天皇に即位するのはまず無いと考えられるが、彼の子供が男性であれば当然皇位継承権を持つことになるし、女性天皇が認められるなら彼の娘が愛子内親王の次の天皇となる可能性がある。女性天皇が認められるなら、それで男系の皇統が維持出来ることになる。

次に、本来皇族とされる宮家はもっと多くあったが、戦後米国の圧力により、多くが皇籍を離れたとされており、今も彼らの子孫は多く存在する。当然男性もいるはずであり、この時期皇籍を離れた旧宮家を元に戻せば男系皇籍は保てる。ただし、皇孫としての教育を受けていないので、それが直ちに実現出来るかどうかは別の話だが、将来の皇位継承者としてはあり得るだろう。

本来、かつての天皇は多くの側室を持っていた。これは昔の大名や将軍なども同じで、とにかく子供を沢山作っておく必要があったからだが、今と違い子供がまともに育つ可能性が低かったために、子供の数、特に男子の後継者を確保しておく必要があったからだ。が、現在では天皇陛下に側室を持って頂くことは出来ない。

ところで、もう一つの選択肢、つまり女系天皇を認めるか否かなのだが、そもそも男系でなければ家計が途絶えるというのはそのような考え方が一般に常識として存在するからであり、実際に日本人の意識にそれがあってそれ以外は皇孫と認められないというなら、おそらくその通りにすべきだろう。科学的、あるいは概念としての家系が皇室にも求められるなら、とうぜん女系天皇は認められない。

私の言うのは、あくまで天皇とは国民の象徴であり、国民が認めるから天皇なのだ。したがって、女系の皇孫を認めないなら別に科学的根拠を持ち出して反対するつもりも無い。男女同権がどうしたこうしたという問題でもないのだ。あたかも、土俵に女性が上がってはならないというしきたりに別に文句を言うつもりも無いのと同じであり、そのようにしきたりがあるならそれを変える理由は無い。

その上で、あくまで日本人の意識で女系天皇が認められないならそれで構わないが、ただ考え方、概念を変えられないのかどうかを考える機会はあっても良いと思う。

日本の皇室は、科学的根拠で存在するのではなく伝説に発する日本の象徴として意味がある。皇祖が天照大神ではない事は誰でも知っているが、それでも皇祖が天照大神として何の問題も無い。神武天皇が伝説の存在であることは誰でも知っているが、それでも皇室が連綿と神武天皇から続いていることにしておいても全く何の問題も無いのと同じ事だ。問題が無いと国民が考えるならば女性天皇も女系天皇も問題がないと言うことだ。


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女系天皇

先日だが「皇位継承権」と題した記事を書いた。それに就きある方から女性に皇位を継承させることは望ましくないとのコメントを頂き、改めてこの問題を考えてみることにした。

おりから政府でも女性に皇位を継承させるべきか否かの検討を始める、すでに始めているとの記事もあるようだ。もとより、憲法には天皇が国家の象徴である旨明記されているが、男性に限るとも女系は認めないとも規定はしていない。

また、最近にわかに立憲民主党が女系天皇を認めるべきだと主張し始めたり他の野党が相乗りしたりで問題になっているようだが、彼らが急にこの問題を採り上げ始めたのは勘ぐって言えば人気とり、男女同権主義者の取り込みを狙ったものと思われる。なお、共産党は天皇制反対であり、党内自称天皇在位19年、予定では20年以上の志位委員長が言っている。それはともかく、

私自身は別に立憲民主党とは関係なく、女系天皇も有って問題なしと考えている。女系天皇の最大の問題は、男子の皇位継承者が一般人の女性と結婚し、その第一子が女性で皇統を継承すれば、一般人の家系が皇統をその後引き継いで行くことになり、結果として代々引き継いできた日本の皇統が途絶えてしまうということだろう。

が、それで皇室の家系が途絶えるとは、あくまで男性が家系を引き継ぐとの思想によるものだろうが、そもそも家系という概念を変えても何ら不都合は無いと思うのだが。あくまでそれを認めるか認めないかの意識の違いだろう。

現実には日本では皇室の血筋は何度か途絶えているとされているが、皇統の書き換えで万世一系を維持してきたとしか考えられないのだ。大体が、天皇家は天照大神を皇祖としているが、たしかに昔ならそれが信じられていた。が、現代でそれを信じている日本人はいない。また神武天皇以来、万世一系とされながら、最近では地方の豪族の争いにより、天皇の地位は何度も入れ替わっていたとされる説が有力視されている。そもそも、神武天皇から何代かは伝説上の存在であり、実在が確認されているのはせいぜい十代以降くらいだろうが、それでも勘定あわせのために仁徳天皇などは百四十歳過ぎまで生きていたことになっている。百歳越えの天皇が十人くらい居そうだし、七十,八十歳の天皇も多数いた。現代と違い、当時でその長寿は考えにくい。

とにかく古代においては人数あわせのために架空の天皇を実在とし、年齢で合わせてるなどしている。現実に天皇という地位が定まったのは遥か後年であり、古代においては複数の豪族の長が時に応じて最高の地位に就き、それを後からつぎはぎして一系にまとめたに過ぎない。

さて、今後どのように証明されて行くかは分からないが、いずれにせよ古代においてこのような事実があり、それを近年戦後まで率い継いできている。私はそれを全く問題とは考えていない。科学的根拠や学説がどのように出てきても、日本人が今の皇室を皇室と認めその象徴として天照大神の子孫であり神武天皇以来万世一系を保ってきたとしてもそれはあくまで意識の問題であり、なんらとやかく言うことではないと思う。

人に依れば、天皇を選挙で選べば良いとする意見もあるが、それは全く次元の異なることであり、それを天皇とは言わない。あくまで大統領だろう。キリスト教圏ではある意味、王も法王に特定の地方の治世を任された存在であって、法王が必要とあれば血筋と関係なく指名することが出来た。むろん、現代ではそのようなことは無いが、西欧の王とはそのような物、アジアにも古い王国はあるが、カンボジアなどでは複数の王家が回り持ちで王位を継承しているなど、在り方は様々だ。いずれにせよ、日本の皇室とは全く異なる。また現代において、政治の実権を握っている王家はほとんど無いが、大体が海外でも王家はその国の象徴として存在している。

国家の象徴として存在する皇室は、伝説によって成立しているのだが全く問題は無いから、現代の日本人の大半が天皇制を認め、誇りに思っているのではないか。皇室を支えているのは国民の意識なのだが、ではかつて何度も途絶えた筈の天皇家を天照大神の子孫であり、神武天皇以来万世一系と認めている日本人が女系ではその皇統が途絶えると考えるか考えないかはそれもまた日本人の意識の問題だろう。

私は女性の天皇は無論、女系の皇統でも全く問題ないと思っているが、日本人の多数がそれは認められないというなら、それに同意する。日本人の意識として女系天皇が認められないというなら、じゃあ天皇制を廃せとは言わない。今まで通り天皇の存在を私も認めるし誇りに思い続ける。






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皇位継承権


今日一日で平成が終わる。明日から令和となり、今上天皇陛下が、皇太子殿下に天皇の座を譲る。天皇が存命中に代替わりをするのは二百二年ぶりとのことだが、私としては終生天皇制は疑問に思っていた。あくまでご自身の意志で退位が選べるようにした方が良いと思っている。無論、ご自身で終生と望まれるなら逸れも良いが、ただ天皇が長寿に恵まれ非常な高齢になるまで在位していると、後継者もまた非常に高齢になるだろう。

昭和天皇が御崩御された時、八十八歳だった。戦後の厳しい時代、全国を回って国民を励ますなど、非常に優れた国民の象徴として過ごされたが、晩年はやはり年齢による疲れが目立っていた。なにしろ、天皇の勤めとは極めて厳しい物であり、更に優れた生物学者としての活動もあった。そして現在の天皇陛下が引き継がれたのは、昭和天皇御崩御のあとで、即位された時五十五歳だった。現在八十五歳で現皇太子殿下が継がれるが、すでに皇太子殿下は五十九歳となられる。

それについて次のような記事があった。

秋篠宮さまの「即位拒否発言」報道、その背景にある意図

仮に令和天皇からの継承者を見ると、


1位 皇太子徳仁親王 59歳 第1皇男子
2位 秋篠宮文仁親王 53歳 第2皇男子
3位 悠仁親王 12歳 皇孫 / 秋篠宮文仁親王第1男子
4位 常陸宮正仁親王 83歳 皇弟 / 昭和天皇第2皇男子

となる。第四位の常陸宮殿下は無理として、実際に年齢的に可能なのは悠仁親王ということになるだろう。代替わりが何時になるかは分からないが、たまたま現皇太子殿下と悠仁親王の年齢がこれだけ離れているからであり、本来の親子であれば、もっと高齢になってからの世代交代になる。

また将来、兄弟が継承者になることもあるだろう。それなら、終生天皇在位と決めるのではなく、本人の希望も容れながら有る年齢になったら継承者のと関係を考えて、在位中の代替わりも制度の中に入れても良いと思う。あくま本人の希望を基に、生存中の退位が出来れば、例えば昭和天皇はもっと生物学者としての活動が出来たと思うし、今上天皇もやはり生物学者であり、さらに現在の皇太子殿下も専門の研究分野を持っている。それらの研究に打ち込めるなら、生存中の代替わりは取り入れるべきだと思うのだが。

更に、体力やその他の適正で皇位継承が無理と判断された場合どうするのだろうか。誰が判断するのか、現実にそのようなケースが生じた場合の代替わり法はあるのだろうか。

また現行制度では、女性皇族は継承者にならず、一般人と結婚した場合は皇籍を離れることになる。私は、女性の継承権も認めるべきと思うし、女性継承者が一般人と結婚して、その子が皇嗣となることも全く問題は無いと思っている。

現実に西欧では女性の女王はいくらでもいるし、日本でもかつては女性天皇が存在し、別にそれ故の不都合はなかったはずだ。そもそも皇祖は天照大神、女性神ではなかったか。日本で最初に記録されている邪馬台国は卑弥呼が倭の女王だった。女性の天皇が存在して何か不都合はあるのだろうか。

ただ、女性にその立場を許すと、皇籍に限りなく人数が増えてきて始末に負えなくなるので、女性を皇籍から離すことでその数を調整しているという現実がある。が、それは皇位継承権の順番同様、皇籍を天皇からの距離で決め、一定の距離離れたら男女関わらず皇籍を離れるなど方法はあると思う。とにかく、一番良い方法で、日本にしか存在しない世界最古の天皇制を何時までも存続させたいと思う訳だ。



2019年5月1日 追記

女性天皇については、決して立憲民主党に迎合した物ではない。


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天皇制を考える

第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

結論を言うと、私は天皇制を日本が失ってはならない文化だと思っている。何故そう思うのかは、そもそも私なりに理解している天皇制とは何かを説明しなければならないだろうし、またこのブログのタイトルが「日本の在り方を考える」であるように、それを示す一つの要素として天皇制を外して考えるわけには行かないというわけだ。

天皇制については十人十色の思いがあるのだろうが、あくまで私はこう思うと言うことなので、それを最初に断っておく。

さて、冒頭の一文は、言うまでも無く日本国憲法の第一条であり、天皇とは何かを規定しているわけだ。

天皇を日本の君主と言い表す事も出来るだろうが、天皇が日本国民総合の象徴である以上、日本の君主は日本国民であるとの意味では、これは正しい。ただ、確認抜きで君主という言葉を使うと、天皇が日本を統べているかのような誤解を生むので積極的に使おうとは思わない。国民が国民を統べているとは言いがたいからだ。

そもそも、本来君主とは世襲によって国民の上に立ち国民を権力でまとめ上げる存在を言い、確かにかつての日本ではそうだったし、世界の伝統ある国は全てかつてそうだったと言える。中には現在もそのような国が有るし、北朝鮮のように建国74年で専制君主制を採っている様な国(あれを国と認めるなら)もある。ただし、国名が朝鮮民主主義人民共和国というは笑わせるが。無論、西欧諸国もそうだったが、米国やオーストラリアなどは英国から派生した国であり、最初から君主を持たなかったことは成り立ちとして君主を連れてくるわけには行かなかったのだからある意味当然だろう。

現代、王政を敷いている国は西欧にはかなりあるし、英連邦に属する国々もそれに準ずると言って良い。が、実際に国王が国を支配している国は、少なくとも西欧には無い。すべて、象徴としての王政であり、君主としての要素は世襲であると言うだけのことだ。習慣として君主と言うこともあるが、かつての君主とは全く違う。むろん、日本の天皇も同じだ。

ところで、他国の君主制はすなわち王政だが、日本の場合王政とはいわない。日本天皇だけがエンペラーと表現するのが普通で(どこかの馬鹿国家が日王などと言っているが、世界では無視されている)世界でも唯一の存在だ。エンペラーとは本来皇帝を表し、王は皇帝に任命されたそれぞれの地域の支配者という意味だ。日本以外の君主国家の君主はすべて王であり、キングと称されるが、日本だけがエンペラーとされる。が、現実には別に日本天皇が他国の王を任命したわけではないので、皇帝、エンペラーとするのは間違っておりあくまで天皇であり、それを表現する英語が他国に無かったと言うだけだ。無いなら、英語でもTennouとすべきでは無いかとは思う。が、現実に今の世界で王を任命してエンペラーは存在しないのだから、従来の意味とは違う意味でエンペラーでもまあ良いかとも思う。

さて、もし日本の歴史で言うなら、天皇は征夷大将軍や関白太政大臣を任命し、日本の統治を任せたのだからその意味でエンペラーは正しい。実際は、ごく一時期を除いて、天皇が日本統治の実権を持っていたことは無い。あくまで支配者がその権威付けの象徴として、天皇制を維持していたに過ぎず、それは大政奉還のあと、帝国議会が日本を統治するようになってからも、また軍部が実権を握っていた戦前でも同じ事だろう。日本では天皇とはあくまで象徴だったのだ。実権を握っていたのが武士階級から一部の華族、旧武士階級などからなる一部の集団による統治(律令制)、そして普通選挙が実施されて帝国議会が出来ても、その後軍部が実権を握っても、あくまで統治者は天皇とされていた。大日本帝国憲法でも天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラスと明記され、そもそもこの憲法自体が明治天皇によって発布された。それでも、現実には天皇は日本統治の象徴であって、実態は帝国議会が法を定めていた。

つまり、日本において天皇が国家の象徴であるとされていたのは日本が統一されて以来と言って良いほどの歴史がある。だからこそ、世界でも最も古い世襲の統治の象徴であったわけだ。他国では王が何度も権力闘争の結果入れ替わっていたその間も日本の天皇のみが継続してきた。むろん、日本でも権力闘争は何度もあったし現実に権力者は何度も入れ替わったが、彼らは決して天皇とその地位を争うことはしなかった。権力を天皇から与えられた、という形にする方が問題が起きなかったからだ。あえて言えば王権神授説にもとづき、西欧の王達が神によって与えられた権力は、何人も侵すことが出来ないとされたのと似ているのかも知れない。天皇に与えられた権力は侵すことが出来ないというわけだ。

他国と違い極めて長い歴史を持つ日本の皇室は、結局日本の象徴として観られていたわけで、現在それが憲法で規定されているに過ぎない。

さて、日本人の皇室、天皇制に対する印象は極めて良好なようで、何事にも政府に噛みつく野党も、天皇制否定や皇室誹謗をすることは無い。そんなことをすれば理屈抜きの反感を受けるからだ。

現在天皇制が国民の間で肯定的に捉えられている理由の大きなものの一つは、歴代の天皇陛下の人柄があるだろう。むろん、すべて陛下の個人的日常が明らかにされるわけでは無いし、天皇陛下といえども人間だから完全無欠と言うことではないにしろ、優れた人格者であろうとは限られた情報からも納得できる。ただし、天皇陛下にどのような人間としての欠点があろうと(また人間なのだから欠点はあるだろう)全く本質には関わらない。私達は天皇陛下を個人崇拝しているわけではない。むろん、優れた人柄に惹かれることはあるが、それとは無関係に、天皇という存在が日本国の象徴であり、日本国民の象徴であるから敬愛の対象になるのだ。

従って、現状で天皇制を否定したり侮辱する(隣の馬鹿国家のように)輩は、日本という国、日本国民を否定し侮辱しているのだと思うし、明確に排除すべき敵だと認識している。



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天皇制を考える

選挙戦のさなか、民主党による日本国旗切り刻み事件が起き、少なくともネット上ではかなり話題になっている。すなわち、このような行動が民主の国家に対する感覚を物語っているというわけだ。これは至極もっともなことで、いやしくも国旗や国歌とはその国の象徴であるから、多くの国で国旗侮辱罪なる物が存在する。すなわち、自国の国旗を故意に損壊したり卑しめた場合、刑法に問われる。

しかし、日本にはそれにあたる法律がない。あるのは、外国の国旗を損壊した場合のみである。韓国や中国では日本国旗を踏みつけたり燃やしたり切り刻んだりが恰好のゲームになっているが、日本ではそれは刑法にふれる。

よく例として挙げられるケースとして国立小学校国旗掲揚事件がある。これは2000年3月24日、東京都国立第二小学校の屋上に戦後初めて、日の丸が掲げられたのだが、その時国旗掲揚をした校長に一部の教員、児童、父兄が詰め寄り、児童の意志を無視して国旗を掲揚したのは人権無視であるとして校長に詰め寄り、土下座をさせたというもの。東京都国立第二小学校などでググるとたくさんヒットするだろうが、国旗掲揚と、土下座をさせるのとどちらが人権無視か。毎年卒業式などで国旗掲揚に反対したり国歌斉唱に抵抗して処分される教員が後を絶たない。

しかし、彼らは人権や民主主義を勘違いしているのではないか。個人の思想信条で国旗や国歌を憎むのは或意味自由であろうが、公の場では己の意志を通したければその場の構成員の意志を確かめ、それが全体の意志(多数決であっても)としてまとまった場合それを主張すればよいだろう。自分が反対だから、公の行事を妨げることが正当だというのでは、ごねれば何でも通ると言うことだろう。

国旗掲揚や国歌斉唱が公の行事にはあたらない、それに参加しないのはそれを妨げることにはならないというのも屁理屈だ。その場の構成員として参加していてその場で決められたルールに反するでは排除されても仕方がないだろうし、まして自分たちの信条と違うからと校長に土下座をさせるのでは暴力であろう。

国旗、国歌は今のところ日本国の象徴として合意が出来ている物だ。すなわち、これを公的機関が掲げ、斉唱することは合意としてルールとなっている。個人が反対するのは自由だが、その信条で合意事項に反対するのであればそれなりの手続きを踏む。それが民主主義ではないのか。自分の人権は守るが他者の人権は無視して良いと言うことではあるまい。

国旗国歌に反対する理由として、戦争の時に日本は日章旗のもとに他国を侵略したからと言うのがある。では、今の日本が日章旗のもとに他国を侵略しているだろうか。またかつての戦争が以前にも書いたことだが日本の過ちであったのかという検証を十分につくしても居ない。

国旗は単に布に赤丸を付けた物ではない。日本という無形の概念を形に表し象徴とした物だ。だからこそ、普通の国では国旗掲揚に際しては起立し敬意を表することを法律で規定しているケースが多い。例えばヨーロッパに行きハーケンクロイツの旗を掲揚すれば直ちに警察が来ておそらく引っ張られる。単に布きれの模様だ等という言い訳など通用しない。実際、仏教では仏のシンボルとして卍があり、それを持っていた日本の仏教関係者が取り調べを受けたという話もある。ヨーロッパで仏教のシンボルが卍であり、ハーケンクロイツとは無関係であることなど、今でも知らない人間の方が多いだろう。

閑話休題。

旗とはシンボルなのであり、決してただの布きれではない。まして国旗とは国家のシンボルであり、国旗を尊重することで国家を尊重しているのだ。有名な話だが、日本の公党であり今では政権の座についていやしくも日本のために働くと言っている民主党が、党大会では絶対に国旗を掲揚せず、そして先日の国旗切り刻み事件を起こした。それを指摘された鳩山氏は神聖な党のマークをそんな作りかでは遺憾であると言っただけで、国旗を切り刻んだことに関しては全くの人ごとのようだった。あたかも、秘書がやったことは自分には無関係であるというのと同じだ。民主が党として行った行為については、代表である鳩山氏が、たとえ直接関与していなくとも謝罪すべきだと思うのが自然ではないのか。しかし、鳩山氏は謝罪すべきは神聖な党のマークをそんな作り方で作ったことであって、国旗を既存したことではないらしい。

その後も麻生氏が遊説などでそれを言うと、中傷合戦に自分は加わらないといっている。中傷合戦ではないだろう。あくまで日本国のために働くと公言している公党の姿勢そのものなのだが、それを単なる中傷とする感覚はどう考えても異常としか思えない。

日章旗のもとにアジアを侵略したと言うのであれば、罪は国家にあるだろう。国家を糾弾すればよい。日章旗が国家を動かしたのではない、国家が日章旗を使ったのだ。それは国歌にもいえる。それと、天皇制廃止論者が決まって言うのは、天皇の名の下に戦争をしたから、天皇がいればまた同じ事が起きるという言葉だ。だが、彼らに決まっているのは、天皇制があったからこそ、たとえ争いがあっても天皇の名のもとに日本がこの2000年もの間まとまっていられた事実、そして戦後も天皇が全国を歩いて国民を励まし、たしかにそれが復興の大きな力になっている事実は無視している。

天皇の地位も意味も時代によって変わる。それは世界中の君主でも同じ事であり、かつては日本の支配者であったかも知れないが、そのような時代だったからであって、現代、そのような時代がもし蘇るとすれば、天皇制が有ろうと無かろうと同じ事だ。

君が代が天皇支配を歌っているから国歌としてふさわしくないと言うのだが、国歌などどこの国でも似たような物であり、英国のゴッドセイブザクィーンなどその最たる物だ。あとは戦争で敵をやっつけろというのが多い。

君が代の歌詞が天皇の永久繁栄を願っているから、というのが何だというのだろう。どうしても理屈を付けたければ、今の天皇は日本国の象徴なのだから、日本国の永遠の繁栄を願っている歌詞だと解釈すれば全く問題はないはずだ。それとも、それでは困る、日本国はすぐに滅びるべきであると主張するなら、そのように民主は党是に掲げるべきである。

無論、日本は思想言論自由が保障されているから、天皇制を廃止すべし、天皇制反対の論を持ってももちろん自由だし、そのようなサイト、ブログもたくさんある。しかし、ほぼ共通しているのは、語彙からすれば恐ろしく幼稚で、理論も何もない、いわばまともに論ずるに足りないレベルの主張が多い。ちょーキモい、とかカルトだとか、オームは裁かれたが天皇は裁かれないなどなど。したがって、今彼らのグタグタにまともにつきあう気にはなれない。結局、30年もの間90%の日本人が自然に受け入れているという事実が一番確かな根拠なのではないか。

国旗の話から、やっと本題だが、天皇についても大日本帝国憲法では万世一系神聖にして冒すべからざる日本の支配者として規定されていたが、今の憲法では日本国の象徴であると明記されている。つまり国旗や国歌と同じ扱いであり、はしょって言えば人間ではない。

むろん、生物学的には天皇も人間であり個人としての生活も有れば生活もあるが、天皇として認識される場合、彼の個人的データは無関係である。したがって、天皇が極端な場合人格を有していなくともあるいは人格破綻者でも構わないということになるが、当然ながら犯罪を犯せば人間として裁かれるし、いやでも人間としての振るまいが象徴として観られるのだから、実際には人格は優れている方がよい。

幸いなことに今上天皇はきわめて人格高潔な人物であるとのことだが、むろん実際はどうなのか私は知らない。しかし、人格は特に大きな要素ではないと思っているから人格的に極端な支障がない限り別に構わないと思っているだけだ。

個人崇拝の対象には当然ならない。そこに個人は存在しないから。あくまで国家国民の象徴であり、日本国民として日本国を尊重し、国民を尊重するから、その象徴としての天皇を尊重する。

では万世一系などと言う必要はない。象徴になるなら選挙で選んでも良かろうというのが、例えば象徴としての存在であるドイツの大統領とか、英連邦の総督などだ。だが、現実に日本の天皇家は世界でも最も古くそして直系の祖先が記録に残っている存在だ。確かに神武天皇以下数代、十数代については存在自体が疑われているし、また南北朝の時代、果たして直系が継続したかどうかもあやしい。それでも日本の天皇家がさかのぼれる限り直系で一番古い系統であることに間違いはない。ヨーロッパなど精々数百年、多くは2,300年と言ったところだ。この、少なくとも一千数百年の時をさかのぼることの出来る天皇は、事実として他の誰もが成り代わることの出来ない絶対的な要素だ。一方、誰でもなりうる選挙制での大統領や総督は、その選出過程でどうしても不正が関わる。

おおよそ、日本には世界でも希有な古い企業が多くある国で、100年の歴史を持った企業など、そこいら辺の古い商家や職人では珍しくもないし、300年さかのぼれる企業も日本には多数ある。世界最古の、1500年前に起業した会社も日本にあり、ヨーロッパでは精々数十社が2,300年続いているだけだ。これは彼の地が戦乱に明け暮れた為で、アジアでも中国に数軒あるくらいの物だ。韓国などで一番古い企業も精々80年だ。

とにかく、日本では平安が千年以上続いたので(日本の内戦など、他国ではほんの小競り合いにしか過ぎない)企業も天皇家も長らく存続出来た。長く存続するというのは、それだけの重みを積み重ねてきたと言うことだ。だからこそ、老舗は日本では絶対の信頼がある。

したがって、日本の天皇家は海外でも特別な存在として扱われ、序列では英国国王よりも上とされている。日本の皇室に並ぶ存在は、かつてはエチオピア皇室だけだったが、今は存在しない。

古い家系というのはおいそれと作ることは出来ない。海外で選挙制の大統領を国家元首としているのは、古い王家がないからだ。なお、天皇はエンペラーであり、キングではない。なぜなら、キングはエンペラーに任命された地方の支配者だからだ。

であるならば、国家の象徴として世界太古の天皇家は打ってつけではないのか。たしかに天皇は生まれたときから地位が約束されている。それは不公平だと言うが、言い換えれば職業選択の自由が無く、選挙権もなく、住居の選択もなく行動の自由も大幅に制限されている。気ままに旅行一つ出来ない。つまり人間としての自由や権利を生まれながらに大きく制限されている気の毒な存在であり、私など到底つとまる物ではない。生まれながらに地位が決まり生活が保障されているというのは少し違うと思うが。

今の日本人は凡そ90%が天皇制の存続を認め好ましいとしていて、その支持率はこのところ30年間、ほぼ変化していない。日本は立憲君主制であり、これは君臨すれど統治せずの君主の存在を日本の憲法が規定していると言うことだ。天皇には国事に対する一切の決定権がない。その意味で選挙権を有している我々の方が高い権利を有していると言っていい。天皇は象徴的な国事を執り行うが、決定は一切しない。

国会を召集するのは天皇だが、それを決めるのは内閣であり、天皇ではない。大臣を任命するのは天皇だが指名するのは総理大臣だ。天皇は政府が決めた案件に御璽御名を施し、政府が定める外交に関わるが一切国家間の条約に関与しない。それこそ、徹底的に象徴であり、権力からは用心深く遠ざけられている。

立憲君主制とは、憲法、すなわち国民の合意のもとに認められた君主であると言うことであり、すなわち日本国の象徴だと言うことだ。

わたしは日本の天皇制は非常に優れた制度だと思っている。125代も(無論象徴的な数字であり事実ではないだろうが)も続いた天皇家は、一度失われれば二度と取り返すことが出来ないし、また選挙などと違い一切権力や私利私欲が入り込む余地がない。だからこそ、鎌倉幕府以降、どのような人間が天下を取ろうが、必ず天皇の命を受ける必要があった。過去にも天皇ほど権力から遠い存在は世界でもなかった。だからこそ、世界最古の存在であり得たのだ。この天皇制を最大限に利用したのが今の立憲君主制なのであり、個人崇拝とは全く無縁の物だ。私は日本という国を愛し、日本国民を尊重する。だから、その象徴として天皇を尊重し、国旗を尊重し、国家を尊重する。それらがもっとも権力や利害から遠いところにあると考えるからだ。

ここで繰り返し確認しておくが、

天皇制反対論者の論拠は次の通りだろう

1)天皇が侵略戦争を命令した

 これは明らかに違う。軍部が戦争をする名目として錦の御旗を掲げたに過ぎない。もちろん、天皇自身にも開戦の意志があったとも言われているが、それは天皇の意志で開戦したと言う事ではないだろう。さらに、当時の天皇の地位は、今とは違い日本を統治する存在だった。絶対君主だったわけだが、実際に天皇が絶対君主だった時代はほとんど無い。だが、あの時代、軍部がそれを利用したと言うことだ。
 
 また、あの戦争が間違いであったかどうかは様々な論議が必要だが、侵略戦争では無かった。方法がまずかった面は確かにある。しかし、ほぼ唯一の選択肢であり、また日本は植民地政策を採っていない。
 
 今頃天皇機関説を持ち出しても意味はない。
 
2)天皇の意志で戦争をしたのではなくとも、また天皇が利用される

 昭和憲法は明確に天皇の地位を規定している。また細心の注意を払って天皇を権力から遠ざけている。したがって、天皇の意志で国事を動かすことは憲法改正を必要とするが、それが出来るなら、それが国民の意思と言うことであり、そもそもどのような憲法であろうと戦争は起きる。
 
 また、天皇の名の下に戦争があったかも知れないが、天皇の名の下に日本がまとまってきた事実を帳消しにすることは出来ない。
 
3)外国では天皇が侵略戦争の責任者として憎まれている

 そのようなことを言っているのは中韓鮮のみと考えて良い。実際に世界では天皇は最大限の敬意を持って迎えられている。日本の繁栄の象徴として観られていると言って良い。また、世界の王室の中でも最も古く格式が高いと見なされれている。
 
 なお、オランダなどでは天皇の車に野次馬が卵を投げつけたと言うが、オランダは欧州でもかなり反日感情が強いと言われている。実際に行ってみてそう感じたことはないが、すくなくともアジア支配をしていたところへ日本が来て権益を奪われたことからの逆恨みでしかないし、今ではそのようなこともあまり見聞きしない。
 
4)人間は平等であるはずで、生まれながら天皇という身分が保障されるのはおかしい

 天皇は人間ではない。あくまで日本、日本人の象徴であり、日本人や外国人が尊重するのは象徴としての天皇だ。もちろん、天皇も生物学的には人間であり、それを人間天皇として宣言したがその人間としての天皇を尊重しているわけではない。むろん、人間としての人権は尊重するが全ての人間と等しい。
 
 天皇は象徴であり、一個人ではない。むしろ概念である。
 
 国家国民の象徴であるなら、国家国民が積み重ねてきた歴史と同じ歴史を共有する天皇という象徴がふさわしい。
 

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