天皇制を考える

選挙戦のさなか、民主党による日本国旗切り刻み事件が起き、少なくともネット上ではかなり話題になっている。すなわち、このような行動が民主の国家に対する感覚を物語っているというわけだ。これは至極もっともなことで、いやしくも国旗や国歌とはその国の象徴であるから、多くの国で国旗侮辱罪なる物が存在する。すなわち、自国の国旗を故意に損壊したり卑しめた場合、刑法に問われる。

しかし、日本にはそれにあたる法律がない。あるのは、外国の国旗を損壊した場合のみである。韓国や中国では日本国旗を踏みつけたり燃やしたり切り刻んだりが恰好のゲームになっているが、日本ではそれは刑法にふれる。

よく例として挙げられるケースとして国立小学校国旗掲揚事件がある。これは2000年3月24日、東京都国立第二小学校の屋上に戦後初めて、日の丸が掲げられたのだが、その時国旗掲揚をした校長に一部の教員、児童、父兄が詰め寄り、児童の意志を無視して国旗を掲揚したのは人権無視であるとして校長に詰め寄り、土下座をさせたというもの。東京都国立第二小学校などでググるとたくさんヒットするだろうが、国旗掲揚と、土下座をさせるのとどちらが人権無視か。毎年卒業式などで国旗掲揚に反対したり国歌斉唱に抵抗して処分される教員が後を絶たない。

しかし、彼らは人権や民主主義を勘違いしているのではないか。個人の思想信条で国旗や国歌を憎むのは或意味自由であろうが、公の場では己の意志を通したければその場の構成員の意志を確かめ、それが全体の意志(多数決であっても)としてまとまった場合それを主張すればよいだろう。自分が反対だから、公の行事を妨げることが正当だというのでは、ごねれば何でも通ると言うことだろう。

国旗掲揚や国歌斉唱が公の行事にはあたらない、それに参加しないのはそれを妨げることにはならないというのも屁理屈だ。その場の構成員として参加していてその場で決められたルールに反するでは排除されても仕方がないだろうし、まして自分たちの信条と違うからと校長に土下座をさせるのでは暴力であろう。

国旗、国歌は今のところ日本国の象徴として合意が出来ている物だ。すなわち、これを公的機関が掲げ、斉唱することは合意としてルールとなっている。個人が反対するのは自由だが、その信条で合意事項に反対するのであればそれなりの手続きを踏む。それが民主主義ではないのか。自分の人権は守るが他者の人権は無視して良いと言うことではあるまい。

国旗国歌に反対する理由として、戦争の時に日本は日章旗のもとに他国を侵略したからと言うのがある。では、今の日本が日章旗のもとに他国を侵略しているだろうか。またかつての戦争が以前にも書いたことだが日本の過ちであったのかという検証を十分につくしても居ない。

国旗は単に布に赤丸を付けた物ではない。日本という無形の概念を形に表し象徴とした物だ。だからこそ、普通の国では国旗掲揚に際しては起立し敬意を表することを法律で規定しているケースが多い。例えばヨーロッパに行きハーケンクロイツの旗を掲揚すれば直ちに警察が来ておそらく引っ張られる。単に布きれの模様だ等という言い訳など通用しない。実際、仏教では仏のシンボルとして卍があり、それを持っていた日本の仏教関係者が取り調べを受けたという話もある。ヨーロッパで仏教のシンボルが卍であり、ハーケンクロイツとは無関係であることなど、今でも知らない人間の方が多いだろう。

閑話休題。

旗とはシンボルなのであり、決してただの布きれではない。まして国旗とは国家のシンボルであり、国旗を尊重することで国家を尊重しているのだ。有名な話だが、日本の公党であり今では政権の座についていやしくも日本のために働くと言っている民主党が、党大会では絶対に国旗を掲揚せず、そして先日の国旗切り刻み事件を起こした。それを指摘された鳩山氏は神聖な党のマークをそんな作りかでは遺憾であると言っただけで、国旗を切り刻んだことに関しては全くの人ごとのようだった。あたかも、秘書がやったことは自分には無関係であるというのと同じだ。民主が党として行った行為については、代表である鳩山氏が、たとえ直接関与していなくとも謝罪すべきだと思うのが自然ではないのか。しかし、鳩山氏は謝罪すべきは神聖な党のマークをそんな作り方で作ったことであって、国旗を既存したことではないらしい。

その後も麻生氏が遊説などでそれを言うと、中傷合戦に自分は加わらないといっている。中傷合戦ではないだろう。あくまで日本国のために働くと公言している公党の姿勢そのものなのだが、それを単なる中傷とする感覚はどう考えても異常としか思えない。

日章旗のもとにアジアを侵略したと言うのであれば、罪は国家にあるだろう。国家を糾弾すればよい。日章旗が国家を動かしたのではない、国家が日章旗を使ったのだ。それは国歌にもいえる。それと、天皇制廃止論者が決まって言うのは、天皇の名の下に戦争をしたから、天皇がいればまた同じ事が起きるという言葉だ。だが、彼らに決まっているのは、天皇制があったからこそ、たとえ争いがあっても天皇の名のもとに日本がこの2000年もの間まとまっていられた事実、そして戦後も天皇が全国を歩いて国民を励まし、たしかにそれが復興の大きな力になっている事実は無視している。

天皇の地位も意味も時代によって変わる。それは世界中の君主でも同じ事であり、かつては日本の支配者であったかも知れないが、そのような時代だったからであって、現代、そのような時代がもし蘇るとすれば、天皇制が有ろうと無かろうと同じ事だ。

君が代が天皇支配を歌っているから国歌としてふさわしくないと言うのだが、国歌などどこの国でも似たような物であり、英国のゴッドセイブザクィーンなどその最たる物だ。あとは戦争で敵をやっつけろというのが多い。

君が代の歌詞が天皇の永久繁栄を願っているから、というのが何だというのだろう。どうしても理屈を付けたければ、今の天皇は日本国の象徴なのだから、日本国の永遠の繁栄を願っている歌詞だと解釈すれば全く問題はないはずだ。それとも、それでは困る、日本国はすぐに滅びるべきであると主張するなら、そのように民主は党是に掲げるべきである。

無論、日本は思想言論自由が保障されているから、天皇制を廃止すべし、天皇制反対の論を持ってももちろん自由だし、そのようなサイト、ブログもたくさんある。しかし、ほぼ共通しているのは、語彙からすれば恐ろしく幼稚で、理論も何もない、いわばまともに論ずるに足りないレベルの主張が多い。ちょーキモい、とかカルトだとか、オームは裁かれたが天皇は裁かれないなどなど。したがって、今彼らのグタグタにまともにつきあう気にはなれない。結局、30年もの間90%の日本人が自然に受け入れているという事実が一番確かな根拠なのではないか。

国旗の話から、やっと本題だが、天皇についても大日本帝国憲法では万世一系神聖にして冒すべからざる日本の支配者として規定されていたが、今の憲法では日本国の象徴であると明記されている。つまり国旗や国歌と同じ扱いであり、はしょって言えば人間ではない。

むろん、生物学的には天皇も人間であり個人としての生活も有れば生活もあるが、天皇として認識される場合、彼の個人的データは無関係である。したがって、天皇が極端な場合人格を有していなくともあるいは人格破綻者でも構わないということになるが、当然ながら犯罪を犯せば人間として裁かれるし、いやでも人間としての振るまいが象徴として観られるのだから、実際には人格は優れている方がよい。

幸いなことに今上天皇はきわめて人格高潔な人物であるとのことだが、むろん実際はどうなのか私は知らない。しかし、人格は特に大きな要素ではないと思っているから人格的に極端な支障がない限り別に構わないと思っているだけだ。

個人崇拝の対象には当然ならない。そこに個人は存在しないから。あくまで国家国民の象徴であり、日本国民として日本国を尊重し、国民を尊重するから、その象徴としての天皇を尊重する。

では万世一系などと言う必要はない。象徴になるなら選挙で選んでも良かろうというのが、例えば象徴としての存在であるドイツの大統領とか、英連邦の総督などだ。だが、現実に日本の天皇家は世界でも最も古くそして直系の祖先が記録に残っている存在だ。確かに神武天皇以下数代、十数代については存在自体が疑われているし、また南北朝の時代、果たして直系が継続したかどうかもあやしい。それでも日本の天皇家がさかのぼれる限り直系で一番古い系統であることに間違いはない。ヨーロッパなど精々数百年、多くは2,300年と言ったところだ。この、少なくとも一千数百年の時をさかのぼることの出来る天皇は、事実として他の誰もが成り代わることの出来ない絶対的な要素だ。一方、誰でもなりうる選挙制での大統領や総督は、その選出過程でどうしても不正が関わる。

おおよそ、日本には世界でも希有な古い企業が多くある国で、100年の歴史を持った企業など、そこいら辺の古い商家や職人では珍しくもないし、300年さかのぼれる企業も日本には多数ある。世界最古の、1500年前に起業した会社も日本にあり、ヨーロッパでは精々数十社が2,300年続いているだけだ。これは彼の地が戦乱に明け暮れた為で、アジアでも中国に数軒あるくらいの物だ。韓国などで一番古い企業も精々80年だ。

とにかく、日本では平安が千年以上続いたので(日本の内戦など、他国ではほんの小競り合いにしか過ぎない)企業も天皇家も長らく存続出来た。長く存続するというのは、それだけの重みを積み重ねてきたと言うことだ。だからこそ、老舗は日本では絶対の信頼がある。

したがって、日本の天皇家は海外でも特別な存在として扱われ、序列では英国国王よりも上とされている。日本の皇室に並ぶ存在は、かつてはエチオピア皇室だけだったが、今は存在しない。

古い家系というのはおいそれと作ることは出来ない。海外で選挙制の大統領を国家元首としているのは、古い王家がないからだ。なお、天皇はエンペラーであり、キングではない。なぜなら、キングはエンペラーに任命された地方の支配者だからだ。

であるならば、国家の象徴として世界太古の天皇家は打ってつけではないのか。たしかに天皇は生まれたときから地位が約束されている。それは不公平だと言うが、言い換えれば職業選択の自由が無く、選挙権もなく、住居の選択もなく行動の自由も大幅に制限されている。気ままに旅行一つ出来ない。つまり人間としての自由や権利を生まれながらに大きく制限されている気の毒な存在であり、私など到底つとまる物ではない。生まれながらに地位が決まり生活が保障されているというのは少し違うと思うが。

今の日本人は凡そ90%が天皇制の存続を認め好ましいとしていて、その支持率はこのところ30年間、ほぼ変化していない。日本は立憲君主制であり、これは君臨すれど統治せずの君主の存在を日本の憲法が規定していると言うことだ。天皇には国事に対する一切の決定権がない。その意味で選挙権を有している我々の方が高い権利を有していると言っていい。天皇は象徴的な国事を執り行うが、決定は一切しない。

国会を召集するのは天皇だが、それを決めるのは内閣であり、天皇ではない。大臣を任命するのは天皇だが指名するのは総理大臣だ。天皇は政府が決めた案件に御璽御名を施し、政府が定める外交に関わるが一切国家間の条約に関与しない。それこそ、徹底的に象徴であり、権力からは用心深く遠ざけられている。

立憲君主制とは、憲法、すなわち国民の合意のもとに認められた君主であると言うことであり、すなわち日本国の象徴だと言うことだ。

わたしは日本の天皇制は非常に優れた制度だと思っている。125代も(無論象徴的な数字であり事実ではないだろうが)も続いた天皇家は、一度失われれば二度と取り返すことが出来ないし、また選挙などと違い一切権力や私利私欲が入り込む余地がない。だからこそ、鎌倉幕府以降、どのような人間が天下を取ろうが、必ず天皇の命を受ける必要があった。過去にも天皇ほど権力から遠い存在は世界でもなかった。だからこそ、世界最古の存在であり得たのだ。この天皇制を最大限に利用したのが今の立憲君主制なのであり、個人崇拝とは全く無縁の物だ。私は日本という国を愛し、日本国民を尊重する。だから、その象徴として天皇を尊重し、国旗を尊重し、国家を尊重する。それらがもっとも権力や利害から遠いところにあると考えるからだ。

ここで繰り返し確認しておくが、

天皇制反対論者の論拠は次の通りだろう

1)天皇が侵略戦争を命令した

 これは明らかに違う。軍部が戦争をする名目として錦の御旗を掲げたに過ぎない。もちろん、天皇自身にも開戦の意志があったとも言われているが、それは天皇の意志で開戦したと言う事ではないだろう。さらに、当時の天皇の地位は、今とは違い日本を統治する存在だった。絶対君主だったわけだが、実際に天皇が絶対君主だった時代はほとんど無い。だが、あの時代、軍部がそれを利用したと言うことだ。
 
 また、あの戦争が間違いであったかどうかは様々な論議が必要だが、侵略戦争では無かった。方法がまずかった面は確かにある。しかし、ほぼ唯一の選択肢であり、また日本は植民地政策を採っていない。
 
 今頃天皇機関説を持ち出しても意味はない。
 
2)天皇の意志で戦争をしたのではなくとも、また天皇が利用される

 昭和憲法は明確に天皇の地位を規定している。また細心の注意を払って天皇を権力から遠ざけている。したがって、天皇の意志で国事を動かすことは憲法改正を必要とするが、それが出来るなら、それが国民の意思と言うことであり、そもそもどのような憲法であろうと戦争は起きる。
 
 また、天皇の名の下に戦争があったかも知れないが、天皇の名の下に日本がまとまってきた事実を帳消しにすることは出来ない。
 
3)外国では天皇が侵略戦争の責任者として憎まれている

 そのようなことを言っているのは中韓鮮のみと考えて良い。実際に世界では天皇は最大限の敬意を持って迎えられている。日本の繁栄の象徴として観られていると言って良い。また、世界の王室の中でも最も古く格式が高いと見なされれている。
 
 なお、オランダなどでは天皇の車に野次馬が卵を投げつけたと言うが、オランダは欧州でもかなり反日感情が強いと言われている。実際に行ってみてそう感じたことはないが、すくなくともアジア支配をしていたところへ日本が来て権益を奪われたことからの逆恨みでしかないし、今ではそのようなこともあまり見聞きしない。
 
4)人間は平等であるはずで、生まれながら天皇という身分が保障されるのはおかしい

 天皇は人間ではない。あくまで日本、日本人の象徴であり、日本人や外国人が尊重するのは象徴としての天皇だ。もちろん、天皇も生物学的には人間であり、それを人間天皇として宣言したがその人間としての天皇を尊重しているわけではない。むろん、人間としての人権は尊重するが全ての人間と等しい。
 
 天皇は象徴であり、一個人ではない。むしろ概念である。
 
 国家国民の象徴であるなら、国家国民が積み重ねてきた歴史と同じ歴史を共有する天皇という象徴がふさわしい。
 
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